紅染月の壱
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今週は夏休みを頂いてます。
東京ツアーから帰って、一晩だけうちに泊まって(?)、翌日から島根県の三瓶山といふところでアクターズスクールの合宿に引率です。二泊三日の間に全部で12時間に及ぶレッスンをします。はじめのうちはピクニック気分だった生徒達も、最終日には生返事も出来んくらいへとへとになってましたね。
東京〜合宿から帰ってメール開けてみたら、受信が40近く入ってゐて、嬉しい悲鳴を上げながら応対しました。みなさんお便りありがとうございます。
つきましてはこれまでかたくなに避けておりました『掲示板』なのですが、ワシがツアーやなんかで更新を空けてしまったりする場合に、読者の皆さんやメンバーで勝手に書き込んで遊んでいただきたい、と思いまして設置するに至りました。だうぞ御活用ください。
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臨時ニュウスでもお伝えしましたが、マミさんがオルカ団を脱退することになりました。
彼女とは、メンバーとしては勿論、プライヴェートでも非常に気の合う「友人」でありました。オルカ初期はリハのたびに飲みに行ってたものです。なんでもかんでもぶっちゃけて話す機会も多く、その分、ワシの核心に近い部分までを理解してくれております。何度彼女に「音楽とは」といふ事を語ったことでせう。その事が逆に彼女にプレッシャーを与えてゐたのかもしれません。
6年間、しばしば夫婦に間違われ、時に罵倒され、ケンカもし、それでも必死で食らいついて来たオルガン弾き。心根の部分を知れば知るほど、こんなヤクザな世界に属する部分は、本来持ち合わせてゐない娘だと気付かされました。ワシなんかと知り合ってしまった為に、人並みの幸せからはずいぶんと遠ざけてしまってゐる、といふ感を禁じ得ませんでしたが、とりあへずこれにて終了です。
おつかれさま。ありがとう。
これでオルカ団創立時のメンバーは誰もゐなくなってしまいましたな。
今の所、新しいメンバーを入れる事は考えておりません。10人ゐたメンバーのラッパ吹きがひとり抜けるってのとワケが違います。誰を入れてもマミの代わりが勤まるとも思えません。だから、今年中ですでに決まってゐる何本かのライヴも、当面は残った3人で演ってゆくつもりです。仲々大変なことですが、まぁやってみるしかないね。
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ンなわけで、モチベーションもコンセントレーションも上がらず、今週までにアップしやうとしてゐたでらしね夏の陣レポートは完成できませんでした。楽しみにしてくれてゐる人は来週をお楽しみに。
皆さんのところは台風は大丈夫ですか?。なんか結構シャレにならん被害が出てゐるやうですが。
広島は昔から台風の被害があまり出ないところです。西を四国山脈に、東を中国山脈に護ってもらってゐるお陰ですな。地震もあんまりないし、だからイイところだ、といふのは分かりますが、いつかとんでもないしっぺ返しが来るやうな気がしてならんのですが・・。
「前例がない」って事には、何の説得力もないッスからねぇ。
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今を去る事10余年前、カジヤマ青年はまだ駆け出しのミュージシャンでありました。音楽の仕事で喰っていきたい気持ちは人一倍でしたが、なんのコネも後ろ楯もない青年には、それは厳しい世間様でした。仕方なく青年は週2〜3日の割合で肉体労働をして日常の糧を得ておりました。
そんな頃、ある楽器店で1人の老ミュージシャンと出会います。カジヤマ青年の事を気に入ったその人は、キャバレーのハコバンでベースを弾かないか、と誘ってくれました。
ハコバン!。
キャバレーやナイトクラブ等で、スタンダードジャズやポップスを生演奏する、店お抱えの楽団の事です。当時の若いミュージシャンには、結構憧れの仕事でした。メヂャーな音楽家は必ず一度は経験してゐる、といふハナシですし、とても勉強になる、とか。それに、何より演奏してお金をもらえるのです。ライヴハウス等でもらう、頑張って売った割に実入りの少ない、わずかなチャーヂバックではなく、演奏時間幾らでお金が入るのです!。契約は一晩3ステージで¥6000でした(12時までやると¥8000)。
ワシは(あれ?)二つ返事でオッケーしました。確かその足で彼女(今のカミさん)のところに報告に行ったやうな気がします。嬉しかったンでせうねぇ。
それからワシはその店で2年間、ハコバンのメンバーとして演奏しました。自分にとって馴染みの薄いジャズやポップスを初見で弾くのは、確かに勉強になりました。お世辞にもクリエイティヴな仕事とは言えませんが。調子悪くても熱が出ても親が死んでも休むわけにはいかないミュージシャンの裏のつらさ、演奏家としての誇りを知ったのもこの職場でした。
なんでかういう事をわざわざ書くかといふと、その店は今では経営者も変わり、クラブとなっており、ひょんなきっかけで、10年ぶりにその店のステージにソロアーティストとして立ってきたからです。
懐かしかったですねぇ。基本的に内装は当時のままなんですが、チャイナドレスのホステスさん達がハベってゐたボックス席などはなくなってゐて、代わりに踊りやすい広いフロアになってます。楽屋なんか壁中落書きだらけで、ここで焼そばかなんかもそもそ喰ってたなぁ、と思い出しました。
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さてそんなのすたるぢぃな場所でのライヴでしたが、ノイズ系、DJ系の若人達との対バンで、まぁおそらく客を含めて当日会場にゐた人間の中では、独りだけ格段に年長者でしたな。しかも全くの独りでしょ?。1994年のUFC(アルティメット・ファイティング・チャンピオンシップ)に出場したダニエル・スバーンの気持ちが、少し分かったやうな気がした(誰も知らんか?)。
はじめは「このオッサン何や?」みたいな感じだった若い子らも、リハ〜本番と進むうちに色々話しかけて来てくれて、おじさんは少しは救われました。客入りはお世辞にも良いとは言えなかったけど、みんな真剣に聞き入ってくれて、良いライヴができました。
かういう若い子らに知られてゆかんといかんな、と改めて思うね。ひとつのハコや、やりやすい対バンにこだわってゐては、やっぱりアカン。どんどん出てゆかんとね。最初はやっぱ気後れするけど(独りってのは結構キツいんですよ)、演って良ければ分かってもらえるんだ。演らなアカン。
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いや参った参った!パーカッションキャンプ。
去年は二日目に熱中症でぶっ倒れて、だから今年は用心して水分を沢山摂って、睡眠もたっぷり取った。まぁ例年に比べると格段に涼しい気候だったてのもあるけど、体調も万全で、泳ぎにも行って、メシも美味くて、順調にライヴの時間を迎えて、それまでけっこう気合い入れて降ってた雨も奇跡のやうに上がって、こら盛り上がるぜぇ!と思ってたら、ぬかるみに足をとられてひっくり返っちまった。
五体満足な状態なら泥だらけになっても『アホで〜!コケやがった!カッコわりィ〜』で済むンけど、まだ完治してない方の足から
ぼりッ
て音がした。
痛い!キングオブペイン!。今年でいちばん痛い!。しばらく起き上がることも出来なんだ。
折れた、と思った。
もうワシぁ目の前が絶望と痛みと、何に対してか分からん怒りで真っ赤に染まったネ。『あぁぁぁぁぁ!!!クソッタレがぁ!まぁた折れやがった!こんのクソ足が!このくされ雨がぁぁ!!このクソ地面がぁぁ!&%$%&&’%&$!!!!(罵詈雑言の嵐につき規制)』
手負いの猪のやうに暴れまわって罵りまくるワシをみんながなだめる。考えてみればホンマにたちの悪い怪我人やな。すんません、みなさん。心配していただいたのに・・・。
救急車で運ばれたんけど、これがなんやちゅーにワケの分からん医者でね。救急の患者(ワシ)に向かって、開口一番『保険証出して下さい』ぢゃげな。おまけにレントゲン技師がもう帰ってゐて、そのまま30分待たされた。さらにさらにそのレントゲン写真見て「こんなにネジがいっぱいはいってゐては、おれてるかどーかわからない。ぼくはせいけいはせんもんがいだから」とぬかしやがった!!。さらにさらにさらに何の処置もしやうとしやがらんので、「痛み止めの処置かなんかせーや!」と云ってやったら「あ、ぢゃあ座薬挿れましょうか?」ぢゃげな。
こんなヤツにケツの穴なんか見せとーないわい!。出すだけ出せ!ワシが自分で挿れたるわ!。
こんなん、急患来たらどーすんだろね、ってワシも急患ぢゃが。やる気ないなら医者なんかすなよ。実名出したろか?。
結局ライヴは出来んまま、広島に帰って広島共立病院で再検査。たっぷり3時間かけて検査してくれ、靭帯損傷の可能性があるンで、改めてMRI(磁気共鳴映像)検査するンでまた来なさい、とのこと。幸い骨は異常ないってさ。
ライヴのキャンセルを1年の内に2回も出してしまふとは、ワシにしてみれば切腹モノの屈辱である。このヤロ〜どっかで誰かがなにかやってやがるな。
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それにしても、
たった38年の人生でこれほどまでにケガばっかり、てのは一体なんなんだらう?。
こないだフと思って数えてみたら、全身で50針以上の縫い傷があんのよ。これがね、スポーツや格闘技の選手とか、せめて競技者だってなら分かる気もするけど、ワシはタダのしがない音楽家でんがな。明らかにおかしいよね?。まぁ「お払い」とかまでするつもりもないけどや。
それを云ふと女房は「でも生きとるじゃん?」と云った。確かに。
結構、死んでもおかしゅうないやうなケガもしとるしな。骨だってこないだのが初めての骨折だしな。ん、さう考えてみれば勝ち負けで云うと勝ってるやうな気もするな。はははは。
レッツポジティヴシンキング!。人生は河のやうに流
紅染月の四
日曜日、女房とツーリングに行く夢を見たので、買物がてら女房と軽いツーリングに行く。まぁ足がアレなので近場をちょこっと。むかーし、まだ学生の頃、好きな事を仕事にして、結婚して、休みの日にはその嫁はんと一緒にドライヴしたりして、わざと隣街のデパァトかなんかに行って買い物して・・・さういう大人になれたらいいな、とか思ってたものだが、その通りの事が出来てゐるのに驚く。
月曜日、アクターズスクールの会議。テレビ局の会議室とかを使う時、いつも思ふのは、かういう所っていつもはネクタイ締めたエラい人とかが使うんだらうな、といふ事で、そこをワシのやうなやくざものが使ってゐる、といふのはなんといふか
火曜日、専門学校の授業が始まる。夏休みが終わったワケやね。生徒の何人かは休み中にやったライヴとかを見に来てゐるハズなのだが、何の感想もない。自分から感想を云わんやうなやつには、次からライヴには誘わんことにしてゐる。ワシ自身、感想を云わんのは面白くなかった時だから、彼らもおもろなかったんだらう。ワシはそもそも生徒をライヴに誘うのは好きではない。自分から「行きたい」てならまだしも、「センセイのライヴを見に来なさい」といふのは、何故か気が引けてしまふ。
水曜日、「インド伝説の古楽器、サルーガ演奏会」といふのが近所の公民館で行なわれるらしいので、見に行く。シタールの原型となったすごい楽器らしい。行ってみると、そこら辺に居さうなうすぎたない日本人のお兄ちゃんが、へらへら笑いながら弾いてゐるその楽器は、瓢箪のやうなモノに弦が1本だけ張られてゐて、ぴよんぴよんとショボいメロディともつかん音を奏でてゐる。ン?これはおかしい、と思ったら案の定、夢だった。ワシはよく得体の知れん楽器の夢を見るが、今回のはひどい。
木曜日、マミが抜けて初めてのオルカ団リハーサル。ミキが40℃近い熱を出して欠席。マミが辞めて以来、新しいオルカ団構想をづ〜〜〜〜〜っと考えてゐたが、何となく思いついたのが「予想外」といふやつ。例えば多くの人はマミなき後のオルカがミキをフロントに置いたアク−スティックなものになるとお思いであらう。まぁそれもエエんだが、お忘れなきやうに。オルカ団は美形の女性をフィーチャ−したポップな面も確かに持ってゐるが、あのBARAKAをして「兄弟」と云わせるプログレッシヴロックバンドでもあったのだよ。ははは。まぁどーなることやら。お好きな人は9/24のライヴを少し御期待下さい。
金曜日、MRIの診断結果を聞きに行く。MRIでしか写らない影が。骨の内出血の跡だって。要するにまぁ「おりしろ」だな。つまり『次になんかやったらここが折れまっせ』といふしるしのやうなものだ。痛みの原因はこれだったのかっ?。
「しばらくは安静にしておきなさい」 「あんせい・・・・」 「運動は控えて」 「泳いでもだめですか?」 「やめときなさい」 「腹筋、背筋ぐらいなら?」 「まぁそれくらいエエよ」 「腕立て伏せは?」 「とにかく安静に!」
ハーやれやれ。せっかくあすこまで治ってたのにや。