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1日(木)-----------------------------------------------------------------------------
あけおめ。静かで良く晴れてゐる元旦だ。
けふはウチの実家に里帰り。いつもは親族全部が集まっての大宴会をやるのだが、今年はウチだけ。ユルく呑んで喰って、といふ。今年、東京の大学に進学する、といふ姪っ娘。さう、ヒトは早いうちに一人で、知らない街に暮らすべきだ。頑張っておいで。そしてエンヂョーイしておいで。
夕方前には帰宅。咳が出始めて止まらぬ。
2日(金)-----------------------------------------------------------------------------
咳が止まらず、熱っぽくもあるが、気のせいだ。けふは女房の実家へ。毎年「海の幸」でもてなしてくれる此所だが、今年は「焼肉」だった。久しぶりの動物性蛋白質。美味い。昨年から一人暮らしを始めた義弟が、明らかに印象が変わってゐる。うむ、やはり「一人」と「旅」は人を変えるのだ。みな旅せよ。サイの角のやうにただ一人で。
夜半、咳止まらず。気のせいなので、早めに寝る。が、10分おきに激しい咳で目がさめる。気のせいだ。
3日(土)-----------------------------------------------------------------------------
咳が止まらんなぁ。毎年この新年3日目には安佐動物園に行くのだが、今年はパス。散歩がてら女房と湯煮苦露へ行く。日中かうして動き回るのが良くないのだらうか。夜になると咳が出て止まらぬ。ワシも辛いが、隣で寝てゐる女房はうるさくて寝れんだらう。悪いな。
4日(日)-----------------------------------------------------------------------------
遂に熱が出て来た。出るなら早よう出りゃえぇものを。どっちみち病院はまだ開いてないし。
大晦日にPICOで搗いてゐた餅を、大量に貰って帰ってある。ので、雑煮を作る。出汁を取り、具は最低限。焼いた餅にカツヲブシを乗せ、出汁をかけて喰ふ。美味い、我ながら。ちなみに雑煮の餅はひと椀に3個ほしい。2個では少ないし4個では多すぎる。のだ。よ。
5日(月)-----------------------------------------------------------------------------
ゆんべは全く洒落にならんくらい咳が止まらず、一睡も出来ぬかった。女房は初出勤。しんどいがワシも新年の雑務をこなす。まづ銀行へ行って各種振り込み。廿日市の役場まで車を走らせ、引っ越しに必要な書類の取り寄せ。帰りの足で不動産屋。ついでに古本屋に寄り、出張買い取りの手続き。引っ越し屋から届く大量の段ボールを整理。処分する古本の山を縛る。
んで、ようやく医者へ。『昨年もこの時期に咳で来られましたね?』と云はれる。はぁさうですか。薬を大量に貰って帰る。夕方から激しい悪寒。また熱が出るだらう。
6日(火)-----------------------------------------------------------------------------
熱が出ても新学期。専門学校でふたコマ授業。休み中、ほとんどベースに触ってなかったんで、流石に手がダレる。それでなくとも、引っ越しの準備で、ナニカを縛ったり持ち上げたりする、指にはあまり良くない行為が続いてゐる。御大、石間秀機師匠からも『引っ越しで指を痛めぬやうに』とありがたいお言葉。師匠、フラワートラベリンバンド復活で、健在ぶりをアッピールして居られる。ワシもまだまだ頑張らねば。
宮崎のデヴィッド・ケリソンからCDが送られて来た。夏の「火の国ツアー」で立ち寄った時、製作中の彼の作品に、即興的にヴォイスを入れたのが仕上がった、とのこと。かなりアンビエントな世界に、なんか人間の声ぢゃないやうなかんぢでワシの声が入ってゐる。
こないだ東京で録っただるま屋とのセッションも、仕上がったのを聴くと、やはり人間の声ぢゃないやうなかんぢで使われてゐる。ははぁ、エンヂニアの視点から見たワシの声のニッチは、さういふ処なのかね?。それを考えると、なるほどヴォーカリストとしての仕事が、あまり入って来んのも分かる気がす。
ところでデイヴ、直筆の手紙を同封してくれてゐるのだが、英語が分かる云々以前に、字が汚くて読めんのだが・・・・(笑)。
7日(水)----------------------------------------------------------------------------
井上陽水の唄を調べてゐたYou Tube。筑紫哲也氏の追悼番組で、涙につまりながら『最後のニュース』を唄う陽水のVを見た。この唄の中の『薬漬けにされて治るあても無くし 痩せた身体合わせどんな恋をしているの』といふ個所にズキリと来る。この他にも『眠りかけた男達の夢の外で 目覚めかけた女達はなにを夢見るの』とか、様々な問いかけを重ねた後で、この唄は『ただあなたに Good night』と終わる。素晴らしい唄だと思ふ。
この唄が番組の為に書き下ろされた曲とは知らなんだが、唄と云ふはやはり、ナニカと出会う事で生まれるのだらう。さすればジャーナリスト魂の権化であったやうな、筑紫さんとの邂逅の中で、この重い唄が生まれた事も納得が行く。
仕事に向かふ車の中で、福山雅治の嘘臭い唄が流れる。重厚ぶった裏の顔の軽薄さが手に取るやうに分かる。莫迦かこいつは。
8日(木)-----------------------------------------------------------------------------
ベトナムギター、と云ふものを知る。まぁフツーのギターなのだが、指板を無茶苦茶にザグり、極端なピッチベンドがかけられるやうに改造したものを、さう呼ぶらしひ。前々から、グェン・レやあの辺のギタリストが、絶妙の処でなんとも云へぬヴィブラ〜トやベンドなんぞを入れる事に、どーやってんだらう?と不思議に思ってゐたのだ。その正体はこれだったのか?。
このベトナムギターのベンドは「カイルオン」といふ音楽で使われるもので、ワシは最近ベースのハーモニクスで、まぁそれっぽく弾いてゐる。フと思ひ立ち、「アリサ」といふ独奏曲にこれを取り入れて弾いてみたら・・・・あ〜ら、あっと云ふ間にえせニック。こらえぇわ。
しかしまぁナンですな。ワシは、シタールの音を真似したくてフレットレスを弾きはじめ、そんでウードやサロードの奏法を取り入れて、またここでベトナム・・・・と、考えてみれば随分と脇道ばかりを歩いてゐるものよなぁ。「エスニック」とか「汎アジア人」とか、云はれるのは嬉しいけど、どーなんでせうねぇ?先輩。
9日(金)-----------------------------------------------------------------------------
ワシが夜中じゅうゲンゲン咳いては眠れまい、と、此所数日、ワシは一人で居間で寝てゐる。狭い場所に寝具を無理矢理敷き詰めて寝るのだが、これがキャンプか野宿のやうで、悪くない。気に入ってしまってゐる。
さう思ってゐたら、神奈川の砂防林に住み着いてゐるホームレスの人達の特集をTVでやってゐる。なんか野菜の栽培までしてるヒトもゐて(勿論不法)、全然悲愴感がない。でも結局この人達も、「定住」といふセオリーからは逃げだせずにゐる訳で、だったら「ホームレス」て云ひ方はおかしいんぢゃないか?。
自分に出来るかどーかはさておき、「定住しない」といふ生き方には、強く惹かれる。
10日(土)-----------------------------------------------------------------------------
引っ越し、いよいよ現実味を帯びてくる。不動産屋で合鍵を借り、新居のあちこちを採寸す。今住んでるのは『3DK』。今度は『2LDK』になる。ん〜〜〜、どーなる事やら。少し新居の周りを歩いたりもしてみた。近年少なくなった商店街のやうなかんぢで、悪くない、てゆーかかなりえぇかんぢ。
ところで、不動産の物件てのは、「ワンDK」「にDK」「さんDK」「よんDK」といふ。何故「ワン、にぃ、さん、よん」なのか?。おかしい。
11日(日)-----------------------------------------------------------------------------
引っ越し前だがPICOの新年会に行く。昼チョイ過ぎからやってる、といふので行くと、意外に年齢層の高い人達が・・・。ちびちび呑んでゐるとロゥミステルのユミプとか、あの辺の若い連中も集まりだした。この年齢層の幅が同居できるのがPICOのすごい所やね。
途中、当然タイコセッションが始まる。ベースを持って行ってはゐたが、ジェムベを叩く。例によってバカ叩きして、指がすっかりボロボロになる。弦楽器弾きとしては、ホンマはこれやんない方が良いんだらうが、まぁどーせ引っ越しでボロボロになんだから・・・。
終電の時間まで、楽しく語り、呑みあった。
12日(月)-----------------------------------------------------------------------------
大量の古本を売りに出す。こないだは、やはり古いCDやレコードだのを売りに出して、そこそこまとまった金額になったが、本はやはり買い値が安いのでハシタ金くらいにしかならん。しかも、なにが基準なのかよう分からんのだが、「買い取り不可」みたいなのもあって、ヌ〜ム、といふかんぢ。
あとは壱日かけて荷造り。仕事机の周りを撤収せんとするが、丸壱日かけてもほとんど片付かんかった。自分でもその混沌ぶりに驚いた。身体の調子まで悪くなってきやがった。
13日(火)-----------------------------------------------------------------------------
朝のちょっとした空き時間で、確定申告用の経費の計上をしておく。さうせぬと、絶対引っ越しに紛れて領収書が消えて無くなったりするのだ!。それはよくない。
あとはまたひたすら荷物の整理。箱に詰めても詰めても、後から後から涌いて来るモノ達。こんなに「持って」ゐたのか?ワシらは。引っ越し屋から貰った段ボールが足りなくなり、追加の注文をす。22時くらいまでかかってようやくまぁなんとかこれで・・・と云ふ処まで片付く。明日はいよいよ引っ越しだ。
14日(水)----------------------------------------------------------------------------
さぁ引っ越し本番。朝の8時には業者がやってくる。陸人くらい来るもの、と思ってゐたが、来たのはなんとたったの参人!。この参人の若者が凄い。5階建ての5階、でエレベータなし、といふ過酷な我が家だが、片時も止まる事ナシに、どんどん運び出して行く。デカい冷蔵庫などもふたりでひょいひょいと運ぶ。プロフェッショナルだ。
そしてなんと、昼前には全ての荷運びが終了。大したもんだ。まぁワシらは今からが大変なのだが・・・。
業者が帰った後は、今度はひたすら荷解き。2LDKすべてに座る場所もないくらいの段ボールの森。まぁボチボチやるしかない。飯喰ひに行ったりしながら、けふの処はなんとか布団が敷けるスペェスだけ作る。まだ残りのふた部屋は林立する段ボールでUボートの艦内状態。どーすんだらうね?これ。
15日(木)-----------------------------------------------------------------------------
新居での朝。家のすぐ横を鉄道が通ってゐて、その音で目が覚める。うるさくはない。むしろえぇかんぢ。
ひたすら荷解き。壱日かけて、ただひたすら段ボールを開け、然るべき場所に仕舞って行く作業。まぁ良くある話で、「今すぐ」要るものが、いーちばん下の段ボールに入ってたりす。夕方頃、ようやく生活空間が確保されはじめる、て処くらいまで行く。とりあへず久々の寿司なぞ(勿論回るやつね)喰って、引っ越し祝いとす。
ワシは夜はMACの新年会ライヴに。新居からの「初出勤」だ。ここも立ち退き命令で、恐らくこの場所では最後の新年会ライヴになるMAC。今年も超個性的な出演者がぞろぞろ。ワシはソロとFar east loungeで出演。なんのかんのでもうまる壱週間ベースに触れてなかったが、まぁ何とかなりました。つくづくテクニックと関係ない所で演奏してゐるワシ。
しかしワシらは例年通りトリの出演で、終わったのはもう1時過ぎ。終演後の飯がギャラの代わりなのだが、此所数日の疲れもあり、もう眠くてしゃぁない。ので、帰る。新居への『初午前様』。なんかワシの居らん間に、荷解きをしてゐた女房が、鋏で指をぐっさりと切ってしまったらしく、床に血が点々と
16日(金)-----------------------------------------------------------------------------
新居から専門学校への「初登校」。駅まで徒歩壱分てのは、たいへん良い。でもまぁ多分、チャリ通勤にして、電車はあんまり使わんだらうな。ミニスカのコギャルなぞ見れて、たいへん良いのは良いのだが、ね。
仕事の後、電車で旧居(こないだまで住んでたアパァト)まで、チャリを引き取りに行く。取り壊しの時期が早まり、もうほとんどが空き部屋になってゐる様子。ここにまる9年、住んだのだ。その9年間、ここから色んな場所へ旅したのだ。思へばこの場所から「でらしね」もスタートしたのだ。感慨深くないわけはなからう。
もう鍵は閉まってゐるが、部屋の前まで行き、ドア−に手を触れてみる。裏からベランダを眺めてみる。最後に周囲をぐるっと壱周して、9年間世話になった猫本マンションに別れを告げ、新居へチャリを走らせた。これでホンマにお別れだ。ありがとうな。
17日(土)-----------------------------------------------------------------------------
新居での初の週末。まぁなんちゃナイけど・・・。
友達(♀/美形)が働いてゐる、ちょいと仲々エェかんぢの小料理屋にランチを喰ひに行く(今週の写真参照)。アンティークのやうな、えせニックのやうな、不思議なインテリア。飯も美味い。アクースティックなライヴなんぞ演ったら良ささう。企画してくれんかね?。
久しぶりのしーシュリハ。最近ちょいと適当が過ぎる気もするので、真面目に、古いレパートリィなぞ演る練習を。けふはなんか割とえぇかんぢに二人が噛み合うねぇ。これがライヴで出来たらウチは凄いンだがな。今年もいろいろ演りたいもんだねぇ、しーシュ。
2月には早速、ホーメィの岡山守治くんとの「ダブルシュウ・ツアー」がある。今年は、勿論ソロもしっかりと磨きながら、更に色んなパーソンとも絡んで行きたいな。
18日(日)-----------------------------------------------------------------------------
とある知人が、浜田市で福岡ユタカ氏のコンサートがある、と誘ってくれたので、行く。山陽浜田道を使って約2時間の車の旅。山間部には雪が残ってゐて、どノーマルのタイヤしか履いてない、しかも軽のバンである愛車「にっち」で大丈夫かいな?。
昼から始まるライヴなので、朝のうちに広島を出発。まぁなんとか浜田市に着き、会場の『世界こども美術館』を見つける。なんかすげぇ近代的で莫迦デカい建物。ちゃんと使われてンのかね?かういふの。
福岡ユタカ氏は、まぁ古くは、ニューウェーヴ随一の実力派、と謳われたロックバンド「PINK」のヴォーカリストだったヒト。PINK解散後はヴォーカリゼィションの追求を柱にして、現代音楽に近い所で活動をしておられる。特に興味深いのが『Neo神楽』といふプロジェクトで、氏の出身地である浜田に根ざす石見神楽と現代音楽を融合させ、いわゆるコンテンポラリィ神楽、とも云へるモノを造り出しておられるのだ。
ライヴはまづ、福岡ユタカと、やはり浜田市出身の中近東音楽家、大平清氏とのデュオでスタート。えへくとを駆使したヴォイスとウード&サズが、天然リバーヴ満載の会場を渦巻く極上のサウンド。何度か『持ってかれ』さうになった。
休憩、観客を巻き込んでのワークショップ、に引き続き、いよいよ問題のNeo神楽。これが凄かった。神楽の「音楽的側面」をクローズアップしたかんぢ、と云へば良いのか?。福岡さんのアレンジにより、神楽唄のメロディにコード展開が付いてゐる!。『黒塚』の力強い唄が、オペラのやうに朗々と歌い上げられ、台詞回しはまるでラップのやう。そこに福岡さんのヴォイス、大平さんのウード、などが即興的に挿入される。ほぇ〜!すげぇ。
もちろん、神楽のレベルも高い。それぞれ名のある社中の精鋭が集まった集団らしひが、舞台に出て来ただけでその場の空気を変える程の神楽なんぞ久しぶりに見た。
これは、よくある『融合』とか云って、三味線や篳篥がバンド演奏の上でソロを取ったりするやうなモノとは次元が違う。神楽と現代音楽、双方に深い造詣があって初めて成し得る統合芸術だ。いや素晴らしい。けふは演目が少なかったが、一度全部見てみたいものだ。
主催者の計らいで、楽屋まで挨拶に行かせてもろた。福岡さん、想像以上に気さくで暖かいお人柄。辞令で『なんか一緒に』と云ふてもらへたが、ホンマに共演が実現したら死ぬかもよ、ワシ。いや〜遠い所を訪ねて行った甲斐は、充分にあるライヴだった。
19日(月)-----------------------------------------------------------------------------
ゆんべは、みぞれ降りしきる夜の浜田道を高速運転して帰り、その緊張でこわばった為か首と肩が痛てぇ。しかしまぁあぁいふ処にも莫迦はゐるモノで、雪が残ってみぞれが降り、片側壱車線しかない高速道路で、前の車を煽ったりするヤツ。お前は死ぬべきだ。ぞ。ホンマに。頼むからヒトを殺す前に、しね。
けふは、先延ばしにしてゐた仕事机の整頓を、ようやく完成させた。こまごましたモノはいっぱいあるが、片付けてみると引き出しが余ったりす。人生は要らぬものばかりだ。
中学生の頃の歌詞ノートが出て来た。恥の記録のやうなモノで、抹消せねばならぬが、読んでみると瘤黒や微−頭、案ジェ羅阿気や愚例の歌詞と、あんまり変わらん。なるほど。さういふ事か。
20日(火)-----------------------------------------------------------------------------
こないだMACの新年会ライヴで、コスリーズのしろーさんが、ベース弾き語りで「ヨイトマケの唄」を演ってゐた。で、この唄を調べてみる。美輪明宏のシンガーソングライター発現の壱曲、なんださうだ。放送禁止の憂き目にあったりしたが、まさに時代を越えて支持されてゐる唄、である。しろーさんのパフォーマンスにはワシも感動したが、お客の中には涙を流して聴き入ってたヒトもゐた。
これ、ちょうどワシが産まれた年の曲なんだな。で、美輪明宏の歌唱このVのとき、なんと71歳。で、その2年後に唄ったVもある。73歳!!。いや〜、この人ホンマに「モロの君」なんぢゃないの?。すげぇな〜。
にしても師匠(しろーさんは、ワシが生涯唯一、教えを請いに行ったヒトである)、あなたほどのベーシストにあれだけの事を演られた日にゃぁ、ワシぁ太刀打ちできませんぜ(笑)。うかうかしとれんなぁ。ワシもいよいよ「イヨマンテの夜」を演るか?。さういふ問題ぢゃないか・・・・。
21日(水)----------------------------------------------------------------------------
先日、引っ越しに際して、所有してゐたレコード(アナログ盤)を、段ボール箱いっぱい売りに出したのだが、¥4000くらいにしかならぬかった。しかも箱いっぱいのレコードの中で、値がついたのは多分5枚くらい。じゃがたら、とか、筋肉少女隊のデヴーあるばむとか、高値で買われて少し驚いた。
ビートルズのドーナツ盤なども出て来て、これはもぅ少し持ってる事にした。したら、なんと売り値が¥6000とか書いてありやがる。はぁ!。ワシのドーナツ盤はいくらで売れるンでせうか?。
22日(木)-----------------------------------------------------------------------------
最近、魅力的な「中年以上の」女性が周りに増えた気がす。美人、と云ふか可愛らしい、といふか、まぁそんなかんぢの・・・。けふもバス停にゐたところ、路の向いにある理容院から出て来た「おばさん」の、まぁなんと可愛らしいことよ。総じてかういふヒトって、良い顔で笑うんだな。旅日記にも書いたが、去年の「火の国ツアー」で熊本の老人ホームで出会った、恐ろしい程美しいおばぁさん、とかね。
さういや、何年か前のユーロ・ポップスのフェスティバルで、爺さん二人のデュオが『年老いた君の笑顔が 僕は世界一美しいと思ふ』といふ意味の唄を唄ってグランプリを取ってたな。あぁ云ふ唄が歌えるやうな、唄って似合うやうな歳の取り方を、ワシもしたいと思ひます。
23日(金)-----------------------------------------------------------------------------
専門学校に「インフルエンザ警報」が出た。事務室にマスクが置いてあり、自由に、と云ふか是非使え、と。若者は『インフルエンザなんです』とか云ふて、学校に『来る』阿呆がたまにゐたりするからな。
夜は今年初のBobby'sのライヴ。うどんのわきた、ではなく、ちゃんとしたライヴハウスである。横川のアップルジャム、といふ、おもにビートルズ系のバンドを多く出してゐるお店だとか。引っ越して、横川は近くなったし、アンプも店置きのがあるので、チャっとチャリで行けるのが嬉しい。
けふのボビーさんは、約束通り壱滴も酒を呑まずに演ってくれた。かういふ誠実なところも、この人の美徳のひとつだ。そして店の演り易さもあって、久々にBobby'sで良いライヴが出来た、といふかんぢ。ギターに新加入のアラスナ君を迎え、また今年も気楽であったかいライヴを演って行きたいものだね。
けふもソロコーナーを頂き、良い機会だから、と遂に「イヨマンテの夜」を演った。冒頭の『アーホィヤ〜〜〜〜』から既に拍手喝采。終演後はしばらく拍手が鳴りやまない、といふ快挙。っしゃ!つかんだねワシ。ふふふ、またひとつ印象的なレパートリィが増えたぜ(笑)。
24日(土)-----------------------------------------------------------------------------
しーシュリハ。諸事情により、手ぶらで行かんければならんくなる。預けてゐるベースセロで演る。まぁまぁ代用できる。「きみのうた」といふ古い曲を思ひ出し、やってみた。曲中の『大切なのは与えること 君の胸が痛むまで そして求めればいい 君の胸が痛むまで』といふ歌詞はマザー・テレサの言葉にインスパイアされて作ったのだ。
夕方、友人(♀)が夫婦で出演す、といふライヴに行ってみる。専門学校の近所にある「らべんだー」といふ老舗の喫茶店で演ってゐる、といふ。どっかのアマチュアバンドのサークル内ライヴ、のやうなものらしく、このテの会場ではたいへん珍しく、知り合いを一人も見かけなんだ。
友人夫婦の唄は、なかなか良かった。特に旦那はんの唄が上手いのには感心。この日ワシが見た出演者の中では、一番マトモな内容だった。めっけもんだったのは、このとき彼女がソロで唄った唄、それはワシが昔から、ことあるごとに気になってゐて、なんてぇタイトルの曲なのか知りたかった壱曲だった。
そはデビー・ブーンの「You Light Up My Life」。なんかすげぇ有名な曲らしくて、逆に音楽家として今までそれを知らんかった、てどーよ?。
25日(日)-----------------------------------------------------------------------------
午前中、チーズ・ドットコムの通販で買ったフォレスト・スモークチーズの1ホールが届いた。早速これでホットサンドヰッチを作る。美味い!!。雪印や明治のチーズでも作れるが、やはりこのフォレストのスモチだと、文字どおりひと味違うっ。
けふは今年初のFar east loungeワンマンライヴ。会場はシェルター69。ここも年末から縁が深くなったな。開演時間には補助椅子を出す程の客入り。ほぉ〜幸先良いね。
文化創造センター、ぎゃらりー手、のライヴ同様、ワシのソロから始まり、しーなさん、ツンちゃん、カシラが順番に加わって行くスタイル。多分、今後Far eastのワンマンは、この形が定着するンだらう。まぁ、考えやうによっちゃ前座みたいなもんだ。だが、役割としては重要なニッチ。
今年の独弾オープニングテーマにしやうと思ってゐる「ストロマトライト」から。バラフォン風の即興でじっくり練り上げたつもりだったが、後で「もっと長くても良かったのでは?」と、しーなさん。ほぉ。その後しーシュで「毬藻ありマス」と「羽根の記憶」。ツンちゃん入りで「Dance」と「歳をとった鰐」。で、後半フルメンバーでは「カプチーノ」から「ひかりのうた」まで約1時間の、緩急取り混ぜたベストナンバー。
これまでのベストを更新する、素晴らしいライヴだった。メンバーのコンセンサスも完璧。名曲「月の下ジントヨー」では遂に、最後まで『誰も音を出さぬ』といふ快挙まで成し遂げた。これぢつは音楽において一番高尚で、難しい「参加」の仕方なのだ。
お忘れなきやうに、Far east は打ち合わせもリハもやらぬバンドなのだ。それが、「音を出さぬ」といふ「アレンジ」ではなく、その場の空気で4人がそれを決断し、終始ウクレレ壱本で語られた「ジントヨー」。んん、化けたねぇFar east lounge。
それぞれがソロを取れる個性の協調、てぇのが今のこのバンドのテーマだと思ふ。ん〜〜〜、もっと話題になって良いバンドだと思ふのだが・・・。
26日(月)-----------------------------------------------------------------------------
永らく聴くのを躊躇ってゐたキップ・ハンラハンのCDを購入。御大ジャック・ブルース先生が全編ヴォーカルを取ってゐる、といふ「エキゾチカ」。メンバーのクレジットが殆ど無くて良く分からんのだが、このピッチの微妙なフレットレスはジャック先生かね?。ん〜〜〜〜〜〜〜〜〜、なんなんでせうか?この聴かせ処の無さは。「エキゾチカ」といふ割にエキゾティックな処が無いし・・・。
27日(火)-----------------------------------------------------------------------------
女房が誕生日なのだが、風邪をひいたらしく、寝込んでしまってゐる。焼肉に連れてってやる約束をしてゐたが、外に出れる様子では無いので、宅配ピザで晩飯とす。せめて少し高いワインと、プレミアム・ビールで乾杯し、また寝込む。誕生日おめでとう。
ワシは37歳の誕生日を病院で迎へた。バラバラに折れた脚を釣った状態で、ワイン風味のサイダーで女房に祝ってもらった。
28日(水)----------------------------------------------------------------------------
友人にPといふカナダ人の女性(広島弁ペラペラ)がゐるが、彼女が紹介してくれた映像がこれ「Playing for change」。ストリートミュージシャンの演奏で繋がる世界、「Song Around the World」といふコンセプトで、それぞれはほぼ無名の演奏家達のやうだ。この素晴らしい音楽と映像!。これに比べたら宇ィ亜ァ座輪亜流怒が商業主義に見へるね。てゆーかまぁアレは商業主義そのものだが・・・。
これが、ホンマに音楽を主体として繋がるムーブメントなら百点満点なんだが、これもやっぱり基金を設立し、貧困地域に学校や芸術施設を贈らう、といふチャリティ企画のやうだ。でもまぁ、ワシがチャリティ・イベントに参加する時がさうなんだけど、演ってる方はそこまで深くは考えてはないんだらうな。ただ単に『オモロさうだ』といふ事で参加してゐるのだらうし、さうあってほしい。
ワシは、やはり音楽は音楽への興味で繋がって欲しい、と強く思ふ。
29日(木)-----------------------------------------------------------------------------
今を去ること16年前、ワシは手探りでインストラクター業を始めた。知り合いのゐる楽器屋を訪ね、『ここで教室をやらしちゃくれんか?』と掛け合ひ、そしてそんなワシのベース教室の、いちばん最初の生徒-------これがイキナリ左利きだったりするのだが-------その彼から連絡が入り、15年ぶりに再会した。
1年くらい教えた後、新聞奨学金の制度を使って東京の音楽学校に行く、と云ふ事で辞めていったが、その頃は、まだケータイもパソコンも無かった時代だ。お互い連絡先は住所くらいしか知らず、何度か手紙のやりとりくらいはしたが、いつの間にか疎遠になり、遂には消息も知れぬやうになってゐた。だが、つい最近、どこかからワシのサイトを見つけ、久しぶりの帰広に合わせて連絡してくれたのだ。嬉しいねぇ。
東京に出て15年。なんとか音楽で喰ってゐる、といふ。ほぉ〜大したもんだ。今演ってる音楽のデモも聴かせてくれたが、当時のハードコア少年の面影は無く、ジャズィでオサレなポップスだ。『あの頃センセイに色々聴かせてもらって、かういふのにも目覚めた』といふ。
今、ワシはインストラクターとしてベテランになり、確かに教え方は上手くなってゐるだらう。が、あの頃、彼に向き合ってゐた頃のやうな、教えることに対する情熱、のやうなものが、今あるか?と問はれたら・・・・・。
にしてもやはり、昔の生徒がかうして訪ねて来てくれる、といふは、無情の歓びだ。奢ってやるつもりだったが、逆に御馳走してもらっちまった。ありがとうな。これからも元気で頑張れよ。また会おう。
30日(金)-----------------------------------------------------------------------------
専門学校が春休みに入りつつある。これから2ヶ月ぐらいの間、週休3日、といふふざけた日々を送る事になる。
前にこの日誌でちょいと書いた「口笛によるインド音楽」のCDを入手。ははは、確かに口笛っ。南インドの音楽なんで、北インドの古典ほど堅苦しくない。にプラスして口笛、なもんで、すげぇ超絶技巧のハズなのに、なんか脱力してゐて牧歌的ですらある。ギター、マンドリン、ヴィヲロン、セロ、サックス、と色んなラーガを聴いたが、これはそん中でもかなりの変わりダネ、やね。オモロい。
でもこれ、唄よりもはるかに息使うだらうし、すげぇ腹筋なんぢゃないの?。何よりまづ唇(顔の筋肉)がよくこんだけの事に耐えられるなぁ。
独弾の練習にスタヂヲに入った。ソロのオリジナルも随分と増えた。ライヴの構成が逆に難しいね。
さうさう、近く、ホームページのアドレスが変わります。ジオなんぢゃら、といふ処にこのまま引っ越す予定。ので、アドレスは変わりますが、内容は変わらんはずです。今後ともよろしくス。
31日(土)-----------------------------------------------------------------------------
しーシュのリハ。曲の概要は忘れてゐるのに、演り始めると歌詞もコード進行もすらすら思ひ出すワシを、しーなさんが不思議がる。思ふにワシは「記号」とか「言葉」とか「音符」とかでは憶えてないのだ。上手く云へぬが、多分、なんか「絵」のやうなモノがあって、それが曲の情報に繋がる、てかんぢ?。
だからなのかどーなのか、ワシは同じ曲を弐度繰り返して演奏すると、弐度めは大抵間違える。さっき確かに唄ったのに、冒頭の歌詞すら出て来ぬ事もある。これもしーなさんに不思議がられる。多分、ワシは曲を「憶えて」など居らぬのだらうな。ん〜〜〜〜〜。