7月


1〜2週目


7月1日(金)--------------------------------------------

専門学校→水泳。50メートルプールでは初めて1キロをノンストップで泳ぐ。その後、大型ごみ処理施設に、もう使わなくなったレコードプレーヤーや暖房機器を捨てに行く。心が痛む。

その後、古本屋でうろうろしてゐると、あの、某番組の企画で、南北アメリカ大陸を縦断したお笑い芸人ドロンズの大きい方、と出くわす。確かこの人って広島出身だったから、居てもおかしくはないよな。

その後、激しい雨。

2日(土)-----------------------------------------------

一日中、激しい雨が断続的に降り続く。外を見ると、阿呆な餓鬼が、増水した川に入って遊んでゐる。最近この辺で良く見かける餓鬼どもなのだが、こやつらは、3日にいっぺんぐらいの割合で此所に来ては、ナニカを殴る、壊す、投げる、と云ふ3つの事に没頭してゐる。いつだったか、ナニカの箱のやうなものを、二人がかりで延々30分、棒切れで叩き続けてゐた。明らかに何処かマズいところの精神を病んでゐるとしか思えない。行動や見た目は3歳児のやうだが、これで一応、中学校の制服を着てゐたりするのだ。

いい機会だから流されてしまやいいのに、と見てゐたが、心ある御婦人が見かねて注意しておられた。しかし、そんな、地を這う苔に向けられた慈悲のやうな御婦人の思いやりにも、まったく感謝の素振りを見せる事もなく、何も言わずそそくさと逃げて行くあたり、やはり猿以下、いや、虫以下の餓鬼どもである。

イレギュラーでアクターズスクールのレッスンをふたコマやり、ネコノズクのリハへ。またまた椎名さんの新曲あり。悪くない。「ボツ率が下がった」と皆で笑ふ。しかし、このユニットって、まだ、何が何処まで演れるのか、まったく未知である。割と型にはまった考え方をしてしまふ二人に対して、ちょいとひねくれた方向への導きを出すのが、此所でのワシの役割かな。今のワシにとっては、唯一コンスタントにリハに入ってゐるユニットなので、いい形でアイディアを発現して行きたいものだ。リハ後は、まぁ、当然、呑み。

3日(日)------------------------------------------------

超絶ウクレレ奏者ジェイク・シマブクロが日曜朝の音楽番組に出てゐる。先週から楽しみにしてゐたのだが、番組の主旨なのかオーケストラとの共演で、ウクレレの良さが全く出せていない。これはいただけない。三味線をロックで使ってる人達に感じるのと同じ「あ〜〜あ」といふのを感じる。羽田健太郎のピアノとデュオで演ったほうがどれだけ良かった事だらう。

もう一人のゲストに、ルーディメントドラムのチャンピオン、とかいふ人が出てゐたが、これが驚愕するほど、オモロなかった。確かに滅茶苦茶に速いバチ捌きではあるが、全然、音楽を感じない。ただの曲芸。正直云ふて、これほどつまらん楽器の演奏といふものを聴いたのは初めてかもしれぬ。電池で動く3,3,7拍子を打つ兎の方がオモロいわ。

晴耕雨読、ならぬ晴耕雨観。色々ビデヲ見る。

4日(月)----------------------------------------------

ちょいとした事情で専門学校が休みとなる。激しい雨はけふで4日目。身体がナマッてもアレなので、プールに行って1キロほど泳ぐ。。道路は車でいっぱい。

夜はナカハラヒサロヲさんの誘ひで、ライヴに出る。ナカハラさん、広島市内でとにかく7日連続ライヴを演る、といふ、7Day's rock'n ナントカといふイベントを敢行中で、けふはその3日目。こないだ道でばったり出会った時、『シュウくん、来て唄ってくんない?』と云はれて承諾したもの。

会場のCaravan はFar east lounge でタマに一緒に演るサックス奏者ウノ・ユリカ女史のやってる呑み屋さん。カウンターだけの、いわゆるスナックといふやつで、もちろんステージなどない。演者はカウンターの中で演る。ワシは10年ぐらい前に、こんなかんぢで毎週土曜日のスナックで、ギターの弾き語りをしてたんだぁな。懐かしい。

まづ、ナカハラさんが40分ぐらい。続いてワシが30分。Pieぞうでの弾き語り。お店の特性上、「ライヴを聴きに来る」といふお客さんではないので、当然、キビしい状況。PAもカラオケ用のだし。でもまぁ出来は悪くもなかったかな?。ユリカによれば『かういふ店のお客はオモロないと思ったらさっさと帰る』のださうで、それを考えれば、まぁ仲々よく聴いてもらえたんではないか?。CDも3枚売れた。

5日(火)----------------------------------------------

朝、PCをいぢってゐて、このニュウスを見つけた。長文になるが引用します。

第二管区海上保安本部(宮城県塩釜市)に入った連絡によると、四日午後二時ごろ、同県石巻市の金華山の東南東約千四百キロの太平洋上で、マストの折れたヨットが漂流しているのを新潟の漁船が発見した。船内に倒れている人がいるが、漁船からの呼びかけに反応しないという。ヨットは船体に「MIYA」と書かれており、六月に神奈川県三浦市から米国に向けて単独航行に出た米国籍の畑下(はたした)栄さん(81)のヨットの可能性がある。
 畑下さんは昭和四十五年ごろに妻と渡米し米国籍を取得。七年前に交通事故で亡くなった妻が「日本に帰りたい」と話していたことから、遺骨を故郷の長野県に葬るため、自宅を売ってヨットを購入。妻の旧姓から「MIYA」と名付け、太平洋を単独横断して昨年十二月に来日した。
 来日の際も、伊豆諸島・御蔵島沖で漁船と衝突して右腕に重傷を負い、下田海保に救助された。ヨットもマストが折れたが、搬送された神津島の住民らを中心に支援の輪が広がり、入院治療やヨットの整備を受けた。
 今年四月に納骨を済ませ、六月十五日に修理したヨットで帰国の航海に出た。多くの支援者らが心配して引き止めたが、畑下さんは「日本を捨てた人間だから、このまま日本に滞在できない」と反対を押し切った。つえなしで歩けないほど足腰が弱っていたが、マグロ漁船のベテラン船員だった畑下さんは、愛艇を置いて空路で帰るのを嫌がったという。

すべて覚悟の上だったのだらうね。

彼はただ、自分の死に場所を探してゐたのだらう。長年苦労を共にした妻に先立たれ、その遺骨を葬り、財産も処分し、そして多分、望んだ通りに海の上で、妻の名を冠した船の上で、死んだのだ。その結末は、ただただ、淋しく、哀しい。(その後、海上保安庁により畑下さんの死亡が確認されました。御冥福をお祈りします。http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050707-00000149-kyodo-soci

6日(水)-----------------------------------------------

泳ぐ。わたしはさかな。魚になった気持ちで、ただひたすらに泳ぐ。更衣室でゴツいお兄さんに「すげぇ速いですねぇ」と声をかけられる。仕事に行く途中、けふはすれ違う人、行き交う車、全てがマナーが良い。エレベーターの扉をキープすると礼を云われ、車路を譲るとちゃんと会釈が帰ってくる。本屋では店員さんがちゃんと眼を見て釣り銭を返してくれる。なにかナゴむ日だ。かういふ日もある。

逆に、何をやっても上手い方向に行かない日もある。良い日も、悪い日も、『かういふ日もある』のだ。日々感謝と敬意である。

7日(木)-----------------------------------------------

女房が色々とやってくれて、このサイトの通販コーナーで、楽曲の視聴ができるやうにしてくれた。ので、今までサイトのみを見て「この男はどんなことを演っとるのか?」と思うておられた方にも、「こんなん演ってますぅ」と云ふ事ができるやうになりましたよ。御注文お待ちしております。へへへへ。

夜、レッスンを終え、9月の17、18、19に行なわれる満月祭の打ち合わせも兼ねて、久々に千田町のOne love に行く(One loveマスターのMar君が満月祭のオーガナイザーである)。ワシは18日に北九州に行かねばならぬので、17日の早めの時間の出演を希望したが、主催のMar君は19日の出演を薦める。詳しく聞いてみると、この19日の出演者は、ワシがいつも聴いてゐるやうな、いわゆる日本音楽シーンのダークサイドのミュージシャン達ばかり。Mar君なりに気を使って、ワシをそのテの人達に引き合わせやうとしてくれてゐたやうだ。感謝。

けふのOne love名物日替りカレーは、カボチャとナスとゴーヤのカレー。これがまた絶品。One loveも6年目を迎えるさうだ。Mar君もワシと同い歳。ワシの周りの同い歳のヤツはみな、好きなことをやって暮らしてゐる。

8日(金)--------------------------------------------------

ロバート・デ・ニーロとアヘンを回し喫みする夢を見た。Once upon a time in America の1シーンのやうだったが、なぜかデニーロが日本語を喋ってゐた。まぁ夢なんてそんなもんです。

専門学校→水泳。ゆんべのOne loveカレーに感銘を受け、けふは自分で作ってみる事にした。ナスとゴーヤに冬瓜を加えた夏野菜のカレー。ゴーヤの苦味が出過ぎてしまったが、美味い、と女房は云ふてくれた。勿論、Oneloveカレーには及ぶべくもないが・・・。


3週目


7月9日(土)--------------------------------------------

此所数年の梅雨はなんでこんなに極端なのだ?。天がヤケクソになって適当に雨降らししてんぢゃないか?と云ふ気がする。

夜、ねこのずくリハで初めてリズム訓練やる。内容は企業秘密。ワシが日頃やってゐるリズムトレーニングを応用して、3人でアンサンブルを演った。ズレまくる(笑)。このテのものは、やってないと出来ないからねぇ。これをゲーム感覚で楽しめるやうになれば良いのだ。

リハ部では、またまた新曲あり。シムプルな良い唄で、採用決定。またボツ率が下がった。ワシがピアノを弾いてはどうか?といふ案が出る。練習後は呑み。明日が完全オフと云ふ事もあり、けふはなんとなく「よし、行こう」といふ気でゐたので、最後まで付き合ふ。気が付けば外が明るくなってゐて、久しぶりの朝帰りとなった。早朝の道路は空いてゐて良い。

10日(日)------------------------------------------

雨。二日酔いではないが、なんかぐらぐらして不快感が・・・。女房に「けふは休み」宣言をして、録画したスターヲーズエピソード2を見ながら、ひたすらに寝る。

11日(月)------------------------------------------

雨の専門学校。若者の体臭と雨の湿気が重なって、屎尿処理場のやうなにほひがする。1キロ泳いだ後、スタヂオに入って独弾練習を1時間。巨大デパートで1時間ヒマを潰して、ネコノズクではなく、椎名さんとのデュオの練習に行く。これは来月の企画モノライヴ「吟」の為のもの。レパートリィを決める所から始めて、色々とパターンを試しながら演ってみる。仲々オモロさうだが、まだ内容は内緒にしておきませうか。

椎名さんが「けふ一日何してた?」と訊くので、上記のやうな日程を説明すると「悠々自適やね」と云ふ。さうね。確かに、結構な数のレッスンをしながら、結構な数のバンドに参加して、毎日のやうにリハに入ってゐた頃と比べたら、何もしてないに等しい今の生活である。まぁ、今はかういふ時期なのだらう。

夜、プロレスラー橋本真也氏の訃報。もと仇敵にして朋友、小川直也氏の「この眼で見るまでは信じない」と云ふ会見の台詞が、切ない。

12日(火)--------------------------------------------

去年の夏に瓢箪で作ったカリンバをいぢって遊んでゐると、新曲のアイディアに結びつく。軽くMDに録ってみると7/8拍子だった。歪んだアフリカン(?)みたい。唄えるんかいな、これ。

ソロで演るスタイルに馴れたせいか、割と曲のアイディアは浮かんでくる。やはりバンドサウンドに比べると、展開に乏しい曲になってしまふのだが、発想を変えればよりコアな、曲としての力が求められるのだ。それに、幸か不幸か聴き手にハッキリと言葉が伝わってしまふらしいので、適当な歌詞は書く訳にはいかん。ライヴ後にお客さんから「あの歌詞はどう云ふ意味なんですか?」と訊かれることが、結構ある。詞なんかどうでもいい、と思いがちだが、いやいや、言葉と云ふモノは、意外にきっちりと届いてゐるのだ。

げに、グっと来る曲を作るのはホンマに難しい作業だ。

13日(水)---------------------------------------------

夏のツアーに備へて、愛車ぐすたふをメンテナンスに出しに行く。オイルとエレメントを替え、バッテリィ、エアー、サス、色々チェックして異常なし、との診査結果を頂く。よぅし、これでどこに行くのも怖くないぞ。我が愛車よ(と云ふ割に、一度も掃除してやったこと無いのだが)、この夏は良い旅をしやうぜ。

現在、かつて無いほどよく本を読んでゐて、けふ東野圭吾の1冊をほぼ1日で読み切った。ワシはミステリィはあまり読まぬのだが、これはオモロかった。ミッキー・ハートの「ドラムマジック」といふスピリチュアルな書を、もう2ヶ月ぐらい読んでゐるのだが、こちらは進みが遅い。ドキュメンタリーや論文、学書などが、理解できぬまでも読めればオモロイだらうと思ふのだが、ワシはこれらの書が苦手である。

14日(木)----------------------------------------------

近所の小学生達が集団登校してゐる。高学年が低学年を引率しながら、要所にポリまで立ってゐる。何かあったのだらうか?。6年生ぐらいの、もう結構カラも大きく少女っぽい女の子が、ものすごくオモロなささうにちっこいのを引き連れて歩いてゐるのが、不謹慎ながら笑えた。

数十年ぶりの営業仕事となる、南一誠ディナーショーの楽譜が届いた。ワシがプロとして初めてお金をもらったのが、南さんのレコーディングだった。あれから15年余。もうこのテの普通の仕事は来んだらう、と思ってゐた。ので、今普通のベースって持ってないのだ。生徒に借りるしかないな。しかも10曲ぐらいかと思ってゐたら20曲もありやがる!。

15日(金)-----------------------------------------------

朝、いつものやうにヲ−キングをしたが、頭が痛く、めまいがする。帰ってシャワーを浴び、しばらく横になってゐると、すこ〜しマシになった。ンな事をやってゐたので、飯を喰う時間を逸し、専門学校の授業を終える頃には、劇的な空腹を感じる羽目となる。久々に「豚骨ラーメン替え玉」をしてしまった。それでも調子は戻らぬので、けふは水泳はやめておく。

日曜日のアムネスティフェスティバルのタイムスケヂュール(全編英語)が届いた。全20組のアーティストが出演。ワシの紹介文のところには『KAJIYAMA SHU (STUNNING fretless bass & vocal maestro)』とある。bass & Vocal maestro てのは分かるが、STUNNING てなんや?。調べてみると『気絶させるほどの』とある。ワシは『気絶させるほどのベースと唄の巨匠』といふ事らしい。へ〜〜〜。

明日は油谷町への遠征である。高速道路は使わずに、まず山陰へ抜け、日本海を右手に見ながら南下するルートで長門入りを目指す。


4週目


7月16日(土)--------------------------------------------

遠征の日。準備を整え、午前9:00に我が家を出発する。高速道路は使わずに、まず山陰へ抜け、日本海を右手に見ながら南下するルートを選ぶ。ちょーと曇天気味の空模様だが、雨は降ってない。我が愛車にはクーラーが付いてゐないので、これくらいの気候の方が心地よく走れるわ。1時間置きに15分程度の休憩を取りながら、ひたすら進む。分かりにくい道路標識にイライラしながら中国山地を越え、曇天から晴天に変わり始めた昼過ぎ、日本海が目の前に拡がった。益田市である。ここからは海岸線をのんびりと走る好ルート。

結局、5時間かけて会場の長門市油谷町は千畳敷国立公園に到着す。既に現地入りしてゐた是空の連中と合流。けふのイベントは、春のツアーでも御一緒した地元のハイブリッドなジャズバンド馬耳東風が主催。彼らが千畳敷にあるカフェテリアと協賛して、夏の夜をグッドな音楽とナイスなシチュエーションで楽しもう!と云ふモノらしい。手作りのおにぎりを販売したり、と、極めて質素でアットホゥムなイベントなのだ。ワシは「イベント」と聴くと、すぐに「屋台」を想像してしまふ悪い癖がある。着いたら早速屋台でビールと焼そば!と思ってゐたワシは、「あらら・・・」といふかんぢ。でも、よく考えてみりゃ、誰もそんな事云ふてへんねやね。

ぢつはこの千畳敷、今から10年くらい前、カラ−ズと云ふバンドにサポートで参加してゐた時に出演した事があるのだ。あの時は草原に巨大な野外ステージが組まれ、地元TVも取材に来る、相当でかいイベントだった。演奏後も、地元の名士の家に招待され、呑めや喰えやの大盤振る舞い。そのまま家に泊めて頂いた上に、翌日の朝飯と土産まで用意して頂いた、といふ非常に良い思ひでがある。

日も落ち、いよいよライヴイベントがスタートする。出演は地元の社会人バンドFour cord special。馬耳東風、是空、にワシ。ワシは独弾で3番手の出演。リハが出来なかった(客の入りが予想以上に早かった為)ので、良い音が出せなんだのが残念。拡声器で唄ってるやうなかんぢで、テンションも上げれず、なをかつ選曲ミスで尻すぼりに終わってしまふ、といふ、まぁ正直云ふて出来の良いパフォーマンスではなかった。その代わり、ゲストとして参加した是空では、柿原君とツインベースでブリブリに弾きまくってやった。アンコールが2度も来るといふ大盛り上がり。

連絡の手違いで、ワシ独りが千畳敷にそのままテントを張って野営することになった。ワシは別にそれでエエのだが、是空のみんなは『お前ひとり置き去りにするみたいで悪いなぁ・・・』と云いながら帰っていった。

標高300メートル以上の高台だけあり、日中あんだけ猛暑だったのに、日が落ちたら上着が必要なほど冷え込む。おまけに、夜半過ぎに地元のアホな若者たちがやって来て大騒ぎをしはじめやがり、ほとんど一睡も出来ず。何故このテのバカどもは人が寝静まったら遊びはじめるのだらう。

17日(日)-------------------------------------------

それでもウトウトはしてゐたのか、明け方、カラスの大きな鳴き声で目が覚めた。少し辺りを散歩してみると、駐車場にいっぱいドリフトの痕跡などがあり、ここは地元のさういふヤツらのやんちゃ場でもある訳だ、と思ふ。それにしてもあれくらいの事で眠りを妨げられたりするやうでは、ワシもまだまだやね。どんな劣悪な環境でも熟睡して英気を養えぬやうでは、立派なデラシネびととは云へぬ。

ワシを置いて帰った事がよほど気掛かりだったのだらう(笑)。是空のテイさん、ナオエちゃんから立て続けに『眠れたか?』と電話。けふも広島市内での野外イベントに参加する為、8:30には千畳敷を出発す。来た時と同じルートを辿って広島へ帰る。けふは晴天。ものすごく暑い。左手に見える日本海に、何度飛び込もうと思うたことか!。やはり1時間置きに休憩を取りながら、5時間で帰広。シャワーを浴びてしばしくつろぎ、市内はアリスガーデン広場で行なわれてゐる、アムネスティ広島チャリティイベントに参加すべく、行く。

会場に着くと進行が1時間押し。ワシの出演予定時間になっても、まだワシの4番手前のバンドが演奏してゐたりする。呑気に構えて屋台(ここにはちゃんと屋台があった!)の食い物などパクつきながら出番を待つ。結構色んな人がワシを見に来てくれてゐた。こんなに進行が押してゐて、最後のバンドまで出来るんかいな?と心配になり(音が出せる時間帯が制限されてゐる)、ワシはほとんど即興できっちり15分の演奏でシメた。この辺の妙な人の良さが、ワシが大成できぬ原因のひとつかとも思ふが・・・・。ワシの次の出演者たちは、そんな事気にもせずに大幅に持ち時間をオーヴァ−して演って拍手喝采を浴びてゐた。

ツアーも終え、演奏も終え、暑かった一日も終わろうとしてゐる。ビルの谷間を吹く風が気持ちイイ。しばし風に吹かれて、レゲエのビートに身を任せる。いよーよーよー。アー、ビール飲みて〜〜〜〜っ。

18日(月)--------------------------------------------

さすがに昏倒するやうに寝た。けふは某楽器メーカーインストラクターの研修会がある。昼過ぎに行って(ホンマは朝から)夕方まで。模擬レッスンやったり、音出したり。打ち上げは近所の居酒屋「わさび」で。何時間呑んだのか分からんが、結構酔った。

19日(火)------------------------------------------

専門学校。なんかどんどん疲労が溜まって行くやうな・・・。けふもライヴでごんス。

けふはSHIBA & TAKEの広島ライヴの前座をやるのである。TAKEさんには以前お会いしてゐるのだが、今回のユニットではお初。彼は博多在住ながらも、日本全国のバンドに参加して、サウナやネットカフェに寝泊まりしながら、ギターと共に旅をしてゐる男なのである。「でらしね同志」とも言えるが、そのフットワークの軽さはワシも降参!である。

もう一人のSHIBAさんは東京在住。ワシの友人Gressiveのシヴァとは別人。やはり東京ではバンドを組んで活動し、ツアーには独り、もしくは少人数で出かける「でらしね」スタイル。艶のあるバリトンヴォイスが心地よい。ギターもえれぇ上手やな。この二人がアコギ2本でデュオを聞かせるのがSHIBA&TAKE。

ワシは40分ほど演奏。前にTAKEさんと会った時は、バンドのベーシストとしてだったが、けふは初めてソロを聴いてもらふ事になったな。演目はいつものヤツら。Pie-ぞうがいよいよヤバいか、ちりちりと変なノイズが出てしまふ。しかしまぁあんまり気にせずに演った。とても淋しい客入りだったが、かなり熱心に聴いてくれるお客さんで、満足。SHIBAさんが「こきりこ節」に興味を持った様子。

さて、後発のSHIBA&TAKE。これが凄いのだ。言葉で書いても空しい気がするが、マイクで拾うアクースティックギター2本のライヴで、ここまでオモロかったライヴは初めて。なんと云っても二人のギターが凄い。すんごいドライブするのである。ドラムとベースの立場ないで!(笑)。ちょっと他ではお目にかかった事がないアンサンブルだった。1時間半、全くダレる事なく、完全に客として聞き入ってしまってゐた。

盛り上がった素晴らしいライヴだった。けふのライヴで一番損したのは、この場に居なかった人かもしれん。

終演後、SHIBAさんTAKEさんと『また何処かで会いませう』と握手して別れる。我々の場合、この「何処か」てのが、お互いの地元の事でなく、ホンマに「何処か」な可能性があるのがイイね。このあいだ大阪で今沢カゲロウ君に会った時も、さう云って別れたのだ。

みんな旅人なのである。

20日(水)-------------------------------------------------

プールからの帰りに「ペンギンの憂鬱」といふ本を買う。ロシア文学である。これがとても面白く、レッスンの間にづっと読んでゐる。非常に軽妙なユーモアが描かれてゐるのに、何処か暗さと冷たさが感じられるのは、やはりロシア文学だからだらうか?。舞台となってゐるのはペレストロイカ直後のウクライナ。ロシアと云へばウオトカ(我々はウォッカと呼んでゐるが「ウオトカ」が正しい発音)だが、ご多聞にもれず、登場人物たちは清涼飲料水のやうに呑みまくる。ロシアはいづれ酒で滅ぶ、と云はれてゐるが・・・・・。

ペンギンつながりで、CD「ペンギンカフェ・オーケストラ」も買う。良い音楽だが、流石に発表されて(1976年)からだいぶ経ってゐるので、既にワシはこのテの音楽の、もっと新しい波を聴いてしまってゐる。有難味、新鮮味は薄い。残念。

久しぶりにCD屋に行くと、目に付くモノみな買ってしまひたくなるので恐ろしい。

21日(木)--------------------------------------------------

夏も本番やな、と思ってゐたが、よう考えてみれば7月後半、ホンマに夏なのだ。さーあ、今年もクーラー無しで乗り切るぞ!。

音楽的に色々とやらねばならぬ事が沢山あって、何から手を付けて良いものやら。とりあへずけふは、企画「吟」用に、椎名さんとのデュオでやる曲の歌詞とアレンジ、MI&まちゃと演る曲のコピーをする。昼までに完了。我ながら仕事が早い。

夜、某所にて知人のライヴが行なわれる、と云ふことだったので行ってみたが、それらしき事が行なわれる様子もない。あれ?ワシ日にちを聴き間違えたかな?と思ってビールを飲んでゐたが、数人のお客が同じ目的で来てゐるらしく、店員に訊ねたりしてゐる。どうやらよんどころない事情で急遽ライヴが無くなった模様。ティケットを買ってゐる訳ではないけど、ちょっと勘弁してくれよ、といふかんぢである。

22日(金)---------------------------------------------------

音楽的に色々やらねばならぬ事のひとつ、南一誠ディナーショウの楽譜のおさらひ。十数年前、TVのレギュラーでこのテの仕事をしてゐたが、当時と比べると、驚くほどスムーズに譜面が読める。当時は、ワシだけかなり早いうちに譜面を用意してもらって、家で予習に予習を重ね、それでも読み間違えがあったりしてゐたのだよ。んー、時は流れたのだねぇ。少なくとも無駄に流れた訳では無ささうである。

今期最後の専門学校。明日から夏休みに入り、ワシの1週間も少し様変わりするだらう。自分の事に割ける時間が増えるのは良いことだが、休み期間中は収入がない、と云ふ事も、忘れてはいかん事実である。


5週目


7月23日(土)--------------------------------------------

湯谷町遠征から早くも1週間。ワシは日頃から「ビジョン」と云ふモノをほとんど持たぬ人間なので、さぁて何をしやうかねぇ、と云ふ感じの毎日である。まぁひとまづは独弾の練習でもしてますかね。

けふのネコノヅク練習は久々にマー坊のパーカッション入り。多忙中で少々疲れてゐるマー坊。にもかかわらずけふは「沖縄ナイト」と云ふ事で、色んな文献で学んだ沖縄郷土料理をこさえてくれた。ミミガーサラダにゴーヤチャムプルー。とても美味い。かういふ事なら差し入れに泡盛かオリオンビールぐらい持って来てあげればよかった。

24日(日)----------------------------------------------

連日暑い。久しぶりに女房と一緒に買い物。湯煮駆炉で夏用の色々を買う。ワシはいわゆる「良い服」と云ふモノには全く興味がなく、上から下まで大体湯煮駆炉である。例えばジーンズやジャケットなど、高いヤツの方が長持ちする事は重々承知だが、それでも「服」に¥5000以上出す気には、ちょっとなれん。

バリ舞踏家のAyu Sri Yiuliati が出てゐるNHKの語学講座をDVDで録画する。が、画質が悪い。なんぢゃこれは?と思ひ、説明書をよく読んでみると(先に読めや)、ビデヲと同じやうに倍速録画といふものがあるが、画質は著しく落ちるらしい。同じ3倍速録画ではビデヲの方が遥かにクゥォリティの高い画質で録画出来るやうだ。やられた!折角のユリアティちゃんの貴重な映像が!!。

25日(月)------------------------------------------

えーと、なにした日だっけ?(これ、金曜日に書いてゐる)。泳いだ。ベース弾いた。ビデヲ見た。夜は女房が遊びに出たので独りで飯喰った。そのくらいか。

26日(火)------------------------------------------

営業に使うフレット付きのベースをねこのづくのマー坊から借りる。そのままでは音が出なくなってゐたので、楽器商マーマレードバケイションに修理に持って行く。ママバケには知人が2人ほど油を売ってゐた。修理を待つ間、適当に置いてあるベースを何本か弾いてみる。今後、いわゆる「普通の」仕事が増えて行くやうであれば(さう願いたいが)、フレット付きのそこそこのヤツを1本持っておいた方が良いのだらうな。

27日(水)------------------------------------------

南一誠ディナーショー。am10:30に会場入り。けふのメンバーと顔を合わせる。この面子と一緒に音を出すのは、なんと10年ぶりである。それに人前でフレット付きベースを弾くのも、数えてみたら7年ぶり。まぁよくもこの小さな町でそんな仕事が出来たもんだ。

譜面合わせ、バンドリハ、歌手入れリハ、通しリハ・・・・。懐かしい手順で進んで行く。緊張感で死にさうだった10年前と違って、自分のペースで演れる。譜面のミスもこちらから指摘出来るし、適宜アレンジを加えたりも出来る。無駄な10年を過ごしてきた訳ではないのが少し嬉しい。

南一誠さんは、広島を拠点に活動する歌手。挨拶すると、『あれぇ、あの頃は長髪だったのにねぇ!』と云われて驚いた。なんと10年以上前に2〜3度一緒に仕事をしただけのワシの事を憶えてくれてゐる。ご当地歌手にありがちな「俗っぽさ」の無い、極めて気さくな方である。クラシックの基礎を完全にマスターしてゐる人なので、そこら辺のなんちゃって歌手とはレベルが違う。名作「イヨマンテの夜」の冒頭カデンツァで『アーァァァァ〜〜〜〜〜〜〜!!!』と歌い上げる部分では、その歌声に思わず聞き惚れてしまひ、アタマの部分を入り損ねてしまった!!。リハでよかった。

さて、これまた久々に着るタキシード&蝶ネクタイ(これもまた10年前より似合う自分に驚いたが)に身を包み、いざ本番!。大入満員の会場を南さんが練り歩きながら朗々と歌い上げ、約1時間半で全21曲。最後まで集中力を途切らせる事なく大体ノーミスで弾き切った。さすがに少々緊張した。しかしかういふ緊張感は、永らく味わって無かったので、とても新鮮だった。なにより、その緊張感を「楽しんで」ゐた自分に、またひとつ成長を感じる事が出来たのが嬉しかった。←なんかアマチュアみてぇな事、云ふてンね、ワシ(笑)。

打ち上げを終えて、日付も変わり、バイクで帰路を走りながら、あ〜面白かった、とつぶやく40歳直前の夏であった。

28日(木)--------------------------------------------

大きな仕事の後はゆっくり寝たいものだが、けふは楽器店の企画会議が朝からある。また、バイクで行く。家に帰るのも面倒なので、帰りにプールに寄り、そのまま仕事に向かふ。出ずっぱりの日は、空き時間の友として書物が大変重要なファクターとなる。けふからは中村とうようの「地球が回る音」といふ、広辞苑のやうにぶ厚いエッセイ集を読む。

昨日の、ああいふ仕事を久々にこなしてみて、やはり昨今の若いミュージシャンは、ああいふ「緊張感のある現場」を経験して無いから、なんか性根の入らぬ感じになるのかもな、と思ふ。自分の弟子たちには、なるべくさういふ現場を経験させてやりたいものだ。しかし、自分自身の仕事もあんまり無いので、親心もほどほどが肝要かと・・・・・。

29日(金)---------------------------------------------

泳ぎに行った。ライフガードに『ピアスを取れ』と云はれた。このジムの会員になって3年、今まで一度も云われた事がないのに。ワシのピアスは一旦取ってしまふと、次に入れる時とても苦労するのだ。嗚呼、不愉快千万!。

レッスンを少しだけやって、楽座にてサンサ〜ラのふた月に一度の定例会ライヴ。今回もリハなし。てゆーか、前回のライヴ以来、岩本さんにも会ってないんだけど(笑)。いつものやうに直前にモティーフだけ決めて、演る。けふはカリンバは弾かず、ベースに専念する。1曲だけ完全な即興があり、どーなるかな?と思ってゐたら、アラブのポップスのやうな曲になった。

久々にヴァネッサを弾き、その弾き易さに改めて惚れ込む。やっぱりこのユニットぐらい演奏技術を求められるセッションには、ヴァネッサでないと、ちょいとしんどい。このベースでライヴをやるたびに、楽器を新調する気が失せてくるのだ。そろそろ指板もすり減ってきて、耳障りな音を出したりしてんだけどね・・・。

けふも、リハ無し&打ち合わせもほとんど無し、にしては、仲々のライヴが出来たかな?。ライヴが終わった後、珍しく指が痛むぐらい弾きまくった。

29日(土)--------------------------------------------

昼前、女房が大阪に旅立っていった。帰りは明日の夜になるさうだ。孤独で呑気な終末を楽しむのだ。

といふことで終末の恒例行事、椎名さんとのデュオ練習の後、結構高級さうな料亭に、椎名さんのオゴリで飯を喰ひに行く。鰻の白焼きや、マグロの頬肉ステークなど喰ひつつ、ナントか云ふ辛口の日本酒を呑む。3〜4時間は呑んだのだらうか?。河岸を変えてワインなども呑んでゐるうちに、明らかに「酔い」より「気持ち悪さ」の方が優りはじめてゐることに気付く。椎名さんはしばらく休んで帰ることを薦めてくれたが、ほぼ100%の確立で嘔吐を予感したワシは、帰宅を強行した。

案の定、家に帰り着くなり、胃の中のモ

30日(日)----------------------------------------------

夜半から明け方にかけて悲惨な状態が続き、おまけに下

何をする気にもならず、ほぼ一日中寝てゐた。

午後9:00を少し回った頃、女房から駅に着いたと電話。そのまま外で飯を喰うつもりだったが、なにせアレなので、ほとんど喰ふ気がせぬ。「ラーメンくらいなら・・・」と近所のラーメン屋に行き、滋味溢るるスゥプを呑んで、ようやく胃が落ち着くのを感じる。


翌月