2008年夏 さうだ!西へ行かうツアー |
朝、ゲンタさんが車で迎えに来る。女房に見送られて広島を出発。中国自動車道をひたすら南下。九州に入ってからは、ゲンタさんのカーナビと、ワシの地図上のカン、どっちが正確かを競い合う。結果、ワシの勝ち(笑)。ほぼ予定時間通りに会場に着く。
エキマエ音舗はこのたび新規開拓したハコ。割と急なブッキングのお願いを、快く引き受けてくれた。日頃は割とロック系のハコらしひ。博多はそもそもメジャー指向の強い街。けふの他の出演者も、完全にそっち方面を向いた若い人達で、その中のベースとパーカスのおぢさん二人は、明らかに『場違いフォー!!(レイザーラモン風に)』なかんぢ。
今回、デュオで一緒に演りたかった曲を、MDに録って送らうと思った時に、ゲンタさんから『MDが壊れた』といふ連絡が入った。その時点で「まぁえぇわ」といふ気になり、結局、なにも決めずにけふまで来た。新曲に「適当に入ってくれ」などと無茶な事を云ふワシに、焦るゲンタさん。まぁワシはいつもFar east 〜で同じくらい無茶な事を演ってゐるのだ。
そして本番。演目は、月の路/トゥアタラ/帰れアジアへ/あやかし/家路/丘にのぼる時(今回珍しくメモってる)。この中で「家路」のレゲェヴァージョンと、「トウアタラ」「アジア」がゲンタさんには初。両方とも割とシビアなキメがあるが、まぁそんなかんぢの打ち合わせだったにしては、意外なほど上手く行った。このかんぢなら、づっと熊本まで一緒に演って行くうちにバッチシになるだらう。
博多に壱泊しても良いのだが、けふのうちにゲンタさんの実家がある熊本まで行く事にす。その前に、博多と云へば屋台ラーメン。だが、タマタマ入った屋台が、豚骨白濁スープが主流のハズの博多において、何故か塩ラーメン。不味くはないのだが・・・・う〜む。
妙な不達成感を感じつつ、博多を後にす。
けふと明日は、昼間の間に老人保養施設----いわゆる老人ホームでボランティア演奏をする事になってゐる。会場側とゲンタさんからは『演目は完全にお任せする。オリジナルでも何でも結構』といふ申し出を受けてゐた。かういふ時に、全曲オリジナルで攻める潔さも天晴れだとは思ふが、ワシはやはりTPOに合わせてそれなりの曲を用意したい。
考えた末に、「月の路」「丘にのぼる時」のオリジナル2曲に、「こきりこ節」「花」「見上げてごらん夜の星を」「上を向いて歩こう」を組み入れた。マニアックにならぬやうに、楽器のレクチャーも含めた内容でライヴをすすめる事にす。ゲンタさんが会場を練り歩きながら叩いたり、お客さんに鳴りモノを配って一緒に叩いてもらったり。
広島でもなんどか老人ホームの慰問は経験あるが、かういふライヴって、やはりなんとなく「良い」。元気がもらへる。
会場側にも、お客さんにも、たいへん喜んでいただけたようで、こちらも嬉しい。ひとりひとりきちっとお礼を述べて出て行かれる。中に、なんともまぁ信じられんやうに美しいお婆さんがいらして、驚く。笑ったお顔なんぞ、今でも充分にホレてしまいさうな程可愛い。若い頃はさぞや凄まじく美しい女性だった事だらう。「次は是非踊れるやうなナンバーも聞きたいわ」とおっしゃる。はぁ〜〜〜〜、良い歳、といふは本当に取れるのだね。
けふは夜の部はナシ。
なので、明日の対バンをお願いしてゐる、熊本在住のスーパーギタリスト、なゆたサンに案内をお願いして、熊本ナイトライフを満喫。芋焼酎、辛子蓮根、馬刺し、などなど喰ひながら、色々な話で盛り上がる。なゆたサンは企業の社長さん、でもあるので、かういふ世界はお手のもの。素晴らしく感じの良い美女がゐるスナックとか、連れてってくれる。
しかし、昼間のお婆さんと云ひ、このスナックの女性と云ひ、熊本は総じて美女が多い。これまで訪れた街の中では名古屋が一番美人率が高い、と思ってゐたが、これは、入れ代わったかな?。なんてーか『素に美人』てかんぢ。そんなに着飾ってない娘ほど、綺麗なのだ。ぬ〜〜侮れぬ!!。
そんな熊本の夜。
10分くらい歩いた所に、かなりえぇかんぢの商店街があって、カメラ片手にうろつく。総菜屋、漬物屋、甘味処、いっぱいあるねぇ。なんで広島はかういふ処があんまり無いんだらうか?。総菜屋で真空パックの「なまぶし」をひとつと、奥田英朗「サウスバウンド」上巻、買う。
けふも、昼の間は老人ホームでのボランティア演奏。昨日のところより、要介護度がやや高い施設。介護士の人数も多い。けふのライヴを世話してくれた、ケアマネージャーの女性が、これまた美人っ!。ん〜〜〜〜、熊本っ。
演目は昨日と同じ。会場が昨日の場所より広いので、より広くステージを使って演奏。「見上げてごらん〜」では泪を流して聴いてくれる人あり。「花」においては『なきな〜〜さぁ〜〜いぃ〜〜、わらい〜な〜さ〜あぁぁ〜い〜』の大合唱となり、最後はやっぱり全員に鳴りものを叩いてもらひながらの大団円。
昨日以上に元気を貰った、良いライヴだった。
さーて、けふはあまりのんびりもしとられん。夜は熊本市内でのちゃんとしたライヴだ。
昨夜、熊本ナイトライフを案内してくれた、なゆたさんの尽力で実現した、ブリッカブラックでのライヴ。小さなハコだが、DJ大会などが行われるだけあって、音はかなり良い。凱旋ライヴとなるゲンタさんの旧友も駆け付け、ワシの友人も来てくれて、なゆたさんとのセッションもオモロい案が出て、さぁ良いライヴになりさうだ。
演目は、博多の6曲に「花の都ぺシャワール」「夜の駱駝」「らのえてぃあ」を加えた9曲。流石に旧友の前で、ゲンタさん、力が入り過ぎて何度か暴走してしまったが、まぁ基本的には良いかんぢかね?。なゆたさんとのセッションも、次々に主題が変わって行く展開になって、オモロかった。ゲンタさんのヤケクソ気味のウルワーズには会場大ウケ。楽しいライヴだった。
打ち上げでは、なゆたさんの友人(これがまた美形っ)、ゲンタさんの旧友(これがまた美人っ)入り交じり、なんかこの場所でかういふ人達と呑んで語ってゐる自分を、たいそう不思議に思ふ。色々な偶然がワシをこの場所に座らせてゐる。感慨深い。
敬虔な気持ちになった熊本の第弐夜であった。
ゲンタさんに熊本交通センター(所謂バスステーション)まで送ってもらひ、彼とは此所でお別れ。これ以降はソロの行脚となる。此所の土産物売り場で、辛子蓮根と各種日持ちのせぬものをクール宅急便で発送しておく。予約してゐたバスに乗り込み、宮崎を目指す。高速道路で3時間ちょっとのバス旅。
バスはがらがらに空いてゐる。3列シートの隣2席は韓国から来たらしい若い娘二人のペアで、これらが健康的な白いフトモモを、ホットパンツから惜し気もなく剥き出しにしてゐて、バスの旅を厭きさせない。しかしこの娘ら、づ〜〜〜〜〜〜っとなんか喰ってたな。
終点の30分くらい手前、都城北、といふところのバス停で下車。宮崎のホストであるスティック奏者デリック・ダレンジャー氏が待ってゐてくれた。彼と会うのは、ぢつにまだたったの参度目。3年前くらいに一度対バンをして、少し話しした。その次に会ったのが今年の5月。その折、自分の次のアルバムにヴォイスとベースで参加してくれぬか?のやうな事を云ってた。どの程度まで本気か分からんかったので、このたびの熊本までの行程を連絡し、その後宮崎まで足を延ばせる用意がある旨を伝えた所、是非来い、と。
そしてデリックはなんとレコーディングと、宮崎でのライヴまでブッキングしてくれた。感謝。
けふの処はゆっくりしてくれ、と家に招き入れてくれる。奥方のヒロコさんは日本人だが、デリック本人は、ほぼ全く日本語を喋れない。どーすんだ?と思ってゐたが、不思議と会話ができる。エマージェンシィ・カンバセーションといふやつか?。話せば話すほど、デリックといふ男は「求道者」に近い所で音楽を演ってゐる事が分かる。妥協を許さぬ姿勢はたいへん立派だと思ふが、さぞや仕事は取りにくいだらうに。
『お前は壱日にどれくらい練習するのか?』と問はれ、『え、え〜と1時間くらい?』と答える。彼は日に4〜5時間は平気で練習をするらしく、『全然練習せん日もある』といふワシを『Un believable』と云ふ。まぁスティックは演奏自体が難しい楽器やから・・・・。それよりも、音楽に対して常にオープンマインドでゐる事の方が、ワシにとっては大事で、それがワシの練習だ、みたいな事を云ふと、納得したやうなしてないやうな・・・。
たった弐度しか会った事のない、日本語を解さぬ英国人と、広島から遠く離れた宮崎の地で、焼酎を呑みながら深夜まで語り合ってゐる不思議。
宮崎市は街路樹にヤシがそびえる、典型的な南国ムードの都会。明るい空と綺麗な町並みが、おお南に来たな、と思はしむるな。
デリックがしきりに「Good」と語ってゐたスタヂヲは、彼の友人、やはり英国人のデヴィッド・ケリソン氏の自宅、を改築中の。スタヂヲ以外の部屋はまだ壁材も天井もむき出しの状態。日本人ならまづ居住空間を確保してからスタヂヲを作るだらうに、流石は趣味に生くる英国人!!。
其処だけ異空間のやうなスタヂヲで、昨日ちょこっと聴いたデリックの新作のテイクに、唄をかぶせて行く。一応「As you like」との事なので、始めッから回しっぱなしにして貰って、なんテイクか録る。全部で3曲あったが、ほぼ全部テイクワンでオッケー。少なくともデリックの期待には応えられたやうで、ひとまづホッとす。
昨日みたいに1対1で喋れば、なんとか理解出来るが、デリックとデヴィッドが普通に会話を始めると、もうチンプンカンプン。ほとんど聞き取れぬ。会話に入れんので、犬と遊ぶ。
さて、夕方からは、デリックの生活圏内を色々と巡る。タバコ屋、楽器屋、ファミレス、など。デリックはベジタリアン。しかし、見た限りでは、卵は喰ふし、チーズもバターもマヨネーズも大好き。酒も呑むし煙草も吸う。珈琲には砂糖もミルクも入れまくる。ヘルシィな菜食主義者、といふ訳では無ささうだな(笑)。
そしてライヴ。繁華街のど真ん中にあるPotrillo(ポトリージョ)といふお店。デリックがいつも演ってゐるお店なんださうだ。バァとしては、かなりきちっとしたお店のやう。これも宮崎に来てみて知ったのだが、けふはワシのワンマンらしひ。お客さん、来るんかいな?。
まぁ流石に、満場、といふ訳には行かぬが、カタチになるくらいのお客さんは来て、ライヴを始める。どーかな?と思ひつつ演るが、なかなか熱い拍手。悪くない反応は帰って来る。なかでも、元女優でダンサー、いま地元局のキャスター、といふ女性がえらく気に入ってくれ、途中で即興ダンスとのセッションが始まる。うん!オモロいやないけ?。
そんなかんぢで2ステージ。悪くないライヴだった。流れのお客さんも「素晴らしかった」と声をかけてくれた。あんまりお客さんが呼べんかった事を、デリックがしきりに気にして「ゴメンナサイ」を連発。Oh! no problem at all !。
ところで、都城市と宮崎市の距離を実際に経験し、明後日の四国への旅立ち(朝9時に都城駅を出る列車に乗らんとイカン)を懸念した結果、明日のライヴの後はもうデリックんちには帰らず、宮崎市内のホテルに泊まる事にした。ので、急遽飛び込みでホテルを予約。かういふ予定変更も、旅の醍醐味。
それからライヴ会場へ。けふはデリックの計らいで、宮崎市一番街の「こんね祭り」といふお祭りのステージに出演させてもらふ事になった。ちゃんと垂れ幕にも「ゲスト/梶山シュウベースソロ」と書いてあって、これが昨日今日決まった事ではなく、やはりデリックが前々から掛け合って準備してくれたもの、と察する事ができる。ホンマにありがとうデリック。
ただ、場所はアーケイドの中の野外ステージで、こ・れ・が・死ぬほど蒸し暑い!!。地元の人気バンドに続いてステージに上がったのだが、立ってるだけでダラダラと滝のやうに汗が流れる。ぐは〜〜〜〜〜、暑い。唄ってて気が遠くなりさうだった。
ほぼ、ストリートパフォーマンスに近い状況でのライヴだったが、良いかんぢに演奏できた。見知らぬ人からの拍手や口笛も頂けたし、なにより、PAを担当してくれた地元の音屋さん達に、たいそう気に入ってもらへた様子。次に宮崎に来たら是非ウチで演って下さい、とライヴハウスに案内までしてくれた。
その後、デリックとデヴィッドの提案で、知り合いの唄うたい4人に対して、ヴォイストレーニングをして欲しい、との事で、やる。男女4人を相手に『しっかりした声を出す為の基礎技術』を1時間レクチャー。デリックはその間、昨日ワシが演ったポトリージョでソロライヴ。
レッスンの打ち上げ、のやうな事をやり、ここでもまた、昨日まで全然知り合いの居なかった宮崎の地で、地元の人達とぢどりをつつきながら酒を交わしてゐる不思議、を強く思ふ。当たり前のやうに、此処にゐる自分。この感謝を、なんといふ言葉で綴れば良いのか、分かったら良いのに。
デヴィッドは帰り、ワシはデリックのライヴに顔を出す。あんまりお客さん入ってないなぁ。今後の彼の為になんか協力してやれれば良いんだけどなぁ。もっと広島に来てもらふとか、一緒に江戸に行ったりとか・・・。
名残惜しいが、ワシは今夜は此所に留まり、明日の朝大分行きの列車に乗る。ので、デリックとヒロコさんとは、此所でお別れだ。ホンマになんと感謝して良いか分からぬ程、世話になった。それなのに、逆に「ありがとう」と云ってもらへるなんて。
thank you for your kindness Derek & hiroko .see you soon.
駅まで30分かけて歩き、大分行きの特急切符を買う。奇しくもけふ「エーネーション・コンサート」とかいふ子供向けのイベントが宮崎であるらしく、反対側のホームは阿呆な格好をした子供達で一杯。あ〜、あっち側に乗るンぢゃなくて良かった。
旅の間に上巻が読破出来れば上等、くらいに考えてゐた「サウスバウンド」は、予想に反してむちゃくちゃ面白く、あっと云ふ間に読破してしまった。ので、慌てて下巻も購入。特急列車「にちりん」に乗り、大分まで3時間の旅。車内はガラガラに空いてゐるので、前の座席を反転させ、足を伸ばして寛ぐ。寝たり、本読んだり、車窓を眺めたりしつつ。
大分には14時過ぎに着いた。ここの港から船に乗り、今治を目指すのだが、ここでプチ問題発生。そこら辺にゐる誰に訊ねても、港の場所を明確に教えてもらへぬのだ。まづ駅員。良く分からんのでバス乗り場に行け、と云ふ。バス乗り場に行き、運ちゃんに訊ねると『何処の港か?』と訊き返される。港っちゃ港だらうが、とか思ひながら、駅の案内所に行くと、窓口のねぇちゃんはづ〜っと電話してやがり、「少々お待ち下さい」としか云わん。段々ハラが立って来た。『★○△経由のバスに乗って、#※☆ら辺で降りてそこら辺で人に聴け』みたいな事を云はれたので、本気でムカつき、もはや誰の力も借りん!!と云ふ気になった。
駅にある広域地図を、何個かに分けてデヂカメで撮影し、それを頼りに歩いて港を捜す事にす。
くそ炎天下を、ベースと機材と荷物持って、1時間歩いた。桟橋に着いた時は『ザマぁみろ』と云ふ気になったが、既にケツの穴まで汗でびしゃびしゃ。
乗船名簿に記入して予約してゐた船券を受け取る。はぁ〜これでようやく人心地。これでよほどトンマな事をせぬ限りは、6時間後には今治に着く。
此所に来て初めて知った(今回こればっかりやな)、今から乗る「さんふらわぁにしき」といふ船は、かなり有名な豪華客船らしひ。乗ってみて吃驚、リストランテやバァ、ゲームセンターに風呂まであるさうな。へぇ〜〜〜〜〜〜!!と感心してゐたら、「はい弐等のお客さまはこちらです」と案内され、その難民船のやうな弐等客室の佇まいにさらに驚く。
30畳くらいの部屋に、半畳分くらいのマットと毛布がづら〜〜〜〜っと並び、男も女も関係なく混浴ならぬ混室。マット1枚分がお一人のスペースだが、ほぼ隙間なく敷き詰められ、プライヴァシーなど皆無。こらぁホンマに難民船やな、とか思ひながら、結構わくわく。早速、まづは風呂に入りに行く。走る船の中で風呂に入ったのは初めての経験だ。へ〜〜〜っオモロいなぁ。これ。
風呂上がりにビール。う〜む至福。船酔いを懸念してゐたが、無茶苦茶デカい船、しかもベタ凪のやうで、船の中にゐるとは思えぬ程安定してゐる。リストランテで飯を喰ひ、更にビール呑んで海に沈む夕陽を眺める。うん、良い!!。
客室に戻り本を読む。船旅に慣れた人はもう眠ってたりす。ワシの隣には、真っ黒に日焼けした父と息子の旅人がゐて、2週間かけて九州を徒歩旅行して来た帰りだと云ふ。父親はワシと同い年で息子は小学校4年生。ユースホステルや安宿に泊まりながら、づっと歩いて来たらしひ。その存在感の、なんとリアルな事よ。かういふ親子には、絶対に家庭崩壊など起こらぬ気がす。色々と喋りながら、息子の方もワシになつき、今治に着いたら一緒に駅まで歩きませう、といふ話になる。
そんな訳で、6時間に渡る船旅にも、退屈する事無く、22時チョイ過ぎに今治港に着く。
これから伊予西条といふ処に向かふ、といふ二人と駅前に続く路で別れる。名前も素性も聞かなんだが、固く握手してお互いの無事と安全を祈り合ふ。いや〜旅はオモロい。
店に入るまでの時間が長いので、ブラブラ歩く。目に着いたうどん屋に入り、サ店で本を読み、木陰で休んでゐると、お遍路さんに間違われた。さうか、此所はさういふ土地なのだ。
これを皮切りに、3回、お遍路さんに間違われる。まぁ白いTシャーツ着て、白い手拭いを頭に巻いちゃゐた。それに旅に出る時は必ず持って行くターコイズのネックレスは、確かに数珠に見えんでもない。が、このベースが目に入らぬのか?。それとも中には楽器抱えたお遍路さんも居るのかな?。
そんなこんなで会場入りし、対バンの伊太地山伝兵衛さんとベーシストの石井康二さんに挨拶。伝兵衛さん、けふでツアー40日目なんださう。ひえ〜〜〜ッ!脱帽。石井さんはとてもフランクで優しい人。ソロにバッキングに、エディ・ゴメスみたいにウッドが吠える。こちらも脱帽。旅に鍛えられた音楽家は、ホンマにすごいわ。
本番までの間、お店の屋上で、今治市の大花火大会を見学させてもらふ。ものすごい花火。こんなすごいものを、他所の地で、けふ初めて会った人達と見てゐる、これもまた不思議。う〜〜〜〜む、今回の旅はホンマに感慨深いな。
そんな思ひで、最後のステージ。
伝兵衛さんのブルースを聴きに来た人達には、ちょいとワシの音楽は甘かったかなぁ。でもまぁ、そこそこの事は演れた、と思ふ。お客さんからビールの奢りも頂く。ベースの石井さんも、インド音楽の影響を見抜き、すごいオリジナリティやね、と誉めてくれた。オーナーの富貴さんも、もし都合が合えば一緒にツアーとか出来たら良いな、と云ってくれる。皆さん、ホンマにありがとう。
伝兵衛さんのシブいブルーズが、旅の終わりをちょいと切なくさせる。
『僕はいつも、さよなら、でなく、行って来ます、と云ふ事にしてゐる』と伝兵衛さん。
さうですね。
ワシもまた、行って来ます。
そしてまた Being on the road 。ワシの旅はまだまだ続いてゐます。
行って来ます。
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