週変わりのシュウ

叡智とは 手厳しい友人である

4月1日(火)ーーーーー

旅帰り翌日のレッスン。
3ヶ月 休会されてゐた70代の男性生徒が公約通り復帰。若い世代は「しばらく休会します」の後に なし崩しに退会するケースがほとんどだが、流石にこの世代は律儀である。

その後ぱんぱかトリオのリハ。
今年も黄金週間の「ぱんぱかフェスティバル」の開催が決定し、いいかんぢの波が来つつある。・・・が、こと個人としてはなんともライヴ数が減ってゐて、如何ともし難い。月イチでソロを入れてはおるが、しーシュのライヴ数もあまり増えず、どうやらソルティ・ベアーズも解散してしまったやうだし、もっとライヴやりてぇなぁ・・・。

4月2日(水)ーーーーー

ツアーはなんとか乗り切ったが、声の嗄れは相変わらず。フツーに喋ってるだけで声がひっくり返るのは情けない。
花粉も黄砂もPMなんぢゃら とやらも もぅええ。

ツアー用に買った携帯式のネブライザ(吸入器)はなかなか良い。
これホンマは薬液を入れるタイプの奴らしいんだが、薬液は病院で貰わないかんらしいので、フツーの生理食塩水で使ってゐる。まぁホンマは温い蒸気が出るんが一番良いんだが、携帯式にそこまでの機能はないやうだ。だから霧吹きと何が違うんか?と云はれればその通りなんだがね・・。

昔の吸気麻酔に使うやうなカップが付いてゐて、これを使ってると映画「ブルー・ベルベット」ん時のデニス・ホッパーみたいで、良い。

4月3日(木)ーーーーー

久しぶりに黒ナイロン弦を買って「カラス」に張ってみんとす。

ところが一旦張ってみて「ありゃ?」と思ふほど手触り(指触り)に違和感が・・。黒ナイロン弦は柔らかな手触りが特徴。だが今回えらいことザラつく。いつも買ってるのとメーカーが違うとは云へ、黒ナイロンでこんなにガサガサする弦もあるんかな?と思ってゐたが、なにやら弦によって響きが違う。

よく見るとナイロンのコーティングにムラがあるではないか!?。うそぉ?!と思って弦を外してみた途端、ほろほろっといとも容易くコーティングが解けてしまい、もぅ弦としての体裁をなしてない状態に!。なんぢゃ?これは?!、の世界。こんなもん商品として売っちゃイカンんでしょう、仮にも名のあるメーカーなのにや!。

買ってから少し時間が経ってゐたとは云へ、流石にこれはちゃんとクレームを入れねば、と販売先にメール。すぐ対応してくれて、まぁそこは良い。

4月4日(金)ーーーーー

長らく絶版となってゐた、ドゥーガル・ディクソンの奇書『マンアフターマン』が、著者本人によるリ・エディションで復刻!。今年頭に予約してゐたものが、けふ届いた。

当初、注文したのを忘れてゐて、玄関にわりとデカい郵送物が届いたのには「新手の詐欺か?」とか思ったりしたが・・・。

これ、初版本はプレミアで¥60,000とかの値が付いてたりしたこともある書で、私はこれを読みたいがだけの為に、国立図書館の会員登録をしたほど希少本なのです。なんでも著者ディクソン氏自身が、内容に納得いかんので再版はナシ、と云ふことだった。・・しかしあまりの再版要望に、内容を一部改変しての復刻、となったもの。

初版の内容をきっちりと推敲した上での再版なので、本人による解説も新しくなってゐて、なぜ再版に消極的だったか、んでなぜ今この機に再版に思ひ至ったか、なども綴られており、その内容を読むと「なるほどな」と思へる。

いづれにせよ、人類史から見れば救いのない顛末に向かうのは変わってないので、安心して読める。

4月5日(土)ーーーーー

陽気が春めき(夜は寒いが)、桜の開花が進んでゐる。

さう云へばコロナの初期・・、まだコロナが「ナニか」よく分かってなかった2020年の春に、ある友がボソリと『これ、人類が見る最後の桜になったりして・・』と云ったのを憶えてゐる。

あれから5年経ち、もはやあの騒動そのものが「なんだったのだ?」といふ話にまでなった。「あの中」でも旅を続けてゐた我らは、人が居なくなった繁華街や子供の姿のない公園、静まり返った商店街、なんぞをさんざ目にして来た。

だが個人的には、無警戒で享楽的なくせに利己的な、いま「現在の春」の方に、世紀末的なヤバさを感じてしまうのだ。

4月6日(日)ーーーーー

この週末に6曲ほどコピーといふか、ガイドラインを取らねばならぬモノがあって、昨日三つ仕上げて、けふ残り三つを仕上げんとす。・・が、ひとつは前にコピーしたものが出て来たので、残り二つ。一つ片付けたところで、なんか天気も良いので『来週でいいか』といふ気になる(難しくないので)。

ので、久々に散歩に出てみんとす。
タダ散歩ではアレなので、「こんな時こそ」のトラベルギター『ちび太』を背負って・・。

昼下がりの川沿いをツラツラ歩く。
河川敷に降りてなんとなく草をかき分けて歩いてゐると、フとプライヴェート・ビーチのやうになってゐるところを発見。こりゃぁイイ、とそこに陣取り、持って来たサンドヰッチを食べながらギター弾く。

いいねぇ。

練習のつもりで弾いてゐたのだが、フと曲が浮かび、帰りながら歌詞も練り、家に帰って倉庫楽団に録音。プログレのプの字もないくらい素朴だが、まぁまぁなフォーク・ソングが壱曲できた。やはり私にはかういふ時間が必要なのだねぇ。

4月7日(月)ーーーーー

久々の月曜バイト。
改めて書くのもイヤんなるぐらいの激忙であった。

世間的に見ればいまの私は、「職業楽師を続けてゆく為に頑張る」といふセオリィから逃避し、「易きに流れた」といふ見方をされるのかもしれない。30年前の私も、今の私を見たらさう云ふであらう。だが、少なくとも「易き」ではないよ、とは云ひたい。こんなツラい、忙しい仕事場が、こんな身近にあったんだねぇ、といふ素朴な感想を持ってゐる。

けふはバイト後、久々にレッスンスタヂヲに篭って色々・・。
昨日できた曲をもぅ少し追い込んで形にしておくが、歌を録っておこうにも ナンとも声が出ない!。結局ツアー後もづっと喉の不調が続いており、思い通りの唄が歌えぬツラさ。ツラさ!。明後日からまた遠征なんだが、大丈夫なんかいな?これ・・・。

4月8日(火)ーーーーー

昨日フと出来た曲から、ツラツラと黙考す。

私はそもそもどっちかてぇと「ポップ側」の人間であり、鼻歌で口を突いて出るのも、まぁ「それ系」の『歌える』メロディである。鼻歌で「ドナ・リー」のアドリヴを全部口ずさんだり、「21st century schizoid man」のユニゾンを歌う やうな人間ではない。

そんな人間がなぜ「亀の庭」や「歳をとった鰐」みてぇな曲を作るんか?と問はれれば、まぁ「さういふ曲を作りたい時があったから」としか答えやうがない。だから、私が作り歌う曲を、みなあんな風だ、と思はれるのも困る。上述のやうに、基本的にはポップな人間なので、フツーに思考すればフツーの曲ができる。そもそも私は、何より「楽曲(メロディ)」を重視する人間だ。

むか〜〜〜し、2〜3度会っただけの人(楽師)に、持ち歌の中でも特に「甘い」部類に入る曲を聴かれ『意外にベタな人』と云はれた事があり、お前はビートルズを聴いた事がないのか?と云ひたい気がした憶えがある。「yesterday」と「I want you 」を・・・、またQueenで云ふと「Love of my life」と「The Prophet’s Song」を、同じバンドが演ってゐる、といふ事実をどう捉えるのか?。お前の中で「音楽」とはそんなに狭いものか?。

まぁいいや。
自分がいいと思った曲が出来た時は なにより嬉しいし、これが世界に(世間に)出てゆく事が待ち遠しい。そのモチベーションなしに、どうやって楽師が生きて行けやう?。