週変わりのシュウ

私が去ってしまっても

春の朧

3月20日(金/祝)

ライヴを終えて祝日。
レッスンとリハは入れてゐて、そのために昼から動く。世間はフツーに春の行楽を楽しむ人が溢れてゐて、自粛ムードなんぞ皆無。伊太利亜や仏蘭西、亜米利加のタイムズ・スクウェアなんぞの世紀末的な閑散さからすると、平和そのものに見えんでもない。

来週やるザヴザとのライヴの最終リハ。
けふ ザヴザが1時間くらい演ると「休憩しやう」と云ったのに驚いた。前にも書いたが、しーシュのリハは2時間なら2時間、ひたすら演奏に没頭し、途中で休憩を入れることはない。
やはり以前、アマチュアのバンドのリハをちょいと見学する機会があったが、ワシからすると『謎の空き時間』がいっぱいあって、「これ、みんな なに待ち?」と思ふ時間をたいへん奇異に思ったものだった。世間では多分それがフツーなんだらう。

ワシは吝嗇ゆえにそれはナイ。タイム・イズ・マネー。

にしても、まだなんとも固まってないものも多く、大丈夫かいな、と。

3月21日(土)

結婚25周年を迎えた。

驚くべき事である。まさに驚くべき事である。
あっと云ふ間だった、とも思ふし、長かった、とも思ふ。まさに色々なことが起こり、色々なことが変わったり、変わらなんだりした。フーフ、といふは謎の共同体である。

肉食で祝う。日頃は食わぬ高級和牛を食ひに行く。肉は美味かったが、食ってる最中ワインを盛大にこぼしてしまい、半分以上自分にかかったもので、後半 身体が冷えた。最後の最後に上手くいかない事が多い日々である。

3月22日(日)

休み。休む。

3月23日(月)

バイト。とてもとても忙しい。
たれも外出を控えてなどおらず、屯って街を徘徊してゐるのだ。

しーシュの新曲のアイディアが浮かんだのを、とりあへず書き留めておく。
内容はさておき いつか「Dance」といふタイトルの曲を書きたい、と思ってゐて、メキシコへの演奏旅行が引き金となって、それが書けた。
今のワシは「Rain」といふタイトルの曲を書きたい、と思ってゐる。

3月24日(火)

ソロアルバムの最後の録り。
ど〜〜〜にも納得いかぬ一曲を、根底から演りなおし、まぁ取りあへず「弾き語りアルバム」といふ骨子は撤回することに・・・。んで試行錯誤を重ねてゐると、まぁまぁ納得するものが録れた。ツイデに、作ってから長らくの間、ほぼたれにも聴かせた事のない「うさぎの午後」といふ一曲を、タラし弾きで録る。

夜はしーシュのリハ。
昨日メモった新曲の断片を持ってって、しーなさんに歌ってもらふ。イメージをさらに進めるため。さすが我が相方、といふか、書き殴ってゐるメモ的な譜面を見ながら初見でサっと歌ってくれる。

ふむ、なかなか思惑通り。2020年最初の新曲となりうるや?。

3月25日(水)

バイト。
こないだほどではないが、けふもだいぶ忙しい。
春休みに入ったやうで、学生さんのバイトも帰って来た。学生バイト、とは云へワシよりもこの職場でのキャリアは長く、ワシのミスを指摘してくれる様なんぞ、学生さんもなかなかキレものが多い、のだ。

3月26日(木)

ザヴザとシュウ、の初ライヴ。

リハの足りん分を考慮し、早くに会場入りさせてもらい、ゲネのやうなリハのやうな・・・。「なんかやってみるか」といふライヴのタイトル通り、師弟コンビで、まぁ演れることはみんな演ってみる、といふスタンスで取り組む、いちをうパーマネントなユニットになる予定。

その初段となるけふは、ザヴザはチャップマン・スティックとベースVIと歌。ワシは4弦ベースとギターとピヤノと歌。いづれは一曲ごとに担当楽器を変えて、みたいなライヴをしやう、とまだ演ってないうちから・・・。

流石に時勢柄(戒厳令ぽくなりつつある)お客さんの足は遠のいたが、逆に初段らしいアットホームさに満ち、良いライヴだった。
リハでは不安な部分が多々あったザヴザだが、さすがと云へば流石、本番が一番良かった。多くの者がリハでは良いのに本番でコケるものだが、たまにかういふヤツが存在する。本番に強いモノ。やはり大したヤツである。

珍しくタラタラ喋りながら演ったので、ワシのいつものライヴと比べると長めになったが、それでも女房に「早かったね」と云はれる時間には帰宅できた。良きかな。

このデュオ。オモロいし、伸びしろもまだまだあるので、季節に一回、くらいのかんぢでライヴを打ってみやう、といふ話となった。ユニット名を考へねばね。

3月27日(金)

ゆんべライヴから帰る頃から雨が降り出し、そのまま夜を徹して降り続いたやうで、けっこうな雨。バイトのシフトが入らんだので仕事はレッスンだけ。昼は車を出して買い物したり。

コロナによる自粛規制で、配信による「無観客ライヴ」が定着して来てゐる感がある。考へれば昔はFMラヂヲで「生ライヴ」の放送を流してゐた。あれなどは完全に無観客ライヴそのものであり、メディアがラヂヲから動画配信に変わったに過ぎん、といふ意味では、これからのさういふ主軸になって行くのかもしれん。

個人的には、あの、演者がやや戸惑いながら演ってる放送(『え〜と、どんなかんぢかな?。お客さんがいねぇから、ナニ喋っていいかわかんないけど・・・』みたいな。)は、割と演者の「素」の姿が見えるやうな気がして好きだった

方法がメヂャーになれば当然そこには「格差」が出てくる。既に、無人のライヴ会場での撮りっぱなし放送と、プロユースのスタヂヲからのライヴ放送、といふ資金と技術の差が現れつつある。

それはまぁ良いとして、ここまでの物事がこの「自粛」で停滞してしまうと、もぅ簡単には起き上がれないんぢゃないか、とも思ふ。資金力のあるところはあるところで喘いでゐるだらうし、ないところはホンマに倒れてしまふだらう。

もともとギリギリのところで回ってゐた社会なのだ。あげな無能な政治家どもにこれからのこの国が救えるとは、到底思えない。