|
4日(月)-----------------------------------------------------------------
帰る。
今回はしーなさんと別に旅立ち、帰りも別々。彼女はタカラヅカにデヴーした教え子の勇姿を見届けに宝塚へ。ワシは18切符で広島へ。大阪〜広島間の在来線はもぅ使い慣れた経路なれど、やはり一人旅と云ふは趣が違うな。途中下車して鄙びた駅を眺めたりしながら、約6時間の旅。
広島は雨が降っており、桜 散らす雨、といふやつか・・。帰って来たのだ。
5日(火)-----------------------------------------------------------------
早速通常営業。たぁ云っても、レッスンが少しのみ。だが、WADAバンドの新曲の譜面が出来上がって送られて来ており、エラい難しいナンバーばかりで、焦る。それでなくとも、旅の間はホンの数回しかギターを手にしてない。くそヘタになってゐる。ヤバい。来週のリハまでにしっかりリハビリせねねば。
旅の間づっと、奥泉光の『虫樹音楽集(ちゅうじゅおんがくしゅう)』といふのを読んでゐた。所謂「音楽小説」の分野だが、これまでに読んだそのジャンルの中では、ダントツに面白かった。「読む手が止まらぬ」といふより、「読み終わるのが惜しい」かんぢの・・・。事実、何度も最初に戻って読み直したり、同じ章を繰り返して読んだりした。
カフカの「変身」をテーマに置きながら、昆虫=ヒトならざる力との交信に魅せられた音楽家たちの、それぞれの人生。さう書くとなんか今沢カゲロウのパフォーマンスのやうだが、ここで描かれる世界はもっとグロテスクであり、暗くて哀しい。
6日(水)-----------------------------------------------------------------
向原までレッスンに。この季節になると、遠い山並の高い山稜にも、ポツリポツリと桜の咲いてゐるが見ゆ。特に桜を愛でるのはニンゲンの勝手に過ぎぬ事ではあるが、あんな人も通わぬ山深いところにも、桜は咲いてゐる、と思ふと、何か感慨深い。
南国出身の生徒が、今週末から北海道に行く、と云ふ。ナンも考へてないやうなので、まだ本土とは比べ物にならん寒さだぞ、と伝えておく。奇しくも2年前のけふは、ぱんぱかトリオで釧路にゐた日。まだ「蛾」くらいの大きさの雪がばんばん降り、夜はとてもぢゃないが外は歩けなんだ。Tシャーツで行こうと思ってゐた、などと抜かすので北海道をナメるな、と。
夜半から、何やらフシブシが痛み始め、心なしか「ぞんぞ」が立ってゐるやうな・・・。イカンイカン。漢方を服み、早めに寝る。
7日(木)-----------------------------------------------------------------
寝る前より楽にはなってゐたが、今週末も遠征だし、念のため医者に行って薬を処方してもらっておく。夕方のレッスンまでなにもないので、覚悟決めて布団に入ると、ホンマに夕方まで寝込んでしまった。旅の疲れは溜まってゐるやうだ。
久しぶりに漫画本。「セケンノハテマデ」といふバンドもの。バンドもの、つっても、そのテにありがちなサクセスも挫折も、登場人物達の成長もなく、本の売りにもなってゐるやうに、『物語のない』バンドストーリィ。オモロくない事もないのだが、画力が低い、といふか人物の描き分けキャパが少ないやうで、これは誰だっけ?といふやうな個所がいくつもある。
ただワシも好きな漫画家 三好銀 の画風にもその傾向はあるので、そは一概にこの漫画のウィークポイントとは云へない。話しの内容に、相当マニアックな音楽ネタが入ってゐて、これが作者の趣味ならばなかなかだとは思ふ。だが、それが単に取材の上でのネタならば、この作品も底が知れてゐるし、すぐバレるだらう。
8日(金)-----------------------------------------------------------------
風邪をひいてる時の特徴----やたらリアルで鮮明な夢を何個も見た。
体調は快復傾向。咽の痛みが気にはなるが、まぁいちをう練習はしておく。明日は四国は高松で唄わねばならんでの。
夜は、いつもワシらを応援して下さってゐるHさん御夫妻にお招き頂いての食事会へ。もぅこの後の人生ぜんぶ納豆と味噌汁だけでも良い、て云ふくらいの美食を御馳走になった。かういふ御好意に応えられるやうな音楽を、今後も奏で続けて行かねばならぬ、と強く思ふ。
9日(土)狐狸の夢売りツアー:高松ラフハウス-----------------------------------------------------------------
奈良のノレンニゥー・デ・オッシに導かれて訪れる高松。ノレンのヤっさんこと喜多 寧から、とても良い店だと聞いてゐたラフハウス。高松には以前一度来て演ってゐるが、本格的なライヴカフェでのパフォームはこれが初めてとなる。どんな旅になるか・・・。
今回は広島〜高松行バスで瀬戸大橋を越える。自分の運転する車でしか来た事ない(ハズ)ので、割と初めてあのデカい橋やら橋脚やらをぢっくり見て、唸る。巨大な建造物、といふはその善悪を越えて、人に訴えかけるナニカを持ってゐる、と思ふ。たしかこれ出来てすぐに社員旅行かなんかで渡ったんよなぁ。あんまり憶えてないけどね。
さて、高松市内に入り、店を探すとすぐに見つかる。その上の印度料理屋で腹ごしらへし、ノレンと合流。リハを進めたりしながら。こないだ大阪で一緒に演ったばかりだし、コラボももぅ何回もこなしてるし、で、演るのは楽しいばかり。あとはお客さん、ですな。
何度かここに来てゐるノレンの、高松でのファンを中心に、ワシらの応援団も他所から駆け付け、まぁそこそこのお客さんは集まり、良いかんぢでライヴ。ウチも初めての場所にて、王道路線で勝負。この店では初めてのタイプの音楽らしく、戸惑いつつも、まぁそこそこ楽しんでくれたお客さんに感謝。
けふのヤっさんは、珍しく酒を呑みながら演ったやうで、しきりに『けふは気持ちいいスわ』と云ふ。ワシは逆にけふの本番前にちょいと呑んだビールが、ヤケに咽に絡まり、あまり良くなかった。いつもそんな事ないんだけどね。まぁ「病み上がり」っつーか、まだ風邪が完治しておらぬからねェ。
打ち上げやってメシ喰って、と終わった後は、なんか割とクタクタにくたびれており、ホテルに帰って温泉(『売り』らしひのだが、せま〜〜〜い風呂場だった)に入るともぅアカン。寝た意識もなく、昏倒。
10日(日)狐狸の夢売りツアー:広島 音cafe luck-----------------------------------------------------------------
旅先のホテルではたいへん珍しい事に、10時過ぎまでぐっつり眠りこけてゐた。その後も、ヤっさんの車に乗せてもらひ、広島まで向かう車の中でもZzz・・・・。なんだ?この眠さは。
まぁそれでも途中で讃岐うどん喰ったりしながら、ノレンニゥ号で広島へ。けふの会場 音cafe luckは我々も初めての場所。オーナー及びマスター&ママとは古い奇縁があり、多分25年ぶりくらいに音を聴いてもらふ事になるのかね?。広島から賛助出演してくれるESTACIONの二人も来て、さーテンション上がって来たよ。
けふのライヴは、ワシらが他所のミュージシャンと広島の同胞をつなげる企画『Pops in opposition』のVol 3として執り行った。トップはワシらしーシュが務める、といふこのイベントのポリシーに基づき、満員になった処を見て、ライヴスタート。30分で6曲。結構勝負どころをバンバンっと聴かせ、割と渾身の演奏。弐番手を務めてくれたESTACIONはさぞや演り難かったらうが、これがこのイベントの主旨やので堪忍な。ノレンのとる子に『よぅあんな後の弐番手で演らはってやわ』と云はしめたほど、しーシュ熱演しました。
ESTACIONは韓国琴カヤグムと唄の二人組。編成は奇抜だが、上質のポップスを聴かせる注目株。まだ若く、それほど場数も踏んでおらず、気の毒なくらい緊張してゐたが(笑)、フレッシュな演奏で見事弐番手を務めてくれた。最近の若者らしく物おじせずワシらと接する所には、好感と期待を抱かせる。頑張ってほしい。
三番手のノレン。けふのノレンは特に良かったな。なんつーか、ヤっさんの「唄力」がものすごい発動してゐた、といふかんぢ。既にワシらは聴き馴れてゐるナンバーも、ぐっと世界観を増し、引き寄せられるやうなパフォーマンスだった。すごい。
ラストは当然コラボ。ESTACIONもナニカで参加できれば良かったのだが、あいにく即興のセッションは未経験らしく、見学に回ってもらひ、しーシュ・デ・オッシの4人で。これももぅ完成されたコラボで、日々深化してゐくアンサンブルに、自分らがづぶづぶとハマって行くかんぢ。いや〜楽しかった。
終わってみれば、Pops in opposition vol 3も大成功。今の処3回ともたいへん良いライヴとなってゐる。願わくは、これが「横の線」で繋がって行けば、あまり広島の音楽界に貢献してない、と云はれてゐるしーシュも、なんかのチカラにはなってゐるのだらう、と思へるのだが・・・。
ノレン〜のふたりにありがとう。また近々一緒に、同じやうな旅が出来れば、と強く願う。
11日(月)-----------------------------------------------------------------
久しぶりのWADAバンドの朝リハ。
スタヂヲまでの道の途中(チャリ)で、サックスのアッコ(同じくチャリ)とばったり会い、一緒に走る。朝の光の中を、楽器背負ってチャリ漕ぐ男女!。まるで軽音部の青春カップルのやうな!(笑)。
選定された新曲のギターが、なんかえらい難しくて、旅に出る前は割とマメに練習してゐた。まぁその甲斐あって、少なくとも練習で恥かく、やうな事にはならなんだ。ベースのジュンゾーさんが『シュウちゃん、ギターが日に日に上手になりよるけど、ベース練習してる?』と(笑)。
まぁこのバンドのメンバーは、皆広島では売れっ子の職人演奏家たちで、昨日の現場ではジュンゾーさんとそのえサン(key)が一緒だった、とか先週はサトシ(Dr)とアッコが同じレコーディングだった、と云ふ事がしょっちゅうある。その中でワシだけが「専門外」の事を演ってゐる。一流の職人集団の中の二流シンガーソングライター、といふ変なニッチが、まぁたいへんワシらしぃと思ふ。まぁ望むと望まざるとに関わらず、ワシにはもぅこのニッチで演って行くしかないのだらうな、とけふは特に強くさう思った。
スラップハッピィがヘンリー・カウに吸収されていった時の、ピーター・ブレグヴァド、がこんなかんぢだったのだらうか?(知らんて)。
12日(火)-----------------------------------------------------------------
久しぶりにCDを弐枚購入。ひとつはペンギンカフェ・オーケストラのライヴ盤「黄昏のローマ」。1987年のライヴなのださうな。現在はメンバーを変え(主宰のサイモン・ジェフスは故人)、同じ系統の音楽を受け継いで、ペンギンカフェといふ名で活動してゐる。これのメンバー選出オーディションを受けた、といふ友人がゐて、へ〜、と思ったことがある。ワシはこのバンドに「加入」する事より、むしろかういふ音楽を「創作」したい、と思ってしまふなぁ、やはり。
もぅ一枚は「もぅひとつの世界から」といふオムニバス・アルバム。世界中の民族音楽家たちが、ボブ・ディランのカヴァーを演ってゐる、といふもの。だが、なんとワシはディランの音楽をほとんど知らん、と云ふ、ね。十数曲入ってる中で、ワシが知ってるのは「風に吹かれて」と「I want you」のみ。ぢゃあなんでこんなの買ったのか?と云ふと、まぁ、ね。
多分、原曲を知っててもほとんど区別が付かんほど、自由自在な民族アレンジが施されてゐるやうだ。上記、ワシが知ってる弐曲も、流して聴いてたら気付かんだらう。「I want you」に至っては、知って聴いても分からん。オモロいアルバムである。
13日(水)-----------------------------------------------------------------
これから先、ソロの弾き語り、といふモノに、どれくらい「特殊性」を加味して行くか、をつらつら考へる。
しーシュにおいては、メイン作曲家でありオーガナイザーであると同時に、ベースを無尽に弾きこなし唄うシンガー、と云ふニッチで良い。ぱんぱかトリオや(活動してないが)Far east loungeでは、まぁサウンドの要を成すベース弾き。よなかのとうふではギター弾いて唄うフロントマン。
したら、さァたった独りで立つ「ソリスト」として、こッから先どぅよ?、と思ふのだ。
まぁ最近割と色んな場所で、『あれ(ワシが弾いてる楽器)何なんですか?』と訊かれるやうになり、さういふのはさういふので悪くない、とは思ふのだけど・・。あんまり「変わった事ばっかりやってるオッサン」と思はれたくもないのも事実なんよねぇ。
夜はぱんぱかトリオのリハ、と、旅のしゃべラジの収録。トリオの演奏は、もはや「目を見合わせ」たりする必要もないくらい、熟れて来た。いいかんぢである。アクースティック・ベースを立てて弾いたりした。う〜む、このバンドが定型化、定例化するなら、それこそ安っすいウッドベースの壱本でも持ってて良いやうな気もするけどな。
14日(木)-----------------------------------------------------------------
最近、バンドを始めた高校生の息子がヴォイトレを習いたい、と云ってるのだが・・、といふ相談を、親御さんから受ける事が増えた。仕事としてそのやうなオファーが来る事はたいへんありがたいが、最近ワシはその場合、メールアドレスを教え、『本人にメールで連絡させてほしい』とお願いする事にしてゐる。
そのやうな「依頼」を、ちゃんと文章に出来るやうな子でなければ、習う事に意味がない、と思ふからだ。目上の人への文体、キチンとした言葉、正しい文章。昨今、オトナでもそれが書けない人が増え、少々辟易してゐる。モノを習う、といふは、その内容がなんであれ「学習」である。そこが「学習」出来てない子が、なにを学べる、と云ふのか・・。
美文を送れといふのではない。辿々しいながらもキチンと文章で、習いたい旨 書き送ってくれるなら、ちゃんと面倒みやうではないか。しかし、だぃたぃにおいて、さういふアプローチをすると、メールして来ぬ奴がほとんどだ。まぁ、それくらいの覚悟しかない、と云ふ事なのよ。
夜は 椎名まさ子&執事フライデー。紳士の集団が来てゐて、ぢっくりと聴いて下さった。
帰り道、ちょいと「トコナツ屋」に寄り、5月にやらせて頂くウチ企画のライヴの打ち合せを少々。その折、熊本でかなりデカい地震が起きた事を知らせるニュゥス。
15日(金)-----------------------------------------------------------------
熊本地震、結構デカいな。震度7て・・・。
けふは居酒屋椎修・卯月の巻。*(最近、旅先や初めて訪れる場所で、「お店やってらっしゃるんですよね?」と云はれる事が増えました。まぁやってない、といふ事もないんですが、しーシュが「店を持って」ゐる訳ではなく、といふね・・・)。
なん回めの4月かねぇ。ライヴのテーマとしては「別れ」といふのを人知れず掲げてゐた。それとは別に、今回はなんか「さういふ気分」になり、ライヴの8割をカヴァー曲で構成。得意の昭和歌謡からスタンダード、演歌やJ-Popまで網羅してお贈りしませう。
が!
なんとけふは、開店後 壱時間半・・・20時半過ぎまでお客さんが独りのみ!。流石に『ぬぉ!』と思ひ、居酒屋椎修5年目にして、つひにこの時が来たか!と。
しかしライヴの15分前くらいにダダダっとお客さんが来訪。ほぼ満席となり、ホっとしながらも、短時間での給仕に追われる。ギリの注文に対しては、ライヴの後まで待って頂き、ライヴをスタート。けふはリハの時になにやら全然集中できず、自分でも狼狽えてゐたが、本番はまぁなんとか・・・。選曲も好評でウチらも楽しんだ。居酒屋に関してはかういふ演り方でも良いのかねぇ、といふ話しにさえなる。
少しのオリジナルと、たっぷりのカヴァー。しーシュのオリジナルがたっぷり聴きたくば、「ライヴ」の方にお越しあれ、と云ふ・・・。
けふも良い居酒屋だった。「閉店」して賄いを喰ったりしてゐると、ケータイに「地震速報」。ほどなく強く鈍い揺れが始まり、しばらくゆさゆさとビルが動く。昨日のよりさらにデカかったやうで、熊本を中心とした九州の被害に思ひを馳せる。広島でも、その後 深夜だといふのに、カラスがいつまでも騒いでゐたりして、無気味だった。
16日(土)-----------------------------------------------------------------
旅の疲れが今頃出てゐるのか、壱日の大半を眠く過ごしてゐる。マジで「幾らでも寝れる」かんぢなのだ。まぁ季節的にもさういふ時期なのかもしれんが、とにかく眠く、何をする気にもなれん。「よし けふは曲を作るぞ」と思ってゐたが、結局朝飯の後に昼寝。そのまま夕方になり、レッスンの時間に。
土曜日のレッスンは珍しい。講師業をやり始めてはや25年。これまで、土曜日にレッスンを入れることはできるだけ避けて来た。が、専門学校職を失い、ラヂヲ番組も終わり、巨大振興会との縁を切った今後は、そのやうな事は云ふておれぬ。土曜日だらうが、日曜日だらうが、生徒が受けたい、と云った日にはレッスンを入れて行くやうにせねば仕事にならん。ジ・エンド・オブ・イノセンス、♪無邪気でゐられる時は もぅ終わったのさ〜♪。
夜は、ウチの近所の鉄板焼屋が開店壱年を迎えたさうなので、まぁ食べに行く。この界隈では一番「企業努力」を惜しまない店で、応援したいと思ってゐる。まーこの寂れた駅前商店街が、もっとも華やかだった頃に、此処に住んでみたかったな、と思ふ。
17日(日)-----------------------------------------------------------------
高田エージ兄貴、来たる!。毎年恒例エージさんの春旅inお好み焼きの大松。
いつも割とキチキチにスケヂュールを詰めてゐるエージさんだが、今回のツアーはオフも多く、ぢつは4〜5日前から西日本入りをしてゐたさうな。温泉に行ったりして、ゆっくり休めたよ、とのことで、けふはツアーに出て60日目くらい。ちょっとホームシックにかかって来た頃、と笑うエージさん。いつものやうにしーシュと、パーカッションのてっちゃんで、サポートも担当す。
けふはウチらしーシュの対バンとしてのステージにも、大きな拍手と賞賛が向けられ、よぅやくここ大松での評価も上がって来たかな、と云ふかんぢ。嬉しいね。てっちゃんも交え、けっこうアツいステージをこなし、エージさんに後を託す。
エージさん、今回は「しーなさんに捧げた新曲」と云ふのを持って来ており、これが割と高田エージ新境地!みたいな名曲で、それの初披露のステージとなる。まぁ例によってエージさんは、(半分演出ながら)しーなさんとアツアツで、ワシとてっちゃんはカヤの外(笑)。『邪魔者ブラザース』といふ名前まで付けて、エージ&しーな+邪魔者ブラザース、といふ布陣に、満員の場内大ウケ。ミニスカートで美脚をアッピールしたしーなさんには、『色気の暴力』といふ称号が与えられてゐた。楽しい会場だ。
高田エージ&しーなとシュウ+てっちゃん、のクァルテットはもぅ完璧で、他の地でエージさんのバックを務める人達が、どんなかんぢなのか分からんが、広島でのこの4人はスゴいのではないか?と。グルーヴが「目に見える」やうに合致する瞬間が何度もあり、そは素晴らしい経験。けふも素晴らしいライヴだった。
肉体的にも精神的にも、ちょっと下がってゐたワシだったが、だいぶ元気になった。また、音楽に救われた。そんな夜だった。
エージさん、今回もありがとうざいました。引き続き良い旅を。
18日(月)-----------------------------------------------------------------
けふはlive cafe LIVEの「AKIBI」といふイベントにソロで出演。
若者の出演者たち7組に混じって、頑張るおっさん。このイベント、バァ「am」の川野ノッチが主催する企画で、ジャンルも活動形態もアマもプロも飛び越えて交流できるやうに、といふ主旨に基づくもの。日頃、見てもらふ機会のナイ世代に、ソロを披露できる貴重な場ではある。前回はこれのサブ企画とも云ふべき「OKAWARI」といふイベントに独弾で出たので、けふは「吟」で演らうかな、と思ってたのだが、なんか企画のコメント欄に『ベース壱本とは思へない世界を聴け』みたいな紹介文があり、まぁさういふ事なら、と(笑)。
出番がトリだったので、けっこう待ってる間テンションの維持が難しいのだが、皆わりと持ち時間を遵守し、スムースにワシの出番が来たので良かった。けふは15分。あえて「勝負ナンバー」を排し、はだしの唄うたい/夜明けの海ごっこ/丘にのぼる時、といふイレギュラーな3曲で構成。全体的にちょいと「唄の技巧」に走り過ぎたかな、といふ気がせぬでもないが、良いライヴが出来、場内大喝采。アンコールも戴けて嬉しや。
これが月曜日だと云ふのに、狭くないJIVEがホンマに満員でねぇ。ノンチャーヂの投げ銭式、とは云へ、この認知度はすごいな、と。宇部市のBIGHIPで、よぅねん達がやってゐる「華麗衆ナイト」もやはり集客率はスゴい。いづれもイベントとして定着してゐる。まぁワシらの「居酒屋椎修」もさうか・・・。まぁ色んな人達へのアッピールにはなったやうで、けふ参加した意義は大きい。
「プロが投げ銭で演る是非」を問うのは無意味な論争だ。ワシは大見得を切って、その論議に『不毛な』と答える。高いチャーヂを設定して、集客できんでは本末転倒。ライヴを演って実入りが無いでなにがプロか。ワシらは、お客さんから『幾ら取るか』はさしたる問題でなく、そこから『幾ら頂けるか』が肝心なのだ。ああ、投げ銭で演るとも!。カモン!チップ。
19日(火)-----------------------------------------------------------------
出張レッスンで向原へ。季節が色めき、壱時間の道行きが目に楽しいかんぢになって来た。けふはとくに山並が晴れ渡り、嗚呼清々しや!といふかんぢ。けふは特に仕事がこれだけだったので、ホンマに麗らかな気分で往復したのであった。
夜はこの3月に終了したワシらのラヂヲ「Garage songs」の終了慰労会。スタッフ全員が集まり、ブラッスリィ・ヴァンダンジュの美味なるワインとイタリアンを堪能す。
我々は、FM社員、制作(技術、企画)、出演者、の全8人からなるチームで仕事をしてゐた。普通、番組スタッフが揃ってこのやうな会を持つことなど無いさうで、それだけでも、このチームが、皆ぢつに良いバランスで仕事できてゐたかが、分かる。皆がそれぞれ自分の役割に誇りと楽しみを持って仕事に向かってゐた。自分が思ひの他「噛んで」しまふ喋り手であることにも気づけた(笑)。3年間、ホンマに楽しい現場だった。斯様な番組に、自分が関われた幸運を感謝しつつ、いづれまたラヂヲで番組を持てる日が来ることを、強く願ってゐる。
お疲れ様でした。ありがとうGarage songs!。
20日(水)-----------------------------------------------------------------
こないだ高田エージさんと打ち上げで、『若い頃にどんな音楽を演ってゐたか』といふ話題になった。
高田エージの若い頃、と云へばもぅなんつっても「スーパーバッド」で、20歳そこそこのワシが、このバンドのベース(鹿島達也さん)を聴いてスラップを辞め、2指奏法を極めるきっかけ→今のスタイルに繋がる重要なポイント、を作った・・・ことは以前にも書いた。バッドは現在、限定スタイルで再活動中で、相変わらずグルーヴィなそのライヴは健在らしひ。
ワシは、まぁ20代中盤から30代初頭までを、所謂「変態系」音楽の追求に費やしておった。今考へても「よぅこんなの作って演ってたな」といふ曲ばかりで、ひとえにそれはその時代に『それを表現、演奏可能』なメンバーに恵まれたから、であって、その時に培った技術や作曲法は、やはり今のしーシュを構成する重要な要素となってゐる。
まー思ひ出すねぇ。結成当初のメンバーのイニシァルから「S.Y.U.K.」と名付けられたそのバンドは、最初期こそハードなフュージョンをカヴァーする寄せ集めバンド、に過ぎなかったが、オリジナルを演るやうになってから音楽性が激変。アンサンブル技術への挑戦、と云はむばかりの複雑な構成の楽曲ばかりになり、こと変拍子に関して云へば、「演ってないビートはない」くらいのアイディアを集約させてゐた。
ソロなど個々のテクニックを見せつける、と云った音楽でもないので、所謂「速弾きマニア」にもアピールせず、またオリジナルなので、「プログレファン」からも敬遠された。週2で4時間づつのリハを入れ、月イチでライヴを演った。お客さんは10人に満たない事が多かったが、その活動を3年間、続けた。
そして、疲弊したのだ。
あのバンドに加入した時、とにかく『とてつもないオモロい事が始まった!』といふ意識がワシを支配し、ホンマにテンションが高い日々だった、と思ふ。懐かしい。その話しをエージさんは『へ〜シュウちゃん そんなかったんだ』と聞き、今でもちょっと片鱗あるよ、と。
21日(木)-----------------------------------------------------------------
大雨。熊本の被災地にもこの雨が降ってゐる事を思ふ。
大雨の中、ギター抱えてバスに乗り、レッスンへ。してるとリペア串小屋のオクボさんが、リペアを依頼してたベースを届けに来てくれた。このベース、耶麻派のBXといふやつなのだが、所謂「ヘッドレス全盛時代」に作られたモデル。この時代、何処のメーカーもヘッドレスを製作してゐて、正直そのほとんどがブームに乗っただけ、のやうなお粗末な楽器だった。その中でこのBXはなかなか悪くはない作りで、今もタマに中古がオークションに出たりすると、一瞬で落札される位、マニアも多い。
ワシは今を去る事数百年前、東京進出を視野に入れ、これからは移動が多くなる、と思ってゐた頃、偶然中古屋で見つけ、衝動買いした。実際、バスの網棚に突っ込んだり、電車のシートの下に突っ込んだり、と旅回わりにはたいへん楽だった。だが如何せん音がショボくて、当時まだロックの影を引こずってゐたワシには使い続ける事は難しく、かなり長い間オクラ入りをしてゐた。
昨今「カラス」を使い慣れ、もぅ壱本くらいヘッドレスを、と云ふ気がムクムクと起こりつつある。そこでフと、これの存在を思ひだし、使ってみるか、と。オクボさんの手により、見事にリペアされ、格段に使いやすくはなって帰って来た。音は相変わらずショボい・・・、といふか、今聴けばけっこう「下品な」音(ちなみにフレット付き)で、局面に合わせれば、アレでも使えるかもしれん。今後にご期待。
夜は、相方しーなさんが演ってゐるマンスリィ「月刊椎名」に、後半だけだが参戦。恒例の「飛び入り企画」にも参加し、ほっこりと楽しんだ。相変わらずウクレレにチャレンヂしてゐる姿を見ると、よぅし、といふ気になり、ワシも急遽この日曜のソロライヴで、ピヤノ弾く事を決意。
この雨の中でも結構なお客さんの数で、流石やな、と思ふ。ワシのソロが果たして・・・、といふかんぢ。しーシュは気の合ったコンビではあるが、ぢつはライヴァルなのだ。
22日(金)-----------------------------------------------------------------
明日の高宮町への「出張居酒屋椎修」に備え、早くから買い出しや料理の仕込み。
ありがたい事に予約で満員らしく、てェことは30人前以上の食材を準備せねばならず、ひ〜、といふかんぢ。昼いっぱい、それに追われる。音楽家ですのでね。よぅやく一区切り付いて「ちょっと休憩」と茶でも啜ってゐたらレッスンの時間になり、今夜のオリエンタルのソロや、日曜日のラインナップをまったく準備してなかった事に気付く。音楽家ですのでね。
レッスンを進めながらラインナップを調整し、教室で着替えてオリエンタル・ホテルへ。けふはアベック(二人組)の来客が多く、割としっかり聴いてもらへる。すぐ側にちょいとヤク◎ザ風のおっさんが座っており、ややビビるが、この人がちゃんと聴き入って拍手もしてくれるので、良かった。後半、なにやら打ち合せをしに来たらしひ男女のペアが、こっちが唄う音量に合わせて会話のヴォリゥムを上げ、挙げ句に邪魔者を見るやうな目つきでこっちを見よったのには、参った。
打ち合せならこんな高級な店でなく、カラオケ屋にでも行けばよろしい。
23日(土)-----------------------------------------------------------------
居酒屋椎修:出張営業in高宮。
昨日から準備して来た食材と、楽器を積んでイザ出発。隔週で向原までレッスンに通ってゐるので、高宮と云へども、もぅあんまり遠くに行く気はせぬが、まぁ久しぶりのしーシュ車での遠征だ。途中で買い忘れた備品なども買い込み、壱時間ちょいで高宮の「ろぐはうす」に着。
そっからは、まづ楽器をセッティングし、食材を整え、サウンドチェックし、料理を始め、リハして、料理をする、といふ流れ。けふは特に、料理に対するキアイが半端でなく、ワシらはホンマはどっちが仕事や?といふかんぢだった。時が過ぐるにつけ、あいにくの雨模様となったが、続々とお客さん集合。料理も続々出て行き、ナゴやかに宴は進んでゐる様子。
去年の同企画と違って誤算だったのは、早いうちに皆が料理を食べ終わり、「飲みタイム」がえらい早くから訪れてしまった、てのが・・。去年はホンマに本番直前まで次々と料理が出て、かなりアタフタな状態からステージを始めたものだが、けふはワシらもお客さんも「ライヴの始まる時間を待ってる」やうな状態があった。ちょっと間延びしてしまったな〜。
そんな中でライヴが始まり、渾身の演奏で調子良く進んだ・・・やうに思ふが、どーにもお客さんを掴み切れてない、といふ印象。それが証拠に、終演後あんまりCDが売れなんだ。まぁこの辺りの人達は、もぅ既に持ってゐる、と云へばさうなのかもしれんが、けふのパフォーマンスにチカラがあったか?と自問すれば、正直あんまり自信がない。そんなステージだった。
それでも楽しんでは頂けたやうで、なにより企画してくれたスタッフの皆が、心底楽しんで進めてくれてゐるのが、嬉しい。『生存維持とモティベーションが続く限りはやり続けませう』と云ってもらへ、勿論!と答える。料理も結局、スタッフの賄い分を消費したところで売り切れ!と云ふ理想的な量で、良かったのではないかな。だが今回、料理に対するコメントがほぼゼロだった、てのが気にはなる。前回はシュウ麺やしーなカレーには絶賛の声も多かったのだが・・・。
美味しくなかった・・・?。
この地に住む、若いミュージシャン達と語り合ってるうちに、いつの間にか日付けも変わってゐて、スタッフの送迎で宿(保養施設)へ。フロントのおぢさんは「もぅ寝てます」との事で(笑)、寝静まった宿を抜き足差し足で。
24日(日)-----------------------------------------------------------------
泊めてもらった保養施設では、昼頃からなにやら「演芸会」が行なわれるやうで、早くから賑やかな声や、三味線の音などが響き、良いかんぢ。フロントのおぢさんにゆんベ遅かった詫びを告げ、ワシらは辞去。
隣接する温泉でひとッ風呂浴びて帰る事にす。したらそこの食堂で、『野菜料理バイキング』なるものが開かれており、これが地元の野菜や山菜を使った、ホンマの「実家のオカン料理」の数々で、最高だった。コゴミやゼンマイ、たらの芽、ふきのとう、肉ぢゃがや白あえ、煮物や天麩羅、とまさに「山の幸」のオンパレード。これに珈琲が付いて¥800とは!。最高の昼飯だった。
帰りの車中で、もぅすでにたまらん眠気が来てゐて、家に帰り着くなり昼寝。そのまま夕方まで昏睡し、またギター持ってチャリで出かける。けふは久しぶりの「営業」でない、ギター弾き語り『吟』のライヴ。
オリエンタルなどで営業として演ってるのと、けふ演るライヴの何が違うか、と云へば、まぁさういふ処では演んないやうな曲を演る、てのと、声の出し方が違う、て処かな?。オリエンタルでは、声量を八割程度に抑えて唄ってゐるので・・。ただここでも、要らぬ事は極力喋らず、ただひたすらに唄う、といふのは信条とする。
結果、1ステージで12曲づつ。19時から21時半までの2ステージで、計24曲歌い上げた。オリジナルは勿論、安全地帯、さだまさし、チャゲ&飛鳥、寺尾聡や竹内紀、スタンダードや訳詞モノまで。いや〜〜気持ち良く唄ったよ。残念ながら集客は、ソロ企画としては過去最低動員を記録してしまったけど、来てくれたお客さんは、ホンマにぢっくりと聴き入ってくれ、それだけでも「演ってよかったな」と思はせてくれる手応えだった。皆さん、ありがとう。
しかしまー、客が呼べぬ事よ!。
こないだの「月刊椎名」が、大雨のウィークデイにもかかわらずあの集客だった事と比べても、その相方である自分の集客力のNASAをほとほと噛み締める。ワシは「企業努力」を怠ってゐるのだらうか?。どーいふ努力が必要なのか?。こないだのAKIBIやうな企画ものイベントに出演して、話題をかっさらえるくらいの実力を認められる事と、お客さんを集める事との差には、何があるのだらうか?。
25日(月)-----------------------------------------------------------------
休憩の日、とす。
時間を追うごとに、昨日のライヴの集客がこたえて来た。過去にも何度かかういふ事を経験して、それでも演り続けるしかない、と信じて演り続けて来てゐる訳だけど、今回ばかりは、心底参った。「此所ではない何処か」なぞ信じてはおらぬが、もしかしたらワシは、とんでもない勘違いな事をやっておるのかも知れんなぁ。
あまりネガティヴな事は云ひたくもないけど、昔あった素人参加型ゲームのTV番組。順調に勝ち進んで来た参加者が、最終ゲームの最後の最後で、破れないドアにブチ当たって失格する姿。あれがリアルに目に浮かぶのだ。
やれやれ。
26日(火)-----------------------------------------------------------------
サライナ、とか、バッファロー、とか、ネブラスカ、とか、所謂メヂャーでないアメリカの地、に興味が惹かれる。
便利なモンで、最近は寓具留マップとかで、全世界の地理を知る事が出来、しかも「ぺぐまん」とやらを使ふと、その地の風景まで見れたりす。んで、それで見るサライナの風景てのは、映画とかで見かける「アメリカの田舎町」そのもの。アメリカの田舎町、てのぁ山あいに田畠が拡がって家々が点在してて・・といふ日本のそれとは全く趣が異なり、道路の脇を相当な敷地の間隔をおいてオサレな平屋の家がのったりと続き、ひとたび畑なんぞが現れればそは地平線の彼方まで続く小麦畑であったりして、まぁ大陸と云ふもののスケールのデカさを思ひ知る。
かういふ処の人達って、おそらく日本の情勢や民族性なんぞ、全く知らんてぇ人も珍しくないのだらうね。「此所ではない何処か」が、もしかしたらあるかも知れん、と思ふ人がゐても責められぬだらう。現代の日本でそげなコトを本気で思ふヤツは、ただの阿呆だが。
27日(水)-----------------------------------------------------------------
ぱんぱかトリオのリハ。週末の「ぱんぱかフェスティバル」に備えての。
音量の問題から(会場のヴァンダンジュは通常のリストランテ)、今回は『半なま』で演る事に。すなはちアコギとアコベをちーさいアンプで鳴らし、鍵盤はアコルディヲン、唄は生で、といふ形で。カワちゃんはワシに「縦べぇ」で演って欲しさうなんだが、敢えてアコベで演らうと思ふ。
してリハだが、もぅトリオもだいぶ熟れており、カワちゃん+しーシュ、といふより、「ぱんぱかトリオ」といふ個体になってきたな、と感じる。バックを演ってゐる感覚はなくなり、ワシは既に譜面なしで弾ける曲も増えてゐる。けふも良いかんぢのリハ。
今回、縦ベぇでなくアコベにした事で、カワちゃんとワシが割と同じやうなイメェヂを抱いてゐた事が分かり、それもまたバンドぽいな、と。本番が楽しみだ。
28日(木)-----------------------------------------------------------------
「カラス」はハコ型のヘッドレスベースにて、通常のギタースタンドが使えない。そのかわり、「立てかけれる場所があれば何処でも安定して立つ」といふメリットもあり、だいたいはステージ上でも部屋でも、壁に立て掛けてゐる。んが、これがボデーのシリの角張った部分で立つ訳で、例えばコンクリの床などに置く時には「ゴッ」といふ音がしてゐた。
昨日フとそのケツの部分を見てみると、やはり塗装がハゲ、ちょっと痛々しい事になってゐる。これはいかん、と思案し、投球反頭にて家具などのクッション材を買って来て、塗装のハゲてゐる部位に貼っつけた。したらもぅバッチリの効果で、早いうちからかうすれば良かったな、と。余ったクッション材は、ボデーに貼っつければ、フィンガーレスト(指置き)にも代用できて一石二鳥ーぅ。
29日(金)-----------------------------------------------------------------
さぁぱんぱかフェスティバルだ、とアコベで指慣らしをしてゐた処、ナット(ネックの上の弦が乗っかる溝の部分)が「ぺき」と折れた。
!!!!!!!
けふ、これから使おうと思ってゐた楽器が、あっさり壊れたのであります。あ〜ぁ。
まぁかう云ってはナンだが、だいぶチープなベースで、安物の楽器はかういふ処から壊れて行くもんだ。ワシが12歳んとき初めて買ってもらった¥18000のベースも、同じやうな壊れ方をした。あれ以来、『プラッチックのナットは信用ならん』と思ってゐたではないか・・。
まぁ代わりのアコベを持ってないのだから仕方ない。当初のコンセプトからは外れるが、カワちゃんにはう"ぃを子(ヴァイオリンベース)で演る事で納得してもらひ、新たに準備。やれやれやれ。
当初の予定とは変わっちまったが、バイオリンベースを持って会場入り。 「半なま」トリオの音場を作る為に、3人で色々場所変えたりして、あれやこれや。
してお客さんが揃い、ライヴが始まってみると、これがたいへん良い効果となった。
イザさういふもの、と捉えたら、マイクの制約から解き放たれるぶん、自由にあちこち動けるメリットがあり、それぞれ思ひ思ひの場所に移動しては歌う、といふ、かつてないショウが出来た。
なま声で最後まで唄えるか、を懸念してゐたカワちゃんだったが、なんのなんのそげな事は杞憂に過ぎなんだ。
ぢつにぱんぱかトリオらしい、たいへん良いライヴだった。