10月

1日(水)-------------------------------------------------------------------

WADAバンドのリハ、が午前中から。

リハとなれば唄わぬ、といふ訳には行かぬので、まぁ唄う。やはり少し痛む。だが、声が出ぬ、といふ訳ではない。むしろ落ち着いた声が出る。出るのに痛い。それがかえって無気味でもある。ん〜〜・・・ウガイと吸入をマメにやりながら、経過を看る事にす。

かういふ時には刺激物は喉に良くない、のだらうが夜は麻婆豆腐を作った。

2日(木)-----------------------------------------------------------------

今週末の「おすしとらいぶ」のリハ。メンバーはしーシュに姫石ミミと石井サトシ。今年春先に演った同企画での好評を得て、の弐回目。ので、気は抜けない。『初回の方が良かったね』などと云はれては、お店にも申し訳が立たぬ。しっかり頑張りませう。

「マリリン 7日間の恋」といふ映画を見る。

まぁ云はずと知れたマリリン・モンローの晩年を描いた物語なのだが、主人公(マリリン役)が良く似てゐる。

まぁ何処までが真実か、は良く分からんのだが、スキャンダラスな人生を送った女性であった事は、間違いない。映画を見た事のナイ人でも、「マリリン・モンロー」といふ名前は知ってるのだ。それがどれだけ深刻な事か。ワシ個人的には、この人のいかにも扇情的な表情やポーズのフォトよりも、(あまり無いが)フツーに笑ってる顔の写真とかが好きだ。

モンローと云へば、ケネディ大統領の誕生日レセプションで♪Happy birthday〜ぷれじでん〜♪と唄った逸話が有名。しーシュが名古屋で谷口幸至朗さんのバースデイライヴに出た時、しーなさんにアレを真似して演ってもろた。会場大ウケ。みんなエロい唄が大好きなのだ(笑)。

3日(金)-------------------------------------------------------------------

けふはしーシュのリハを、なんと朝から始める。遂に動き始めた4thアルバム制作の為の初動。セレクトした曲を、セレクトした順に演奏し、それを録音し、聴き返し、その印象を確認する、と云ふ作業。んで、並び変えたり、新しいのを追加したり、どーも「ん〜」な曲は外したり・・・・。

その合間に、レコーディングスタヂヲへのオファーや、来年のツアーのブッキングなどの打診。

まぁかう云ってはナンだが、特にレーベルやプロダクションに所属してゐる訳でもなく、云はば地方都市の、セルフマネージメントの、一介のバンドに過ぎぬこのデュオだが、マメに真面目な活動をしてゐるものよ、と。そろそろ何かデカい尺玉が打ち上がっても、バチは当たらぬやうに思ふのですがねぇ・・・。

夕方くらいまでかけて、プリプロを完遂。割と10周年にふさはしい、大作になりさうなかんぢだよ。録る前から楽しみだ。


2週目

4日(土)-------------------------------------------------------------------

久しぶりの土曜日オフ。

夜は、年々寂れて行く行く一方の、御近所商店街に金を落とすデイにせんとす。まぁ要するに近場の店をハシゴして晩飯と晩酌をしやう、と。

まづはウチから徒歩3分のとこにある食堂「ひょうたんや長束店」において焼肉。一度だけ昼飯を喰ひに来た事はあったが、夜に来たのは初めて。家族経営でやっておられるらしひちーさな食堂で、カレーやラーメンなど仲々。果たして夜の実力(!)も仲々のものだった。ホルモンやロース、レヴァーなどを盛ったセットは夫婦二人で満腹になるに充分な量。流石に冷凍肉ではあらうが、カットも厚く、相当に「食べで」がある。タレがまた美味く、あっさりしてるがコクがある、と云ふ・・・・。付け合わせのキャベツと共に本気でがっつきながら、中ジョッキをワシが2杯、女房が1杯。これで総額¥3000ちょい、といふ実力派。「ひょうたんや長束店」オススメです。

続いて、こちらは良く使う居酒屋「楽(らく)」(ひょうたんやから徒歩20秒)。ここは久しぶりだって、大将に「引っ越したンかと思った」と云はれた。この近隣では一番遅くまでやってるお店で、土曜日と云ふこともあって、店はおっちゃんおばちゃんで溢れてゐる。この店は「突き出し」が豪華なのが特徴。けふは茄子の煮びたしと鶏のつくねと・・・あともぅ壱個は忘れた・・の3種盛り。正直、お酒一杯とこの突き出しで充分だったりもす。まぁそれは流石にアレなので、けふはアサリの酒蒸しと卵焼き、もずく酢をチョイス。女房は中ジョッキ、ワシは芋焼酎のロック。ここも¥3000ちょいだった。

いい「近所呑み」であった。が、酔っ払ったやうで、気がついたら寝てゐた。服も着たままで、風呂にも入らず、おそらくは歯も磨かずに・・・。

5日(日)-------------------------------------------------------------------

けふは「おすしとらいぶ」。市兵衛楽団、として今年弐度目のお寿司やさんライヴ。

メンバーは姫石ミミ(唄)椎名まさ子(鍵盤と唄)石井聡至(打楽器)にワシ。昼夜弐回公演。「昼の部」が12時から、なので、それに合わせて朝のうちに会場入り。セッティングしてサウンドチェックしてリハやって、制服(和装)に着替えたら、スグ開場時間。給仕の手伝いもやり、お客さんが創作寿司のコースを食べ終わるのを見計らってライヴ開始。

MCも多めに、適度にお客さんをイジりながら、昭和歌謡の数々を小壱時間ほど。まぁ鉄板の選曲により、唄や演奏が少々荒れやうがよく盛り上がる。けふも弐回公演ともよぅウケて、楽しんで頂けたやうである。強いて云へばやはり夜の部の方は、酒を呑むお客が多いぶん盛り上がりも派手。ミミやしーなさんの唄を目当てに来た人にも、ワシが唄った弐曲(憧れのハワイ航路、バス・ストップ)もアクセントになり、よぅウケた。良いライヴだった。

終演後の打ち上げは、当然「お寿司」。大将の匠の技を堪能させて頂いた。前回、あまりの美味さと濃い口の日本酒にヤラれ、気付いた時には寝落ちしてゐた轍を踏まぬやうに、今回は「寿司&ワイン」に挑戦。まぁやはり酔っ払いはしたが、最後まで意識は保ったまま帰宅。お疲れ様でした。

この市兵衛楽団、もオモロいなぁ。云はば「しーシュ+着物団」て事で、二つのユニットが、かういふ協力体制にある、てのぁ楽しい。

6日(月)-------------------------------------------------------------------

ぢつは喉の痛みは続いてゐるのだが、今年最後のソロ「独弾」のライヴも近付いてゐるので、スタヂヲ入りす。あまりガナらないやうにして、90分ほど唄い込み。声の「出」にはさほど異常はないが、やはり高音域を出すと痛みが走り、咳が出る。ん〜〜〜〜・・・。

スタヂヲの近所のスーパーに「空芯菜」があったので買う。中国の野菜料理と云へば空芯菜、と云はれてゐるが、中国のワシが行った地域では何処のメニュウにも無かったな(笑)。油で炒め、合わせ調味料を絡めると美味。ほうれん草の何倍もの栄養価、なんだってょ。

7日(火)-----------------------------------------------------------------

専門学校→しーシュのリハ→レッスン→FM収録→企画会議。

しーシュの年末から来年春にかけてのスケヂュールが決まって来てゐる。ますます旅の多い日々になりさうだ。『すごぃあちこち行ってるねぇ』と云はれ、やや冗談めかして『生き急いでますから』と応えてゐるが、あながちジョークでもない。やれるうちになんでもやっておかぬと、滋賀の山田さとしぢゃないが『ボヤボヤしてたらすぐ死んでまう』のだ。

しーシュはれっきとした「中年デュオ」だ。体力も、技術も、色んな事柄が、これから先「アガって行く」事はあり得ぬ。あり得ぬ以上、生き急いでナンボの人生、なのである。迷ったり、寄り道なんぞしてるヒマはないよ。

8日(水)-------------------------------------------------------------------

けふは「唄わない日」と決めてみる。

日記などを読み返してみるに、やはりこの時期・・・自分の誕生日を前後する期間で、喉をヤラれてゐる事が多い。2010年には「全く声が出なくなる」といふ状態にもなってゐたやうだ。まぁそんなもんだと思へばやり過ごす事もできるが・・・。かういふ時にこそ1〜2週間ライヴが無い、て日々があれば良からうに、とも勝手な事を思ふ。

ちなみに去年は、しーなさんが全く唄えなくなってゐた。居酒屋椎修のライヴを、ワシ独りが唄い、お客さんがしれーッとなってしまったのを、良く憶えてゐる。あれでワシは、しーシュてのぁ二人が唄ってこそナンボ、なんだな、と痛感したのである。

9日(木)-----------------------------------------------------------------

「りぶさん」来たる!。と、この日誌に何度書いたことか(笑)。

旅で知り合った音楽仲間の中でも、ワシ的に随一のファン度を誇る、横浜の陽気なトリオ「りぶさん」。彼らを広島に迎えるのも、これで4回目。新作「SUN」を引っさげての全国50何ケ所を廻る旅の6日目が広島。彼らとは、広島に迎えるのこそ年に一度あるかないか、ではあるが、余所の地では何度も逢ってゐて、けふ逢うのも今年で5回目。

イベントで一緒する事が多いので、いつもは彼らの「得意ナンバー」を聴き馴染んでゐるが、けふはしーシュとの2マン、といふ事で、いつもは聴けないカヴァーやマニア向けの路線も聴けて嬉しい。相変わらず、唄も演奏も良くキマってゐる。

彼らを語る時、その楽曲のポップさ、ハッピーさ、泥臭い陽気さ、などが語られ、それは確かに彼らの魅力には違いないのだが、ワシ的には彼らの「さり気ないテクニシャンぶり」を強く語りたい。さう、りぶさんの3人は、演奏も唄もかなり『上手い』のだ。今回は新作の発表ツアーといふ事もあり、流石にまだ演り熟れてない感、は否めない部分もあった。それと同時に、グルーヴ的に彼らが次のステップに移ろうとしてゐるのを、強く感じた。このツアーが終わる頃には、また強くなった彼らを見れる事だらう。

毎度思ふが、このやうな素晴らしい若者チームに、『尊敬する大好きな先輩』と呼んでもらへる事を、しっかり肝に命じておきたい。

けふはワシらもなかなか良かった。りぶさんの「陽」に対する「陰」。「SUN」に対する「MOON」といふ事で、対比を出せた良いイベントだった。此所数日の喉のトラブルを懸念せしも、本番は問題なし。「陰」の役割をしっかり果たせた、と思ふ。

けふのトピック、としてはワシがドラムスを叩いた事(笑)。

ワシはこれまで興味の向くままに、ピヤノやギター、ハモニカに三線、パーカスからセロに至るまで、色んな楽器にトライして来たが、何故かドラムスには一度も興味を惹かれた事がない。アレを叩く自分の姿が想像できない。

だが、ウチも新作の制作に取りかかり始め、どーやらそこで一瞬なりともドラムスが欲しい、といふ事になり、ぢゃあしゃぁないから演らうか、みたいな話をしてゐた処だった。ライヴのアンコールにて、りぶさんとしーシュのセッションとなり、楽器に溢れる事になったワシは、なにか『やったろぅぢゃん』みたいな気になり、ドラムスを担当した。人生初ドラムスにチャレンヂだ。

りぶさんのけんじまん(Gu)曰く、『演ってるうちにどんどんコツを掴んで来るのが分かった』といふ上達ぶりで(笑)、まぁ楽しかった。このイキオイをかって、新作のレコーディングでも、華麗なるドラムスを披露せん。

りぶさんはこの後も2ヶ月近く旅が続くのださう。気を付けて、良い旅を。キミらの「SUN」を各地に届けておくれよ。

10日(金)-------------------------------------------------------------------

りぶさんと共に3時まで打ち上がり、9時から専門学校、といふハードワーク。

生徒にも事情を説明し、『授業中に寝てたら遠慮なく殴って起こせ』と云ってたが、結構白熱した授業を2時限。その後、此所数日の喉の不調を調査すべく、声帯を専門に診てくれる、と評判の咽喉科に行く。内視鏡を使って自分の「声帯」を初めて見た。医師曰く『声帯や喉粘膜には異常なし』とのこと。だが、鼻の異常を指摘され、そんな事ぁ百年前から分かってるんだが・・・てなかんぢで。

だがまぁ「異常なし」と診断されたのなら、唄って喉が痛むのも「気のせい」て事だらう。咳き込もうが血が出やうが歌え、と云ふ事だ。唄う。

その後レッスン。なかなか盛り沢山で、移動も多く、帰宅する頃にはくたくた、といふかんぢの壱日。


3週目

11日(土)-------------------------------------------------------------------

多分、今年最後のベース弾き語りソロ「独弾」@黒瀬町串小屋。4月以来ぶり。

喉のアレが問われるナニだが、まぁ気にしても仕方ない。リハでヤバいやうならば・・・と、万が一に備え、周辺機器色々も準備して行く。愛車にっちで約90分、黒瀬町目指して走る。今朝になってPAオペのオクボさんに、どーしても断れぬ急用が入ったらしく、仕方なくセルフオペにてリハをす。この際なので喉を暖める目的も含め、開場の10分前まで、充分なリハ時間を取って声出し。

前回来た時は大雨にも祟られ、集客も淋しかったが、今回は割と早い時間からぼちぼちお客さんが集まり、最終的には満席に。お馴染みヤマナカーニャ夫妻を中心に、呉界隈の人脈が沢山集まってくれた。珍しく生徒(♀)もひとり初お目見え。PAのボリゥムは最低限にして、出来るだけナマ声に近いかんぢで、スタート。

けふ心掛けてゐたのは、「たくさん曲を演る」てのと、「いちいち曲名と曲解説を入れる」といふこと(笑)。いつもはなんも喋らずにトットコ曲を進めるので、一部のお客さんからクレームがあり、まぁタマにはえぇか、とさうしてみた。そしたらえらいことウケた。は〜なるほどね。『多くを語らぬ』といふのと『要る事も云わぬ』といふのでは違うんだね、と。

演目:ストロマトライト/カプチーノ/裸足の唄うたい/振り向いたらトゥアタラ/君が亡くなって壱年が過ぎた/夜の駱駝/リバーサイドホテル/金魚/微熱/よぅそろ(前半)。あやかし/スマイル/ニットキャップマン/I Will/夜明けの海ごっこ/慈夜/らのえてぃあ/丘にのぼる時/Dance(後半)。此岸之朱/World is not one(アンコール)。以上、シメて21曲!。カヴァーオリジナル見境なく、公約通り(?)ホンマにたっぷり唄いました。お客さんもたいへん満足して頂けたやうで、嬉しい。

喉はほぼ問題なく。いつもより「(声の)出る場所が違う」かんぢがして、むしろ悪くない。今後かういふ唄い方になるならそれぁそれで良いかもねぇ。二日後のオリエンタルホテルで、この唄い方ができるか、もポイントにはなるが・・・。

打ち上げは例によって、お店をそのまま宴会場に。気心知れた人達と語り、飲み、喰ふ。楽しい時間。久しぶりにだいぶ遅くまで呑んでたな。

12日(日)-------------------------------------------------------------------

例によって会場の弐階に泊まり、昨日の打ち上げの残り飯で朝飯。昼前頃に辞す。来年もまた、と云はれ、喜んで、と応える。

ウチに帰ってしばらくのんびりしたら、けふは佐藤弘之のレコーディングへ。先週の日誌で『なぜ弾かせてくれん』云々と書いた所、一部の方が同意に感じてくれ、サトさんに提訴してくれたさう。んで、サトさんから連絡が入り、手伝う事に。ありがとうざいます。

レコーディング、つってもライヴレコーディングで、サトさんのいつものかんぢのライヴをまんま録音する、と云ふ豪快な。ミスにどの程度まで目を瞑るか、が後々テーマになりさうではある。結構たっぷりと前後半に分けて唄われた楽曲群のうち、ワシは4〜5曲で絡ませて頂いた。共演自体が久しぶりだったので、流石にノリが噛み合わぬ部分も多かったが、あとはサトさんと制作スタッフの決定にお任せしやう。

良きアルバムにならん事を。

13日(月)-------------------------------------------------------------------

巨大台風接近の中、所属してゐる楽器店主催の発表会が。

昨日までのウェザーニュウスで、どーやら台風直撃コースである事が判明し、実際朝の時点で3ツくらい警報が出てゐた。当然、中止になるもの、と思ってゐたが、何故か決行!の決断が下され。講師一同、やや頸を捻りながら働く。まぁデカい施設内でのイベントなので、中に居るぶんには何処よりも安全と云へるのではあるが・・・。

当然、来れない生徒もゐる(電車が止まった)し、だいたいお客さん来れんやろ?てなハナシで、実際は雨風共にそれほど酷い事にはならなんだのだが、まぁ予想通り、開けてみれば600人収容のホールに50人ゐるかゐないか・・の。それでも生徒達の熱演は陰るものではないし、講師演奏もバリバリと演って、まぁ楽しかった。

思ふところあって、打ち上げではノンアルコール。カルピスを飲みながら、気の合う生徒や講師達と歓談。会話が楽しければ、酒なんぞ無くても全然大丈夫だな。ツイデに帰りの足のないヤツを2人ほど最寄りまで送り、1時過ぎに帰宅。

14日(火)-----------------------------------------------------------------

専門学校→咽喉科→レッスン→ソロ営業。

火曜日のレッスン会場から、直接オリエンタルホテルへ入る初めての試み。レッスン室で着替え、近場の県達奇異で軽く晩飯にし、車でオリエンタルへ。全然イケるな。今後火曜日も営業の候補日に挙げられる。まぁ遅い時間帯の生徒が居らんから出来る事だが・・・。

けふはどーしたのか、えらい閑古鳥の鳴くニューヨーク・カフェ。「お客が少ない」とは云っても、普通2〜3組の入れ替わりはあるものだが、けふは来店者そのものが居ない状態。結局、21時から23時半までの間、お客は常連Hさんご夫妻のみ。フロアの若衆やバーテンさんまで含め、まるでプライヴェート・ライヴのやうに、25曲じっくり聴いて頂いた。ガヤの多いお客100人より、全然イイ(笑)。

喉の不調が始まって以来、こないだのベース弾き語りソロに次ぐ重要な仕事だったが、3ステージ唄い切って問題なし。この声でしばらくいってみやう。

15日(水)-------------------------------------------------------------------

居酒屋椎修:神無月の巻。

咽喉科通いなどで時間が取れず、けふの会場入りまでの間に、買い出しと仕込みを急ぐ。300gのパスタサラダを作り、麺ものはアサリとイカのしをからで作る「ボンゴレ風焼そば」に決定。譜面も忘れずに帯同。ワシらは料理人ではなくて、ミュージシャンですんでね。

此所数回、やや落ち着いた集客だった居酒屋だが、けふは久しぶりの大入り満員。なんと千葉から来てくれたファンもゐて、いや〜嬉しいねぇ。料理も出るでる。少なく見積もってゐた訳でもないのだが、小鉢料理は次々と売り切れになり、ワシも久しぶりにステージに上がる直前までフライパンを振ってゐた。

料理がだいぶ売り切れたので、そのぶんライヴタイムをたっぷりとって沢山聴いて頂いた。居酒屋らしいテンパりもあるにはあったが、総じて良いかんぢにライヴが進めた。遠く遊びに来てくれたファンにも、料理音楽双方で満足して頂けたなら嬉しいな。

ライヴは新曲も。本邦初公開の「かげろふ」や、大阪・関目以来2回目の「メアンキエリ」など、新たなしーシュの局面。その演目:Dance/亀の庭/サイドカーに犬を乗せて/あじさい/妖怪アニソンメドレー/オペラ座の怪人/あやかし/かげろふ/メアンキエリ/しはすはすすむ/星をめぐる旅。シメて11曲!。

16日(木)-----------------------------------------------------------------

朝、WADAバンドのライヴ前最終リハがある。このバンドでのニッチもだいぶ決まり、本番でもきっちり役目を果たさん。

ジャマラディーン・タクマが女性Voのバックでベースを弾いてる、ていふアルバムに興味惹かれ、聴く。ややジャズィなアレンジの、・・・まぁ『ピヤノトリオに電気ベースでアプローチする場合のお手本』的なことを演ってゐる。・・・なんて思はせといて、イキナリ変態的なベースのソロがっ!・・・とか期待したが、最後までフツー。悪くはないんだが、これタクマが弾く必要あったのかね?とも思ふ。唄が良いンで「損した」とは思はぬのだが。

あとは夜のレッスンが少しあるだけの壱日。書き出してみて気付いたが、今週唯一ライヴのない日だった。

17日(金)------------------------------------------------------------------

気付けば誕生日。50歳まであと365日だ。体力付けとかなイカンね。

けふは安芸高宮町 来原小学校にてしーシュ昼ライヴ。PTA会長がワシらのファンで、かなり前から『いつかはウチの学校で』とお誘い頂いてゐたのが、よぅやく実現。児童、その父兄(父兄参観の一環として行なわれた)、先生、PTA役員、のべ約100人を前にしーシュ。唱歌や民謡なども取り入れつつ、オリジナルもふんだんに。

仕込みや前知識のナイ人達を前にしての演奏で、聴衆のピュアな反応が楽しかった。子供らは意外にノリノリで、立ち上がって踊って良いものか・・・、先生らも、もっと羽目を外した観賞をさせてよいものか、双方迷ってるかんぢ。退屈さうにしてゐる子供もゐるにはゐたが、総じてだいたい楽しさうに聴いてくれて、ややホっとす。

かういふ場合、ウチは特に「子供向け」の楽曲を準備したりはせず、オリジナルにも手を抜かない。まぁ流石に「ジェラシー」とかは演んないけど(笑)・・・。それでもやはり「Dance」や「砂に泣き」など、一般的に人気の高い曲は、やはり子供らにもウケが良い、てのがオモロいね。

ワシはかう見えて、子供ら相手だと「乗る」タチで、結構調子良くMCもす。解説が長めになり、予定してゐた曲をだいぶ削ったが、それはそれで正解だった様子。結局1時間と少し、けっこうたっぷりと演りました。子供達から花束の贈呈もあり、さらにはサプライスといふか、子供らの合唱による「Happy birthday」も飛び出し、嬉しい我ら。生徒達とその御父兄、先生やPTA役員の方々、どぅもありがとうざいました。

演目:駱駝/苔の記憶/亀の庭/みみづく時計/Dance/音戸の舟歌〜五木の子守唄/こきりこ節/爪とぎ唄/砂に泣き/歳をとった鰐/君を乗せて

ヤングイン をはじめ、良いご縁を続かせていただいてゐる安芸高田市。早くも来年のライヴ予定を打診され、そは望むところ。今後も是非このまま長くおつきあいさせて頂きたい、と切に願ふものであります。

そして、やはりかういふ縁は、ワシ独りがベース壱本で眉根寄せて演ってゐたのでは成し得なかった事なのだらうな、とも思ひ、改めて『しーシュをやって良かったな』と思ふのである。


4週目

18日(土)-------------------------------------------------------------------

WADAバンドのライヴ。五日市は「オクトパス」といふお初のお店。

ウチが主催なので、お客さんは「御贔屓筋」。そもそも対バンも含め、素人の御婦人である和田さんの人脈を介して、の世界なので、バックを務めるワシらプロ面子の方が「場違い」なかんぢがして、それもまたオモロい。かなり平均年齢高めのお客さんだが、みんな音楽が好きな人達なので、最初ッからえらい盛り上がってゐる。楽しさうで良いね。トリのウチらもおおぃにウケ、週イチで続けたリハの成果を如何なく発揮したライヴとなった。

改めて書くと此所のメンバーは、和田さんの唄に、ドラムに石井聡至、ベースは前田順三、鍵盤の保本園枝、サックスに岡本亜希子、とワシ(Gu)、といふ布陣。「着物団」と「市兵衛楽団」とが混じって煮込んで・・・みたいな(笑)。和田さんの、自分が素人である事を充分に理解した上で「スゴ腕メンバーで唄いたい」といふ願いの元に集結した、まぁある意味最強の布陣。仲良しメンバーにて、皆で飯喰ひに行ったりして、オフも楽しい。

しかしまァワシも、コーラス要員としてメンバーに選ばれ、いつの間にか「ギタリスト」になってゐた、て云ふのが良いのか悪いのか・・・。ギターの練習にもなるし、いま演ってる中で、一番無邪気に楽しめるバンドではある。大事にしたい。

19日(日)-------------------------------------------------------------------

ひっさしぶりの日曜完全オフ。

「休業宣言」をして溜まってゐた本を読み、DVDを見る。ミッキー・ハート「ドラム・マジック」と、スティーヴン・ミズン「唄うネアンデルタール」を合わせ読みし、DVD「ヒミズ」と「エレファントマン」を観る。

「ヒミズ」は長いがオモロかった。『冷たい熱帯魚』と配役陣がモロかぶりで、もしや、と思ったらやはり監督は園子温。かういふ暗い話描かせたらピカいちやなホンマ。「エレファントマン」は再観。アンソニー・ホプキンスだったのか!。デヴィッド・リンチの猟奇趣味が、人間ドラマにすり変わった奇跡の作品。これも傑作。

へ〜、と思ったのは1980年作の「エレファントマン」、2012年作の「ヒミズ」の両方で、クライマックスに使われた音楽が、『弦楽の為のアダージョ』だった。これたしか「プラトゥーン」にも使われてたな。たしかに映像を喚起する曲ではある。

20日(月)-------------------------------------------------------------------

シュウ'sのリハ。

しばらく寝かせてゐた「明星」といふ唄を新曲として持って行く。ん"〜〜〜〜〜〜〜〜〜、我が作品ながら、パっとせん曲だな(苦笑)。

そらえぇがこのバンドでライヴしたいな。なんか黒字にはならんでも赤字にならんやうな企画を、ちょいと考へやうかね。

21日(火)-----------------------------------------------------------------

専門学校→レッスン→FM収録→企画会議。

企画会議はいつもファミレスを使ふ。けふそこではち合わせた男性に「あらっ!こんばんわ」と云はれた。見覚えがある気がしたので「あら!」と応え、「どーも意外な処で・・・」とか云ひながら、しかし誰だったか特定できず・・・。「いつもラヂヲ聴いてますよ」と云って頂き、「ありがとうざいます」、と応え、しかし、どーしても記憶が蘇らず・・・。最後は「どーも」と会釈してお先に退出したのだが・・・、

今もって思ひ出せないでゐる。すいません・・・。

自分が有名人だと云ふつもりはないが、それでもやはりこの仕事を長く続けてゐると、どーしても不特定多数に顔を知られる事になり、結果的に『相手は憶えてゐるがこちらは忘れてゐる』といふ関係も、残念ながら生じて来る。好意をもって下さる方は全て憶えておきたい、とは思ふが、如何せん阿呆なので失念してゐる事も多い。本当に申し訳ないです。

22日(水)-------------------------------------------------------------------

しーなとシュウ、といふ名前の影響・・・ではないと思ふが、我々と共演した事がある友人達が、同じやうに呼称の並列でデュオを名乗るケェスが増えて来てゐる。「しんごとひでこ」や「もりべとわかさ」など・・・。これは楽しい。

まぁ海の向かうでは「サイモンとガーファンコー」や「ホールとオーツ」や古くからあった。それの日本語版、てな処だね。「エマーソン.レイク&パーマー」「クロスビー.スティル&ナッシュ」と云ふトリオスタイルにもちなみ、「中野木本そして梶山」といふユニットを立ち上げた事もある(笑)。

「しーなとシュウ」といふユニット名は、京都の老舗男女デュオ「ふちがみとふなと」にあやかって命名した。てゆーか、仮の名前のつもりで名乗ってゐるうちに、『うむ、ユニット名が特定のナニカを象徴するでもなく、ふたつの個性の合致、といふ事で良いではないか』と思ひ到り、正式に名乗り始めたのだ。

もしもこのテのユニットが合同でイベントをひらいたら、「しーなとシュウとしんごとひでこともりべとわかさとふちがみとふなと」みたいな・・・。それも楽しい。

23日(木)-----------------------------------------------------------------

ワシは今までの音楽人生・・・に限った話ではないが、けっこうエキセントリックな人に出会って来た。さういふ人の言動は極端だけど、確かにオモロくて、一時期はさういふものからナニカ自分で掴み取れぬものか、と思って来た。だが、最近は「もぅいいや」といふかんぢ。無理にそのテの人と付き合っても疲れるだけだし、なんつってもそのタイプの人ってのは、こっちが思ふほどにはこっちの事を気にもかけてない。気を揉むだけ阿呆らしい。

これが・・・この境地が、敬愛する先輩方の云ふ『歳とったら好きな事だけやりたい』といふ事なのかね?、と少し思ったのである。ブライアン・メイの唄ぢゃないが『自分のものは大切に管理して 良い仲間とだけ付き合うのだ』である。

注釈:原文:take care of those you call your own and keep good company。Queen 「Good company/オペラ座の夜に収録」より。

24日(金)------------------------------------------------------------------

「野蛮ギャルド」ドラマー:のなか悟空の来広を迎え撃つ。

4年前からご縁を頂き、サックスの近藤直治さんと共に、広島をはじめ神戸や呉などで御一緒するやうになってゐたが、去年はお休み。弐年後しの来広となった今年、なんと悟空さん渡辺瑞季さんといふ女性のサックス奏者を連れて来られた。それならば、とこちらも女性デュオで対応。しーなさんを交えたクァルテットで演ってみやうぢゃないの、といふ企画。

2デイズの初日は呉で。レンタルしたドラムセットにシンバルが無かったりしたが(笑)、まぁその局面で演って頂くしかないので・・・。流石に演り難さうだったが、まぁいざ音を出せばそげな事は大した違いではない、と思はしむる「のなか節」の雨霰。けふは割と珍しく「曲」を演ったのだが、あいかーらずすげぇ音で演りまくりの攻めまくり。壱曲目が終わった時点で、すでに耳がキ〜ンて云ってた(笑)。久しぶりにこげな大音量で即興演るよワシも。

まぁ、あんなもんかな?。けふのところは・・・。

明日の広島アビエルト公演は、しーなさんが参加できず、ワシ、瑞季さん、悟空さんとのトライアングルになる。けふとは違ったアプローチで攻めてみやうかな?。


5週目

25日(土)-------------------------------------------------------------------

のなか悟空in広島2日目:カフェ・テアトロ・アビエルト。

けふはしーなさん抜きのトリオ演奏。よりコアな即興となるでせう。・・・たぁ云へ悟空さんの即興は、コラボ相手に合わせて、とか、場に則した、とか、映像を作り上げるやうな、とか、そんなん抜きにして『いかに自我を解放し、イった演奏ができるか』といふ世界なので、正直、共演者は誰でも一緒(笑)。ワシは初回の共演でそれを悟り、まぁそこを気に入ってもらへた訳だ。

今回の悟空さんは、割と「曲」っぽいアプローチが多いので、ちょいと逆に演り辛かったかな、と・・・。そこに気後れしててもしゃぁないので、イきましたけどね。昨日はやや大人しめだったサックスの瑞季さんも、けふは客席を練り歩いたり、ワシと絡んだりもして、仲々の熱演。舞踏のオサムくんの怪演も冴えを見せ、まぁまぁ良いライヴだった。

お客さんはとてもとても少なかった。

まぁ、上に書いたやうに悟空さんの「音楽」は、そのあり方そのものが極端で、正直なところ客演のワシの立場ではお客さんを呼び難い。演奏家としてのワシは、かういふセッションを楽しむキャパを持ち合わせてゐるが、少なくともワシやしーシュの唄(特に『サイドカー』や『Dance』)を好んで聴いてくれる人に、このライヴは薦められない。難しいところよのぅ。

今回、2年ぶりに悟空さんと御一緒させてもらった訳だが、『次も是非』と云ってもらへるのはありがたい。集客に協力は出来ぬが、まぁ次の共演の機会を、なんとなく楽しみにはしていやう。悟空さん、瑞季さん、オサムくん、お疲れ様でした。

26日(日)-------------------------------------------------------------------

二日続けて大運動会(笑)だったので、けふは楽器に触らぬ日、とす。

夕方から、オフクロの傘寿(さんぢゅ:80歳)を祝ふ会合に行く。はァ〜80ですかオフクロ様。

割とマメに家の周りの雑務を黙々とこなしてゐた親父が、昨年5月に癌で逝ってからといふもの、その雑務の多さに改めて気付いてゐるといふ。どっちかてーと病弱で足腰も弱いオフクロには、まぁさぞやキツいのだらう、と思ふ。だがウチの家系は両親共に長命の一族で、だいたい皆90手前まで生き、親父も癌で逝ったとは云へ86まで、バーチャン(オフクロの母親)は92まで生きた。

自分もそれぐらいまで生きるのかも、と思ふと時折クラっとするが、オフクロにはまだ元気で長生きしてほしいモンだ、と改めて思った。

27日(月)-------------------------------------------------------------------

しーシュのリハ。

今年中盤に作った数曲は、どれも難易度が高くて、まだ発表に到ってないのがあるのだが、この頃よぅやくフツーに通せるやうにはなってきたかな?。年末にかけてお披露目の予定。てゆーか、もぅ11月になるのね。カレンダーもあと弐枚。来年春の演奏予定も固まりつつあるし、来年のシステム手帳も買わねばならん時期だ。やれやれ、ホンマにこないだ年が明けたやうな気がするのにねぇ。

けふはしーシュのオフィシァルサイトを、ワシも動かせるやうにする為に、ナニカをインストールしてナニカする。これまでしーシュのサイト運営はしーなさんに任せてゐたので、これからはワシもそれができるやうになった、とのこと。ふーん、良く分かりませんが・・・。

だいぶ遅くまでかかったので、帰りの足で買い物に寄る。したらしーなさんも買い物に来てゐて『アラ奥さん!』『あらマ意外なとこで!』みたいな・・・(笑)。

28日(火)-----------------------------------------------------------------

ジャック・ブルースの訃報。

遂にこの日が来たか、てかんぢ。長く闘病中だったさうだが、近年の写真見ると、物凄いお爺さんみたいだったからねぇ。若い頃にドラッグとアルコールでぼろぼろになってたにしては、長く生きた方だとも思ふ。

云ふまでもなく、ワシが影響を受けたベーシストのひとりだ。英国における伝説のロックバンド「クリーム」にて、ベースをギターのやうに弾き唄わせる、と云ふ事を世に知らしめた最初期のベーシスト。

だが、意外にもワシはクリームの音楽自体はピンと来ない。「ジャック・ブルースが好き」と云ふと、必ずクリームと、その時代のギブソンEBのサウンドにつひて言及されるが、ワシが好きなのはその後・・・『細けぇ事は気にすんなよ』と云はむばかりのバイタリティで、NYのアングラ勢に絡み、「ヘタウマ」とも取られかねない怪しいピッチでフレットレスを弾きまくり、味わい深い唄声を聞かせたジャックのファンなのだ。

『唄とベースを同時にやる事が好きなんだ。鳥に「唄うな」ってのがナンセンスだと思ふだらう?。私にとってプレイする、と云ふ事はそんな感覚なんだよ(ベースマガジンのインタヴーより:ジャック44歳時期)』。ワシはジャックの、かういふ部分のファンなのだ。

御冥福をお祈りします。

29日(水)-------------------------------------------------------------------

ナニカと話題になってる映画「トランスフォーマー」観る。

なんとまぁ・・・・、てかんぢ。気弱でスケベな主人公、エロエロ光線大放出のヒロイン、強い軍隊、カッコいいクルマ、闘うロボット・・・。アイテムを羅列しただけで内容が想像出来、んでまたその通りだった、といふシムプルな話し。男の妄想と願望を、莫大な予算を投じて映像化した、煩悩の2時間半!。半分くらい寝てしまったが、それでちょうど良いかんぢだった。

昨今、このテの映画では、悪役が人間以外である事が多い。これなら問答無用に成敗できるし、首を引きちぎろうが同体をまっぷたつに切り裂こうが、残酷描写にはならんからね。楽なやり方だ。ヒロインがまたセクシーさを過剰に演出してゐて、逆に全然エロくないのはいただけない。

この「トランスフォーマー」、映画は3作目まで出来てゐる。これがオモロかったら2と3も観やう、と思ってゐたが、多分ほぼ同じだと思ふので、やーめた・・・。

30日(木)-----------------------------------------------------------------

元弟子の川島弘光が参加してゐる「ロザリーヒル」といふバンドの音源を入手。

ワシんとこに来てた頃は17〜18歳。もぅ30代にはなってるハズで、しばらく連絡も取ってないが、何故か最近になって、彼らのファンらしき人脈から次々とつぃったーをフォローされるやうになり、『どげな活動をしとるんかいな?』といふ思ひから・・・。

パワーポップ、て云ふのか?、近代的なデヂタルサウンドと生々しいバンドサウンドが上手く解け合った、仲々の快作。その中でベースがぶりゅぶりゅ云ってるのは、まぁ「らしぃ」といふか・・・(笑)。『変態的ベース』等と云はれてゐるらしひ。

CDを聴く限りでは、メンバー全員かなりの演奏力。東京でバンドで喰ってくのは、それぁたいへんな苦労を伴うだらうが、まぁ負けずに頑張れよ、と。

31日(金)------------------------------------------------------------------

広島の老舗ロックバンド・春秋楽団、39年に渡る活動に遂に終止符。そのラストライヴに行って来た。考へてみたら、自分がかつて在籍したバンドの解散コンサートを、客としてちゃんと見に行くのは49年で初めての経験だ。

ワシは(多分)1992年にベーシストとして参加し、(多分)2002年に脱退した。春秋は二人のGu&VoとDrは不動だが、ベーシストの出入りだけ激しいバンドだった。ワシは三代目のベーシストにあたる。一番頻繁にライヴを演ってゐた時期のメンバー。まだ20代の青年だった。歴代のベーシストの中で、もっとも「らしくない」メンバー(アメリカン・ロックの影響が強いバンドに、プログレ系のベーシスト、といふ)ではあったが、ひと回り年齢差のある(他メンバーはだいたいワシより10歳年上)中でよくやってたなぁ、と思ふ。16歳の時に初めて見て感動したバンドに、その後自分が加入する、と云ふ、物語チックな話ではあった。

本日の演目、と云ふ冊子が用意してあり、それによると22曲も演るらしひ。大丈夫かいな、と思ひながら見る。新旧カヴァー取り混ぜ、流石にオシマイ頃には疲れが隠せないかんぢだったが、最後まできっちり聴かせてくれた。元メンバーとして当然ながら、ほぼ全曲一緒に唄えた。今この中にワシがまだ在籍してゐたら、どんなだっただらうか?とか思ひながら。

ほぼ満席の会場は、時ならぬ同窓会の様相を呈してゐた。なん百年ぶりかに会う人がいっぱい。39年間、1つのバンドを存続させる、てのはさういふ事なのだな、と。しーシュがあと29年やらなアカン、て事か(笑)。さうありたいね。生きてられっかな?(笑)。

春秋は解散するが、メンバーが音楽そのものを辞める訳ではない。またどっかで少しくらい一緒に演れるだらう。良いライヴだった。皆さん、39年間お疲れ様でした。


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