10月

1日(木)-----------------------------------------------------------------

雨。「爆弾低気圧」なるものが日本に接近中だとか。

孤独な営業「吟」@オリエンタルホテル、に使ふ楽譜(歌詞カード)が、どーやら紛失してゐる。「ここにある」と思ってゐた場所になく、何処を探しても見つからぬ。ほぼ100曲あるうちの2/3が無い、といふ事になり、焦る。仕方なく、歌詞やコードを憶えてゐるナンバーを寄せ集め、けふのラインナップを構成。なんとか30分×3ステージぶんはある。

けふは、喋り声は穏やかなのに、時折異常に下品なデカい声で笑う集団が居り、これが笑い始めるとマイクを通した声すら聴こえなくなる、といふ程の・・・。単に騒がしいより演り難かった。3ステージめにはそれも居なくなり、落ち着いた中でオリジナルも数曲唄う。バーテンダーのN氏が、ワシのオリジナルを気に入ってくれておるさうで、嬉しい。

リハ→レッスン→本番、の流れが密な壱日で、晩飯を喰ふタイミングを逸したまま終演。お客さんの食べ残したチーズを一切れ戴いたのみ。帰宅後もめんどくさいのでそのまま寝た。特に腹が減って寝れぬやうなかんぢでもなく・・・。

2日(金)-----------------------------------------------------------------

仕事で要るので、八神純子をコピーす。

「みずいろの雨」や「パープル・タウン」等が売れてゐた頃、TVで見かける彼女はあまりに気が強さうな女性で、正直あんまり好きではなかった。だが改めて聴くと、そんな事はどーでも良く、やはり相当な「唄力」を持ってゐた歌手だったことに今さらながら感動。桃色吐息まじりにコブシ回せば上手い、と思ってる昨今の女子歌手は、これを見習え。

「紛失した」と思ってゐた、「吟」の楽譜があった。なんと車の中で鞄から流れ落ちてゐたらしひ。よかったぁ〜。これをまた壱から揃えやうと思ふと大変な量で、中には歌詞読むまで全く思ひ出せない唄もあるから・・・。今月はもぅ壱回「吟」のステージがあるので、またレパートリィを再考せん。

そいからスタヂヲ入りして、久々に「独弾」の練習。驚くほどヘタになってゐて焦る。最近これホンマにイキオイだけで演ってっからねぇ。タマにはキチっと練習しておかねば・・・。てことで、10月17日までは「練習の虫」と化す事を決意。


2週目

3日(土)-------------------------------------------------------------

姫石ミミと田辺祐三子による「音楽七変化:カメレオンナイト」といふライヴを見に行く。友人のライヴを観に行くだけ、と云ふのもあんまりない機会なので、せっかくならばオサレせん、と和装で行く事にす。季節的にも、暑くも寒くもないこの時期は、和装に合う。

中年の男がひとり和装で街を往く、と云ふのは、はじめ仲々勇気が要るが、慣れてみると案外気にならぬものだ。歩き方に注意せねば『いかにも着慣れてない』感が出てカッコ悪いので、そこは用心す。和装は着こなしも大事だが、所作のポイントも大きい。ゆっくりと、颯爽と歩くべし。

さてライヴだが、会場のJUKEは大入り満員。ミミとユミコのバックを支えるは椎名まさ子、中野チカラ、宮本香緒里、竹内ふみの、といふ鉄壁の布陣。もぅ何度目かになるこの布陣でのライヴださう。なにが「カメレオン」かといふと、云ふまでもなく『色んな音楽を色んな趣向で色々演りまっせ』みたいな・・・。

壱曲ごとの衣装替えは当たり前、祐三子お得意の手作り大道具も満載のエンターテインメント・ショウ。趣向を凝らし過ぎて、肝心のライヴがなかなかグダグダな進行ではあったが(笑)、まぁ楽しめた。ここまで演るなら、MCもびっちし決めて、全体がもっとサクサク進むやうにすりゃなを良いのにな、とワシは思ってしまふ。「ショウ」と「ライヴ」の狭間で揺れてゐる、といふ感が大きいのは残念。

会場にはたくさん知人がゐたが、終演後は出演者に軽く挨拶だけして、すぐ退散。せっかく和装で外にゐるのだし、とフラリと一杯呑みにバァに立ち寄ったりして、土曜の夜の浮き名を楽しむ。

4日(日)-----------------------------------------------------------------

教室を持ってゐる某楽器店の秋の大発表会。のリハが朝から。これってワシが此処に就任して以来、づっと続いてゐて、雑に数えても20年以上。年に一度、生徒と一緒になってのお祭りだ!、と云ってたのも今は昔、此所数年は生徒不足にて、イベントの継続が正直だいぶ負担になってゐる現状。

それでも一昨年くらいから、同じベース科にパイグが就任したので、作業の分担が出来、少しは楽になった。ただその分「待機」の時間も増え、拘束時間の半分くらい『する事がない』といふ事態も生じてゐる。今回、特にその「待機」が多い。

10時に始まって18時まで。講師演奏のリハまで演って終了。今年の講師演奏はバン・ヘーレンなぞ演る事になった。久々のロック大会。ファズなんぞカマさう、と思ったが、永らく使わぬうちに手持ちの歪み系えへくたが軒並み壊れてゐた。たれか余ってたら、くれ。

ワシはその後、ツンちゃんに誘われた一大プロジェクトの決意式&飲み会に参加す。とあるコンサートの為に、広島の名だたるタイコ叩きを総括して・・・、といふえらく大掛かりなプロジェクト。そこに唯一の弦楽器奏者として参加する事になるらしひ。早速全員のスケヂュールを調整し、リハの日程を割り出す。

気付けばえらく忙しい日々。せっかく憶えたバイトを入れるヒマもない。

5日(月)---------------------------------------------------------------

ひとりリハに入る。

10月17日の50thライヴに向けて、ベースとギターを使って『自分ひとりで出来る曲』のみを抜き出して、立続けに唄う、といふリハをしてみる。ソロのは勿論、トリオでのナンバーもギターの弾き語りで演り、結果しーシュのナンバー以外を全部唄う、と云ふリハになってしまった。39曲あった。所要時間は4時間と少し。4時間39曲ぶっ続けで唄った事になる。本番は、これにさらに11曲加わるのか・・・。

はははーっ、大丈夫なんですかねぇ?ワシ。

6日(火)---------------------------------------------------------------

向原まで出張レッスン。天気がよく、田舎道を車で走るも気持ち良い。

二人ほどヴォイトレを見て、また広島へ。一旦帰宅してにゅうめんを喰ひ、別楽器店のレッスンに。こっちはベースを二人。

フと思ひ出すに、月曜から金曜まで毎日レッスンに入り、土曜日はアクターズスクール、さらには専門学校の講師、といふ事もやってた時期があるのだが、なんであれだけ働いててチーとも金が貯まらんかったのだらうか?。

ライヴを増やしたくて、さういふ仕事を整理&縮小した結果、今の生活がある。稼ぎそのものは減ってゐるハズなのだが、暮らしぶりが上手くなったのか、さほどの生活苦を感じない。年間のライヴ数は100〜150の間で推移してゐるが、ホンマはまだ増やしたい。50歳以降の人生は、年間ライヴ数200越えを目標としたい、ね。

7日(水)----------------------------------------------------------------

WADAバンドで、何故かバーベQに行く(笑)。

練習後のナニカの歓談の折に、フとさういふ話しになり、あれよあれよといふ間に予約を入れ、ホンマにやるの?と思ひつつ、けふに至った。これがまたよぅ晴れ上がって絶好の行楽日和。2台の車に分乗し、白竜湖自然なんぢゃら公園、とか云ふ処に行く。男女3人づつで既婚者未婚者も3人づつ、といふWADAバンド。え〜かんぢに華やぐ6人で、それぞれの特技を活かした行楽を楽しんだ。

当然、料理に腕を奮う居酒屋椎修の大将=ワシ。バーベQ、とは云へどフツーに肉焼いて喰ふだけでは能がNASA過ぎる。ので、炭火網焼きを活かした野外料理を3品。「まぐろのたたき」「ペッパーステーキ」「スパイス・だ・チキン」。まぁよくイコッた炭火で火を通すだけのシムプルな料理に過ぎぬのだが、メンバーたいそう喜んでくれて、料理人冥利に尽きる。

その後ゴルフしたりす。みんな「ドングリの背比べ」くらいの実力の中で、アッコちゃん(sax)ひとりがヤケに上手い。秋の陽が傾くまで過ごし、いっぱい紫外線を浴び、タラフク喰って、心地よく疲れて、下界に帰った。ホンマに「バンドで遊んだ」壱日だった。タマにはかういふのも良い。

8日(木)-----------------------------------------------------------------

そのWADAバンドのリハ=朝練。昨日のけふで『ワシらどんだけ仲良しバンドや?』みたいな・・・。

だがリハはシビアに。11月のライヴに向けてラストスパートに入りつつある。ギターもよぅやっとマトモな仕事ができるやうになって来た。どーにか「フルアコ買ってて良かった」と思へるやうになったわぃ。ワシはやはり「ボデーの厚い楽器」の方が身体に馴染むやうだ。

その後は「よなかのとうふ」のリハを。こちらは10/17用の。全12曲を1時間で通す。少し休憩して、細部のチェックをせんとした時、パーン!と弦が切れる。あえなくリハ終了。まぁちょうど換え時ではあったしな、と近所の楽器店に行って弦を買ってくるも、ゲージが違ってゐてとんだ銭失い!。たれか¥500で買い取らぬか?。

その後レッスンでよぅやくベース弾く。

明日からはしーシュ、お江戸のじぶこんを広島に迎えての三連戦なのだが、フと気付くとしーなさんと10日間コンタクトを取ってない。大丈夫なんやろか?。

9日(金)神辺ハイダウェイ-----------------------------------------------------------------

じぶこんとの広島三ケ所めぐり、初日。

「ぐっち」を駆り、東へひた走り、5月「AKAGIs night」以来のハイダウェイへ。たぁ云へ、あん時は39℃近い熱に苛まれてゐて、何を演ったか、どーやって演ったか、いつ帰ったのか、ほとんど憶えてない状態。けふは元気に現地入りできてOK。渋滞に巻き込まれ、少し遅くなり、ワシらが着いたら既にじぶこんがサウンドチェック中であった。

再会を祝しつつリハ。けふから3連戦なのだが、最近ではじぶこんと対バンの際は、ほぼ間違いなく後半はワシらも混じって4人編成のバンド、となる。それも見越したリハ。もぅ譜面見なくても大体イケるし、割と自由に弾かせてくれるので、ホンマにバンドのやうだ。

まづワシらが先攻。ハイダウェイ常連さん達に、じぶこんを紹介す、みたいな形でお得意ナンバーのラインナップ。神辺に来るやうになって5年目。よぅやくワシらもこの地で存在を認められるやうになって来たな、と。しーシュの「合わせ」自体久しぶりだったが、とくに問題はなかった。むしろ丁寧に演奏できて良いかんぢ。

後攻はじぶこん。3曲目からしーシュも参加。あとはすっと4人編成。すっかり馴染んだアンサンブルを、演りながら楽しむ。良いライヴだった。神辺のディープな音楽好きの集まるハイダウェイにおいても、じぶこんはおぉいに受け入れられ、終演後しばらくお客さんがゆーこりんのディジュリドゥに群がって離れない、と云ふ事態も。

けふは福山市内のホテルに泊まる、と云ふじぶこん。ワシらは一足先に広島へ。夜中の高速道路を眠気と戦いながら、ひた走る。しーなさんを送り届け、自宅に着いたらもぅ3時近かったが、気付けばサイフが紛失しており、こらぁサービスエリアで落としたか!?とパニクりかけた。・・・が、けふのライヴ後の動き、その後の動静などを思ひ返し、よぅくよぅくよぅ〜く探してみると、車のシートの下に落ちてゐて、心から安堵。

眠い時はやはり不要なトラブルが起きやすい。気を付けねばね。


3週目

10日(土)-------------------------------------------------------------

じぶこんとの旅二日目@JIVE。

けふはワシらの地元広島にじぶこんを呼ぶのではあるが、ワシらもJIVEでの自主企画は久しぶりなので、アウェイのやうな感覚。これを、今年2月に松山からやはりJIVEに絶叫modernソルフェージュを招いて大成功だった「Pop's in Opposition」の第二段とし、地元からもぅひと組、生活theカッポレをゲストに華々しく敢行せん。

このイベントのしきたり『主催者がトップを務めてこそ』に則り、ワシらしーシュが開会宣言からトップバッター。ちょいと色々狙い過ぎてスベった部分もあったが、まづまづの演奏でカッポレにつなげる。最近のJIVEは音が良くて、ホンマに演りやすい。

カッポレは2011年の6月と12月に合同でライヴを演ったことがある、広島では珍しいジャグのバンド。あの時とはメンバーが一新して、また新しい御陽気さでナゴやかに会場を盛り上げる。相変わらず曲も良いし、唄もイイ。

んで、ラストがじぶこん。旅の多い彼らにしては意外にも、広島はまだこれで2回目。今回はワシらしーシュも参加した新作を引っさげての・・といふ事で、しーシュもほぼ全編に参加。カッポレにも数曲混じってもらひ、Pop's in Opposition Vol 2、またまたよく盛り上がった良いイベントとなった。

お客さんはいっぱいで、じぶこんにもカッポレにも、良い場を提供できたのが嬉しい。今回、集客面ではカッポレがづいぶん頑張ってくれて、普段あまりワシらと絡まないタイプのお客さんにもアピールできた。良い打ち上げ会場も紹介してくれ、彼らに参加してもらってホンマに良かったな。ありがとうね。

わざわざ最前列で、終始つまんなそ〜にスマホをいぢってるおぢさんがゐて、これを気にせぬやうにするのが難しかった(笑)。まだ修行が足らん。

11日(日)-----------------------------------------------------------------

じぶこんとの旅三日目。

けふのイベントのみ、外部の主催者にお願いし、しかしその概要がいっこうに明かされる気配ないまま、じぶこんの旅が始まった。最終的なタイムテーブルが出たのは、結局1週間前だった。ど〜やら相当にユルいイベントのやうだ、と気付き、まぁそれに則して・・・といふかんぢで、ネットに出てゐたタイムテーブルに合わせて会場入りしてみると、すでに1時間押しだった(苦笑)。

ぢつはけふは、ライヴ会場に隣接する温泉保養施設に宿泊を予約してゐて、じぶこんと雑魚寝しながら広島編の打ち上げを、と画策してゐた。このままライヴが押し続けたら、ワシら晩飯を喰ふ機会を逸する(食事時間の制限あり)!と思ひ、主催者に交渉。本来離れてゐたじぶこんとしーシュの出演時間をくっつけてもらひ、ふたバンドでひとつの出し物、とさせてもらった。

このテのオーガニック系のイベントには良くあるやうに、その後もスケヂュールは押しまくり、結局我々がステージに上がったのは予定より1時間半も過ぎて。ワシらを見に来てくれた人の中には、もぅ帰らざるを得なかった人もゐて、ホンマに申し訳ない。

ステージが押すのは、まぁ百歩譲って仕方ないにしても、演奏中にステージに上がって来る(大人)のがゐたり、ステージ前でボール遊びする(大人)のがゐたり、なんか、さういふのを「自由」と云って「良し」としてゐる風潮が、このテの人達には、ある。さういふのも、そろそろど〜なんだらう?と思ふよ。まぁ呼んでもらってかういふ事を云ふのもナンですが・・・。

さて、演奏中に陽が落ちて、どんどん気温が下がり、唄いながらどんどん身体が冷え、息まで白くなって来たライヴ。しーシュ→じぶこん→じぶしシュ、とホンマに続けて演奏し、会場をそこそこ盛り上げた(じぶこんが)。終演後は即撤収し、予定通り温泉旅館へ。

修学旅行のやうに、みんなで飯を喰ひ(時間が遅いので食堂はワシらの貸し切りだった)、温泉に入り(非混浴)、大部屋に布団敷き詰めて、寝ッ転がったりしながら、じぶこんが東北から持って来てくれた日本酒を呑み呑み、2年前のレコーディングやら、旅の話しやらを、夜更けまで語り合う。ホンマに修学旅行のやうだった。

楽しい、じぶこんとの3日間が終わった。3日くらいアッと云ふ間だね、と話す。今度はこのふた組で1ヶ月くらい廻りたいネ、と激しく同意。

さう。いづれ、また。タケポン、ゆぅこりん、ありがとう。今後も良い旅を。

12日(月)---------------------------------------------------------------

さて、なんでワシはゆんべ、広島にゐるにも関わらず温泉地に泊まったか、と云ふと、けふその近場に早くから会場入りする現場があったから、だ。

途中でしーなさんを降ろしつつ、その地へ行く。毎年恒例、F楽器店主催 秋の大発表会である。まぁけふの役目は、ほぼ全編「監督」やので。だが、この「見てるだけ」てのが意外にもシンドくて、今年のこれはホンマにくたびれた。むしろ大ラスの講師演奏で、日頃演らぬやうな大ハードロック大会、をやったら元気が出たかんぢ。やはり、演奏してゐる方が、色々健康に良い。

けふから17日まで酒を断つつもりだったので、打ち上げにもノンアルコールで。まぁ色々あるが、それなりに楽しもう。帰りの足のないやつを二人ほど送って帰ったりした。

13日(火)---------------------------------------------------------------

しーシュのリハ→レッスン→FM収録→企画会議。

しーシュは毎年秋口に、恒例「宣材写真撮影会」を執り行ってゐて、それの撮影場所を何処にするか、でモメる。狙った訳ではないのだが、これまで割と「自然としーシュ」のかんぢが強く、まぁ広島と云ふ地に、撮影しやすい田舎のポイントが多い、て事なのだが、今回さういふのでないモノを撮りたい、と。

廃虚のやうな所で撮れぬものか、と思ふが、めぼしい廃虚はだいたい心霊スポットだし、名のある廃虚は借りるのに許可(と金)が要る。喧々囂々やってるうちに『廃虚でなくとも無機質なかんぢならば良い』と云ふ事に落ち着き、写真になった時にそのやうに見えれば良い、と云ふ事で、ここはチョッケンさんに頑張って頂きませう。

ワシらは、他の同じやうな活動を基軸にしてゐるバンドに比ぶれば圧倒的に「流出してゐる画像の量」が多い。「しーなとシュウ」で画像検索すれば、相当数のヒットがあるハズだ。これもひとえに斯様に地道な撮影と、それを使った宣伝&広報の賜物、と考へてゐる。撮影者のチョッケンさんも、ワシらの写真が宣伝になり、声がかかる事も増えた、と云ふ。

互助の精神。これこそがしーシュのあり方(?)。

14日(水)----------------------------------------------------------------

インドネシアでヘリが墜落し、行方不明だった乗組員が「トバ湖」といふ処で救出された、といふニュウスから、この「トバ湖」に興味を持つ。

調べてみると、長さ100km、幅は約30km、最大水深530mで、面積は1,000km2に及ぶ世界最大のカルデラ湖。真ん中に島があるのだが、この島の高さだけで450mあるんださうな。まぁこれほどデカいカルデラが出来るくらいだから、元の火山も相当なものである。この火山は過去に3回ほど大噴火を起こしてゐる、といふ。

一番最近の噴火は約7500万年くらい前で、この時に現在の「トバ湖」が形成されたらしひ。その噴火は地球規模の大災厄(破局噴火、と呼ぶさうな)となり、この自然災厄によって、当時すでに出現してゐた「人類」の半数以上が、ぢつはこの時に絶滅してゐる、といふ。

人類が他の哺乳類に比べて多様性が少ない、のはこの為であり、現世人類はすべて、この時の災厄を生き延びた種族の末裔であるらしひのだ。へ〜〜っ!!。

ちなみにこの「破局噴火」。今後予想されるものとしては、アメリカ合衆国のイエローストーン国立公園があり、映画「2012」でもこれが描かれてゐる。地下に公園の面積(8,980km2)と同じくらいのマグマ溜まりが存在するんださうな。これが実際に破局噴火を起こした際には、人類存亡の危機が懸念される、のださう。はははーっ。

まぁ日本にもネ。阿蘇山、てぇすごいのがある訳だしネ。いつか富士山が吹っ飛んで、あそこに広大なカルデラ湖ができる、てぇ事もありうるのですよ。

15日(木)-----------------------------------------------------------------

このところ、音源をまったく買わなくなった。CDそのものを、あんまり聴かぬやうになってゐる。「聴きたい曲だけ」をネットでチョイスして聴くやうになってゐて、そはいかにも職業臭くて、自分でもイヤなのだが・・・。

CDが売れない時代、と云はれてゐるが、しーシュで活動してゐるぶんには、それを実感する事は少ない。むしろ、よく売れてゐる、と思ふ。そもそも世間で売れる売れないと云ふのは、流通に乗って何万、とかの世界の事であり、さういふ従来型のビジネスとしてのCD販売が、立ち行かなくなった、といふだけの話しだと思ふ。

今、ワシの手元にあるのは、おそらく500枚くらいのCD。後半生はこれを聴き直したりするだけで良いかな、とか思ふ。今さらあまり新しいものを聴きたい、とはなかなか思はぬ。で、残りの人生、もし「ひとりのアーティストしか聴いてはならぬ」、と云ふ事になったとしたら、ワシはもしかしたら「井上陽水」を選ぶかもしれん、と最近は思ってゐる。

16日(金)-----------------------------------------------------------------

WADAバンドのリハ。

ライヴが迫り、みんな良いかんぢに気分が盛り上がって来てゐる。趣味的に演奏や唄を楽しめる、良いバンドだ。けふが本番前最後のリハ、といふ事だったが、やはりもう壱回くらいはやらう、と云ふ事になり、11月に入ってからのスケヂュールがまた大変な事になって来た。

さて、50曲マラソンライヴが明日に迫って来てゐる。もぅ今さらナニカをしても意味がないので、あえて練習も復習もイメトレもヴォイトレもせず、フツーにレッスンして、フツーに過ごす事にす。

さういや大学時代の師匠はかう云ってゐた。『明日が本番といふ日には、絶対にいつもと同じ事をして過ごせ』。みんな本番に備えてナニかをしやうとして、それが元でトラブるのだ、と。まぁ一概には云へぬが、一理ある。


4週目

17日(土)-------------------------------------------------------------

さて、50歳になったやうだ。予定通り50曲マラトンライヴを執り行う。
いちをう、けふに備えて月曜日から酒を絶ってゐた。まぁ気休めですが…(笑)。

なんせ予想では5時間越えの長丁場になる事必至。けふの会場JUKEは終演リミットがあり、すべてを速やかに執行せんければ…との小物感覚働き、テキパキと準備を進める。

して、予定通り17時きっかりに、まづワシのベース弾き語りソロ「独弾」をスタート。
以降、第二部:ワシ+パイグ+エノちゃん、のトリオ「よなかのとうふ」
第三部:ワシのギター弾き語り「吟」を中心に、ゲストのカズイ、しーなさんを迎えたお楽しみ(ワシが)要素の大きいセクション
そして第四部:しーなとシュウ(のワシメイン唄特集)・・・・。
そして大ラスはワシのピヤノ弾き語りソロ1曲 +アンコール1曲 (生ギター生声で)

シメて51曲を22時までかけて、見事「完唱」成し遂げた。

喉の調子は最後まで全く問題なく、体力の方も全然余裕で、むしろ今より6歳若かった44歳44曲ライヴを演った時の方がキツかった。

あの時は、精神的なテンパりもあり、協力してくれた仲間と乾杯の唱和も出来ず、あまつさえ終演直後に飲み食いしたビールとカレーを5分もせぬうちにリバースしてしまふ程に疲弊してゐたが、今回は打ち上げに行き、節度を保ちながら、楽しく酒宴に耽る事が出来た。
唄うたい、として成長した事もあらうが、やはり今回は協力してくれた仲間の力強いサポートのおかげは大きい。

ありがとう。

そして、今回は個人的な誘いを全くしなかったにも関わらず、沢山集まってくれたお客さん。

音楽家として半世紀歩んで来た、身勝手なワシの足跡の証人として、あの場に居合わせてくれたお客さん。

本当にありがとうございました。

シアワセな50歳の51曲だった。

この日の全演目はこれに

18日(日)-----------------------------------------------------------------

よきライヴの翌日は完全休日。
リハが入ってゐるつもりでゐたが、ナイさうなので、ホンマにまる壱日休んだ。

昨日のライヴの感想など、色々送られて来る。

「全然長さを感じなんだ」と云ふ意見も嬉しいが、「途中退場のつもりだったが、ツイ最後まで見てしもぅた」、との意見も多く、そはたいへん嬉しい。
『次は60歳60曲か』との声も頂いてゐるが、ちょっと待ってね・・・・(笑)。

19日(月)---------------------------------------------------------------

向原まで行ってレッスン。

これから冬の到来に向けて、隔週のこのレッスンが出来なくなるのでは?と云ふ話し(雪による道路事情)。
たしかにワシは、この地域の冬を知らず、どこまで雪深くなるかは未知の世界だ。

しかし、出来る事ならば、あえてこの地域の「冬」を体感してみたい気はしてゐる。

『甘く見るな』と云はれさうだが・・・・。

20日(火)---------------------------------------------------------------

明日から『乱葛』初の東京公演を含む、プチお江戸遠征。 深夜バスで東京を目指す、久しぶりのソロお江戸だ。

このバス、個人スペースが広ければ快適か、といふと、ぢつはさうでもなく、これより狭い某社のバスは、完全に熟睡できるほど、車体そのものの乗り心地が良い。よぅは如何に「揺れ」をコントロールする車、として作られてゐるか、によるものだらう。その某社は以前、楽器を積むの積まないので難癖を付けて来やがり、ターミナルですわ戦闘勃発!、といふ処まで来た事があるので、二度と使わぬが、あの車体を全てのバス会社が起用すればよろしい。

今は、楽器につひてなにも触れぬ会社を使ってゐるが、残念ながら車体の揺れ甚だしく、乗り心地としては「最悪」と云へる。が、まぁカーテンで、とは云へ座席ひとつひとつが仕切られ、個室感覚あふれる車内はありがたい。

水曜夜の東京行き夜行バスはがらがらに空いていて、しかも何故か老齢の女性客が多い。 お婆ちゃん、タフやなぁ(笑)。

21日(水)一人旅・お江戸:乱葛@下北沢ブルームーン----------------------------------------------------------------

車の揺れ激しく、なをかつ少し肌寒く、熟睡には遠いが、それでもまぁちょこちょこと寝込みながら、朝7時半頃、新宿駅に着。 荷物を背負い直してゐると、見知らぬおぢさんにイキナリ『西口は何処か?』と訊かれ、ワシも知らん、と答える。

けふは夕方の会場入りまでは時間あるので、まづは吉祥寺の定宿、久保田涼子邸に向かう。

りょーこんとこでしばしのんびりさせてもらひ、改めて下北沢のブルームーンを目指す。

けふは超即興トリオ乱葛初の東京公演。いかがな事になりや?と思ひつつ、いつものやうに各自独歩の精神で、本番までてんでに過ごし、予約のお客さんがだいたい揃った頃合いを見て、パフォーマンス・スタート。

第一部:朗読劇
第二部:完全即興
の流れでいつものやうに約50分を2本。

他の地でも乱葛を見てくれた人が多く、さういふ人に経緯の感想を聞くのも楽しい。
思った程にはお客さんは集まらなんだが、静かに盛り上がる良いライヴだった。

裸になるパフォーマンス、と云ふ事で、窓に暗幕を張ってみたり、とか、ちょいとナーバスになってゐた部分もあったが、終わってみると問題ナシ。

店主正樹さんも喜んでくれ、またいつでも、と。 映画監督だといふ方が直接ワシに声をかけてくれ、もしかしたら何か使わせてほしい、とCDをお買い上げ。嬉しや。だいぶ以前に、やはり映画監督だといふ人から、音楽の起用をオファーされ、小躍りして喜んだものだが、その直後にその監督は逮捕され(公然猥褻罪、だったさうな)、おぢゃんになった。映画音楽から音楽を始めた身としては、これ以上、夢が壊れないやう、祈る(笑)。

まづは乱葛、初の東京公演はひとまず成功!といふ事で・・・。

22日(木)一人旅・お江戸:独弾@下北沢ブルームーン-----------------------------------------------------------------

お江戸遠征2日めにして最終日。 東京では3年ぶりとなるソロ・・・、独弾であります。

そもそも店主正樹さんがブルームーンを立ち上げた時、『シュウがここで唄ってる絵を想像して、さういふ店にしやうと思った』と云ふてくれたのだ。さういふ場で、ソロを演って、落とす事なぞあってはならぬ、 けふはさういふ場である。

対バンは、ダルシマー弾き語りの梅原貴子さん、アクースティック・変拍子トリオROSSA。たいへんな人気グループにて、会場はまさに立錐の余地なき程の満員。さういふ会場にひとりゐて、『さぅさぅ、このかんぢよ、これがソロよ』とひとり意気込む。

かのイチローが云った。アメリカに渡り数年経ち、新シーズンに向けて所属チームが変わり、どんな調子か?と問はれたイチロー、『最高にビビってますね。このぞくぞくするかんぢがたまんない』と。まぁ彼ほどのプレッシャーではないにせよ、ひとり闘う、といふはさういふ事だ。

な訳で、ややビビりながらも、人気2グループのあとにトリを務めさせていただく独弾。 こないだの51曲ライヴを胸に挑み、壱曲目の途中から拍手喝采を受け、ひとまず安堵。その後も調子を上げつつ、アンコールも戴き、 たいへん良いライヴを完遂する事が出来た。

久しぶりに独弾を見た、といふ友人に『違う次元に行ったね』と云はれもした。最近わりと云はれるのが、ループマシン操作のスムーズさ。唄いながら足でパカパカ操作を変えてゆく様がスゴい、のださうな。 ループマシンを使い出して約20年・・・。よーやくワシも『ルーパー』になれたのかねぇ・・・?。

けふはハナから終演後に正樹さんと飲む、と決めてゐたので、帰りの足はとりあへず考えぬやうにして、飲む。 常連のお客さんも交え、例によってグダグダ煮え煮え飲んでるうちに、東京の早い夜が明けて来たので、始発の電車に乗って帰った。

東京ライフ。

23日(金)-----------------------------------------------------------------

始発で吉祥寺まで帰り、りょーこん処で昼まで寝る。

ぢつは再来週もまた東京に(今度はしーシュで)来る事になっており、その折にはりょーこの企画にゲスト出演す。ので、その打ち合せやらを合間合間で行なって来た。そのツイデと云ってはナンだが、りょーこに初歩的な楽典やら、譜面の書き方なんぞをレクチュアしてゐて、けふは「そのお代」と云ふ事で、りょーこにネパール料理を驕ってもらった。

今回の一人旅、夜行バスを使ひ、来た日にすぐライヴ、といふ事もあり、その後も食事のパタンがずたずた。昨日の「朝まで呑み」もなかなかダメージを残しており、な訳でスパイスの効いたネパール料理はたいへん美味かった。

バスの時間に合わせて、東京駅に移動。来るたんびに変わってゐる駅の作りにブツブツ文句云ひながら、バスターミナルを探し出し、金曜日の夜、広島に向けて以外にも多くの人がバスで帰らんとする、中に混じって、夜をひた走る。

再来週はまた東京だ。我ながらよく動いてゐる。しばし、アディオス。


5週目

24日(土)-------------------------------------------------------------

早朝、広島駅に着。帰宅して洗濯して、昼まで仮眠とらんとしたが、かういふ日に限ってえらいこと電話やメールがパカパカ入って来て、あまり眠れず。

午後から、久しぶりの安芸楽団リハに行く。3年ぶりくらいかなぁ。もぅ永く誘いがかからなんだので、譜面を全部処分してゐて、もっかいチェックし直す時間が取れず、往生した。知らぬ間に、えらい若くて可愛らしい娘さんのメンバーが加入してゐる。現役女子大生、なのださうな。久しぶりの「和風フュージョン・サウンド」に貢献すべく奮闘。しかし本番は明日ぢゃが、大丈夫かいな。

その後、一旦帰宅して飯を喰ひ、オリエンタルホテルの「吟:営業」へ。土曜日のシフトは珍しい。ま〜けふも仲々のガヤだったが、流れのお客さんの中に『あなたの声でウィリー・ネルソンなぞ唄ってみられたらどぅか?』と仰る紳士がおられ、なるほどあの辺の路線はノーチェックだったな、と。うむ、ちょいとチェックしてみやう。この御仁は「ギターがたいへん上手い」とも云ふて下さった。

旅帰り→リハ→ソロ本番、とシフト入れた事を後悔してゐたが、終わってみるとなんちゃなかった。やはり、こないだの51曲完唱ライヴで、ワシはまた「越えた」のかもしれんな・・・。へへへ。

25日(日)-----------------------------------------------------------------

昨日リハやったぶんの、安芸楽団・本番。なんと、かつてワシが卒業した、廿日市・平良小学校体育館でのコンサートだ。

遥か数百年前、ロックに目覚めたワシが、この平良小学校の卒業記念パーテーの出し物の為に、イキオイでバンドを組み、講堂のステージに立ったのが、すべての始まり。あそこから、今に至る「梶山シュウ」がスタートした。その原点の場所で、50歳を迎えたばかりのワシが唄う、と云ふもま〜なんたる奇縁。

安芸楽団のメンバーとしては3年ぶりのステージだったが、相変わらず堅実なメンバーの中でひとりだけハシャイでゐる、といふやうなライヴをやってしまひ、また顰蹙を買ったかな?、と思ひつつ、まぁ仕方ないか。

終演後、学校の中を色々と見て歩いた。かつて卒業した、と云っても、学校の場所も移転してゐて、校舎はなにやら最先端の建造物(これホンマに学校ですか?と云ふやうな)。挙げ句の果てに、ワシが卒業したあと、校歌も作り替えられており、まぁ名前だけ同じの、全く別の学校だな、と。おまけにグラウンド(高台にある)から見下ろせる生まれ故郷の町そのものが変貌を遂げ過ぎており、郷愁もへったくれもナイかんぢがして、まぁそれもワシらしい、といふか・・・。

「郷愁は断ち切れ。流れ着く先々で根を下ろし、世界を住処とするのだ」。

ある映画の台詞だが、引っ越しの多い人生のワシに、たいへんよくハマる。

26日(月)---------------------------------------------------------------

年に一度、しーシュ宣材写真撮影会を敢行。

撮影会、と云っても、カメラマン「チョッケンさん」と我々二人によるフォト・セッション、と云ふベきもので、我々も積極的に構図やディティール等、案を出し、ストーリィ性も持たせながら、撮影を進めて行く。素晴らしい好天にも恵まれ、あらゆる時間の光を使い、壱日かけて撮りまくってもらった。

今回初めて、ワシのスーツ姿も撮影。ま〜ぁ見事にチンピラ風で(笑)、しかしまぁこれでライヴ演るのもアリだな、と。しーなさんは各種衣装をふんだんに使い分け、「3時のあんた」以来のOLスーツ・コスプレ姿も。しーシュの写真に関して云へば、しーなさんがいかに美しくセクシィに撮れてゐるか、が最優先課題。ワシの写りは二の次なので、そこはしっかりプロデュースす(ある方面からは『エロデューサー』と呼ばれてゐる)

ホンマに日が沈むまで、3人で喧々囂々やり、2000枚近く撮影して、終了。選出会議はまた改めて、といふ事で解散。来年に向けての宣伝材料が、大量に出来て嬉しい。乞うご期待!てかんぢで。

27日(火)---------------------------------------------------------------

しーシュリハ→レッスン→FMの収録→企画会議。

なんか全然しーシュのリハが足りてない気がしてならぬ。てゆーか、実際足りてないのだ。なんか知らんワシがえらく忙しい日々を送るやうになっており、時間が全然取れない。いまはライヴで練習してゐるやうなもので、もっとキチっとしたリハで煮詰めたい所はいっぱいあるのだが・・・。

こないだの51曲ライヴ。本編の最後にピヤノで弾き語った壱曲が『ボロボロだった(ピヤノが)』との声があり、ちょいとショックを受けてゐたのだが、しーなさんがこっそり録ってくれてゐた音源を聴くと、それほどの酷い処は見当たらず、まぁホっとす。何処を聴いてさう思ったのだらうか?。

まぁ、『スゴい上手い』訳では断じてないし、それまではづっとしーなさんが弾いてて、そのあとにワシ、では、そらぁまぁ歴然でヘタには違いないか・・・。

28日(水)----------------------------------------------------------------

昨日誕生日だったオフクロに祝いの挨拶(だけ)をする為に、久しぶりに実家に帰る。

長年カタい仕事に就いてゐたアネキも、今は退職して家にゐる。今この家は三世代の女性(アネキの娘もゐる)のみが暮らしてゐる、のだね。死んだ親父も含めて、真面目に社会で生きて来た人達ばかりなので、それぞれ可能な限りの保証を受けられてゐて、不安定な長男(息子=ワシ)の稼ぎなどハナから当てにしてない。考へれば考へるほど、何故このやうに堅実な一族の堅実な家庭から、ワシのやうな異分子が育ってしまったのか、謎は深まるばかり。

夜は、動き始めたパーカッション・プロジェクトのリハに行く。何故かワシがイニシアティヴを取らねばならぬコーナーがあり、ここで数十名のパーカス奏者にナニかさせよ、と・・・。

色々と鑑みた結果、彼らに「唄わせる」事にした。

複数のパーカッションによるポリリズムと、複数の声によるポリフォニィを組み合わせたらオモロいんではないか?と。

ワークショップのやうに、シムプルな所からはじめてみる。ひとつづつパタンを憶え、ひとつづつ繋げて行き、合奏し、唄う。なるほどワークショップ、てのぁかういふ風にやれば良いのか、と思ふ。唄い慣れてない人達ばかりなので、太鼓と手がなかなか分離せず、皆さん苦戦してゐる(笑)。2時間くらいづーっと演ってるうちに、なんとか形になり始め『楽しい』と云ふ声も出だした。

本番は11月25日。ワシが立ち合えるリハはあと壱回のみ。はははーっ、皆さん頑張って演りませうね。

29日(木)-----------------------------------------------------------------

WADAバンドの朝練。イイかんぢ。ゴダンのフルアコがハマる。これがかういふ形で使えるウェポンになるたぁ、思ってもみなんだ。良い良い。これも本番が近く、しかもワシは旅の帰りに参加する形となり、旅の間、ギターを手に出来ない(練習できない)、と云ふ究極のハンデ。大丈夫か?ワシ!。

けふはその後、一旦帰宅して、居酒屋椎修の仕込み。はー忙しいな。なんだこれは?

けふの居酒屋は、なんとなく「秋」と「月」をテーマにしてみた。けふは遠く滋賀県から参加を表明された方もゐて、せっかくなので「広島のお酒」とかも出してみる。他にも急の大病から復帰され(『居酒屋椎修に来るのを楽しみに闘病を乗り越えた』と仰る)た方や、ほぼ2年ぶりのお久しぶりなお客さんもおられ、人数は多くないが、ぢっくりまったりと唄を聞かせるスタイルで参る。

マカロニサラダを拵えたのだが、どぅも粉の種類が違うやうで、なんか固いマカロニになってしまった。もっと「プリとしてゐてや〜らかい」といふ境地に行かぬとダメだ。やはりパスタを選ぶ所からしっかり吟味せねば。他には、あえて王道を選んだ「ソース焼そば」など。けふも良い居酒屋だったが、11月はどぅにもスケヂュールがパンパンで、飛ばさざるを得ない事が判明。て事で、11月の居酒屋椎修はお休みです。

30日(金)-----------------------------------------------------------------

11月の3日に東京は吉祥寺で行なわれる、我らが宿主 久保田涼子のバスデイ・イベント、をしーシュでバックアップする、ののリハをお昼から。

こないだ東京滞在中にワシがレクチュアしたギターが、だいぶサマになって来たりょーこ。手首の力を抜く、コツを教えるのに、一昔前は「体温計を振るかんぢ」と伝えてゐたのだが、昨今は「振る」体温計など何処にもなく、逆に『なんで体温計を振るんですか?』と訊かれる事も・・・。嗚呼。

まぁ、壱曲だけ、とは云へ、初めてギター弾いて唄おうとするのだから、頑張んなさい。と、師匠目線で見守る。

けふはその後、レッスン。ツアーだのイベントだので出来なかったレッスンを壱日にまとめた感ありありで、久しぶりに5人連続のレッスンだった。内訳はギター2人、唄1人、ベース2人。これくらいの人数を週に4日回せるやうにしたいな。

その後、スタヂヲで正装に着替え、しーなさんに迎えに来てもらひ、オリエンタルホテルにて「椎名まさ子と執事フライデー」営業。けふは、静かにぢっくり聞き入ってくれるお客さんばかりで、たいへん演り易かった。此所数回、ワシのソロん時のガヤが酷くて、ワシを聴きに来てくれるお客さんに申し訳ないなぁ、と思ってゐたが、けふのやうなかんぢならば、ホンマにライヴのやうに演奏に集中できる。まぁ、かういふ会場ならば、それも仕方ないのだが・・・。

なにやらえらく忙しい日々を送ってゐる。昨日けふとライヴが続いたが、ぢつはこれは前フリで、明日壱日だけ休みの後、明後日から、ぢつに8日間ライヴが続く。それを皮切りに、11月は全部で21本のライヴがある。

これぞ、待ち望んだ人生。死ぬまで生きろ。生きてる限りは音楽だ。よぅそろ。

31日(土)-------------------------------------------------------------

休み。明日から怒濤の8日連続ライヴ(ツアー含む)なので、その為の休息、と云ふ大義名分を得て、ひたすら休む。