5月


1週目

1日(金)-----------------------------------------------------------------------------

博多にてナカハラヒサロオ・バンドを手伝う。他のメンバーは先に車で出発。ワシは昼まで仕事をして、新幹線で後入り。てゆーか、バンドで行くってハナシ聞いてなかったンですけどね・・・。

新幹線が博多に着くとワシはまづ朋友タケちゃんを訪ねる。何年か前、偶然対バンとして出会い、えらく意気投合して、それ以来交友が続く旅のギタリストだ。今夜ワシは彼のウチに泊めてもらふ事になってゐる。

そもそもワシが最初聞いたハナシでは、このタケとワシ、にナカハラさん、のトリオで演る、といふ事だった。タケも昨日までさう思ってゐたさうだ。なんだかねぇ、とか云ひつつ珈琲など戴いてリラックス。二人でバスに乗り、会場へ向かふ。博多でバスに乗るのは初めてだ。

会場付属のバァで待ってゐると御一行到着。なんとフルメンバーである。全部で6人。なんか、昨日までベースを弾くつもりでゐたらしひメンバー(♀/カワイイ)までゐて、なんか申し訳ないなぁ。でも、『けふはシュウさんのベース勉強させてもらひます』と云ふてくれて、ありがとう。

本番は、ンな訳で6人入り乱れての大ロックショウ。客入りはかなり寂しかった。

対バンも含めた打ち上げに誘ってもらったが、けふはタケと語り合いたかったので、先に失礼す。屋台ラーメンを喰った後は歩いて帰ってタケんちでブルーズを聴きながらワイン飲みながら語りながら博多の夜。

2日(土)-----------------------------------------------------------------------------

タケは完全に夜型人間らしく『昼まで起きない』のださうだ。朝型人間のワシは3時に寝ても7時起床。近所にある大濠公園を散歩す。ものすげぇ広い公園。明日からどんたくらしく、あっちこっちでなんかの準備が始まってゐる。芝生に寝っ転がって本など読む。言葉通りに昼過ぎ目を覚ましたタケと天麩羅を喰ひに行き、14時半頃博多発のこだまで広島へ。

けふは、しーなとシュウ/ロゥミステルのカップリングによる『親子丼ライヴ』だ。リーダーであり、Vo&Drでもあるユミプが、しばらく広島を離れる事になるので、それの壮行会を兼ねたライヴ。それぞれが師弟関係にある二人づつのセッションなども演る、ので親子丼、ね。まぁ間に合わせの感は否めなんだが、楽しくは演れた。黄金週間初っ端、て事で仕方ないのかもしれんが、ここも客入りは寂しい。ん〜〜〜。

しーシュも、けふはイマイチな出来だったかな?。もう少し「完成型」を気にしなくなれば、これはこれでオモロく行けるんだがねぇ。

終演後もしーなさんは帰ってしまひ、ロゥミスの3人+ワシ、で煮え煮え。

パイグがこのところ忙しく、づ〜〜っとライヴとリハが続いてゐるさうだ。そんな日々の中で、初めて「精神的にヤバい」感じの処まで身体が追い詰められたらしく、『改めて43歳であのライヴ数をこなすシュウさんは凄い、と思った』と云ふ。いや、上には上が居るぞ、パイグよ。そなたも心して行くが良い。

3日(日)-----------------------------------------------------------------------------

さーぁ、けふは安芸楽団だ。朝すでに疲れてゐる。昨日パイグにあぁ云はれたが、ワシもそろそろアレかな?(笑)。

ところでけふ安芸楽団で出演する、フラワーフェスティバル、といふ巨大な祭り。今年で33年目を迎へるこの広島の名物祭りだが、ワシは第壱回目(11歳)に親父と二人で出かけ、子供心にも『なんちゅう意味のない祭りぢゃ』と思った。それ以降、一度も来た事はなく、勿論一度も出演した事はない。この街に、音楽家として43年生きて来て、関わった事すら、ない。

それが、祭りもワシ自身もゾロ目を迎へる今年、初めて出演する事になった、といふは、ナニか感じさせぬでもないが。

安芸楽団は半年ぶりくらいのフルメンバー。もともとこのテのイベントに強いバンドだから、けふも良いかんぢでアゲアゲのライヴをする事が出来た。うーむ、大人数で大掛かりで、運営する折田さんは大変だらうけど、やっぱこのバンドでもっといっぱいライヴ演りたいな。たった30分のステージだったが、楽しかった。

さすがに身体がまいり始めてゐるやうで、その後チャをシバきに行ったのだが、どうも気分が優れず、ケィクすら喉を通るのがしんどい。家に帰る頃には胃痛と吐き気、後頭部の頭痛も起こり、こはたまらん、ともう19時には寝た。

4日(月)-----------------------------------------------------------------------------

3時頃起きて風呂に入り、おかゆを少し喰って、また寝る。9時まで寝たら、ん〜少しは回復したかな?。けふもライヴなのだ。

けふはアリスガーデン、といふ処でのソロ。「ブレーメンの音楽隊」のPerようたから話をもらひ、あんまり細かい事を聞かずに引き受けた。したら、歳若いアマチュアの人たちのイベントだった。完全な「場違いフォー!!!」であったが、まぁ普通に演った。いつものナンバーをいつものやうにタラタラと。聴いてる人も聴いてない人もゐたが、全然気にしない。

づっと曇天だったが、ワシが唄ってるとちょうど真正面から夕陽が当りはじめ、えぇかんぢになった。

主催者はワシが出てる事にびっくりして、ビールを驕ってくれた。『こんなギャラも出んイベントに出てくれて・・・・』。あ、けふはギャラ出んのですか?。それも今知った(笑)。まぁ別に良いですよ、どーせヒマにしてるし。ビール呑みながら後続の「ブレーメン」を聴いて退散。

はぁ、これで黄金週間中のパフォーマンスは終わった。明日から少しはゆっくりできる。

5日(火)-----------------------------------------------------------------------------

けふは女房と久々に車で遠出をす。市内から約1時間半。県北は加計町で毎年この時期にやってゐる「デパ−ト神楽」を見に行くのだ。サンシャイン、といふこの地域で唯一のデパートの駐車場に特設ステージが組まれ、各地から結構名のある神楽チーム(社中、といふ)がやって来る、といふもの。

けふは大森神楽団の「源 頼政」と「大 江 山」の弐演目。どちらもオモロかったが、特に「大江山」の方は、今度コンクールに出展する作品らしく、その完成度の高さは白眉であった。途中で雨が降り出すやうな悪条件にも関わらず、沢山の人が集まって見入ってゐた。

が!

いざ帰らんとした時、左側のリヤタイヤがパンクしてゐる事が発覚!。ショーック!どーすっべ。スペアは一応積んぢゃあゐるが、この雨の中でヂャッキを使ふのはたいへん嫌だ。と、思ってゐると500mくらい向こうに「Mrタイヤマン」の看板がっ。おぉを!なんと云ふ幸運。なんとか駆け込み、プロの手によりわずか5分でパンク修理完了。こは源頼政の思し召しに違いなひ。有り難や嗚呼有り難や。

6日(水)---------------------------------------------------------------------------- 

友人の父上の訃報が入る。思わず本人にメールを出してしまふ。送信してから、しまった、と思ふ。残された遺族にとってこんな大変な時にメールなど送るとは、なんたる不躾か。幸い、友は寛容な返信をすぐにくれたが・・・・・・。

ワシはいつも大事な事を後になって思ひ出す。

夜は、こないだの親子丼ライヴの打ち上げで、おぼろげに約束した『ロゥミステルとのカラオケ大会』に行く。Keyのアサミちゃんを幹事に店を選んでもらひ、駅で待ち合わせ、歩いて行く。こげな美少女と夜の駅で待ち合わせをす、などといふは250年ぶりかなんかぢゃなかろか?。仲々に良い。しかし、親子に見えんでもないか。店でユミプ、遅れてパイグが合流。

カラオケはまぁ例によってワシは演歌ばっかし。パイグが玉の汗をかきながら熱唱する「タイガー&ドラゴン」など、なかなか見どころ多く楽しかった。2:30位まで唄い&語り、パイグと一緒にアサミちゃんを送り、ワシは途中で降りて歩いて帰った。

7日(木)-----------------------------------------------------------------------------

ウー、連日遊んでるから無理もないが、疲れが取れぬぞ。

大阪の朋友泉尚也さんから、新作のCDが届いた。相変わらず美しいフレットレス・サウンドが満載。驚いたのは、全11曲中、泉さんのペンによる曲が壱曲もない、こと。ソロアルバムに自分のオリジナルを入れない、といふは、ある意味すごい冒険だと思ふ。訊ねてみると、今回はさういふコンセプトで作られたのださうだ。優れた作曲陣が身近にゐて、なをかつその要求に応えられる技術あってこそ、の作品、なのだ。ウーむ、やはり深いっ。

壱曲、Pie-Zoで録られた曲がある。これは恐らくPie-zoを使った「世界で初めてのちゃんとした音楽」なのではないか?。フェルナンデスさん、この方にこそシグネイチャーモデル、作るべきですよ。

8日(金)-----------------------------------------------------------------------------

古い歌謡曲を検索してゐて、中森明菜の「サンドベーヂュ」に行き当たる。

1985年、作詞:許 瑛子/作曲:都志見 隆。そして編曲はなんと井上 鑑!。当時のワシはブルースに浸かり始めてゐたから全然気付かなんだが、この時期がちょうど日本に於ける第一次ワールドミュージック・ブームだったらしひ。それに着目したアレンジのプロの仕事は、流石に素晴らしい。で、フと記憶を手繰ってみると、なんかのTV番組で、明菜が唄う前にウードかなんかが前奏曲みてぇなんを演ったのがあったやうな気がした。

ので、検索をかけてみると、出て来ました。ハムザ・エルディーンだったのね!。テメェの象のやうな記憶力にうんざりしながらも、生前の姿に感動!!。こげな番組(ベストテン、やな)にフっと出るくらい、この時期は「近づいてゐた」のだねぇ。ハムザ氏の優しい人柄も偲ばせる貴重な映像だ。

にしても、明菜の唄が意外にヘタなのに驚いた。もちっと上手い歌手だったやうに記憶してゐるのだが。


2週目

9日(土)-----------------------------------------------------------------------------

しーシュの出張ライヴ。PAオペのあやこと3人で車で会場へ。呉市は新広の駅前にあるカフェ・ブリュといふお店。なんとまぁ可愛らしいと云ふかオサレと云ふか、ものすげぇえぇかんぢのお店である。隣が雑貨屋で裏がブティック。遊歩道を越えた向かいがケーキ屋。ツアー先でこの頃よく見かけるやうになった「古民家改装型」のお店とも違って、やはり「オサレ」と云ふ他はない。

窓の多い造りなので、照明がなくても全然OK。かう云ふお店でこそ「老化防止デイライヴ」が演れたらなぁ。生ピアノがないのが残念だが、まぁしーなさんにはキーボードで頑張ってもらふしかないね(笑)。ステージの後方も全面のガラス張りで、良いかんぢに日が落ち、暮れなずむ遊歩道を背景にライヴがスタート。

けふはワンマンなので、2ステージに分けてそれぞれのソロを設けたり、と趣向を凝らしてみた。特に「えせニック系」を集めた後半のインパクトは絶大だったやうで、けふのライヴひとつで、我らしーシュは「無国籍風バンド」として認知されたに違いない(笑)。オモロいライヴだった。

終演後の打ち上げも経営者ファミリーと共に和やかに心地よく。いや〜〜〜〜、良い店です。また演りたい。

ワシらはその後広島まで帰り、親友Mがやってゐる居酒屋「あきんど」で、東京ツアーのも兼ねた追加の打ち上げ。しーなさんの鍵盤弾き(ピアノ弾き)故の苦悩とジレンマ、エンターティナーとしての音楽の在り方、などにつひて、最後の方はのれんを下ろした店主Mも交えて煮え煮え。

10日(日)-----------------------------------------------------------------------------

確かひとり壱本づつぐらいワインを空けた。少し胸焼け。置いて帰った車を取りに行ったら、あとは本読んでごろごろしてゐる。

夕方からはシタールとコントラバス、のデュオライヴを見にOtis!へ。この組み合わせでどんなん演るんかな?と思ってゐたら、全編みごとなオリジナルだった。だからまぁシタールのイージーリスニング、っちゃその通りなんだが、編成が特異なので、つまらぬフュージョンのやうにならず、室内楽風でたいへんオモロい。決して、びっくりするほど上手い演奏ではないんだけど、不思議な暖かさに満ちたライヴで、えらいお年を召した人ばっかりだった観客も、大満足の様子。

後半、Otis!の佐伯さんとやよ美さんが加わっての即興もオモロい。『あ〜参加してぇ』と思ってしもた。なんかすごい和むライヴだった。良いな〜かういふの。

11日(月)-----------------------------------------------------------------------------

尼存から「ハードフォーク・サクセション」が届く。知る人ぞ知る、RCサクセションのデヴー時、彼らがまだアクースティック編成で演ってた頃のアルバムだ。LPで持ってゐたが、引っ越しの際に手放し、改めてCDで購入。フと思ひ出し、なんとなくまた聴きたいな、と思って注文した。したらその日の夜、忌野清志郎の訃報が入ったのだ。哀しいシンクロニシティである。

やんちゃな、それでゐて女子にモテない、そんな高校生が精一杯唄うパンキッシュなポップス。なかんぢ。久々に聴くとやっぱり良いなぁ。後のロック編成の頃より、トンガリ具合はこっちの方が上、てのがオモロい。忌野清志郎。日本のロックは、やはり素晴らしい財産をひとつ失ったのだね。改めて感慨無量。御冥福をお祈りします。

たばこを吸いながら 劣等生のこのぼくに
素敵な話をしてくれた ちっとも先生らしくない
ぼくの好きな先生
ぼくの好きなおじさん                  RCサクセション『ぼくの好きな先生』

12日(火)-----------------------------------------------------------------------------

朝飯作って喰ひ、専門学校へ行って仕事して、一旦帰って昼飯作って喰ひ、レッスン行って仕事して、また帰って晩飯作って喰ふ。火曜日は壱日中ベースを弾いてゐる日ではあるが、建設的な事が起こりにくい日でもある。かういふのは忙しい、とは云わぬのだ。

RCなどを聴いてゐるからだらうか、なんか音楽を演ることに、ちょいとナーヴァスになってゐる。此所数年、夏にかけての季節がこんな。さう云や2年前、御大石間秀樹師匠の広島ライヴをホストする事になった時もこんなかった。あれも夏だったな。

実現したライヴのステージで、石間さんに『この場を繋いでくれた梶山シュウくんに感謝』と云ふて頂き、胃を痛めて奔走した何日かが昇華される思ひであった。

13日(水)---------------------------------------------------------------------------- 

しーなさんが久々に作った新曲をアレンジす。譜面を読みながらベースを弾いた途端、リズムのイメージがヴァっと浮かび、一気に音が流れ出る。モノの1時間もせぬうちに譜面の清書まで完了。このやうに、しーなさんが作ったモノに、ワシがなんらかのテイストを加えて作品にす、といふやり方が、一番しーシュらしさが出るやうな気がするな。

久々に実家に帰り、オフクロの愚痴に付き合う。膝や腰を悪くして、あんまり好きに動き回れぬので、づいぶんとストレスが溜まってゐるらしひ。逆に、親父は相変わらず元気。ひとりで買い物に行くのが最近の趣味だとか。毎日行くらしひのだが、なんかチャリで30分くらいかかるとこら辺まで行ってるんださうな。ウーム。

ウチは親父方もオフクロ方も、総じて長生きの家系なので、まぁこのヒトらもまだまだ元気に生きさうだ。元気に長生きしてほしい。ちなみにオフクロの最近の夢、は『東京に遊びに行く事』なんださうである(笑)。

帰り、夕方の実家近辺を通ると、やはり青春時代のこの時間帯の思ひ出が甦り、妙になごんだ。

手に触れるものは全て現実で 光はまだずっと向こうにあった
何もかもが確かなものに思えた 何もかもが未来へと続いてゐた
僕らは変わってしまったのだらうか 約束の日を忘れてしまふほどに            オルカ団『エイジ』

14日(木)-----------------------------------------------------------------------------

若い母親(だらう)が、着物に下駄、といふスタイルで、子供を自転車のチャイルドシートに乗せて疾走してゐるを目撃。ほぇ〜〜〜〜!格好いいなぁ。こないだの東京遠征中にも、吉祥寺の町中で、子供を抱えて歩きながらGIGI(知らんか?)を思はせる素晴らしい声で、朗々と唄ってゐる若い母を見た。このやうにイカした母親(てゆーかイカシた女性、だな)てのぁ良いねぇ。

かういふ女性の傾向に比ぶると、最近の男ってどうよ?、と思はざるを得ぬな。自分も含めて。

眠りかけた男達の夢の外で
目醒めかけた女達は何を夢見るの?
ただあなたに Goodnight  
今あなたに  Goodbye                   井上陽水『最後のニュース』

15日(金)-----------------------------------------------------------------------------

なにかのイベントに出演すると、だいたいその企画者からチラシが送られて来る。3ツのイベントに出ることになってゐれば、3ケ所から3通りのチラシが来る。今ウチがさうで、仕事部屋がチラシばっかり。けふもダンスイベントのが送られて来て、嗚呼。

色んな事を考え過ぎるあまり、思考の回路がフリーズしてしまふ事が、最近多い。ワシはフと気を抜くと、完全に「スリープ」の状態になる。女房に云はせると、目の焦点がぼやけ、まばたきすらせぬやうになり、子供のやうな顔になるさうだ。そこに例えばTVなどから『最近ハマってゐるのは夜お茶ですネ』などと声が聞こえてくると、ウィーン、と「再起動」する。まぁ便利っちゃ便利である。

かつをのタタキが喰ひたくなり、帰りに買って帰らう、と思ふ。が、レッスン終了後、生徒とおお話しに興じてしまひ、すっかり帰りが遅くなる。近所のスーパーに寄ったが、鮮魚のコーナーにち〜〜〜〜〜さいタタキが壱個だけ残ってゐるだけであった。嗚呼。

ウルフルズのベース弾き、ジョン・B・チョッパー氏がピアニストと二人で演るライヴが、ヲルガン座で明日ある。ワシが知った時点で既に全席完売だったのだが、キャンセルが出たのでどーですか?と、イズミさんがわざわざ連絡をくれた。感謝!。


3週目

16日(土)-----------------------------------------------------------------------------

昼過ぎ、スタヂヲ入りしてダンス・パフォーマンス用曲の新テイクを作る。マスミちゃんから詳細な設定が届き、それに基づいて調整。なんか前より難易度が上がったな。えへくたー踏み間違えんやうにせねばな。

その後、移動してしーシュのリハ。しーなさんの新曲「紫の狐」。お馴染み「シュウの里子制度」によって、ワシがアレンジ。ちょいとクラシカルだったのを民族的にして、思いっきり「えせニッ臭さ」を増した。しーなさん、気に入ってくれたやうで。

けふはその後、ヲルガン座に「Honey Trap TOUR '09」といふのを見に行く。ウルフルズのベース弾きジョン・B・チョッパーと、ピアノ使い伊東ミキオのデュオユニット。特にどっちのファン、て訳ではないが、この編成でどんなんかな?と思ひ。

スタートしてみると、R&Bスタイルのピアノ弾き語り+ベース、といふフツーの。仲々リズミカルなピアノで、唄もまァ悪くないし、そこそこ楽しめた。ベースは、全然地味だし上手くもないんだけど、普通のベースってこんなもんよな〜。うん。

オモロかったし、色々と参考にもなった。ピアノ、といふもアレで仲々「演れる」楽器なのだな。良いライヴだった。でも、なんてーのか、全てがもう全部「メヂャーの世界」で、破綻もなければ奇跡もない、かんぢ。お客さんもそんなかんぢ。だから満員御礼の店内にも、知人が一人も居ない。メヂャー・・・・ねぇ。本人らのけふのギャラって幾らくらいなんだらうか?。

しーなさんと軽く飯を喰ひ、なんかそんな気分だったので、家まで歩いて帰った。

17日(日)-----------------------------------------------------------------------------

晴れてゐたら久しぶりに登山をするつもりになってゐたが、雨。晴耕雨読、といふ事でけふは読書に切り替える。藤原伊織の「遊戯」。のっけからぐいぐいハナシに引き込まれる。早く読み上がってしまふのが勿体ない気がす。ので、途中で気分を換え、何故か村上龍「半島を出よ」なぞを拾い読み。さらに村上春樹「国境の南、太陽の西」。

新型インフルエンザ、どうもエピデミックぐらいは不可避のやうな雲行き。朝のニュースから、ほぼ倍的に感染者が増えてゐる。女房に云はれ、取り合へずヲンツへマスクを買いに行くが、既に売り切れ。はァ!。

18日(月)-----------------------------------------------------------------------------

専門学校の半ドン後、スタヂヲ入りしてソロの練習をせんとしたが、なにやら改装中で使えぬ。他を当たってみたが何処も空いて無ささう。ので仕方ないので帰る。唄は唄えぬが、まぁベースとループの練習ぐらい出来る。が、なんか知らんがけふは学校が休みらしく、近所の餓鬼どもが家の前で暴れくさっており、やかましい事この上なし。気が散って練習も出来ぬ。

豊田勇造師匠から電話。『今週日曜日よろしくぅ〜』との事。今年も一緒に演れるのだ。嬉しいな。案内ハガキには『R&Bの新曲もあります』と書いてあった。ぬふー楽しみだ。にしても勇造さん、相変わらずのツアーこなしながら今年で60歳かぁ。すげぇな〜。

19日(火)-----------------------------------------------------------------------------

藤原伊織「遊戯」。本の薄さの割にえらく展開が遅いな、と思ってゐたら、なんと未完の絶筆だった!(藤原氏は2007年に急逝)。嗚呼嗚呼ぁ!折角面白くなってきた処だったのにぃぃぃ!。中島らもの遺作「ロカ」も、さぁ物語は核心へ!、て処で終わった。まぁ『この先、どんな展開だったンだらう』と想像するのも、愉しみ方のひとつだな。ヌ〜〜。

こないだのしーシュのリハで新曲を録ったやつを聴く。えせアラビックで作ったのだが、しーなさんが唄うと演歌みたい。ワシが唄うと「与作」ですらアラブ風になるのに・・・。だが、その相違はあんがい悪いものではなく、むしろたいへん面白いかんぢ。そこでハと思ひ浮かんだのは「えせニック歌謡」!。しーシュの今後の売り文句はこれだ「えせニック歌謡デュオ」。

思へば、早くから全ての音楽に対してステップ・アクロス・ザ・ボーダーだったのは、ロックでもジャズでもなく、歌謡曲だった。名曲イヨマンテの夜は1949年発表。みよ、この堂々たるインディアン・ビート!。「えせニック」はここから生まれたに違いないないない。

20日(水)---------------------------------------------------------------------------- 

とてもとても久しぶりにベースセロの練習。ピチカートで弾くもの、と割り切って。衝動買いして1年余。まだローンを払い終わっては居らぬが、使う場がないまま今に至ってゐる。アコギの弾き語りのヒトかなんかと一緒に演れりゃあオモロいのだが。さういふユニット、しばらく組んでないな。

かの、やんちゃロックバンド「AC/DC」のコンサートに苦情殺到!の記事↓。

*AC/DCが先週金曜日(5月15日)ドイツ/ミュンヘンのスタジアムでコンサートを開いたが、地元警察によると住民から100件以上の騒音苦情が寄せられたという。独Thelocal.de*

ぎゃはは!、やるねぇこのヒトら。なんでもAC/DCって世界で最もうるさいバンド、としてギネスに認定されてんだって。ロックだねぇ。

デカい音って云へば、嘘か本当か知らんが、1971年、グランドファンクレイルロードが来日した時、後楽園球場(野外)で行われてゐたコンサートの音が、中野ら辺まで聴こえたとか・・・・?。ロックだったねぇ。素晴らしいねぇ。

いや、わっしはもうこげなデカい音はごめんですよ。でもまぁ、演ってるヒトには敬意を表します。

21日(木)-----------------------------------------------------------------------------

フェイバリットには違いないのだが、イマイチ正体の掴めぬミュージシャンに、フォーリィ(Joe Foley McCreary)と云ふのがゐる。80年代のマイルス・デイヴィスのグループにゐたのが有名っちゃ有名なんかな。4弦ベースにギター弦を張った「リード・ベース」といふ楽器で、まぁ、マイルスバンドのギタリストのニッチにゐた男だ。『なんで4弦なんだ?』と思はしむるが、ちゃんとソロも弾いてるし、それがまたカッコいい。

日本の雑誌のインタヴ−で『4弦ギタリストと呼ぶな。俺はベーシストだ』と発言したり、自己のソロアルバムではほとんど楽器を弾いてなかったり、久々に姿を見せたライヴではドラムを叩いてたり、相当なひねくれもの、変人のやうだ。

マイルスバンド以降の活動が、日本では全く入ってこなかったが、このたびサイト(飛ばなくていいです、訳分からんサイトだから)を発見した。本人が管理人のやうだが、この男の変態ぶりが集約されてゐるサイトだ。写真のページに、おそらく、マイルスバンドで廻ったツアー先で懇ろになった(のであらう)女性の写真を、臆面もなくアップしてやがる。何を考えてゐるのだ?この男は。

でも、かういふヤツって好き。

22日(金)-----------------------------------------------------------------------------

フタコブ・リコズ、といふユニットのリハ。りこ(鍵盤)とワシとGressiveのシバちゃん(Gu)。シバちゃんとはかつて超絶技巧バンド「S.Y.U.K.」でタッグを組んだ仲。解散後はセッションで何度か演ったことある程度だ。久々の共演となる。スキンヘッドの男が二人、だからフタコブ、なんださうだ。へ〜。りこと演るユニットで打楽器が居らぬ、といふは初めて。

けふのリハは19曲演った。21時から始めて、終わったのは0:30。打楽器不在をものともせぬ、良い仕上がり。これだけのリハをやって壱回だけの営業では勿体ないので、このトリオでライヴもやってみるか、といふハナシになる。そはオモロい。実現すれば、ほぼ10年ぶりにシバちゃんと「ライヴの現場」でも共演する事になる。

21時からリハ始めて、終わったのは0:30。専門学校3コマ&個人レッスンして来た身には、流石にしんどかった。久々に弾き過ぎで手が痛い。

明日は、あの「あいのてさん」との即興ライヴだ。どんなんなるんやろ?。


4週目

23日(土)-----------------------------------------------------------------------------

いよいよ、あの「あいのてさん」とのライヴだ。2年ぐらい前に偶然TVで見た時には、こんな形で共演する日が来るなんざ思ひもせなんだ。まっことヒトの縁といふは不可思議である。

青のあいのてさん、ビッキーこと尾引浩志氏(声、イギル、口琴)とは昨年10月に共演済み。今回は3度めの邂逅。赤の野村誠氏(鍵盤)、黄色の片岡祐介氏(打楽器)とは初対面である。自然、ワシとビッキーの話し合いでけふの進行が決められて行く。ワシはけふは純然たる即興セッションのつもりで来てゐたのだが、ビッキーに「ソロ演って」と云はれ、あわてて女房に機材を持って来てくれるやう電話。

会場のPICOは、開演時間にはほぼ満席となった。まづは壱部、あいのてさん3人による「楽曲」のステージ。それぞれはそれぞれの分野でのエキスパート達だが、見事な融合。音楽的にも見事だが、随所に笑わせる個所を設け、お客さんもステージに上げてのパフォーマンスなどもある。さすが盛り上げるねぇ。

弐部はワシのいつものソロだが、いつもとは構成を少し変えて、「夜の駱駝」から始めてみる、なぞと云ふ事をやってみたりした。まぁ、まぁまぁ良いステージが出来たやうで。あいのてさんが意外にきっちり演ってゐたので、ワシもマニぃ方には行かぬやうにしてみた。約30分のステージ。

参部は、まづあいのてさんの3人がそれぞれのソロ。壱部とはうって変わってシビアなミュージシャンの側面を見せつける参人。やはり相当の手練たちだ。そしてワシが入り、肆人での即興セッション。ワシがドレッド帽子をかぶってステージに現れたことで『全員が帽子をかぶった』といふお題となる(笑)。これがすごいセッションだった。

まづ、冒頭ワシがカリンバを弾き、そこに皆が徐々に加わって来る形で進む。鍵盤、イギル、マリンバ、ジェムベ、ベース、声、などが次々と主題を変えながら、ラストの方にはノリノリのダンス音楽のやうになる。特にすごいな、と思ったのは鍵盤の野村氏。ベースのラインを壱音変えた次の瞬間には、それに反応してピアノのフレーズも変えて来る。ものすごい反射神経。それは片岡氏の打楽器もおなじ。そこにビッキーのエンターテイメント性が自由に乗って来る訳だから、そらぁすごい事にもならうよ。

いや〜〜〜〜オモロかったぁ。30分は演ったんぢゃないか?。

こないだのヲルガン座で見たピアノとベースのデュオとは180℃違う、開かれた音の世界、がそこにあった。そこに自分が混じれたことが嬉しい。ミュージシャン冥利に尽きる夜だった。今夜の仕掛人は、やはり呉のリュウくん。ホンマにすごい男である。

野村さんと片岡さんは宿に帰り、ビッキーだけ残って一緒に3時まで呑んだ。また一緒に演りませう。

24日(日)-----------------------------------------------------------------------------

けふは吟遊詩人豊田勇造さんとのライヴ。年に一度、Otisでの来広ライヴを手伝わせてもらふのが、此所数年のこの時期の楽しみでもある。例年通りカシラとのデュオで前座。ソロも壱曲「月のチャクラ」を。勇造バックは前半で2曲、後半は全編で参加。今年はNくんといふ若手のトラムペット吹きも参戦。

Nくん、かういふ現場は初めてださうで、なんか舞い上がって吹きまくってゐる(笑)。ちょこッと『周りの音、よぅ聴けや』みたいな事を云ふとフと肩の力が抜け、スムーズなラッパを聴かせてくれた。カシラはギターの調子が悪さうで、ちょいと不完全燃焼気味。まぁライヴの数こなしてへんのだから、かういふ事もあるさ。

会場は満員。年々深みを増す勇造さんの唄の世界。特に此所数年の勇造さんはダイナミクスの幅がハンパでなく、聴こえんやうなピアニッシシシモから、仰け反ってしまふやうなフォルティッシモまで。電気ベースで対応するのは、はっきり云ってワシにしか出来ぬ芸当だ、と断言したい。

ワシも大好きな「花の都ぺシャワール」でのえせニックベースソロには、Otisマスター佐伯さんが感心してくれてゐた(笑)。

唄の深みに酔いしれ、大いに盛り上がった素晴らしいライヴだった。

唄旅の大先輩として、勝手に「師匠」と呼び敬愛してゐるが、勇造さんも今年で60歳。6月には6時間かけて60曲唄う、といふマラソンコンサートを京都は円山音楽堂で敢行するさうだ。ワシも長丁場のライヴは経験ある。だからこそこれがどのやうな凄い事かよく分かる。頑張って下さい勇造さん。来年もまたよろしくです。

25日(月)-----------------------------------------------------------------------------

土、日、とシビアなライヴの現場をくぐり抜けて来た身には、週末に練習をおろそかにしてゐた(であらう)生徒達の演奏が、ことのほかショボく聴こへ、ついレッスンが荒っぽくなる。速弾きだのスラップだのうつつを抜かしとるヒマがあったら、リズム練習をせぇ。曲でも書け。

ひと昔前に「桃栗」といふユニットを一緒に演ってゐた唄姫「ミキ」が、このたび結婚する事になったのださうだ。そのめでたいハナシを聞く為に、久々に会ってデートす。結婚と云ふものに先行きの不安ばかり感じ、どーしてもそこら辺の娘らのやうに、浮かれた気分になれぬ自分をオカシイのか?と思ってゐるといふ。

いぃやミキよ、君の反応こそがマトモなのだよ。今から、血の繋がらぬアカの他人と一緒に、新しい人生を築き上げて行くのだ。そはとても険しき路だ。シビアな選択だ。たいへんな決意だ。浮かれた気分になる方がオカシイのだ。のやうな事を云ひ、小3時間デートした。

夜は女房と「鉄鍋」デート。料理も酒も美味かったが、店員の態度が良くないのはよくない。

26日(火)-----------------------------------------------------------------------------

その「桃栗」を演ってゐた頃、ミキに唄わせてみたい曲があった。そは「冬の華」といふ。あの下手糞な名化死魔味化の「雪の華」ぢゃないよ。あんなんと一緒にしてもらっちゃ困るぜベイベ。

これは昔、ワシが高校3年生くらいの頃、某コンテストでグランプリを取り、そしてこの壱曲を残し、それ以降全く姿を消してしまった幻のシンガーソングライター、磨香(まこう)の作品である。

深い頽廃を思はせる歌詞。中世の欧州を感じさせる暗〜〜〜い楽曲。そして好みがまっ二つに分かれるであらう、独特の歌声と節回し。本人が弾くピアノの伴奏だけで唄われるこの暗い唄がグランプリを取った事にも驚いたが、当時彼女が同い年くらいである、と云ふ事にはさらに驚いた。

冬に咲く 青い華 冷たい砂漠に落ちてゐた
風が吹き 青い華 砂塵と散って行く

鐘が鳴る鳴る鳴る 心の中で 古い時代の石畳
街よ待ってくれ 華の面影が 我が心に焼きついてゆく

何時まで経っても枯れないで 毎日涙をあげるから
時を超え 冬の華よ いつでもお前は綺麗だよ                 磨香「冬の華」

この詞を書き、歌える、同世代の女子、といふものに、ワシは強い畏怖を感じたものだ。しかし理由は分からぬが、彼女はこれ以降、時代の波に痕跡も残さず消えて行った。真相のほどは分からぬが、当時のメディアはこの曲に対して、かなりの酷評を下しもした、といふ。折りに触れては思ひ出し、やはり強く印象に残ってゐる、といふ女房との話題に上ったりしてゐた。

そして、このたび、You tubeにてその楽曲を発見した。25年ぶりに聴いても、当時の印象とまったく変わらぬ。やはりすごい曲であり、すごい唄である。そしてまたミキにこの唄を唄わせてみたい気が、むくむくと起こり始めてゐる。

27日(水)---------------------------------------------------------------------------- 

久しぶりに遠回りをして仕事場に向かひ、昔住んでた辺を通ってみた。スーパーが壱軒、喫茶店が壱軒、潰れてゐる。そして巨大複合買い物モールなどが林立し、幕怒、須束、湯煮黒、誌脱区巣、老損・・・・・、日本中何処の街に云っても、同じやうな風景になるのだ。ヒトはそれを「発展」と呼ぶ。崩壊への緩やかな下り坂。

PICOのツンちゃんから連絡。和太鼓、サムルノリ、ジェムベ、の演者が、総勢200人ぐらい集まってバトルを繰り広げるイベントが、今秋、世界遺産宮島であるらしひ。ので、「ベースは要らんがタイコ叩きに来んか?」との事。即答、『行く行く行く!!!』。かういふハナシが来ると、躊躇わぬ自分を、阿呆で良かった、と思ふ。

夜半、すごい雨と雷。

28日(木)-----------------------------------------------------------------------------

SAKISHIMA Meeting 、といふライヴイベントを見に行く。しーなさんに『新良幸人が来るよ』とだけ聞いてゐて、そは聴きたい、と思ひ。行ってみると下地勇、加川良との豪華参本立てライヴだった。

こ・れ・が・。

はぁもぅ素晴らしい、としか云ひようのないライヴ。新良幸人の素晴らしさは、以前見て知ってゐたが、初見の下地勇もこれまた・・・。下地はちょいと欧州風のギターに擦過音や破裂音が多い宮古島方言を乗せて唄う。これがなんかカエターノ・ヴェローゾのやうでかっこいい。しーなさん曰く『かなりイケメン』だし。

新良幸人は三線の弾き語り。こちらは石垣島の方言。訳詞解説のMCは爆笑を誘ふが、ひとたび唄いはじめると、艶やかで力強い歌声にぐいぐい引き込まれる。たった参本の弦で彩られる唄の世界。ワシの肆弦ベース+ループといふモノが、ぢつにイカサマ臭く思へるぞ。

そして二人のデュオがこれまた・・・。ギターと三線、ほかになんの装飾もないこの組み合わせの、なんと妙なる事よ!!。唄うたいが二人で演って、全くハモろうとしない潔さ。あぁこれが「唄の力」なのだ、と強く思った。しーなさんと二人して、しばらく呆然とするくらいの、心地良い「敗北感」。はぁ、ヤラれましたな、けふは。

しーなさんと軽く呑み、その敗北感を語り合う。まだまだワシら「唄の入り口」にやっと立ったやうな状態やね。明日はそれぞれライヴの現場がある。お互い、良いモノが演れさうだね、と別れた。

29日(金)-----------------------------------------------------------------------------

けふは井口台はフレスコ、といふリストランテにて、フタコブ・リコズの本番。シバちゃんとワシは、同じスケヂュールで専門学校をこなしてからの会場入り。車を連ねて移動する様は、かつてバンドを一緒に演ってゐた頃を思ひ出させる。

リコから『出来るだけ奇抜なファッションで』といふ注文が付いたが、ワシはまぁいつもの・・・。一応「フタコブ」にちなんで、頭は丁寧に剃り上げた(笑)。

例によってリコのややこしぃオリジナルを中心に、30分のステージを3回。老若男女バラバラな客層だったが、終始好評。

リコとの共演ももう4回めくらいなので、ワシは終始リラックスして弾けた。リコにとっては打楽器の居ない編成での演奏は、結構なチャレンヂだったらしひが、変則編成はワシはお手のもの。ましてやもう一人はシバちゃんである。多分、全く問題ないぞ、と思ってゐたが、その通りだった。

シバちゃんとは今回、ほぼ10年ぶりにかういふ形で共演したが、さすが柴作伊佐雄、と思はしむる完璧なギター。触発されてワシもベース、ヴォイスともに全開。ちょいと暴れ過ぎたかな?といふ気もせぬでもない。それくらい弾きまくって、楽しかった。

どー考えても、この壱回の営業仕事だけで終えるには勿体ない、といふ事で、本気でこのトリオのライヴを企画することになった。

かうして文章にすると再認識するが、壱週間にかような濃ゆいライヴを参本もこなしてゐるのだな。しかもフォーマットはそれぞれ違うが、ワシ自身のやってる事はほとんど同じだ(笑)。そして明日は久々のソロ。まぁなかなか上出来な中年ではある。

30日(土)-----------------------------------------------------------------------------

絵画に写真に音楽に、頑張ってゐる若者達のイベント「横川ランデヴー」のVol4に参加。主催のNちゃん(マリンバ奏者)にお招き頂いての。出演者、裏方スタッフ全員が、ワシよりふた周り近く下の世代。完全な「独りおぢさん」である。以前、ワシのイベントに出てくれたギター弾きのイモトくんもスタッフにゐる。

企画、構成、設営、運営、全てを自分達の手作りでやる、といふ気概があふれ、すごくポジティヴな雰囲気。昔の小劇団ってこげなかんぢだったのだらうな、と思ふ。ひとりおぢさんで、知り合いもほとんど居ないが、会場のさういふ好ましい空気に包まれ、待ってる間も、全然退屈せぬ。

ライヴの出演者だけ取っても、エレクトロニクスありぃの、ジャズぽいのありぃの、落語もありぃの、といふハイブリッドなかんぢ。けふは2日間行程の初日で、明日はペインティングやらもあるらしひ。よくこんだけのモノを企画したよ、といふ気がす。天晴。

しかし、ちょいと提案させてもらへるならば、会場が、壁も天井も舞台も真っ黒、てのが、「アート」の「重苦しい部分」を増長してしまってゐる気がして、もったいない。今回は、テーマが「穴」といふ事だったからまぁそれで良いのかもしれんが、もう少し会場に明るい雰囲気があれば、さらに「外に」アッピール出来るのではないかな?と思ふ。

まぁなんにせよ、素晴らしい若者達の素晴らしいイベントである。ワシなんぞが出てよかったのかな?とも思ふが、せめてプロの世界を提示すべく、頑張って演った。

こげな素晴らしい若者達に対して、たいそう不義理なことは承知だが、ワシはケツカッチンにて、自分の出番が終わったらすぐに撤収。五日市のスタヂヲTIPで行われてゐる、TIP設立参周年記念ライヴに駆け付ける。こちらはパーティーも兼ねてるから当然酒が入ってゐて、ライヴは結構グダグダに進んでゐる。あんまり急いで来なくても良かったかんぢ(苦笑)。

22時も廻った頃、しーシュで演ってお開き。

この御時世に、これだけのスタヂヲを運営し軌道に乗せてゐる、てのは大した事だ。しかも此所の生徒達のレベルの高さを見知ってゐるだけに、そはどれほどの事か、よく理解できるつもりだ。此所も天晴。昼間の若者達と云ひ、此所を切り盛りするミミと云ひ、ホンマに大した人たちだ。

31日(日)-----------------------------------------------------------------------------

昨夜は呑んでるうちに眠くなり、TIPスタヂヲの片隅にヨガマットを敷き、寝たやうだ。目が覚めると広いスタヂヲ内に点々と、しーなさんと娘、マサヲさん、ツンちゃん、マ−坊、パイグ、が、同じやうにヨガマットを敷いて寝てゐた(笑)。ダラダラと起き出し、珈琲を呑みパンをかじる。キャンプの朝みたいだ。かっこう。

ツンちゃんと彼のパーカスをPICOまで送って帰宅。風呂に入り、昼過ぎまで寝る。

夕方、東京から帰って来てゐるダンスのマスミちゃんと合流してリハへ。6/27のダンスイベント用のプログラムを。これまではメールで打ち合わせ、ワシが作った音源を送り、マスミちゃんが構成を考え、またメールでディスカッションし、また音源を送り、でやって来たが、けふ初めて二人で合わせる。ワシが自分でやった事を憶えてなかったりして、ちょいと突っ込まれたが(笑)まづまづ。お互いにデヂカメム−ヴィ−で録画して、さらに本番までの練り上げに。

マスミちゃんのダンスを見るのは、参年以上ぶり。相変わらず流麗で妖艶な動きだが、ダンスと云ふよりは、もはやパントマイムに近いかんぢ。ヤバいぐらい激しい動きもあり、今回はまぁこれ壱曲だから良いが、マスミちゃん曰く『これは弐曲続けて踊ると死ぬ』さうだ(笑)。

ん〜〜、あのダンスには曲が負けてるなぁ。ちょいと気合い入れ直さなアカンな。


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