朝焼けの前に辿り着きたくて

6月8日(日)ーーーーーー

けふは朋友 姫石ミミが総括として関わってゐる、高校インターハイの開会式・・・、そのリハを見学させてもらえる、といふ機会を得たのに行く。

なぜか、と云ふと、この開会式セレモニーに私の母校 S高校の和太鼓部が出演してゐるから、であり、3月にあったイベント「いのちのあかし」において、その和太鼓部 顧問である松葉智也教諭とお会いする機会があったから。んで、このS高校和太鼓部は滅茶苦茶レベルが高く、校内イベントはもちろん、国内のツアー(!)や、果ては国際的なイベントにも多数出場経験あり、といふ精鋭集団。

話題を聞いてYouTubeとかで見てはゐたが、実際に間近で見ると、そのパフォーマンスは「そりゃ納得!」のレベル。てゆーかコイツらホンマに高校生か?(笑)。和太鼓のパフォーマンスは色々と見て来たが、下手なプロよりもスゴい。オフでの礼儀もステージマナーもしっかりしており、とても私が出た高校と同じとこに通う生徒たちには見えん。こはひとえに松葉先生の指導の賜物だらう。素晴らしいね。

和太鼓部のパフォームも含め、セレモニー自体たいへん感動的なシロモノで、気づけば滂沱たる涙が頬を流れ落ちてゐた。いやはや素晴らしいよキミらは!。高校時代の私をこの場に連れてきて土下座させたい、そんな気持ちになった。

6月9日(月)ーーーーーー

けふは明日のレッスンが所用でツブれるための振替レッスンを廿日市で。
11日のソロ「自習室」の内容を全然煮詰めとらん事に気付いて、慌ててネタを検証。

6月10日(火)数井政彦・還暦祭ーーーーー

上述の高校時代、出席番号が前後、と云ふ事で出会って以来、45年以上の交友が続く盟友、セイントルイズ・スタヂヲの頭首でもある数井政彦が還暦を迎えるにあたり、盛大なライヴパーテーが催されたのに出演。本人のバンドを率いてのライヴに歌のゲストとして。

高校時代にさんざ演ったデュオを数曲お披露目。
まーぁ自画自賛なれど高校生にしてはよくやってゐたな、と今でも思ふ。当時は現在のやうに高校生に積極的に門を開いてゐる場所はほとんどなく、われらは必然的に大人の集いに混じって活動をしてゐた。さういふ場にゐる事で、アマチュアとは云へ自分より年長の楽師たちが奏でるパフォームには刺激を受けたし、なによりふたりともまっったく気負う事のない高校生そのものだったので、可愛がってももらえたと思ふ。

まぁそこら辺を懐かしく思ひながら、当時のカズイのオリジナルと、なんでか私の「Dance」を演った。カズイは昔からMCが辿々しいヤツで(笑)、けふもなかなかグダグダな進行だったが、私が混ぜっ返す事でなんとか笑いも取れたやうだし、ニッチは果たせたかな?。

しかし今もって、このテの華やかなイベントの途中に「ゲスト」として参加するときの「正解」てのはわからんね。
一番マズいのは『あの人なにしに来たの?』と思はれる事で、少しでも気後れしてしまうとそれになる。かといって『っしゃぁ〜!』みたいに気負うとゲストだけが空回りしてゐる、といった風にもなる。けふはまさにそれだった。まぁしゃぁないや。

ともかくカズイよ、還暦おめでとう。私もすぐ追いつく。

6月11日(水)ソロ「夜の自習室 vol 6」ーーーーー

昨日は多くの人々と作り上げたステージだったが、けふは独りでそれをやる。月イチ敢行ソロ企画「自習室」の6回目。昨日の打ち上げでやや飲み過ぎたかダルい。

けふはどんな風にしやうかづっと迷ってゐたが、まぁ毎回そんなにネタを変えることもあるまい、と、フツーにギターの弾き語りにした。弦の調達が間に合えば完全なバリトンギター(低音調弦)にしても良かったのだが、今さういふ弦の在庫はあまりないらしく3ヶ月待ち、といふ事で・・・。まぁいづれ。

ンなわけで演り始めてみれば、づっとやってきたギター弾き語りのパフォームで、気負いも何もなく。お客さんが少ないはいつものことだが、けふは特に皆さん控えめで、拍手も起こらん(笑)。ラウンヂ演奏をしてるみたいだった。

終演後もスグ帰ったので22時には自宅にゐて、いつものやうに晩酌してゐる、といふね・・。まるでライヴなんぞ演らなかったかのやうに。

6月12日(木)ーーーーーー

ライヴ翌日のバイトにも、まぁ慣れたか・・。特に昨日は上述のやうなかんぢだったのでなをさらに・・・。
バイトそのものもまたえらいことヒマな日で、掃除ばっかりしてゐた。

ロング勤務だったので、帰宅せずにスタヂヲへ。レッスンまでの間に、最近浮かんでゐた新曲のアイディアを具現化す。久々に倉庫楽団を立ち上げ、アイディアを随時録って行くのだが、iPadも古くなり(購入は2020年)バッテリーの容量もだいぶヘタってきたらしく、いいかんぢになって来たところで充電切れ。ヌ〜。

6月13日(金)ーーーーーー

バイト連勤。けふは昨日が嘘だったかのやうに忙しい日だった。飲食業界はホンマに目利きが難しい。

けふは昨日の轍を踏まず、iPadの充電器も持参してスタヂヲに。したらけふに限ってベンチャーヅのコピバンが練習に入っており、漏れてくる音(建物がボロいので)のせいで集中できん!。これが夕刻よぅやく帰ったかと思ひきや、今度は階下のクラブが大音量でハウス音楽を流し出しやがり、あぁ糞!。

倉庫楽団でちゃんとしたアンサンブルまで構築しやうと思ってゐたのに、結局生録りで歌を録音するしかない状況に。
自宅にまでスタヂヲが欲しい、と思ふことはあんまりないが、けふみたいな事があると、やはり少しは思ってしまうねぇ。24時間、自分が好きな時に音楽に(気兼ねなく)向き合える場所。
あぁ〜。

6月14日(土)ーーーーーー

この11日、かのビーチボーイズの創立者ブライアン・ウィルソン氏が亡くなったらしい。
世界的にフェイマスなバンドとして、彼らをフェイヴァリットに挙げる著名人は多いが、私はビーチボーイズの音楽がまっったく解らない。「傑作」の誉れ高い「ペットサウンド」も、なにが傑作なのか・・・?。まぁ私がその良さを理解できる「徳」をまだ積めてないのだ、と思ふ事にしやう。

その創業者たるブライアン氏だが、その輝かしい業績とは裏腹に、知れば知るほど 割と不幸のオンパレードのやうな人生を送ってこられたかのやうにも思へ、かなしい。フェイマスな楽師としての重責からか、早くから心を病み、仲間とも決裂し、酒や薬に溺れ、晩年はながく認知症も患ってゐた、と聞く。

あれだけカラっと明るいサウンドを創作したビーチボーイズが、ぢつは陰で心を病み、どっちかてぇと陰鬱な革新サウンドを生み出したビートルズが、ぢつはあっけらかんとした奇人の集団だった、といふ逆の意外性。
ニンゲンは複雑なものだ。「手を繋いで未来を描こう〜♫」なんぞと謳えるほどシンプルなものではないのだ。