週変わりのシュウ

写真と散文で語る神奈川ツアー記(とその後)

(個人主張強し)

2月20日(金)出発

コロナ対策チリバツ・・か?。
広島空港はガラガラ。
羽田→藤沢へ。
この時点で、もぅだいぶ飲んでる。けふは移動のみ。
藤沢で朋友平塚コータローの営む居酒屋「ペスカ」にて宴会。

2月21日(土)寒川カフェ・フルール

朋友 渡シューヘイ宅に在拠。
寒川神社へ参拝。しーシュの大成を祈願。
シューヘイ企画の若手二人とのライヴ。観客年齢層は高し。
王道ナンバーで構成。ウケる。
シューヘイのドラム仲間より、リズムの絶賛。楽しき夜。
シューヘイ、フルールのママHarukoさん、スタッフ一同に感謝。

2月22日(土)藤沢Bar ケインズ

老舗洋菓子屋「鎌倉小川軒」プリゼンツ男女6人湘南物語。
高満洋子上原ユカリ裕城領明子清水明日香、とウチらしーシュ。
素晴らしい一夜。
奇跡的なコラボ。
典型的な「天性型」と「学習型」の融合。
良くも悪くもしーシュらしいニッチ。
DJの存在には少しく疑問。

2月23日(日)相模大野 あずましぃ

全員が同じホテルに泊まり、ブランチ〜ランチまで。
再会を誓い合うメンバー。
それぞれがそれぞれの場所で、それぞれの縁を繋げれば素晴らしい。
ワシらはその後、相模大野の「あずましぃ」といふお店にチョいと顔を出し、縁を繋ぐ。

2月24日(月/祝)関内サラスヴァティ弁天

「渦中」の横浜へ。
中華街は春節祭前にも関わらずガラガラ。
経済打撃計り知れず。
加害者は完全に日本政府。
戦争屋のブッシュに靴を投げつけた、あの勇気あるアラブ人記者の精神こそ。
ライヴはいつもの顔ぶれ+懐かしい顔も。
この旅唯一のワンマンにて、たっぷり21曲。
次回の来訪も決まって嬉しい我ら。みんな健やかに。

2月25日(火)帰る

今回の旅は、まぁコロナだのなんだの喧しかったが、なにより「暑かった」。
いつもの冬支度で旅立ったのだが、ダウンを着たのは一度だけ。日中はTシャーツで過ごせるほどだった。春近い、とは云へこの陽気はやはり流石にオカシィ。

健康管理には気を使い過ぐるほど使った。ほぼ壱時間ごとに手を洗い、消毒し、ウガイをし、マスクは欠かさなんだ。それがどれほどの効果を呼ぶのかは分からんが・・。

帰りの飛行機やバスの中でも、政府の愚策が次々と報じられてゐる。水際ですら止められなんだエピデミックの責任を国民に押し付けてのぅのぅと「自粛」を語る総理。腐りきった政府。糞で出来たパンケーキを顔面にゆっくり押し当ててやりたい。

2月26日(水)

各地で「自粛」の嵐が吹き荒れ、イベントの中止が相次いでゐる。
我らも3月の行程のいくつかが、早々に中止となった。音楽教室も「休講せよ」との伝令。大手が絡むほどその傾向が強く、まぁたれもが「責任」を取りきれぬ不安から、さう判断せざるを得ない。仕方ない。中止も決行も英断だ。いづれも尊重しなければ。ワシは独自の考へで進むがね・・・。

文句を云はねばならぬ相手は政府だ。
きゃつらこのまま行けば、次は「学校を閉鎖せよ」といふ令まで出して来るだらうな。

2月27日(木)

バイトはある。
思へば、これをやってゐてよかった、と云へるかもしれぬ。微々たるものでしかないが、当面、稼ぎ口は確保できる。演れるライヴだけを演り、ぢっと「時」を待つ。それしか出来ない。

まぁしかし、騒動は何処へやら、メチャクチャに忙しい日ではあった。

2011年の3月、あの東北大震災のあとの世情に、とても似たものが世間を漂ってゐる。
あの時、多くの恣意と主張が入り乱れ、争うべきでないもの同士まで争ってしまった。その齟齬は今も続いてゐる。あの轍を踏んではならない。

2月28日(金)

ホラ出たぞ『学校に対する休講要請』。思った通りだ。
で、社会は普通に回せ、と。

強く思ふ。
お前たち政治家だけで働け。
国民には全員に休暇を与え、その間の暮らしを保証しろ。
肝心な時に国民を守れぬ「軍事費」を、全部それに回すがいい。

そしてお前たちは、不眠不休で働けばいい。

 

しかしまー、今まであんまり政治的見解を書いて来なんだが、これは流石に一言云ひたくもなるでよ。こんな総理ってありか?。云ふ事やる事ぜ〜んぶ意味不明。

2月29日(土)ソロ@欧風酒場ヴァンダンジュ

晴れがましい閏日ではあるが、世情は冷たく冷え込む2月29日。

広島では久しぶりのソロ・・・、いやこないだ神辺でもやったから「広島では・・」といふのは違うな。去年壱年、ジュゲムを隔月で借りて演って来たソロ。それなりの手応えと意義を感じはしたのだが、なかなか継続に至らぬのは、単にワシが怠惰だからである。

今回は店主の縄手ケンタからの提案で実現。ヴァンダンジュでのライヴは何度も経験してゐるが、いわゆる「手前看板」は初めて。このご時世もあり、集客は心配されたが、ケンタいわく『単身赴任者が故郷に帰ろうにも帰れず、行くところない奴がけふはいっぱい予約くれてゐる』といふ。それはそれは・・。

初めての場所で初めてのお客を前に演る、といふはツアーと同じ条件、て事だな。と、久々にややナーヴァスに臨む。最初に軽く挨拶し、ボチボチと・・。
すごい反応がある訳ではないが、なんか演るごとに掴めて行く感はあった。ただ、けふはなんかえらいことベースと歌のバランスが難しく、ピッチが取りづらいことこの上なかった。曲によってはだいぶ音痴だったんではないかな?。ギターの比率を増やしたほうが良かったのかもなぁ。ん〜〜〜〜〜〜〜、少し不達成感。

それでも終演後には色んな人(みんな若い)に声をかけてもらへ、久々にソロのCDもいっぱい売れた。ケンタはことのほか喜んでくれ、何度も感謝を述べられる。ケンタとはワシ30代はじめ、ケンタ20代はじめの頃に出会った。そっから25年は経った。今もかうして親しく付き合えてゐることに、こちらこそ感謝、である。

終演後はお客さんとしばらくお話。ワシにしては珍しいかんぢ。
ケンタがギター持ち出して来て、アフターライヴとしてもぅ一曲。世の中の混乱もなんのその、ヴァンダンジュは遅くまで賑わい、みんな楽しんでくれてよかった。

けふの難点は、まぁ機材もあったし雨も降ってゐたので、車で会場入りするしかなく、せっかくのヴァンダンジュのワインが飲めなんだこと。