やしがに兄弟:2007年沖縄ツアー記


前章

ワシのやってゐるふたつのバンド、Far east lounge としーなとシュウ、これがツンちゃんのPICOがらみで繋がり、一緒に沖縄ツアーをしやう!といふ話になったのは、今年の5月ぐらい。本来なら7月の時点で実現してゐたはずだったのだが、台風のせいでこたびにまで延期となってゐた。

ワシは高校の修学旅行で20年以上前に沖縄を訪れてゐるが、正直、その時はそれほど大した興味は惹かれなかった。もちろん当時は琉球音楽など知りもせなんだし、文化にしたって、さういふトライバルなモノに惹き付けられるやうになるのは、まだづっと先のこと。食い物の味と同じである。その良さを理解する為に『ある程度の熟練』が必要なモノは、世の中にいっぱいある。

42歳の今、ワシは沖縄を、どう感じるだらうか?

いざ、沖縄へ。


10月25日:出発〜座間味へ
まだ暗いうちに起きだし、空港行きのリムジンバスで椎名さんと落ち合う。全国各地の友人が口を揃えて云ふ『なんで広島空港はあんなに中心地と離れておるのだ?』といふのを実感す。行政が莫迦で無能なのだから仕方ない。か。

空港で他のメンバーと合流。この旅のメンバーは、カシラとその嫁さんオタマちゃん、その息子クレハ。そしてこの旅のプランナー久保直樹氏。プラスしーシュのふたり、といふ6人編成。

Far east〜とは云っても、今回ツンちゃんは不参加。ツアコンを務めてくれた久保さんが、代わりのパーカッショニストとして参加(元々ツンちゃんの弟子である)。これを受けてカシラは、このメンバーを統合して「やしがに兄弟」といふ、沖縄ツアーの為に組まれたユニットとした。まぁてーげーな話ではある。オタマちゃんもミュージシャンだが、今回は純粋に旅行者としての参加。

さて、飛行機にかかれば世界は狭いもんで、広島空港を飛び立って2時間もせんうちに沖縄に着く。18きっぷで10時間以上かけて移動する独弾ツアーが嘘のやうだ。肌寒い広島から、いきなり日中の気温がまだ27度もある沖縄へ。さっそく短パンとTシャーツに着替え、「島ぞうり」を購入。あっと云ふ間にバックパッカーへ早変わり。ここら辺はワシも旅人の端くれだから、ぬかりはない。

那覇は泊港から船で、慶良間諸島は座間味へ出発。2時間の船旅。屋上デッキに車座になって、早速オリオンビールをぐぅびぐび。外洋に出ると、俗に云はれる『ケラマブルー』の海が果てしなく広がる。陳腐この上なき表現だが「クールバスクリンのやうな」青。青い海、なんてこれを見ずに語ってゐた自分が恥ずかしくなるやうな、リアルな青。瑠璃の宇宙、といふ言葉が浮かぶ。自分が詩人でないのが残念だ。

途中で阿嘉島へ寄港して(ここでチャラチャラした集団が大量に降りて行ったのでほっとした)、座間味島に着く。もう、はいっ、これです!っと云ふやうな、南の島。お世話になる民宿のあるじに聞いた話では、昨日あたりから村人がこぞって旅行に出てゐる、といふ。して、それでなくとも数少ない商店がほとんど閉まってゐる、とか。久保さんが案内してくれた食堂も休み。結局、飯を喰わせる店は一軒しか開いてなかった。

その、一軒しか開いてない店で昼飯(沖縄そば)を喰ったら、漁船をチャーターして、海へ。嘉比、といふ無人島の白浜の海岸で泳ぐ(!)。水は、なんぢゃこれは?!と云ふくらい澄んでゐるが、潮の流れが河のやうに早く、流石のワシも迂闊に泳げない。それに、まぁなんちゅうても10月。丘に上がって風が吹けば、やっぱり寒い。1時間ほどで切り上げ、民宿へ帰る。

夕飯までの間に散歩する。30分もあれば全部見て回れるやうな、人口600人の静かな村落だが、ダイビングのメッカなので、若い人達も多く住み着き、子供も多く、決して過疎ではない。ぶらぶら歩いてゐて、目が合うと誰もが「こんにちは」と云ってくれる。のったりと時間が流れてゐる。東側の海岸なので日没は見れなんだが、暮れて行く南国の空の素晴らしさよ。此所は楽園に違いない。

夕飯(島料理)のあとは宴会。当然、オリオンビールと泡盛。最初は民宿で呑んでゐたが、誰かが「桟橋に行こう」と云ひ、桟橋で夜風に吹かれながら、更に泡盛。カシラがウクレレを弾きはじめ、セッションが始まる。椎名さんがピアニカで対応。くっそ〜〜!Pieぞう持ってくるべきだった!!。

桟橋でセッションをしてゐるのはワシらだけではない、あっちこっちから三線の音や歌声が聴こえ、集会所では舞踊の稽古もやってる。

また思ふ。此所は楽園に違いない。


10月26日:那覇へ
ワシにしては痛飲したハズなのだが、目覚めはすっきり。これは良質の泡盛のせいか、ウコン茶のせいか、それとも、『楽園』だからか・・・・。

起き抜けにフラっと桟橋に行ってみると、カシラ一家がゐる。朝の潮風に吹かれながらのんびりしてると久保さんも来る。この間しーなさんは独りであちこち散策してゐたらしひ。それぞれが、それぞれの時間を使って楽しむ。このメンバーだから出来るのかも知れん。

朝飯(ハンバーガー)のあと、ワシは独りでレンタル自転車を借りてみた。片っぽのペダルが壊れたマウンテンバイクが1時間で¥500。これを駆って海沿いの道路を行く。風は気持ち良いが日射しは南国。アップダウンも多く、汗が吹き出す。Tシャーツを脱ぎ、上半身裸になって更にペダルを漕ぐ。

写真提供;椎名まさ子

港の近くには民宿やペンションが多いが、島の中程には自炊できるコテージのやうなものの集落があって、こんなところに滞在しながら、例えば作曲とか、レコーディングとか云った創作活動をしたらどうか・・・などとフと考える。

ワシは自分の音楽が、かうした豊かな自然や日常からインスパイアされるものではない、と知ってゐる。ワシはやはり人間社会の「毒」と「業」をもって音を創る職人に他ならない。でも、かういった自然と、自分の身体との関わりあい、を無視したくない。かういふものと深く関わりながら、生きてゐる、といふ事を知ってゐたい。なんと云ってもワシらは、これの一部なのだ。

1時間、自転車で走り回って、出会ったヒトは4人ぐらい。すれちがった車は1台。中程の広大な草原には牛がゐて、自転車を停めてぢっとしてゐると、風の音以外なにも聴こえない。高台に立って見渡せばケラマブルー。もう壱度思ふ。此所は楽園に違いない。

素晴らしいサイクリングだった。

昼飯(ポーク玉子定食)のあと、名残惜しいが楽園を後にす。また来る!。さう強く思った。
写真提供:久保直樹

帰りの船旅は、もうみんなすっかり沖縄モード。

てんでに寛ぐ。ワシははじめデッキ席で本を読んでゐたのだが、1時間ぐらいすると、ナニやらやたらと飛沫が降り掛かるやうになって来て、いつの間にかえらいシケの中を船が進んでゐることに気付く。天気は良いのだが、風が強く、ものすごい白波が立ってゐる。決して小さくはないフェリー船が、明らかに一瞬「浮く」ほどの波。たまらず船内に避難したが、窓にバケツでぶちまけたやうに水が上がって来る。こりゃひどいわ。まぁ当然、船酔いが始まる。てゆーか、これほどの船酔いを経験する、ほどの船の揺れ、と云ふものを初めて経験した。あーきっつい。

船酔いの図

青ざめた顔で泊港に着。

今後の定宿となる「船員会館」に身を寄せ、しばしリラックス。ワシとしーなさんは、沖縄在住の三線奏者コウサカワタルさんと会う為、国際通りへ。コウサカさんは今年8月、ツアーで広島に来られた折、連絡先を交換させてもらってゐた。その時はさしたる当てもないまま『またいつかお会いしませう』と云ったが、これほど早い再会が訪れるとは思ってもみんかった。

3人で飯を喰ひ(沖縄料理)、色々話をするうち、来年はじめに広島で一緒に演りませう、といふ事になる。同じやうに地元に住んで音楽で喰ってゐる者どうし、色々と興味深い話が聴けて嬉しかった。

その後、カシラと久保さんと合流。今夜のライヴ会場であるLa manzanaへ。『7:30頃入りでお願いします』といふ事だったらしひが、8時に行くとまだ誰も居ない(笑)。噂に聞く『沖縄タイム』であるが、これは滞在中、正直ちょっと参った。本土から移り住んだヒトや、本土での暮らしを経験したヒトはさうでもないやうだが、純粋なネイティヴ沖縄ン(笑)は、とにかく時間に関する感覚が「てーげー」であった。

さて、ライヴであるが、manzanaは鍵盤が置いてない店、と云ふ事でしーなさんはピアニカで対応。途中の「しーシュコーナー」では、必然的にしーなさんが唄う曲は伴奏がベースソロとなり(ピアニカ吹きながらは歌えんからね)、これが意外にも効果的で、ワシららしいストレンジさが出せた。Far east〜に関しては、もともとAnytime anywayを信条とするバンドだけに、出来のほどは云ふまでもない。新メンバーの久保さんも果敢に小物パーカッションで参加。たいへん良いライヴだった。

会場には、コウサカさんをはじめ、所縁のある人達が駆け付けてくれ、盛り上がった。特に嬉しかったのが、2003年の東京ツアーで共演した、三線奏者のつるおかゆみチャンが見に来てくれた事だ。あのツアーの時、2日間だけ行動を共にしたヒトと、かうして違う場所で会える事に、まぁなんとも人生と云ふはオモロいものよ、と思ったのだ。
やしがに兄弟 in la manzana (写真提供:鶴岡ゆみ
終演後はそのまま店で打ち上げ。マスターにも、お客さんにも、たいへん好評。これまで見た事がないユニットだった、と云はれ、喜んでもらえて嬉しい。

酔った訳ではないが、明日のライヴの事もあるので、ワシとしーなさんはお先に失礼す。後のメンバーは4:00まで、コウサカさんに至っては7:00まで呑んでゐたらしひ。いやはや。


10月27日:首里と浦添
朝飯を喰ふために街へ出る。ぶらぶら歩いてゐたら、食堂を発見。値段を見てゐたら、ゴルフの宮里藍ちゃんにチョイ似の店員が『どうぞ〜!』と云ってくれたので、入る。「ゆしどうふそば」といふのがあって、「これはナンですか?」と訊くと「沖縄そばの上に豆腐が乗ってるモノです」と云ふ。双方ともワシの好物なり。で、来たのが、これ。とてもおいしい。

喰ひ過ぎ、といふくらい腹一杯になって宿に帰ると、けふはどうするね?と云ふ話となる。首里城の近くに、古い石畳の街道が残ってゐるらしく、それを見たい、といふのでワシとしーなさんが一致し、久保さんの案内で出かける。子供の足ではキツい、と云ふ事でカシラ一家は別行動。

古い沖縄の家並みと、石畳やまだ未舗装の路、など。人んチの庭ぢゃないの?みたいな路も、進めばちゃんと行き着く処がある。訊けばこれらの古道も、いちをう観光地として整備されたものらしひ。が、みな首里城とかのメインに足を向け、かうしてほとんど人の居らぬ迷路のやうな道が残ったのだ、とか。まァしかし久保さんのよく知ってゐることよ!。1年に4回は沖縄に来てゐた時期もあったと云ふ。

堪能して一旦、宿へ。しーなさん、歩き過ぎて疲れて寝てしまった。

夕方、浦添のライヴ会場へ。けふのハコは、しーなさんのツテでブッキングした。ピアノが置いてある店、と云ふ事で無防備に安心してゐたら、実際店に行くとピアノ以外の機材がほとんどない店だった。ベーアンもない。マイクは2本だけ。しかもひとつは楽器用。これはワシのミステイク。事前にちゃんと確認しておくべき事だ。まぁ仕方ない。やるしかないのだ。

けふは昨日とは逆で、しーなとシュウを中心にしたやしがに兄弟のライヴ、といふかんぢ。まづしーシュがやって、カシラが入って来る、といふかんぢ。けふは久保さんは不参加。ワシがループでリズムを出し、パーカスの代わりとする。

Far east 〜の曲は、ほとんどがカシラの音が先行して始まる。その、弾きはじめのフレーズに合わせてワシがリズムを出し、それをループする。ハシり、モタりは許されない、割と危険な演り方なのだが、上手く行けばグルーヴする。勿論ワシらの事なので、こんなことを「練習」したことなど、ない。『けふはリズムが薄いから』と思ったワシが、突然、勝手に演るのだ。これに着いて来るカシラのリズムの良さには、改めて感心した。

生ピアノと、PAに直接突っ込んだベース、では流石にしーシュはちょっとキツかったが、カシラの入った編成で、巻き返せた。けふも良いライヴだった。

これにて沖縄でのライヴは終了。ひとまづお疲れさま、と云ふ事でメンバーで乾杯。そのまま店で打ち上げ。

またまたオリオンビール&泡盛。この4人は広島で会ってもさうなのだが、お互いが好きな事を喋り合い、それでゐて誰も突出しない、といふ変わったパーティーだ。げらげら笑いながら、気が付くと2:00を回ってゐる。

腹が減ったね、と云ふ事で、今朝「ゆしどうふそば」を喰った食堂が、確か24時間営業だった、と思ひ、皆でそこへ行く。

ワシはもう壱度「ゆしどうふそば」。


10月28日:国際通り〜帰広
けふも良く晴れてゐる。この滞在中、珍しく天気には恵まれた。ワシの雨男パワーを上回る晴れ男か晴れ女がゐたに違いない。

タコライスの美味い店に、久保さんが案内してくれる。タコスの具がごはんの上に乗ったもので、ワシはウチでよく作る。ホンモノの味や如何に?と思って喰ふと、これがまたウマいのなんの。『ここは元々Aサイン・バー(基地の米兵相手に料理やらを出す店。ドルが通用する)だった店よ』と久保さん。こんな店、よく知ってるものよ。あなたはウチナンチューですか(笑)。

しーなさん、久保さんと国際通りまで歩き、一足先に出てゐたカシラ家族と合流。土産を買い、三線の専門店を覗き、レコード屋をひやかす。国際通りは、折しも祭りをやってゐて、ものすごい人の波。こんなんなると東京の新宿や、大阪のミナミ、広島の本通りなんかとあんまり違いはない。都会ってのぁどこに行っても同じ表情だ。明らかに本土から来たと思へるヒッピー系の若者が、道ばたでTシャーツやアクセサリィなどを売ってゐたりする。

土産屋は、いかにも、なモノを扱ってゐる処と、地味目だがちゃんとした特産品を扱ってる処に見事に分かれる。こんな服買って帰っていつ着るンや?みたいなんとか、逆に、いま此所で買わんでも良からうに!といふやうな店には、修学旅行らしきミニスカのコギャル達が群がってゐる。ワシらは惑わされずに、一見地味だが、ちゃんとした商品をとり扱ってゐる店で土産購入。

まぁ物欲の大きい人が、こんなところを通ったら、まぁえぇカモでせうねぇ。

さて、名残惜しいが、ワシらしーシュのふたりは、一足先に広島へ帰る。あとの4人はそのまま滞在して、もう壱日観光するらしひ。「ちょっと寂しゅうなるのぅ」と久保さん。うん、ベストなパーティーだもんね。

もっと寂しさうなのはしーなさんで、言葉少なに、旅の終わりを愛おしんでゐるのが感じられる。椎名さんにとって、今回みたいな形で他所の地で演奏する、といふ経験は初めての事。ましてや、あの「楽園」にこのメンバーと共にゐた、のだ。その感慨や察するに。音楽家としても心に帰するものが沢山あった様子。いいぢゃないの、また来ませうや。

残る皆に見送られて宿を後にする。クレハがいつまでも手を振ってくれてゐた。タクシーで空港へ。

日曜日の最終便、と云ふ事で、搭乗口はものすごい混雑。はー、これが全部広島に帰るンか、と思ふと、ちょいと変なかんぢ。飛行機は満席だとか。ワシらは喧噪から離れた処でひと休み。ちょうど夕暮れ時で、さういやこれまで一度も夕陽が見れなんだな、と思ふ。水平線に降り掛かるレンブラント光線が美しい。

行きと同じく、たったの2時間弱で広島に着いてしまふ。あの「楽園」からもうこんなに遠いところまで来てしまった。あの少女達はけふも琉球舞踊を踊ってゐるんだらうか?。あの桟橋には、けふは何人の人が集まってるんだらうか?。

たった4日間留守にしただけで、広島はすっかり秋を深めてゐる。しまいこんでゐたコートを出して着る。

我が家に帰り着き、お土産の泡盛を軽く一杯やったら、強烈な睡魔がやってくる。ベッドに横になり、布団を被った途端、ワシは眠りに落ちる。


17歳の時、ワシの中に特に何も残さなかった沖縄。今回も、中心街にゐるぶんには、正直「どこも同じだなぁ」と思ってしまった。だが、しかし、今回はやはりあの座間味の経験は大きい。あのやうな場所が、この日本にまだあった、と云ふ事を、心から嬉しく思ふ。船酔いはカンベンだが、是非また行きたい、と思ふ。

そして、無理を覚悟の上で、あの場所で、何かの音が創りだせたらなぁ、と思ってゐる。

前述したが、ワシは、ワシの音楽はあのやうな場所で作られるものではない、と知ってゐる。しかし、もしほんたうにそれが可能ならば、ワシもまだまだ捨てたもんぢゃないな、と思えるかもしれない。それはそれで怖い気もするんだが・・・・。『何を云うとるんだ?この男は?』と思はれるかもしれぬ。しかし、ワシにとって、あれはやはり相当に強烈な経験だった。そして、ワシにとって、やはり音楽は日々そのもの、なのである。だから「怖い」のだ。分かんねぇだらうなぁ・・・・・。

引っ張って行ってくれた久保さんとカシラには心から感謝を申し上げたい。

恐らく初めて経験する過酷な条件下で、共に唄った相棒、椎名まさ子にも感謝。

こんな、オリオンビールと泡盛に浸かって10月の末に日焼けして帰って来る夫を、笑って迎えてくれる女房に。次は絶対連れて行くで。