Alonso Arreola 日本ツアー同行記

その後のでらしねツアー

今回のツアー記は、ライヴの印象、よりも、その他の印象、に重きをおいて書いてみました、よ。


22日(土)広島シェルター69/アロンソバンド、ジャンラ、Soe's


さぁ、アロンソが来るぞ。大阪でジャンラの皆さんと合流し、広島入りする、と云ふ話し。ワシは早めに会場に入って、セッティングや打ち合はせなど。箏のトモちゃんがダブルヘッダーの為、だいぶ早い時間にSoe'sのリハだけ済ませておく。

さうかうしてゐるうちに一行到着。ジャンラの皆さんもアロンソバンドの連中も、3月にメキシコで会って以来。あん時の思ひ出が甦り、をぉ〜、と思ふ。ハグ&シェイクハンドで再会を喜びあい、息つく間もなくリハ。アロンソは初日本の、当然初広島。ジャンラも広島は初めて。

わりと余裕を持ってタイムスケヂュールを組んでゐたので、本番までの間、リラックスタイムを設ける事が出来た。もう暗くなってゐたが、アロンソ達は原爆ドームを見て来たらしく、感銘を受けてゐる。フランクでハッピーな男だが、メキシコ本国ではジャーナリストとしても活動してる、といふだけあって、社会意識も高い。「Important place for every world people」と云ってた。

ライヴは、ウェルカムの意味も含め、まづワシがソロを1曲「こきりこ節」を演り、そしてジャンラに引き継いでもらふ。これをやったお陰でイベントの焦点がはっきりした気がする。あんまりワシを誉めないマサミが「あれは大きな意味があった」と云ふ。

相変わらず、骨折系エナジィ爆発のジャンラ。かういふの好きなパイグが大喜びしてゐる。広島のオーディエンスはノリが固いので演りにくさうだったが、それでも圧巻のライヴ。すばらしい。これが全員勤め人のバンドかよ。

引き続き、まったりとSoe's。ウェルカムソングでのソロは流石に緊張したが、Soe'sではよいリラックスをキープできた。ウチの、まぁ最高、と云って良いパフォーマンスだったかな?。

そしてアロンソ・バンド。メキシコの大会場で見たときのラインナップとほぼ同じ内容だったが、やっぱかういふハコで見る方がづっと良い。随所に笑わせる個所も設け、ベースの鬼、と云ふ事を加味せんでも、充分楽しめるライヴをやってくれた。

ツアーが終わってみて思ふに、全バンドともこの初日が、ベストパフォーマンスだったのではないか、と。

折角日本に来るなら日本の音を聴かせてやらう、と、ダブルヘッダーのところ無理をさせてトモちゃんをメンバーに加えたが、これがおかしな意味で大当たり。なんとアロンソバンドのメンバー全員が、トモちゃんにメロメロになってしまった(笑)。特にサックスのダニエルなぞ「キミに逢いに帰って来る」と熱烈ラヴコール。凄いねぇトモちゃん。キミの魅力は海を越えたぞ(笑)。

心配した客入りもまづまづ。取り合へずけふは地元広島だが、ツアーの初日、といふことで、滑り出しは及第点。


23日(日)大阪中津V-code/アロンソバンド、ジャンラ、打怜、Soe's


ゆんべ家に帰ると、人生上なかなかにハードな問題が持ち上がってゐた。なんと我が家は取り壊しになってしまふらしひ。この問題を置いてツアーに出かける、と云ふも、ない後ろ髪を引かれる思ひだが、仕方がない。許せよ我が妻。

朝9時、マサミが車で迎えに来てくれる。ソロのツアーでは電車やバスを使ふワシだが、今回はバンドなのでやはり車壱台で移動する方が色々と便利だし安上がりだらう、と云ふ事になった。結果的に、車での旅に慣れてゐるマサミのお陰で、たいへんスムーズな良いツアーとなるのだった。

高速料金割り引きの為の裏技を色々と使いながら、大阪へ。中津は梅田の隣だが、なんかエアポケットのやうに鄙びたかんぢが残る好ましい町。鉄道の高架下に本日の会場V-codeを発見。アロンソ達はもう着いてゐる。

それにしてもマサミの驚異的な方向感覚には驚かされた。カーナビを付けてはゐるのだが、ほとんど目印くらいにしか使わず、線と点だけで書かれた地図をちらっと見るだけで、『この辺だらう』とあっさり目的地を見つけてしまふ。『何回も来てるから』とは云ふが・・・・。しーシュのツアーに付いて来て欲しいもんだ。

リハが終わり、本番まではてんでに散歩したり。ここらには古い家好きのワシが頬ずりしたくなるやうな、まだ現役の「長家」なんぞがあったりす。いや〜〜〜、良いねぇ。すごいねぇ。3丁目の夕陽、ぢゃんか。調子に乗ってそこら辺を歩き回ってゐたら、ナニカのうんこを踏んでしまった。くそっ!←洒落にあらず

本番は、さすが人気バンドジャンラの本拠地だけあって、超満員。Soe'sはけふから3人だけのライヴになる。それを意識したから、でもないだらうが、昨日に比べたら格段に固い演奏。ノリが噛み合わん場面がいくつもあった。我々だけでなく、心なしかジャンラもアロンソたちも後一歩調子が出てないやうだ。まぁ長距離を走って来た直後だしねぇ。

マサミの提案で、この日からラインナップに「唄もの」を入れてみる。ん〜〜〜〜、どうだったのかな?。自分達では60点くらいのパフォーマンスだったのだが、終演直後『オモロいな、このバンド』といふ声が会場から聴こえてゐた。Soe'sの、ではないけれどCDも売れた。ふぅむ。

ジャンラが打ち上げ会場を用意してくれてゐたのだが、ホテルのチェックインの時間が迫ってゐたので、ワシらは先に退散。幾つかのバンドで一緒にツアーをすると、「また明日(スペイン語ではアスタ・マニャーナ)」と云って別れるのだな。これはなんかあったかい、てゆーか、なんかえぇな、と思った。

カプセルホテルは初めて、といふマサミとパイグを、ワシの御用達のホテルに連れてゆく。ここ使うの3回めなんだが、明らかにその3回の間で、備品がボロボロになって行くのが分かる。けふは特に客のマナーが悪い気がした。


24日(月):京都アバンギルド/アロンソバンド、ジャンラ、キツネの嫁入り、Soe's


なんかちょっとオカシいヤツがワシらのカプセルの上にゐたらしく、朝早くから起こされる。NHKの連ドラをフルボリュームで流し、笑い転げてゐる。チラと覗くと、妖怪人間ベムみたいな格好したスキンヘッドの男が、正座してTVを見てゐる。これは「触った神は大きなタタリ」だと思ひ、仕方なく風呂に行く。

ホテルの使い捨て歯ブラシを10本ぐらいパチって来て、噴水で靴を洗う。このツアーに限ってワシは、登山に使ふトレッキングシューズを履いて来てゐて、この溝にうんこが挟まって落ちやせん。くそっ!。なんとか汚れが取れ、雨もやうだし、歩いてればキレイになるだらう。しかしうんこ踏んだのなんて何十年ぶりだらうか?。

けふは京都。大阪〜京都は普通でも生活圏内。会場入りを焦らずとも良ささうだが、紅葉の季節にて観光客が多いかも、を懸念し、早めに京都入り。入りの1時間も前に着いてしまふ。バリバリに時間が余り、しかし雨なので観光も出来ず、仕方なく店の前に車を停めて寝る。したら、他の皆が来て機材下ろしたりしたのにも気付かんくらい熟睡してしまった。

けふのハコはコンクリ造りで、音が良く響く。ワシら向け、かな?。昨日より更に唄ものを取り入れてみた。づっと同行してゐるジャンラのマネージャY女史に『完璧に寝てしもた!』と云はれるくらいユルい出来となった。ツアーに出て3日目。けふが一番良い位の集中と脱力のバランスなんぢゃないかね?。

けふはこのツアーでは初めて、「唄もの」のバンドがホストだ。ワシのMy spaceフレンドでもある「キツネの嫁入り」。ギター&唄、アコーディオン、パーカスのトリオ。マサミと『そろそろ違う系統のが聴きたいね』と話してゐたところで、これがまた良質のストレンジポップス。一気にファンになってしまった。ベースが居らんさうなのだが、う〜〜ん、近くに住んでるなら入りたいなぁ・・・。

アロンソはアンプの好みが合わんらしく、ナーヴァス。見て分かるぐらい疲れてゐる様子。彼のベースも日本の湿気で調子が悪くなってるやうだ。「シュウ達はいつもクールに演奏してゐるな」のやうな事を云はれた。「俺達はバーン!とハジけなきゃ良い音が出せないんだ」と。「お前達みたいにクールに熱い演奏ができる事はホンマにアメージングだ」と。

ホンマにえぇヤツだな、アロンソ。


25日(火):東京/オフ


日付けが変わる頃、京都を出発。高速を夜通し走って、明け方に東京入りす。なんでもETCを付けた車でこれをやると、格段に安いんだとか。ワシはまぁ運転はせずに、後部座席で寝て一晩。これと云って役には立ってないが、一応リーダーだから、といふ事にしてもらおふ。

東京に着き、中央青果市場の中にある、朝5時から開いてゐる、といふラーメン屋で朝飯。マサミは弐杯喰ふ。この男ってこげな大食いだったのね。

てな事をやってると、駐車場の出口でまた犬のモノらしきうんこ踏む。なんぢゃこりゃあ?。1回のツアーで2回もうんこ踏むかよ?。マサミは云ふ「これが小学校ならあと6年間『ウンコマン』て呼ばれるぞ」。また噴水で洗う。くっそ!!←洒落にあらず

けふはオフ。マサミは東京に実家があるので、この際だからと里帰り。彼の親戚が住んでゐたといふ空家を、ワシとパイグで使わせてもらふ。中野の静かな住宅街にある壱軒屋を借りる。東京蕎麦を喰ひに行き、古本屋に行き、散歩して、銭湯に行って、カレー喰って、酒買って来て飲む、をパイグと二人で黙々と。

機嫌が悪いのか?と思ふほど無口な男だが、パイグはこれがデフォルトなのだ。マサミはどっちかてぇとお喋りだ。話し方も上手いし含蓄もある。

夜半から雨が降り出し、ベースを弾き合いながら焼酎を飲みながら煮え煮えとパイグ


26日(水):三軒茶屋グレープフルーツムーン/アロンソバンド、る*しろう、Soe's+くどうげんた


Soe'sのツアーとしては最終日。けふはリズマ・クノムバスでの相棒、パーカスのくどうげんたがSoe'sに参加。会場は何度か出た事がある、三軒茶屋のグレープフルーツムーン。個人的にかなり思ひ出深い場所なんよね、ここって。

会場入りすると、アロンソがリハ中。京都のよりさらにアンプが気に入らんらしく、「I hate it」と嘆いてゐる。けふはアロンソの提案で、ジャンラの中来田さん、ワシ、パイグ、アロンソの4人ベースバトルを演らう、と云ふ事だったが、アンプがこれぢゃあねぇ、といふかんぢで流れた。「Next time.at Mexico」。さうね。出来たら良いな。

けふはウチがトップ。それでも唄ものを入れたまったり系ラインナップ。そこにゲンタさんが加わる。さらにけふはジャンラのサックス、北村さんにも参加してもらった。2管2ベース1打楽器。オモロい。しかしまぁ狙い通りとは云へ、柔軟なバンドだな。

づっと一緒に行動してゐるので、アロンソバンドの連中が「水の駅」のメロディを憶えてくれてゐる。「So beautiful song 」だって。嬉しいね。

アロンソもジャンラも、メキシコで会った時は、ワシはキキオンと云ふバンドのサポートマンとして、で、今回一緒に廻りながら、ワシの音楽を聴いてもらへたのがいちばん嬉しい。更にそれを気に入ってくれたンなら、もう、ね。

あのメキシコ遠征が決まった時、どんな事を演るにせよ、メキシコ人に「あそこのベースはすごかったな」と思はれるやうなパフォーマンスをしてやる!と誓ったものだ。それが、まぁかうして、良い形で実を結んだ事を、ホンマに嬉しく思ふ。みんな素晴らしいやつらだ。

このツアーのシメをやってくれたのは、東京の「る*しろう」。噂には聞いてゐたが噂以上のすんげぇバンドだった。鍵盤&唄の金沢みやこさん、「女性の魅力的なブチ切れ方」、の見本みたいな人だった。トモちゃんやしーなさんにも、これ見せたかったな。

アロンソはくたびれ果ててゐるやうで、打ち上げには参加せずにホテルに帰ったやうだ。ウチもグレフルで少しだけ乾杯したら退散。3人で飯だけ喰って宿に帰った。


27日(木):国立地球屋/オラン+ゲンタ&シュウ(対バン南正人)

けふからはソロで江戸滞在。けふ壱日かけて広島まで車を走らせるマサミ、パイグと、昼過ぎに吉祥寺で別れ、ワシは定宿久保田邸へ。会場入りまでの時間、吉祥寺の町をぶらぶら歩いて飯喰ったり。蕎麦屋があったので入ったのだが、気付かんのか「いらっさい」もない。3分過ぎても水すら持って来る気配がないので出る。ふざけんな。

ツアーに来れなんだトモちゃんに土産でも、と思ひ色々うろつくが、なにも思ひつかぬ。43歳にもなってワシは若い娘が喜ぶ贈答品すら知らんのだ!、と驚愕す。

夕方、国立入り。江戸ではほぼ毎回お世話になってゐる地球屋。ママさん『おかえりなさ〜い』と云ふてくれる。けふの共演相手はゲンタさんと、3年前に一度御一緒した、アコーディヲン&唄のオランさん。いやはやお元気でしたか?などと旧交を暖めつつ、リハ。

オランさんとワシ、それぞれの曲を半々づつ持ち寄って演る。自分の声域高限界よりちょいと下、くらいで唄ってた一昔前に比べて、最近のワシが作り唄う曲はかなりキィが低め。オランさんも基本的には、あんまり派手な曲を唄う人ではない。ので、なんか全体的に暗いライヴになったが、まぁそれは良いか。

オモロいのはオランさんの「光の粒」といふ曲と、ワシの「月のチャクラ」。これが奇しくも同じE♭のリディアン・モードで作られてゐる。インドのラーガを意識して作ったワシに対して、オランさんは「ただ何となく」ださうで。しかし同じキィで同じモードで、全然タイプの違う曲も出来るのだな、と3人で感心。

久しぶりにオルカ団で演ってゐた「美唄」を唄ったが、やはりこれなど、今のワシにとってはかなり高いキィで唄わねばならん。昔、『歳をとったら昔の曲はキィが高くて唄えん』のやうな事を云ふ先輩シンガーに、『タルンどるからだ!』などと無礼な事を云ってゐたのですんません。

対バンは、なんと偶然にも、広島で何度か共演した南正人さんであった。「おぉ!あのフレットレスの」と憶え頂いてゐた。相変わらず、リハをやってるかのやうな(笑)ユル〜いライヴ。ラストの2曲でワシも混ぜてもらふ。お客さんは少なかったけど、良いライヴだった。

しかしこのツアーを通じて改めて思ふ事は、やはりお客さんを呼ぶ=売ることの難しさ、だな。


28日(金):小岩レコーディングセッション/だるま屋+ゲンタ&シュウ

けふはライヴではなくて、唄とドラムスの先進ユニット「だるま屋」とのレコーディング・セッション。前回のでらしねツアーで一緒にライヴをやり、好感触だったので、是非録音しませう、といふ運びと相成った。

小岩、といふ場所は東京の東のはずれ。西東京(いわゆる多摩地区)をだいたいの拠点としてゐるワシは、初めて訪ねる地なり。下町、と云って良い大変風情のある良いかんぢの町だ。だるま屋の二人、岸川恭子さんと町田浩明さんは、この町に住み、音楽教室の講師陣を務めてゐる。

ゲンタさんのパーカスの牙城設営を待って、録音開始。レコーダーを回しっパにしといて、即興とかリズムものとか色々録って行き、リミックスして形にす、といふマイルスの「ビッチェズ・ブリュー」方式。「速いの」とか「重いの」とかテーマを変えながら、ドラム、パーカス、ベース、男女の唄、を同時録音でどんどん録っていく。

8パタンくらい録って終了。町田さんはレコーディング・エンヂニアとしての顔も持ってゐて、後は彼にお任せ、といふ事になる。既にこれを売り込むターゲットなども考察済み、とか。いや〜楽しみやねぇ。どんなんが出来るンだらうか?。

4人でインド料理で打ち上げ。この日喰ったキーマエッグカリーは、今まで喰ったインド料理の中で一番美味かった。厨房に「ナマステ」と挨拶すると、向こうも合掌して返礼。グローバル。

ワシは例によって夜行バスで帰る為、東京駅に。金曜日の夜、広島に帰る人間がこげぇにおるのか?といふくらい人が多い。ひとり、すごい美人の娘がゐて、少しナニカを期待したが、ワシの隣は笛の音のやうな鼾をかくおっさん。


29日(土)広島/安芸楽団リハ

朝7:30に広島に着くと、ものすごい霧の海。幻想的な風景だった。その中を1週間ぶりの我が家へ。はぁ、あれからもう1週間かよ。

夜行バスの中で眠る事に慣れたのか、タマタマ寝やすいバスだったのか、わりと睡眠は足りてゐる。あんまり疲れてないな。ついでなので起きてゐて、昼過ぎから安芸楽団のリハに行く。明日の山口市でのライヴの為に最終リハ。さう、ワシの旅はまだ終わってないんぢゃよ。

明日は8:00に出発ぢゃげな。ひ〜〜〜〜!!。


30日(日):山口市赤れんが/安芸楽団
ツアーのシメとなるは安芸楽団。ツアーではなかったが、先週の水曜日、ゑびす講での安芸楽団ライヴから、エピゾ、そしてツアー、とづっとライヴが続いてゐて、そのシメがやはり安芸楽団。異なもの味なもの、である。

けふは山口市のクリエイティヴスペース「赤れんが」といふ処でのワンマンである。ここん処、野外イベントの出演がほとんどだった安芸楽団、久々のホール。室内で聴くと和太鼓って、やっぱすげぇ音圧やな。シンセなんぞさっぱり聴こえんぞ。

徳山市(現周南市)に4年間住んでゐたワシだが、山口市には『なにもない街』といふイメェジしか持っておらず、実際、ホンマになにもない。けふもリハが終わって本番が始まるまでの間、かなりの距離をブラついてみたのだが、人にすらあんまり出会わん。アーケイド街も、日曜日でこれですか?といふくらい閑散としてゐる。ふぅむ、良い所っちゃ良い所なんだが。

さて、ライヴ。最近の安芸楽団は、演れば客が踊る、といふシチュエーションでの演奏が多かったので、お客さんが椅子に座ってぢっと聴き入るタイプのかういふライヴは、なんか違和感を感じる。ワシはポン酒を一杯引っかけて演ったのだが、演れば演るほど、お客との温度差が開いて行く、といふかんぢで演りにくかった。Voのアヤちゃんも風邪気味で調子悪さうだったし、なんせシンセの音がまるで聴こえんのだ。

最後までどうも盛り上がれぬまま、ライヴ終了。なんかバンドとしての在り方、をもう少し考えても良いんぢゃないか、と思った。プロが集まってる割に、妙な素人っぽさを露見してしまってゐるやうな気がする。それは多分、メンバー全員が「職人系」のミュージシャンだからなのだ。

まぁ、全員が譜面にかじりついてゐるやうでは駄目ですな。ワシも含めて。

いつも家族のやうな安芸楽団だが、けふも打ち上げはリストランテで晩飯を喰ひながら。今年はもうこのユニットでの仕事はおしまい。次に会うのは来年かぁ、としみぢみ。皆で「良いお年を」と云って解散。ワシは此所に来てツアーの疲れがどっと出て来た。寝さうになりながら家に帰り着き、風呂に入ったらもうアカン。ひとまづ旅先で世話になった人への簡単なお礼メールだけ書き、布団に倒れ込んだら一瞬で昏倒。

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な訳で、Soe's初ツアーを含む大忙しの日々が終わった。

孤独な日々が長かった身にとって、久しぶりに人と一緒に動くライヴツアーは、やっぱり楽しかった。特にアロンソバンド、ジャンラ、と共に過ごした5日間は、音楽を始めた頃のワクワクするかんぢに近いものを、づっと感じてゐた。

昨日(12/3付け)、アロンソからメールが届いた。「日本での体験は素晴らしかった」「君らに会えなくなって寂しい」「君らをメキシコに呼べるやうに企画してゐる」などと書いてある。ひょんな事からこの企画に載せてもらひ、なんかマサミやパイグやトモちゃんも巻き込んで、メキシコ人と、言葉の違う人達と一緒に、日本をツアーして廻った、のだ。そしてジャンラのメンバーの、人情溢れる人柄・・・。

ワシ自身は楽しい思ひを満喫したが、他のメンバーや関わった人も等しく、さうであって欲しい、と思ってゐる。

さぁ。

まだまだ、だよ。