December
12月1日(水)---------------------------------------------
おぉゥ、12月になってしまった。早いものだ。
上チャンこと上野友敬氏が、衛星放送かなんかで録画したシェブ・マミ(アラブ歌謡「ライ」のシンガー)のビデヲを貸してくれた。先週、アマゾンから、この人のビデヲは日本には入荷できない事が分かった、みたいな事を云われたばかりだったので、かなり嬉しい。ワシはこの人のCDを偶然入手したのだが、それはもう10年ぐらい前の話だ。思ったより若ぶりなイケメンで驚く。と云ふ事はあのCDを録音した頃は、まだ10代とかそんなもんだったのかも知れぬ。恐ろしいシンガーである。やはり素晴らしい歌声。真似だけでいいから出来るやうになりたい。
インタヴーも入ってゐて、やはりアラブ世界全体の抱える問題などと無関係では居れぬ、かの国のアーティスト達を憂う。シェブ・マミは頑なまでにさういふ問題と無関係であらうとしてゐる。それがかえって痛々しい。自国ではものすごい人気者らしく、ファンが押し寄せてインストアライヴが途中で取り止めになるシーンなどもあった。
2日(木)---------------------------------------------------
「忙しさうだね」とよく言われるが、さうでもない。確かにまァあっちこっち動いてるし、露出した活動が多いから、さう思われるのだらうけど、かうして読まれるアテの無いかも知れぬサイトを毎週律儀に更新したり、50分チャリを漕いで行ったあと30分泳ぎまたチャリで帰ってくるトレーニングをしたり、女房とアホな話をしたり、たまに女房以外の女の子とデートしたり、土産の泡盛やマイヤーズを自家製ハムをつまみに呑んだり、といふ時間はたっぷり取れてゐる。睡眠が人より少ない、と云ふワケでも無ささうだ(ちなみにワシは大体2時に寝て8時半に起きる。みんなどのくらい寝てるんだらう?)。
レッスン後、オルカのリハ。MIやんが居らぬのでノーマイクでヌルい練習。このヌルさが良い。アレンジにしても、ステージで変化するかも知れぬパートはとりあへず飛ばす、といふコトまでやるやうになった。単に横着になっただけとも言えるが(笑)。すっかりヒッピー思想に染まってゐるワシである。
3日(金)---------------------------------------------------
専門学校。だうしたことか(でもないかな?)生徒がえらくリズムが悪く、あまりにそれが甚だしいので、新課題に行くのを辞めて、90分みっちりリズムトレーニングだけやる。お前ら、日頃からチャンと基礎やっとけよぉ。
ジムでエアロバイク40分、腹筋&サウナ。その後私塾で独りだけレッスン。夜10:00からナカハラヒサロヲ&フレンズのリハ。先月大阪に行ったのと同じメンバーで、明日の営業の為の一夜漬けセッション。駐車場が空いて無くて結構困った。機材を積み込むには荷台が狭い事が判明し、急遽ギターの本多君が、バンの後部座席に設置してある巨大なスピーカーを外すことになり、暗がりで作業。
ワシらのリハのあとに、上チャンがスタヂオに入って来て驚く。意外な所で会うね、と云ふ。社会人の余興バンドの監督として来てゐるらしい。が、その社会人達、スタヂオに着くなり、ビールを飲み、メシを喰いはじめる。なんなのだらうこのヒトたちは。
12月4日(土)---------------------------------------------
ナカハラさんバンドの営業の為、朝9:00に会場の西区民文化会館へ入り。けふはナカハラさんに所縁のあるピアノ講師の個人主催の発表会。それにゲストとして出場するらしい。決定的に男手が足りず、必然的にワシらが機材運びなどやるハメとなる。演奏もカヴァ−が中心で、まぁ完全な営業だな。ちっこい生徒達からワシらへ花束の贈呈などもあり、まぁ少しでも発表会の盛り上げに助力出来たのなら、嬉しい。
ギターの本多君、自分が運転する他人の車で、自分の車にぶつけてしまふ、といふナントもコミカル&ショッキングな事故を起こしてしまひ、落ち込んでゐる。わざわざ荷台を拡げる為、スピーカーを外すハメとなった昨日に引き続き、災難続きの本多君であった。外は久しぶりに気合いの入った雨。
夜、K-1見る。ムエタイ戦士ガオグライの芸術的なハイキックで、巨漢のモーが倒れた時は鳥肌が立った。が、その後は明らかなホームタウンディシジョンの連続で、不快。武蔵は1回戦で既に敗退してゐた、と思ふ。かつて極真空手の総帥、故大山倍達氏が『空手で外国人に負ける事は悔しいが、敗北よりも見苦しいのは地元有利の身びいき判定だ』と云ったことがある。あの言葉を現在のK-1にそっくり贈りたい。
5日(日)------------------------------------------------
椎名トリオのリハ。今週末からほぼ毎週遠征が入っており、けふが最後のリハとなる。が、またアレンジが変わってゐる。Oh my god !。曲に展開を持たせる為にコードを変化させる、といふ手法を使うあたり、やはりマ−坊は作曲家やな、と思ふ。ワシなら譜面に『ここは違ったかんぢで』とか書く。そこはワシがプレーヤーだからだらう。
リハが終わった時点で女房を呼び、佐伯&椎名夫妻とメシ。お馴染み『老四川』。火鍋、紹興酒。良く飲み良く喰う夫婦ふた組で、紹興酒2本がカラになる。その後更に佐伯家で秘蔵の泡盛(もう酔っ払って、味わからんぞ)。楽しくたらふくの夜だった。
6日(月)-------------------------------------------------
いつも通り8:30に目が覚めたが、天井がぐにゃぐにゃ回ってゐたので、また寝る。再び昼前に起きた時には、多少の倦怠感はあるものの、きしっと身体が動いた。紹興酒は酔っ払ってもあんまり酷い事にならぬのがよい。
専門学校でひとコマ授業をやり、ジムに行ってトレーニング&サウナ。完全に酒を抜く。讃岐うどんを喰ってからカズイのスタヂオへ行く。けふからいよいよミックスダウン。CD製作も最終段階に入った。今年中にマスタリングに出せれば良いのだが。
7日(火)--------------------------------------------------
専門学校。昼休みに北九州のテーさんこと村岡達也から電話。近況を訊ねる電話だったが、来年春先に新作CDを持って九州を廻りたい旨を伝えておく。テーさんのThe Egg's には新しいベーシストが入ったらしい。それをわざわざワシに報告して承諾を求めてくれるフェアネスが彼の人間の魅力だらう。
近所の河をヌートリア*が泳いでゐるのを発見する。東京で演奏活動をしてゐて、よく『シュウさんの唄からは大地とか青空とか、さういふモノが思い浮かぶ』と言われるのだが、そのたんびに『広島はそんなに田舎ではないのだよ』と云うてきた。が、あのヌートリアを見た時は、やはり田舎なのだな、と思ってしまった。さういやこないだ狸が死んでるのを見たし。ちょっと前に夜中にチャリで走ってたら狐と鉢合わせをしてしまったこともある。さうかと思へば、都心には心の貧しさを象徴するやうなスノッヴでノッポなビルが建ったりしてゐる。半端な都会なのだ。
*ヌートリア:ビーバーの仲間の水棲げっ歯類。小型の犬くらいの大きさで、水辺に棲み、雑食性。南米が原産で元々日本には生息してゐないはずだが、数年前から広島の河川で目撃され、かなりの数の生息が確認されてゐる。ペットとして飼われてゐたものが帰化したものと思われる。見た目は「巨大なネズミ」そのもので、かなり気色悪い。帰化動物の常で、生態系を壊すとして害獣扱いされてゐる。人間のせいなのにね。
8日(水)--------------------------------------------------
ローカルのTVで橋本勇夫さんといふオルゴール作家の特集を見た。結構ぐらっと来た。
橋本氏は、もう結構以前から、広島の中心地に自分の店を構え、自作のオルゴールを販売してゐる。そのオルゴールが奏でるのは、すべて氏の作曲したものである(知らなんだが、さういふ人は世界にも居ないらしい)。店には、世界でここにしか無い各種のオルゴールが並べられ、たまに、そのオルゴールと自らの弾くギターで「合奏」するサロンコンサートも開いてゐる。
コレはもしかしたら、ワシが一番やりたいタイプの事なのかも知れぬのだ。自分が生まれ育った普通の街の片隅で、ただ、少し変わった偏屈な奇人として、音楽を-------靴職人が靴を、服職人が洋服を作るやうに----------作り、それを求める人達と分かち合い、女房や気の合う仲間と、だんだん歳を取り、そのささやかに幸せな人生を、淡々と全うする事が。
最後に、橋本に質問があった。
インタヴア−:「夢はなんですか?」 橋本氏:「後の世に伝えて行けるような曲を作ることです」さうだな、オルゴールはCDやレコード、譜面や演奏そのものより、確実に「残る」ものだ。カッコええぞ!橋本さん!。
9日(木)----------------------------------------------------
かをりの雑貨屋「CUBE」からクルタを購入した。いちをうコレ、インドやタイでは正装なんで、今後はフォーマルな衣装が必要な時は、これを着る事にする。ので、それに合わせたズボンをユニクロへ買いに行く。同系色のチノパンが¥1200であったのでそれにする。前にインドへ行った時、ものすごく上質のシルクで作られたクルタ一式(現地では当時のレートで2万円。日本で買えば20万はするだらう。)を買わされさうになって焦ったのだが、今にして思えば、あれほど高級なものではないにせよ、買っておけば良かったな、と思ふ。
ワシはスーツを持ってゐない。いや、持ってない事はないのだが、もうサイズが合わぬ。冠婚葬祭はひたすら着物で通して来た。ジャズの仕事で必要な時は貸し衣裳だった。そもそも蝶ネクタイを『カッコ悪い』と思ふ(あれはホンマにみっともないよ)ワシは、今後クルタを正装として行かうと思ふ。クレームが付くなら、その仕事を降りればいいだけのハナシだ。こんな事を云うてるからカネが無いのだ。しかし、それでイイのだ。
10日(金)-------------------------------------------------
けふは椎名トリオで山口県は阿知須町へ出張ディナーショー。午前11:00過ぎに機材を満載したレンタカーで出発。高速道路を利用して、2時間もかからぬうちに阿知須町の老舗イタリアンレストラン「ペイザン」に着く。周りにほとんど何もないやうな立地条件で、ナンとこの店、30年も営ってる、といふ。30年前つーたらまだ「イタリアン」なんて言葉すら知られてなかった時代である。ひとつのレストランが10年続くことでも難しいと云ふのに、これは驚異的なこと。
店舗の二階にあるイベント会場にPA機材一式を組み上げ、ライヴが出来る状態にするのは、パーカスのマー坊の役割。この男はアレンジとか作曲とか監督とか料理とか、さういふ裏方の仕事をとても楽しさうにやってみせる。ワシなどよりもベーシストに向いてるやうな気もするのだが・・・。
さて、ペイザンの一流シェフ陣営が腕を揮う料理の数々が出揃ったあたりで、いよいよワシらのライヴ。ドレス姿の椎名さん、ラフなスーツのマー坊は問題ないが、白いクルタにタ−バンを巻いたワシが出て行くと客席がざわめいた。まぁ例によって「えせニック」全開のステージング。ソロコーナーのホーミーでは拍手が起こる。ワシは朝から胃だの頭だの関節だのが痛くて、あんまり本調子ではなかったのだが、かえってチカラが抜けて良い出来。今回色々と「冒険」とも云えるラインナップに挑んだ椎名トリオだったが、かなり高評価で受け入れられたやうで、3人ともとりあへずほっとする。社長はじめお店のスタッフからも大変な評価をいただき、早々と来年12月9日のディナーショウが契約成立。
既に賄いや打ち上げだのでたっぷりと料理をいただいてゐたが、さらに社長の大谷さんが自宅に招待してくれ、自ら料理の腕を揮い、ちょっち他ではお目にかかれぬやうなモノを沢山いただく。フォワグラと云ふモノを生まれて初めて食す。高級ワインもどんどん出され、超贅沢な気分を久々に味わえた遠征であった。大谷さん、まぁ成功してるリストランテの社長としては当然っちゃ当然、すごい大邸宅。映画やドラマ以外で、自宅にほんたうにプールがある家てのを初めて見た。さういふ所を全く感じさせない、ぢつに暖かで気さくなお人柄で、なるほどリストランテ「ペイザン」が30年の業績を誇るはずである。素晴らしい山口県は阿知須町の一夜であった。
11日(土)--------------------------------------------------
ついでに更新。山口グランドホテルに一泊。体調がイマイチなワシだったが、ぐっすり寝てやや回復。マー坊の好意で出発まで部屋でのんびりさせてもらへた。急ぎ広島へ。3人ともけふはけふで仕事。仲々忙しい人達である。帰り着くなり椎名さんは次の仕事の準備に取りかかり、マー坊はレンタカーを返却に、ワシは夕方からのレッスンに備へてひとまづ帰宅。飯喰って、今コレを書いてゐる(14:16)。これからアクターズスクールのレッスンに行く。
さう云えば、この道中、小林のカシラから電話があり、大晦日のカウントダウンライヴに出演が決まった。こないだの日記で大晦日元旦は自宅でゆっくり・・と書いたばかりなのにや。
12月12日(日)---------------------------------------------
微妙な体調。昼過ぎてから、女房と買い物を兼ねた散歩に出かける。途中、作りパン屋があり、立ち寄る。普段の我が家では、女房が米を喰い、ワシがパンを喰う、と云ふ生活なのだが、けふは二人揃ってパンで遅い昼食。
後は特にやる事も無く、終日リラックス。村上春樹「ねじまき鳥クロニクル」を引っ張り出して来て読む。かつて確かに読んだハズなのだが、全く内容を憶えておらぬので、新書を読むやうなものだ。読み進めるうちに、本の中から95年1月のギャラの請求書が出て来た。結婚する直前のモノである。この本が出たのが94年、とある。さうか、阪神大震災、地下鉄サリン無差別テロ、ワシらの結婚、あれから10年が経とうとしてゐる。てゆーか、なんでギャラの請求書が無傷でここにあるのだ?。
13日(月)-----------------------------------------------
微妙な体調につき、ヲ−キングはパス。ヨガだけやっておく。午後から専門学校、ひとコマだけ。ラーメンの博多屋でお持ち帰り高菜を買ったら、キャンペーン中らしく、もうひと袋貰った。それからカズイのとこに行ってミックスダウンの最終仕上げ。これでようやく録音に関する事は全部終わった。此所まで来て云うのもナンだが、作る必要があったのか?、それはこれを売って行く過程で答えの出る事なのだ。
日付が変わる頃、夜食を買う為、終夜営業のスーパーに寄る。居酒屋八剣伝白島店*の従業員だった女の子とバッタリ出会って驚く。ここ数年、店に行ってないワシを憶えてくれてゐた。
居酒屋八剣伝白島店:ワシが在籍してゐたジャズロックバンドS.Y.U.K.がマンスリーライヴ「月並試合」の打ち上げで必ず利用してゐた居酒屋。大食漢&呑んべぇのメンバーが、また大食漢&呑んベぇのファンを、3年間に渡って月イチで必ず連れて行き、毎回確実に¥30,000以上飲み食いするものだから、ワシらは完全に「上得意様」。営業時間を過ぎても残らせてくれたりしてゐた。チェーン店だが、他の店と比べてもここはサービスが良い。
14日(火)-----------------------------------------------
調子に乗って喋ってしまう事で、他人を傷つけてしまう事が、よくある。けふもさうだった。
特にその人をからかうとか、馬鹿にするつもりは全然無かったのだが、気が付いた時には既に遅く、「し・・・」とした雰囲気が、その人に漂ってゐた。かういふ事があるたびに、ワシは自分の口の軽さを心から悔やむ。必要な事以外は何も喋らぬ人間になりたい、と思ふ。でも、きっとまたいつか、同じ事をやってしまうのだらう。大学生の時に付き合ってゐた大人っぽい彼女が『あなたは全然成長しないヒトなのね』と云った事がある。今、良く分かる。君は正しかった。40にもならうとしてゐるのに、まだワシは全然成長してゐない。
レッスンでは、10年以上教えて来た生徒が「ベースを弾くことに熱意を持てなくなった」と云ふ理由で退会。さらに、オフクロから白内障の手術の為に入院する事になった、と電話。なんか落ち込む日である。クサクサするので、銭湯に寄る。そこでしばらく会ってなかった友人と、お互い全裸の状態でバッタリ。近況を聞きあい、お互い歳を取ったな、と話す。これが、けふ唯一の良い出来事。ヒトは、かういふ事に救われながら、なんとか頑張って生きて行くのだな。
15日(水)---------------------------------------------
今のメンバーになって初めてのオルカ団の、ライヴのテープを聴きながらヲ−キングする。とても良い。またオルカでライヴがしたい。早いとこMIやんが産休から明けてくれぬものか、と思ふが、こればかりはどうしやうもないね。
結構前からモティーフとして手元にある5拍子の曲を形にしたいのだが、ビっとする歌詞のテーマが湧いて来ぬ。潔くインストか全編ウルワーズにしても良いのだが、言葉とは、いちをう格闘してみぬ事には物事は見えて来ぬものなので。しかしこの歳になると、特に唄いたいテーマが無くなってしまう、と云ふのは困ったものだ。しかし愚例や微−頭のやうに、中学生の詩のやうなモノを、大の大人が恥ずかしげもなく歌える、と云ふのは、ある種の悟りなのかも知れぬな。そんな悟り、欲しいとは思わぬが。
16日(木)------------------------------------------------
日々、あてもなく点々を食べ続けるパックマンのやうな生活だが、気が付けば今年もあと半月である。風邪が流行ってゐるのか、レッスンは空きだらけ。例の「ねじまき鳥クロニクル」を読み続ける。ところどころ憶えてゐても良ささうなモノだが、全く新書を読むやうなかんぢ。ホンマに読んだのかね?。
夜はオルカのリハ。今年最後のリハだ。出来たばかりの新曲を持って行く。まだ詞も唄メロも不確定なのだが、リフとユニゾンを色んなパターンで演ってみる。当初はアフリカンで行かうと思ってゐたが、レゲエが驚くほどハマったので、レゲエで行く事にする。さうすると歌詞も自然に社会派になる。やはりレゲエは闘いの音楽なのだな。MIやんの復帰が待ち遠しい。
17日(金)------------------------------------------------
椎名さんに『シュウはハゲてハラが出てゐる』と云われる夢を見て、早く目が覚める。軽い朝食を摂り「ねじまき鳥クロニクル」続読。これ全三巻なのだが、長過ぎて途中で飽きて二巻までしか買ってないのだ。だから憶えてないのだな。今読みゃオモロイぢゃねーか。ここ数日、結構夢中になって読んでゐるのだが。
昨日ヤマハ広島店で、石川鷹彦のライヴ&クリニックがあったやうだ。石川さんは、昔かなり好きだったアクースティックのギタリストである。この人をコピーする事でアコギの腕を磨いたのだ。六文銭などでのちょいとエキゾティックなオブリとかすげぇ好きだった。で、思ったのだが、ワシはあのままギターを弾いてゐたら、今どうなってゐただらうか。やっぱりアジア音楽に傾倒して、今みたいなパフォーマンスを演ってゐたのかな?。それはそれでオモロかったのではないかな?。
12月18日(土)---------------------------------------------
朝、歩いてパン屋に行く。これまでは「ベーカリープチ」のホテルブレッドが、ワシの中で最高のパンだったが、最近見つけたこの作りパン屋『麦屋』の角食(食パン)はそれを凌駕する美味さ。それから、えーと何があったんだっけ?(ぢつはこれ12/24に書いてゐる)。
アクターズスクールのレッスンに行くと、何の偶然か生徒全員が遅刻。しばらくだ〜れも居らぬスタヂオで、独りぢっと待ってゐた。
19日(日)--------------------------------------------
オルカ団の団内忘年会。MIやん宅にメンバーが集まって、鍋をつつく。MIの息子(2才)が、まだ2回ぐらいしか会ったことのないワシに「シュウさんシュウさん」と、えらくなついてゐる。ワシは特に子供が好き、と云ふ訳でもない。むしろどちらかと云えば苦手なのだが、何故か昔から知人の子供になつかれる事が多い。
結構早い時間に解散して帰宅したが、その頃からくしゃみ、鼻水が止まらなくなって来た。
20日(月)--------------------------------------------
風邪だ。
けふは専門学校を休講にして、椎名まさ子トリオで竹原市で営業。ハートフル竹原といふ特別養護老人ホーム主催のクリスマスパーティーの、スペシァルライヴといふ形でのコンサート。明後日から2デイズで行なわれる「椎名まさ子&フレンズディナーショー」のラインナップを、スタッフを含めた全員で、そのまま持って行って演る、といふ形。
今年のこのトリオは結構音がデカいんで、老人ホームなんかで演奏して大丈夫なんかな?といふ気もするが、考えてみれば、音のデカさでは、ウチの比ではないツンちゃんのパーカッション軍団が、もうづっと以前から老人ホームの慰問コンサートを続けてゐるのだから、まぁ大丈夫か。半分ぐらいの人が耳が遠い訳だしね。
ワシもあんまり細かい事は気にせずに、ディストーションまでかけてぐにゃぐにゃ弾きまくり、えせニックヴォイスのソロも演った。看護婦さん達の中には、耳を塞いだりしてた人もゐたやうだが(笑)、まぁ大多数の人には喜んでもらへたやうで。
21日(火)---------------------------------------------
専門学校2004年最後の授業。特に感慨もなく終わる。その後、楽器店でも今年最後のレッスン。あぁ、早いな。今年も終わりかけてゐる。
オルカ団新作をマスタリングに出す為の最終チェック。カズイがCDフォーマットに焼いてくれたやつを聴く。良い!。ぢつは昨日まで、これをCDにして売る事に、ある種ネガティヴな考えを持ってゐたのだが、その考えは聴いて吹っ飛んだ。これなら自信を持って発売出来る。良いものが出来たやうだ。ただこれからマスタリング→プレスとなると、まだまだ時間がかかり、来年2月までの発表も怪しいかも、といふ状況。
22日(水)---------------------------------------------
さて、いよいよけふから2日間、椎名まさ子&フレンズのディナーショーである。去年は「風変わりなゲスト」としての参加だったが、今年からは「フレンズ」の一員として。相変わらずスタッフを含めた全ての進行が、友人らの手によって進められて行く。
演目は、椎名さんとエレクトーン奏者倉田香織のデュオ、マー坊の監督するコーラス隊Chotto voceの唄、そしてトリオ、トリオ+香織ちゃんのクァルテットの順。
日記に何度か書いてゐるが、今年のトリオは、従来の椎名まさ子のイメージとは少し違ってゐる。言い方は悪いが、「御贔屓筋」を相手にしたパーティームードのあったこれまでに比べると、今年はアーティストとしての椎名さん、バンドとしてのトリオの「ライヴ」といふ感が強い。ワシはリハを進めながら何度も『(これで)ホンマにエエのかね?』と訊いてきた。
実際、初日のトリオのステージをこなしてみて、ワシはお客さんの反応が気になった。明らかに「戸惑ってゐる」のだ。ワシ個人としては馴れてゐる反応だが、椎名さんのショウとしてどーなのか?。これまでどちらかと云えば耳障りのいいポップス&スタンダードを中心に唄ってゐた椎名さんが、いきなりディストーションをかけたベースのソロから続くWe will rock you を唄い出す訳だから、まぁ、ね。
終演後の反省会でワシがそれを云うと、椎名さんは「気にするな」と一言。ヌ〜、さうか。
23日(木)------------------------------------------
「フレンズ」ディナーショー2日目。ゆうべ、寝つけなかったので導眠剤を服んだところ、効き過ぎて、灰色猿に後頭部を殴られたやうに爆眠。まだ薬による酩酊感が残るまま会場入り。
演目は昨日と同じ。PAオペレーターが専任の村上政夫氏から、元JIVEのきむらあやこ嬢にチェンジ。あやこはJIVE時代にワシ専用のリヴァ−ブパターンなどを作ってくれたりしてゐた。マサオさんの後任、といふプレッシャーに少々緊張してゐたやうだが、見事大役を勤め上げてゐた。アー、しかしなんぢゃこのふわふわ感は?。導眠剤ってこんなにラリるものなのか?。
さて昨日、観客の反応が気になり、椎名さんにそれを提議し、ある意味納得したワシは、けふはあえて昨日と違う事をやってみた。まぁ、より「過激に」演った訳だ。客層も昨日より若干年齢層が下がった、といふ事もあり、けふの方が反応はダイナミック。椎名さんが目指した「変化」も良い形で受け入れられたやうだ。来年は、彼女にとっては初めての試みとなる「ライヴ」にも挑戦する(2005年3月4日)。さういったチャレンヂに、ワシのやうなものでも、力を貸せるのなら嬉しい。
無事、全行程終了。みんなお疲れ様でした。
マー坊の弟が経営するリストランテで打ち上げ。かういふライヴ後の打ち上げは、最後までイキたい所だが、疲労と薬効から、如何せん身体がだるく、食欲もない。断腸の思いで途中退席。先に失礼して帰る。とりあへず今年最後の「大仕事」終了。明日はクリスマスイヴだ。
24日(金)---------------------------------------------
連チャンのディナーショーも終わり、レッスンも残りわずか。朝から呑気に散歩を兼ねたヲ−キングで、パン屋に寄り、本屋に寄り、天気も良くて気分上々。けふはイヴ。何年ぶりかに教会の聖夜礼拝に出席するつもりで、結構前から準備をしてゐた。が、この男にはそのやうな人並みな安寧など、許してはもらえぬらしい。
まづ教会へ向けて出発した途端、ものすごい交通渋滞に巻き込まれる。枝道を選んでみるも、どのルートも車でぎっしり。家を出て1時間経っても、まだ半分も進まぬ。やれやれこれは遅刻だな、と思ってゐると、なにやら車の調子がオカシイ。アクセルを思いきり踏み込んでも、時速40キロぐらいしか出ぬ。アイドリングは安定せぬし、なんかえらい煙を吐いてゐる。なんとか教会の近くまで来たものの、さすがにこれはヤバい、と思い、すでに礼拝は始まってゐる時間だったが、取り合へず廿日市市の実家に避難。修理屋に連絡を取り、なんとか工場まで運び、応急処置だけしてもらう。
なんともツイてないな、と思ってゐたが、修理屋のおっちゃんが『けふ来た人にはもれなくこれをプレゼント中』とクリスマスケーキをくれた。かうなりゃ、ウチで女房と二人でクリスマスだ。帰りがけにチキンとワインを購入。普通のスーパーで売れ残ってるやうなチキンだったが、喰ってみるととても美味しかった。愛車が壊れ、礼拝には参加しそびれたが、取り合へず事故には繋がらなんだし、ケーキも貰えた。チキンは美味しかったし、まぁ行きがかり上実家に寄ってオフクロとオヤジにも会えた。2対4で良いことが勝った。
メリークリスマス!。今ぞ生まれし 君を讃えよ。
12月25日(土)---------------------------------------------
ほんたうはけふがクリスマスで、イヴはあくまでもイヴなのであった。確かにイエスが生まれたのは「深夜」ではあるらしいが、イヴばかり有り難がるといふのは、全く甚だしい誤解文化である。それにまぁぶっちゃけ云うてしまふと、なんと聖書の何所にも「イエス・キリストは12月25日に産まれた」とは書いてないのだ。
今年最後のアクターズスクールのレッスンに行く。イベントに駆り出されてゐるせいで、生徒の半分が休み。とても寒いのでカニのクリームパスタを作った。
26日(日)--------------------------------------------
思いがけぬ車の故障で、聖夜礼拝に出席しそこねた埋め合わせに、久しぶりの主日礼拝に行く。キリスト教ではクリスマスが終わってしまえば、後は「受難節」------いわゆるイエスが処刑された日までの日数を数える期間に入る。イエスの弟子達は、最終的に全員がイエスを見捨ててしまうわけだが、もし弟子の中にひとりでも、最後までイエスに忠誠を尽し、武蔵坊弁慶のやうな凄絶な最後を遂げる事ができる人間がゐたら、キリスト教の歴史は少し違ってゐたかも知れぬ。
教会の大掃除を手伝い、うどんを御馳走になる。その後、友人のダンススタヂオの総合発表会を見に行く。昨年も見に来て、ショウ全体をニュース仕立てに仕上げた構成が、とても面白かった。が、今回のは、MCが入ったりして、ちょっと説明臭い。それに最近、麻須美ちゃんなどのダンスのエキスパートと接して、多少は眼が肥えたのか、踊り自体も、どれもなんかどっかで見たことあるやうなモノの組み合わせ、といふかんぢで、イマイチだった。知ってるやつが全員出終わったのを確認して、帰った。
27日(月)--------------------------------------------
仕事場があまりに寒い。ニオイが嫌だったので久しく使ってなかった灯油スト−ヴを使ふべく、灯油を買いに行く。ついでに今年最後のガソリンも入れる。さて、灯油を買い、ウチまで運ぶ。ウチは5階建の5階で、エレベーターなし。手に持つとバランスが悪いので、抱えて運ぶ。4階ぐらいまで上がったところで、妙に生々しい灯油のかほりが・・・・。やられた!モレてゐる!。そしてモレた灯油でジャケットがびしゃびしゃ!。すっかりやる気をなくし、後は本を読んでぢっとしてゐる。
夕方からF楽器店の忘年会。刺身、唐揚げ、エビチリ、鍋と、ばんばん出てくるが、すっかり小食になったワシは、ほとんど人にあげてしまう。なにやら専門学校の生徒達が沢山来てゐて、何所の忘年会や?といふかんぢ。早い時間から焼酎のロックに切り替え、そのうち「飽きた」とヰスキーのロックに切り替える。トダミチの行きつけのバァに生徒達を沢山引き連れて二次会。ここでもタンカレェのストレートを飲む。店に置いてあったディジュリドゥを回し吹きしたりしてゐたが、なんか訳分からんやうになってきた。気がついたら5:30。生徒の車に便乗して帰る。
28日(火)-------------------------------------------
激しい嘔吐が午前9:30頃から始まり、以後、30分間隔でトイレに駆け込むゲロゲロ状態。裏返しにされたタコのやうな気分。最近、ひどい二日酔いをあまりしてなかったが、久々に念の入った二日酔いである。午後5:00くらいになってようやく1時間連続で寝れるやうになり、やれやれ、終わった、と思ふ。
その夜はナカハラバンドのリハ。こないだ椎名トリオの空き時間に3曲、けふ半日で2曲コピーしてオッケーのつもりだったのだが、上記のやうな理由で無理。正直にナカハラさんに「ごめん、2曲ほどやってない」と云ふ。ナカハラさん「オレも怪しいから」。その言葉通り、ほとんど問題なく(まぁロックンロールだからね)演れたワシより、ナカハラさんの唄の方が、だいぶ危なかった。それにしてもワシはなんで、いつの間にかこのバンドを手伝ってゐるのだらう。このバンドにはじろー君といふ若いベース弾きが居たハズなのだが。
29日(水)----------------------------------------------
体調復活。ぐっすり眠る、と云ふのは誠に神秘のパワーだな。椎名さんのディナーショウが終わってからと云ふもの、全くベースに触れてなかったが、けふ、久しぶりにケースから出し、練習。このベースも使いはじめて12年。今年も1年お疲れさま。9月以降フラットワウンドに張り替えてから、必要以上にギラギラせず、いいかんぢに鳴ってくれてゐる。
カシラからキャンセルの可能性のあった大晦日カウントダウンライヴの出演が、正式に決まったと連絡。アー、寒さうだなぁ。
夜、椎名さんから食事の誘い。ウチら夫婦と佐伯夫妻で、今年最後のエグゼクティヴな(←多分この使い方、間違い)ディナーを楽しむ。このパーティーでは、いつもは四川料理だが、けふはイタリアン。美味しいピッツァをばくばく喰いながら(なんと4人でLサイズピッツァ5枚!)、ハナシに花が咲く。閉店時間が過ぎ、佐伯家に河岸を変えて、また飲み、喋る。音楽、映画、コント、話は尽きず、結局映画『ゴジラ(1954年版)』をまるまる全部見て、お開き。良いお年を。
椎名さんから、ワシにウズベキスタンの帽子と、女房に「幸せ」の意味のあるペンダントのプレゼント。今年もこの夫婦には、ほんたうに世話になった。
30日(木)---------------------------------------------
ワインに焼酎、紹興酒とかなり飲んだが、ゆうべはアルコールをコントロール出来たやうだ。二日酔いはナシ。久々のヲ−キング&ヨガ。
昼過ぎから家の大掃除。台所を中心にがしがしとガスレンヂなどを磨く。汚れは落ちたが、レンヂの塗装まで剥げ、見た目にはますます汚くなってしまった。そいから歩いて買い物。電球、蛍光灯の類い。今年最後の「超食パン」を買ふつもりだったが、『麦屋』はもう閉店してゐる。ちっ。晩飯は鶏足のスパイシー圧力焼き。我ながらよくできた。美味い!。
31日(金)-----------------------------------------------
とても寒い。山間部は雪らしい。市内でも夜半には雪になるでせう、などとTVが云うてゐる。女房とバスに乗って買い物に行き、気が乗ったので歩いて帰るが、途中雨に降られる。何故かあんまり大晦日だといふ気がせぬ。風呂場で髪を剃る。その後は正月の間に喰う為の大量のカレーを作る。
夜、カウントダウンライヴの会場に行く。とても寒い。けふのライヴはラヂオの公開生放送らしい。こんなに寒くて霙のやうな雨も降ってゐるし、客なんか集まるのかいな?。リハをやり、本番までの空き時間、近所の居酒屋で少し飲む。
本番は11:30から。雨も上がり、熱燗で身体も暖まってゐる。お客さんもまぁまぁ集まってゐる。今年最後のステージだ。ところが本番中、いわゆるまぁ馬鹿の見本----成人式で祝辞を述べてる市長にクラッカーを投げるやうなヤツ----みたいな若い男達がイベント会場にやって来て、意味のない大騒ぎを始めやがった。幸い放送には支障は無かったやうだが。しかし、なにをどうすれば、こんな人間が出来上がるのだらうかね?。
本番を終え、スタッフテントでおでんを喰ってる間に年が明けたやうだ。
ケンカ、乱痴気騒ぎ、暴走行為、違法駐車、取り締まり・・・。いや、ホンマ、年の瀬に街中なんぞに出るものではないね。わざわざ見に来てくれた人もゐたけど、もう二度とこのテのイベントには参加したくはないね。