2007年春巡業日誌(4/6付けの日誌で発表)/蒼字にて補足説明


3月25〜26日(月)------------------------------------------------------------------------------------------------------------

午後8:30広島発の夜行バスで東京へ向かふ。車内は暑く、狭く、揺れや雑音激しい。おまけにゴムの焦げたやうなにほひが漂ってゐて、ほとんど眠れず。

やはり夜行バスの旅と云ふは、少なくともワシには向いてない。てゆーかあの行程で熟睡できる人ゐるんだらうか?。あれならまだ昼行便に乗って外の景色を見ながらうとうと微睡む、といふ方がぐっすり寝れるんぢゃないか?と思ふ。金額が安いのは魅力的だが、次からは夜行バスはやめやう。

午前6:30東京駅に着。定宿吉祥寺まで行き、夕方まで休む。夕方から下北沢でキキオン+リズマ・クノムバスのリハ。5時間ぶっ続け。咽が痛い。

キキオンのリハではいつも下北沢のスタヂオを使うのだが、なんとそこに昔の生徒がバイトしてゐてお互い吃驚。東京に出て来てゐる事すら知らなんだのだ。「えらい良く似た娘がおるが、まさか、ねぇ」と思ってゐたら本人だった。向こうもさう思ってゐたらしい。こんな大都会でこんな偶然、滅多にある事ではない。こは運命の出会いかっ!?とは思わぬが、まぁ嬉しかった。

27日(火)-------------------------------------------------------------------------------------------------------------

日中はCD漁りの散歩。ゲイリー・バートンの良く分からんやつを1枚購入。夕方からフリーライター小野寺隆之と西荻窪で呑む。そのまま小野寺の処に宿を借りる。夜半、熱が出る。

この日から一気に体調が悪化しはじめる。調子に乗って酒を呑んだせいもあるだらう。旅先で友人知人に会って呑む酒や喰ふ御馳走は確かにツアーの楽しみの一つではあるが、度を外すと長いツアー最後まで体力を維持するのが難しくなる。プロは体調管理も出来てこそプロ。かと云って友人らの誘ひを断るもナンだし・・・。うぅむ難しい。

28日(水)-------------------------------------------------------------------------------------------------------------

吉祥寺は曼陀羅2にてキキオン+リズマ〜のライヴ。この編成でのライヴもこなれた感あり。大いに盛り上がった。懸念した咽の調子もまづまづ。対バンのカルトゥーシュ楽団のホンモノのエスニック音楽に頭が下がる。スペシァルゲスト、ベリーダンサーイシスアツミさんの参加もある。イシスさん、超セクシー!。

キキオンは現在、結成以来かつてないほどメンバーそれぞれが多忙な日々を送ってゐるらしい。もともとキキオンは、バンド活動の他に正規の仕事を持ってゐる人達で、中でも仕事、育児、家事、バンドを平行する十時さんの多忙さは、端で想像する以上のものだらう。所属するポセイドンレーベルでは、キキオン+リズマ・クノムバスでの海外ツアーも企画されてゐるやうで、ワシもその実現を切に願ってゐるが、現段階ではちょいと難しいだらうな。

それにしても、対バンのカルトゥーシュ楽団のなんと素晴らしい事よ。このレベルでの、例えばブルースやR&Bを演るバンドなら、日本中何処に行っても居るだらう。しかしアラブ系民族音楽をここまで真剣に追求できるバンド、となると、やはり東京以外では考えられんのかなぁ・・・。

29日(木)-------------------------------------------------------------------------------------------------------------

国立は地球屋にて、尊敬するギタリスト酒井泰三さんとのカップリングライヴ。夢の共演の実現に酔いしれる。泰三さん、こんな風来坊の音楽家にも真摯に対応してくれる。音楽家としては当然、人間的にもたいへん素晴らしいお人柄であった。咽の調子は悪化。段々声が出にくくなる。

いつもワシは、リズマ〜のくどうげんたさんに東京でのライヴを企画してもらってゐるが、この日は初めてワシ個人が企画した。他所者がアウェイの地でオーガナイズする、といふある意味無謀な企画だったが、いづれは通らねばならぬ路である。げんたさんはお客として足を運んでくれた。他にもこちらでの友人知人ファン、思った以上のお客さんが駆け付けてくれて、とりあへずは成功、と云ふて良いのではないだらうか?。泰三さんに感謝。

30日(金)-------------------------------------------------------------------------------------------------------------

オフ。日中は洗濯など。夕方、東京の兄貴分、BARAKAのベース&ヴォーカル依知川伸一さんのウチに遊びに行く。晩飯を御馳走してもらひ、ベースを弾きっこして語り合った。体調やや復活。

なんとなく、この日に名古屋入りをしてもよいかな、と思ってゐたが、伸さんが誘ってくれたのでお言葉に甘える事にした。考えてみれば、ツアーで広島に来たBARAKAと偶然対バンになって、仲良くなって、その関係が今日まで続いてゐる、といふは仲々感慨深いものである。この人たちと出会った事で今のワシの活動があるのだ。う〜〜〜〜む。昨日までTシャーツ1枚で出歩けた東京だったが、この日は夕方にかけて信じられんぐらい気温が下がった。

31日(土)-------------------------------------------------------------------------------------------------------------

青春18きっぷを使ひ、6時間で名古屋に着。名古屋「リトルビレッヂ」でライヴ。マスターの幸至朗さん、店員のヒロミさん、着物姿でイカしてる。「待ってたよ」と云うてくれる。和やかな雰囲気の中、2ステージたっぷり2時間、歌いまくる。新曲もたっぷりフィーチャーして、お客さんも満足してくれた様子。うむ、良いな名古屋。

リトルビレッヂはアウェイの原点、とも云へる場所。幸至朗さんも、初めて訪れた時は『ふぅん、ベース1本で何やんの?出来んの?』てな雰囲気だったが、今では我が事のやうにワシの事を推してくれる。その時にたまたま店に来てゐたお客さんがヒロミさん(美人!)で、今は彼女も店員。ふたりして「(ワシが来るのを)僕らが一番楽しみにしてる」と云ってくれる。本当にありがたい。ア、ちなみに幸至朗さんとヒロミさんは夫婦ではない。

4月1日(日)-------------------------------------------------------------------------------------------------------------

名古屋二日め。けふは「ひまわり」といふレストラン。名古屋ライヴの協力者、小島龍治さん、鎌田麻実との「名古屋オールスターズ」ライヴ。会場の設営から動員まで、ほんたうに世話になりっぱなし。応えるべく力の限り唄う。咽の不調なぞと云うてられん。2ステージたっぷり2時間半。大盛況に終われた。ん〜〜〜む、名古屋はいつも最高のライヴとなる。

マミはオルカ団時代の「戦友」。実力派のキーボーディストだが、今は結婚して名古屋に住んでゐる。名古屋に滞在してゐる間はなにからなにまで世話になってゐる。けふは会場入りまでのあいだづっと町を案内してくれて、名物などを喰わせてくれた。ワシらを見て、ある人が『男女でここまで親友になれる、てのが本当にあるんやねぇ』と云ってた。

小島龍治さんも、ワシの最初の名古屋ライヴを見てくれた人。素晴らしいヴォーカリストだが、それ以上に見事に研ぎすまされた感覚を持つアーティストで、全くリハなしでも永年一緒に演って来たかのやうなものが出来る。うぅむ。来るたびに名古屋が好きになってゐる。

2日(月)-------------------------------------------------------------------------------------------------------------

移動日。18きっぷで3時間チョイで大阪へ。外は凄い黄砂の嵐。体調はまた下降気味。どうやらまた熱が出てゐる様子。元生徒小林大介のアパートにおぢゃます。どうにも身体がだるく、大介がリハに出かけた後、まだ10時だったが思いきって就寝。

大介は専門学校の生徒だった。その頃はミュージックマンをブリブリに弾き倒す体育会系のバンドマンだったが、今はおもにウッドベースで頑張ってゐるらしい。見かけによらず物腰の柔らかい心優しい青年で、狭いアパートのベッドをワシに譲り、自分は床で寝てくれた。関西にゐる間は彼の処に世話にならうかな?と思ってゐたのだが、さすがに『もう壱日泊めてくれ』とは云へなんだ。

3日(火)-------------------------------------------------------------------------------------------------------------

兵庫県は西宮、RJ&BMEsでのライヴ。ここからは大阪の朋友泉尚也さん率いるFaithとの合同ツアーとなる。西宮在住の名ベーシスト宇田憲明氏のPB Booとの三枚看板。お客さんは少なかったが、内容の濃い素晴らしいライヴであった。しかし3ツもバンドが出て、全部がベースとヴォーカルだけのユニット、とは・・・・。初対面のFaithのサポートドラマー藤山朋哉氏が「ウチに泊まる?」と云うてくれる。ありがたくお受けす。

大阪の泉さんと同じく、宇田くんもあの「地下室の会」の関西メンバー。弦をハジく生の音が客席に聴こえてくるやうなパワーヒッターで、ブヒブヒに歪んだジャズベースの音で女性ヴォーカル(奥さん)とデュオる。これが素晴らしい!。泉さんも思わず『こらウチもうかうかしてられへんな・・・』と漏らすほどの格好良さ。う〜む、かう云ふ編成やワシらのやうなソロが、もっと定着すればもっと色んなのが出て来てもっとオモロい、と思ふ。

宿を提供してくれた朋哉氏は、やはり「デラシネ人」であった。自分のバンドや色んなプロジェクトで、方々に出かけて演奏活動をしてゐる。ワシを見て「同じ種のにほひがする」と思ひ、気軽に泊めてくれた。ワシも彼のその言葉を聞いて「この人もまたデラシネ人に違いない」と思った。かういふ活動の、何がオモロイか、などを語り合いながら夜を過ごした。

4日(水)-------------------------------------------------------------------------------------------------------------

18きっぷで京都に移動。半年ぶりのNANOでのライヴ。Faithの他には地元京都の若手のバンドがふたつ。これが仲々オモロいバンドで、けふもまたかなりナイスなライヴ。昨日当たりからマトモな声が出なくなり、ラインナップの大幅な変更を余儀なくされる。が、それが功を奏して良いモノが演れた。嗄れ声がブルージィでこれはこれでまた悪くない。けふはFaithの唄姫、田中千夏嬢が「泊まります?」と云うてくれる。ありがたくお受けす。

京都の印象を一言で云へば、『若者が元気な町』。ワシは名所旧跡よりもそれが好き。このNANOといふハコに集まってくる人達にも、それを強く感じる。この日も対バンはふたつともかなり若い人達だったが、その音楽性は仲々侮れぬものだった。特にトップを演ってくれたシマシマタクシーといふトリオは、近年見た若手のバンドではダントツにオモロかった。かういふバンドは東京でもあまり見かけない。

千夏ちゃんの旦那はギタリストで、ワシの唄をたいへん気に入ってくれてゐる、と聞いてゐた。まだ若い夫婦だが幸せさうな暮らしぶりが伺え、ナゴむ。千夏ちゃんも「おっさんキャラ」で通ってゐるが、ぢつは極めて気遣いのある女性で、この日などワシの風邪に効きさうな薬をありったけ出して来てくれ、大変暖かいもてなしをしてくれた。感謝。

5日(水)-------------------------------------------------------------------------------------------------------------

アウェイの最後は、これまた半年ぶりの大阪Peace bar。Faithとの二枚看板。マスター「お帰りなさい」と云うてくれる。前回のワシのライヴのポスターがまだ貼ってある。本当にありがたい。ここも大いに盛り上がる。むか〜〜〜しの生徒が偶然名前を見つけて来てくれたりした。さぁ明日からホームでの二連戦。長い春巡業も、あと2日で終わりだ。

ここPeace bar は以前ワシが夢で見たバァにそっくりなのである。デジャヴか?と思ったほど夢に見たまんまなのだ。その夢を唄にしたのが、しーなとシュウで演ってゐる「水母の夢」。前回のライヴでそれを云うたのをマスターが憶えてくれてゐた。他ではあんまり演んないのだが、ここではソロで水母の夢を演る。Line6の、通称「もやもやディレイ」がないと出来ぬレパートリィなのだが、泉さんに貸してもらって演った。

6日(金)-------------------------------------------------------------------------------------------------------------

Faithのツアー車に同乗して広島入り(戻り)。2週間ぶりの故郷だ。けふはソロではなく、しーなとシュウで演る。ツアー出発前にやったリハの内容など、とうの昔に忘却の彼方だが、10日以上さすらいの現場に立ち続けた集中力は、そんな事を問題にもせなんだ。椎名さんもベストな演奏してくれる。ワシらにしては珍しくMCがたいへんウケる。Faithの演奏もノリノリ。2週間ぶりに会った女房も交えて、初めて打ち上げらしい打ち上げ。さぁ、いよいよ明日、千秋楽!!。

大阪〜広島間は車で3〜4時間。順調に進んでゐたが、途中大きな事故で高速道路が閉鎖されてゐて、仕方なく一般道を通って広島入りした。2週間ぶりの広島は、新緑萌ゆ、といふかんぢで、まさに「らのえてぃあ」にあるやうに『この旅が終わる頃季節も変わるだらう』といふ事になってゐる。

このライヴの為の宣伝活動が全く出来なかったワシの代わりに、椎名さんが頑張ってお客さんを呼んでくれてゐた。お陰で大入り満員。椎名さんに感謝。この日の演奏は申し分ない白眉の出来で、しーなとシュウのライヴでは初めて、完璧な『手ごたえ』を感じた。広島でかう思ったのはオルカ団以来かもしれない。このかんぢをもっと椎名さんに体験させてやらねばならん。

7日(土)-------------------------------------------------------------------------------------------------------------

ツアーの〆はジモカフェでのソロとFaithの二本立て。また機材の不調に悩まされる。こんだけ廻って来てどの場所でも云われない『ベースに問題あるンと違う?』といふ台詞をホームのジモで聞く、とはね。あんまりムカつくので、途中でPAを引っこ抜いて生アンプの音で演る。最後なんでもう声が潰れても良い。それにしても地元でのソロが成功しない、てのも、なんか陰謀が働いてンぢゃないか?といふ気にさえなってくる。

名古屋のライヴのMCで『地元ではこんなにウケない』みたいな事を云ったら、店のマスターが『地元ってなぁさういふもんよ』と仰った。まぁ、確かにさうかもしれん。しかし、たまに出演するクラブイベントなどでは、決してウケてない感じはせん。むしろ『へぇワシって結構ウケるんだ』などと思ふ事も多い。自分で企画する∴知り合いを呼ぶ=それがウケない、のだらうか?。要するに内輪ウケせん音楽、といふことなのか?。なにが良くてなにが悪いのか、人気と云ふものは不可解である。

この日、旅の仕上げに、と家まで歩いて帰る事にした。2時間ぐらいで帰れるかな?、と夜道を歩いてゐたら、警察に取り囲まれ職務質問をされた。やましい事は何もなく、ただ、気が向いたので歩いて帰ろうとしてゐること、背負ってゐるのは銃器などではなく楽器であること、自分は音楽家で2週間ぶりに広島に帰って来て、打ち上げを終えたばかりであること、を話し、納得してもらふ。深夜勤務御苦労さん。

8日(日)-------------------------------------------------------------------------------------------------------------

起きたら昼だった。女房が作ってくれたいちごシェイクを呑んで、また寝る。起きたら夕方。うどんを喰ってTVみて、また寝る。日頃5時間ぐらいしか寝んワシが、けふだけで10時間以上寝てゐる。かくもツアーの疲れは蓄積してゐたに違いない。

結局ゆうべどうやって帰って来て、いつ寝たのか記憶がない。ワンメーター分ほどのタクシーのレシートがあるのを見ると、途中で挫けてタクシーを拾ったやうだ。


まとめ

東京の協力者、久保田涼子嬢が『シュウさんが来たら、あぁ春が来た、と思ふ』と云ってゐた。毎年のこの時期に演奏旅をするやうになって5年が経つ。

ワシの場合、ただ旅をする、といふことには、あまり意味がない。ワシにとっては音楽こそがリアルなのであって、音楽を通して感じる世界こそが世界なのだ。音楽を伴わない旅はレヂャーであり、旅ではなく観光だ。そこで、音を紡ぐ事にこそ意味がある。まだまだ色んなところに行きたい。行って、音楽を演りたい。

そもそも太古の昔から、旅人は「他所の情報を供給する」といふ役目を帯びてゐたに違いない。迎え入れる人々は、異国の情報や物資を得る代わりに、旅人に宿を与え、糧を与えてゐたのだらう。そして場合によっては、確かに旅人の到来は、ある種の「こよみ」であったことだらう。

『風の谷のナウシカ』で、旅の剣士ユパに、城伯父のミトが「今宵はまた異国の話を聞かせてくだされ」と云ふシーンがある。泊めていただいた家で、これまでのツアーの失敗談などを話すワシは、まさにユパだった。そんな事を考えながら電車でバスで、次の町へと揺られて行くのは、たいへん愉快だった。

ワシは行く先々で、楽しい人に会い、好意に触れ、独りではあるが孤独ではない日々を感じる事ができるが、残される家族の寂しさは、かなりのものだらう。出て行ったきり2週間も帰って来ない夫を持った我が女房の、口にはしない孤独を、ワシは噛み締めなければならない。お土産なんぞでごまかしてはイケナい。いつか大きな借りを、このひとに返さなければいけない。

この旅で出会った全ての人と、全ての出来事に、感謝と、愛を。

こんな風来坊の音楽を聴きに足を運んでくれるお客さん、一緒に演奏して宿や飯を与えてくれた人達には勿論、カプセルホテルで早朝から大騒ぎしてワシの浅い眠りを破ってくれたその地のサラリーマンにすら、感謝と愛を。

帰りを待ってゐてくれた妻にも、感謝と愛を。

あなたたちが赦してくれる限り、ワシは地の果てまでも出かけまっせ!。

4月へ

写真はこっち