May


1週目


5月1日(土)-----------------------------------------

アクターズスクール。ネタを仕込んで行ったお陰で、少しはレッスンらしいレッスンができた。しかし今後はさらなる工夫が必要かと。センセイらしい苦悩である。けふはその後、イレギュラーでオルカ団のリハ。ライヴ前最後のリハである。まぁこんなもんかね?。リハを終えてスタヂオを出ても、まだpm9:00。このままナイトライフにくり出したいところだが(まちゃあきとMIはさうしたやうだが)、まぁ帰る。

2日(日)------------------------------------------

いつものやうに「朝の野外練習」をしてゐたが、けふは何やらギャラリーが多い。黄金週間だからか?。川向のマンションの住人なぞ、ベランダに椅子を出してきて見物していなさる。カネ取るぞ。

昼は女房と散歩。ワシの一眼レフカメラを使ってみたいので説明書をくれ、と云ふので、そんなモノはない、と答へる。女房は説明書を隅から隅まで読んですべての機能を把握せぬと気がすまぬさうだ。ワシは「これがスウィッチで、これがレバーで」くらいが分かれば、あとは捨ててしまふ。既に10年以上使ってゐるリズムマシンがあるが、未だに『何に使うのか分からぬ』ボタンなぞも、ある。「それはえぇけぇ、せめて説明書捨てなさんな」と云はれる。至極、その通り。

東京の友人石橋学から電話。広島に帰って来てゐるらしいので、ウチの近所の居酒屋へ呑みに行く。2003年12月の東京でらしねで何年ぶりかの再会を果たし、それ以来、このサイト等を通じてお互いの動向を知り合ったりしてゐる。げにネットと云ふものは不思議である。途中でお互いの昔のバンドメイト、AC/DCのトリビュートバンドとして世界的にも知られてゐるAngus永利竜巳も参加。午後7:00から午前1:00まで呑んでお開き。女房へのお土産アイスを買って、夜道をのらくらと歩いて帰った。

3日(月)-----------------------------------------

ゆんべ、NHKアーカイブスで放送された、1977年のKISS初来日公演の録画を見る。おそらくワシが初めて見たロックのコンサート風景がこれなのだ。まだロックに市民権もほとんどなく、ロック=不良といふ概念が当然のやうにまかり通ってゐた頃。写真すらあまり手に入らず、動いてゐるロックバンドなぞ見る機会もなかったあの時代。あのやうな奇抜なメイク&衣装で火を噴き、血を吐き、「ヤっちまおうぜベイビー!」なんて唄ってる外人を、釘付けになって見てゐる11歳の少年の未来を、親はきっと心底心配したことだらう。

驚いたのは、あの当時たった一回だけ見た放送の詳細を、ほとんど憶えてゐたことだった。KISSのメンバー自体まだ若く、演奏も唄も今見るとさすがに荒さは隠せぬ。が、フレッシュなエネルギーに満ちたステージは、ノスタルジーを抜きにしても素晴らしいものであった。メンバーの動向はあったが、今も一線で活躍し続けてゐるこのバンドに、改めて敬意を表したい。

夜、昨日に引き続き石橋と呑む。けふはやはり永利と、カシラこと小林一彦も参加。午後8:00から午前1:30まで。明日はライヴだと云ふのに連日飲酒。

4日(火)------------------------------------------

オルカ団、クアトロ出演の日。連日飲酒の影響が心配されたが、問題は無かったやうである。このライヴに出る事を一時はかなりナーヴァスに考え、今持って正しい判断が出来ずにゐるのであるが、今回は出て良かったと思ふ。動員、スタッフ陣、運営、コンサートとしても十分に成功したライヴだった。出演バンドすべて渾身のパフォーマンスだった。

オルカ団としても、このメンバーではベストの演奏が出来たやうに思ふ。フロントマンを兼ねるオーガナイザーとしては、個人的に非常に扱いづらい今のメンバーではあるが、今のオルカはこのメンバーでないとやれぬだらう。

客として何度かステージを見てゐたレイジーボーンズのメンバーとも話が出来て良かった。良い連中である。

5日(水)-------------------------------------------

女房と休みが重なった日の昼食には、二人でよく総菜屋さんに出かける。バイキング形式で好きな惣菜を選び、ごはんをよそい、席に着いて食す。バイキング形式の食事は、選ぶ方にセンスと知識が要求される高度な文化である。タンパク質、炭水化物、繊維質、ビタミン、すべてバランスよく選んで、なをかつハラにちょうど収まる分量を選ぶ。これは仲々に難しひ。

夜はFar east lounge と徳山(現周南市)のブルーズシンガー森永sejiのジョイントライヴ。黄金週間最終日と云ふこともあって客入りが心配されたが、まぁまぁ。日頃あんまりやらぬレパートリィをいくつか演る。ワシもソロで一曲。「月の道」を演った。タマタマこの日、良い月が出てゐたやうで、お客さんにそれを云われて嬉しかった。なんでかってェと、あの曲には『月』といふ歌詞は一回しか出て来んのですよ。

森永さんは不思議な縁で何度かお世話になってゐる人である。さらに徳山はワシの第二の故里(大学時代4年間居住)、今でもとても好きな町である。近いのに音楽的な訪問をあまりしてない。とりあへず独弾で一度訪ねて行ってみやうか。

最近、ワシがよくやってゐるせいか、ホーミーへの認知度が上がった。が、誤認もまだあるやうで、『ホーミーの倍音を自在に動かしてゐる人がゐたよ』と云ふ報告をもらった。すいません、それがホンマのホーミーなんです。なんべんでも云いますがワシのは『えせ』ですよ。ワシはただホーミーの『音が(かろうじて)出せる』だけであって、ホーミーを『唄え』はしませんぜ。

6日(木)----------------------------------------

連休明けた途端、晴天に恵まれ、野外練習再開。河原の、たまたま座った場所に可憐な赤い花がひとつだけ咲いており、それを見ながら練習してゐると、曲が浮かんだ。『此岸の緋(こがんのあか)』と命名。沖縄風音階。初めてのタイプだ。良い詩を送ってやらぬといかん。さうかうしてゐると今年の「一番蚊」に刺された。

連休中ライヴ以外の運動をせなんだので、レッスン前に一週間ぶりのジムへ。バイクを漕ぎ、ウェイトをやってサウナに入る。これでようやく身体がシャキっとした。後はレッスン。夜、東京のゲンタさんより電話。「夏のでらしねツアー」の日程が決まった。

7日(金)-------------------------------------------

黄金週間明けのせいか、えらく久々な気がする専門学校。滞りなく終え、本来ならジムで一汗かいて・・・と云いたいところだが、イレギュラーでひとコマだけレッスンが入ってゐる。へー、やれやれ。

ジョナス・エルボーグの「長い間欲しかったが、仲々手に入らなかった最後の一枚」がドイツから届いた。アラブ系のミュージシャン達とシリアで演ったライヴ盤。勿論、悪いはずがなからう。いや〜この人って演ってほしいことみんな演ってくれるなぁ。最近、アラブ系ミュージシャンと共演したベーシストでは、ジャマラディーン・タクマがゐるが、こちらはそんなにオモロなかった。


二週目


5月8日(土)-----------------------------------------

夏の東京ツアーが決まり、色々と仕込まねばならぬことが増える。新曲を編集したいが、MDをまちゃあきに預けてゐるので、出来ぬ。久しぶりにライヴのない一週間だが、結構かういふ時の方が、実のある事が成しにくいものだ。

女房が蒙古製の「牛乳焼酎」と「ごま焼酎」を買って来た。奇しくもワシも韓国のどぶろく「マッカリ」を入手。酒のみの夫婦である。晩飯と一緒にぐいぐい呑ってゐたら案の定、そのまま寝てしまった。怠惰な。

9日(日)-------------------------------------------

雨の日曜日。「晴耕雨読」。ドアすら開けず、ひたすらウチにゐて、本読んだり、ビデヲ見たり。

むか〜〜〜し独身時代、女房がケーブルTVから録ってくれてゐた「オネアミスの翼」を見る。音楽監督は坂本龍一。さすがに一筋縄では行かぬBGM。途中、主人公達が唄う『王立宇宙軍軍歌』など、何拍子かも分からぬ。映画自体も日本アニメ史に残る傑作だと思ふ。

10日(月)------------------------------------------

この時期の花粉のアレルギーを持ってゐる女房の症状が、いよいよ民間療法や売り薬の範疇ではなくなったので、医者に連れて行く。ワシもひどい花粉症持ちだが、幸いな事に春さえ乗り切れば、後の1年は平和なもの。

専門学校の授業をひとコマだけやり、ジムへ行く。ちょっとオーバーワークだったやうで、終わった後、二の腕が痛む。

11日(火)------------------------------------------

忙しい火曜日。授業&レッスン。授業中にワキタさんから電話があり、7/11に決まってゐた松山へのツアーがキャンセルになった、とのこと。次週にズラせぬか?とのことだが、夏のでらしね真際の事、丁重に断っておく。スタンダードをやってカネを稼げるバンドか、ソロでのツアーかと云われれば、ワシは迷わずソロの方を取る。

夜、レッスンを終え、Kobaへ晩飯を喰いがてら来週のライヴの打ち合わせに行く。なんかちゃちゃっと行って適当にセッションするだけかと思ってゐたが、ワシが前座として演ることになってゐて、焦る。が、まぁいい機会だ。店にはAKI cool.com の野村彰宏くんがゐて、彼が手伝ってゐる店への出演を依頼される。ウ〜ム、この店は来るたんびに仕事が舞い込んでくるな。

たまたま居合わせた知り合いの妹に声をかけられて驚く。我ながらつくづくダサい事だと思ふが、ワシは可愛い娘に話し掛けられると、シャレにならぬくらいしどろもどろになってしまふのだ。この時も、なんや訳の分からん事を喋ってしまったやうな・・・。以前もパルコでたまたまどっかのライヴハウスでワシを見たと云ふカードの勧誘員の娘に話し掛けられ、何故か汗だくになってカード契約をしてしまったことがあるのだ!。

12日(水)------------------------------------------

恒例となった「朝の野外練習」。日に日に日射しも強まり、気温も上がってきた。これからの季節は楽器に良くないから止めた方が良いだらう。また涼しくなるまでは自宅でぢみちに練習。午前中ジムに行き、久々に1キロ泳ぐ。これが後を引き、1日しんどかった。

仕事に行くと、知らぬ間にレッスン室が勝手に移転させられており、えらく仕事がしづらくなってゐる。何故、かやうな事を講師に一言の相談もナシにやってしまふのだらうか?。ワシは別に自分達が御大層なモノだとは露とも思うておらぬが、事後報告なりともきちんとするが作法ではあるまいか?。んとに。

13日(木)------------------------------------------

ちょっと身体が重い気がしたので、けふはジムに行くのを休みにする。かういふ日に無理に走って、2年前のあんな大事故をしてしまったのだよ。朝から強い雨が降ってゐるので、仕事には電車で行く。駅で中古CDのバーゲンをやってゐたので見て行く。全然聴いた事もないユニットだが、ジャケに写る女性がホンのちょっと可愛かったので買った¥900。聴いてみるとカスのやうなポップフュージョンだった。生徒は二割くらい休み。

オルカ団のリハ。6月の定例会用の選曲。新曲をふたつ用意。まちゃあきのエニシから、山口県は周南へのプチプチツアーが決定するやうである。オルカ団でのツアーは2年ぶりとなるな。来年初頭は是非このメンバーを東京へ連れて行こうと思ってゐるのだが。

思えば初のツアーが決定した2002年、確かにえらく急に決まった話しではあったが、二つ返事で了解を得られると思ったメンバーから、意外にも鈍い反応が返って来た事に驚いたものだ。女性とバンドをやる難しさを痛感した経験であった。

14日(金)------------------------------------------

昨日からナニカ身体がダルい。ダルくなるほど酒を呑んでゐる訳ではないのだが。

昨今、日々真面目に練習を重ね、なんとはなしに今からの自分に必要なカタチが見えて来た気がする。ここらで新しい楽器を新調すべきかもしれぬ。勿論この場合、単純にありものの楽器を選択する、と云ふ事ではなくなる。まぁ要するにオーダーせねばならぬのだが、引き受けてくれる工房を探さねばならぬ。既に広島の楽器店からはイロモノ扱いをされてゐるワシである。腕の良いギター職人と知り合いになぞなれぬものだらうか。

夜、珍しくリアルタイムで中継を見た、全日本女子バレーがアテネ五輪への出場をキめた。ヤナギなにがしと云ふ新監督、非常にドライでシビアな良いプロデュースである。話題の19歳プリンセスメグ。確かに可愛い、が、ワシは大友愛がストライクゾーン。


三週目

5月15日(土)-----------------------------------------

久々にライヴの無かった一週間が終わらうとしてゐる。のんびりしたかと云ふとさうでもなく、どちらかと云ふといつもより疲れてゐる。生活と云ふは難しい。帰りの車の中で聴いてゐたラヂヲからボリアリスと云ふバンドの音が流れて来て、これが仲々にカッコいい。アメリカはネプチューンとか云ふ聞いた事もない名前の街の出身だとか。ちょいと気になるバンドである。

その夜、いつものやうに酒を飲んで寝たのだが、なんかえらいこと酔っぱらったやうで、部屋がぐるぐる回る。やはり疲れてゐたのだらう、と思ってそのまま寝たが、思へばこれは『はじまり』だったのだ。

16日(日)-------------------------------------------

朝起きてもまだ天上が回ってゐた。それほど呑んだつもりもないのだが。しばらく横になってゐて、風呂にお湯を溜めて腰湯に浸かり、汗をかく。風呂から上がると吐き気に襲われる。血糖値が下がってゐるのか?と思い、黒砂糖をねぶって横になってゐる。昼過ぎに再び起き上がってみたが、まだおかしい。足元がふらふらして、船酔いにかかったやうなかんぢだ。ここに来てようやく、自分が「めまい」と云ふものに襲われてゐることに気付く。

1日寝てゐたが、その夜は講師としてお世話になってゐる楽器店の、女性店員二人の退社パーテ−が開かれる事になってゐた。これほどのめまいを抱えて出席するはいかに?とも思ったが、この二人とも、良くワシらのライヴに足を運んでくれたのだ。その恩を無下にはできぬ。ちょっと顔を出して早めに退散するつもりで出かけた。結局、最後までゐた。が、酒は一滴も呑まず。

17日(月)--------------------------------------------

めまい、取れず。ひどくはなってゐないが、良くもなっておらぬ。専門学校で授業。医者に行きたいところだが、けふはライヴ。気にせぬ事にして会場入り。4.14(よんじゅうよん)と云ふクラブである。

John russelといふフリー系のギタリストと豊住芳三郎、松本公正、庄子勝治といふ、やはりそれ系のジャズの先輩方のコラボ。の前座。

このJohn russelといふお人、一応ギタリストだが、弾くよりもコスったり叩いたりしてる時間の方が長いんぢゃないの?といふかんぢ。少なくともコードは一度も弾かなんだ。弦が張ってある必要あるんやろか?。かういふ人に限って、スピーカー等から出てゐるノイズが気になるらしく、しきりに「マイクを下げろ!」と云ってゐる。結局ノーマイクで演ってたな。仲々オモロかった。

前座のワシは独弾を。このところ独弾は5弦アコべで演るのだが、けふはいつものエレクトリックのフレットレスで。バンドでならまだしも、やはりひとたびアク−スティックに慣れると、エレキは仲々しんどい。今後、ソロはアクースティックで演り通さう。

演目が終了した後、主催者の光岡Bombくん、Aki cool〜のドラムスサダナガ(字が分からん)くん、パーカスのツンちゃん(客として来てゐた)とワシの4人でジャムセッション。Bombくんの吹くディジュリドゥ(アボリジニの民族楽器)がワシのベースより低音を出すのだ。これが気持ちよいなんて生易しいものではなく、観客も大盛り上がり。Johnさん達には申し訳ないが、けふはこのセッションで決まった。「このユニット、CD出してないんですか?」と何人もの人に訊かれた。

ディジュリドゥの音色は病気を療すチカラがあると云われるが、めまいは治らず。

18日(火)--------------------------------------------

めまい、酷し。これはさすがに適わぬ。が、授業がある。けふは生徒に、課題にしてゐた練習曲を録音してやる約束をしてゐる。行く。

2コマの授業を終え、ようやく医者へ行く。めまいを取り扱ってゐる、といふので来てみた初めての病院だったが、これがサルよりも落ち着きのない餓鬼の巣窟のやうな耳鼻科で、待ってゐる内に健常者でもめまいがしてくるやうなところであった。やれやれ。まぁ餓鬼は犬猫と同じだから、百歩譲って許すとして、その若い母親どもは、何故かうも不快なのだらうか?。

当の病院の方は、仲々に名医のやうで、みっちり2時間かけて検査をしてくれた。が、結局めまいの直接原因は特定できぬ。しばらく鎮暈剤を服んでみて治らぬやうであれば脳の異常の可能性がある、とか。やれやれやれ。それと、やはり、といふか、難聴の兆しが現れてゐるとのこと。データを見ると4000ヘルツ辺りの聴力が極端に悪くなってゐる。これは騒音性難聴の特徴だとか。『まぁこれはあなたの場合、職業病でしょうねぇ』とセンセイ。しかし他のミュージシャン達ほどには、ワシはでかい音を聴いてはおらぬはずなのだが・・・。やれやれやれやれ。

19日(水)---------------------------------------------

めまい、鎮まらず。10年くらい前にもひどいめまいが2週間以上続き、毎日点滴を射ちながら一進一退をくり返してゐた事がある。その時もはっきりした原因が判らず、結局なんとなく治まってしまったのだ。さういえばその間にツアーやったりしたな。今回は耳鳴りと云ふか難聴感がひどく、右の耳がほとんど聴こえぬ。

けふはさすらいのシンガー南正人さんのライヴでベースを弾くやうに頼まれてゐたのだが、電話を入れて断っておく。その土地土地で会場に現れるミュージシャンを適当にチョイスして、即席のユニットを作り、即興でライヴをやらせる、といふスタイルの人なので、非常に興味はあったのだが。

20日(木)---------------------------------------------

めまい、治まらズ。右耳に綿が詰まってゐるやうな不快感。

午前中、楽器店主催の発表会の詳細を決める会議に出かける。こないだ年が明けたやうな気がしてゐたのに、もう秋の計画を立ててゐる。なんと云ふ生活なのだらうか。雨の中、一旦帰宅して電車に乗り換え、レッスンに。途中、東急ハンヅでツアー用のキャリーを物色。結局買わず。3:30〜9:00までレッスン。その後はオルカ団のリハ。あの人気曲「帰れアジアへ」を演ってみる。ぬ〜む。

ちょっとばかり非合法な手段で入手した、エレクトリックバンジョー奏者ベラ・フレックのライヴビデヲを見る。10年以上前、たまたまNHKの衛星放送でこのユニットのライヴを見て、まだ全然無名の頃のヴィクター・ウッテンの超絶スラップにブったまげたものだ。まぁ当然ながら、あっと云ふ間にベース界では知らぬ人は居ない存在になってしまった。

そのウッテンも相変わらず良いが、なんといってもこのバンド、フュ−チャ−マンと名乗る、謎のMIDIドラムマシンを操る男が最高。ウッテンの兄貴らしいのだが、訳の分からんデヂタル機器を操りながら、ラップはやるわ、サンプリングはやるわ、大暴れ。あまりに異質な存在の為、凄い事やってる割に目立たぬ。まぁ、こいつらそろいも揃って、みんな化け物みたいなテクニシャンだが・・・。途中でホーミーを唸るおっさんまで出てくる。いや〜〜〜訳分からんでめちゃオモロイわ。

21日(金)---------------------------------------------

めまい、進展なし。ハラが立って来たので、レッスン後ジムに行く。何やっても治らぬのなら、何やってもエエんぢゃい!とばかりに、ハードなウェイトトレーニングとバイク、サウナ&冷水シャワー。どーや?めまい!ワシを倒してみやがれ!。

夕方、カシラこと小林一彦から連絡。「バッヘルベルのカノンをベースで弾けぬか?」と云ふ。さういや遊びでそれらしい事をやった事はあるが、あの曲ってマトモに聴いた事がないな、と思い、MACで検索。MIDIファイルがあったのでダウンロードして、コピーする。ホホー、なるほどカノンだ。美しい。かういふのを名曲と云ふのだ。有名なあのメロディが出て来るところまでコピー。ディレイ使えば全部でも演れるなぁ。ソロのレパートリィにしやうかな。


四週目

5月22日(土)-----------------------------------------

朝、どこかから心地よいミニマルな音楽が聴こえて来て目を覚ます。なんの音楽だろ?これ。ほとんど変化せぬメロディが、淡々と続いてゐる。壁や床に耳をくっつけてみたところ、だうやらお隣さんから聴こえてくるやうだ。挨拶ぐらいしか付き合いのない御家族。

めまいは小康状態。劇的に良くもなってはおらぬが、気になって仕方がない、と云ふほどではなくなってゐる。先週の日記を読んだ色んな人から『だいじょうぶか?』とか『めまいにはコレが効く』みたいなメールをいただく。有り難いことである。

23日(日)--------------------------------------------

久しぶりに教会の日曜礼拝に出席する。前来たのはいつだ?ホンマに不真面目な信者である。牧師先生が「なんならここ(教会)使ってライヴやってもらってもいいよ」と云うて下さる。ここなら完全なアンプラグドでもいけるなぁ。オルカでやってみやうかなぁ。

24日(月)--------------------------------------------

アクターズスクール企画会議。2時間に及ぶ白熱した会議だったが、ワシはめまい、耳鳴りがとれず、企画書をめくって考えるふりだけしてゐた。終始「へー」とか「ほほー」とか「ふーん」とかしか云わなんだ。

夜はFar east lounge のライヴ。例によって会場入りの時間もナンも云うて来ぬカシラ。「ちょいと遅めに」と6:00に会場入りしたが、まだ誰も来ておらぬ。仕方なく、そのままステージを借りてソロの練習。そのうちカシラ到着。ツンちゃんはライヴ開始10分前に到着。ビールをちびちびやりながらリラックスしてライヴスタート。

1stステージは何故か集中できぬ。音のカンが掴めず、耳と指がシンクロせぬ。やはりめまいが影響してゐるのだらうか?。ソロコーナーで『Bajo arabiate』を演るが不調なり。

2ndはまぁまぁ。こちらでもソロ。演目は『月の道』。カシラからのリクエストのカノンは、少々ミスった。リハをせぬバンドなのだから、コンセントレーションは個人で高めておくしかないのだ。と云ふ事で、けふのワシは60点。

ラヂヲ番組でのカシラの相棒、イコマユカ嬢が友達を連れて見に来てくれてゐた。本人に云うとアレだから黙ってゐるのだが、このヒト、ワシの初恋(9歳!)の娘だったHちゃんにそっくりなのである。

深夜営業のカレー屋で、独り「ぱりぱりチキンカレー」喰ってタクシーで帰るが、なんか知らんくたくたに疲れてゐる。風呂に入る気も起きず、しかしまぁなんとかシャワーだけは浴び、殴られたやうに爆睡。やはりまだ本調子ではないやうである。

25日(火)--------------------------------------------

ゆんべの疲労度から行くと、けふの午前の授業は大丈夫かいな、と思いきや、さうでもなかった。

昨日カシラから借りたアサイラム・ストリート・スパンカーズのDVDを見る。知ってるヒトは知ってるだらうが、このバンド、PAを一切使わぬライヴで世界中を回ってゐる。ヴァイオリン、ドブロギター、ウッドベース、バンジョーなどなど、楽器はいかにもカントリー、ブルーグラス系のものだが、音楽性は幅広く、なんとこの編成でヒップホップのやうなモノまで演ってゐる。メンバー全員ピンで行けるほどの芸達者揃い。これは今のオルカのメンバーに是非見てほしい。と云ふ事で、また貸しは良くないので、自分のを注文した。

しかし、このバンドが広島クアトロにも来たと云ふのだから、つくづく惜しいものを見逃したものだ。

26日(水)----------------------------------------------

けふは特に何もない一日だった。レッスンはやった。野外練習もしたし、プールで1キロ泳いだりもした。でもなんもなかった。

ワシは中二からづっと日記をつけてゐるが、このヱブサイトをやりはじめてから、日記と云ふものに「劇的なもの」を加味しやうとする傾向が生まれてゐる。とは云え、フツーに生活してゐれば、別段なんの出来事も感慨もない一日と云ふものもあらぁな。

27日(木)-----------------------------------------------

両手の親指が、ここ数週間で断続的に痙攣を起こす傾向。親指を動かすと付け根がかなり痛む。特に左手は痙攣がひどく、ぢっとしてゐてもひくひく動いてしまふ。連日のライヴ、野外での練習がノリ過ぎて、の結果だらう。しかし、痛いからと云ってやめてゐたのでは、ワシらこの商売、お天道様に顔向けができぬ。腱鞘炎も難聴も、音楽家の宿痾である。

オルカリハ。あまり書きたくないが、久しぶりにメンバーを怒った。ワシらがやらうとしてゐるのは「発表会」や「余興」ではないのだ。

28日(金)---------------------------------------------

朝、たっぷり時間をかけてヨガをやり、指を中心に関節をほぐす。それでも痛み、痙攣、ともに引かず。

2コマの授業の後、大急ぎでラーメンを食らい、Bobby'sのリハに行く。今ワシが関わってゐるユニットで、一番ジャズィなのがこれ。「ドゥワップのヴォーカルグループと、ジャズのピアノトリオが合体したやうな」バンドを作りたい、と云ふのがボビーさんの野望。このユニットやるとオルカで歌うより声が枯れる。ヒー。

Angusのマルコム竜巳からビデヲが届いた。なんと1991年にワシと竜っつぁんがやってゐたScared straight と云ふバンドのたった一回だけのライヴの映像だ。これは、当時ワシが在籍してゐたポップスのバンドが、メンバー間の恋愛沙汰で崩壊してしまひ、参加が決定してゐたイベントの為に、ワシがメンバーを掻き集めて急遽結成したバンドだった。最近のワシしか知らぬ人からは想像もできぬほどロッケンロールやブルースしてる。竜っつぁんは、このバンドでのプレイが、今持って自分の過去のベストプレイだと云ってくれてゐる。

思えばこれで初めて「自分がリーダーになる」ことを経験したのである。1991年10月12日。あと5日で26歳になる日のことだった。

29日(土)-----------------------------------------

日本人ジャーナリスト襲撃事件。H氏周りの人間関係を知らぬでもないので、遺された人達が大丈夫かが心配。

けふは京都の吟遊詩人豊田勇造さんの1年ぶりの広島ライヴ。カシラこと小林一彦が古い付き合い、といふコネで、何年かに渡ってづっと前座&サポートをさせてもらってゐる。前座は『春駒&シュウ』で6曲演奏。ワシのソロ曲「月の道」に初めてカシラにハープで参加してもらった。馴染みのお客さんが少なく、盛り上がらぬ。この二人の男はナンだ?といふ空気が会場に漂ふ。

で、勇造さん。去年のライヴでは殆どすべての演目でベースを弾き、それは光栄だし嬉しいのだが、勇造さんの唄を聴けぬといふもどかしさもあり、それは結構なジレンマでもあった。今年は新曲が多い、と云ふ事もあってラストの3曲だけ参加。久しぶりにぢっくりと勇造ワールドを聴く事が出来た。

しかし、けふの勇造さん、気のせいか、なにか集中できてないやうなかんぢ。歌詞が何度かすっぽ抜けたし、唄いながら別の事考えてるやうな気がする場面も何度かあった。カシラは曲を誉められて嬉しさう。ワシはソロで勇造さんの名曲『花の都ペシャワール』を唄わせてもらってゐる事を告げ、改めて了承を得た。『シュウちゃん、キーは何で演ってんの?』『Emっす』『はー、じゃあ結構高いねぇ』。勇造さんはBm。

30日(日)-------------------------------------------

昨日、ライヴで出来なかったアクターズスクールのレッスンの振り替え。講師の都合でスケヂュール変更となり、生徒には迷惑かける。すまんな、お前ら。1時間半に渡り、ラップの練習。

31日(月)--------------------------------------------

梅雨入りしたやうで、ゆんべからじめじめむしむしとヤな気候。雨も激しい。8:00に起き、ヨガ&ベースの練習といふか指ならし。それからジムに行き、1時間泳ぐ。本屋に寄り、話題の『シルミド』を買う。ケンタッキーでメシを喰い、そのまま専門学校の授業へ。ひとコマ授業した後、レンタルビデヲ屋に寄り、会員証の更新。ついでに2本借りる。久々。見る時間あんのかいな?。車にガソリンも入れる。夜はオルカのリハ。MIのソロ曲を中心に演る。

ジムに行ってる間の駐車料金、昼飯代、レッスン中の水分補給用『お〜いお茶』代、『シルミド』代、ビデヲレンタルおよび更新料、ガソリン代、リハの間の駐車料金、けふ一日で¥7,000以上の出費。やれやれ。


翌月