春のツアー記 06 |
3月17日(金)---------------------------小倉ビッグバンド
晴天。am11:00に自宅を出発。3:00にZEKUのテーさんと小倉北で待ち合わせてゐるので、それに合わせ高速道路をのんびりと愛車「にっち」を走らせる。ここらの高速道路はほとんど風景が変わらぬので、走ってゐても全然面白くないな。
関門海峡を渡った処で高速を降り、1回渋滞に捕まるが、なんとかテーさんと合流。そのままけふの会場、小倉北区のビッグバンドへ会場入り。繁華街のど真ん中にあるビルの2階。場末のスナック、といふかんぢの店で、なんか好きだなかういふの。
けふはZEKUとワシのソロの2本立てライヴ。会場にはメンバーがもう来てゐてセッティングしてゐる。やぁやぁひさしぶりだねぇ、としばし再会を喜びあった後、リハーサル。ワシはこのメンバーで一緒に音を出すのはけふが初めて。ナオエちゃんと出口さんのリズムは相変わらずタイトにグルーヴしてゐる。
会場の雰囲気からワシが連想したのは、ここ数年で一番印象に残った小説、玄侑宗久著「アブラクサスの祭」であった。この物語の最後に、精神を病んだ主人公がライヴを行う地元の小さなスナック、まさに此所がそんなかんぢ。そこでの描写がイイのだ。そこで主人公はバンドメンバーにこう告げる。
「リハーサルはしない」 「瞬間を味わってくれ」 「音楽ではなく、音を」 「僕の歌に合わせるんぢゃなくて、それぞれが僕と一緒に『歌って』ほしい」けふのワシはそれで行こう、と決めた。
テーさんが時間を空けてくれたが、あえてサウンドチェックだけで済ませる。けふはこころのなすがままに歌ってみやう。まぁ演目を決めないのはいつもの事か。
ライヴは8:00スタート。まづZEKUで30分演奏。ワシが引き継いで1時間演る。
演目:こきりこ節/月の路/春/夜の駱駝/Tes de taz;/らのえてぃあ/君が亡くなって1年が過ぎた、の8曲。新曲2つを中堅と大将に持って来るラインナップ。「春」と「Tes〜」は今回のツアーでは演る予定はなかったのだが、演った。流れのお客さんが『なんと不思議な音楽を演る人やね』と声をかけて下さった。CD売れる。
後半は再びZEKU。暴れまくる。新メンバーのキーボード春田君は、仲々の腕だがちょっと頭でっかちかな?。訊けば音楽を始めたのが遅く、それを克服する為に、おそらくものすごく勉強して来たのだらう。それはとても立派な事だ。あとはもう少し「勘」を優先できるやうになればもっと良いプレーヤーになると思ふ。
初日、良いライヴだった。春田君と共にテーさん家に泊めてもらふ。
3月18日(土)---------------------------長門市ラポ〜ル油谷
雨。テーさんが作ってくれたペンネ・アラビアータで朝食。美味い!。しばらくまったりした後、近所のコンビニの駐車場で出口さんと待ち合わせ、けふの会場である油谷へ向けて出発。雨が降る中、この路を走ると、初めてツアーで九州に来た時の事を思ひ出す。岡山から低気圧と共に南下して来たワシらは、福岡でものすごい豪雨に見舞われ、博多どんたくを中止にまでした(テーさんに云わせると、この雨を呼んだのはワシだと云ふ事になってゐる)。あれから4年。テーさんも色々悩んでゐるらしい。
けふの会場となる油谷の方々とは、もうすっかりお馴染みとなり、ホームグランドに帰って来たやうな気さえしてしまふ。けふは、文化会館ラポール油谷のロビーを会場にした、サロンコンサートである。いつも対バンを演ってくれる「馬耳東風」は今回不参加。しかしメンバーの人達は、機材の提供から会場係まで、自分らが出演するかのやうに親身に手伝ってくれる。会場にはワシをモデルにした立派なポスターまで貼られてゐる。一体どうすればこの人達の恩義に報いる事ができるのだらうか。
恩義は演奏で返すしかない。
夕方、雨の中をお客さんが集まりはじめ、まづはZEKUがスタートする。完全にデッドだった昨日のハコに比べ、けふは自然残響が2秒以上。まるで洞窟の中で演ってるやうなリバーブ。ZEKUの演奏ではさすがにモニターしづらいが、これがソロとなればワシのイマヂネーションを刺激する。けふはこの町で初めて「キャメル」を演ってみた。
自然のリバーブを聴くやうに音を紡いで行くと、ロビーの果て、お客さんのシルエットの向こうに何かが見えたやうな気がした。スゴかった。テーさん曰く「これまでワシが聴いたお前の演奏の中でも心技体いづれもベスト」な演奏。あまり何を演ったか憶えてないが、多分演目は、キャメル/夜の駱駝/らのえてぃあ/君が亡くなって〜の4ツ。恩義は返せたかな?。CDも売れる。
メンバー、関係者に別れの挨拶をして、ワシはひとりこの町のホテルに泊まった。駅の近く、と云ふより、駅の構内にある「長門市ステーションホテル」といふ、戦前から建ってゐるかのやうなレトロ&クラシック、ハッキリ云ってとてもボロいホテル。『風呂は24時間いつでも入れます』と云ふ事だったのでそれはイイ、と思ってゐたら、なんと家庭用みたいな風呂場が2ツあって、宿泊客は勝手にお湯を入れてお入り、といふ事だった。中途半端にデカい浴槽で、お湯が貯まるのを待ってゐたら朝になりさうだったので、シャワーだけにした。どうせ明日は帰りがてら湯野温泉郷に寄ろうと思ってゐるので。
3月19日(日)--------------------------------湯野温泉
夜中にものすごいうるさい集団が帰って来やがったお陰で、あんまり深い眠りにはならなんだ。チェックアウトしやうとフロントに行くと誰も居ない。『恐れ入りますが出払っておりますのでカギはこちらにお返し下さい。またの御利用をお待ちしております』とはり紙。気楽なホテルだ。
地図を頼りに湯野温泉郷を目指す。デカい観光ホテルはいっぱいあってすぐに分かるのだが、ワシが求むるは「外湯」なのだ。地元の人達が日常的に使ってゐる、銭湯のやうな風呂。それでないといかん。 ち〜さな町のほそ〜い路地を何度も行き来してようやく「大衆浴場」を発見。 ¥140払って地元のお年寄りたちと一緒に温泉に浸かる。 ぬ・・・・ぬるい。 源泉自体が熱くないのだらう。ワシはもともとあっつい湯が好きなので、これはちょいとぬるすぎるのでは・・・・?と思ってしまふ。しかし首まで浸かると(仲々深い)、まるでちょうど服を着てゐるやうなかんぢで、何時間でも入ってられさうな湯である。はぁぁぁぁぁ、いいねぇ。 |
天気は良いが肌寒い。ツアー後半戦がスタートした。今回は関西のハコが予約できなかったので、一足飛びに東京へ。国立駅でパーカッションのゲンタさんと落ち合う。広島では咲いてゐない桜が、東京で満開。桜並木で有名な国立はちょっとすごい事になってゐる。ホンマに桜のトンネルみたい。ここからちょっとはずれの処まで足をのばした所が「谷保」で、ここのさらにちょっと裏の方に「かけこみ亭」がある。ゲンタさん曰く『ヒッピー左翼系ライヴハウス』。分かるやうな分からんやうな・・・・。
会場入りしてみると、店は開いてゐるし、電気も灯いてゐるのだが、誰も居ない。セッティングして音出ししたりしてゐても、誰も来ない。そのうちドレッド頭のお兄さんがひょろっと入って来て「店の人かな」と思ったが、違うらしい。上の階に住んでる、みたいな事を云うてゐるが、だれですか?。そのうちなにやらぽつりぽつりと人が集まりはじめたのだが、だうも、そのどれも店の人ではないらしいのだ。ヌ〜〜〜〜〜ム、想像以上にスゴい店のやうだ。
なことやってるうちにようやく店のマスター「ぼけまるさん」が現れる。『あぁキミがシュウくんですか、勇造から聞いてますよ』とおっしゃる。ワシの唄旅の大先輩、京都の吟遊詩人豊田勇造さんが、つい1週間前にここでライヴをやったさうな。なるほど、で、勇造さんの曲を演ることにする。
予想通りとてもアバウトに「そろそろ演りましょか?」みたいなかんぢで先攻の「さっちゃんと矢野忠」のライヴがスタート。ボロボロのギターをかき鳴らしながら、ぶっ倒れさうな勢いでシャウトするさっちゃんを、ギターの矢野さんが適格かつ冷静にサポートする。
なんでもこの「さっちゃん」、自衛隊官舎にイラク戦争反対のビラを貼って逮捕された、といふ経歴を持つ女性シンガー。なるほど「左翼系」である。唄もそんなかんぢ。しかし、主張とライフスタイルに矛盾がないから、かういふ唄もすんなり心に入って来るのだ。かういふ人を見るとつくづく思ふ。街角で『みんながんばれ〜』とか歌ってゐる若造どもよ、まづ、お前らががんばれ、と云ふ事だぁな。
後発のワシらは、ベースとパーカスだけで唄ものを演る、といふ初の試み。敢えて綿密なリハはやらずに、ゲンタさんには『唄の心のままに叩いてほしい』と伝えた。さう、小倉でも思った「アブラクサス〜」のアレだ。今のワシはホンマにかういふことを演りたいのだ。単純に、シムプルに、「芯」を演奏する。言葉も、主張もない、ただ音としての音楽。
演目:花の都ペシャワール/いざよひ/夜の駱駝/こきりこ節/月の路/春/らのえてぃあ/君が亡くなって1年が過ぎた/丘にのぼる時/家路、最後の2曲はアンコール。常連らしいお客さんが異様な盛り上がりを見せ、なんか異様なライヴだった、が、なにか見えた気がする。何度か見てくれてゐるファンの方が『こっち(ベースで演る事)の方が唄が届く』と云ってくれた。確かな手ごたえあり。
谷保から近い分倍河原といふ処のホテルを予約した。東京では初めてホテルに泊まる。
4月1日(土)------------------------------------リハ
仲々居心地が良いホテルである。元々はウィークリィマンションスタイルのホテルで、長期滞在も出来るやうになってゐる。無理だらうけど試してみる価値はあるな、と思ひ、滞在延長を頼むが満室にて却下。居心地の良いホテル=人気がある、と云ふ事なのだね。
ぶらぶらと歩いて駅に行く。マクドで朝飯。ワシは決してマクドが好きな訳ではないが、¥400でコーヒー付きの食事が採れる、のと、まぁ何も考えんでいい手軽さから、マクドで食事を済ませてしまふ事が多い。ホンマは良くないんだけどね。
さて、昼過ぎまで独りで時間を潰し(スタバで読書&公園でカラスと会話&駅前でガールヲッチング)、ゲンタさんと調布駅で落ち合ふ。けふはキキオンの小熊&十時夫妻の和子に謁見す。カワイイ。男の子みたいだが女の子。抱かせてもらったらほのかに笑ってくれた。
夜は超絶ヴァイオリンの壺井彰久くんとのセッションのリハ。仲々すごいリハだったが、事情があって書けない。
4月2日(日)-----------------------------------国立地球屋
昨日まで暖かく晴れてゐたが、けふは曇り空。夕方から雨になると云ふ。ゆんべは吉祥寺の定宿、川島&涼子のアパートに間借させてもらった。もうコイツらも良い歳だし、いつまでも世話になるのもアレなので、前ほど気楽に『泊めてくれや』と云へなくなったかんぢがする。やはり次は本気でウィークリィ系の住処を考えるかねぇ。
さて、その涼子にスタッフをお願いして国立はお馴染みの地球屋へ。けふの対バンは、スパンキー・クアーノ、といふソロパフォーマー(日本人)。ちょっと前にネットで知り、ギターにループをかまして演奏するスタイルにシンパシィを感じて、タマタマ何かで同席したゲンタさんに対バンのオファーをお願いしたもの。タタミぐらいのスペースをえへくたーが占拠してゐる。派手なテクニックを見せつける、といふのではなく、ミニマルなかんぢ。意外に美しい音楽。途中MCで『新曲演ろうと思ってたんですけど、(えへくたーの)何処にプリセットしたか忘れてしまいました』と云ってウケてゐる。そのせいもあったのか、わずか40分で終了。
ワシらは壺井君のオリジナルと、ワシの昔のインスト曲、に唄ものを混ぜて演る、といふ演目。珍しく壺井くんがヴァイオリンの弓を落っことす、といふハプニングもあってオモロかった。内容は、まぁほぼ完璧。何度でも思ふが、ホンマに凄いミュージシャンである。ワシも久々に『技巧を楽しんだ』演奏。 演目:キャメル(ワシのソロ)/砂の位相/月の路/春/Dizzy brank/TONO/ルワンダ、これでも1時間半の熱演。いやぁ盛り上がった盛り上がった。雨にも拘らずお客さんも大盛況で、CDもDVDも良く売れる。 地球屋はもう3回めの出演。今後も出来れば毎回出演したい店。この春の東京での演目はけふでおしまい。回数は少ないが双方とも「濃い」内容だった。前回に引き続き全日程に足を運んでくれたお客さんが2人もゐた。ありがとう、と云ふ言葉以上の感謝の表現があるなら、それを教えてほしい。ほんたうにありがとうございます。 |
雨に煙る夜の桜並木を帰る。ゲンタさん、今回もお世話になりました。壺井くんもありがとう。あ、涼子もありがとう。この日CDがたくさん売れたのは、キミが売り子をやってくれたからかもしれぬな。
4月3日(月)-----------------------------------オフ
ゆんべは旧友である、杉並区在住のフリーライター小野寺隆行のところへ泊めてもらった。ライヴ後の遅い時間に押し掛けたにも関わらず、酒とつまみでもてなしてくれ、am3:00ぐらいまでなんやかんや喋りながら飲んでゐた。
この小野寺、最近知り合いの編集者達と共に、『VOICES』といふ新しい冊子を立ち上げたらしい。まだフリーペーパーのやうな状態だが、多種多様な対象者への突っ込んだインタヴーなど、仲々に硬派な雑誌、といふかんぢだ。彼なりに真剣に、これに賭けて行こうとする気迫が見える。ものを書いて銭を貰ふ、さらにはそれで喰ってゆく、といふ行為は、恐らく我々が想像してゐるより遥かにシビアーな世界にちがいない。
少し太りはじめたこの友人の、ライターとしての未来を、願わずにはおれない。
てな訳で、新冊子『VOICES』。置いてくれる店や配付してくれる所を捜してゐるらしいです。ライヴハウス、カフェ、ブチック、クラブ、御応募ください。
夜は川島&涼子と久しぶりに(初めて?)飲みに行く。彼等も色々と悩んでゐるやうだ。聞けばコイツらももう24歳!。ワシがこの路に進もうと決心した時期と同じだ。この二人には「VOICES」評判良い。小野寺、この辺がターゲットかもよ。
4月4日(火)-----------------------------------名古屋リトルビレッヂ
これまでは東京に行く途中で、関西〜中京と回る事が多かったが、今回は東京の帰りに名古屋に立ち寄ってライヴす。気分的には今回のが楽だな。旅先にしては珍しくすこし寝坊してしまひ、慌てて東京を出発。意外に、といふか不条理に高い新幹線の切符を握りしめてこだまに載る。
名古屋駅に迎えに来てくれた元オルカ団のマミ(key)と落ち合ひ、飯へ。づっとマクドだった、みたいな事を云ふとマミが『みそ煮込みうどん』を奢ってくれた。美味い。とかく評価の分かれる名古屋名物料理であるが、ワシは好きだがや。
さて、前回も春のツアーで立ち寄り、自他共に素晴らしいライヴが演れた「リトルビレッヂ」。マスターもその後広島に来てくれたりして、顔馴染みのかんぢ。こぢんまりした店で、でも良いんだなぁここって。
けふはマミに手伝ってもらって懐かしのオルカナンバーを幾つか演る。たぁ云っても此所名古屋にオルカ団を知ってゐる人はほとんど居らぬ訳で、まぁ新鮮味もあるセッションてかんぢやね。カウンターが埋まれば満足、と思ってゐたが、開演時間には椅子が足りなくなるぐらいのお客さんが集まってくれた。前回のライヴを見た人が、かなり宣伝してくれたらしい。嬉しいなぁ。ありがたいなぁ。感謝、感謝、感謝、多謝、多謝、多謝。
演目:こきりこ節/月の路/春/千年刻みの日時計/刹那の季節/みち/カプチーノ(以上1st)。花の都ぺシャワール/おぢさんの話/君が亡くなって1年が過ぎた/夜の駱駝/らのえてぃあ/丘にのぼる時/忘れないで/家路(以上2nd)。「家路」はアンコール。
たっぷり演ったねぇ。自分でも満足。終始リラックスして演奏に集中でき、すげぇ楽しかった。お客さんがほんたうに満足してくれてゐるのが分かる。こんなライヴはほとんど経験した事がない。素晴らしい。CDも完売。ありがとう名古屋!!ありがとうリトルビレッヂ!!ありがとう皆さん!!。
打ち上げはマミはじめ、企画に携わってくれた友人達と、また名古屋名物「手羽先」。あと「小袋」と「台湾ラーメン」も喰った。
4月5日(水)-------------------------------------帰広
ゆんべは駅前のサウナ&カプセル、てぇのに泊まった。旅慣れたふうを気取ってゐるが、ぢつはカプセルに泊まるのは初めて。しかも見栄張って店員に訊ねたりせんかったので、最初はどーやってカプセルに入るのかも分からんかった。なんとか壁の注意書きなどを読みつつ納得。フロにも入って汗を流す。かういふ処は飲み過ぎて家に帰れなくなったサラリーマンとかが来るらしいね。ここにもロッカールームで行き倒れて、背広のまま寝てゐる人がゐた。
閉所恐怖症の人には辛いかもしれぬが、狭い所に納まってぢっとしてるのが好きなワシには、非常にリラックスする空間である。テントに寝る感覚に近いのか。カプセルルームは静かだし、自由にフロもサウナも入れるし、荷物の管理さえしっかり出来れば、これで¥3000ちょっとなら十分なんぢゃないか?。カプセルを泊まり歩くツアーてのもいいなぁ。
ただ、『早よう出ていけ』と云わんばかりに、『おはようございます!当店はフロは午前9時までとなっております。御入浴の方はお早めにだうぞ!』とか、『チェックアウトは10時となっております。お忘れ物のないやうに!』とかいふ放送を、8時ぐらいから流しやがったのには参った。まぁ慣れた人もゐるもんで、ホンマにギリギリまでカプセルから出て来ぬ人もゐたけどね。
------------------------------------------------------------------後記
春のツアーが終わった。 強行軍で心身ともにくたくたに疲れた去年のこれに比べれば、今年は上々である。気分もいい。また新しい次のツアーへ向けての気持ちも沸き上がってゐる。 何よりも、手伝ってくれた多くの人達の、大きな力を感じずにはおれない。あの人達のお陰で、ワシは音楽が演れてゐるのだ。 バンドを離れ、個人としての自分の心と問答をしながら、この1年活動して来た。なんとなくだけど、自分なりの納得が出来たやうな気がしてゐる。疲れても、寂しくても、無理っぽくても、今の自分にこの方法しかないのなら、これで頑張りとおすしかないのだ、と思ってゐる。 |
ワシは「遠く」ありたい。
世間的に皆がなんとなく目指してゐる「高み」には興味が持てない。
遠く、誰からも遠く隔たった所からなら、一番てっぺんも見えるだらう、と思ってゐる。
そして、その場所は、おそらく、数人も立つ事が出来ない「高み」よりは、づっと広くて自由なんぢゃないか?と思ってゐる。
旅で出会った全ての人に、関わった全ての物事に、帰りを待ってゐてくれた人に、旅で生まれたこの詩を捧げます。
この旅が終わる頃 季節も変わるだらう そして道はまた巡ってゆく 声が聴こえるかい 唄が聴こえるかいらのえてぃあ/Wrote 2005.april
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