1月


1週目

1月1日(土)---------------------------------------------

カウントダウンを終え、ウチに帰って蕎麦を喰い、酒を飲みながらだらだらと4:00ぐらいまで起きてゐた。K-1はやはり酷かったやうで、何故か敗退したはずの武蔵が出てゐたりしたらしい。K-1は今の谷川氏が実権を握ってゐる間は、もうダメだな。Praidではノゲイラにヒョードルが勝ち、シウバをハントが下した。判定多し。

昼前ぐらいにウチの母方の親戚で毎年やってゐる一族集会に、女房と行く。10年ぐらい顔を出してないので、小学生が大学生になってゐたりして驚く。音楽家になってゐる二人の従兄姉も来てゐて、話に花が咲く。お年玉でかなりの出費。ウチの親父と同じペースで飲んでゐると、いつの間にか焼酎がカラになってゐた。だいぶ酔っ払って夕方に帰宅。

2日(日)------------------------------------------

けふは女房の方の実家に帰省。昨日のウチの親戚の、まるでライヴハウスのやうな喧噪とはうって変わって、こちらは家族だけの穏やかな食事会。こちらも女房の弟妹が、それぞれそれなりに貫禄が着きはじめてゐる。ワシらはこの3月で結婚10年目を迎える。けふは上手くアルコールをコントロールし、良いかんぢで帰宅。大晦日に大量に作ったカレーを喰い繋ぐ。

毎度の事ながら、正月は見るべきTVがひとつもない。最近とみにTVが要らぬのではないか?といふ結論に達しつつある。少なくともワシが独りでウチにゐて、TVを灯けることは滅多にない。今のやつが壊れたら(壊れはじめてゐるが)もうTVは辞めやうか、とも思う。しかし、ビデヲは見たい。ヌ〜〜〜〜。

3日(月)---------------------------------------------

予定はナシ。古い写真を見てゐると、結婚して間もない頃、やはりこの1/3に動物園に行った事があることが分かり、さうする。しかしさう決めた途端に天気が崩れ、雨模様となる。気温も下がり、時折雪のやうな雨が降る中、ヒヒや、キリンや、シマウマや、ハイラックスや、ヤマアラシや、ゾウや、サイや、各種爬虫類や、ラクダや、バクの尻や、キョンや、チンパンジィや、トラや、ライヲンや、クマや、カモシカや、ランバーや、レッサーパンダや、シフゾウや、なんかを3時間かけて見て廻る。雨が降ってゐるので、何しろ何所にも座る事が出来ぬ。

家に帰り、正月にあちこちで頂いたものを調理して晩飯。大量の牡蠣があったので、ムニネールにして喰う。

4日(火)----------------------------------------------

だうしたのか、5:00ぐらいに吐き気で目が覚め、断続的に嘔吐。酒をそれほど飲んだ憶えもなく、考えた末、牡蠣の食い過ぎによるものと判断。牡蠣はアルコールだけでなく薬物の中毒にも効く、といふが、それ自体もやはり相当キツいものであるやうだ。過ぎたるは及ばざるがごとし。嘔吐、下痢に加えて、典型的な食中毒症状である筋肉の痙攣が起こり、一日中あっちこっちが攣る。緩い坂道を上るのもキツいほど腰が痛い。

しかし、けふはナカハラヒサロヲバンドの新春企画ライヴ。頑張って行くしかない。「新春ロック主義」。なんともステレヲタイプなテーマだ。気心知れた連中のイベントらしく、和気あいあい。みんなリハーサルの段階からばんばか酒を呷ってゐる。楽屋の隅っこで文庫本なぞ読んでゐるワシはチと浮いてゐるか?。かういふ人達と一緒にゐると、自分がロックのヒトではない事をつくづく思ふ。かと云うてジャズのヒトでもないが。

ライヴはいいかんぢに進み、トリでヒサロヲバンド。前から欲しかったアフロのカツラをかぶって演る。ドラム×2、ギター×2、キーボード、サックス、にベースと大所帯。うるさいので近年稀にベ−アンのヴォリウムを上げて演ったら、ワシが一番デカかったかも?。

座ってゐるのもしんどいほどの腰痛だが、いざステージに上がると踊るわ跳ぶわが出来る。これがミュージシャンシップといふものよ。演奏内容はと云へば、酔っ払いばかりでお世辞にも出来が良いとは云えぬモノだったが、まぁ楽しく演った。が、楽屋に帰ると、もうやれぬ。脂汗が出るほど痛い。数人に挨拶だけして、アンコールで盛り上がってゐる会場を後に、ひとり立ち去った。バンテリンを塗布して、寝る。

5日(水)-------------------------------------------

おそるおそる起き上がり、腰痛がかなり引いてゐる事を確認。ヨガでゆっくりと筋肉をほぐす。OK。けふは大丈夫なやうだ。

昼から「独弾」の練習。今年は更にツアーが多くなるだらう。既に3月に、九州から北上して東京へ至るツアーが決まりつつある。そしていつかほんたうに北海道から沖縄まで、ベースとカリンバと声だけで廻れるやうになりたいものだ。

夜半、女房の調子が悪くなる。やはり二人とも正月の「食べ疲れ」が出てゐる。ワシらは普段、魚類と野菜を中心とした、あんまり肉気のモノを喰わぬ生活をしてゐる。それがやはり忘年会だの帰省だの何だので動物性タンパク質を食い過ぎ、年末年始は胃をやられてしまふやうだ。しばらくは粥だのうどんだのを喰って、胃を休めてやるしかない。

6日(木)--------------------------------------------

昼過ぎ、久々に街をブラつく。地下街で中古CDセールをやってゐたので立ち寄る。プログレのコーナーには、もう全然心惹かれなくなってしまった。全部おんなじなのだものな。ジャマラディーン・タクマが客演を演ってゐるサックス吹きのがあったので、買う。あんまりオモロなかった。本屋をハシゴ。丸山健二「虹よ、冒涜の虹よ」上下巻を図書券で購入。楽器屋には寄らず。

仕事始め。私塾「ジモ・ミュージック」。教室が静か。まぁ年始だからかういふものかも知れぬが。

7日(金)---------------------------------------------

けふは広島唯一のスティック奏者ラムジィ主催のライヴ。彼がメールで知り合った、やはり外国人のスティック奏者デリック・ダレンジャー氏を広島に呼ぶ、といふ企画。自分がライヴを主催するのが初めてだったラムジィに、早いうちから色々と相談を受け、色々とアドヴァイスをしてゐた。

デリック氏は宮崎県在住のプロ奏者。長く日本に住んでゐる割に、日本語はほとんど喋れぬらしい。ラムジィに(彼は日本人より上手い)、「シュウさん、ダレンジャーは日本語ダメだから今日は英語でお願いします」と云われたが、ンなこと云われたってワシだって喋れねぇよ。でもまぁ落ち着いたら、なんとか意思の疎通ぐらいはできる。超々カタコト英語だったがね。

ラムジィの宣伝活動のお陰で、会場のJIVEは満席。まづ先鋒にラムジィのソロ。けふはリズムマシンを使って演ってゐた。知り合って以来、なにかと一緒のステージに経つ事の多い彼だが、段々上達して行く様が見て取れる。リズムにもう少し課題があるかな?。

二番手のワシは昨年11/13以来ほぼ2ケ月ぶりのソロ。久しぶりだったせいか、なんとなくノリが掴みにくかったな。唄もベースも7割といふかんぢ。お客さんも、あまり音楽を聴き馴れてないヒトが多いやうで、反応が薄い。けふ完成した新曲「タ・ルガシュの空の下」を演る予定だったが、何故か『けふ演ったら絶対に失敗する』といふ確信のやうなものが出て来たので、やめた。

バホ・アラビアータ/月の路/丘にのぼる時/キャメル/Tes de taz/此岸の朱。予定より2曲少なかったが、45分。

さて後発のデリック・ダレンジャー氏。さすがこれで喰ってるだけあってかなりの腕前。特に驚いたのがダイナミクスの豊富さ。弦を押さえる事だけで発音するこの楽器で、あれほどのダイナミクスが付けられるものなのか。時に囁くやうに、時に轟くやうに、実にアーティキュレーション豊かな演奏。曲も美しい。ラムジィに聴いた話だと、彼は一日のほとんどを自室に隠っての練習に充ててゐる、といふ。ヌ〜〜耳が痛い。

良いライヴだった。なんか薄い気がしたお客さんの反応も、後で訊いてみたらさうでもなく、色んなヒトに握手を求められた。何と云うてもデリック氏がえらく気に入ってくれて、是非いつか宮崎でも、といふ話も出る。

打ち上げはせず、そのまま解散。独りラーメン喰って帰る。ラーメン屋には愚例の曲が流れてゐた。で、気付いたんだが、こいつらの曲ってうるせぇんだな、バラードでも。だから不快なんだ。

ア、デリックさんはあと2日滞在して、9日の晩「エル・バルコ」で行なわれるスマトラ沖地震津波災害チャリティライヴに出演するさうだ。興味あるヒトは行ってみて。


2週目


1月8日(土)---------------------------------------------

あすの日曜日に、椎名トリオで行く近場への遠征のために、先発部隊に機材を預けるべく、佐伯家へ。アンプとえへくたーを依頼しておく。よく考えてみたら、今回カリンバは要らぬので、預けるのはアンプだけでも良かったのだ。

少しお茶を呼ばれ、そのままアクターズスクールの今年初レッスンへ。駐車場で守衛さんが、車のヘッドライトが片っぽ消えてゐることを教えてくれる。いつ切れたんやろ?。丁度、先日修理を依頼して、部品を待ってゐるところだったので、ついでに直してもらおう。

9日(日)--------------------------------------------

朝、8:30に迎えが来て、東広島市は西条町に出発。雪を懸念したが、それほどでも無く、高度に発達した高速道路のお陰もあって、30分もせぬうちに西条に到着。けふは椎名ファミリー(此所で云ふのは『家族』の意味ではなく)のひとり、エレクトーンの倉田香織女史の個人教室の発表会。に、椎名トリオでゲスト参加する。今回はこのトリオでは珍しく『仕切り』が他に居るので、椎名さんもマー坊もいつもに比べてリラックスしてゐる。けふは佐伯家の二人の子供も同伴。この二人がまた何故かワシになつく。

ステーキハウスを借り切ってのコンサート。老若男女の生徒さん達が朝から晩まで入れ替わり立ち代わり演奏する。ワシらは昼の部と夜の部それぞれの終わりに1回づつ演奏。演奏は、肉を焼く煙が立ち篭める中でのモノだったので、目はシバシバ、喉はイガライガラ、裸足の足はねばねば、といふかんぢ。空き時間が長いので、暇をもてあまし、会場近くの巨大ショッピングモォルに行ったが、収穫なし。

終演。撤収のち、主催者倉田家で軽く打ち上げして、おでんを頂く。レヂャーも兼ねてこちらに一泊する佐伯&椎名ファミリーを残して、ワシは機材車に乗って帰る。日付も変わってから帰宅。とても疲れてゐたからだらうか、梅干しが甘く感じた。

10日(月)---------------------------------------------

祝日。女房と歩いてユニクロに行く。3ウェイのジャケットとパッチ(いわゆる股引)を購入。見た目だけはヘヴィーデューティーになった。歩いてゐると猫がやたらと目につく。猫がのほほんと暮らしてゐるやうなところは、大抵住み易い所だと、勝手に思ってゐる。

夜、MACの新年会ライヴ。此所のライヴは出演者が多過ぎて、深夜にまで及ぶ事があり、それを懸念してくれぐれも早い時間に出演を、と云っておいた。が、フタを開けてみると、6ユニットが30分づつぐらいさくっと演っておしまい、といふ実に後味の良いイベントであった。ワシはソロで1曲。カリンバ、ベース、ヴォイスを同時駆使しての即興。その後Far east lounge で5曲。けふのカシラは彼にしては非常に珍しい事に、要らぬ事を全く喋らなんだ。結果、適度なテンションが持続され、とても良い演奏。これでいいのに、と思ふ。

出演者全員で飲みに行こう、といふ話だったやうだが、ワシは明日から学校だし、終電で帰りたいしで、パス。

11日(火)------------------------------------------------

体調が良くない所にライヴが続いて、さすがに喉がやられた。憂歌団の木村さんのやうな声である。これはこれで悪くないのだが。

久々の専門学校。2年生は昨日成人式を挙げて来たのださうな。こいつらももうすぐ卒業である。一旦帰宅して飯を喰い、車がダメなので電車でレッスンに行く。仕事に行くのに電車を使うなぞ何年ぶりだらう。不便っちゃ不便だが、これはこれで悪くない。それにしても修理屋からまだ連絡がない。早い所直してくれぬと仕事にならぬのだが。

レッスンででかい声で喋るのがいかぬのか、喉が痛み、咳が出る。いつの間にか風邪をひいてゐるワシである。

12日(水)----------------------------------------------

辛い。咳がひどい。内臓が吐瀉されてしまいさうな咳。寝てゐたいものだが、さうもいかぬ。けふのレッスンも電車で行く。けふの会場は駅から20分ぐらい歩かねばならぬ。汗かいて、また咳がひどくなる。

ジャズライフに『多弦ベース云々・・・』といふ特集がある。5弦、6弦など、もはや珍しくない事は知ってゐたが、今時ぁ7弦、8弦、なんと9弦てのもあるのだな。Low-F#だって。そんな低い音、再生出来るのかね?。Hi-B♭って、そんなんギター弾きゃいいぢゃんよ。「ベースはシムプルに」とは決して思わぬが、多弦ベースには、あんまり興味のないワシである。にしても咳がひどい。

13日(木)----------------------------------------------

車の修理屋から部品が入った、との連絡があったので、本格的な修理に出す。が、結局けふ一日では直らず、ボンネットワゴンの代車を借りて帰って来るハメとなる。ちょいとアクセルを踏み込めば月にまですっ飛んでってしまいさうである。

レッスンの空き時間で、今年の独弾の練習。と云ふか独弾に必要なバッキングを、マシンにメモリーさせておく。かうすれば、まぁ少々横着な感は否めぬが、ごてごてした機材を持って歩かぬとも済む。旅に必要なのは、何といっても機動性なのだ。

帰り、地下街でえらくスタイルの良い娘さんと目が合い、しばらく見つめあってゐたが、友人の知人である事に気付く。ライヴを見に来てくれた事もあるひとで、お菊人形のやうな髪型が仲々素敵な娘だ。これから友達と飲みに行く予定なのだが、待ち合わせまであと1時間ぐらいある、と云ふ。ぢゃあまたね、と別れた後、フと、あれはお茶かなんかに誘うべきシチュエーションだったのではないかっ?と気付く。まぁ断られたら帰りゃイイだけの話で、軽い気持ちで誘ってみるのが、もしかしたらマナーだったのかも知れぬ。ヌ〜〜〜〜。

大事な事は、いつも後になって思い出す。

14日(金)------------------------------------------------

喉に真綿が詰まったやうなかんぢ。昨日より声は出るが、鼻の奥がぼわぼわしたかんぢで気持ち悪い。アー、けふはサンサ〜ラのライヴなのだ。この様子では、けふはヴォイスは使えぬな。

専門学校ふたコマ。後、ラーメン屋で遅い昼食。一旦帰宅し、ライヴの準備をして、私塾でのレッスン。6:00に会場入り。のほほん即興ユニットサンサ〜ラだが、けふは岩本さんと今年の初顔合わせ。リハも打ち合わせもなし。さすがにマズいかな?。観客は始め2人のみ。後半は4〜5人。店の手違いで、けふの事がパンフレットに記載されてゐなかった、といふ。店の方で集客に尽力した様子もないし、もちっとミュージシャンに協力してもバチは当たらぬと思ふが。

ヴォイスがあんまり使えぬので、ベースのソロ曲を沢山演った。新曲「ムルアカ」と「おじさんの話」を演る。両方とも、わりと前に完成してゐたが、けふが初演。「ムルアカ」は岩本さんが完全に譜面を見失って大失敗。「おじさん〜」は仲々よい。このユニットもそろそろ別のこと演んなきゃな・・・。

タマに行く呑み屋のママが差し入れにおにぎりを持って来てくれた。


3週目


1月15日(土)---------------------------------------------

久しぶりに晴天。たまってゐた洗濯物を片付ける。完全に直った、との連絡があったので、修理屋へ車を取りに行く。まぁなんとか大規模な出費は避けられ、これでもうしばらくはこれに乗れるだらう。ついでにここのところ機嫌が悪いバイクを、日の当たる場所にしばらく出してやってゐたが、こちらはもうアカン。セルが回りもせぬ。バッテリーが揚がってしまったのか。これで2回めだ。ウチの駐車場は一日全く日が当たらぬので、かういふ事になる。

名古屋でのライヴが決まった。これで博多、小倉、川尻、大阪、名古屋、東京。間の広島を合わせると全7箇所。東京では最低4箇所は演るので、ライヴで云うと11本。約3週間に渡るツアーとなる。自分で決めておいてナンだが、身体が持つのかいな。

16日(日)----------------------------------------------

休日。女房と買い物に行き、パスタとか色々買う。あとは「独弾」の練習。再来週はいよいよ東京単発、地下室の会ライヴである。

17日(月)-----------------------------------------------

10年前のこの日の朝、ワシは結婚をまぢかに控えた今の女房のアパートに泊まってゐた。前日、ウチの両親を女房の実家に挨拶に連れて行った。突然、まだ明け切らぬ夜を突いて、かなり大きな地震が起こった。それまでに経験した中では一番強い揺れだった。二人して起き出し、TVを灯けてみた。しばらくして速報が流れ、震源は関西、震度は6強、すでに死者が確認されてゐる、との事だった。

それから女房は会社に行き、ワシもその日は朝からスタヂオにカン詰めだった。まぁ日頃からTVをあまり見ないもので、特に何も思わず、一日を過ごし、帰宅して夜のニュースを見て、その、あまりの被害の大きさに心底驚いた。こんなひどい地震だったのか・・・。

云うまでもなく、阪神淡路大震災のことだ。

そしてけふ、見事に10年が過ぎた。あれ以来自然災害が無かった訳ではない。地震、台風、津波、寒波、熱波、むしろ多すぎるほど、あった。世界中で・・・。ワシらはナニカを学べたのだらうか?。

備えませう、と云ふ。確かに大切な事だ。しかし、備え、とはなんぞや?。緊急災害グッズの、わずかな備蓄が備えではない。そんなものは3日で底をついてしまうだらう。瓦礫と化した町で、国で、運良く生き残ってしまった時、絶望から如何に立ち直ることができるか。

それは『技術』だ。サバイバルはモノではなく、何も無い状況からナニカを、とりわけ希望に繋がるナニカを、無理矢理にでも生み出して行く、高度な技術だ。

スマトラ沖地震と津波で、数日後に相次いで救出された何人かの被災者達。彼らを生かしめたのは、食糧ではなく、虚無なる海に漂う流木を集めて、そこで筏を作った、といふ「技術」であり、「生きよう」とした激烈な意志に他ならない。カシラこと小林一彦の名曲「その男ヨシオ」に唄われる故濱本嘉夫*氏(カシラの祖父にあたる)は、原爆投下三日後の焼け野原で既に家を作りはじめた、といふ。このポジティヴな精神と、クリエイティヴな技術こそが、我々の学ぶべきものなのだと、震災10年を迎えたけふ、ワシは強く思うたのである。

*この濱本氏のエピソードは、吉田良夫といふ彼の甥にあたる人物(カシラの母君の従兄弟)が、生前の嘉夫氏に取材したもの、であるといふ。

18日(火)------------------------------------------

専門学校。けふは一旦ウチには帰らず、スタヂオ入りして独弾の練習。咳はだいぶ治まって来たが、まだ声が出ず、苦しむ。

突然、美味しいチャーハンが喰ひたくなった。前回さう思うた時、桃のマークで有名な中華チェーン店に入り、後悔した記憶が新しいので、けふはチャーハンが喰へる店を捜して車を流す。中華は実に当たり外れが激しいのである。にしても、かくもラーメン屋がひしめき合ってゐるといふのに、真っ当な中華料理店が少ないのは遺憾である。

検討した結果、かなりの遠回りではあったが、昔よく行ってゐた楽器店の隣にある、老舗の中華屋Dにする。相変わらず無理に愛想を削除したやうな大将と女将。しかし、美味い!。飯のひと粒ひと粒が見事に油を吸って、それぞれが孤高の輝きを放ってゐる。ネギと、チャーシューと、卵と、人参と、ハムしか入ってない。ごく控えめなスゥプの味。シムプル。しかし、力強い。さすがだ。チャーハンはかうでなければいかん。

19日(水)--------------------------------------------

久しぶりに辺見庸のエッセイを買う。「独航記」といふ。これほど辛辣に、鋭く物事を捉え、抉りながら、具体的なものは何一つ否定してゐない文体は見事。最近、この日記などの公的な発言に、クレームを頂く事が増えて来たワシには、巨大な指針となる文章録である。媚び諂わず、しかし、毅然と持論を持つ。「孤高」とはかういふ事を云ふのだらう。

にしても、氏の「著者近影」の写真、なんと凶悪なことか。犯罪者の写真の方がまだナンボか穏やかなやうな気がするぞ。

20日(木)--------------------------------------------

訃報、届く。

かの人はTさんといふ。駆け出しのワシをベーシストとして使ってくれた初めての人だ。自身はドラマーとして、しかし音楽事務所のボスとして、地方局のラヂヲ、TVの仕事なども手掛けてゐた。この人のところで働いてゐた頃、TV番組のレギュラーとして活動でき、おかげで、まぁ、親類縁者に、ワシがとりあへずプロとして喰ひ始めた事を知らしめる事が出来たのである。

しかし典型的な昔気質のバンドマンでもあったTさんに、まだ若造だったワシは随分シゴかれた事も確かだ。ミスなどしやうものなら、遠慮のない罵声が飛んで来た。TV中継用のインカムを通して『馬鹿野郎!帰れ!』などと云われる事もあった。ギャラはさすがに良かったが、如何せんプレッシャーがキツく、しまいには胃を壊してしまったワシだった。

しかし、面倒見は良い人だった。どんな現場にも必ず呼んでくれた。仕事の後には必ず「これでなんか喰え」と、ギャラとは別に小遣いをくれた。何よりも音楽の事を最優先し、自分がそれの一端を担う事の誇りを、強く持ってゐた人だった。また、理不尽な事には真っ向から立ち向かう人でもあった。相手がディレクターだらうが、年上の作曲家のセンセイだらうが、おかしい事には「おかしい」と云う人だった。

その人が、今年に入ってすぐ、亡くなった、といふ。

またひとり、若いワシの音楽を支えてくれた人がいなくなった。プロとして演りはじめて、もう15年が経とうとしてゐる。

21日(金)----------------------------------------------

専門学校。今期は営業やツアーで結構休講してゐたので、補講を沢山やらねばならぬやうだ。まぁ仕方ないか。

授業を終え、印刷会社へアルバムジャケットの相談をしに行く。BK堂。ここは大学を卒業したワシが8ケ月だけ、この人生で唯一サラリーマンとして働いてゐた会社である。「プロになるのだ!」と半ば強引に退社したワシだが、その後も付き合いはあり、ジャズロックバンド時代のカセット、CDのジャケットなどは、全てここに引き受けてもらったのだ。

今回ワシがこだわってゐるのは「紙ジャケ」によるリリースで、それを引き受けてくれるCD製作会社を、かをりと二人であちこち捜してゐた。凡庸性がないモノだけに、何所も割高となり、結局、古巣に頼んでみるのが良いのでは?と、電話してみたら、主任が親身に相談に乗って下さった。久しぶりの訪問で、さすがに当時の社員はほとんど居なくなってゐたが、主任や店長にお会い出来て嬉しかった。取り合へず見積もり待ち。

その後、ひっさしぶりにジムへ。今年初である。40分汗を流し、サウナ。その後、スタヂオに入り「独弾」の練習。声がようやく出るやうになった。駐車場までの帰り道、Cha cha perra のナミちゃんとばったり出会う。仕事帰り。ワシも後は帰るだけなので、少々遠回りになるが、車で送って行く。

最近では珍しい事に、けふはケータイが一度も鳴らなんだ。要らぬメールも入らず、嗚呼静かで良い日也、と思うてゐたが、夜カシラから。日曜日のCMジングルのレコーディングの時間が変更になった、とのこと。


4週目


1月22日(土)---------------------------------------------

数日前から電気釜(炊飯器)が壊れてゐる。ワシはあまりコメを喰わぬヒトなので別に良いが、女房はコメが喰ひたい。で、だうしてゐるかと云ふと、圧力釜で炊いてゐる。これが仲々よい飯が炊ける。キャンプで喰ふ飯盒の飯のやうだ。しかし圧力釜を使って料理がしたい時にコメが炊けぬ、といふデメリットは大きい。ので、メーカーに修理に出すべく、宅急便の事務所に持って行く。

椎名まさ子トリオ改めネコノズクのリハ。ひとまづ3月の、椎名さんには初めてのライヴとなるJIVEでのやつに焦点を合わせて練習。まぁ音を出すより喋ってる時間の方が長いかんぢ。カヴァーナンバーのアレンジをどうするかで、意見を闘わせる。此所で書くとネタばらしになるので書けぬ。その後、アクターズスクールのレッスン。

23日(日)------------------------------------------------

曇天の間を縫って雨、のやうな天気。

『晴耕雨読』と云ふ。晴れた日には外に出て田を耕し、雨の日には屋内で本を読む、と云ふ、まぁ理想の生活を詠うたものだ。よし、けふはそれで行かう、読み切ってない本がいっぱいあるし、と思ったが、よく考えれば色々やらねばならぬ事があった。

まづ、専門学校の春の試験問題を作る。1年生の分と2年生の分、それぞれ全問正解で20点になるやうにあれこれ考えるが、途中から面倒臭くなり、1年も2年も同じのを出す事にした。Macで清書して2時間ぐらいで完成。つづいて春のツアーのフライヤー作り。途中まで作ったところで、まだ日程の最終決定が出ておらぬ事に気付き、頓挫する。

夕方から、とあるCMソングを録りにゆく。CMと云うてもTVやラヂヲ用のそれではなく、販売会場で流しっぱなしにされるタイプのやつ。お魚天国みたいなものか。カシラが請け負うた仕事らしい。ワシはおもにコーラスと合いの手を担当。「鯔背なアンちゃんのやうに唄って」と云はれ、さうする。ほぼワンテイクでOK。えへん、職人とはかういふものよ。さういや昔、スキー場のCFの歌を録った事があったな。

24日(月)------------------------------------------------

マスタリングの費用を振り込みに行く。大金が出て行く。カズイがマスタリングの必要性を説き、周りのさういふことに詳しいひと全てが、マスタリングの重要性を教えてくれ、今回ワシも大金がかかるのを承知でさうしたが、出来上がって来たものを聴いてみて、何処がどう変化したのかが皆目分からぬ。以前のオルカ団のCDを作った時もさうだったのだが、ワシにはマスタリング前と後であまり違いが分からぬ。それどころかマスタリング前の方が良い音に聴こえてしまふのだ。ワシはセンスが悪いのか・・・・?。

まちゃあきから電話。なにやら腎臓をイワせてしまったらしく、練習に参加できぬ、と云ふ。かをりも腰をイワせてゐて通院してゐる、と云ふ。ワシも風邪がようやく抜けて来たところ。虚弱なバンドである。元気なのは出産を終えたMIやんのみか。

25日(火)------------------------------------------------

専門学校。昼飯が売り切れており、空腹のまま午後まで。3:00頃ようやくラーメンを喰ふ。が、30分後に下痢。あれ?。明後日に迫った東京独弾の練習に、とスタヂオに入る。セッティングして、いざ、と云ふ時になって、突然、音が出なくなる。

ゲゲッ!マジかよ?。今、ワシはこれ以外マトモなベース、持ってへんぞ。本気で焦る。久方ぶりに楽器商マーマレードバケィションに電話。レッスン後の修理を予約して、仕方ないのでZO-3ベース*で練習する。おや?これはこれで良いではないか?。これでツアー廻るてのも良いな。タイトル『梶山シュウ独弾<子象に乗って>ツアー』てのはどないだ?。

楽器商ママバケに飛び込み、修理。幸いな事にサーキット部分の欠線が原因で、ものの数分で修理完了。ハー良かった。しかしまぁこれもポジティヴシンキングすれば、東京の、しかも地下室の会のステージの上でいきなり音が出なくなる、といふ最悪の事態も考えられた訳だし、其れを思えば此所で切れたのは、良かった。ZO-3の意外な可能性にも着眼出来たし、けふは勝ちの日。

ZO-3(ぞうさん)フェルナンデス社から販売されてゐる、小型のスピーカー内蔵型ギターシリーズ。楽器としての精度には正直難ありだが、意外にマニアが多く、えへくたー内蔵型や、7弦バージョンなどもあり、隠れたロングセラー商品となってゐる。ベース版は正確には『Pie-ZO(ぴえぞう)』と呼ばれ、ギターに比べればバリエーションに乏しく、小型ゆえにピッチも怪しい。しかし、内臓スピーカーはともかく、ピエゾピックアップの音は意外にもファットでウォーム。ワシはこれのフレットレスを持ってゐる。

26日(水)------------------------------------------------

東京遠征を明日に控え、細々と準備する。しかしまぁ一泊二日だからほとんど要らぬ。しかし昨日ぐらいから上手い事眠れぬ。さすがに少々緊張してゐるらしい。ツアー(単発でも)が始まる直前は、いつもちッとばかりナーヴァスになってしまう傾向があるやうだ。恐ろしい事に「もうツアーなんてやめちまおかな〜、広島で細々と演ってりゃいいぢゃんよ〜」とまで考えてしまう事もある。

27日(木)------------------------------------------------

さて、「地下室の会」ライヴ。東京への遠征である。ゆんベのうちに用意しゐた荷物を持ち、さて、いざ行かん、と出発したは良いが、駅まで行くと、何故かその時間にそこに居るはずのない列車が駅に居る。こは如何なる事ぞ?と思ひ、とりあへず列車に乗ってみると、なんと今朝早くに、投身自殺か事故か知らぬが、さういふ事情でダイヤが乱れまくってゐる、と云ふ。乗ったは良いが電車は寸とも動かぬ。車掌に事情を説明し、「10:40の新幹線に乗れぬと私の人生上非常に困った事になりかねぬのだが」と云ふが、車掌、説明にならぬ説明をくり返すばかりで埒が空かぬ。

これは早々にえらい事になった、と思ってゐたら、まぁなんとか電車が動き始め、ギリギリではあったが予定の新幹線に搭乗出来た。はーやれやれ。少し早めに家を出てなかったら間に合ってなかったな。その後は、隣席に足の臭いサラリーマンや、口臭の激しいビヂネスマンが乗って来る事も無く、東京までの4時間強、快適な旅を得る事ができた。

そして話は長くなるので割愛するが、新宿駅近くの路上で偶然知人に出っくわしたり(これはもの凄い事だな)、常設広島物産展会場でさきイカの実演販売をしてゐる知人を激励に行ったり、下北沢に着いたは良いが、そこから1時間近く迷ってしまったりしながら、なんとか定刻内に会場のClub251に到着。

「おぉ!シュウちゃん、お久しぶり!いつ来たの?」
「今っス」
「いつ帰んの?」
「明日っス」
「マジで?すっげぇな〜、アクティヴやねぇキミ」

てな会話を交わしつつ、リハが進んでゐる会場にゐる。前回はシャレにならぬ位緊張したが、今回はニ度目と云ふ事もあって割に落ち着いてゐる。それでも日本中の名だたるベーシスト達が集まり、また、それを目当てにファンが押し寄せて来る訳だから、全くの平常心で演れる、といふ訳でもない。ましてやワシはソロ演奏。我ながら大した神経の太さだと思ふ。

さて本番が始まり、云うまでもなく日本のトップレベルにゐる現役ミュージシャン達の演奏が繰り広げられて行く。女性ヴォーカルをフィーチャーしたポップスかと思いきや、いきなりダークなプログレ的展開を見せるRough&Ready。若手ながら安定した技術でハードかつリリカルな演奏とハーモニーを聴かせた山田章典Rock'n soul trio。女性ばかりのメンバーでシブいジャズフュージョンを繰り広げるY's groove project。テクニカルな変態プログレをこれでもかと演りまくるTOSHIMI project。名うてのセッションベーシスト4人が結集した低音男子四楽坊。この中でワシはなんとトリから二番目、といふ大役を授かった。まぁ詳しくはいづれアップされるであらう地下室の会ホムペで見れば良い。

目の前で寝てゐやがる少年がゐて演り辛かったが、まぁなんとか演りきった。今回はMCも入れてそれも仲々に笑いを取れたし、完璧な演奏は出来た訳ではないが、まぁ良からう。演目は、月の道/春/Tes de taz/丘にのぼる時。超安値での投げ売りではあったが、持ってったCD-R20枚が完売。何人かの友人も見に来てくれて、ホンマに良かった。打ち上げで皆さんと鍋をつつきながら、やはり来て良かった、と、さう思うた。

28日(金)-------------------------------------

地下室の会副会長であり、友人でもある依知川伸一さんがとってくれた調布のホテルに泊まったワシは、快適に目を覚まし、けふは伸さんの案内で東京穴場紀行。こんな静かなところが東京にあったのか?といふやうな所を歩く。美味しい蕎麦を御馳走になる。伸さんも午後からリハがあり、ワシも夕方には広島に居らねばならぬので、我々は昼過ぎに調布駅で別れた。3月には伸さん達BARAKAが広島にやってくる。既に楽しみだ。伸さん、色々とありがとうございました。

新宿で少し寄り道をして、格安チケットとエバーハルト・ウェーバーのCDを購入。東京駅でのぞみの指定席を予約。2:30の新幹線に乗った。頻繁に東京に来るやうになったが、この、新幹線からの眺め、といふのも結構飽きないモノで、用意してゐた文庫本などを読まずともそれほど退屈を感じぬ。行きと同様隣席はづっと空席で、快適な旅。

夕刻に広島に着く。生徒達がコンサートを演ってゐるはずのアステールプラザにタクシーで直行。生徒達の熱演を鑑賞し、打ち上げへ。つい6時間前まで1000キロも離れた東京に居た、といふ事が、なんか嘘のやうだ。

29日(土)----------------------------------------

これを書いてゐる。

酒のせいか疲れのせいか、アタマが結構ぐらぐらしてゐるが、これから軽く飯を喰ひ、ねこのずくのリハに行って、その後アクターズスクールのレッスンに行く。そして夜は「チューボーですよ」を見て健やかな眠りに就くのであらう。

1月30日(日)--------------------------------------------

遠征、リハ、レッスンと終わり、とりあへず何もない日曜日。終日のんびりする。愛機ヴァネッサの総合メンテナンスに出すべく、運送屋へ。メーカーアトランシア社のある、長野県は松本市まで送る。運送屋の気のない対応が大変不安。念のため保険をかけ、『超々フラヂャイルですンでくれぐれもよろしく』『コンピューター並みに繊細なのでよろしく』と何度も念を押しておく。インドで買ったシタールが、日本へ帰って箱を開けたら壊れてゐた、といふ苦く切ない経験が蘇る。

31日(月)-----------------------------------------

朝、久しぶりに空手の稽古(のやうなもの)をしてみる。先日の東京遠征で、ライヴを見たお客さんのひとりに、『なにか武道をやっておられましたね?』と問われたのだ。何故分かるのか?と訊くと『身体のキレが素人ではない』と答えられた。それに気付くあなたこそ素人ではない、と思ふのだが・・・。

空手に限らず、武道の動きは基本的に、身体機能を効率良く引き出す、といふものである。最近、老人介護の番組を見てゐて、寝たきりや身体の不自由な老人に対して、介護者が効率良く介護する為の動きのポイントに、合気道や柔道の技に通ずるものがある事を発見した。同じやうな事が、ワシがベースを弾いたり、唄ったり、カリンバを弾いたりする事に現れてゐるやうだ。感慨深い。


翌月