大江戸滞在記06夏 |
焦りまくってなんとか乗り込んだ新幹線は(詳細は8/17付けの日誌に)、お盆のUターンラッシュとかでみちみちの満員。指定席にも座れない人が溢れて来てゐる。御老体などが通路に立っておられるのを見ると、つい席を替わってあげたくもなるが、こちらは指定席分の差額をちゃんと払ってゐるのだし、ヌ〜〜〜〜ム。
夕方5:00に東京着。渋谷で井の頭線に乗り換へ下北沢へ。駅前でキキオンの小熊さんと合流し、スタヂオへ入る。そのまま午後11:00までぶっ続けのリハーサル。今回はキキオン+リズマ・クノムバスに更にゲストとして、お馴染みの超絶ヴァイオリンプレーヤー壷井彰久氏をフィーチャーした、豪華6人編成のキキオン。音もデカい。
ワシは大体東京に来ると、既にバテてゐる事が多い(仕事を前倒しで片付けて来る為)のだが、けふは元気。11:00を前にして十時さんの咽が怪しくなりはじめ、あとはキアイで、と云ふ事で少し早めにリハ終了。杉並在住の友人、フリーライター小野寺のところにおぢゃまする。
朝から千葉に取材に行く、といふ小野寺がカギを預けてくれたので、昼過ぎまでのんびりできた。小野寺に感謝。一宿一飯の恩義に応え、皿洗いと戸締まりをして杉並から吉祥寺まで歩く。けふから分倍河原のウィークリィホテルに逗留す。門限もなく、暗証番号で出入りできるので、時間を気にせずに過ごせるのがいい。
夕方前、電車でひと駅の府中にゆく。府中市の唄姫、角辻順子ちゃんの説明通りに歩き、けふの会場を発見。ちゃぼCoちゃぼは順子ちゃんが、母上と一緒にやってゐる呑み屋さん。まぁホンマに気軽なスタンド、といふかんぢの店である。『今日はまだ盆休みの処が多いからねぇ、お客さんあんまり来ないと思うけど』との事。まぁ、いいけどね。順子ちゃんと打ち合わせしたり、ちょこっと合わせたりしてゐると、肝っ玉系、と噂の母上登場。母上、ワシの顔を見るなり、何故か『ア、今日は多分色んなお客さん、来るよ』と云ふ。
しかしまぁ立地や時勢なども鑑みれば、正直客入りはあんまり期待できんな、と。まぁ演ることに意義があるのだ!と思ってゐたら、これがこれが。偶然立ち寄った、と云ふ人や、久しぶりに来てみた、みたいなお客さんがわらわら集まって来て、あっと云ふ間に満員。前回、前々回と共演したチェリストの星護さんも新妻を連れて、チェロ持参で駆け付けてくれた。当然、一緒に演る。
順子ちゃんの前フリや、星さんの助演、などのお陰もあり、また、ものすごくじっくりと唄を聴いてくれるお客さんばかりで、予想と裏腹にたいへん良いライヴが出来た。『人が唄ってる時に大声で喋る』と順子ちゃんが語ってゐた母上が、涙を浮かべて聴き入ってくれてゐたのが印象的。聞けば母上様、かなり強い霊感の持ち主で、ワシの顔を見た瞬間、「人が好奇心で集まって来る」波動を感じた、といふ。まぁまさにその通りになった訳だ。広島で人が集まらんのはなんでですかね?。
けふの演目っ:月の路/蒼白い月の下で(順子オリジナル)/リジェネレーション(順子オリジナル)/京子と行った最後のナタリー/丘にのぼる時/忘れないで/こきりこ節/君が亡くなって1年が過ぎた/水母の夢/夜の駱駝/此岸の朱/春/(ギターに持ち替えて)花の都ぺシャワール/サグラダ・ファミリア/(ベースに戻って)らのえてぃあ/タ・ルガシュの空の下で/千年刻みの日時計/・・・・・・多分こんなかんぢ。例によって記録してないので憶えてまへん。
母上の言葉通り「良いモノを呼び寄せ」てたいへん良いライヴ。良い初日を飾る事が出来た。
兄弟バンドBARAKAのドラマー平石正樹さんから電話があり、仕事のあとちゃぼ〜まで来てくれた。今年はBARAKAが広島に来てないので、久しぶりの再会。順子ちゃんも交えて楽しく飲みながら、江戸の夜は更けて行った。
ちっと二日酔いか・・・。鏡を見ると目の周りが腫れてゐる。ヌ〜〜、ツアー疲れ。まぁこないだのパーカスキャンプから今治、そして東京と、ほとんど休んでないもんなぁ。けふはリハだけなので楽。しかも昼リハ。壷井君はこないだも会ったし、此所数回、上京ごとに一緒に演ってゐるので、気心も知れてゐる。今回初演の曲もあるが、7/8拍子のおかしげなキメが多い曲が、壷井君のリクエストによって繰り返すごとに楽曲になって来るのがオモロい。
5:00には終了。ゲンタさんと晩飯を喰ひに行き、あとは宿に帰って独りのんびりする。東京で、この時間帯独りっきりでのんびりするのは初めてかも。は〜〜〜〜〜、これよ、これ。やっぱり独りになんなきゃ、ね。今回、金銭的にはかなりキツかったが、ホテル連泊にして、かういふ時間を作りたかったのだ。酒も呑まず、TVも見ず、文庫本を静かに読みながら、江戸の三夜めが更けて行った。
ワシはこのメンバーで音を出せる事だけでたいへん嬉しく、もうそれだけでオッケーなのだが、あんまりはしゃぎ過ぎてもイカンかな、と思ひつつ、まぁ手加減してもなぁ、とも思ひ・・・・。普通のベース弾きなら、かういふ時は『的確なサポートを』とか考えるのだらうが。
結果としてガンガンいってしまった。中盤、壷井君のヴァイオリンとワシのヴォイスによるフリー・インプロヴィゼイションは、完全にワシらだけの世界となった。クノムバスのソロコーナーももらひ、キキオンファンの前では初めて、「唄」を唄った。スタッフのEさん曰く『けふはちょっと喰ってたんぢゃない?』との事。ん〜〜〜〜、自分でもちょいと暴れ過ぎたかな?と思った。しかし小熊さんが『楽しんで弾いてくれたならいいですよ』と云ってくれたので、とりあへず救われた。
DVD収録時と同じくらい沢山のお客さんも集まってくれ、1年遅れのキキオンDVDレコ発ライヴは無事終了したのだった。ぢつは収録時のライヴでは、まだ完全に構成を把握できてない曲もあった。映像ではところどころあからさまに「戸惑ってゐる」ワシが写ってゐたりする(苦笑)。1年経って曲も身体に馴染み、しっかり一緒に「歌えた」ので、ワシにとっても嬉しいライヴだった。ワシの唄もキキオンファンから好意を持って受け入れられた様子。大役を勤め上げてほっとしながら、江戸の四夜めが流れて行く。また誘ってもらえるなら嬉しいな。
夜中、ホテルに帰った頃、BARAKAの伸一さんから電話。『あれぇ?もう帰ってンの?』と云はれた。さうか、彼等が広島に来た時は大抵朝まで呑むからなぁ。
チケット販売店が林立する地域で、広島までの新幹線の一番安い切符を購入。正規の値段より千五百円ぐらい安い。ディスクユニオンのジャズ館とプログレ館を廻るが、これといったモノはなく、チケット以外は手ぶらで吉祥寺まで帰る。
定宿、久保田涼子邸に身を寄せ、しばし休息。夕方、仕事から帰って来た涼子と晩飯を喰ひにゆく。エスニック創作料理。テラス席で夜風に吹かれながらビールを呑む。二人でぶらぶら歩き、何故か神社にお参りして、帰る。
お馴染みシルバーエレファント。思えば5年前のここでのライヴから、ワシのこの活動がスタートしたのだ。感慨深い。店長(女性:この人がまたカワイイ)が『おひさしぶりです』と声をかけてくれる。なんか、当たり前のやうにこの場でライヴの準備にかかってゐる自分を不思議に思ふ。色々な偶然、色々な好意がワシを此所に連れて来たのだ、な。さぁ演るぞ。
けふの対バンは、大阪+東京の混在メンバーによる遠距離ユニット「Noise of life」。名前とは裏腹に変拍子をびしびし極めて来るテクニカルプログレバンド。ウチらも遠距離+変拍子ユニットだが、ウチらの方が、なんといふか、スピリチュアルなかんぢ。云ってみればお互いアウェイのバンドなのだが、お客さんは沢山集まってくれた。キキオンのアコーディオン奏者佐々木絵美さん、Boodoo caravanのMICHIRHOさん、などミュージシャンの方も沢山応援に駆け付けてくれた。
ところが、本番がイカンかった。
ゲンタさんのプレイと、ワシのベースが全然噛み合わず、おまけにステージ上のモニターがえらく悪かった。3メートルも離れてゐないゲンタさんの音が、まるで聞こえない。壷井君も珍しく集中出来てなささうなかんぢで、ヴァイオリンの弓ばかりが見る間に切れてゆく。構成ミスも多かった。一瞬、「おいおい」と思ふぐらいリズムがズレたシーンでは、ヴォイスの最中なのに思わず笑ってしまったし、ベースはまぁ調子悪くなかったのだが、なんとも不完全燃焼。ほぼ壷井君とのデュオで演奏される「Dizzy blank」のみが、まぁ及第点がやれる出来だったくらい。ヌ〜〜〜〜、最終日がダメな事が多いな、ここんところ。
壷井君も珍しくロウになってゐた。色々な原因があるけど、今回程リズムが安定しなかったのも初めてで、ワシもちょっと考えてしまふ。
てな訳で、なんとも不達成感の強い中で、江戸最終日の夜は更けて行くのであった。
広島に帰ると、まだ暑い。『この旅が終わる頃、季節も変わるだらう』といふ歌詞のやうにはならなかった、ね。
宿を借りた涼子女史の云ふやうに、今回の夏ツアーは総じて健康状態が良いままで過ごせた気がする。春ぐらいから呑んでゐるリンゴ酢のお陰か・・・?。やはり無理をしてでもホテルに泊まり、独りの時間をとれた事も精神的にプラスに働いたやうだ。ライヴのペースとしては1週間滞在で3〜4演目(ソロ含む)ぐらいがベストな配分だらう。それ以上になるとリハも多くなり、おのずと体調の管理も難しくなる。
それにこちら(東京)で演ってゐる幾つかのピースにも、そろそろ新しい息吹が必要だ。もう、ただレパートリィを増やして発表する、といふ時期は過ぎたやうに思ふ。出来るなら次回はより多くの新しい「個」と、より多く絡んで行きたい。
「寂しくとも、無理っぽくとも、キツくとも、このやり方しかないなら、独りで演り続けるしかない」とハラを括った今年のはじめ。それから半年、独りでの活動を続けて来て、ようやくなんとか、これを続けていける自信も出てきた。迷いの季節は過ぎた感は、ある。でも、またどこかで壁にブチ当たるだらう、とも思ふ。その時にはまたイジけてしまふのかもしれない。それも、また、よし、とも、思へるやうになってきた。
人は動き続けるうちは変わって行く。変わらなければいけない。
この旅で関わった全ての人に、心からの、愛と、愛と、愛と、愛を。