5月


1日(水)大阪関目:我らの家/しーシュ・ワンマン--------------------------------------------------------------------

さて「びれっじ組」と別れ、ワシらは関西へ。昨年末のツアーで繋がった縁で、ライヴ居酒屋「我らの家」。

関目、といふ処も初めて。大阪の下町、てかんぢの処。ナニワ独特の「あの」雰囲気からはちょいと離れ、良いかんぢの田舎感ある町。何やらチャリンコが多くて、その点だけでも気に入ってしまったワシである。

お店は本当に「居酒屋」で(笑)ステージはその一角。ここにマスターのSukanpin権助さんを慕う音楽好きが集まる、といふ。かういふの大好き。心して演る。ツアーも最終日で、もぅ演るしかないね、てトコまでやる。もぅホンマにお店がひとつになった、てくらい盛り上がった。連休中日のウィークデイに、こんなに集まってくれたお客さん、ありがとう。最高のシメが飾れました。

しーなさんがふぇーすぶっくでコンタクトを取った、我らの家マスターの権助さん。ぢつに誠実な音楽好きで、またそのお仲間も素晴らしい愛好家たち。打ち上げでも唄の話音の話旅の話に花が咲き、嗚呼こんな風に〆れてホンマに良かった、と思った。今回の旅、どこの場所もさうだったが、真剣に音楽を愛する人のやる店には、真剣に音楽を愛する人が集まるのだな。

関目の皆さん、ありがとう。

演目:毬藻ありマス/苔の記憶/亀の庭/スマイル/ペンギンカフェで会いませう/みみづく時計/夢見るアンコウ/ひつぢは意外と気が荒い/砂に泣き/ぎやまん/ハイギョ/しゃばだバ/爪研ぎうた/5番街のマリー/Dance/歳をとった鰐。

2日(木)--------------------------------------------------------------------

ツアー終わる。

今回は、松阪、刈谷、関目、が事実上のワンマン。で、出発前夜のエージさん、名古屋での2日間も対バンにほぼ全面参加。つまり、日数のわりにステージに立ってゐた時間がかなり長い。そのせいもあるだらうか、肉体的にはえれぇこと疲れた。だが、精神的にはガンガンに昂揚してゐて、よーしこの調子で行くぜ!と強く思ふ。

独立したアーティストとしてのしーシュ、が認められる事はもちろん嬉しいが、今回のやうに対バンにもお構いなしに参加して盛り上げてくれる職人デュオ、として認知されるのも同じくらい嬉しい。その代償がこの疲労なら、まぁ良しとするか(笑)。

さてぢつはワシ、旅の間に親父の病状を知らせるメールが刻々と送られて来ており、30日の夜に『そろそろかも』といふ事だった。だからと云ってワシにはどぅする事も出来ず、ただただ『ワシが帰るまで・・・』と思ひながら旅を続けた、のだ。

その後、小康状態を保ちながらけふに至ったやうだ。いつもなら在来線でゆっくり帰る所を、今回は新幹線で広島へひとっ飛び。駅からはタクシーで病院に駆け付ける。痩せ衰えた親父と対面。もぅ呼吸も切れ切れの状態。それでもひとまづはワシの帰りを待ってくれてゐた。ありがとう親父。

3日(金)--------------------------------------------------------------------

昨日は『あと数時間か』といふかんぢだったが、なんか持ち直してる親父。

旅も終え、黄金週間に入った事だし、付き添う事にす。医師の話では、もぅ意識もないし聴こえてない、との事だが、いや・・、この男の場合、なんかそこら辺はまだイケてるやうな気がするよ(笑)。ので、枕元で色々話す。

考えてみれば18で家を出て以来、こんな長い時間親父と二人きりになったのは初めてのやうな気もす。

4日(土)--------------------------------------------------------------------

なんか、さらに持ち直してる親父(笑)。昨日まで光にも反応しなかった瞳が、けふは良く動き、なにか云ひたげに光る。

ツイデなので、けふも泊まる事にす。どーせ黄金週間ヒマな身だ。家に着替えを取りに帰り、また病院へ。こうなりゃ付き合うぜ、親父さまよ。

5日(日)--------------------------------------------------------------------

ゆんべ夜中に呼吸が乱れ、看護士さんを呼んだ時は「ついに」とも思ったが、また朝が来た。ワシらにたっぷりと「覚悟の時間」を与えてくれてゐるのだな、と思ふ。

しかしまぁこの9回裏の粘り------親父はバレー選手だったからデュースか?(笑)--------は想定外っちゃ想定外。黄金週間中唯一の仕事の準備の為、姉貴と交代して一旦帰宅。スタヂヲ入りして、弾き語りのリハを2時間。ツイデだから明日のワシのステージ、見に来いよ、と思ふ。


2週目

6日(月)ソロ「吟」--------------------------------------------------------------------

新興住宅展示場「こころ」特設ステージにて、孤独な営業「吟」。昨年に続き、弐度目の出演。

お昼前のまったりした時間に弾き語りで約45分。正直云ってあんまりお客さんも居らぬやうな状況なのだが、唄っててたいへん気持ち良い。半野外なので声が外に向かってすこーん、と伸びるのだ。聞いてゐた出演時間がビミョ〜に間違ってゐて、会場入りしてサウンドチェックしたら、すぐ本番だった。

MCもほとんど入れず、カヴァー交えながらつらつら唄ってると、わりとお客が集まって来た。ライヴが進むにつれて、拍手もだんだん大きくなる。ふぅむ、思へば去年、突発的に受けたこの仕事で気に入ってもらへ、ソロでのオリエンタルのレギュラーに話が発展したのだ。あれから壱年・・・。まぁこれはこれなりに、通行人を惹き付ける程度には、ちゃんとしたものをお出しできるやうになった、といふ事だらう。アンコールも含めて9曲。たいへん伸びやかに気持ち良く唄う事ができた。主催者からも好評。来年も是非、と云ふてもらへて嬉しい。

最近、この「吟」の方にもっと力を注ぎたい、と云ふ気が強く、そのぶんベース弾き語りの方をオロソカにしがち。

夕方、親父の処に顔を出す。けふは女房が付き添ってくれてゐる。相変わらず意識はないが、今の処落ち着いてゐる、といふ。ので、今夜は女房に任せる事にして、一旦帰宅。が、その1時間後に連絡が入り、いよいよ呼吸が浅くなって来た、との事。今度は泊まり込みの準備をして、また病院へ。劇的に減衰してゐる、といふかんぢでもないが、確実に減衰はしてゐる。そもそもワシが旅から帰って来た日に『今夜か明日』とか云はれてたのだ。あれから既に5日・・・。

こらぁますます長期戦になるかも・・・。

けふの処は、ワシが親父の部屋、女房は待機室、で夜を明かす事にす。

7日(火)--------------------------------------------------------------------

夜中に何度か回って来る看護士さんに、その都度「どーですか?」と訊くかんぢ、で朝。また朝が来た。

横バイ状態は続く。けふの仕事どーしやう、その前にまぁ朝飯か・・・とか云ってたホンの一瞬、だった。

気が付くと、呼吸が停まった親父が、そこにゐた。

昨夜までの苦しげな息もなく、眉間の皺もなく、ただ、ぼんやりと目と口を開き、親父が死んでゐた。

そぉか、逝ったか・・・。

泣きじゃくる女房を傍らに置きながら、ワシには不思議なほど「悲しみ」はなく、ただただ、病と闘った父親への慰労の気持ちしかなかった。開いた目蓋を閉じてやりながら、むしろワシは微笑んでゐたやうに思ふ。本当にお疲れさま。よく頑張ったな、親父。穏やかな表情だ。

86歳。癌の宣告を受けて半年。『あと3週間程度』と云はれてから約5ヶ月。『今夜か明日』と云はれてから約壱週間。驚異的な粘りで生命に食らい付いてゐた男が、いま旅立った。思へば、ワシの旅からの帰りも、昨日の仕事の終わりも、待ってくれてゐたのかもしれない。

最後を看取り、この手で目蓋を閉じさせてくれた事は、ワシの心に一生残るだらう。ありがとうな、親父。

通夜の会場から、喪服のままFMの収録に。事情を知り、あえて普通に接してくれる相棒に、深く感謝。

8日(水)--------------------------------------------------------------------

葬儀場に泊まり込み、親父の亡骸とともに最後の一夜を過ごす。

昨日けふと、この葬儀に関わる間、決して涙は流さない、と心に誓った。

そして、そのやうにした。

梶山昭春、享年86。ワシの偉大な父親が、旅立った。

それを爽やかな気持ちで、見送った。

註:父の逝去に対し、多くの方が弔電、香典を申し出て下さいましたが、故人と遺族の意向により、お受けしない事にしておりました。葬儀も基本的には親族のみで早急に行ないました事を、この場を借りて御報告します。申し訳ありません。ありがとうざいました。

9日(木)--------------------------------------------------------------------

復帰。ギター背負ってチャリに乗ってる姿を友人が見かけたらしく、『お前もぅ復帰しとるんか!?』と電話(笑)。あぁ、進むとも。

レッスンの後、このたび組んだ新ユニットの初リハ。なんとこのユニット「ギターデュオ」なのダ。つまりワシもギターを弾くのダ。しかもインストなのダ。

相方はゴンゴマやジャマーズで、控えめながらセンスの良い音を聴かせるザキくん。彼のスティール弦ギターにワシがガット弦ギターでアンサンブルを組み立てる、と云ふ、まぁ編成だけならゴンチチのやうな・・・(笑)。

壮絶なギターバトル、みたいな事をするつもりはなく・・・てゆーか出来んけど、まぁ美しく演りたいな、と。けふの処はザキくんのオリジナルを、デュオで演れるやうに「翻訳」する作業。ギターが相当ヘタになってる上に、慣れぬガット弦がなかなか厄介。練習しなきゃ、なぁ。

10日(金)--------------------------------------------------------------------

しーシュのリハ。

5月〜6月は「バラ売り」が多いワシら。そのせいもあってか、「しーシュのリハ」が間に合わない。さしあたって近々のライヴの内容を詰めて行く。譜面があれば大抵の事は演れるワシらだが、ステージで譜面を見るのは、可能な限り避けたい、ので、なるべく憶える方向で・・・。曲のメモリィには自信がある方だが、寄る年波には勝てず・・・。

けふは昭和歌謡を中心にリハしたが、これって、演ってるとどんどん「アレも演りたい」「コレも唄いたい」となり、収拾がつかぬ(笑)。それでゐてやっぱり人気あるジャンルだから需要も多い。「演りたい」方と「聴きたい」方、需要と供給のバランスが取れた、たいへん有意義な仕事なのである。色んな昭和歌謡カヴァーバンドあるが、男女同率でリードヴォーカルが取れるユニットは、それほど多くは無からう。しーシュとしてはそこをセールス・ポイントにしたいねぇ。

でもまぁ実際、大した二人組だと思ふのですがねェ・・・。


3週目

11日(土)--------------------------------------------------------------------

けふ明日と、久しぶりの週末丸々オフ。本を読み、DVDを観て過ごさう。

村上春樹の新作「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」。この人の物語の中では、割と珍しいタイプの話だった。まぁオモロかったな。

村上春樹っていつもさうなんだけど、新作が出て、すぐに買える事はあんまりない。すぐ売り切れちゃうのださう。前作の「1Q84」なんざ3ヶ月以上待った気がする。今回のも仲々入手できなんだ。すごいねぇ、本ってこんなに売れるモンなのだねぇ。・・・にしてはワシの周りで村上春樹読んでる、ってヒトを見かけないのはなんでだらう?。

こないだ姪っ娘が『外国文学しか読まぬ』と云ってたな。ワシもそのやうに思った時期があった。だがいつの頃か「原書」を読めぬうちは「外国文学を読んだ」とは云へぬのではないか?と思ひ至った。今はまぁ、オモロく読めるなら、なんでも良いよ。

ところで春樹氏の物語。登場人物の中に、たいてい1人「胸の大きな女性」が存在する。巨乳好きなやうで・・・。

12日(日)--------------------------------------------------------------------

昨日は曇天で読書日和だったが、けふはよぅ晴れてゐる。早めに晩飯の買い物を済ませ、久々の「野外練習」に行く事にした。

てゆーのも、来週行なわれるしーシュのマキシ・シングルのレコーディングで、三線(借り物)を弾く事になった。それの練習をしておかねばならん。が、あの楽器って、生音が異常にデカいのだ。とても家で練習なぞ出来ん。ので、まぁ良い季節になってきたし、久々に河原で弾くか、と。

チャリを駆って川沿いを走り、適当な場所を見つけて小壱時間ほど三線を弾く。河原に響くカンカンといふ音が気持ち良い。マトモに弾くのは初めての楽器だが、コツを掴めばさほど難しくない。上手に弾いてしーなさんとスタッフを驚かせやう。調子に乗って弾いてると、手の方が痛くなっちまったぃ。

ツイデにそのまま川沿いを遡上してサイクリング。ちょいと今、ヒザだのアキレス腱だの傷めてゐてヂョギングができんので、良い運動になった。日もよぅ照ってゐて、紫外線もたっぷり浴びた春深しの休日。

13日(月)--------------------------------------------------------------------

けふはベース弾き語りとギター弾き語り、それぞれのリハ。まぁギターは家ぢゃ弾けんのでスタヂヲへ。

ボニー・レイットの処でなかなか良いベース弾いてた「フリーボ」といふヒトがゐる。最近どーなのかな?と検索してみたら、今はギター弾いて唄ってる事が多いやうだ。んで、このフリーボのバックでベース弾いてるオッサンがまた良い。ので、検索かけてみたら、これがまた別の動画では本人はギター弾きながら唄ってる。

う〜む、考えさせられるなぁ。ワシが好きなリチャード・シンクレアもさうだけど、あれほどのベースを弾きながら、誰もベースなんぞにこだわって無いのだな。

14日(火)--------------------------------------------------------------------

ザキ君とのギターデュオのリハ。

暫定で「ザキ&シュウ」と名付けてゐるが・・・、どーしやうかな?。またテキトーな名前思ひ付いて、ステージ上で発表、みたいにしやうかな(笑)。「ゆるゆるアフリカノス」や「ぱんぱかトリオ」、そもそも「しーなとシュウ」だって、そんな話出た事もないのに、ある日から勝手にワシが名乗りはじめたものなのよ。まぁ、特に反対されないからそのまま定着する事が多いんだけど・・・。

ザキ君のオリジナルをギター弐本用にアレンジするのは完了。もちょっとレパートリィが欲しいので、カヴァーも演る事にして、そのセレクト。順当、より意外性、で選ぶ。ザキ君にワシ独特のモード奏法をレクチュアした処、『あぁシュウさんのメロディだ』と云ふ事になり、まぁ誰でもすぐ真似できるお手軽な・・・。

スタヂヲを出ると、久々に後輩のギター弾きMと遭遇。講師業を中心に幅広くやってる男で、もとはバリバリのロッカーだったが、最近はサックスの女性とアコギでデュオを組み、ツアーもしてるんださう。頑張ってるねぇ。あらゆる人脈をフル活用し、ツアー先でも会場を満杯にできるんださうな。へ〜〜〜っすごいなぁ・・・。『まぁ梶山さんみたいに年に何度も行ってたら無理ですけどね・・』と。

「移動はグリーン車で宿泊はプリンスホテル」と嘯くところは流石にロッカーらしひ見栄張り(笑)。この男の場合、さういふ事が少しも嫌味に聞こえないのが人徳だな。

15日(水)--------------------------------------------------------------------

親父の遺品の整理などの為に実家へ。死期を悟って・・といふ訳ではないだらうが、部屋は驚くほどキチっと整理整頓されてゐた。

意外なほど沢山服を持ってゐて、どれもかなり高級品。オサレな男だったのだ。が、ワシが形見分けとして譲り受けるには、どれもサイズが小さく、デザインもやはり相応にオヤジっぽい(笑)。ので、勿体ないがまぁ、処分する方向で。腕時計や貴金属なぞあれば頂こうか、と思ってゐたが、さういふ類いは身に付けぬヒトだったやうだ。

ついに生涯「当たらなかった」ロト6や宝くじの、統計結果を記したノートは御愛嬌。頼まれて買いに行った事もあったな・・・。

夜はしーシュのリハ。二人ともなんか疲れてゐて、あんまりリハをしたやうにはならん。しーなさんはさておきワシは、日々大した暮らしをしてゐる訳ではないのだが、春先からの介護生活→ツアー→その後、の疲労が、まだ重く身体の中に残ってゐる、といふかんぢがす。まぁ気付けば40代も後半。歳を重ねる、とはかういふ事か。

16日(木)--------------------------------------------------------------------

孤独な営業「吟」@オリエンタルホテル。ここで唄いはじめて、ちょうど壱年目だ。

けふは本番前にスタヂヲで30分程度声を出してから会場入り。これが効を奏し、全編うまい具合に声を操れた。この仕事だけはヲームアップが必要なのだね。今回はレパートリィを増設する余裕がなかったので、そのぶん旧曲を丁寧に唄う事を心掛ける。ちょいと癖のありさうなビジネスマン組を黙らせた時は、心の中で「よっしゃ」と。

常連Hさん御夫婦に加え、何人かの友人が見に来てくれてゐた。ブログなどで親父の逝去を知っており、みんな気遣ってくれる。ありがとう。

17日(金)--------------------------------------------------------------------

居酒屋椎修・皐月の巻。けふは専門学校から会場入りパタンなので、準備に時間かけれず。早起きして料理の下準備しておく。しーなさんも別会場から現場直行。かつてないほど激忙の中での、居酒屋椎修のやうな気がするなぁ。

けふはオープンと同時にお客さんが現れ、これがまた良いペェスで呑み喰ひをしてくれる。弐ヶ月連続「シュウ式まぜそば」も好評。ライヴ直前にさらにごごっとお客さんが増え、フライングキッズが満杯に。けふのライヴテーマは「風」。その他にもリクエストに応じたナンバーや、明日の長門で演る予定の民謡なども交え、盛り沢山ごった煮的なライヴ。これもまたしーシュならではのモノと思ふ。

そのとりとめの無さぶりを御紹介。けふの演目である。

ことほぎの唄(オリジナル:舞台作品)/川をわたる風(しーなソロ曲)/風(はしだのりひことシューベルツ)/風(安全地帯)/Blown in the Wind(ボブ・ディラン)/風の通り道(ヂブリ:サントラ)/安里屋ユンタ(沖縄民謡)/イヨマンテの夜(昭和歌謡:伊藤久男)/凛(ハシケン)/Dance/ぎやまん/あじさい(オリジナル)

壱時間ちょっとで12曲。料理もほとんど完売でフィニッシュ。今夜も良い居酒屋であった。なかなか継続して成功してゐるなぁ。料理作ってお酒だして演奏もして・・といふのは確かに相応に疲れるが、まぁこれはある種「ビジネスとしての成功例」とも云へるだらう。少なくともワシらは『やりたくない事』はやらずに、これだけの支持を得られてゐる。これからも心して取り組んで行こう。


4週目

18日(土)--------------------------------------------------------------------

しーシュ週末遠征。ワシにとって縁り深き長門は油谷へ。向津具いなかライヴハウス「パタ屋」。

前回のしーシュ単体@パタ屋から、以外にも早い再訪。これはオーナーヒナ兄こと嶋田日直男氏からの、お年寄りも聴けるやうなライヴが出来んか、といふリクエストに応えたもの。民謡や歌謡曲を主体にした・・・といふ処で壱も弐もなく承諾し、けふはしーシュの「歌謡ショウ」といふ事になった。云ふまでもなくワシらかういふの大好きなので。

時間にはいっぱいのお客さん。確かに、前回のライヴには見られなかったお年寄りの方々も居られる。ワシらも和装で挑む。勿論、長門のスーパーカッショニストNAOEもフィーチャーしてね。ナオエ、流石の対応力、てゆーか素晴らし過ぎて言葉にならん。いつかツアーにも連れて行きたいなぁ。

所々にオリジナルも交えた曲構成はばっちりハマったやうで、お客さんも楽しんでゐる。なによりヒナ兄がノリノリで喜んでくれたので、もぅそれだけでオッケー。思へば、スクーターズのメンバーとして初めて油谷を訪れたのが2002年、ほぼ毎年来るやうになり、そのピークが2006年の国民文化祭への参加だった。あの時、まだしばらく、この好ましい町と関わりを持ってゐたい、と思ったやうに、今があるのが嬉しい。

良いライヴだった。まぁオリジナルを演らんからCDはあんまり売れないんだけどね(笑)。

19日(日)--------------------------------------------------------------------

ぢつは油谷とワシの、天候についての相性は最悪に近い。詳しく数えてはおらぬが、来訪6〜7割くらいの確立で雨。少なくとも、しーなさんを連れて来るやうになってからは、晴れてゐた事がなく、『パタ屋+シュウ=雨』とまことしやかに囁かれてゐる。

昨日も、週間予報では「雨」といふ事だった。「はぁ〜」と思ってゐたら、なんとか低気圧が押しとどめられ、快晴、とはいかぬまでも雨は降らなんだ。これはしーなさん曰く「私の神通力」ださうな。その神通力もライヴを終えて力尽き、けふはそのウサを晴らすかのやうな「嵐」(笑)。ははは、参ったか。

まぁけふは帰るだけやので、雨の中のんびり車を走らせる。途中、湯元温泉郷に寄り、大衆浴場で地元のおっさんらと湯に浸かる。ここも前に来たのは2006年。その時の入湯料は¥140だった。それから7年後のけふ¥200に値上がりしてゐる。相変わらずぬる〜い温泉(源泉の温度が39℃)と、ふか〜い湯舟(立って胸の処くらいの水深)。気持ち良い。微睡みながらいくらでも入ってられさうな温度なのだが、寝てしまふと湯舟が深いので溺れる危険あり(笑)。

雨の中、壱日かけて広島まで。ひたすら走った壱日。

20日(月)--------------------------------------------------------------------

しーシュ新作「小鉢」マキシシングル制作のレコーディング。

これはライヴで人気の高い「Dance」の入ったCDはないのんか?といふ声に応えるもの、として思ひついた。Danceは元々ワシのソロ曲で、ワシの「ゆほびか」には収録されてゐる。がまぁしーシュのファンとしてはしーシュのヴァージョンが聴きたい、といふ事で。ツイデなのでしーなさんにもソロ曲を持ち込んでもらひ、お互いのソロ曲をしーシュで演ったアルバム、として売り出そう、といふ運びとなった。のよ。

録音は勿論、旧友カズイこと数井政彦ん処のセントルイイス・スタヂヲ。いつものかんぢでサクサクと録り進め、いつものやうに二人であらゆる楽器を演奏す。しーなソロ「サイドカーに犬を乗せて」は、今までのしーシュになくジャズィに仕上がる。もぅひとつ舞台用に作った「ことほぎの唄」では、ワシは三線も弾く。

てぇことで、「Dance」「サイドカーに犬を乗せて」「ことほぎの唄」といふ、『えせニック歌謡デュオ:しーなとシュウ』にしては、えらぃことポップな作品になる予定。『Danceの入ったCDは・・』と訊ねたヒトは買わなあきまへんで。Danceについてはオリジナルカラオケも入れまっせ。皆で高らかに唄おう!(笑)。

21日(火)--------------------------------------------------------------------

専門学校→実家で遺品整理→個人レッスン。といふ壱日。その後、ツアーで広島に来た鈴木亜紀ちゃんのライヴを観に行く。

亜紀ちゃんは3回めの広島(のハズ)。これまでの2回はワシがホストになって企画してゐたが、けふはヲルガン座の企画として。ワシは純粋な客。直接会うのは去年の春以来。相変わらずちっちゃくて可愛いひとだ。そして相変わらずの唄世界。ここまで「情景」を喚起する唄はちょっとお目にかかれない。新曲も良かった。また一緒に演りたいなぁ。

終演後、ちょっとお話。ツアー車の運転の事や関節炎の事など。いつも亜紀ちゃんと話すとなんか妙に緊張しちまうんだねぇ(笑)。まぁちょくちょく一緒に演る関係にはなれたけど、ちょっと前までは純粋に大ファン、てだけのオトコだったからねぇ。

22日(水)--------------------------------------------------------------------

こないだラヂヲで聴いたD・O・ミシアニ&シラティ・ジャズといふケニアのアーティストのCD「キング・オブ・ヒストリィ」を購入。「ベンガ」といふスタイルの音楽らしひが、この編成がフツーのロックバンドと同じ電気ギター、電気ベース、ドラムス、に唄、と云ふモノ。アフリカ音楽のアイコンとも云へるジェンベやコラ、ンゴニやムビラといふ民族楽器を使用しないアフリカ音楽なのである。

これがとても気持ち良くて、ハマる。弐本の電気ギターが絶妙なポリリズムを刻み、明らかにギターと同じ奏法で弾かれてゐるベースはうねうねと対旋律を奏で、そこに柔らかい男声の唄が乗る、といふ。それでゐて明らかに何処までも「アフリカ音楽」である、といふ。こんなスタイルのがあったんだねぇ。

23日(木)--------------------------------------------------------------------

生徒がウチに遊びに来た。こんなワシが、こんな自分の息子(居らんが)ほど歳若いヤツに慕われる理由がよく分からんのだが、まぁ色々話す。

「ベースの練習するヒマがあったら曲作れ」といふのは、いつも云ふ事だが、彼に限らず、この世代でまだそれが出来ないヤツが多すぎる、と思ふ。「コードの事が良く分からんから」とか云ふが、そんなコト云ってるから作れんのだよ。百歩譲ってそれが真実だとしても、ぢゃあさっさとギターでも憶えろよ、と云ふ事だ。

曲を作る、といふ事は「作品」を生み出す、といふ事だ。その過程で生じる全ての事が、ベースの練習に明け暮れるより何千倍も大きな「技」になる。

曲を作れ。そして、歌え。若者よ。

24日(金)--------------------------------------------------------------------

いそがすぃ壱日。昨日寝る前から左の耳がちょいとおかしくて、これは「突発性難聴」ではないのか?と思ひながら・・・。

まづ専門学校。昨日校内レクリェーションなぞあったやうで、ダルダルに惚けてやがった。2年生なぞあまりに欠席者が多く、1コマまる雑談で終わる。仲々シワい仕事やな。

そいからしーなさんにピックアップしてもらひ、FMの収録に。先日局の方から、この番組の評判が割と良い、と聞いた。そぅなのですか?。頑張らねばイカンね。まぁたぁ云ふてもワシらはいつも呑み屋でしてるやうな雑談をするだけなのだが・・・。

その後、シバちゃんこと柴作伊佐雄が主催する、ジプシィジャズのイベントを観戦。もぅいかにも『僕らジプシィギターが大好きさっ』といふあからさまな感じが微笑ましく、観てる方も楽しくなる。シバちゃんが統括する若手の技術が、見るたびに上がってゐるのが分かる。大阪からの「カフェ・マヌーシュ」は流石の存在感。良いライヴだった。

な訳で、よぅ動いて疲弊した割には、全然楽器を弾かぬ壱日だった。耳の調子は結局壱日中オカシかった。ありゃりゃ?これぁストレスかぁ?


5週目

25日(土)--------------------------------------------------------------------

どーやら「突発性難聴」らしきモノをなんとかせんと、市内の耳鼻科へ。いろいろと検査してもらったが、最終的に「目眩」を診断され、治して欲しいのは耳鳴りなのだがな、と思ひつつ点滴なぞ受ける。しかも治療費高っけぇ〜!!。昨日のギャラが全部フっとんでしもたわ(泣)。

40歳になった時に受けたニンゲンドックで指摘された「騒音性の難聴」は、相変わらず。左右共に4KHzあたりがボコンと低下してゐる(←典型的症状ださう)。はぁ〜〜〜、この先、音楽家として大丈夫なのかねぇ?。ロックバンド演ってるヤツらなんて、どーなんだらう?。『そんなモンとっくになってるよ!』とか云はれさうだが(笑)。

26日(日)--------------------------------------------------------------------

けふは毎年恒例、唄旅師匠豊田勇造さんのライヴ。

その前に、しーなさんが別会場でやってる、なんかゴーヂャスなライヴイベントのゲネを春駒のカシラと見に行く。本番が見れぬワシらに、ゲネを公開してくれたもの。しーなさんを慕う人達がしーなさんを使って楽しんでる、ってかんぢのショウだった(笑)。聞けば、予約だけでもぅ80人越えなのださうで・・・。はぁ〜〜〜。

さてワシとカシラは、勇造ライヴへ。例によってデュオで前座を務め、サポートにも参加。去年カシラが出れず、ワシ独りが賛助したときは客入りが芳しくなかったが、今年は満場。まづ前座。いつもはカシラとのデュオの中に、ワシのソロを入れてもらふのだが、けふはライヴのスタートをソロで務める。唄旅の師匠に捧げる旅の唄「ツアー」。

勇造さんはこれを受け、この日のライヴを『旅、そこで出会う人々』といふコンセプトでまとめてくれた。後半はほとんど全曲でベースを弾かせてもらひ、そのうち3曲は完全な新曲。耳の調子は相変わらずだったが、どーだったんだらうなぁ?。アンコールのシメは、勇造さんノーマイクで会場の真ん中まで進み、去年ワシが唄わせてもらった『はだしの唄うたい』を。今年も素晴らしいライヴだった。豊田勇造、還暦過ぎてますます元気に、艶を増す歌声と、力強いギター。これからもお元気で!。また来年も。

さてさてワシらは、急遽決まったダブルヘッダーへ。旧友ナカモト君が店主を務めるMidnight oasisといふバァの、二号店オープン記念ライヴ。ここでやはりカシラと30分ぐらいのセットを壱本。見るたびに上手になってるカシラの不思議笛「フトゥヤラ」にも拍手喝采。こらぁワシらインストバンドにもなれるで!と。これも良いライヴだった。

いや〜楽しいねぇ。このフットワークの軽さ、最高です。そもそもカシラとワシのデュオも、バンドメンバー全員(最大で6人編成)を動かすには無理がある場合に、といふ事で始めたもの。ピュっと行ってザっと演れる機動性こそが「売り」だったのだ。古い知り合いにも会え、けっこう積もる話もできたし・・・。タマには夜の街にも繰り出さなイカンですな。

カシラとは300年くらい前----それこそ頻繁にデュオで演ってた頃に、やはりダブルヘッダーを演った事がある。あの時は車だったが、けふは二人ともチャリ(笑)。しーなさんのゲネ会場から勇造ライヴ、さらにMidnight oasisへと、楽器担いだ中年が市内をチャリでギコギコ動き回る様は、オマエら中学生か!の世界!(笑)。なんつーかとても痛快で、久々にホンマに楽しい夜だった。

毎日、こんな事演って暮らせたらなぁ。

27日(月)--------------------------------------------------------------------

耳鼻科へ。電気治療と点滴。長い&高い。ん〜〜〜〜効いてゐるのか・・・?

夜はザキ&シュウのリハ。ギターを個人練習する時間が取れず、そのぶん頑張ってリハに励む。対バンの「天晴さん」も、粛々とリハをこなしてゐるやうだし、ワシらも、ね。割とお客さんもいっぱい来そうだし、頑張らねばイカンねぇ。

昨日のカシラとワシのデュオ、ダブルヘッダーのMidnight oasisのライヴがネットで話題になってゐる。カシラもワシも、行くトコに行けば、それなりに名前が売れてゐるミュージシャンなハズなのに、なぜイマイチ華々しい事にならんかね、と思ふ。

28日(火)--------------------------------------------------------------------

親父が衰弱して行く前、まだなんとか自力で飲食ができてゐた頃、病院で支給された「濃縮栄養剤」がある。実家の冷蔵庫にごろごろ残ってゐて、ワシが形見分けに受け継いだ。癌その他、満足に食事が取れない患者が、これ壱本で壱日の栄養を摂取する飲物。まぁ「カロリーメイト」のスゴいやつ、みたいなもんか。

これを仕事と仕事の合間、飯を喰ふヒマがない時などに呑む。たしかに「よく効く」。さすがに空腹感は誤魔化せぬが、所謂「ハラが減って力が出ぬ」のやうな事にはならぬあたり、よく考えられてゐるのだらう。味も悪くない。ココぞ!て時に、大事に呑ませて頂こう。

29日(水)--------------------------------------------------------------------

「おおかみこどもの雨と雪」観賞。親子の愛情と自立のお話であった。基本的に善人しか登場しない、てのがちょいとアレだが、オモロかった。「おおかみこども」の娘であるところの「雨」、の子供時代の吹替えをやってる声優が素晴らしい、と思ふ。

色々な展開の後、エンドロールにアン・サリーが唄う「おかぁさんの唄」と云ふのが流れ、これがぐっと来る。親子の愛情、をテーマにした唄に、この頃ちょいと弱い。

子供を持たぬワシには、子供に捧げる唄、てのは作れぬだらう。だが、肉親の愛情を唄う事はできるかも知れない。さぅ思って「月の舟のワルツ」を作った。でも、かういふ抽象的な歌詞って、昨今ぢゃあ絶対に浸透しないんだぁな。それもまた痛快ではあるけど・・。

月影を映す泉に 糸をそっと垂らして  

背を合わせ 舟を進めながら 静寂(しじま)に唄う

波に漂う星屑を掻き集め その蒼い光を

あなたの為 夜を渡る地図を照らす灯火

消えないやうに 身を寄せて 浮島を探す

だれも開けられないドアの鍵を 今 深みに沈めて

目覚めない夢を見るあなた その唇に

気付かぬやうに頬寄せて

涙を注いで

唄を繋いで

静かに抱きしめて                「月の舟のワルツ(ワルツ・フォー・デビィ)

30日(木)--------------------------------------------------------------------

マンスリー営業、椎名まさ子と執事フライデー@オリエンタルホテル。

エライ久しぶりな気がするが、前回が4月の6日でけふが5月の最後らへん。てことは気がするんぢゃなくて、ホンマに久しぶりなのだ。ほぼ2ヶ月ぶりの椎名&フライデー。なんか日々クサクサしてるし、しーなさん共々ちょいとお疲れモードでアレなのだが、なんかそんな気になって、今回から積極的にコーラスもやる事にす。今までは割とベースに専念、てかんぢを通して来たのだが、なんかもぅ、ね。

そんなかんぢの椎名&フライデー。ライヴのやうに演りまくった、てかんぢだった。

今、なんとなく自分が全然「拓けてない」気がす。まぁ色んな事が気掛かりだったり、上手く行かなんだりして、の事なのだが、それはそれとして、もぅ『やってオモロさうな事はなんでもやってみる』といふスタンスで行かねば、正直先はあんまり長くはないのだ。オモロない事に囚われて二の足踏んでるやうな余白は、もう人生に残ってないのだ。そんな気になった本日の営業だった。

終わってみると、割と気分ハレバレ。やはりワシらはライヴによって活くる、のだ。

そんなんで、なんかそんな気になり、ダメもとで『東南アジアでライヴをやる』といふオファーにコミットしてみる。上手く行きゃめっけもん。しーシュ海外デヴーだ。ダメでも失うものはない。すすめ中年デュオ。

31日(金)--------------------------------------------------------------------

マジで昨日のライヴで、づいぶん精気がアガった気がす。妙な健康体操よりライヴの方が確実に活力上がるんぢゃないのかね?。

考へてみれば、ちょいと風邪気味の時にライヴ演って、終わったらすっかり調子良くなってた、なんて事は結構な回数ある。

人前に立つ事で、心拍も上がり、体温も上がる。呼吸は唄う事で深くなり、血流を促す。憶えた技術を駆使する為、筋肉は酸素を運ぶ。そんな処に、高揚した気分は当然相当イキなアレを含む体内分泌物をどばどば出してくるわけだから、まぁそれが人体に好影響を与えぬ訳はないわな。

ライヴ健康術。養命酒とどっちが効くかいな?。

まぁ、勿論、良いライヴぢゃなきゃ駄目なんだけどね。


6月