早緑月の壱「づーっと昔、元日に親父と映画を見に行ったのを憶えてゐる」
毎年思ふのだが正月はロクなTVやってないっすね。
多分、秋頃に録画したんだろーが、みたいな空々しい新年気分でわーわーやられてもねぇ。まぁ見なきゃいいんですがネ。
今年は4日から仕事が始まりますね。リハビリセンターが開くのもこの日からで、歯医者の一回目も4日。年初めいきなりトリプルブッキングなんかして大丈夫かいな。
入院したせいで秋から3ヶ月、全く触ってもいなかったワシの車ですが、ちゃんとエンヂンかかりましたよ。すごいすごい。足がまだ動かないから運転は出来ないんだけど、今は毎日エンヂンに火を入れてやってゐます。バイクの方はダメでした。からうじてセルが回る程度。バイク屋さんに来てもらわなきゃな。
どっちみち入院中に免許の期限が切れちまったから、乗れねぇんですがネ。
忘年会のたぐいに出席出来なんだワシでしたが、入院中に仲良くなった人たちと、年末にささやかながら快気祝の酒宴を設けました。いわゆる「患者会」ですな。全部で6〜7人の仲間ですが、怪我以外の共通点は全くない人たちの不思議なつながりですよ。ワシは退院したその日の夜だったんで、いきなり酒呑むのはどーかな?って思ってたんですが、結構すいすい飲めました。楽しかったね。今後も連絡とって続けて行きませうみたいな話で、素晴しいね。
こんな身体だから当然里帰りなんか出来ませんね。リハビリがてらの散歩を除けば、づーっとウチにゐます。
ウチはだいたい大晦日に大量のカレーを作って、正月の間はそれを喰って過ごすっていふ習慣なんですがネ。入院中に胃がちっさくなったみたいで、喰う量も普通の人間並みですわ。このまま小食にしたろかな。
ってな正月でございます。
早緑月の弐「ほんまに役人ってヤツは・・・」
今年の仕事始めはアクターズスクールのレッスンでした。
生徒の何人かは見舞いにも来てくれてね。いや、かういうのもナンやけど、かういう教室に来るコたちってのは、案外ドライなのが多くて、見舞いに来てくれた時は正直、ちょっと驚きました。嬉しかったねぇ。
ここの生徒たちはいつ会ってもテンションが高くて、こっちの気持ちも引き揚げてくれるからいいですね。
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レッスンの仕事はまだ半分くらい休ませてもらってンですが、月曜日にはひっさしぶりにTVの仕事やりました。とは云っても映りやしませんよ。ジングルといって番組のバックや合間に挿入される音楽を演奏する仕事です。
はじめはスタンダードかなんか演る予定だったらしいんですが、ワシの「水の駅」ってぇ曲がイメーヂに合ってるって事になって、使ってもらえる事になりました。ただ風景が流れるだけのみぢかい番組なんですが、ワシはいつか映像の仕事をやりたいって思ってましてね。ひとまづ夢が叶いました。今後ももっとこのテの話を回してもらえるさうで、嬉しいな。
水曜日の午後9:00前だったか10:00前だったか「ひろしま百景」といふ番組です。いつ流れるのか知らんけど、見てね。
映画音楽なんかやってみたいよね。
この世界に入ってすぐの頃に、一度だけジングルやったことあってね。普通ローカル番組のジングルなんか、シンセひとつで全部作っちまうのがほとんどで、ベースなんかわざわざ呼ばれる事なんざ滅多にないんですがネ。その時はただ単に「ベースのスラップが欲しい」といふ事で。その時に、こんなのもありますけどォ、ってなかんぢで持ってった、コンガとベースだけのアンサンブルがディレクターにはウケたんですね。でもクライアントの方が何故かスラップにこだわって、そっちの方はボツ。
結局、えらいザツなワシのスラップがしばらくTVで流れてました。ウチのオフクロは「何かおさむ(ワシの本名)が弾きよるみたいな音がTVから流れよる」と思ってたらしいっすよ。えっらいギャラの払いが遅かった(たしか2〜3ヶ月後)のを憶えてますな。
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入院中に期限切れをしてしまった免許証の更新に行ってきたんですがネ。
この免許センターの窓口におるクソおやぢがちゅーに話の分からんやつで、こっちがわざわざ持ってった診断書を見て、退院日が明記してない、とかなんかケチつけだして、なんやよう訳の分からん事を云い始めた。
分からんので「おっしゃっとる意味がよく分からんのですが」と云った途端に、このおっさん『プチ切れ』したらしく口角に泡飛ばすやうな勢いで、ますます訳の分からん事を熱弁しはじめた。手に持ったボゥルペンを叩き付けながらすごく高圧的な態度で。こんなピアス開けた金髪の37歳、しかも美女連れ(マミと一緒に行ったのです)に対当の口を聞かれた事がよっぽどムカついたんでせうねぇ。
ワシが聞きたいのは「どーすればいいか」といふ極めて単純なハナシなのに、このヒトはだうもちゃんとした日本語を喋れんやうだ。これまでかうやって熱弁を振るうことで他人を威圧して、きっとそれだけで人生を渡って来たひとなのだらう。
別のヒトに話を聞いてもらったら、こちらは話の分かるおっちゃんで、あっさり意思の疎通ができました。なんのこたぁない、ワシの場合、怪我の具合が運転に支障をきたすかだうかを診る必要があって、しかももうちょっと早い時間に来ないとその日のうちの更新ってのは無理なのだ、といふハナシ。そんならさう云やぁいいのにね。
なんであんなバカが大手振って偉さうにしてゐれるんだらう?。ああいうおっさんが黒人の事を『土人』って云ったりするんだらうな。名札しっかり見たからね。なんなら名前公開しやうか?。
早緑月の参「一月は去ぬる(いぬる)、といふが・・・・」
日曜日に里帰り中の川島(東京で活動してゐるワシの弟子)が遊びに来ました。
成人式ださうで。
早いもんですね。コイツが初めてワシの所に来たのは高2だった、とのことで。まぁ何か波長が合ったンでせうね、いまだに親しく付き合っております。東京ツアーなんかする時には世話になってますよ。
川島にはスタヂオミュージシャンになりたい、といふ展望があります。バンドでメヂャーを目指すのが主流の昨今、珍しいタイプの若者ですね。さういえばワシも20代の前半はさう思ってましたかね。色んなアーティストと一緒に演れる仕事ってのぁ、やっぱり憧れましたねぇ。
まぁ、頑張んなさいよ。
同じくワシの弟子であったバリホ(堀場功)は、今年は世界にチャレンヂするのださうです。上手いこと行ったらワシも便乗させてもらおう。なんでも今年初っ端からインフルエンザにかかってほとんど寝たきりだったとか。ああいう病の床ってのは色んなこと考えるもので、さういやワシもサラリーマンをしてた時代に何かで寝込むことがあって(二日酔いだったかも)、その時に音楽の世界に入らう!と決心したんだった。で、今に至る、と。
まぁ頑張んなさいよ。
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月曜日はオーディションの審査員。
づっと一緒にやって来た仲間が、一人だけ抜きん出て認められてしまう、ってのは他のメンバーにはツラいっすよね。ワシもどちらかと云えばさういう側の人間だったから、気持ちは良く分かります。自分に華がない、ってのは重々承知の上で、それでも自分あってのこのグループなんだ、ってぇ自負が在るからこそ脇役をやれるんですよ。ベーシストなんかさういう気持ちがないとやっていけるハズがない。
でも、やっぱり認められるのはフロントマンだけなんですね。そのグループごと認めないっていふ見る側のセンスの無さが一番の問題なんですが、まぁさういう人ばかりですからね、この国のマスメディアは。
ツラいよねぇ。ワシは結構早い時期に、自分は主役向きではない、といふことに気付けたんですね。これは卑下とか謙譲とかいじけなどではなくてね、逆に云うと『人をサポートすることで発揮できる』立派な才能なんですよ。ワシはある時期からそれに徹底したことがあります。さっきの川島の話ぢゃないけど、スタヂオミュージシャンってよりもサポートミュージシャンって立場ですかね。識者はこれを「参謀」とか呼んでくれますね。ワシは一時期(今でも)さういうスタンスに憧れました。
まぁこれもある種の「あきらめ」には違いないことなんでせうが・・・・。
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水曜日。最近のワシの新しい人脈である、広島交響楽団の橋本眞介。岩本さんらと組んでゐる架空民族楽団サンサーラのクラリネット奏者ですな。その眞ちゃんとの仕事がありました。
彼は色んな所でディレクターのやうな仕事もしてゐて(先日ワシが演った「ひろしま百景」も彼の仕事)、演奏家のブッキングや企画なども手掛けてゐるさうです。それで、まぁ彼にとっても新しい人脈であるワシや岩本さんとかと一緒にバンドをやりはじめて、クラシック一本槍ではない活動もできるやうになった、と。
今回の仕事も彼の企画。いつもはクラシックをやってゐるサロンコンサートで、新しい試みとしてジャズや民族音楽のライヴをやってみやう、といふもの。メンバーは眞ちゃんに岩本さん。それにワシ。この企画で電気楽器を使うのは初めてださうです。
お客さんは、完全にクラシック音楽のそれ。チケットにはお茶とケーキが付いてて演目表も配られてゐる。貴婦人みたいな人まではいないけど、まぁ上品な年配の方がほとんどですな(子供連れもゐたが)。金髪にピアスのエレクトリックベース弾きなんて、多分初めて見る人ばかりだらうね。
ウケました。前半はスタンダード主体の選曲。意外にマトモな構成にお客も最初は戸惑ってたみたい。こっちにもそれが伝わって、会場全体がえらいカタかったんですが、後半に入ってワシら得意の民族系インプロ合戦に及ぶと、なかなか好意的な反応を頂けましたね。まぁ民族系や変拍子系の音楽なんてな、実はかういう客層の方が順応性があるんですな。ノリで音楽を聴くわけぢゃないので。
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一日に5分づつくらい、杖なしで歩ける時間が増えてきてます。ただ、ワシは元々歩くのがすっごい速い方だったんだけど、今はおばーちゃんに追い抜かれるくらいゆっくりしか歩けません。このテンポで歩くと、今まで見えてなかったもんが結構あるな、といふことに気付きますね。
早緑月の四「自由の女神は白人の女神 By豊田勇造」
銀行に行って自動現金出し入れ機を使ってみてオロロいた事がありました。
何といまどきは機械の画面に女性の絵が出るんですな。
それも、なんかミョ−にアニメちっくにリアルな絵で。
なんか昔流行った麻雀のゲーム機で、勝ったら画面の女の子が一枚づつ脱いでいくやつとかあったでせう?。アレの絵みたい。勿論、タダの無機質な画面に指示されるよりすこしはうれしい気配りですが、女の子がミョーに可愛いのが気になる。なんか狙ってンでせうか?。
どーせなら、預金するたんびに投げキッスしてくれるとか、それこそ預金額が多かったら脱いでくれるとか、さういうサービスすりゃいいのに。
んな訳ぁないか。
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ワシはヒマな時、よく古い日記(ワシは14歳からづっと日記を付けてゐて、今も全部持ってゐる)を読み返してみるんだけど、1989年の5月の記述に、TVに出演してゐたベーシストとギタリストの事が書いてあって、ハタと思い出したよ。深夜のローカル番組で、日本を代表するジャズベーシスト(ワシはあんまり知らんのだが)鈴木勲来広!ってんで、ギターとピッコロベースのデュオでリカルドボッサかなんか演ってたんだよな。ほぉ、カッコええなぁ、と思って見たんですが、その時のギタリストこそ、なんとあの、岩本貢その人であったのだぁ!。ひえ〜〜〜!!よもやその人と一緒に演ることにならうたぁね。
縁は異なもの、でございますねぇ。
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さて、その岩本さんと去年の秋ぐらいから準備してゐた新バンド輪廻(サンサーラ)の初ライヴが木曜日にありました。もっとも準備してきたと云っても、バンドが発動しはじめた矢先に、ワシが入院してしまったので、練りに練った、といふ訳でもありませんね。
レパートリィも足らんし、リハ不足は否めないままのライヴでしたが、まぁあんなもんでせう。パーカスとベースでもう少しグルーヴを出せるやうにせんといかんですな。
曲数が足らんので、途中岩本さんと一曲づつソロをやりました。ワシはこの頃のソロの定番である『えせアジア風インプロ』ではなく、数年前に作った「Rain fall」といふ曲をやりました。ナミちゃんとのデュオをやってた時に作った曲なんだけど、スキャットとベースがユニゾンでメロディをとる、ワシにしては珍しくフツーに美しい曲。野外でソロをやる時によく演る曲です。リハの最中に思い出したので演りました。
最近、やはりスキャットといふものに力を感じますね。やっぱり広い視野(国際的な視野)で音楽をやる上で、見すごせない問題てのが言葉でして、分からない言語で唄われても伝わりませんよね。だからといってインストゥルメンタルにしちゃうと、急に守備範囲が狭くなる。音楽に『唄』を求めるのは万国共通なんですね。それでもワシは英語で唄うことが国際的だなんて絶対思えないんですよ。
さう思うから、ここ数年スキャットで唄うことを多くしてるんですね。より多くの人に受け入れやすいやうに。狙いは間違ってはゐないみたいですね。この日もお客さんの中に中国から来てゐたグループがゐたんだけど、後で席に呼ばれて『日本語でないから良かった』と云われました。ふぅん。
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オルカ以外で打ち上げに出ることをほとんどしなくなったワシですが(といふより呑みに行くこと自体なくなりましたな)、この日はまぁ「初ライヴ」だし「退院祝い」だし、といふことで、久々に打ち上げに参加しました。建設的な話で盛り上がる、中々に良い打ち上げでしたね。
ただここん所、12時には寝て7時には起きる生活してますからね、ねむいねむい。
早緑月の伍、「旧暦の詩情は現代ではあまり意味を成さない」
一月は速い、と云いますが、意外に長い気がしました。多分働いてないせいでせうな。
リハビリで入院中に仲良くなった若い衆と会うんですが、彼らは退院後はワシほどマメにリハビリはやってないさうです。だからそれほど劇的に良くはなってないみたい。すたすた歩いてるワシを見て(事故直後のひどさを知ってるだけに)「凄い回復力ですね」と云うけど、キミらも少しはちゃんとやったほうがいいよ、余計なお世話かもしれんが。
2月、つまり今週の終わりから、全ての職場に復帰する予定です。ま〜〜た忙しくなるんやろな。
まぁレッスンをしてない、といふだけで、結構色々やらなあかん事が多くて、今もヒマにしてる訳ではないんですがネ。
レコーディングやラヂオ出演、生徒のプロデュースなんかは、逆に云ふとレッスンのスケヂュールが詰まってたらできませんからねぇ。でも、それぢゃいかん、と思いますよ。ワシら金になる仕事だけやってりゃいいってもんぢゃないっすからね。女房にゃ迷惑かけるが、どうでも今年は少々貧乏になってでも、もう少しアーティスティックな事をやってこうと思います。
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またまた「ひろしま百景」のジングル録ってきました。今度は唄入りです。なんとワシの「キャメル」がTVで流れるんだぜ!。でも、放送はこれ(HP)の更新までに終わっちゃいました。仲々に良い映像でした。曲の成り立ちを知って見たら、なんかミスマッチな気もしましたが、純粋に音楽としてなら、良い組合せだったと思います。スタッフの方々、お疲れさまでした。
まぁ前から宣伝してたから、見てくれた人は見てくれただらうし、忘れられてたら、まぁワシの存在なんかそのくらいのモンよ、とちょっとフテてみたりして・・・。
「メッセラ」と「水の駅」は、まだ未放送なんで、いづれ流れるンでせう。
まぁ今後も関わっていきたい(こっちはネ)、と思ってるので、ひろしま百景。小指の先くらいなら関心があるよ、といふ人はマメに見てて下さいね。
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こないだ徳ちゃん(徳武正和:人脈図参照のこと)が、一緒に映画音楽やんないか?と誘ってくれたんですけど、何を隠さうワシは最初に興味を持ったのは映画音楽でね。初めて自分でお金を出して買ったレコード(!)は「アドベンチャーファミリー」のサントラでした。づっとマンガだのイラストだの描いてたから、その頃から「かういう自分の絵に音楽を入れられたら何と素晴しいことでせう!」と思ってたんですな。勿論、当時は自分がそんなもの作れるなんざ思ってもないッスからね。とりあへず楽器だけでもやってみてぇな,ってところから始まってるんですよ、ワシは。
だから、ワシの音楽を聴いた上で、特にまぁ徳ちゃんみたいに世界的にも活躍してる人に、さうやって「映画音楽でもやんないか?」と誘ってもらへるってぇのは至上の喜びですな。是非、やらしてもらいたいね。
まぁ、映画音楽って、こっち(音楽家)から「やります」っつってどーにかなるもんでもないけどね。
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さう云やぁ、もうづっと前(1988年頃)の事ですが、ワシのイラスト入りの詩集(当時やってたバンドのオリジナルの歌詞)を、希望者にプレゼントしまっせ!って企画をやったことありましたね。まさか来ねぇだらうと思ってたところに、確か5人ぐらい応募があってね。
当時はワープロなんかありませんからね!あんた。手描きですよ、手描き!。
そんな訳の分からんものを「欲しい」なんて云ってくれるんですから、大事なファンですからね。こりゃマジにやんねぇとヤバいぞ、ってんで、B5の無地のノートに、1ページに詩をひとつとイラストが一点。これを30ページくらい。こいつを5冊描き上げましたよ!。さすがにイラストは絵の上手い友人に少しだけ手伝ってもらいましたな。
いやぁ、イラストも詩も、今から見りゃ稚拙そのものだったと思いますけどね。あの時、あれを受け取ってくれた人達って、今、何してんだろ?。一応あとがきに『邪魔になっても捨てないでやって下さい』って書きましたけどね。
捨てちゃってるでしょうねぇ・・・。