6月


1週目

1日(金)-----------------------------------------------------------------------------------

専門学校→ライヴ、といふアクティヴな金曜日の典型。けふは「ミミリコ学習発表会」と銘打ったライヴにゲスト参加。

クラシック古典を弾くりこや、リコーダーを吹くミミなど見れて、なかなか新鮮だった。まぁさういふ「学習発表会」な訳やね。ふたりとも悪いモンでも喰ったみたいに緊張してゐたが、それを上手くまぜっ返すやうなかんぢでKYなベース弾きのニッチを全うした(笑)。

りことワシの共作となる「みんな月を見てゐる」の初公開。ピアノ渋谷次さんとリコの鍵盤ハモニカ+ワシのベースと唄、によるアンサンブルで、見事な楽曲に仕上がったな。退廃的な歌詞と琉球音階が絶妙なマッチングで、りこ的にもたいへん気に入ってゐるといふ。今後ワシのレパートリィとして使わしてもらおう。

ソロコーナーを貰ってゐて、リハの段階まで「らのえてぃあ」を演るつもりでゐたが、フイに小細工なしのベース弾き語りを演りたくなり、本番ではハシケンのカヴァーで「凛」を演った。

終わってみれば良いライヴだった。

さう云へば今朝、洗濯物を干さんとしてゐて、右膝を窓枠に「家が揺れたんぢゃないか」と云ふくらいブツけた。痛いっ。今年で一番痛い。今もたいへん痛いのだが、本番中は「何でけふは膝が痛いのだらう」と思ってゐた。人生は万事そんなものなんだらうな。明日は多分腫れるだらうなぁ・・・。まぁ休みだからいぃや。

2日(土)-----------------------------------------------------------------------------------

1991年に朋友数井政彦と共に作った、「Gambol allay」といふアルバムのデヂタル音源が発掘されたのを、カズイにダビングしてもらった。ヴァネッサで初めての本格的レコーディングだったハズ・・・。今聴いてもすんげぇ重厚なシンフォニックロック+時々ファンキー、なサウンドで、かなり良い。当時はまだ二人とも唄が弱くて、そこが惜しいっちゃ惜しい処かな?。でもしかるべき出し方をしてたら・・・とか考えてしまふ位、出来は良い。

1991年=25歳 。人生で一番カネの無い頃(無職)で、日記帳を買えず、人生でこの壱年だけ日記を書いてない。ので、当時どんな気持ちでこの録音に取り組んでゐたかは、もう分からんな。それまで演ってたR&Bのバンドがポシャりはじめた頃で、それなりにこの録音に賭けてゐたやうな気はする。

自分としては初めて、愛や恋やに触れずに歌詞を書けるやうになったきっかけの作品集ではあるが、今読んでみればまだまだ説明臭いね。言葉も多いし・・・。

3日(日)-----------------------------------------------------------------------------------

懐かしい音源に触れたせいか、いきなり創作アンテナが動き始め、昔しーなさんが書いてゐた「みみずく時計」といふ歌詞をヒントに、10分で新曲『みみずく時計』が仕上がった。けふはちょうどスタヂヲに入ろうと思ってゐたので、MTRを持って行き、色々録ってみる。

元生徒が勤めてゐる楽器屋で購入したタスカムのMTR、仲々のスグレモノである。まるで『ラヂカセで録るやうに』気軽に録れる。良い買い物だったね。

4日(月)-----------------------------------------------------------------------------------

昨日録音した音に色々重ねて行く。数曲を併行させながら順調に進んでゐたら、『Card full』といふ表示が出て停まりやがった。あ"〜かういふのも無尽蔵、て訳ぢゃないのだね。ぢゃあナニ?、これ以上録らうと思ったら、もう壱枚カードを用意せなアカン、て事なのかね?。

夕方からゆるゆるアフリカノスのリハ。相方のふじたよーこチャン、ループに合わせるのが上手い。これ、意外にロックやジャズ系のミュージシャンて、苦手な人が多いのだ。元々自分が出してたビートが再現されてる訳だから、それに合わせられない、てどぅよ?とか正直思ってしまふけど、まぁ一定のビートだけが「良」でない事もよく知ってるつもりなので、そこは・・・ね。

でも、よーこチャンのやうにアフリカで本格的に学んで来たヒトが、このテクノロジィにバラフォンを上手く溶け込ませてゐるのを見ると、やはり「う〜む」とか思ってしまふなぁ。実際、彼女はループに乗って素晴らしいビートを出すし・・・。ロック系、もちっとガンバって欲しい・・・・かな。

5日(火)-----------------------------------------------------------------------------------

その、ゆるアフ、のライヴ。

マナフォラアフリカ、といふオリヂナル切り絵紙芝居&音楽のユニットのホストを務める。いかにも「アフリカ大好き」てなかんぢの若者二人(男女)のデュオ。まぁよーこちゃんも似たやうなかんぢなので(笑)、けふはワシだけが異分子っちゃ異分子。せめてカッコだけでも・・・とよーこちゃんに泥染めのアフリカ衣装を借りる。

そのライヴですが、凄かったね。ゆるアフでは5回目くらいのライヴになるのかな?。よーこちゃんの進歩、といふかハジケ具合が目覚ましく、けふなどワシが逆に押されてしまふやうな素晴らしいイキっぷり。長くウチを見てくれてゐる友人からも同意見。いや〜なんか立派な「ユニット」になりましたねぇ。お客さんもよぅウケて良いライヴ。

マナフォラ〜は、紙「芝居」として見ると、正直ちょいと微妙な部分があったが、総合的なパフォーマンスとしてはオモロいものだった。オリヂナルの切り絵も美しい。音楽はもぅ完全に「ホンマもん」なので、その素晴らしさは云はずもがな。みんなギニア語(?)でばんばん唄うんだなぁ。セッションにも呼んでもらひ、なんか自分が感じるままにベース弾いたが、喜んでもらへたやうで嬉しい。

アフリカ音楽、は知らぬが、アフリカ出身の好きなベーシストは結構ゐる。その人達を聴いて、なんとな〜くの「アフリカ感」を知ってゐただけでも、まぁ違ったんだらうね。かういふ未知の音楽のセッションて、『それは違う!』と云はれさうで仲々コワいんだけどね(笑)。

けふはまぁ、半分企画者として参加した、といふライヴだった。近々また演りませうね〜と打ち上げ。

6日(水)-----------------------------------------------------------------------------------

資料捜しに古いVTRを探ってゐて、2001年のTV番組録画が出て来た。

2001年!。たった11年前の事を思ひ起こしてみるだけでも、隔世の感禁じ得ぬ。世の中のこの変化はどぅだ!?。

あの頃ワシはなにしてたっけな〜。川辺の古いマンションに住み、ネット生活を始めた頃。初めてバンドでツアーに出たのも、だいたいこの辺だ。その頃喰ったラーメンの味、とか、飲んだ酒の事とか、書いた曲の事とか、細かい事は昨日のやうに思ひ出せるのに、おおまかに『なにをしてた こんなかんぢだった』と云へないのは歳のせいなのかね?。

はぁ〜・・しかしまぁこのかんぢぢゃあ、あと10年なんざスグだなぁ。

7日(木)-----------------------------------------------------------------------------------

ニットキャップマン」といふ唄があって、これをワシは「フジオさん」といふ曲だと勘違いしてゐた。これをしーシュでカヴァーせんとす。

矢野顕子のヴァージョンが有名らしひが、ワシ矢野さん苦手なので・・・。なんと大元はムーンライダース。印象的な歌詞は糸井重里によるものだった。フツー歌詞の中で「死んでゐた」なんて言葉、禁じ手だと思ふのだが、これは見事。コミカルなのに、泣かせる唄である。

ツイデに古い唄を捜す。ついったーにも書いたが、見つけた!。大友裕子の「漂流」。荒々しい歌唱と特異な美貌、唄い出しの『聞け』といふ歌詞が仲々強烈な、これの大元は谷山浩子。これまた谷山さんの歌唱ってワシ苦手で・・・・(苦笑)。まぁ声質や雰囲気もあらうが、大友裕子のヴァージョンの方が格段にスケールがでかい。

これ映画の主題歌なんよな。実話をベースにした昔の日本人の離島(鳥島)サバイバル物語だった。映画も悪くなかった(今となっては超豪華俳優陣!)けど、この唄の印象の方が強い。いや〜、聴けて嬉しい。

8日(金)-----------------------------------------------------------------------------------

ボブ・ウェルチが自殺、といふニュゥスから、フリートウッドマックを調べる。

超有名なグループなのに、てゆーか、だから、なのか、ワシこのグループにつひてほとんど知らん。ただ、アメリカでポップバンドとして成功するまでは、元々ブルース演るバンドだった、て事ぐらい。ボブはそのちょいと後のメンバー。バンドの母体がリズム隊で、フロントマンの個性で色を変える、といふバンドだったみたいやね。

ワシがライヴのVを見た事があるのは、所謂「全盛期」と呼ばれる頃で、バンド内にヴォーカリストが3人存在した、ていふ時代。リンジー・バッキンガムの指弾きギターのソロが凄くて、『意外にロックぢゃんか』と思ったのを憶えてゐる。勿論、フリート〜の代名詞とも云ふべき、アイドル並みの容姿を誇ったスティーヴィー・ニックスの艶姿も・・・。

で、この二人、元はカップルで、「バッキンガム・ニックス」といふデュオとして鳴かず飛ばずだったさうな。リンジーがフリート〜に引っこ抜かれた時、『彼女も一緒ぢゃなきゃヤダ』と云ったやうで・・・。結局まぁこの二人が入ってこそ、のあのバンドの成功、と云へもする訳だな。

して、そのバッキンガム・ニックスの唯一のアルバムジャケットは、二人がハダカで寄り添ってる写真で


2週目

9日(土)-----------------------------------------------------------------------------------

ソロ「営業」の練習の為にスタヂヲ入り。ん"〜〜〜〜レパートリィが少ないなぁ。考え過ぎなのかもしれんが、もちっと気の効いた唄たちを演りたい気がしてゐて・・・。ギターもまだまだ練習が要るしねぇ。ん、何事も継続だ。まづは継続を打ち切られぬやうに努力すべし、やね(苦笑)。

音楽歴35年めにして「歌い手」として認知されはじめてゐる、といふ現状をオモロく思ふ。自分としては今までとそんなに違ってないつもりなのだがねぇ。

いや・・・でもアレか・・・。今年に入ってすぐ『今年はシンガーとしての飛躍を謀る』と考へたか・・・。10月に予定してゐる「バックバンド+ワシ」を思ひついたのも、その為だ。てーことは、割と思惑通りコトが運んでる、て事なのかな?。ふ〜ん。

土曜日の昼間にスタヂヲ入りす、といふのはなんとなくイイ。弁当など持ち込むも良い気がす。まぁ独りだから地味なモンだが・・・。

10日(日)-----------------------------------------------------------------------------------

女房とともに大阪に遊びに行く。年に壱度、関西のイグアナ飼育者同士で飲み会をやるアレ。楽器を持たぬ旅は久しぶりだ。バスに乗るたびに『なんか云われるんチャウか?』とびくびくせんで良いのは良い。大手を振って乗り込み、大阪へ。

職業も年齢もバラバラ(てゆーか不明)の怪しい集団が、ホテルのヴィップルームを借りての宴会。よく喰ひよく飲む。みんなイグアナ仲間ではあるが、いつもワシが大阪に唄いに行くと見に来てくれる友達でもある。みんな「次はいつ来るの?」と訊いてくれる。嬉しいね。落ち込んでないで旅を続けんといかんね。

一次会も豪勢だったが、二次会で行った「ハイボール・バァ」が良かった。たくあんの燻製、超美味!。

11日(月)-----------------------------------------------------------------------------------

結構たっぷり飲んだ(16時〜22時)が、割とすっきり目覚め。

けふは女房とふたりで大阪海遊館へ。階層に分かれたデカい回遊水槽は、日頃ジンベイザメが目玉らしひのだが、けふは休みださう(何処で休んでるのだらう?)。その代わりの何が凄かったと云って、イワシの群れ!。係員に訊ねたところ「5万匹」ゐるらしいその小魚の群れが、一つの生き物のやうに瞬時に姿を、進路を変える光景は圧巻!。見物として、これに適うものナシ、といふかんぢ。我を忘れて見入ってしまってゐた。いやースゴい。

あとは大観覧車に乗って肛門を開いたり、日本でいちばん低い山、に登ったり、まぁ夫婦の旅行的な観光をして、やはりバスに乗って広島へ帰還。夜は家の近所の居酒屋でちめたいビールを飲んで、旅行の打ち上げとす。よいレヂャーであった。

12日(火)-----------------------------------------------------------------------------------

カネを使って遊んだ後は稼がなきゃ、ね。といふ訳でもないが、仕事。専門学校と個人レッスン。その合間にソロ練習。

ソロ営業の自分なりの「売り」として、よく知られてゐる英語のナンバーを、日本語で唄う、といふのはどうだらうか、と。既にいくつか演ってゐる事だが、それを専売としちゃどーかな?と思ふ。翻訳、ではなく「意訳」----ほぼ替え歌に近くまで、日本語の詞で唄うのだ。まぁ全曲すぐには無理だが、まづはそのアプローチでやってみやう。

まぁそんな事を考へるくらい、この仕事のニッチを重要に捉えてゐる、と(笑)。

13日(水)-----------------------------------------------------------------------------------

頸や腰が痛かったりするのが、経年劣化なのか、こないだの事故のせいなのか、判断しづらい。

考へてみれば幼少期からの度重なる事故や怪我で、あまりマトモな部分が残ってない身体ではある。左手の神経切断、頭部打撲、ギックリ腰、右膝複雑骨折、火傷による皮膚移植、頚部ヘルニア、めまい、こむら返り、老眼・・・・。どれがどれの後遺症なんだらうね?。まぁいづれにしたってアガいても仕方ないのだ。悪い遊び友達だと思って、付き合うさ。

なんか以前にも増して、刺青を入れたくなって来てゐる。

14日(木)-----------------------------------------------------------------------------------

オリエンタル・ホテル、ニューヨーク・カフェにてソロ営業。こないだのはトラでの出演だった。が今回は月イチレギュラーとしての初仕事。朝からどーも身体の調子が悪い、と思ってゐたが、どーやら珍しく緊張してゐた様子(苦笑)。情けなや・・・・。

ライヴ枠は椎名さん&フライデーの時と同じ、30分ステージを3回。1ステージに8〜9曲。ライヴとは違って、お客が『絶対に聴いてゐる』訳ではない、といふ独特の空間。これがなかなか・・・・・。まぁなんとか演り切りました、といふかんぢ。そこそこウケたし、帰る時にわざわざ『素晴らしかった』と云ってくれる人もゐた。お店の人にも好評。は〜、まづは安堵。

これからこれがワシの月イチの「仕事」となる。更に複雑な状況も起こりうるだらう。鍛えて行かねば、ね。心も身体も。

15日(金)-----------------------------------------------------------------------------------

専門学校。授業の終わりが10分ほどたいへん中途半端に残った。ので、生徒のリクエストに応えてソロパフォーマンスしてやる。レッスンはライヴだ。

夜は居酒屋椎修。いつも使ってゐる生麺パスタがなかったので、けふはなんか細いストロー状(中に穴が空いてる)の乾麺パスタを使った。これがたいへん使い辛かった。これはもぅやめやう。あとは名物サバ・だ・えせニック。けふは来客数は多かったが、料理を注文する人が少なくて、だいぶ売れ残ってしまった。飲食業はこれがなかなかネックだなぁ。

けふのライヴテーマは「雨」。タイトルや歌詞に「雨」が付いておれば良い、となるとワシはオリジナルだけで5曲以上ある。ので、けふは潔く全曲オリジナルで勝負。「雨」「雨のハイウェイ」「雨が降りやめば」「あじさい」、しーなさんは「雨の日曜日」「雨」「冷たい雨」などなど。考えてみれば古今東西「雨」がテーマの曲って、ホンマにいっぱいあるねぇ。使い易いキィワードなんだらうな。

けふもなかなか好評だった居酒屋椎修。オー、なんか人気が続いてゐるぢゃぁないの?。ワシらの狙いは当たってゐる、のかな?。


3週目

16日(土)-----------------------------------------------------------------------------------

一昨日の話。北九州のテーさんから電話。色々話した後の会話。

テーさん「ワシ明後日庄原(ライヴ)行くんよ」
ワシ「あ、さうスか、誰と?」
テーさん「いや〜、誰も『行かん』云ひやがるけぇ、ワシ独りよ」
ワシ「あ、ワシ土曜日空いとるんぢゃけど、行こうかな?」
テーさん「マジか?」
ワシ「うん・・・行ってもえぇ?」
テーさん「ほらぁ来てくれりゃ助かるが」
ワシ「あ、ぢゃあ行くわ」

てな訳で、急遽、テーさんこと村岡達也の庄原遠征に同行する事になった土曜日。庄原と云へば「すけあくろう」である。しーシュ+スクーターズで2010年の11月に行って以来。雨の中、テーさんの車で約2時間の旅。

けふは元々、すけあくろうのマスター多賀佑司さんの新バンド「悪あがき」と、テーさんのソロを中心に、地元のミュージシャン達とのセッションも交えて、といふ事らしひ。そこにハマらせてもらった、といふかんぢ。テーさんとのデュオは勿論、ソロやセッションにも参加する。このセッションがちょっと他ではない、ちょっとしたモンでしたよ。

まづ多賀さんから『こきりこ節が聴きたい』といふリクエスト。これに応えてドラムの藤川アニキとデュオで、バトル系のこきりこ節(笑)を。そいからアイリッシュ・バウロンを叩く女子大生かがりチャンと、えせアイシッシュ・セッション。この娘がかなり「イケる」口でありました。バウロンの他にも、笛やギターもこなす若手実力者なのださう。オモロいね。

続いて昌玄和尚(本物の僧侶)と、藤川アニキ、テーさん、多賀さん、ワシ、の般若心経セッション(!)。これは凄かったな〜。ホンマもんの読経にフリーに他楽器が絡んでロックになって行く様は圧巻でござった。

テーさんとのデュオ、藤川アニキを加えてトリオ、と続き、最後は全員セッションで盛り上がった後、アンコールにテーさん唄ワシギターのデュオで「忘れないで」を演ってシメ。急遽参加させてもらった、といふには贅沢すぎる、素晴らしい遠征だった。

ココロも身体も、フットワーク軽く、流れ往ける身でありたいものだね、つくづく・・・。

17日(日)-----------------------------------------------------------------------------------

シュウ+サンディのリハ。楽器を弾かずに唄う、といふ事の難しさよ。おぉ、このライヴもこの週末ぢゃないか。

リハに続いて、この夏のツアーやその他企画ものにつひてのミーティング。気がつけば6月も半分、完全に壱年の折り返し。

18日(月)-----------------------------------------------------------------------------------

フリートウッド マックのDVDを見る。全盛期のメンバーによる97年リユニオン・コンサートの模様。

こないだも書いたやうに、ワシはこのバンドの事よく知らんのだが、流石に世界的な成功をおさめただけの事はあるヤツらのライヴやね。22曲飽きさせずに聞かせる見事なパフォーマンス。演奏の上手さもさる事ながら、やはりタイプの違う3人のリードヴォーカルを、それぞれフィーチャーした曲のバラエティは、他の追従を許さぬ完成度。見事だねぇ。

この時49歳のスティーヴィー・ニックスは、その美貌ほとんど衰えておらずカワイイ。いちいちリンジー・バッキンガムと濃厚に見つめ合ふのがウザい(笑)が、まぁかつては恋人同士でありながら、バンドの成功とともに険悪な関係となり破局。壱時期は公的に歌詞の中でお互いを罵り合うまでになった(らしい)ふたりが、今かうして此処に・・・てコトだからまぁそれぐらいは許そう。

「お互い、色々あったねぇ」。ヒトとヒトの関係、てのぁ生きてゐる限り変わり続けるモンなのだ。

19日(火)-----------------------------------------------------------------------------------

専門学校→スタヂヲ入りして「吟(ギター弾き語り)」練習→レッスン→しーなさんとこでしーシュのリハ。

フとそんな気になって、改めてデフォー著「ロビンソン・クルーソー」購入。ワシの『読書事始め』の壱冊なのだよ。児童文学、として読んだ過去の記憶と照らし合わせる楽しみ。既に解釈の喰ひ違う部分あり。当時は時代背景など気付く術もなかったが、これ1700年、とかそんな時代に書かれた書なのだねぇ。

20日(水)-----------------------------------------------------------------------------------

専門学校の同窓会ライヴ、があるのに出席。

広島に住んでおりながら初めて乗る路線の電車で小30分。海岸端に建つえれぇバブリーなライヴハウス。すげぇデカい。スタンディングで700は入るらしひ。もういっぱしのホールぢゃないか。こんなアクセスの悪い所にこんなん建てて、どーやって採算とってるんだらうか?。

卒業生を中心にした、現役で活躍してゐるバンドが7ツ程出演。決して演り易くはない環境で精一杯熱演する卒業生および出演者達は立派だが、如何せん音がデカいのがかなわん。耳栓をして聴いてたが、それでも終わった頃には耳がキ〜ン云ふてた。もっとトークの時間とかあるんだと思ってたが、最初っから最後までライヴで、向かいに座ってるヒトとの会話もままならぬかんぢ。もっと多世代の卒業生達と「歓談」がしたかったのだが・・・。

それと、出演した7バンドのうち、3ツのばんどで、ベースが所謂「弾きまくり」系だったのが気になった。弾きまくりは大いに結構なのだが、皆「何弾いてンのか解らん」のだよねぇ。動きだけ見ると指は滅茶苦茶動いてるんだけどねェ。パイグ(5ツめに出演)は結構しっかりした音を出してたんで、機材のせいぢゃないよねェ。

ここで教鞭を取るやうになって10年。最初期の生徒は30歳になる。いっぱしに「イイ女」になってるのもゐて、『くむぅ』と思ふ。

まぁ爆音には参ったが、良い会だったな。

21日(木)-----------------------------------------------------------------------------------

今度の日曜日に、元生徒モリワキが主催するイベントの、「合奏」の為のリハに行く。当日はモリワキのアグリバースと、華日といふ未見の男女デュオ。にパイグとあさみ、+ウチらしーシュ。『なるほど、全部男女のデュオか』と思ってたらアグリは女性二人のデュオだった(笑)。

ベースはパイグがゐるので、ワシはギターを弾く事にす。唄うたいのキィに合わせて転調したら、所謂「裏コード」になり、ややこしい事この上ない。まぁ恥をかかぬやう、もと生徒の顔を潰さぬやう、頑張ります。

久々にドラムも交えたバンド編成でスタヂヲに入るリハは、なかなか楽しい。ウチから歩いて5分少々のところのスタヂヲだったンで、それもまた良し。ロビーの奥にオーナーの家の台所がある、みたいなかんぢのアットホゥムなスタヂヲ。なんかイイな。

22日(金)-----------------------------------------------------------------------------------

暑い壱日。専門学校→オリエンタルホテル。オリホテはソロの営業も演る事になったので、月に弐度ほどお世話になるカタチとなるな。けふは執事フライデーなので、とても気は楽。普通のベースに比べりゃ色々やる事多くて大変だが、ソロの激務に比ぶればナンてこたぁないね。楽しく演奏。

けふはなんかこの週末に二つの巨大量販店がオープンするらしく、店の前に早くも長い行列を成してゐるらしひ。あぁいふのに浮かれ並ぶ心理、てのが幸か不幸か全く理解できぬので、ワシにとっては別世界の話なのだが、行列が一般市民の日常生活を侵食せぬ事だけは切に願いたい。てゆーか・・・ヒマなんだねぇみんな。

それの関連があるのかどーなのか、けふはやたら街に「無神経な」人々が多かったやうな気がす。あっちこっちで事故があったやうだし。救急車も3回くらい見た。

脳タリン同士が潰しあうのは全然結構だが、市井の人々を巻き込むなや、とこれまた切に願う。


4週目

23日(土)-----------------------------------------------------------------------------------

しーシュと、ジュスカ・グランペールの「ダブル・レコ発」ライヴ。

ジュスカ〜につひてはほとんど何も知らんかったが、マカフェリギターとヴィヲロンのデュオ。各地に共通の友人知人が沢山ゐて、世界の繋がりを感じさせる。メヂャーながら京都を拠点に据え、全国に発信してゐる「若者達」・・と勝手に思ってゐたら、歳はあんまり変わらんかった(笑)。結成13年めのヴェテランだ。

そのジュスカ、との対バン。大いに盛り上がり、楽しく演れた。しーシュの出来もバッチリ。ジュスカをバックにしーなさんが唄うバラードも秀逸だったし、4人でのサンバ・ナンバーはホンマに楽しく、「編成的にもちょうど良いし、このままバンドできるんちゃうか?」みたいなかんぢ。

ジプシィ音楽云々、と銘打たれてゐて、本人達もその系統は勿論リスペクトしてゐるが、彼らの音楽そのものは、むしろ「和」を強く感じさせるオリジナルなもの。その部分に強く共感できる。打ち上げでもその辺を語り合ったが、好きな音楽の「スタイル」を使って、いかに自分らの内から湧き出るものを音に出来るか、といふ、まぁワシが常日頃思ってるまんまの事に取り組んでゐる二人のやうだ。素晴らしい。

打ち上げは勿論お好み焼き。ギターの高井博章クンが教えてくれた「山椒マヨネーズ」が美味すぎ!。上記のやうな話で熱く語り合ったり、ヴィヲロンのひろせまことクンの姉上がしーなさんの大学の同朋であることが発覚したり、まぁそれぞれ話は尽きない。しかも二人とも酒強いんだな、これが(笑)。

良いミュージシャン達と、良いリレーションシップが取れてゐるのは嬉しい。またお会いしませう。

24日(日)-----------------------------------------------------------------------------------

金曜日の椎名&フライデーから数えて、ライヴ参連チャン最終日。さすがに疲れが溜ってゐるが、けふはほぼソロなので、キアイ入れな。日中は女房と買い物行ったり。

アグリバース主催「二人縁」。出演はロウミステル(パイグとあさみ)、華日Duo、アグリバース、に、満を侍して「梶山シュウ&家政婦サンディ」。これは「椎名&フライデー」の逆バージョン。つまりワシがメインとしてフロントに立ち(座ったが)、しーなさんが完全にバック演奏に回る、と云ふユニット。『なにをまた・・』と思われる向きもあらうが、演ってみるとこれが意外に難しく、ワシが今まで如何に「ベースに頼って」ゐたか、を痛感。しーシュとは全然違うニッチを要求される。しかし、唄うたいとしても一歩進むにはこれを避けては話にならん。

な訳で、ライヴ。

生憎の雨天だったが、アグリのファンが大勢詰め掛け、PICOは満員。若者達のフレッシュな演奏に刺激を受け、ワシらもベストな演奏。リハではイマイチしっくり来なんだかんぢが、本番でジャストに「来た」。唄うたいとして、まづ踏み出さねばならなんだ一歩を、クリアできた気がす。ライヴを観てゐた人からの率直な意見を聞きたい気もす。どーだったんでせうかねぇ?。

ラストの全員演奏も大いに盛り上がり、大団円。良いライヴに参加させてくれてありがとう。

打ち上げはモリワキの友人が準備してくれた手料理をPICOで。いかにも美味さうなサンドヰッチなどがあって楽しみにしてゐたのだが、変なタイミングでビールを飲んでしまったのが災いして、すぐハラ一杯になる。しかもなにやら異常に眠くなり、打ち上げの途中で寝てしまふ、といふ。

25日(月)-----------------------------------------------------------------------------------

「仕事がない」と云ふ事を前向きに捉える----------膨大な空き時間を練習と創作に費やす、といふ今年のテーマ。

けふは「ベース弾き語り」の練習。弁当持ってスタヂヲ入りし、2時間強唄い込む。昨日のけふで若干喉に疲れが残ってゐるが、構わず。独りで演るベース弾き語りに、今はあまり必然性を感じてないのだが、これもワシの表現のひとつには違いないので、磨いておく。

夜は料理。ピーマンの肉詰め。下拵へ、味付け、まで完璧だったのに、焼きで失敗して黒焦げ肉詰め。嗚呼。

26日(火)-----------------------------------------------------------------------------------

けふは明日の「吟」に備えてのギター弾き語りリハ。

フと、こないだ13回めの命日を迎えられたばかりの先達、村下孝蔵さんの事を思ひ出す。ワシが高校生の頃に数回お目にかかった事があるが、たいへん穏やかで朴訥とした、「優しい先輩」として認識が残ってゐる。「ゆうこ」が好きだったなぁ、と思ひつま弾いてみたらほとんど憶えてゐた。ので、これをレパートリィとし、演る事を決意。

享年46歳・・・いまのワシの歳で亡くなられたのだ。あらためて御冥福を。

27日(水)-----------------------------------------------------------------------------------

で、その「吟」。

この企画も3回めとなり、自分的に「慣れて」来た頃だ。ましてやここん処ソロで「営業」まで演ってるのでね。慣れて来る頃が一番勝負時!とばかりに、今回特に真剣に準備し、曲も練ってライヴに臨んだ。

結果的には、哀しいほどの集客しか成し得なかった。宣伝を打たなかった訳ではないんだが、先週末にライヴが隣立した、のも原因か・・。だがまぁ歌い手としては、ちゃんとステップが踏めた気はす。少数ではあったがお客さんがしっかり満足してくれてゐるのを感じる事ができる。同時にこのスタイルでライヴをする上での課題もまた。ギターと云ふは便利な楽器だが、もっと「きちんと」使いこなせねばなるまい、ね。

いづれにせよまだ精進!。この日集まってくれたお客さんに、感謝。

28日(木)-----------------------------------------------------------------------------------

ザ・ピーナッツのお姉さんのほう、伊藤エミさん死去のニュゥス。正直、今まで御存命とは知らなんだ。享年71歳。妹のユミさん共々、引退後は公の場には一切姿を現してゐない。ので、ワシの知ってゐるこの二人の唄う姿は、いつまでもモノクロだ。

大阪の朋友泉尚也さんからかう云ふ動画(てゆーか音源)が届いた。なんと、ザ・ピーナッツが唄うキング・クリムゾンの「エピタフ」!。これが超絶モノに素晴らしい。ザ・ピーナッツのカヴァーの素晴らしさは、以前にもここで紹介した事があるが、これも凄いね。かういふライヴをピーナッツが演ってた、て事がもぅ・・・。

英語で唄われてはゐるけど、これぞ日本の「歌唱」と云ふモノだよなぁ・・・。バックの演奏も含めて、本家クリムゾンより良いかも・・・。

しかしまぁこの「エピタフ」の歌詞、今の世の中の事そのまんまぢゃないか。

「我が墓碑名は『混乱』」

「掟を決めるものがなければ、知恵は危険な友人」

「人類の運命は愚か者の手中にある」

「私は明日を恐れ 泣き叫ぶ」

29日(金)-----------------------------------------------------------------------------------

伊藤エミ、に続き、小野ヤスシ、地井武男、の訃報。どーなってんだ?、此所数週間の著名人の訃報の多さ。レイ・ブラッドベリ、ガルシア・マルケス、ボブ・ウェルチ、ジョニー吉長、ドナルド・D・ダン・・・・。なんか「置いて行かれてる」って気がしないでもない・・・か。

しーシュ、明日の安芸吉田町ワンマンの曲選考リハ。色々考えてなんかおかしげなかんぢ。このライヴをもって、いちをう「レコ発」としてのライヴ行脚は終了、といふ事になる。まぁライヴはライヴなんだけどね・・・。呼んで頂いたワンマン、良いライヴにしたいねぇ。

鍵盤で弾き語りをしたい、といふ教室入会希望者に連絡を入れたところ、『あなたが教えるんですか?』と云はむばかりのかんぢで「入会保留」にされてしまった。すいません、わたくしでは駄目ですか?。さすがにちょいとヘコみますな。

暑くなってきたなぁ。

30日(土)-----------------------------------------------------------------------------------

しーシュ、安芸吉田町遠征。年に壱度のこの遠征も、早いモンで4回目だ。最初の弐回はFar east loungeで、だったが、その後の弐回はしーシュで。

けふはライヴの前に、地元で開かれてゐる音楽教室の発表会を、ゲストとして手伝う事にも。ので、早めに安芸吉田入りす。事前に送られて来た譜面を元に、緊張でかちかちになってゐる生徒さんを即興で盛り立てる。皆さん、ゲストの方を気にする余裕も無い、てかんぢだが、家族の連弾などにもベースを差し込んだりして、けっこう楽しい。お役に立てたのなら嬉しいが・・・。

発表会後、会場のレイアウトを少しいぢってからしーシュライヴの準備。会場のスタッフ陣とはもう顔馴染みなので、とても演り易い。

遠く呼んで頂く好意に応えられるやう、けふも色々と趣向を凝らす。カヴァーや楽器交換コーナーとか。しーシュでは初めて「お召し換え」なるモノもやる。前半はいつも通りビシと和装で行ったが、後半はラフに。短パン姿のしーなさんに、会場から「可愛い〜」と声が上がる。全体的に落ち着いたラインナップで構成し、しっかりと唄を聴かせきるライヴが出来たやうだ。CDもよく売れる。満場のお客さん、ありがとう。

なにより、他所者のワシらを、かうして招いてくれる安芸吉田町スタッフの方々に、深く深く感謝。かんぢの良い地元居酒屋での打ち上げでは、意外な「縁」なども発覚し、ますます楽しい安芸吉田。

この町の人達で「良いなぁ」と思ふのは、皆さんお仕事、役職の他にもうひとつ『神楽の顔』といふものを持っておられる事だ。どこそこの誰兵衛は◎○団の笛奏者だ、とか、あそこのバンドのギタリストは神楽団ぢゃあ太鼓担当、とか、さういふかんぢ。郷土芸能が深く根付いてゐる町だからこそ、の文化。さういふ処に毎度呼んでいただける喜びと誇りを、これからも肝に命じて、進む。


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