Septembar


1週目

9月1日(水)--------------------------------------------

朝、プールで1キロ泳ぐ。久々に本屋に寄り、元ティポグラフィカのサックス奏者菊地成孔のエッセイを買う。なんか病的な文章。オモロイ。この人ってあの菊池秀行の弟だったんだね。学生時代、菊地秀行のバイオレンス&エロス小説にお世話になったものだ。さう、ワシはエロければ小説でも

楽器店に新しいベースの生徒、入会。大学1年生の女の子。生年月日を見たら1985年、とある。やれやれ、この娘はワシが二十歳の時に産まれたのだ。そのうちワシがこの世界に入った頃に産まれた子達が生徒になったりするのだらうな。

2日(木)-------------------------------------------------

レッスンの為にスタヂオに行くと、ベースの大先輩K氏がゐる。『今はどんなこと演っとるん?』と訊かれて独弾云々のハナシをし、この度えへくたーを一新してシステムを組みなおす予定などを聞かせると、『あいか〜らず訳の分からん事しよるのぉ』と笑う。このK氏は、ナニカを直接教えてもらった事は無いのだが、師匠であると云ってよい存在なのだ。ワシの事を『邪道の極み』と笑いつつ、昔から色々と世話をしてくれたお人なのである。

夜はオルカのリハ。久々にバンドで声を出すとしんどい。MIは完全に妊婦モードだし、かをりはハモれんし、まちゃはギタリストのクセにコードを知らんし、まったく苦労の耐えぬバンドだ。


2週目


9月3日(金)--------------------------------------------

金曜日の日記を書き忘れてゐたやうだ。専門学校の授業ひとコマだけ。その後、ジムへ。受付嬢が『久しぶりですね』と云ふ。『ちょいと旅に出てまして』と云ふと、『もしかしてアテネですか?』と云ふ(この時アテネ五輪開催中)。ナルホド、かういふ所に来る人達には、さういふ選択肢もあるのか。

4日(土)---------------------------------------------

アクターズスクールに行くと、時間割りが替わってゐる。またまた連絡ミス。2時間空きが出来たので、ちょうど近所にあるカシラこと小林一彦の家を訪ねる。和子(わこ)が見たかったのだが、あいにく嫁さんと供に外出中。ワシが東京に行ってる間、彼は彼で沖縄をツアーしてゐた。独りで行ったワシに対して、カシラは友人やメンバー、家族まで連れて行くサービス精神。さういふ懐の広さはワシにはないねぇ。

さてスクールに戻ってみると、生徒のひとりが怪我をして病院に搬送されたとの事。発表会が近く、生徒達も気合いが入ってゐるのだが、かういふミスをしてしまふあたり、まだコドモである。レッスン前に全員整列させ、気を緩める事なく本番まで日々過ごすやう説教。このお陰か物凄いテンションの高い授業となった。ん〜〜〜〜センセイしてる。

その後、高校時代の友人2人と会ふ。この二人とは随分長く深い付き合いで、今や仕事や生活に接点は全くと云って良いほどないのだが、年に2回ぐらいかうして会ってはメシを喰いに行く。けふは焼肉。久しぶりに会うからと云って、それほど喋る訳でもなく、それほど飲んだくれる訳でもない。ただ、しみじみと呑み、喰う。かういふのを「友達」と云ふのかもしれぬ。

5日(日)--------------------------------------------

暑い。今年も結局クーラーなしで乗り切った。ウチら夫婦、50過ぎてどうにも暑さが身にこたえるやうになったら、クーラー買おう、といふことにしてゐる。このところの異常な暑さは、明らかに『異常気象』ではなく、『温暖化』の徴候である。あと数年もすれば日本は完全な亜熱帯気候になるだらう。気象庁はさっさとそれを認めて『日本亜熱帯化』を宣言すれば良い。そして他の亜熱帯地方の人々のやうに、昼から長い午眠休みを取り、一日に朝方と夕方のほんの数時間だけ働くやうにすれば良い。さうすれば日本も少しはマトモな国になるんぢゃないの?。

夜、結構な地震が間を置いて2回あった。さほど強い揺れではないが、ぢわぢわとした揺れが、結構長い間続いて無気味である。

6日(月)--------------------------------------------

昨日の地震、「かつて日本が経験した事のない」タイプのやつだった模様。100年に一度の割合でやってくるといふ西南海地震の前兆か?とメディアが騒いでゐる。まぁこれほどあっちこっちに温泉が湧いてゐる国。本当云えば、何時何所がどう噴火してもおかしくはないのだ。この平穏が偶然の上に成り立ってゐる事は知っておくべきだ。

先週に引き続き、巨大台風の接近。先方からの電話で、早々に明日の仕事が休みとなる。危機管理。

7日(火)-------------------------------------------

朝は、平静。いつものやうに散歩。昼過ぎ頃から徐々に風が強まりはじめ、2:00頃には一気に暴風域に。見ると遥か向こうに見える高層マンションの屋根に葺いてあるオサレ瓦が、まるでおが屑のやうに吹っ飛んでゐる。ウチの前の駐車場にも瓦やら、トタン板やらがばんばか降って来る。こらすげぇや!とカメラを持って外に(安全圏よ)出て、その猛威を写真に収める。かういふのをただ恐れたり、疎んじたり、面白がったりするのではなくて、なにかパワーを感じ取ってみたい、といふ気がするのは、やはりワシが変人だからだらうか?。

夜、結構な被害があちこちで出てゐた事が、次々と報道されてゐる。

8日(水)---------------------------------------------

台風一過。けふはしばらく中断してゐたレコーディング。とは云ってもワシ独りでの「なおし」である。まづ、唄録りを済ませる。すこし咽がイガラっぽく、イマイチ声に伸びがない、とカズイは不満さうだが、一応オッケーテイク出る。そして気に入らぬテイクの直しに取りかかる。検討の結果、まちゃのGu、MIのPfともに、悪いが「使えぬ」と判断し、カット。結局、出来るだけ避ける方向で進めてきたシンセを、全面的に使うことにして、マミがゐた頃のバージョンに近いもので完成する事になった。全部シンセを手弾きで入れた。

それでも「帰れアジアへ(ア、ネタばらし)」だけは納得行くテイクにならず、ボツろう!と決める。が、カズイが『これをワシに預けてくれぬか?』と云ふので、任せてみる事にした。カズイはこの曲がオルカのレパートリィの中で一番好きで、『なんとか世に出したい』のださうだ。しかし、ワシとて同じ気持ち。だからこそ中途半端な形で発表する事だけは避けたいのだ。ワシの中では既にボツることに決定しつつあるが、カズイを信頼して任せてみる。それでも納得行かぬ場合は、情け無用でボツるつもり。

何度も云うが、我々は「友達」と「遊び」で音楽を創ってゐるのではない。

9日(木)---------------------------------------------

ちょいと事情があり、フラメンコのカンテ唄。フラメンコでは唄パートをかう云ふ。ちなみに踊りをバイレ、手拍子をパルマと云ふ)を勉強してゐる。前々から非常に興味はあったが、アラブ〜インドの方への関心が強く、なんとなく敬遠してゐた。が、夏の東京ツアーでキキオンの十時さんに『シュウさん、カンテは出来ますか?』と訊かれ『エー、そのやうに聴こえるモノなら・・・・』と茶を濁してしまひ、『そろそろちゃんと取り組んでみようかな』と思ってゐた。

去年の夏に、東京は笹岡市といふ所で、夏祭りの駅前ステージにフラメンコの一団が出演しており、その時は女性がカンテを演ってゐた。これが仲々素晴らしい歌声だった。あれを自分の音楽に取り入れる事が出来たら、そは素晴らしき事だらう。

夜はオルカのリハ。録音の件を皆に伝える。ある種の『戦力外通達』には違いないので、云う方も辛い。

10日(金)--------------------------------------------

朝から雨がよく降ってゐる。専門学校は試験休み。夕方からアクターズスクールの発表会リハーサル。全体の平均が低年齢化し、いよいよワシに出来る事が少なくなってきた感あり。そろそろ本格的に進退を考えるべき時なのかも知れぬ。

帰り、千田町のOne love に寄る。ここのマスターMくんが、先日の満月祭の主催者。お礼の挨拶もかねて晩飯を喰いに行く。かういった所に出入りしてゐるミュージシャンと関わるたびに、ワシらドメスティックなプロがいかに狭い領域で自己満足をしてゐるかを思い知らされる。この人達は「自分の暮らしてゐる場所」から、あたりまえに世界中と(抽象的な意味ではなく)コネクションを持つ事に成功してゐる。これはちょっとやはりワシらとしては遅れをとってゐる感は否めないよ。

共通してゐるのは、みんな『バラ売り』が可能な点。ピンで行けるからこそ、何時何所ででも演れるのだ。そのフットワークの軽さこそが、横のつながりを拡げて行くポイントなのだよ。


3週目


9月11日(土)--------------------------------------------

昨日に続き、アクターズスクール発表会のリハで、1日スタヂオにカン詰め。とはいえ、見る事以外、特にこれと言ってする事もなく。ただただ目の前で踊り唄う子供達を見てゐる。センセイもしくは生徒によっては、付きっきりで監督してないと駄目なのもゐるやうだが、ワシは時折ハッパをかけてやる程度。まぁ泣いても笑っても明日が本番。ここに来てダメ出しをするやうでは講師にも問題があるか。

しかし、この催しも今回で10回め。そろそろ生徒やスタッフの間に、馴れと云ふか惰性が見えかくれしてゐる。生徒に低年齢層が増えた、と云ふこともあるだらうが、集中力が散漫で、ビっとしてない部分が目立つ。継続は本当に難しい。

外で食事を済ませるつもりだったが、意外に早く終わったので帰る。女房がワシの好物「鶏のさっぱり煮」を作ってくれてゐた。

12日(日)-----------------------------------------------

アクターズスクール発表会。けふは1日ホールにカン詰め。コドモに引率して来る親の中には、出演する生徒よりキアイの入った格好した母親なども居り、笑いを堪えるのが難しい。おいおい、アンタらが出るわけぢゃなかろーが?。

それにしても、講師に「お世話になります」はおろか、「こんにちは」の挨拶もない親など、既に当たり前。スタッフの為に用意された喫煙場所をベタ座りして占拠し、親同士のハナシに興じてゐる姿には、もはや悲しみすら感じる。

この親達は大抵がワシらより歳下。バブル期に少年少女時代を過ごした世代だ。なんちゃら云う小中高生に大人気のブランドは端切れのやうなタンクトップ一枚で¥7,000ぢゃげな。

場当たり、ゲネプロ、本番と演って終了。打ち上げへ。カン詰めの唯一の利点は、2〜3日金を使わんで済むことだ。

13日(月)-----------------------------------------------

久々の休みである。昼前にプールに行き、30分泳ぐ。その帰りホームセンターに寄り、コンパネ板、蝶番、ネジ、強力両面テープなどを購入。新しいえへくたーボードを作る為の材料。この外出中、2度もケータイが鳴り、2件とも奇跡的にワシをキャッチできた。これはかなりの確率(鳴っても気付かぬ事も多い)。

ウチに帰り、ベランダにて工作。今度のボードはデカいぞ。45×30がふたつ分だからコンパクトえへくたーなら15コは並ぶンぢゃねーか?。ワシは相変わらず空間系えへくたーばっかり。この夏のツアーで改めて気付いた、在ったらよかったもの、無くてもよかったもの、これから必要なもの、を選別。最終的にはベース、唄、カホーン、カリンバを全部自分がコントロールできるやうにしたいのだが。その為に何を使ってだうやって配線して・・・と考えてゐたら、気が狂いさうになったのでやめた。

夜は久々にカレーを作った。これまで何度挑戦しても失敗してゐたシーフードカレー(シーフードは塩分を吸いやすく、味付けが難しい、といふ特性がある)が、初めて何とか成功する。根菜類を多く入れる。小麦粉は入れず、さらさらのスープカレーに。

14日(火)---------------------------------------------

専門学校の前期試験の採点。彼ら若者を見てゐて思うのが、文章力の低さ。自分が伝えたい事、理解したい事を文面にする事が出来ぬ生徒の、なんと多いことか。聞けば、音楽雑誌の類いさえ、あまり読まぬと云ふ。だからあんな小学生みたいな歌詞しか書けずに、また、中学生みたいな歌詞に感動したりするんだよ。勉強せぇよ、お前ら。

いつもより2時間早く教室に入り、えへくたー周りの調整。うむ、おおかたの全体像は掴めてきたぞ。ついでに新しいサムプルをメモリーさせておく。これに1時間かける。自分のリズムの悪さがイヤんなるな。

ザヴィヌル・シンジケートの97年のライヴ盤を聴いてゐる。よく云われる所だが、マイルスかザヴィヌルか、といふテーマが在る(マイルスがファーストネームなのに、何故ザヴィヌルが「ジョー」でないのか?といふ疑問は無視する)。要するにバンドを配した時、そのサウンドにリーダーがどう云う具現を示すか、である。

マイルスは、あれほど優れたプレーヤー(マイルス卒業生は大体その後一気に飛躍する事が多い)を配し、かつ好き勝手に演らせてゐて、しかもオリジナルよりカヴァー曲が多い。だがその音楽性はマイルスそのものである。

反対にザヴィヌルは、彼がリーダーシップを取り、要所に睨みを効かせながらも、プレーヤー達は自分達の音楽を演ってゐる、といふ感じが濃厚だ。特にシンジケートのライヴなどでは、各メンバーのソロにザヴィヌルが参加して、キーボードを弾く事を楽しんでゐる、と云ふ気さえする。担当楽器の特性といふのもあるだらうな(トラムペットは単体では伴奏楽器にはなり得ない)。

ジャコ・パストリアスは優れたベーシストであり、かつ素晴らしい音楽家でもあったとは思うが、参加したのがウェザーリポ−トでなかったら、ジャコはあれほどまでに脚光を浴びる事はなかったかも知れない、とさえ思う。

そしてやはりザヴィヌル特有の、不思議なエスニック感覚は、強くワシに訴えかける。

15日(水)-------------------------------------------

朝、プール。帰りの足でS楽器店に寄り、機材を物色。当面の問題は、2種類以上の音源ソースを、ひとつにまとめた上で別個にえへくとをかける、と云ふもの。ラインセレクタ−かパラボックスかで悩んだ結果、センド&リターン機能の付いた2chミキサーにする。注文取り寄せ。正直なハナシこの店は、商品の管理が良くなかったりで、あんまり信用はしてない。が、まぁさすがに取り寄せの商品なら問題なからう。

16日(木)--------------------------------------------

でかい鍋で野菜と魚介を煮込み、インスタントラーメンをいれてチャンポンを作る。アジアの貧しい田舎の朝飯みたい。

レッスン。づいぶん長く教えてゐるが、しかし悲しいかなセンスがなく、仲々芽が出ず、本人もそれに気付きはじめてゐる、といふ生徒がゐる。彼が22歳になった、といふ(習いに来はじめたのは17歳)。今後オマエはどうしたいのだ?といふハナシをする。「音楽がやりたい」「自分にはこれしか出来ない」といふ。ぢゃあ、その為にお前が何をしてゐるか?と問われたら、何もしてゐない。ただ、仲間とバンドを組んで演ってるだけ。

彼に限らず、若いコらによく見かけるのだが、音楽はやりたい、でも貧乏は嫌、さう云いながら親元に住んでたりする。親を心配させたくない、などと律儀なことを云いつつ、ただ漠然とバイトをやり、ただ仲間内で楽しくバンド活動してるだけ。

音楽がやりたかったら、何よりもまず音楽を最優先にしなきゃ駄目なんぢゃないのか?。生活より、バイトより、遊びより、友人より、恋人より、セックスより、酒より、メシよりも、何よりもまづ先に音楽を置く生活をする事が、「音楽で生きる」といふことぢゃないのか?。いづれ成功するから、とか、一生芽が出ないかも、とか、さういふ事は関係なく、まづ、なにがなんでも音楽を「演る!」といふ事が、「音楽家になる」といふことぢゃないのか?。

そりゃ貧乏はするだらう。親は悲しむかも知れない。恋人は逃げるだらうし、嫁は苦労するだらう。だが、だからどうしたと云ふのだ?。

ワシは「頑張ればいつか報われる」とか「音楽はかけがえのないものを与えてくれる」とは云わぬ。なんにもならぬかも知れぬ。誰も救えないかも知れぬ。一生泥の中を這いずるやうにして、結局、最後の最後に「自分には才能がなかった!」といふ事を悟りながら死を迎えるかもしれん。むしろその確率は高い。

だが、それがどうした?。

やりたいんなら、やれ。

17日(金)------------------------------------------------------

えへくたー新調最終段階。注文したミキサーが届いた途端に、電源供給機が壊れた。仕方なくミキサーと一緒に買う事にする。また同時期に修理に出してゐたディレイが帰って来る。出費が・・・・!。

午後から岩本さんとサンサ〜ラのリハ。例によってあんまり決めない。『こんなの演りたいネんけど』とか、『かういうのどう?』とか、さわりの部分だけ打ち合わせ、あとは本番で。ワシも最近ハマってゐるカリンバでまた2〜3曲演る予定。ははは、オモロイわ。今回はどんなになるんやろ?(前回はスタートから30分で用意してたネタが切れ、あとは全部即興で繋いだ)。

こないだRecプロデュースのカズイに『オマエは昔からアフリカに行きさうで行かぬな』と云われ、それ以来、なんとなくアフリカが気になってゐる(単純やね)。いや、興味はとても在るのだ。むしろインドに興味が行くまでは、アフリカを熱望してゐたワシなのである。しかし、高いンだよな、アフリカって。行くだけで。


4週目


9月18日(土)--------------------------------------------

現メンバーになってのオルカ団で、初めての大型イベントへの参加。王舎城「杜のフェスティバル2004」に出場した。

半野外(巨大な天幕の下)といふ状況で、2000人規模の会場。あいにく天候に恵まれず、思ったほどの客入りではなかったが、楽しく演奏できた。しかし、なにせ広いステージなので、いつもはすぐ後ろからガンガン来る自分のベースが心もとなく感じられ、少々演りづらかったな。この位の会場ともなれば、ステージ上の出音はモニターでしかない。まぁこれも馴れだらうネ。

某宗教団体主催のイベントだが、フェスティバル自体には、宗教色は皆無で、純粋に音楽や芸能を楽しめるイベントだった。おかしかったのは『ワールドフードコーナー』のやうなものがあって、ちょっと楽しみにしてゐたのだが、出店されてゐたのはイタリアンスパゲティ、韓国チヂミ、フランクフルト、中華マン、シシケバブ、それと何故か長崎チャンポン(笑)。庶民的なワールドですなぁ(笑)。

この日ちょいと後味が悪い事件があった。ライヴの一番手に出場するハズだったTといふ三味線奏者が、外出したまま時間になっても帰らぬので、主催者側から出演順を繰り上げてほしい、と申し入れがあった。さうは云われても、ウチを見に来てくれてゐるお客さんもゐる訳だし、はいさうですか、と云う訳には行かぬ。天変地異が理由でもないのに、そんな非常識な人の埋め合わせをワシらがするのはオカシイのと違うか?と抗議した。するとナント3番手の出演グループに入れ替わりが依頼され、彼らはそれを受け入れる事にしたやうだ。

今回の事で、今後ワシ(オルカ団)への出演依頼は無くなるだらう。だが、ワシはわがままを云うたつもりはない。あの時の言動が間違ってゐたとも思わぬ。して当然の抗議をしたまでだ。だからオルカのメンバーと、3番手のグループ(友達の所属してゐるバンドだった)には申し訳ないことをした結果にはなったが、ワシが謝ることでもないと思う。

責任の所在は、外出して帰って来なかったT本人の怠惰な姿勢に他ならぬ。音楽家としても人間としても最低である。時間前に居ないのが分かった時点で、主催者はすみやかに他の出演者の演奏時間を延長し、本人には契約違反として断固たる処分をすべきであった。

19日(日)---------------------------------------------------

久しぶりに教会の礼拝に出席。昨日の事もあるので、心穏やかに安息日を過ごしたかったのだが、街のレーサー気取りのドライヴァ−とちょいとトラブり、ケンカする。ここ数年で更にドライヴァーの質が下がったやうな気がする。

それを機に、あと全ての事が上手く行かない。先日購入したミキサーに欲しかった機能が付いておらず、交換を申し込むと『ハコが残ってゐれば可』と云われる。が、ハコは買ったその日に踏み潰して捨てた。のでダメ。仕方なく交換は諦めてえへくたーの最終セッティングに取りかかるも、新しい配線を考えてゐると頭から煙が出さうになる。気分転換に修理が上がったディレイを引き取りに楽器店に行くと渋滞に捕まる。夜は恐ろしい腹痛に見舞われる。こんな日は早く寝るに限る、と寝たらイグアナに鼻水をひっかけられた。

20日(月)--------------------------------------------------

世間は祝日のやうだ。ワシはレコーディングの最終段階。けふはかをりも来て、ドラムソロを録る。苦労してゐる。カズイが『ワシに任せてくれ』と云って引き取ってゐた「帰れアジアへ」がイイかんぢに仕上がってゐた。狙いと違ってゐたら情け無用でボツるつもりだったが、これならオッケー。ありがとうよ、カズイ。あとは半日かけてピアノとギターをなんテイクか録る。これでおおかたの音は録り終わった。あとはゲストである。ア、ヴァイオリンの譜面書かなきゃ!。

日没前に解散。帰り道、けふは琴の榊さんの事務所に、イベントの打ち合わせに行かねばならぬかった事を思い出す。ヤバい、地図を忘れて来てゐる。仕方なく、うろ覚えの地名と記憶を頼りに場所を捜す。見つかるもんだね。

榊さん、チケットの売り上げが絶望的に悪い、と云ふ。かく云ふワシもほとんど売れてない状態。前日がライヴ、といふ事もあるが、普段¥1500で2時間演ってる人間が、¥3000で20分の出演では、さすがに売れぬよな。

21日(火)-------------------------------------------------------

早起きして、ゲストが弾くヴァイオリンの楽譜を書く。詳しい記譜法を知らぬのであまり自信はないが。

専門学校の後期の授業がけふから始まった。アー、また忙しくなるねぇ。昼を挟んで2コマやり、ヴァイオリン奏者オタマ女史(三代目春駒小林一彦の、嫁さん)を訪ねる。譜面を渡し、曲を聴いてもらって説明。『うわ〜〜〜難しい・・・・。現代音楽みたい』とオタマ女史。約2週間後を目安に録音してみることにする。

スタヂオ入りして、えへくたー最終チェック。なんとかフレキシブルなセッティングが完了。当てが外れたミキサーも活用。ムダにはならなんだ。よーし、明日明後日はこれで行くぞ。レッスン5人。ここ数日、1日のうちに雨が降ったりカラっと晴れたりのヘンな天気。

22日(水)------------------------------------------------------

けふはサンサ〜ラのライヴ。朝のうちプールに行って1キロ泳ぐ。レッスンは休みにしてゐるので、会場入りまでは時間がある。生徒の唄を録音したやつを、少しいぢる。

6:00に会場であるcafe 楽座に行くも、まだ空いておらぬ。近くの本屋に寄り、石田依良の「池袋ウェストゲートパーク」の3が文庫で出てゐたので買う。この人の本ってしかし、このシリーズ以外はオモロないんだよな。

店も開き、岩本さんも来て、リハ。新調したえへくたーシステムがしっくり来ぬ。てゆーか一旦バラしたのがいかんかった。どうやって接続してゐたかが分からぬやうになってしまった。そんなこんなをやってるうちに客入りの時間。晩飯を喰いそびれたまま本番が始まる。

このユニット、要らぬことを考えず『即興のバンドなのだ』と思うやうにしてから順調である。各自がソロを演り、それに相方が即興で絡む、といふスタイルで上手くいってるやうに思う。1stステージは3曲で1時間半!。結局メシは喰わぬまま、2ndは4曲で1時間と少し。秀逸はカリンバとウードのデュオ。この曲、ニューアルバムにも入れてゐるのだが(ウードは入ってないよ)、まだ良いタイトルが思いつかぬ。

専門学校の生徒達がこぞって来てくれており、ああ云ふ世代のコらには、『ベースでできることは全部やる』みたいなこのユニットはオモロイだらう。最前列に、ものすごいミニスカートの、それがまた素晴らしい美脚の女性が座ってゐて、これが

23日(木)-----------------------------------------------------

けふは琴の榊さん主催のイベント「Resolution」に出演する。あいにくの雨だが、会場が駅から直通で入れる場所なので、アストラムライン*で行く。

けふのイベント、ワシはイマイチ主旨が理解出来てなかったのだが、まぁ広島の色んな芸術家(ミュージシャンを含む)が集まって、何かムーブメントを起こさうぢゃないか、といふモノの一環のモノらしい。ワシは自分の事に対して、あんまり芸術性云々とか云ふのは好きではないのだが、色々と面白さうだったので参加した。

が、ソロでの出演だった為、楽屋などでは例によってづーっと独り。また、待ち時間がとても長いイベントだったので、仲々しんどかった。昨日買った「池袋ウェスト〜」を完読しちまったぃ。

ワシは2幕目のアタマに出場。考えてみたら、これだけきちんとしたでかいステージでソロを演るのは初めてだ。ホホーさう思ったら珍しく少し緊張してしまったよ。でも音を出しはじめたら、あとは平気。いつものワシのパフォーマンスを演るだけ。これだけのステージになると、ベースを叩いた音が『バシッ!』ぢゃなくて、『ドゥオンッ!』て云うネ。エエですねぇ。あとでビデヲを見せてもらったが、近年のベストに近いパフォームだった。

パンフレットに書かれてゐるワシのプロフィールが、なんか『ロック一筋20年!』みたいなかんぢで、なんやこれ?とか思ったけど、まぁ演りゃあ分かってもらえるわい、と思って演った。色んな人に『あのプロフィールはどしたの?』とか云われた(笑)。アレは野村くんの責任です(笑)。

チケットの売り上げが伸びず、懸念された観客の動員も、開けてみればまづまづで、取り合へずイベントは成功。お疲れさまでした。

打ち上げでも基本的に独りで飲み、独りで喰って、独りで帰った。こないだMIやんに『シュウさんは独りでも平気な人ぢゃね』と云われた。確かにまぁ平気ではあるが、楽しくはない。

*アストラムライン:広島市北西部を巡行する新交通システム(モノレールのやうなもの)。1994年アジア大会広島に合わせて作られた、バブル時代の産物。確かに便利だが、料金が高く終電も早い為、利用者は少なく、累積赤字ウン億円とかいふハナシ。現在も順調に赤字累積中。

24日(金)------------------------------------------------------

ライヴ2デイズの翌日の専門学校。ハー仕事とは楽でないものよ。

授業を終え、ジムへ。久しぶりにみっちり1時間、ウェイトトレーニングする。サウナで汗を流し、もひとつレッスンへ。買い物して帰り、晩飯を作る。


5週目


9月25日(土)--------------------------------------------

けふはアクターズスクールの期末最後の授業。普段は男の子のクラスだけを担当してゐるが、けふは小6から高3までの女の子27人のクラスを、臨時で代講する。なんか知らぬがものすごい疲れた。次は断ろう。

26日(日)-----------------------------------------

ライヴ漬けの1日。

まづ昼過ぎ、クアトロ広島に会場入り。けふは『広島ロック主義』といふ、まぁ典型的ロック系のイベント。ワシはFar east loungeで参加。他は若手のバンドがひとつと、ナカハラヒサロヲ&フェローズ、東京からヒートウェーブの山口洋氏を迎えての豪華(?)4本立て。

クアトロは以前、オルカ団で出場し、中途半端に広いステージに面喰らったが、今回も同じ感想。とくにFar east〜は日頃、ほとんどお互いに手が届くぐらいの広さのハコで演ってるからね。なんとなく演りにくいな、と思いながら演った。最後に山口氏を交えての出演者総出によるセッション大会。ギター×4、サックス×2、ピアノ、ドラムス、パーカス、ベース、唄×4、といふとてもデカい音が続く、といふ状態。さすがにこの人数だとハートキー二段重ねをフルボリュウムにしてもモニターできぬ。

ライヴ自体は円満に終了。ワシはケツカッチン*にて、挨拶もそこそこに次の会場へ。千田町はOne love にて、こないだ台風で半分ポシャってしまった満月祭の埋め合わせライヴ。に、ソロで出演。デカい機材を抱えて行ったり来たりはしたくなかったので、久々にディレイ1つだけで演る。

会場に行くと既に半分が済んでゐる。出演者の中にラムジーがゐた。『ボクのアンプ、使う?』と云うてくれたので、好意に甘える。とりあへずハラが減ってゐたので、カレー(なにかかなりしっかりした歯ごたえのある豚肉と、これまた異様にコリコリした根菜を使ったカレー。美味い!。ここのカレーは日替わりなのだ)を注文して詰め込む。

出番。けふはカリンバを使った1曲以外は、わりと唄もの中心に。すでに1ステージ終えて来てるから、良い具合に力が抜けて良い演奏。40分ぐらいは演ったのかね?。演目:バホ・アラビアータ/月の路/タイトル未定(カリンバ)/此岸の緋/丘にのぼる時、へーこれだけで40分も演ったんだ。曲が進むにつれて客が静かになっていったのが嬉しかったネ(逆はつらいけど)。

次のバンド(ベース、サンプラ−、フルート、アコーディオンのトランスユニット。仲々オモロイ)を見て、さて帰るベ、と思って時計を見たらam1:00。クアトロの打ち上げはまだ続いてゐるハズ。なので、珍しく顔を出してみることにする。

会場は宴たけなわ。入れ替わり立ち代わりの大セッション大会。久々に若いコらに混じってロッケンロールを4〜5曲ジャムる。とても懐かしく、新鮮だった。

この世界入りたての頃は、ウザったがれる位、かうやってあちこちのセッションに顔を出しまくってゐたもんだ。あの頃は演るもの演るものみんな楽しくて、特に『この人イイな』と思ってるミュージシャンから「ベース弾いてよ」とか云われると、演りながら『このまま死んでもいい』と冗談抜きで思ったりしてゐた。思えば嬉しく、懐かしい、俺の海の始まり〜(by豊田勇造)。

終わってみると、けふだけで3度のステージをこなしたことになる。が、さすがにチとしんどいね。タクシーの中で半分寝てしまった。

*ケツカッチン:芸能界用語。1日に2本以上の仕事が入ってゐて、ひとつの現場が終わり次第、次の現場へ向かわねばならぬ事態の事を云う。売れっ子のバロメーターでもある。ダブルブッキングと混同されることもあるが、こちらは逆にマネージメント下手の証明となり、良いことはひとつもない。

27日(月)--------------------------------------------

トリプルヘッダーの余韻去らぬままの月曜日。疲れ果ててゐるのに、8:30には目が覚める。やれやれ。昼からひとコマだけ専門学校。2年生になってから3回ぐらいしか授業に出てない生徒が久々に来てゐる。個人の教室なら『もう来るな』と云ふところだが、専門学校はさうは行かぬ。でもホンマ何しに来たの?と云いたい。どのツラ下げて来るのか、まぁ、来るのは構わんけどよ、みじめになるだけやと思うけどネ。授業に着いて来れる訳ないぢゃん?。

92年頃、カズイと一緒に作った「Gamba-arey」といふアルバム(カセット)がある。二人とも特に仕事をしてなくて、その頃出始めたマッキントッシュと8chオープンリールデッキを同期させて、全くの二人だけで作ったロックアルバムだ。Mixがイマイチで声が沈んでしまってゐる、といふ問題点はあるが、今聴いても、結構エエのである。曲もこの為に二人で書き下ろし、2ケ月ぐらいで8曲作ったのだ。この時からワシは、愛だ恋だをテーマにせずとも歌詞を作れるやうになった。云ってみれば「大人の歌詞を書けるやうになった」初めての作品だな。

しかし、こないだフと女房に云われて気付いたが、この時の歌詞は、現在と比べるとまだまだ説明っぽい。ちょうどこの頃スティングが好きだった、と云ふのもあるが、言葉も多いし冗長である。最近の歌詞は簡略化の一途を辿ってゐる。言葉がないのさえ、ある。音楽家は説明してはいかん、と思ふやうになった。MCも出来れば無くて良い、と思ふ。

28日(火)----------------------------------------------

午前中、銀行に行ったり郵便局に行ったり。昼前に大型ゴミの粉砕処理施設に、ゴミ(使わなくなった椅子、錆びた物干竿、引っ越して来た時からウチにある何故かサイズの全然合わぬ風呂蓋など)を捨てに行く。なんと車が列になって順番を待ってゐる。これ全部ゴミを捨てに来たんか?。前に来た時も思ったのだが、毎日これほど大量のゴミを出す我々の生活とは、一体なんなのだ?。当然、中には「これゴミか?」といふやうな綺麗なものもある。考えさせられる。ゴミは、決して無に帰してゐるのではない。ただ、自分の前から無くなっただけなのだ。

29日(水)----------------------------------------------

午前中、プールで泳いでゐると楽器店から電話。台風が来さうなので、本日のレッスンは中止にしてほしい、とのこと。ふん。今年はこれが多いな。午後から風雨強まる。結局これと云った被害は(近所では)出なかったな。一日中ビデヲを見たり、本を読んだり。夜はカボチャを使ってカレー作る。肉類が無かったので、ベジタリアンカレーとなった。おいしい。スパイスは偉大なり。女房にも好評。またインド行きたい。

30日(木)---------------------------------------------

レッスンに行くと、友人Bくんがゐる。最近ライヴで良く使うエレクトリックカリンバを作ってくれた人だ。彼が『お前が好きさうなサイトがあるでぇ』と教えてくれたのがこれOdd music.com。世界中の変な楽器を作ったり、演奏したりする人の総合案内サイトだった。ざっと見てみたが、いや〜〜〜ナントも・・・・。これ、誰がど−やって弾くの?といふやうなのがいっぱい。世界は広いわ。

中でも親近感を持ったのは、ワシと同じやうに、ベーシストでありながらインド音楽に傾倒するあまり、ベースでラーガを弾く為の変なものを作ってしまったMark Deutschといふ人。はっはっは・・・すげぇや。変態だの変人だの異端だの云われてゐるが、フツーの4弦ベースを弾いてるうちは、ワシもヒヨっこやね。アマゾンで検索してみると1枚だけCDがあったので、即、注文。

先述のBくん、ワシが例のカリンバを、ライヴやレコーディングで使ってることが嬉しいやうだ。今、ワシの為に世界でひとつしか無い(無さそうな)楽器を設計中とか。ありがたいけど、人間が弾けるように作ってよ。


翌月