9月


壱週目

1日(火)---------------------------------------------------------------

9月になった。力強い秋の到来だ。レッスン二つ→FMの収録→企画会議。

今月半ばの連休に、壱年ぶりに訪ねて行く、宮城県は女川への旅路の調整をあれこれ。結局、広島〜仙台の直行便が取れず、まづ東京まで飛行機で行き、そっから東北新幹線で仙台まで行く事になる。東北新幹線!。東京より東へ向かふ路線は初めて(あ、柏があったか)なので、これはこれでワクつく。

フと、なんなら東京〜仙台間を在来線で行けば?といふ思ひもかすめる。・・が、調べてみると所要時間8時間。しかも我々は仙台が最終目的地ではなく、そっから先へ進まねばならぬ。とてもぢゃないがそんな時間はない、ので、却下。

宿泊&航空券担当のしーなさんによると、此所数カ月で、目に見えて宿やチケットが取り難くなってゐるさうだ。すでに年末の遠征の宿が取れないらしひ。如何なる事体なりや?

2日(水)----------------------------------------------------------------

買い替えた車が納車される日・・・、と思ってゐたが、ナニやら時間がかかってゐるらしく、明日になる。半日空けてゐたのがムダになった。

夜は久しぶりにKOBAへ。サックスの近藤直司さんのライヴに参加。近藤さんは、「のなか吾空」さんとのトリオでご一緒して以来だが、今回はのなかさん抜きでの遠征。演るのはやっぱり「フリー」の「即興」で、まぁ打楽器が居ない編成なぶん、より自由度の増す演奏となる。だがワシは現在、メロディ性を抜きにした混沌的な即興には食傷気味で、けふは割と整合性を試みてみた。唄まで唄った。

お客さんの中に、イギリスから旅行中、といふジャズ好きの青年がゐて、あれこれ訊ねて来るのを、見事な言語能力で対応する(笑)。「アーマッド・ジャマル」といふ発音は、ほぼ「アマッチャマ」で良い事など判明。お前はいつからベースを弾いてゐるのか?と問はれ、数字を数えるのがめんどくさいので「氷河期から」と答える。帰りにはアンプを下まで運んでくれた。Thank you. Have a nice time in Japan.

3日(木)---------------------------------------------------------------

新しい車(中古)が来た。

走行距離はだいぶイってるのだが、外装も内装も、ディーラーが驚くほどキレイ。前の持ち主がよほど丁寧に乗ってゐたのだらう。ワシも丁寧に乗ってやらねばバチが当たるね。これからよろしく。パワーウィンドウなんぞ付いてる車のオーナーになるのも初めてだ。ただ、オーディオが「カセット」なのには笑った。こんなコトならカセットテープのコレクションを捨てねばよかったな、と。

車種的には、弐代目(1998年〜2006年)に乗ってゐた「ぐすたふ」と同じスズキのエヴリィである。「ぐすたふ」と同じ車種で、「にっち」からナンバーをそのまま受け継いだ、ので、この車は「ぐっち」と名付けやう。ただ「希望ナンバー所得」に別途料金が必要で、昨日のギャラが全部飛んでった。

レッスンにはしかしチャリで行く。壱週間ぶりに弾くギターが、シャレにならんくらいくそヘタになってゐて、参る。昔はそれほど練習せずとも、ギターとベースの両立がもぅ少しはマシに出来てゐたやうな気がするのだが・・・。ん"〜〜〜〜〜〜〜。

4日(金)-----------------------------------------------------------------

そのくそヘタなギターで和田バンドのリハ=朝練へ。ライヴも近付いてゐる事だし、ちゃんと練習せねばクビになるぞ。

けふは珍しく昼イチの時間にレッスンが入り、和田バン練から直接スタヂヲに。昼イチでもなんでも、日に5人づつくらいの生徒さんが、週4でコンスタントに廻れば、なんとか生活も廻るンだがネ〜、といふかんぢ。まぁ云ふても詮無いが・・・。

夜は、若手爽やかいけめんシンガーソングライター香川裕光くんの月例企画「フライデー・アクースティック・ナイト」に、しーシュで出演。会場のプールバァNICOは、ワシの生れ故郷廿日市市にあり、それもありて会場では懐かしき再会や、驚きの邂逅などもあり、たいへん幸せで平和な宴となった。

香川くんはパーカスの川本恭子ちゃんと、こちらも男女のデュオで聴かせてくれた。何度か見てゐるが、見るたびに「熟れて」来てゐる香川くん。彼のナンとも云へない和やかで優しいオーラは、やはり色んなハッピィを運んで来るのだな、と改めて思ふ。

ウチらのライヴは、まぁ結構荒い演奏だったりしたのだが(苦笑)、香川くん筋のお客さんからも絶賛を受け、しーシュも地力が付いたな、と。故郷で演る、といふ事の楽しさも、素直に喜べるやうになった。良い夜だった。


2週目

5日(土)-------------------------------------------------------------

しーシュの・・・と云ふよりけふは『シャンソニエ・シュウ』のリハ(笑)。まぁワシがしーなさんのピヤノで、全編楽器持たずにシャンソンとかスタンダードを唄う、といふ、ね。

今後さういふ事もやって行かん、と思ひ付きで始めてみたが、これが思ひの他おもしろくて、まるまる2時間、唄のみに専念したリハとなった。指導により、より「それらしく」聴こえる伊太利語、とか(笑)。しーなさんからも改めて『あんたホンマに器用な人やね』と御墨付き戴く。まぁ此所数年、割と本気で唄に取り組んで来た成果も、少しは出てゐるのかな?と。近々、ライヴ打ち立てますんで・・(笑)。

けふはその後、「うどんのわきた」30周年祝会、に出席。ボビーズのメンバーと、ファンの女性数名でお祝いす。

ボビーさん41歳で「わきた」を始めたのださう。飲食店が10年以上続くだけでも大した事なのに、云っちゃナンだが、うどんにこだわった店で、ワシが二十歳の時から営業してる、てのぁもぅ、ね・・・。ぢつは、春先ぐらいに一度閉店も考へたらしひのだが、進藤センセイの『再就職先は無いぜ』といふ言葉で撤回(笑)。身体が動くうちは続ける、のださうな。

ボビーさんが元気なうちに、弟子入りして習っておこうかな、と半ば真剣に思ったりもした。

6日(日)-----------------------------------------------------------------

眠い。とても眠い壱日。

よぅ雨も降ってゐるので、壱日休む。

7日(月)---------------------------------------------------------------

このところ活字が良くアタマに入り、読書量が増えてゐる。金欠にて新書はなかなか買えず、古本・・・しかも壱冊¥100のを選んで買う、といふ体たらくだが、さういふ古本を選ぶもまた楽しい。ワシはナニカの情報を得る為に本を読むタイプではないので、古からうが新しからうが構わんのだ。

「古本屋」と云っても、昨今のそれはデパァトの様相を呈しており、昔ながらの「本に詳しい頑固げな親父が独りで店番してゐる」と云ったかんぢではない。入りやすいっちゃ入りやすくて良いのだが、ここで終始けっこうな音量でつまらんJ-popがかけられており、それに閉口する事しばしば。クラシックを流せ、とは云はぬが、せめてもぅ少し考へぬか?。

現在ヒットしてゐるからかういふ場所で流れるんだらうが、まーぁその内容の空虚なことよ。てにをはの違う説明文のやうだ。中には、かういふシチュエーションで聴いてもあざとい、と思へるほど、ベースがずりゅずりゅ云ってる曲があり、さういふ「無駄なアレンジ」感もとてもイヤ。

8日(火)---------------------------------------------------------------

新しい愛車「ぐっち」に、カセットしかない旨、先日も書いた。

ワシはもぅだいぶ前に、持ってゐた膨大なカセットテープのコレクションを「処分」してゐて、こんな事なら捨てにゃ良かった、と思った。だがアレでも、と探してみたところ、20代の始めにラヂヲ番組からエアチェックした、ソウルやR&Bのコレクションが2本出て来た。今となってはCDで復刻されて珍しくもない「それ系の」音源が、ピーター・バラカンの名解説の元に紹介されてゐて、素晴らしい。

思へば、来日したミュージシャンのライヴをそのまま流したりしてた番組とかも、全部録ってゐて、あれなんぞプレミアが付いてもおかしくないほど貴重な音源だったらうに・・・。ア"〜〜捨てるんぢゃなかったな〜。

あの頃は、音楽はかうやって「摂取」してゐた。なんせ金がなかったからねぇ(今もだが)・・・。懐かしき青春の日々が蘇る。

9日(水)----------------------------------------------------------------

隔週で向原までレッスンに行ってゐる。

車で壱時間くらいかかるのだが、田舎道を走るのはそれなりに気持ち良く、気分転換のドライヴも兼ねてゐる。けふ新しい生徒のお試しレッスンがあり、上手く行けば此所でもレッスンが展開できるやうになるかもしれん。今はヴォイストレーニングだけだが、いづれ、まぁ、例えば子供かおっさんの、バンドかなんんかが、「ライヴが近いけェレクチュアしてくれ」みたいな案件に携れると良い。

その後、今度は市内の真反対側、五日市まで行き、唄とベースのレッスン。移動距離、長し。だがまぁ、製品を売ったり配送したりする仕事に従事してる人なんザ、こんなもんぢゃない移動を日頃からしてるんだらうし。

皆さん、安全運転で参りませう。

10日(木)---------------------------------------------------------------

しーシュのリハ。

ライヴが多かったので、「リハ!」としてリハをすると、新鮮で良い。リハでしかチャレンヂし得ぬことを演ってみたり、とか・・・。さういふコトが積み重なって、本番でホンマの「チャレンヂ」が出来るやうになる。いいね。あと、例の「シャンソニエ・シュウ」のリハもやった。イタ〜リァ語をちょいと真面目に練習して挑みます。

その後、ウチらのファンである御夫婦に招待して頂き、食事会。おそらく、こんな事でもない限り、口にする機会などないであらう料理の数々を御馳走になる。我らのやうな弱小グループの唄と音楽を気に入り、斯様な席に招いていただき、そして「楽しい」と云って下さる心意気に、我らは音楽家として、なんとしても応えねばならない。最善の音楽を演り続ける。それしかない。

たいへん楽しく気持ちの良い宴であったが、タマタマ同時刻に同じ店にゐた客の中で、態度言動ともに最低の女が居り、そは離れたテーブルに聴こえて来るその雑言を耳にするだけで、この世の行く末を嘆いてしまふ程の酷さ。こんなのがゐるんだねぇ、ホンマに・・・。友人知人の中に、これに「近い」者ですら居ない、と云ふ幸運を感謝しやう。

11日(金)-----------------------------------------------------------------

リハ三昧。

まづはパーカスの青木いく子とのデュオリハ。現時点では、リハと云ふよりいく子さんの練習に付き合ってる、と云ふかんぢ。曲に対応するセンスと瞬発力、と、まぁパタンをどれだけ知ってるか、そんでそれをどれだけ正確に演奏できるか、といふ面すべてをひっくるめて「演奏技術」だと思ふのだ。フィーリングだの勢いだの云ってるうちは「技術がない」といふ事。己も顧みて肝に命ずる。

すぐ続いてSHU'sのリハ。10月17日のマラソンライヴで、演るラインナップ(このトリオの)が決まったので、それを。このトリオでは元オルカ団で演ってたナンバーをアレンジし直したラインナップが中心となる。並べてみると、えれぇ曲が暗い(笑)。まぁニンゲンが暗いんだからしょ〜がないか。パイグが積極的にハモらうとしてくれてゐるのが良い。前も書いたが、この二人(木元沢也、榎本雅美)は、上手い。

これまで暫定的に「SHU's」を名乗って来たこのトリオだが、本日より正式に「よなかのとうふ」といふ名前のチームとして稼動を開始す。

いく子さんとのリハからよなかのとうふのリハまで、4時間唄いっぱなしのリハであった。さすがにくたびれたが、考へてみたら水を壱滴も口にせなんだ。ポール・マッカートニィのやうに。


3週目

12日(土)-------------------------------------------------------------

ぢつに25年ぶりに「カタギ」のバイトに行って来た。内容につひてはプロテクトしておこう。

ラッキーにも20代中盤から音楽の仕事が軌道に乗り始め、1992年頃の日記に『さういへば今月は◎○(バイト)をしてゐない』と書いてゐる。それ以降、ホンマに幸いな事に音楽だけ演って喰って来てゐた。今も「もぅダメだ」といふかんぢでもなく、切り詰めれば暮らしが出来ない訳でもないのだが、なにかフと「バイトしても良いやうな」気がしたのだ。

久しぶりに肉体を動かして、労働に従事する感覚は、それなりに楽しかった。またやっても良いな、と思ったが、髪の毛と鬚につひて言及された時、思ひ出した。さぅだ、このテの仕事はさういふ制約があるのだ。だからカタギをやめたんだった。この歳になって、それを云はれるたぁ思ひもよらなんだ。

まぁ、どーしても切る(剃る)羽目になるなら、辞めるしかない。バイトで喰ってくつもりはないからね。

13日(日)-----------------------------------------------------------------

居酒屋椎修。4回めの9月、だな。

けふは素麺を使ったレシピを開発。上手く材料を調整すると、バックパック壱個にまとめる事が出来た。ので、チャリで出勤。これだと、ちょいと「つまみ食い」ならぬ「つまみ飲み」ができるので・・・(笑)。

此所数回、来客数が落ち着いてゐたので、けふも何となくユルく構えてゐたら、いつもとは違う顔ぶれが続々来店。結局満席となり、これがまたよぅ飲み喰ひしてくれる人達で、厨房は嬉しい悲鳴。ライヴを始めるまでの間に、生ビールの樽や、小鉢料理のあらかたが売り切れてしまふ、と云ふ快挙。

ライヴもえぇかんぢ。しーな新曲第二段「サンダル履いて」もお披露目となり、旅するえせニック歌謡デュオ、ますますの円熟味で進みけり、みたいな・・。

けふも良い居酒屋だった。しーなさんはけふ誕生日だったが、特にそれらしいふれこみもなく、恙無く日を過ごした。それが良い。しーなさん位の人気者になると、不特定多数に祝われないのが不自然な事で、まぁそれも本人にしてみりゃ複雑な心境でもあらう。「なにもせんでくれ」といふ彼女の願いを、けふは叶えた壱日でもあった。

誕生日おめでとう。また、健やかな壱年を。

14日(月)---------------------------------------------------------------

昨日本番でも、けふもリハやる真面目なデュオ、しーシュ(笑)。

こは週末の東北ツアーで、ギターのみで完全ナマ音、で演らねばならぬ局面があり、それに則したリハ。これが普通にイケるやうになれば、例えばピヤノもPAもない喫茶店や画廊、例えばワシらが前々からライヴをしたいと願ってゐる、犬山の喫茶「ふう」とかでもイケる、と。さういふリハ。局面としては、高い確率で「借り物ギター」て事になるだらうから、それも視野に入れつつ・・・。

これで東北への出発まで、二人が顔を合わせる事はない。まぁ、大丈夫だらう。

15日(火)---------------------------------------------------------------

ワシはウチで練習する時、まぁベースは電気なのでヘッドホンを使へば問題ないが、ギターは電気でないので、難しい。『隣の住人は昼間からギターを弾いて遊んどる』とか『階下のオッサンのギターがうるさい』とか云はれると色々と面倒なので、ギターはなるべくスタヂヲか野外かで練習するやうにしてゐる。

・・・が、どーにもならぬ時の為に、いちをう「さいれんとギター」も持ってゐる。あの骨組みだけ、みたいなヤツだ。町田のてらしましんごも愛用してゐる。

たしか呉の花Club「りょーじさん」に貰ったモノ、と記憶してゐるが、まぁ指のコツを忘れぬやうにする程度の練習、であらば充分使える。スタヂヲに入って練習する時間が取れない、みたいな時には、たいへん重宝するのだ。アンプに繋いだ音も意外なほど良いのだが、ワシはまだ練習用以外で使った事はない。

末期癌で昏睡に陥った親父の枕元(病室)で、練習兼ねてづっと弾いてゐたのを思ひ出した。

16日(水)----------------------------------------------------------------

50歳になることだし、10年ぶりにニンゲンドックに行く。

所謂「半日ドック」と云ふやつで、まぁ車で云ふと「車検」みたいなもんだな。おそらく何もないだらう、と思ってゐたが、その通り。なンにも悪い所はなかった。歳相応か、ちょいと若いくらいの健康体を維持できてゐる。まぁ当然だらう。詳しい検査結果は、また改めて。

ただ、視力がかなり落ちてゐて、右と左の差が倍くらいあった。聴力はやはり「騒音性難聴」の典型。これらは「経年劣化」にて仕方なし。若干コレステロール値が高め。「食生活と運動を」と云はれたが、ワシの生活の何処を修正すれば良いのか、逆に教えよ。

健在、といふか相変わらずだったのは肺活量。50歳の平均値が3200ccとかその辺らしひが、ワシは水泳なんぞやってた上に唄うたいなもので、元より平均よりかなり高めの数値を出してゐた。今回も5400cc、といふ数値が出た。たしか10年前も同じくらい。アメリカ車なみだ。まぁ、この「肺活量」てのが多い、てゆーのか高い、てゆーのか良く分からんが、数値が大きい事で、なにか得するのか?と問はれたら、別にないです。

昔、水枕に息を吹き込んで破裂させる、といふ猛者を見た事がある。あそこまで行きゃネタにはなるだらうが・・・。

17日(木)---------------------------------------------------------------

孤独な営業「吟」。

日中リハを演ってから(大体その日のラインナップ(24曲)を選出し、曲順も決め、その流れで壱回通す)、とするが、その段になって「選曲ミス」のやうな気がして、セレクトし直すも、さうすると却ってバラバラになってしまった感あり。まぁえぇわ、と開き直って本番へ。

けふは常連Hさん御夫妻をはじめ、友人数組も見に来てくれてゐた。が、何故かステージのスグ脇に、やたらデカい声で喋るおっさん二人組が陣取ってゐて、なんでかういふ人らがわざわざステージの近くに座るかね?と思ひながら・・・。まぁこのテの人らは当然音楽なぞ聴かぬ訳で・・・。

それでも初めてワシのソロを聴いた友人は、しーシュとの違いに驚きながらも、レパートリィの多様さに感心してくれてゐた。まぁね、けふはスタンダード(スターダスト)からマドンナ(クレイジー・フォー・ユー)、テレサ・テン(つぐない)から小椋桂(6月の雨)まで演ったからねぇ(笑)。けふ演んなかったのはオリジナルくらいか・・・。

オチャラケにならずに、これだけの幅のレパートリィが取れる、といふのは、確かに自信が持てる気はす。あとはまぁ、ギターをちゃんと操って、だね。

18日(金)-----------------------------------------------------------------

終日、旅の仕度とレッスン、てかんぢの・・・。

気温がどれくらい違うだらうか?とか考へる。去年、やはりこの時期に東北を訪れたが、本土(広島)とは昼間で3〜4℃、夜で5〜6℃違ってたやうな気もす。ましてや今年は広島も既に肌寒い陽気。ん〜〜〜〜・・・、フリースを持って行くべきか・・・。

あと、飛行機の時間に合わせると、明日の朝はウチを5時くらいに出発する事になり、これもまたやれやれ、と。起きれるんだらうかねぇ?。


4週目

19日(土)女川へ!-------------------------------------------------------------

宮城県は女川へ!。

朝5時に起きて「ぐっち」で空港目指す。飛行機が7時半発、と早いてーのもあるが、ラヂヲが散々「銀週間の渋滞が」などと脅すので、懸念して早すぎるくらいに出発。まぁその甲斐あってか、ワシらが通過して5分もせぬうちに、やはり渋滞が始まった様子。反対車線はすでに長蛇の渋滞、となってゐたから、まぁ早めに行動して正解だった。

今回、ナニやらアイドルのナニカが仙台であるらしく、日本中から烏合の衆が集まり、交通も宿泊も大乱れ。ホテルや飛行機のチケットも取り難く、ホンマに参った。この仙台までの道程も、直通では行けず、羽田に降り、東京駅まで行き、東北新幹線に乗り換えて、の仙台行きとなる。

仙台駅で地元スタッフと合流。壱年ぶりの再会を喜びつつ、早速、明日の「女川さんま収穫祭」の打ち合せ。明日、同じステージにあの狂乱パフォーマンス軍団「電撃ネットワーク」も出演するさうで、そのメンバー&スタッフ方々と共に接待を受けた。海外での経験など、楽しい話しが聞けるかな?とか思ってゐたが、戸惑うくらい物静かで内向的な人達だった。

明日の本番に備えて、けふは早めに宿舎に帰る。しかし、すでに東北の海の幸とともに戴いた辛口の白ワインに

20日(日)(昼)女川サンマ収穫祭/(夜)bar&cafe OWL-----------------------------------------------------------------

さぁ!いょいょサンマ収穫祭へ。

出演時間の1時間前に会場に来て下さい、との事なのでタクシー拾って行く。果たして、会場となってゐる女川漁港に着くと、凄まじい焼き秋刀魚臭と煙が!。来場者には5000匹の焼き秋刀魚、3000食のつみれ汁、が無料で振舞われ、トロ箱いっぱいの秋刀魚(約20匹)が¥500!、とかさういふ、「もぅみんな秋刀魚が好きだらう!?」といふお祭り。すでにだいぶ盛り上がってゐて、ステージ上には地元の郷土芸能や子供らの舞いなどが順調に進んでゐる。

ワシらは演歌歌手、とアイドル歌手、の間に挿まれて出演(笑)。まぁものすごくウケはせなんだが、秋晴れの女川漁港をバックに、ホンマに気持ち良く唄い、演れた。ワシらは6曲を約30分で終わらせたが、演歌歌手なんざ6曲で1時間くらい演ってたな。

さてワシらはダブルヘッダー。

「女川受け入れ隊長」でもある、高橋圭介さんの運営するバァOWL(の庭)にて夜の部。静かな夜の女川町に、結構な音量のえせニックな唄と演奏が響き渡り・・・・、警察が来た(笑)。なんでも通報があったやうで、女川署ではなく仙台署からの警察命令によりライヴは続行不可、となった。あと2曲、くらいだったんだがネ〜。「ぢゃあ店ン中で仕切り直そう!」と提案。

お客さんもみんな椅子やら運び、店内に舞台を移し、完全アンプラグドでライヴ再開。ワシはギター、しーなさんはピヤニカで。こちらはカヴァーを中心に和気あいあいと。よぅウケた。結果的にけふワシらは「収穫祭ステージ」「OWL野外」「OWL店内」とトリプルヘッダー、を演った事になる。

まぁ喜んでもらへたのなら嬉しい。

今回は「お祭りのゲスト」といふ形での訪問だった、といふのもあるのだらうが、去年来た時より、明らかに町がチカラをつけて来てゐる、気がした。まだ復興が進んだ、とは云へぬまでも、JRの駅も完成し、ぼちぼち公共や私設での事業が活気づいてゐた。直接話しを聞いた地元の人達からも、「やったらんかい!」みたいな気概を感じた。

当然ワシら旅の者には知り得ぬ問題もあらう。すべてを知らずして「蘇りつつある」などと云ふべきではない、と思ふ。だが、一歩一歩、確実に地力を蘇らせつつあるこの町に、やはりまた来たい、と思ふ。駅前のプロムナードが完成する頃、またこの町を訪れやう、と強く思った。

21日(月)東松島 旧野蒜駅 交流センター---------------------------------------------------------------

けふは東松島は野蒜(のびる)といふ処で、慰問コンサート。

海水浴場と行楽で賑わってゐたこの海辺の町は、津波の被害をモロに受け、震災前は250世帯以上あった町に、今は18世帯しか住んでないのださう。当然、ほぼ全員が御老体。「しーなとシュウのふれあいコンサート」と銘打たれ、ポスターが各所に貼られてゐたが、「彼岸だしネ〜、どんだけ集まっカ分かんネっけド〜」と主催の青年会会長(65歳)。

しかし開演時間には、予想以上の人達が続々集まってくれた。嬉しい。

冒頭、ちょこっとだけ挨拶。広島から来た、と云ふと軽いどよめき。アコギをかき鳴らし、ピヤニカを吹き吹き、生声の届く限り力一杯唄った。オリジナルもカヴァーもたいへん喜ばれ、ラストには立ち上がって踊る人も!。皆さん「楽しかったわ〜、ありがとう」とお礼を述べて帰られる。どうやら役目は果たせたやうだ。こちらこそ、ありがとうざいました。

ワシら的には、「ギターで生声で演るしーシュ」でも結構イケる事を実感でき、良い機会だった。

3日間、色々とお世話になり、宿や行動を共にした地元スタッフの皆さんとも、けふでお別れ。仙台市内まで行き、皆で昼飯を喰ってから、またの再会を誓いあい、握手とハグを交わし、それぞれの日々に向けて散って行く。初めて出会ってから壱年が経ち、今回もあれこれ一緒にやり、皆ともすっかり打ち解けた感がある。昨日もしーなさんと話したのだが、女川にも全部で20人くらいは知り合いが出来たね、と・・・。また、女川でお会いしませう!。ありがとう。

22日(火)帰広---------------------------------------------------------------

アイドル騒乱のせいで仙台での宿が取れず、昨日ワシらは「知り合いの知り合い」といふツテだけで、仙台市泉中央のUさん御家族のお宅に泊めて頂いた。見ず知らずのワシらを丁重にもてなして下さり、今朝も6時の電車に合わせて、車でワシらを駅まで運んで下さった。なんとお礼を申し上げて良いやら。本当にありがとうざいました。

アイドル騒乱そのものは良い。だが、それを当て込んで旅館やホテルの宿泊を一挙に買い占め、直前でキャンセルす、といふ非道がまかり通ってゐるのは、嘆かわしい。アイドル経済効果云々、とは云ふけれど、実際、アイドルを見に来るやうな子供らは、コンビニで飯を済ませ、長い距離をも歩いて移動する。実際、地元にはほとんど金を落とさぬのが現状なのだ。経済効果などない。

まぁワシらはその騒乱に背を向け、一路広島へ。今回も良い東北行だった。

23日(水)----------------------------------------------------------------

世間的にはまだ祝日。

けふのワシは「バイト男」。こないだのとは違う肉体労働に従事す。完全な日雇いにて、名前も素性も訊かれぬこのかんぢは、たいへん懐かしい。想像してゐたより重労働で、終わった頃には結構くたくたになってゐた。ヤワになったねぇ。これよりキツい肉体労働を8時〜17時までやってその後ライヴ、とか、あれはまぁ若いから出来てゐた事なのだねぇ・・・。

しかしまぁ、爽快ではある。単純に疲れた身体で電車に乗り、帰り道でビールを買い、家で呑む。正しい。

24日(木)-----------------------------------------------------------------

某巨大企業から「不正請求」に近いモノが送られて来て、激怒。ワシにしては珍しく(人に電話するのが苦手)、電話口に相手を呼び出し、怒鳴り上げたった。まぁ、窓口担当社員、とは云へ、これも巨大な企業の傀儡に過ぎず、これに怒鳴った処で、ナニカが改善される訳もなく、怒鳴り損、怒鳴られ損、にしかならんのは分かってゐる。結局、ワシ→仲介→本社→ワシの詳細確認が取れてなかっただけの話しなのだが、データだけ見て物事を進めやがるからこげなコトになるのだ。

ヌルい事やってやがれば何回でも怒鳴ってやる。壱年に壱回、本社に呼び出して訓示を垂れる余裕があるなら、現場に来て、ワシらの仕事に立ち会え。

まぁこげな処に「音楽教育」と云ふモノの大方を仕切らせてしまってゐる我らにも責任はあるのだ。てゆ〜か今回のこの事件で、さっさと「要注意人物」として除名してくれんかいな。辞めたいんだけど、辞め方がわかンね〜んだよな。

25日(金)-----------------------------------------------------------------

出張レッスン→一旦帰宅→通常レッスン→しーシュ営業→明日のライヴの機材搬入。の壱日。

東北から帰って来て以来、何か異常な早寝早起きが続いてゐて、22時には眠くなり、4時頃には目が醒める、といふかんぢになってゐる。カタギならばそれはそれでよろしい事なんだらうが、ワシらのやうな仕事には、ちょいと差し支える。すなはち、オリエンタルホテル営業の3ステージ目(23時)には、完全に「おネム」状態。譜面に集中してゐるのだが眠い、と云ふ複雑な・・・。

最近このテの営業仕事が、しーシュの「阿吽のトレーニング」=如何に目、顔を合わさず呼吸を合わせるか、を磨く場となってゐる。演奏し慣れた一般の曲を、どのやうに即興アレンジし、局面局面でどちらが主導を取るか、など、見てゐる人は気付かぬであらう駆け引きを、自分らが楽しんでゐる。

思へば、ジャズがポップスだった時代・・・、1930〜40年代のアメリカ。相当数の現場で、夜毎ナマ音によって奏でられる、生まれたばかりの「ジャズ」が、どれほど刺激と起伏に富み、どれだけ直感的、野性的な音楽だった事だらう。「進化」といふは、ときに残酷なものでもある。

26日(土)-------------------------------------------------------------

昨年11月に惜しまれつつ閉店した、我らがPercussion house PICO。が「フリースペース:畳屋PICO」として復活した、と云ふのは書いた。けふはそこで初めてとなる「ライヴ」。誰からも云はれてないのだが、やはりPICOと云へばしーシュであらう、と、云はば「切り込み隊長」として企画した。その栄えあるこけら落としライヴにお招きしたのは、奈良の音もダチ、バンジョーの吉崎ひろし

なんつっても普通の畳屋の作業場をライヴ会場にする、といふワシらも初の試みにて、どーなるか、といふ処だったが、PICO所縁の有志があつまり、色々と協力してくれた。吉崎さん、来訪して度胆を抜かれたやうで(笑)、オモロいわぁ〜、と云ってくれる。内心『しーシュってどないなっとんねン?』くらい思はれたかもしれんが・・・。

しかし、いざライヴが始まってみると、会場は満員。ワシらの演奏も、珍しくマイナー調の曲を避け、全編メジャーキィで盛り上げたが、吉崎さんのバンジョーの妙技は、疑うべきもない処。ガラス一枚隔てた外は、西日本随一の歓楽街にて、道行く人が次々に足を止め、覗き込んで行く。中にはそのまま居座って最後まで聴いて行かれた方もゐた。

ワシらがなんとなく狙った『路上演奏とライヴスポットの、混ざりさうな処』、といふコンセプトが、ぢつに見事に結実したライヴとなった。

大ラス、店主ツンちゃんのジェムベを交えての4人演奏は、もぅしーシュのライヴではないかのやうな(?)大盛り上がり。畳屋PICO、ライヴこけら落としは、大成功、と相成った。協力してくれた有志一同、お集りのお客さん、吉崎さん、ありがとうざいました。

終演後は、当然その場をセッティングして、の打ち上げ宴会。鉄板焼や炭火焼きなど次々と出て来て、皆でハッピーを分かち合えた日となった。しーシュもタマにぁえぇ仕事できますね。

27日(日)-----------------------------------------------------------------

昨日のライヴを終えた時くらいから、何やら身体がむずかり始めた。埃と煙でアレルギーが出たかな?とか思ってゐたが、一夜明けてみると立派な風邪症状。律儀に熱まで出てきやがった。

寝ておきたい所だったが「よなかのとうふ」のリハを入れてゐたので、行く。頑張って2時間唄い、帰って来て、寝込む。

28日(月)---------------------------------------------------------------

熱、下がらズ。寝ておきたい所だが、10/17に300年ぶりに旧友カズイと演る出し物、のリハを入れてゐたので、行く。

カズイこと数井政彦。ヤツとタッグを組んでゐたのは高校時代。と、その後25歳くらいからの1年。以降ヤツは裏方としての仕事で成功し、部下も抱え、自身のスタヂヲも持ち、ワシにとっても今や最も信頼できるオペレーターであり、プロデューサーでもある。一方ワシはその後もづッと現場にこだわり続け、浮きも沈みもせず唄だけは唄い続けてゐる。

そんな二人が音を出す。あえて高校生んときの唄を、あまり手を加えずに演る、といふ方向で。曲(主にカズイが担当)は、まぁ自画自賛なれど、高校生にしては色々オモロい事やってたなぁ〜、といふかんぢ。だが、歌詞(主にワシが担当)は中二病丸出しの恥ずいものばかり。これを今の歳で唄うのは、かなり恥ずいが、まぁ世間で流行ってる唄はこんなんばっかりだから、まぁえぇやろ。そんなかんぢで、小2時間、旧交を暖めあった。

楽しかったが、やはり無理が祟り、また熱上がる。家に帰って夜まで寝込む。夜は少し元気が出て来たので、今年初めての「鍋」を作る。

29日(火)---------------------------------------------------------------

熱、下がる。一番しんどかった咽の痛みも和らぎ、まぁどーにか・・・。レッスンに行くまでは寝込んでおく。

寝たままで「孤独な営業:吟」の曲を選ぶ。10月は2回の本番が決まり、しかも壱本目は10月初日・・・明後日だと知り慌てる。ツイデなので、新レパートリィの開拓を、寝ながらやる。まぁ焦ってもしゃあないわ。

レッスン→FM収録→こないだのライヴの機材回収→企画会議。病み上がりにしては、よぅ動いた。

30日(水)----------------------------------------------------------------

リハ三昧。

まづはWADAバンド。11月にライヴを打つ会場を借りて、のリハ。五日市のSound ZERO。以前から存在は知ってゐたが、関わった事のなかったハコである。正直、あんまり期待してなかったのだが、演ってみるとこれがたいへん素晴らしい。ステージも広いし、客席も広く落ち着いてゐて、なにより音が良い。いつものリハではなかなか聞き取れないアッコちゃん(サックス)のコーラスもバッチシ聴こえ、意外にもこのバンドで3パート・ハモを響かせる快感。

ワシはフルアコと、骨ギターのガットを帯同。骨ギターを本番で使ふのは初めてとなるが、これも悪くない。よーし、WADAバンドでは今後この弐本差しで行くぞ。10時から14時までリハ。

その後、しーシュのリハ。これも初めて使ふ会場で。部屋が狭いので音をちーさ目に設定す。するとやはり唄がはっきり聴こえ、コーラスの再確認にもなる。日頃、リハでは横着してマイクを立てぬので、タマにはこれくらいの音量で演るリハも必要なのね。例によって15時から17時まで唄いっパ、演りっパのリハ。

しーなさんを最寄りの駅まで送り、その後レッスン室でひとりリハ。今度はギターの弾き語り。いささかくたびれたので1時間で終了。生徒が来て、レッスンして、終了。病み上がりにしては、よぅ楽器弾いて、よぅ唄った壱日だった。


10月