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8月1日(月)---------------------------------------------
体調復活。早速ヲ−キング、そしてプールへ。
カリンバに付けるコンタクトタイプのピックアップを探して、広島中の楽器店をさまよい歩く。しばらく前、ウクレレが流行りかけてゐた頃は、結構出回ってゐたらしいのだが、ブームが下火となった今は、何処の店にもない。くそぅ、安易な商売しやがって。結果、某大手メーカー楽器店に1コだけ売れ残ってゐた、¥4000チョイのやつを購入。付けてみたらこれが仲々ヨイ。
それを持って椎名さんとデュオの練習に行く。オリジナルも出来たことだし、ねこのづくとは別に、このデュオを正式なユニットとして継続して行こう、といふ話となり、ぐっと来るユニット名の考案を一任される。ワシとしては『シーナとシュウ』でイイと思ふのだが。
つくづく思ふのですが、ワシはホンマ云ふとソロよりも、このやうに「なにかのソリスト」とデュオで、その人の完全な背景を組み立てる、といふスタンスが好きだし、向いてゐる気がするし、自信もある。それは「アンサンブルの中でのベース」ではなく、「ベースの役割を越えたベース」といふ事で、だからまぁ、ギタリストやドラマーには嫌われる訳だ。
小林のカシラの奥さんオタマちゃんが、初めてカシラとワシのデュオを見た時、『弾き語り+ベーシスト』といふ編成から想像してゐた音楽とは全然違った事に驚いた、と云った事があったが、アレなぞはワシには最高の褒め言葉なのである。
2日(火)--------------------------------------------
Gressiveとオルカ団が中心になって、東京からBARAKAを迎え撃つイベントとして定着した感のある「Independent fellows」。
オルカが解散してしまった今回、ワシは、独弾で幕間の時間を埋める役割を担当することにした。「地下室の会」ライヴで行なわれてゐる「サブステージ方式」である。他の出演はぷりちーがっつ/ブルガリアンデカ/Sweat/Gressive/にBARAKA。
ほぼ3ヶ月に渡る長期のツアーの最終日に、広島を選んでくれたBARAKAの友情に応えるべく、出演バンドの熱演。熱演すぎて、前半からかなりの時間オーバー。それでなくてもこのイベント、毎回出演者が増える傾向にあり、終演時間が遅くなり過ぎる、といふお客さんからのクレームも少なくない。そろそろ考えんとイカン時期ではある。
けふもその悪いパターンに嵌まってしまった。トリのBARAKAがステージに上がったのは、既に10:30過ぎ。終電を気にして(広島は終電が早過ぎるのだ!)、お客さんは次々と帰り始め、最後の曲が終わった11:10頃には、正直云って会場はかなり寂しい状態になってしまってゐた。BARAKAにも申し訳なかった。イベントである以上、出演者は自分の事ばかり考えず、時間マナーをもう少し考慮すべきだ。しゅっと演ってさっと退く。
昔から『もう聴きたくねーな』と思わせるやつに限って、ステージが長いのだ。
打ち上げは大人数。さすがに長旅の疲れが溜まってゐるやうで、BARAKAのメンバーもいつものハジけた感じはないが、無事ツアーが終了した安心感で、とてもイイ表情をしてゐる。考えてみれば、この人達とワシらが繋がってゐるこの縁は、とても不思議な巡り合わせなのだよ。
お疲れさまでした。あとは東京に帰り着くまで、今一度気を引き締めて、安全な旅を。また会いませう!。
3日(水)---------------------------------------------
こないだ日本酒でえらい目に遭ってゐるので、ゆんベは終始ビールにした。お陰で酔いの残りはなかったが、とても眠い一日だった。
4日(木)--------------------------------------------
一応、先日のライヴで、Pieぞうを使う「子象に乗って」シリーズは幕とすることにした。よって久しぶりにヴァネッサを使って、みっちり2時間練習。2〜3日前から右手がかなり痛むのだが、気にせずに演ってゐるとだいぶ良くなった。
レッスンをしてゐると東京の友人イシバシから電話。広島に帰ってきてゐる、といふ。ので、急遽飲みに行くことにした。サラリーマンでごった返す居酒屋で、イシバシ、ワシに小林のカシラの3人で、呑む。やはり此所でも終始ビールにする。カシラが寝はじめたので、ワシとイシバシは河岸を変えて、ちょっと小洒落た割烹屋ふうの店に行く。此所の大将はワシらと同い年で、なんとワシが高校生の時に付き合ってゐた娘の同級生だった、といふ。可愛い娘だったね、とか云ってるうちに、なんや訳分からんやうになってきた。が、さらにもう一軒、行く。
そこから先はほとんど記憶に残っておらぬのだが、行った店でワシのCDが流れてゐた、といふのと、結局タクシーで帰ってきて、ウチの近くで降ろしてもらひ、歩きながらペットボトルの茶か水かを、2本立て続けに呑んだ、といふのを、かすかに憶えてゐる。
5日(金)------------------------------------------------
水差しの水をコップに注ぐつもりで、全部テーブルの上にぶちまけてしまふ、ぐらいの二日酔い。勘定してみると最初の店で大ジョッキ5杯、割烹風で2杯、最後の店で中瓶1本のビールを呑んでゐる。此所まで呑むと酒の種類はもはや関係ないね。当然の二日酔いである。イシバシは大丈夫だったのかいな?。
けふは映画を見に行ったりしやう、と思ってゐたのに、計画はパァ。一日寝てゐて、夜になって企画「吟」のリハをしに行くのに、やっと起き上がれる、といふかんぢ。やれやれ、ここのところ酒に「負けて」ますな。
ちょいと遅い気もするが、村上龍の「半島を出よ」を購入。長いので途中で飽きてしまふ恐れもあるので、とりあへず上巻だけ買った。
8月6日(土)---------------------------------------------
朝のヲ−キング中、8:15を迎え、街にサイレンが響き渡った。ワシらは子供の頃からごく普通に、一年に一度この日に、改めて平和の大切さ、戦争の悲惨さを考えるのが当たり前の事だと教えられ、その通りに育ってきた(と思ふ)。が、東京で夏を過ごしたりすると、8/6が何の日か知らぬ人も珍しくないし、知ってゐてもそれほど重要な事とも考えてない人が多いのに驚く。
『ヒロシマに生まれ育った者として』といふ使命感など持った事はない。何かができるとも思わぬ。しかし、絶対に薄れさせてはいけない人類の「負」の記憶を、気付かない人にちょっとでも投げかける、と云ふ事ぐらいなら、できるかも知れない。
夜、ナカハラヒサロヲ氏主催『8.6 愛と平和とロックンロール』といふオールナイトのイベントに、Far east lounge で出演す。オールナイトなんてのぁちょいと勘弁してよ、といふかんぢで、ワシらは9:00過ぎくらいの時間枠をもらふ。1:00からの出演枠にベースでの参加を求められたが、丁重に辞退させていただいた。一番良い時間帯だったやうで、結構沢山のお客さんがFar east〜の演奏を楽しんでくれた。
にしてもこの界隈のミュージシャンの酒飲みな事よ!。楽屋でもばかばかビールだの焼酎だの飲みまくり、自分の出番が来るまで居酒屋に行ってるヤツまでゐる。ワシらはいつものやうに各自解散。ワシだけは前半のシメのセッションに参加して、I Shall Be Released を弾いて帰った。
7日(日)--------------------------------------------------
「けふは過ごし易いな」と思うて室温計を見ると32℃。「ぐぅ〜〜暑い」と思うと34℃。この辺で我々の『暑いor 暑くない』が決定されるやうだ。まぁ大体、夏と云ふ季節、我々夫婦は30℃以上のところで生活してゐる訳だ。タマに他所でクーラー浴び過ぎて調子が悪くなるのもうなづける。
けふはタレント系オーディションの審査員。クーラーの効き過ぎたスタヂオに缶詰め。1:00〜5:00まで子供達の唄を聴く。これはヤバいのでは?と云ふくらい身体が冷えきってしまった。さ・・・寒い。
8日(月)--------------------------------------------------
マー坊が2週間に渡るナニカの研修から帰ってきたので、久しぶりに「シーナとシュウ」でなく「ねこのづく」の練習をやる。マー坊が行ってゐたのは合唱団を対象にした世界的規模のイベントで、北欧やアフリカのポリフォニーなど、ちょっと滅多に見れない素晴らしいモノを見ることが出来たやうだ。しかし彼がどんだけ言葉を尽してその素晴らしさを説明しても、すればするほど、その場に居なかったワシらには不満が溜まって行くのである。しまいには『なんでそれを録音して来んかったか?』と攻められるマー坊であった。
その夕方、コミュニティFM「ななみ」の音楽番組に出演す。会場に向かう途中、結構根性の入った夕立ちが来て、ズブぬれになる(バイクなので)。で、またスタヂオが冷房ガンガンで、流石に『あのぅ、ちょいとクーラーを切って頂けますかいね?』と云ふ。8/18企画「吟」やパーカッションキャムプ、などの宣伝。CD「きねつき」から「美唄」「不知火」をかける。
ア、ちなみに現行発売中の「きねつき」は、表紙に「梶山シュウとオルカ団」とある。これは前のジャケットに「梶山シュウと」と云ふのを追加印刷した物で、中身はおんなじです。独弾を演った会場などで「オルカ団」といふCDを置いてゐても、仲々それを梶山シュウと同義に認識してもらえぬので、メンバーに確認の上で、さうしました。
9日(火)----------------------------------------------------
1週間ぶりに泳ぎに行き、早めにレッスンスタヂオに行き、読書しながらCD聴く。
ヲルフガング・プシキングの「RED SUN」。韓国の打楽器アンサンブルサムルノリとNYの前衛ジャズ系の連中をコラボーレートしたもので、これが素晴らしい。特にサムルノリメンバーのリー・クァン・スーの野太い歌声は白眉!!。即興系ヴォイスパフォーマーとして名を馳せるリンダ・シャーロックのヴォーカリゼーションを軽く吹き飛ばしてゐる。やはりスピリチュアルなモノには勝てぬか。
10日(水)---------------------------------------------------
仕事を休みにして、Gressiveの柴作伊佐雄の新ユニットギターレンジャーのお披露目ライヴを見に行く。専門学校の卒業生4人を集めたインストユニットで、シバちゃんを含めた全員がエレキギターを弾く(1人はベース)と云ふ、仲々ありさうで無かった編成に、少し期待して見に行った。シバちゃんは裏方に徹してベ−スと2人でリズムを作り、そこに残りの3人が色を加える、といふスタイル。フロントの3人が悪い物でも喰ったやうにガチガチに緊張してゐて、はじめは笑えた。
まぁ初のライヴだし、曲もカヴァ−ばかり(しかもいかにもな選曲(笑)なので現段階で評価は出来ぬが、これでグルーヴが出るやうになれば、結構オモロイユニットになるのでは?。ギタリストばかりが4人も集まる、なんて、少なくとも広島では他に無いと思ふので、是非頑張ってもらひたい。
しかし、コイツらの学生根性の抜けぬ事よ。集まったお客さんは専門学校生ばかり。しかもそれぞれ知り合いがカブってるもんだから、4人もメンバーが居るのに20人も呼べてない。いつまでも内輪乗りでライヴやってるからそんな事になるんだ。もっと「外」に向かって出て行かなきゃダメだよ。
11日(木)------------------------------------------------------
ゆんベ遅く東京のゲンタさんから電話。10月に発表されるキキオンのライヴDVD(ワシとゲンタさんが参加してゐる)の音源トラックに、ナント、ワシのベースの音が入ってない、といふ報らせ!!!。なんぢゃあぁぁ!?そりゃあぁ!!。
いや、ぢつはそのツアーが終わった直後に、ライン録りの音源を聴かせてもらひ、それに全然ベースが入ってなかったので、『これはエア鳴りの音と混ぜたら大丈夫ですよね?』と念を押してゐたのだ。その不安が、信じられぬ形で再浮上してきた、といふわけ。
一瞬、ワシの名前がクレジットから外される事を覚悟してしまったが、現代の超録音技術を駆使すれば、なんとかなるかもしれない、と云ふ。すでに別の、もっと信頼の於ける技術を持ったスタヂオに預けて、対処してゐる、とのこと。それによると、わずかながらの音量ででもトラックに入ってゐさえすれば、ベースの音だけを上手に増幅させる事は可能、らしい。しかし、全く録音されてない、と云ふ事になれば、それはもう何を持ってしても復元する事は出来ない。ワシとしてはミックスにも立ち会えぬ訳だし、あとは信頼して任せるしかない。やれやれ・・・。
夜、企画「吟」のリハーサルをマツノブ女史と。このヒトは全然アレンヂを考えぬなぁ。このままではどの曲も2分ぐらいで終わってしまふ。仕方なく口頭でワシがアレンジする。マツノブしきりに感心してゐるが、ちったぁ自分も考えなさい。
12日(金)-------------------------------------------------------
例のキキオンの『ベースを増幅させた音源』がmp3で届く。おぉ!ちゃんと入ってゐる。凄い。どんな技術を使ったのだらう。とりあへずひと安心。このまま任せる事にする。しかしmp3のダウンロードに40分もかかったのには参った。
映画「姑獲鳥の夏」を見に行く。最初にこれが映画化されると聞いて、キャストにヂャニーズ系とか居たらだうしてくれやう、とか思ってゐた。が、その心配は杞憂に終わり、しかもそこそこに良い役者をチョイスしてゐたので、ちっと期待してゐた・・・・が。
全然オモロなかった。何度か、途中で出ようかと思ったくらい。あんだけオモロイ原作を、どうやったらこんなにつまらなく出来るのか。ていふか、あの映画ぢゃあ、原作読んでない人にはさっぱり理解できぬと思ふのだが。邦画って駄目だね。
8月13日(土)---------------------------------------------
世間的にはこの辺から「盆休み」となる訳だが、年中休んでゐるワシにとっては、あんまり関係ないのである。違いと云へば、さういや朝のヲ−キング時にオッサンが多いな、と思ふくらい。
さういふワシらでも里帰りはする。例によってクーラーのない車で、大汗をかきながら女房の田舎、豊田郡は安芸津町へ。今年は女房の父方のおばぁちゃんの初盆に当たる。クリスチャンだと云ふ事とは関係なく、ワシはこれまで「法事」といふモノに出席した事があまりない。だうやら法事と云ふは、お経〜焼香〜説法、と云ふのがひとセットになってゐるやうだ。説法などは、まぁ坊さんにもよるのだらうが、仲々にオモロイ。
夜は、女房の弟が作ってくれるカクテル(彼はセミプロ)を3人で飲む。初めて会った頃は、この義弟も10代だったのだな。
14日(日)------------------------------------------------
ワシらは12:00頃寝たが、義弟はその後も独りで呑んでゐたらしく、朝になって台所の床で発見された。
けふは高台にある墓を参り、昼飯を呼ばれ、それから広島へ帰る。車で走るとよく分かるのだが、広島も、かういふ田舎町と都心で、経済格差がますます極端になってきた。女房の田舎も、はじめの頃は「鄙びたいいかんぢの町」だったが、この頃はクローズした店も多く、空き家や荒れた畑も目立つ。どうなってゆくんだらうねぇ?。
夜、飯作るんもめんどくさいので、「ちゃぶ家」に行く。バヂルのパスタ、牛肉の焼飯、鶏の香草焼き、サラダにパン。あとグラスワインを2〜3杯。ここは食事だけに来てもイける。
15日(月)-------------------------------------------------
ウチの前は「古川」といふ結構でかい川が流れてゐる。十数年前までは、雨が降るたびに洪水を起こす「暴れ河」だったらしいが、護岸工事が進み、今は鳥獣保護区となってゐる。ここに、夏になると、いわゆる『知能の低い若者ども』が集まってくる。夜中の2時に、である。集まるのはいい。夜の川を眺めて、涼んで、語って、まぁ少しぐらい酒を飲むも若さの特権だ。しかし、こやつらはさうではない。車数台で川べりに「花火」をしに来るのだ。夜中の2時に、である。勿論、線香花火とか、さういふ情緒のあるやつなどではない。打ち上げ花火だ。夜中の2時に、である。ひゅうひゅうパンパンと派手に打ち上げよる。夜中の2時に、である。仲間同士で撃ち合ってゐるらしく、合間にぎゃあぎゃあと叫んでゐたりもする。夜中の2時に、である。若い娘の嬌声もする。夜中の2時に、である。
長距離狙撃用ライフル(暗視スコープ付き)を売っ
16日(火)-------------------------------------------------
まだ世間的には盆休み。女房と買い物に行くと、スーパーがガラガラで良い。いつもかうなら良いのだが、まぁそれでは潰れてしまふか。
夜、企画「吟」用のぱかぱか号とのリハ。MIやんの自宅スタヂオで演る。彼らのオリジナルにワシが参加して色を加える、といふ形。3人でけらけら笑いながら、顔を見あわせながら、自由に音を出して行くといふ、今回の出演者中、最もバンド的なユニット。まぁ、こないだまで一緒にオルカ団を演ってたメンバーだからねぇ。リハも1回通して、はいオッケー。
17日(水)--------------------------------------------------
盆明け。いつもの日常をスタートさせる。ヲ−キング→ベース練習→水泳→レッスン→リハ。折角、開けてやってるのに、生徒の半分が来やがらぬ。おまけに、来た生徒も完全に盆ボケしてやがって、眼が死んだ魚のやうに覇気がない。かういふの見ると、ホンマにみんな休み下手やな、と思ふ。ダラダラするか遊びに行くか、ぐらいしか知らんからそんなことになるのだ。
レッスン後、企画「吟」用シーナとシュウ最終リハ。1回だけ通しでしゅっと演ってお終ひ。飯喰ひながら、明日はまづ自分が楽しんでね、といふお話をする。
18日(木)-------------------------------------企画「吟」ライヴ
企画「吟」本番の日。最近、ライヴまでの時間をただ漫然と過ごした日のライヴは、あまり良い出来ではない、と云ふ事が多いので、けふは夕方までなにかしてやう、と思うてゐたが、結局なにもせなんだ。マツノブに車で拾ってもらって会場入りす。
マツノブ、MIとまちゃあき(ぱかぱか号)、椎名さん、はそれぞれちょっとづつ知り合い、といふ程度。マツノブはいわゆるピアノを弾いて唄うオーソドックスなスタイル。ぱかぱか号はちょっとブキミでブルージィなギターと唄のデュオ。しーな&シュウは唄と、あと最低限の楽器。この3ツの演目にワシがベースを加えて行く、といふ。一緒に演るミュージシャンに、ナニカ啓蒙を与えやう、などと云った気持ちは全く無いが、まぁそれぞれナニカの刺激になってくれれば主催者としても嬉しい。
ぱかぱか号、マツノブ、しーなとシュウ、の順番で、ほとんど休憩無しで8:00〜10:30まで。いいかんぢに走り抜けたライヴだった。先鋒のぱかぱか号が、上手く会場をヒートアップしてくれたお陰で、その後の進行もとてもスムーズになったと思ふ。最後に全員でナニカ演るのがあっても良かったかな?とか思ふが、まぁあくまでも「独立と仲間達」といふ姿勢で居たいからね(笑)。
出演者が多いンで当然なのだが、沢山のお客さんが集まってくれた。感謝。それぞれのお客さんから、それぞれのユニットへの感想なども頂いた。お客さんの相互リンクになればいいね。みんなありがとう。
19日(金)--------------------------------------パーカッションキャンプ
「吟」明けだが、けふは毎年恒例、能美島パーカッションキャンプである。これに参加せぬとワシの夏は終わらぬのだ。ゆんべは打ち上げで椎名さんと2:00ぐらいまで呑んでゐたので、流石に早朝出発する先発隊への参加はパス。ゆる〜りと陸路を行くコースで、途中何度も休憩を挟みながら会場へ向かう。昼ちょい過ぎには真道山森林公園に到着。
このパーカッションキャンプ、2日目の土曜日は深夜までに及ぶライヴが目玉だが、金曜日は「手作りパーカッション」「パーカッションの手作り」といふモノに参加出来る。現在、ワシの第二の専門楽器となりつつある何個かのカリンバも、このパーカスキャンプで作った物だ。今年のお題は『ハンドドラム』。ダール、ドイレ、レク、カンジール、ドゥフ、etc・・・・、大きさや国や地方によって色々と呼び名はあるが、まぁタンバリンのぢゃらぢゃらが無いヤツだよ。
椎名さんに「私の為に1コお造りなさい」と命を受けたので、自分用のと合わせて2コ作る事にした。ナント打面に使ふのは厚くて丈夫な和紙。これを糊で二重に重ね、たっぷり水を含ませて枠に貼ってやると、乾燥して行く過程でピっと張ってくるのだ。ワシはそれほど手先が器用な訳では無いのだが、2ツともかなりの水準のモノを完成させることが出来た。去年のカリンバと云い、かういふスピリチュアルな楽器造りには向いてゐるのだらうか・・・・。
20日(土)----------------------------------------------
ゆんベは早め(12:00頃)にテントに入り、導眠剤を服んでさっさと寝た。明け方、テントを叩く雨の音で目が覚める。おぉ、これはこれで仲々風流なり。今年に入って新調したテントも使いやすく、うむ、悪くない。雨は結局この日一日中軽く降っては止む、をくり返した。
さて、けふはライヴデーである。此所数年、ソロでステージに立ってゐるが、けふはねこのづくで参加する。後発の佐伯&椎名夫妻は昼過ぎに会場に到着した。ワシはその他に、女性メンバーを中心にしたパーカッションアンサンブルと、福岡から来られた某女性シンガーのバックで出演することになった。他の出演はGressive、Banana16.5、アグリ・バースなど総勢11組。
どれも楽しかったが、白眉はやっぱりねこのづく。けふは造ったばかりのダールと、去年造ったカリンバでの、独り二重奏によるワシのソロからスタートして、徐々に椎名さんとマー坊が加わってくる、といふ見事なまでのバンド様式。お客さんも時折の雨に降られながらも、楽しんでくれたやうだ。
出演者全員が終演したのを見計らったかのやうに、突然、雨が激しくなる。まるで、今まで我慢して停めてくれてゐたかのやう。さういふ、なにか大きなフォースが働きかけたのだとしたら、ありがとう。雨はその後収束すること無く、翌日まで降り続く。
21日(日)------------------------------------------------
こんな大雨の中でテントで寝れるんかいな?と思ひながらテントに潜り込んだが、新調したコールマンのテントは、さすが軍需品!といふタフさを発揮。音さえ気にせねば、雨など全く問題なし。眠剤の助けもあり、キャンプとは思えぬほどぐっすり眠れた。撤収する時も、テントを張ってゐた地面が、全く濡れてゐない!。これは良い買い物だった、といふことだ。
ごそごそと起き出してきた参加者達の、倦怠な朝の時間。てんでに珈琲を呑み、喰いたいやつは朝飯を喰ひ、昨日のライヴの事や、これからの事や、なんでもないことを語り合ふ。そんなナイスなイベントの余韻にいつまでも浸ってゐたいところだが、なんとワシはケツカッチン。この帰りの脚でアクターズスクールに寄って、3時間もレッスンせねばならんのだ。アー・・・・・。
昼前には会場を去り、広島へ。総菜屋で飯を喰ってレッスン。2日ぶりの我が家に帰り着き、晩飯を喰ふともうダメ。9:00には寝た。
8月22日(月)---------------------------------------------
けふからまた専門学校が始まる。早速生徒ひとり休み。その後プール→個人練習へと。
心理学、心療内科、カウンセリングの本を中心に立ち読み。自分も含めて(ワシは幸い軽かったが)世の中にかうまで「心がくたびれてゐる」ひとが多いのは、如何なることぞ?といふ思ひが強い。驚くべきは、かなり昔に書かれた本と、現行の書物の内容が、ほとんど進歩してない事だ。完全に市民権を得た「心の病」といふニッチだが、その実、心療治療につひての研究は、ほとんど進んでおらぬやうにも見受けられる。
23日(火)-----------------------------------------------
今週金曜日にゲストとして参加する、東京優駿のレパートリーをチェック。譜面が丁寧に書かれてゐるので、初見でもイけさうだが、割とキメが多いので油断はならぬ。楽しいバンドだから楽しくノせてあげぬとね。
村上龍「半島を出よ」上下巻、読破。非常に興味深く、オモロイ物語だった。奇しくも先日立ち読みで眼にした『心療治療の落とし穴』の答えに近いやうなモノが書かれてゐるやうにも見ゆ。
24日(水)-----------------------------------------------
毎日10キロ近く歩き、1日置きに1キロ泳いでゐるが、不思議なことに体脂肪率が下がらぬ。結果が出ないのは、ナニカやり方が間違ってゐるのだらう、と思ふが。まぁ実際のところ体脂肪率が減らぬ事など、それほど大した問題ではないのだがね。
早めにレッスン室に入り、昨日に引き続き東京優駿のチェック。レッスン後、Bobby'sの営業用の譜面を取りに、「うどんのわきた」へ寄る。ボビーさん、灯りを落とした店の中で常連さんと呑んでゐて、もうすっかり出来上がってゐる。しかし皆さん、よう呑みますね。正直な話、そこまで酒飲みたいかね?(笑)。
25日(木)----------------------------------------------
気が付けば秋の気配。しかし自分の高校生、大学生の時代を思ひ起こしてみるに、あんだけ長い夏休みの間、何をして過ごしてたっけ?と思ふ。まぁキャンプだの夏祭りだの、各種のイベントが無いでもなかったが、それにしても1ヶ月半に渡る長い空白を、何をやって埋めてゐたっけな?。
思ひで深いのは、当時河口付近の家に住んでる友達(男)の家に泊まりに行き、夜の防波堤に座って酒を飲みながら、過ぎしこの方などを語り合った、といふ、高校3年の夏休みだな。本来そこは入っちゃイカン場所で、だからワシら以外は誰も居らずに、対岸ではドックの灯りと作業の音が一晩中続いてゐた。ワシらはまだ何者でもなく、未来はまだたっぷりあった。何を話したかは憶えておらぬが、色んなことを話し合った。よくオフクロが、『あんたら、ようあんなに話すことがあるね』と云ふてゐたのを思ひ出す。
あと、友人何人かと遊んでゐて、たまたま自動販売機のヂュースを求めて立ち寄ったテニスコートで、高校生女子の試合が行なわれてゐる真っ最中だった、と云ふ事もあった。今のやうに女子高生がすべてミニスカ、などと云ふ素晴らしい時代ではなく、女子高生(まぁ当時はワシも男子高校生なのだが)のナマ脚が見れるのは、ホンマにテニスギャルかチアガールぐらいしか無かった時代。
ワシは当然、目の前に繰り広げられるナマ脚とミニスカに
その時、友人のひとりが『今頃は後ろがクロスになってるヤツがあるのか・・・』と呟いた。それが当時男子高校生の間で流行ってゐた、いわゆる『ボンタン』のベルト通しの事だと気付くまでにしばらくかかった。この、ナマ脚とミニスカと白Tシャーツと、の中で、この男は何を好んで男の服装につひて口述してゐるのか?と思った時、思わずそいつに「おまえ、アホか?」と訊いてしまった、といふ話し。
26日(金)---------------------------------------------------
東京優駿、ライヴの日。レッスンがどうしても休めず、リハギリギリに会場入りする、と云ふ慌ただしい事となったが、天気は良かったのでバイクに機材とベースを積んで移動できたんで助かった。
結局、本日顔合わせ、初リハ、ですぐ本番、といふ段取りと相成ったが、予習はたっぷりしてゐたので、問題は無かった。ただ、オルカを停めて以来、ドラムと合わせる事が無かったので、ちょいとグルーヴを掴むのに苦労したな。サポートベーシスト、ではなく、ゲストとして招いてくれてゐるので、ソロコーナーもある。優駿のファンに嫌われぬやうにツボを押さえて演らんとね。
さて、本番は結構なお客さんが集まり、ライヴも熱が入って良いかんぢだった。ソロコーナーでは、久しぶりに「バホ・アラビアータ」を演って失敗したりした。オルカの「美唄」を演ったりもした。ヴォーカルのようへいとデュオも演ったりした。ワシの思ふ東京優駿にしてはエンターテイメント的な要素が少なかったライヴだったが、それはそれで良かったのではないかな。いい形で協力出来たのだったら嬉しいな。古い生徒と会えたりもした。
しかし、この優駿のメンバーも、今年中にメンバー全員が30代となるさうだ。内弟子イノマルが23歳、この界隈で一番若手のベーシストはまだ19歳。なんか気がついたら「中堅」をあっと云ふ間に通り過ぎて、「ベテラン」の部類に入りつつある自分に驚く。年を取る事は別に嫌では無いが、はー、といふかんぢは、する。
昨日は3:30まで呑んでゐた。昼過ぎ、アクターズスクールでレッスン→し〜なとシュウのリハ。椎名さん、また新曲あり。これがルーズィなブルース風で仲々・・・。
けふはFar east lounge の準メンバー、サックス奏者のウノユリカ女史の店「キャラバン」の10周年記念パーテ−に出演す。会場は、「かんぽヘルスプラザ」といふ、なんかよう分からん総合施設、の宴会場。キャラバンの常連さんを招いて、生バンドの演奏&豪華なコース料理・・・・といったところか。ユリカの人脈を示すやうに、ぢつに多岐に渡るお客さん&ミュージシャンが集まった。キャラバン自体はカウンターだけの、10人も入ればいっぱいになるやうな店なのに、10周年とは云へこれだけ沢山のお客さんを集められる、てのは大したもんだ。
出演者がみなオトナで、ぢつにスムースにパーティーが進行する。ジャズあり、ロックあり、歌謡曲あり、と盛り沢山。やはり、と云ふか、流石、と云ふか、特別ゲストの板橋文夫&小山彰太のデュオは圧巻!!であった。
ワシはソロを1曲と、Far east〜で4曲、ラストにセッションで2曲に参加。結構楽しく演れた。10周年おめでとう。でもくたびれたので、打ち上げはパスして帰った。ユリカ、怒ったかな・・・・(笑)。
28日(日)---------------------------------------------
ちょーとライヴが続いた後に、完全オフの日曜日は嬉しい。てなわけで、けふは一日ゆっくり。金曜日に置いて帰ったバイクを取りに、昼過ぎに市内に出ただけ。
29日(月)----------------------------------------------
1周して元に戻って来た月曜日。ヲ−キング→専門学校→水泳→イレギュラーレッスン→アクターズスクール企画会議。詰めに詰めたスケヂュールだったので、全部終わってもまだ夕方。安らかに晩飯の酢豚を喰ふ。
最近は、朝7:30頃に起きて、夜12:00には寝る生活をしてゐる。夏場は暑いから自然にさうなってしまふのではあるが、お陰でナイトライフなどとは縁遠くなってしまったな。タマには人のライヴとか、ぶらりとクラブとかにも行ってみた方がイイのだがね。まぁ涼しくなって来たらまた活動時間帯が遅い方にシフトして行くことだらう。
30日(火)---------------------------------------------------
アトランシア・ステルス『ヴァネッサ』に弾き馴染むあまり、他のベースにはほとんど興味が持てないワシであるが、ピエゾピックアップの可能性には屈しがたい魅力を感じてゐる。この夏、使いにくい、と云いながらもPieぞう(Zo-3)をメインにしてゐたのは、半分はウケ狙いもあるが、半分はあのチープなピエゾの音が好きだったからだ。ヴァネッサにピエゾを後付け出来ぬものかと、アトランシアの林社長に相談したが、『やめたほうがいい』とやんわり断られてしまった。ヌーム。
レッスンスタヂオに入って遊んでゐると、新曲のアイディアが浮かぶ。8割まで完成させておいて、後は歌詞を練りながら造って行くのが、最近のワシの方法。お陰で、歌詞が出来ぬために完成してない曲が2〜3あったりする。気が付けばソロ曲も20曲になった。
31日(水)----------------------------------------------------
Bobby's営業ライヴ。県立美術館内にあるリストランテ。ボビーさんの母校である、某K大学の同窓会、のゲスト演奏。会場入りする前に少しリハをせんか?といふ事だったので、うどんのわきたに寄る。まぁ前回のライヴ以来、会ってないもんな。日常的に唄ってるワシはさて置き、このユニットでしか唄わないマナブとボビーさんは苦しさう。
会場はPA設備などない普通のレストラン。機材は全部持ち込みだし、音量も最低限しか出せんのだが、ぢつはワシ、かういふ場所でのライヴて意外に好きだったりする。喫茶店とかギャラリーとかね。散歩してゐてエエ感じの店があったりすると、「あぁここでライヴ演らしてもらいてぇ〜」とか思ってしまふのだが、でもお客さんが集まらなきゃ意味ないしね。
さて、本番はお世辞にも段取りが良いとは言えなんだけど、そこそこ気持ちよく演れた。唄モノ4つにスタンダード3つぐらい演ったかな?。やっぱりマナブのドラムはいい。いつか絶対ワシのプロジェクトで叩いてもらわねば、ね。
参加者はみんなとても喜んでくれた様子。ひとりひとりわざわざ「ありがとう、楽しかったよ」と声を掛けて頂いた。すごいな、と思ったのは、参加者は皆だいたい50代以降の、まぁいわゆる初老の方々なのだが、全員が大学の校歌を憶えてゐるのだ。これには驚いた。ワシは忘れてる・・・・。