註:主観や感想を出来るだけ排し、出来事だけを淡々と綴ってあります。 登場人物にも敢えて注釈は付けませんでした。 |
3月22日:上京/リハ
東京でのリハが14:00からなので、それに合わせ、朝のうち広島を出る新幹線で東へ向かふ。本を読みながらの3時間強。もうこの道程も馴れたもの。久しぶりに富士山が見えた。幸先よし、か?。
キキオン+リズマ・クノムバスの5人が下北沢のスタヂヲに集結。ここから20:00までぶっ続けのリハ。ベースラインの作成に苦労した例の新曲は、十時さんからは『ベースが謡い過ぎ』佐々木さんからは『好きなかんぢ』と意見が分かれ、本番までに折衷案を模索することで合意。他にも新アレンヂ案とかその辺をいろいろ。
定宿、吉祥寺に身を寄せる。家主の久保田涼子は入れ代わりで広島に帰っており、けふあすと独りで自由に使はせてもらふ。
けふのライヴはキキ+リズマのメキシコツアーへの壮行会を兼ねたライヴ。といふより結構無理矢理ブッキングを入れてもらった、といふかんぢの。他の出演バンドが2ツともバリバリのシンフォニック・プログレのバンドだったのが、それを物語る。音楽的なクゥオリティは引けを取らんとは思ふが、ゴーヂャスでドラマティックな他バンドに比べると、流石にぢみな我らキキオン。
演奏は良いかんぢ。途中、十時さんの咽が怪しくなり、カヴァーすべくいつもより多くのヴォイスで参加す。4日後には此所よりもっと乾燥した国で唄う事になる。おまかせあれ。しっかりカヴァーしますよ、十時さん。
国際線の飛行機に楽器を積む、といふ事によって起こるであらうトラブルが、多数予測される。佐々木さんのアコーディヲンを手荷物にするには、とか、小熊さんのブズーキが規格外、とか、挙げ句にユナイテッド航空の規定によれば、ワシのベースのケース(このツアーの為に新調したセミハードケース)のサイズがそもそも預け荷物サイズの上限を越えてゐる、とか。此所まで来てこげなトラブルが出ても、もはや我らにはどうしやうもない。もはやヤケクソの感さえある。
雨。とても寒い。メキシコに行く前に全部洗濯しておきたいので、余計な出費となるがコインランドリィで乾燥機を使ふ。あとは壱日、長旅に備へて休養。夜は涼子のおごりでカレーを喰ふ。さぁ、明日からメキシコだ。
ゲンタさんの車に拾ってもらひ、成田へ。警戒が物々しい。ワシの荷物はベースの他は中型のディパック1コ。コーディネーターのM氏の元にメンバが集まり、順次搭乗手続きとか。預け荷物のサイズについての言及は一切なし。拍子抜けするくらいあっさりとスルー。ひとまづホっとす。
出国審査も受け、いよいよ日本を離れる。機内エノコミィ・クラスの座席はキチキチ。足も伸ばせぬ。しかしファースト・クラスはフルフラットシート。漫画喫茶の個室のやうな座席。格差社会!。
機内食(不味い)など喰ったり、寝たりしてゐるうちにサンフランシスコへ着。国内便に乗り換え、サンディエゴへ。ここで4時間以上の待機。ドルで買い物。レストランでハンバーガー(不味い)とか。夕方過ぎてようやく国境越えのバスに乗り込み、山越えで国境へ向かふ。日本時間では26日の夜中。う〜む、眠いはずだ。
嘘ぢゃろ?といふくらいアバウトなメキシコへの入国審査を受け、メヒカリのリゾートホテル「アライザ」に着。早速ウェルカムパーティーに出席。タコス&地ビール(美味い)。地元のバンド(上手い!)が使ってゐる妙な楽器に興味を惹かれ、使い方を教えてもらったりしてゐると、何故かそのままセッションとなる。気が付くと黒山の人だかり。拍手喝采を浴びる。日本から一緒に参加してゐる大阪のバンド「ジャンラ」の皆さんとも話し込む。そのまま夜中まで飲む。
バハ・プログフェスタ2008は、けふから3日間行われ、夜はシアター、昼はホテルの中庭でライヴが繰り広げられる。ここメヒカリの、町を上げてのお祭りのやうで、早くからすごい数の来客。けふの処は出番のないワシら。ライヴを聴きながら会場の隅で細々と物販をやる。日中は暑い。空気はカラカラに乾燥してゐて、暑いのだが汗が出ない。日陰に入れば嘘のやうに涼しい。水よりも安い地ビールを水のやうに飲みながら、夕方まで売り子と化す。
夜は、ホテルから車で10分くらいの処の「テアトル・エストラダ」にてコンサート。一晩にだいたい3組づつが出演する。トップの出演はこのイベントの主催者が組んだプログレ・シンフォのバンド。あんまりオモロない。二組目のアロンソ・アッレオラといふ地元メキシコのベーシストが率いるバンドは、ジャズのやうなフリーのやうなミクスチャーのやうな、しかしめちゃくちゃオモロかった。場内総立ち。ふぅん、プログレばかりが受ける、って訳でもないんだな。
これが見れた時点でけふは良し。3つめのバンドは見ずにホテルに帰る。それでも時刻は24:00近い。こちらの人は宵っ張りなのだ。
けふはジャンラのライヴ。ワシらは物販係、撮影係と分かれて彼等をサポート。ワシはビデヲ撮影に任命される。ちゃんと撮れるんかいな。昨日にもまして暑く、日本の8月を思はしむる陽気。またビール。
ジャンラの音楽性は、真の意味でのプログレッシヴなジャズロック。高度な演奏技術と、大阪人らしいショーマンシップ満載のステージは、メキシコ人にも大ウケ。また此所のメンバーの奥方達の天晴れなバックアップもあり(地元新聞の取材まで受けてゐた)、CDが飛ぶやうに売れてゐる。海外ツアーが初めてではない彼等は、語学にも長けてゐて、社交性もある。昨日のアロンソなどとも、もう打ち解けて『日本に来い』みたいな話までしてゐる。
しかしベースの中来田さんの楽器が、航空会社のミスで会場に届かず、彼は結局、他人のベースを借りて演奏する事になった。これはぢつは海外遠征には「よくある話」なのださう。冗談ぢゃないよ、てな話ではある。
夜はまたシアターへ。昨日よりも更に没個性なバンドが出てゐて、正直疲れた身には見てるのもしんどい。明日は我々自身ライヴだし、てな事で、物販はジャンラの皆さんに任せて、けふは早々にホテルに引き揚げた。
パーカッションを現地に注文してゐたゲンタさんは、確認の為に朝イチでシアターに入った。他のメンバーは昼過ぎまでホテルで待機。昨日までは自前でのタクシー移動だったが、流石にけふは送迎バスが出る。ワシらが「前座」でも「対バン」でもなく、「ゲスト」としてこのフェスティバルに迎えられてゐる身である、と気付く。
言葉が通じないスタッフ相手のサウンドチェックは困難を極めた。生楽器と電気楽器に各種打楽器が混在するキキ+リズマは、ただでさえPA泣かせのバンド。かなり不満と不安が残ったリハを終え、さぁ果たして本番どーなるか?てな事でピザなど喰ひながら本番を待つ。世界の裏側の、こんなでかいフェスティバルに、曲がりなりにも「日本代表」として出演する訳だが、緊張感は全くない。
1曲目、ワシのファズ・ベースのソロがフィーチャーされる「時の実」。演奏家生命をかけて挑んだこのソロで、満場の拍手を得る事が出来た。合掌してお辞儀。その後もワシは終始「東洋の神秘」を演出するやうな動きを意識した。まぁメキシコ人にどう写ったかはさて置き・・・。
90分。満場のスタンディング・オヴェーションによってキキ+リズマのライヴ終了。その後、ロビーでもサイン攻め、握手攻めに遭う。十時さんの唄に続いてワシのベースとヴォイスが高評価を得たやうで、ひとまづワシ的には成功。だが正直云って、ワシがこれまで手伝って来たキキオンの中では、けふの出来は良くなかった、と云ふしかない。とにかくPAが最低だった。何故か途中からモニターが全く聴こえなくなったり、ある曲などは最初ッから最後までづぅ〜〜〜〜とハウってゐたりした。
やはり今後キキ+リズマがスムースな活動をして行く為には、専門のPAオペレーターの存在が必要となるだらう。
それでも終演後のCDの売り上げや、メンバーへのサインやら握手やらの注文の多さは、ひとまづなんとか成功、と云っても良いのだらうな。
3日間に渡って行われたバハ・プログ2008もけふで最後。大入りの会場。歩いてゐるとあちこちから声がかかり、握手を求められ、一緒に写真を撮ってくれ、と云はれる。「ゆんベのお前は凄かったぞ」と云はれてゐるらしひ。「サンキュー」としか云へぬ自分がもどかしい。う〜む、やはり英語を習おう。
すっかり仲良くなったジャンラの面々と、最後の物販に勤しむ。けふは中庭の会場で、恐らく精霊への祈りを旨とする、メキシコの古いダンスの儀式がアトラクションとして行われてゐた。凄く面白かった。はっきり云ってそのあとに出たどのバンドよりも・・・。
大入り満員大盛況の昼会場も終わり、やはり最後のシアター会場へ。此所も満員。キキオンは、十時さんと佐々木さん二人によるゲリラ演奏で、最後のCDセールをアピール。ワシの「きねつき」も4枚ぐらい売れたやうである。言葉の通じぬ国で、いちベーシストが、さしたる宣伝もなくソロのCDを4枚も売ったんなら、由とすべきか。
最後の出演者も終わり、フェスは全て終了。我々は寝る間もなく、このままメキシコを発つ事になってゐる。国境越えのバスを待ってゐる間も、サインや写真やらを求められる。そしてバスは夜中の2:00にホテルを出発した。
国境越えの大渋滞に約1時間待たされ、アメリカに入国。そのまま夜通しハイウェイを走り抜けたやうで、明け方サンディエゴの空港に着いた。搭乗手続きをして、アメリカ式のやたらデカいハンバーガーで朝食。しばらく時間を潰し、プロペラ機(!)でロスァンジェラスに向かふ。この旅で世話になった色んな乗り物の中で、このプロペラ機が一番乗り心地が良かった。
ロスで日本行きに乗り換えてからは、11時間のひたすらに退屈な空の旅。映画を二本も見て、本も読み、寝ても、まだ飛行機の中。十時さんや佐々木さんと、初めてあんなに長くお喋りをした。まぁ収穫である。
そして日本時間31日の夕方、ようやく成田空港に帰還。ワシのベースは行きと同じく、ひとまづ無事で日本に帰って来た。しかしゲンタさんの荷物のひとつが未着。まだロスにあるらしい事が判明。初日の中来田さんのベースと云ひ、同じチームの同じ行程の中に、ふたつも荷物のロストがある、といふ事実。汎世界における活動に於いて、楽器の輸送はまだまだ多くの問題を孕んでゐるやうだ。てゆーかユナイテッド、マトモな仕事せぇよ。
ゲンタさん、佐々木さん、と一緒に車で帰る。途中SAでうどんを喰ふ。ワシは外国でまで味噌汁や米の味を求むるやうな人間ではない。大体が現地の人と同じ物を喰って、それで何の不満もない男だが、やはりうどんなぞを喰ふと、あぁ日本だ、といふ気がしみじみする。さう、日本に帰って来たのだ。
ワシらの3月31日は何処に行ったのだ?といふ気がせぬでもない。きっと飛行機の中に置いて来たんだらう。
けふは時差ボケ対策、の壱日。定宿吉祥寺にゐて、洗濯をしたり、飯を喰ひに外出するのみ。眠りのパタンがずたずたで、時差ボケなのか、疲れなのか、単に寝不足なのか、まぁその全部だらうが、づ〜〜〜っと眠い。
夜は涼子と、杉並在住の友人フリーライター小野寺と、もんじゃ焼きを喰ひに行く。人生初もんぢゃ。野菜たっぷり。関西以西の人にはとかく評価の低いもんぢゃ焼きだが、おいしいぢゃないの。
東京の兄貴分、BARAKAの依知川伸一さん宅に遊びに行く。MIDI鍵盤のプリセットの方法や、新しいエフェクターの使い方などを伝授する。ワシがかういふ事を伸さんに教えるたぁねぇ・・・。ついでにワシ独自のモード奏法について、ベースを弾きっこしながらレクチャー。伸さん『これって企業秘密ぢゃねぇのか?。いいの?俺に教えても・・・』まぁ、えぇですよ。
二人で歩いて深大寺まで行き、蕎麦を喰ふ。此所の蕎麦は美味い。けふは初めて熱いのを喰った。以前、知らない人のブログに『BARAKAの依知川さんと広島のシュウさん、二人のベーシストが美味いと云ふ深大寺蕎麦』云々と書かれてゐた事があるのを話し、笑う。伸さんとも、不思議な縁である。
お気に入りのハコ、国立は地球屋。ここで演らせてもらふのも何回目だらうか?。
けふは昨年秋のでらしねセッションでえぇかんぢだったヴォーカリストの岸川恭子さん。彼女の正規ユニットである「だるま屋」とのカップリングライヴ。打楽器×2、ヴォイス×2、とベース、といふ編成。これで4人色んな組み合わせで即興したり、唄ものやったりする。大変オモロい。特にドラムの町田浩明さん、アプローチが凄く変わってゐて、大変オモロい。こんなタイプのドラマーと演るのは初めて。
お客さんの入りはあんまり良くなかったみたいだが、「初めて見た」と云ふ人が感動してくれたり、あのトミ藤山さんも絶賛してくれたりして、内容的には成功。インプロ系のライヴをやるとCDの宣伝が出来ぬのが難点(MCしないから)。けふも宣伝し忘れて、売り上げゼロ。やれやれ。
町田さん、けふのライヴをすっかり気に入ってくれて、次回のワシの上京の際には、是非録音をしませう、といふ運びとなった。それはオモロいだらうなぁ。
終演後、ワシがちょっと気に入ってゐるバンド「ヴァルンク」のドラマーがお店に来てゐて、挨拶する。一緒に演れたらこれもオモロいだらうなぁ。
「微妙な鉄っちゃん」として以前から気になってゐた都電荒川線に乗りに行く。JR大塚駅から都電に乗り換へ、まづは早稲田まで。そこからもう方っぽの終点三ノ輪まで。「鄙びた町中をとことこ行く情緒ある路線」、と勝手な想像をしてゐたが、実際は、「平日の昼間からぎちぎち満員となる生活路線」であった。結構疲れた。
新宿まで出てCD屋を巡る。新宿は何度来てもうるさい場所だ。この街を見るとやはりなんとなく「人類は滅びる」と思ってしまふ。頽廃と混沌しかない街。
六本木で涼子と待ち合わせ、ブルーマン・ショウを見に行く。見事なエンターテイメント。ショウとしても完璧だが、音楽的にも素晴らしい。が、そのバックバンドの面子が日本人だったのを見て驚く。この国の音楽業界のピラミッドを見た気がした。
けふは、話を聞いて以来づっと出たかったイベント「ヤナカ・ヤガイ」の番外編。舞踊と即興演奏のコラボだ。浄名院は公称八万四千体のお地蔵さんが安置してあるお寺・・・と云ふか・・・・。良く分からぬ。名所として知られてゐても良いはずなのだが、地蔵(古くて脆い)の保護の為に、敢えて場所の明記は避けてあると云ふ。浄名院といふ名前にしても公式には「浄明院」と載ってゐる割に、実際の看板は「浄名院」だったり・・・。
この場所で、パーカス、セロ、笛、グンデル(ガムラン楽器)、ヴォイス、とベースが自由に奏でられ、二人の舞踊家が舞う。風が吹くと桜吹雪。盛り上がらぬはずはない。場所と、踊りと、それぞれの出す音に導かれ、1時間半に渡る演奏となった。
小野寺が取材を兼ねて見に来てくれてゐた。このテのモノには全く疎いと云ふ彼が、放心したやうな顔で『白昼夢を見たやうな感じがする』と云ってくれた。ただ、自分の演奏に関しては、やはり少し「我」が出過ぎてゐた、とも思ふ。「演奏が勝ってゐた」といふお客さんからの意見。それはけふの場合、褒め言葉ではないね。即興の難しさ、果てしなき!。
ツアーの最後を、このやうな演奏でシメる事が出来たのは幸せだ。このところ最終日があまり良くない事が多いので。
その後、舞踊の鈴木さん宅に全員集合して、東京ディープ下町めぐりを兼ねて打ち上げ。隣近所の人達が次々とやって来ては、酒を置いて行く。ワシは今夜発の夜行バスで帰るので、名残惜しいが途中で退場。素晴らしい経験だった。
ゲンタさんに東京駅まで送ってもらひ、ついに海外にまで共する事になった、この不思議な縁を噛み締めながら、固く握手を交わす。
所感
年に何度かの長いツアーをやるやうになって5年ほど経った。その、点と点を繋いで行くやうな活動は、やがて大きなリンクを生み出し、ついに今回ワシを海外にまで連れ出す事になった。この流れがここで終わるのか、それともここからさらに流れて行くのか、それは分からん。自分に分かる事など、ほとんどない、と云っていい。
予想もつかない流れを、「面白い」と思へるやうな人間ではありたいと、常に思ってゐる。
この流れにワシを導いてくれた全ての人と、事と、モノに、心からの感謝と祝福を。
グラシアス。
そして、アスタ・ラ・ビスタ。