8月


1週目


1日(火)--------------------------------------------------------------------------------

8月になった。夏本番。暑い。ガンの手術を受けた叔父貴の見舞いに行く。王監督と同じく胃の全摘出を受けた訳だが、思ったより顔色が良かったので、とりあへず安心した。『お前はしかし歳を取らんのぅ』と云はれた。『好きな事だけやっとるけぇね』と答える。

その後ついでに実家へ顔を出す。姪っ子、高校生になってる。アネキの高校生の頃にそっくり。まぁ当然か。

2日(水)--------------------------------------------------------------------------------

暑い。ウチの近くで知人のY女史がお好み焼き屋をやってゐるのは知ってゐたが、づっと行った事がなかった。ので、昼に外でお好みを喰ふのも久しぶりなのだが、行ってみた。昼下がりの他の客が全部ハケた後の静かな店で、唐辛子入りの麺を使った肉玉そばを喰ふ。美味い。この後なんもなければビールでも行きたい所やね。

けふは夜、セネガルのミュージシャン (名前忘れた)がPICOでライヴをする、といふので、大雨の中、行ってみた。二人の日本人のサポート受け、カタコトの日本語を交えながらジェムベをものすごい勢いで叩き唄う。客のダンスも盛り上がり(なんかさういふダンス系の人が多かった)たいへん楽しかったが、ワシはむしろ前半の、手製のアフリカン・ハープ『コラ』を弾きながらのミニマルなナンバーが心惹かれた。

ライヴ終了後、ジェムベのワークショップが開かれた。ワシはハナから参加するつもりで指輪も時計も外して待機してゐたのだが、希望者多数につき、あっと云ふ間に太鼓の数が足らなくなり、仕方ないので帰る。ちぇっ。

3日(木)---------------------------------------------------------------------------------

10年程前、防府市在住の一楽(いちらく)さん、といふ音響系即興ドラマーと御一緒させて頂いた。たいへん有意義なセッションで、また一楽さんにも気に入ってもらえ、一緒にツアーをどうか?といふ話にもなった。ワシは丁度仕事が軌道に乗りはじめた頃だったが、その話に乗せてもらふやうに幾つかの仕事を降りたりもした。それでも、実際は間に合わなかった。ワシは一瞬で「乗り遅れた」のである。その後、一楽さんは国内のみならず海外でも高く評価され、国際的なインプロヴァイザーとして、防府市から世界へ自由にネットワークを繋ぎ、元気に活躍中だ。そして彼が住んでゐる防府市は、彼の築いた土台の上で、ちょっと変わった若いミュージシャンが育てる環境になってゐる。

この話の教訓は、『いつでも跳べるやうにしておくべきだ』と云ふ事である。

何故、ワシは同じ土俵に立てなかったのか?といふ、強い悔恨と慚愧の念が、今も絶えない。

4日(金)-----------------------------------------------------------------------------------

暑いぃぃ。日に4回ぐらい水浴びしてゐる。ウチのイグアナも暑さうである。このヒトたちは熱帯生まれで、暑いのは大歓迎なのだが、夜半は25度以下にならぬと逆にしんどいらしい。ウチは一日平均して30度〜34度くらいなので、昼はさておき、夜はキツいやうだ。ベロを出してふーふー云ってる。まぁその仕種はたいへん可愛いのだが。クーラー買うかねぇ?。

暑い、と云へば、やっぱりインドを思ひ出す。暑い、のではなく、熱い、ね、あそこは。今、NYが熱波で結構シワいらしいが、まぁあんなかんぢだらう。ワシらがインドに居た時の最高気温は、たしか45度だった。さすがにインド人も「投げて」ゐた。もともとルーズな国民性だけど、あのぐらいになると旅行者だってホンマに細かい事はどーでもよくなるもんやね。


2週目


5日(土)--------------------------------------------------------------------------------

仕事の後、高校時代からの友人ふたり、SとKと、年に1〜2回呑みに行く、けふはその日。待ち合わせ場所を書いた紙を無くしてしまひ、適当に見当をつけて待ってゐたが、約束の時間になっても誰も来ぬ。これはワシが違う所にゐるのだらう、と思ひ、電話してみるととなりのビルだった。合流して韓国料理を喰ひに行く。ナントカといふ辛い鍋と2種類のチヂミを3人でつつく。美味い。結局、最初の鍋からうどん→モチ→雑炊、と行き、久しぶりに腹がパンパンになるまで喰った。勿論、マッカリを飲みながら、ね。

さて、ワシはその後ライヴに出る。ナカハラヒサロヲさんが毎年企画してゐるコンサート『愛と平和とロッケンロール』に11:00からFar east loungeで出演。ツンちゃんはジェムベ1コ、カシラがウクレレのみ、ワシがPie-ぞう、と、3人の楽器が自転車1台で運べさうなゆるゆるな編成。まぁ例によって時間にルーズな出演者など居り、押しまくってゐて、お客さんもあんまり居らん。ワシらは5曲を20分ぐらいで演って、終了!。

鍋が思いのほか高かって、金があんまり残ってなかった。ので、タクシーの運ちゃんに有り金全部見せて『これで行ける所まで』と云ふ。

6日(日)--------------------------------------------------------------------------------

けふはまづアクターズスクールで審査員。1:00〜6:00までかけて、50人と20組の出演者の唄を聴く。

そして夕方から昨日に引き続きFar east loungeのライヴ。けふは日光のマルチアーティストAKIRAさん率いるONSENSとの対バン。カシラから常々お噂は聞いてゐた癖者揃いのバンドである。もっとサイケなのを想像してゐたがさにあらず、いたって正統派のロック。メンバーの力量も確かで、特に中盤、ドラムスのヤオさんとパーカッションのリエちゃん、この二人が見せてくれたリズムの宇宙は、筆舌に尽くし難い素場らしさ。アーかういふ人、広島に居らんかねぇ。

ウチはまぁ演奏中にカシラのギターがぶっ壊れたりして、ちょいと不完全燃焼だったかもしれんが、いつも通りぐらいには出来た。昔のカシラならテンパってぐしゃぐしゃになる所だらうが、最近の彼はその辺も強い。まぁバックには一流がサポートしてるからね(笑)。

訪広中の作家田口ランディさん(流石文壇系バンド、さういふコネクションもある。カシラもいちをう「文筆家」だし・・・)の飛び入りや、全員入り乱れてのセッションなどもあり、ちょいと長めだったが、とても親密な良いライヴであった。いやー、それにしてもあのリズムデュオは凄かった。次は是非まぜて頂きたいなぁ。

打ち上げはツンちゃんの店PICOで。もうみんなへとへとでそこら辺に寝っ転がったりしてゐる。ワシは、埼玉からこれを見にヒッチハイクでやって来た、といふ青年と話し込んでゐた。もう一人、これからヒッチハイクで沖縄まで帰る、といふ青年もゐた。いま、¥280しか持ってないのださうな。なんとまぁデラシネな人達である。ワシが喰ってゐたパンを『すいません、ちょっと戴いていいスか?』と云ふので、「好きなだけ食べなさい」と云ふ。最高のヤツらだ。

7日(月)----------------------------------------------------------------------------------

昨日の幾人かのデラシネびと達に影響され(?)、いつものプールまで歩いて行ってみる。昼下がりの猛暑の中を1時間歩く。さすがに夏場のこの時間帯、外を歩く酔狂な人間は居らぬらしく、しずか〜な遊歩道。プールに着くまでに500ミリのペットを3回買った。しかし到着してみると競泳用プールが大会かなんかで使用できぬ、といふ。Oh God!。しかしここまで来てまた帰るのもナンなので、隣接する普通のプールに行く。芋の子を洗うやうな状態だが、なんとか頑張って30分ぐらい泳いだ。上級者レーンに入って来る邪魔なガキを、泳ぐフリして蹴ってやった。へへへ。

8日(火)----------------------------------------------------------------------------------

暑い。あまりに暑い。朝イチから天気予報は『けふの広島、今年一番の暑さとなるでせう』みたいな事を云ふてゐる。これはたまらぬ。ので、もう昼過ぎにはレッスンスタヂオに入ってゐる。まぁなんぼ暑いと云ふても、ワシら仕事場に来ればエアコン、効いてる訳だしね。

4人レッスンして8:30頃家に帰ると、扉を開けたとたん、中から尋常ではない熱気が外へ溢れだして来る。一瞬、ガスかなんかつけっぱなしだったのか!?とか思ったが、ただフツーに暑いだけだった。温度計を見ると室温が35度!!。夜の8:30でこれだ!。たまらぬ。窓を全部開け放ち、ベランダに扇風機をセットして、さらに打ち水をして・・・さうしてゐるとなんとか31度まで下がった。まぁ一般の人からすれば、これでも相当に暑いのだらうが、ワシらはもう慣れたもんで、これくらいだったら『あぁ涼しい』と云ふ。

9日(水)------------------------------------------------------------------------------------

暑い。なんか腹が立ってきたよ。椎名誠の「モヤシ」といふ私小説を読んでゐる。椎名誠本人が、尿酸値の上昇を医師から指摘され、それまでの暴飲暴食を見直してゆく、といふ話。筆者独特のユーモラスな描写で、何故それが「モヤシ」に行き着くのか、が語られる。この人は総じて喰ひ物の描写が上手いのだが、沖縄で各種のチャンプルーを食べるシーンがあり、とても美味さうだ。アー、読んでるとチャンプルー喰ひたくなったな。

で、そうめんを茹で、出し汁と酢、タバスコを適当にまぜてスープを作る。キウリとミョーガを切ったものをマヨネーズで和え、そうめんの上に載せて、さっきのスープをかけて喰ふ。適当に作ったが、なんと云ふか、非常にえせニックな味のとても美味い冷やし麺が出来た。「シュウ麺」と命名す。

10日(木)-----------------------------------------------------------------------------------

あつ〜い〜〜〜。仕事に行くのに駅を歩いてゐたら、突然、美少女がワシの顔をのぞきこんで来た。たいへん驚いたが、良く見ると昔のアクターズスクールの生徒だった。何度かプロデュースした事のある娘で、当時はミニスカ眩しき女子高生だったが、今や二十歳。モデル事務所に所属してゐると云ふ。よく声をかけてくれたものである。「センセイ、全然変わってないですね」と云ふ。けふは休みで、今からデートだってさ。可愛い娘だったが、ますます可愛くなってるなぁ。

明日のパーカッションキャンプを皮切りに、とびとびではあるが8月下旬までの夏のツアーがスタートする。その後の秋の関西〜中京ツアーの詳細も決まった。6月に8本ライヴ演って、多いな、と思ってゐたが、なんと今月は10本。ワシも立派なデラシネびとになりたいものだ。

11日(金)--------------------------------------------------------------------------------

毎年恒例のパーカッションキャンプに参加す。ワシが参加するやうになって10回め、イベント自体は13回め、ださうだ。もはやワシの夏には欠かせぬ行事となった感がある。これも毎年恒例、船を使わぬ陸路を選び、わくわくしながら車を走らせる。今年はどんなオモロい事が起きるだらうか?。ただ、ここ数年のワシはこのキャンプ中に怪我をしたり、体調を崩したりする事が多く、ツアー前と云ふこともあって充分に気を付けねばならぬ。楽しいからと云ってはしゃぎ過ぎて飲み過ぎたりしてはイカン。

キャンプ初日は「手作りパーカッション」。04年に作ったカリンバ、05年作のダールは、現在もワシのサブ楽器として使われてゐるのだが、今年のお題は「ビリンバゥ」。割と簡単に完成した。本来はバチのやうな物で叩いて音を出す楽器だが、指で弾くとベースのやうな味のある音が出る。使えるかも。またこのイベントでのワシは「シェフ」としても期待されてゐて、台所を使って各種の料理を作り、皆にふるまう。けふのところは「冬瓜汁」「焼そば」「ガーリックブレッド」「野菜たっぷりパスタ」「そうめん」(それぞれ20人前)などを作る。

夜はジェムベのワークショップに参加して、マクルーといふ伝統的なリズムパターンを習ふ。3種類のリズムが絡まりあう、典型的なアフリカンポリリズム。オモロい。午後にかなり激しい夕立ちが来て、そのせいか気温が下がり、ジェムベを叩き狂っても暑くない。それは良いが油断すると風邪をひいてしまひさうだ。12:00過ぎ、荷台を寝台に改造した愛車で就寝。


3週目


12日(土)-----------------------------------------------------------------------------------

強烈な朝日に照らされ、6:00には目が覚める。参加者が続々と集まってきて、作る飯の量も増える。けふは「味噌汁」と「出汁巻卵」を作った。昼過ぎにまた夕立ちが来る。よくこれに参加したがってゐる人が『ライヴが始まるまでは何するんですか?』と訊くけど、そーいや何してるッけ?。まぁ、飯作ったり、友人の子供を海に連れて行ってやったり、そんな事してるうちに日が沈み、飯も喰ひ、午後8:00、いよいよライヴがスタートする。

今年のワシは「チャタ・ママ」「ねこのづく」「KANA」「Far east lounge 」で出演。『毎年たくさん出演されて大変ですね』と云はれるが、まぁ、これぐらいなら。いつだったか出演バンド11組中の9組に参加した事もあったよ。「チャタママ」はキャンプに来てゐるパーカッション奏者で、これと云ったバンドを持ってない人を集めて即席でなんか演るユニット。ワシはリーダーの西川桂子女史と共に、毎年監督を努めてゐる。今年は女性ばかり9人+ワシのアンサンブル。仲々の出来であった。

「KANA」は知人の唄うたいに、シバちゃん、ツンちゃん、ワシ、をくっつけて演る即席ユニット。これも仲々の出来。まぁシバちゃん、ツンちゃん、と一緒ならどんなんでも演れるわな。

ここ数年のワシは前日に作った楽器を使ってソロパフォーマンスする、といふのを自分のテーマに掲げてゐて、今年はビリンバゥにえへくたーをかましての叩き語りを演った。微妙な出来。あとでカシラが云ふには「異様きわまりない」パフォーマンスだった、とのこと(苦笑)。

けふは特別にユルくリキの入ったFar east lounge(近年ベストな出来)、アンコールも来たねこのづく、と進み、2:00頃ライヴが終了。打ち上げは出演者スタッフ勢ぞろいで。気の合った者同士、好きに語り合う。カシラ、椎名さん、シヴァ、らと珍しく朝まで喋ってゐた。空が明るくなって来た頃、シヴァが太宰治について語りはじめたので、これは絶対に終わらぬ、と判断して車に引き揚げた。

13日(日)-----------------------------------------------------------------------------------

やはり強烈な朝日で7:00には起きる。2時間も寝てないな。フラフラしながら朝飯を作り、昼過ぎまでかけて掃除。総合テントや椅子、テーブルを片付け、来た時よりも美しくして、会場を去る。毎年、ここでしか会わぬ人もゐて、それを考うるに、このやうなイベントの力によって繋がってゐる人の輪、と云ふ物の大切さを思ふ。また来年、この場所でお会いしませう。

帰りは、やはり物好きにも陸路を選んで車を走らせるカシラと抜きつ抜かれつしながら広島へ。相変わらず暑い我が家であるが、2時間ぐらい昼寝。夜は盆休みで広島に帰省してゐる東京の友人イシバシ、R&B時代の朋友ハリケーン永利、+またまたカシラ、といふ男3人で呑みに行く。たまには男ばかりの飲み、といふも良い。特にこの3人とは20年来の付き合いであるからして、たいへんナゴむ。

14日(月)------------------------------------------------------------------------------------

遠征、呑み、と続いてゐる訳だから当然っちゃ当然なのだが、すげぃ疲れてゐる。ぢっと休んでゐたいところだが、いちをうツアー中、といふ事なので、少しはベースを手に馴染ませておかぬとイカン。なわけで、練習す。カラーズをCDに合わせて弾き、キキオンの新アレンジを採譜し、壺井トリオのを練習しやうとしたらCD-Rが読み取れなくなった。

夜は女房と呑みに行く。このやうな身勝手な日々を送れてゐるのも、この人がいつもワシを笑って送り出してくれるからに他ならない。他所のミュージシャンには、ツアーに出るなどあーたは何を考えてゐるのかっ?、のやうな事を奥方から責められる向きも少なくない、といふ。しかし、家を開けて外を飛び回る男が、家族に思ひを馳せない訳がないのだ(と、ワシは思ふがどぅよ?!)。

1985年の御巣鷹山日航機墜落事故で、企業戦士として飛び回ってゐた父親が、最後に思ひを馳せた家族へ宛てた「手紙」。ワシは未だ読むたびに感涙を禁じ得ない、この、どんな美文も歯牙にかけぬ、美しく、哀しく、誇り高い「ふみ」を、長くなるが掲載して、21年目のワシなりの、事故と、その犠牲者と、その家族の方々への哀悼の意とさせて頂きます。

日航ジャンボ機事故被害者、当時大阪商船三井船舶神戸支店長河口博次さん(52歳)が、死の直前に手帳に書きとめた遺書

マリコ  津慶 知代子 どうか仲良くがんばって
ママを助けて下さい
パパは本当に残念だ きっとたすかるまい 原因はわからない
いま五分たった 降下しだした  どこへどうなるのか
津慶しっかりた(の)んだぞ  もう飛行機には乗りたくない
どうか神様たすけて下さい
きのうみんなと食事したのは 最后とは
何か機内で 爆発したような形で 煙が出て  
ママ  こんなことになるとは  残念だ
さようなら
子供達の事よろしくたのむ
今六時半だ  飛行機はまわりながら  急速に降下中だ 
本当に今迄は幸せな人生だったと感謝している


4週目(ツアー月間につきイレギュラー進行)


15日(火)--------------------------------------------------------------------------------

カラーズ、今治ツアー。昼過ぎ頃、熊本から毎床くん八千代さん夫妻が車で我が家に着。一路しまなみ海道を目指しながら途中で田川くんとその父上母上殿らと合流。焼け付くやうな日射しの中、瀬戸内を渡る。今治に入るとすぐにうどんタイム。なんかあらかじめ調べてゐたらしい店。ワシはとろろうどんを注文。美味かったが八千代さんに云はせると80点ぐらい、だとか。ホテルにチェックインしてから、けふの会場である「ジャムサウンズ」に入る。楽器店、貸しスタヂオ、ライヴハウス、がひとつになってゐる。

けふの対バンは「さんちゃん」こと三宅富喜さん、地元の骨太なロックバンドビルジ。いづれも八千代さん田川くんらとは旧知の仲で、ワシもその仲間と云ふ事で、とても簡単に和んだ話もできる。そしてアウェイのカラーズのライヴを盛り上げやうと、渾身のライヴを見せてくれる。見た目や言動は無軌道なロッカーそのものだが、とても良い人達である。かういふの見ると、ホンマ、ツアーなんて人の輪があってこそ成立するもんだよなぁ、と思ふねぇ。

さてカラーズ。この度のなんやかんやツアー3回めのライヴ。いいかんぢに演れたんぢゃないかな?。一連のハコの中ではダントツにPAの技術がしっかりしてゐて、カラーズでは初めてイイ音で演れた。初めて自分がきっちりコーラスに絡んでゐるのも認識できたし、って今までのハコってどんなPAだったんぢゃい?てなハナシか。

打ち上げはまたこれがお店の方でパーティーを用意してくれてゐて、オードヴルや酒がタダ。出演者やスタッフ、常連さんも交えて話し込む。その後河岸を変え、三宅さんの店「ブリキのがちょう」で更に呑む。三宅さん、なんと豊田勇造さんの友人らしく、この店でも何度か勇造さん、演った事があるらしい。また、縁が繋がった、といふかんぢ。またこの三宅さん、演奏するのが大好きらしく、延々セッションが続く。ワシも久々にウッドベースを弾き、三宅さんと一緒に、勇造さんの唄を大合唱す。なんかバンジョーまで弾いてたぞ、ワシ。嗚呼、今治の夜は終わらない。

16日(水)----------------------------------------------------------------------------------

寝不足。あんまり食欲はないが、朝食を頼んでゐたので、一応レストランに行く。独りでもそもそと喰ってゐると八千代さんと毎床くんが起きて来る。みんなけだるさうだが、わしわしと飯を喰ふ。元気だね、みんな。けふは帰るだけだから楽っちゃ楽だが、明日から東京。のワシは全然準備しとらんでよ。

とか云ってるうちに気分が悪くなってきて、チェックアウトした直後、せっかく喰った朝食を全部吐いてしまった。どうせ吐くんなら喰わにゃよかったわい。しかし、変な汗が出て、なんかヤバさうなかんぢ。ヌ〜〜〜、パーカスキャンプからほとんど休んでないしねぇ。仕方ないので、帰りの車の中ではづっと寝てゐる。

17日(木)------------------------------------------------------------------------------------

東京に出発。体調はなんとか復活。暑い中をあんまり歩きたくないので、バスで駅まで行く事にす。ウチから歩いて2分ぐらいのところにバス停があるのだよ。2:00広島発の新幹線に合わせて、まぁ昼過ぎ頃家を出れば弁当買ったりする時間もゆっくりとれるだらう。バスの時間も調べておいた。12:30。その5分前にはバス停にゐて、今回の旅に思ひを馳せてゐる。このやうに時間の余裕をしっかり持つ事が良い旅の重要なポイントだ。みんなギリギリでいかん。さてもう一度新幹線の時間を確かめておこう、と切符を出した時、『のぞみ%%号13:00広島発』といふ文字が

うわああぁぁぁぁああああ!!!!

完全に思い違いをしてゐたのだ、ね。

あと30分!!普段は広島駅まで電車で30分かけて行くのだ。今からバスで間に合うはずがない!!。頭の中で安物のクイズ番組のやうに『13:00』の文字がぺっかぺか点滅する。パニくりさうな頭をなんとか鎮め、「落ち着け、落ち着け」と自分に云い聞かせる。そうだっ、かういふ時はラマーズ法で深呼吸して・・・・・ひっひっふー!!。とにかくタクシーを捕まえるしかない。幹線道路に出るのだ。荷物を抱え走りまくって主要幹線道路に出る。昼間ッからタクシーが捕まるのか。捕まったとして、13:00に間に合うのか。考えても仕方ない。とにかく出来うる限りの事を『行動』しなきゃ。

と、空車のタクシーが通りがかった。乗り込むなり運転手さんに事情を説明す。『ははぁ、微妙ですが、やれるだけやってみましょう』と運ちゃん、枝道を使い、飛ばしに飛ばしてくれる。おまけに駅に着いてから一番速く改札に行ける経路を教えてくれ、2本前の信号で精算までしてくれた。ありがとう、運ちゃん!。

良い運転手さんに巡り会った事に加え、新幹線が5分遅れてゐた、といふ幸運が重なり、なんとか指定ののぞみに乗る事が出来た。は〜〜〜〜焦った。

江戸編/17日(木)-------------------------------------------------------------

キキオンのリハ。着くなり11:00まで休憩なしのぶっ続け。十時さん、しまいには声が出なくなる。杉並の友人、小野寺の家に泊まる。

江戸編/18日(金)-------------------------------------------------------------------

府中市ちゃぼCoちゃぼといふお店でソロ。ホンマに普通のスナックで、アットホームな良いライヴ。お客さんも一杯。みんな楽しんでくれた。分倍河原のホテルに泊。

江戸編/19日(土)--------------------------------------------------------------------

壷井トリオのリハ。昼から始まって夕方には終わってホテルへ。東京でのこの時間帯、独りでのんびりできたのは初めての事かもしれん。酒も呑まず、TVも見ず、読書しながら独りの夜を過ごす。いいねぇ。

江戸編/20日(日)--------------------------------------------------------------------

キキオン本番。大いに盛り上がった。ちょいと暴れ過ぎたかな?といふ気がせぬでもない。クノムバスのコーナーもあり、夜の駱駝を唄った。キキオンのファンの前でちゃんと「唄」を唄ったのは初めて。好意を持って受け入れられた様子。

江戸編/21日(月)-------------------------------------------------------------------

空き日。ホテルを引き払う。吉祥寺久保田邸に身を移す。夕刻、仕事から帰って来た涼子女史と飯を喰ひに行く。エスニック料理。

江戸編/22日(火)--------------------------------------------------------------------

リズマ・クノムバス+壷井彰久ライヴ。このトリオも5回め。そろそろ次の発展をしたい気がする。ゲンタさん、けふはえらいことリズムが滑る。演りにくかった。その代わりと云ふかなんと云ふか、今回は壷井君とかなり打ち解けたかんぢがする。壷井君とデュオを演ってみたいな。

江戸編/23日(水)------------------------------------------------------------------

昼前、宿を後にして、駅前のCD店でマーク・ジョンソンの94年のを買う。そのまま中央線で東京まで。東京駅で女房への土産と自分の弁当を買い、昼過ぎの新幹線で広島へ。半分くらいは寝てゐた。

24日(木)----------------------------------------------------------------------

ツアー明け、ではなく、ぢつはまだツアー中で、来月半ばの関西〜中京遠征が終わらねば、お疲れさま、ではないのだ。とは云へ、けふはレッスン。空き時間、眠くなったのでスタヂオの床にベースのケースを敷き、その中に入って30分くらい仮眠。そのせいか、咽が痛くなってきた。

25日(金)-------------------------------------------------------------------------

けふは専門学校。驚いたことに、こやつら休みの間になんもしてないね。なんでこの若い時分に貴重な時間を無駄に過ごしてしまふんだらうかねぇ。ひと月会わぬ間にハッキリ分かるぐらい下手になってる、てのは、ホンマになんっにも練習をしてない、といふ事。ぢゃ何をやってたんだらう?。そんなにやる気ないんなら辞めりゃいいが。なんか自分のテンションが全部吸い取られてしまふ気がした。阿呆かおまえら。

その後私塾で一人だけレッスンし、Bobby'sのライヴへ。けふもドラムスのマナブは欠席で、ボビーさんとワシのデュオ。どうも風邪らしく、咽の痛みと咳、鼻水。まぁ仕方ない。お客さんは満員で、うどんタイムには給仕の真似事までするハメとなる。

けふのデュオは仲々テンションが高く、良い出来。ゲストの進藤先生のフリュートも冴え、ウケもよい。途中ソロコーナーをもらひ、2曲程ソロ演る。最近はワシを見に来てくれるお客さんもゐるやうだ。有り難いねぇ。盛況のうちにライヴ終了。ボビーさんのまかないを喰って、でもまだツアー中につき、早めに退散。


5週目


26日(土)--------------------------------------------------------------------------------

咽の痛み、酷い。咳も出てなんか身体も熱いので熱を計ってみたら、37.6度!。やられた。夏風邪は莫迦がひく、といふ。おそらく東京でクーラーのある生活をしたせいだらう。気をつけてはゐたのだが・・・。昨日売り薬を買ったばかりだが、なんせツアーがあるのでしゃんと治さぬとマズいやな。で、医者に行った。「何が一番ツラいですか?」と訊かれたので、とりあへず咽の痛みと咳、がなんとかなれば、あとはキアイで乗り切ります、と云ふ。5種類ぐらいの薬をもろた。

けふはレッスン&ライヴやので休む訳にはいかぬ。咽が心配なので(今年の3月の事もあるので)、レッスンはあんまりデカい声で喋らぬやうにする。トローチをねぶり、イソヂンでうがいを繰り返す。ワシには、ファルセットが出るうちは大丈夫、といふバロメーターがあって、一応それはクリアしてゐる。多分大丈夫だらう。

けふはスマトラタイガーにて、重要無形文化財指定保持者、野澤松也(太棹三味線)、小林一彦(ウクレレ)、そしてワシ(フレットレスベース)による「棹・三味2006」と云ふイベント。それぞれがソロで演り、少しセッションして、といふもの。異文化交流ならぬ異端児交流、か?。これが予想以上に素晴らしく、たいへん良いライヴとなった。それぞれのソロが鋭く空間を切り裂く、といったかんぢの・・・・。

カシラのウクレレの独り語りも、改めて聴くとかなりのもの。とても我流で弾いてゐるものとは思えぬ。いつもはベースを弾きながら聴いてゐる曲が、なるほど、こう聴こえるのだな、といふ新たな発見もあった。ワシのソロもツアー中のこなれで絶好調。咽も全く問題なし。間違いなく此所数年のベストの出来。

そして野沢師匠の創作浄瑠璃の素晴らしさは云ふまでもなく、さすが重要無形文化財!と唸らせる。またこの3人による珍無類のトリオ即興演奏。カシラとワシで「ベース+口琴」といふ即興もあった。いや〜〜〜〜〜、お客さんの入りは残念ながら7割程度だったのだが、これを見なかった、てのは、ぢつにもったいなかったね皆さん、といふかんぢ。

しかしまぁなんとも客を呼べぬ事よ。東京であれだけお客さん入って、地元広島でソロを演って誘ったやつが誰も来ぬ、ってどーいうことよ?。もう広島で演るのやめよかね?。

27日(日)------------------------------------------------------------------------------------

なんとか平熱近くにまでは下がった。けふは長門市油谷でのイベントへ出場。午前10:00に我が家を出発す。昼間は宿命的に混雑する国道二号線は避け、191号線で山陰に抜け、日本海側を南下するルートを行く。5時間かけて油谷に到着。前回油谷会館「ラポールゆや」のロビーを使ったサロンコンサートに出させて頂いたので、けふもそんなかんぢと勝手に思ってゐたら、ホールを使った本格的なイベントだった。テーさんとやってゐたEGGsといふバンドで3年程前にゲスト出演した「World is One」といふ国際イベント。あんときはホンマに色んな国の色んな人が出演してゐて、会場も満員だった。けふも期待できるかな。

地元のバンド10組ぐらいが出場する中、ワシはソロで出場。久しぶりのホールに心は弾むよ〜♪。フレッシュな中高生のバンドや、結成20年と云ふベテランバンド、そしてワシとも交流のある地元トップジャズグループ「馬耳東風」などの熱演を会場で見てゐたが、なんと、お客さんが居ねぇ〜〜。600人ぐらい入るホールに、ざっと見て30人ぐらいしか入ってないみたい。Oh God !あの時の、あの盛況はどうなったの?。

でトリから3番目にワシの出番が来た。この町にはワシを応援してくれる方が沢山居て、前列の方で踊ってくれる。子供らも踊ってゐる。一昨日、昨日、の今日で、こなれはもう最高潮に達し、またまた記録更新!のベストなパフォーマンス。昨日のソロがこれまでのベストだったが、けふの方が更に良かったので、けふがベスト、昨日のは第二位、となった。しばらく拍手が鳴り止まない、といふのを久々に経験した。ありがとう、油谷町!。

終演後、中学生の可愛い娘さんがふたり「サインをくれ」と云って来てくれた。でもCDは買ってくれんかった。

その後、テーさんのバンドで4曲弾く。お客さんは最後まで寂しい入りだったが、イベントの内容はたいへんレベルの高いものだった。『田舎の人は日曜日は早よぅ寝るけぇねぇ』とのこと。でも、やっぱり、これ見ないと損だと思うぜよ。

宴を用意してくれてゐたらしいのだが、事情により日帰りせねばならぬ。皆さんに挨拶して独り夜更けの山口県を車でひた走る。行きと違って帰りは美祢市を抜けて国道二号線を北上するルート。ほぼ全域を制限速度オーヴァーで、長距離トラックとデットヒートを繰り広げながら。常に時速100キロぐらい出してゐたので、緊張で眠気も来なかった。午前2:30、我が家に着。

28日(月)--------------------------------------------------------------------------------------

何故に昨日日帰りを強行するハメになったかと云へば、これだ。F楽器店発表会企画会議。これに朝10:30から参加す。昼まで喧々囂々やり、昼からはアクターズスクールの企画会議へ。ネガティヴな会議。その後、居残りで、生徒が本番の為に使うカラオケを作る。

家に帰り、何気なく仕事場に入ったら、何かが頭にゴン、と当たった。なが〜い棒のやうなモノが部屋を横切って立て掛けてある。何でこんな所にこんな棒が?女房がなにか作ろうとしたのかな?と思ひ、見渡してみて吃驚!!。部屋がぐしゃぐしゃ。一瞬、泥棒が入ったのか?と思ったが、事態はもっと悲惨で、部屋中に散らばってゐるのは、なんと天井板!!。部屋の一部の天井がナニカのきっかけで支えを失ったらしく、天井板と梁の一部、コンクリブロックなどが落ちてきて部屋に散乱してゐる。楽器やPC、あるいは人間が其処にゐて、直撃してたら怪我では済まぬ所だ。えらい事になった。すぐ家主に電話。事情を説明すると笑いやがったのだが、あとで見に来てその悲惨さに驚いてゐた。

まぁ起こってしまった事は仕方ない。怪我人が出なかった事をポジティヴに受け取るべし。気を取り直して掃除す。

29日(火)--------------------------------------------------------------------------------------

朝いちで工務店の人が来てくれた。現状を見て『よく怪我してンなかったですねぇ』と云ふ。ホンマにね。なんで天井裏にコンクリブロックがあるのか不審に思って訊ねてみたら、釘が打てぬ所は、かういふ重しを乗っけて固定するのださうな。てぇこたぁナニかい?こんなコンクリブロックが、まだ天井裏に何個か置いてあるって事なのか?。寝てゐる時に寝室の天井が抜けてコンクリが頭を直撃する所を想像して、その痛いだらうな、といふのに気が滅入った。

今回の江戸出張演奏を、何人かの人がブログなどに書いてくれてゐたのを見た。中でオモロかったのが『歌声にさらに磨きがかかってゐる。きっとヴォイストレーニングに励まれたのだらう』といふくだり。いや、申し訳ないスが、むしろ前よりやらなくなってますね。

30日(水)--------------------------------------------------------------------------------------

工務店の人が二人来て、天井を直してくれた。その間、仕事も出来ずPCもいぢれず、仕方ないので居間で読書。いつの間にか寝てゐた。昼過ぎには直ってゐて、ついでに他にヤバさうな処がないかもチェックしてもらふ。夜、寝てゐる時に寝室の天井が抜けてコンクリ

元フラワートラベリンバンド、石間秀機師匠の、唯一現在進行形の音楽が聴けるCD「ピタゴラス・パーティー」を聴く。彼の楽器「シターラ」の演奏を聴きながら、真に楽器に(音楽に)精通する、といふ事がどういふ事か考える。石間師匠(勝手に師と呼んでゐるが面識はメール程度)はワールドミュージックなどといふ言葉が生まれるはるか以前からインド音楽に精通し、実際にシタールの演奏もする。彼のスタイルをして『ラーガ・ロック』といふ呼び名も生まれた。そしてシタールで培った音楽表現を自分なりに再生する為、ついには「シターラ」といふ楽器を開発するに至った。

ワシは果たして音楽に、楽器に『精通』できてゐるだらうか?。

『まぁ、お互いに「自分節」を伸び伸びと遊ぼう!』石間師匠から戴いた言葉である。

31日(木)----------------------------------------------------------------------------------------

京都までのバスチケットを買う為、バスセンターに行く。嗚呼、此所は・・・・。

10歳から12歳まで、ワシは毎週ここを訪れてゐた。家と学校は廿日市だったが、毎週土、日と、市内のスイミングスクールに通ってゐたのだった。独りで毎週土日1時間バスに揺られ、センター街をうろつき、たまに食堂に入ってうどんを喰ったり、地下のデパートでコロッケを買って喰ったり、と、まぁかなり孤独で風変わりな子供だった訳だが、とても懐かしい。

そんなノスタルージァの中で、京都行きの切符をゲット。今回の関西〜中京への旅は、在来線とバスを使ったものにしてみる予定。


翌月