週変わりのシュウ

そして僕は途方に

8月1日(土)ーーーーーーーーー

「ワークショップ」と「セミナー」と「レッスン」の違いはなんだらうかね?、と思ってゐて、世には「レッスンのふりしたアドバイス」やら「セミナーのふりした説教」みたいなもんが溢れてゐる。
各地を回るツアーの合間に、このやうな取り組みをしてゐるミュージシャンは多く、何度かその手のに参加したことはあるが、正直「ん〜〜〜」と思ふものも多かった。が、まぁ、ライヴを見た当人と結構間近に触れ合える、といふ意味では、これもファンサービスの一つ、と捉えられんこともない、といふもので・・・。

まぁ、よぅは参加者が満足して帰ってくれれば良いのだらう。
受け付けてをりますよ。

8月2日(日)ーーーーーーーーー

広島で起きたコロナ・クラスターの余波が続いてゐる。多くはイデアとイズムの主張のし合い、なのだが、正直見てゐてしんどい。

原発の事故があった時もさうだったが、己が思ふことを相手に伝えねばならない、といふ(強迫)意思が席巻するのは無様である。あの時なんぞ『広島の人としてどう思ふか?』などとまで問はれ、なんかそれ関係あんの?といふかんぢであった。

いまやコロナに対しての認識もそれぞれで、仲の良い者たちまで、そんなくだらぬことで主張し合う姿は痛々しい。

8月3日(月)ーーーーーーーーー

1991年のベースマガジンが(書棚から)出てきたので、見る。
当時まだ若かった、いまのベテラン(ピノ・パラディノ等)などがインタヴーに出てゐて、流石にのちに活躍する奴はこの頃から光ってゐたか、と納得す。

それもあるが、やはり有象無象の(当時)新規楽器メーカーの製品。今やその名も聞かぬ、しかし当時はそこそこ注目を集めてゐたブランドもあり。このメーカーの創業者だったり開発部だったりした人って、今何処でどんな事をして生きてゐるのだらうか?を思ふ。幸せであれ。
レッスンひとり。

8月4日(火)ーーーーーーーーー

楽器店のレッスンに新入会あり。
こないだ体験レッスンを受けにきてくれた人である。ふたり受けてひとり入会、だからこの効率はどうなのか?。野生動物の生存率ならそこそこ、と云へるが・・・。

この人がなかなかカン、といふかセンスが良い。楽器経験は全くない、との事だが、こっちが演って見せた事をすぐに真似る勘が備わってゐる。このテの人をちゃんと伸ばせるか、もインストラクターの技量。てーのは、このテの人は往往にして、なんでもすぐ出来る故に 飽きるんも早いのである。
さうさせぬやうにしたいねぇ。

8月5日(水)ーーーーーーーーー

暑い。
朝からバイト〜レッスンふたり、と続き、けふはそのままヴィブラフォンのボビー脇田翁と、フリュートの進藤明センセイとの宅飲みに。手打ちうどん職人でもあるボビーさんの作るつまみを肴に、あれこれ語りながら飲む。
聞けばボビーさんは、ワシが生まれた年に大学を卒業したらしく、はァ!と・・。それを思ふと、バンド仲間である、といふは不思議な感覚だ。22歳も歳の離れた人間と、分け隔てなく友達関係、といふは音楽以外ではあり得ないのではないか?。

そのボビーさん、またどっかで店(かつて人気店「うどんのわきた」の店主として名を馳せたひとでもある)を開きたい、との野望を持ってゐるさうな。手伝おうかな?。

8月6日(木)ーーーーーーーーー

「あの日」である。
例年通り、チャリで広島平和公園まで出向き、8:15に合わせて黙祷を捧げる。コロナの影響で式典そのものは縮小されたらしいが、そんなのはそもそも関係なく。
そらエェんだが、この場に乗り込んで、あまり関係のない「政権打倒」を訴える一団(毎年ゐる)は今年もゐて、この人らの乱痴気騒ぎが黙祷を邪魔するのが毎年心底ウザいのだが、今年はまぁ静かではあった。

こやつらが行進を始めるために平和公園から出て行く時、『お祈りできねぇ奴はさっさと出ていけ!』と恫喝してゐた男性あり。まぁ、さうだね。あなたに一票。

8月7日(金)ーーーーーーーーー

バイト。
ぐぢゃぐぢゃに忙しい日だった。
けふ壱日で、働く仲間との絆がだいぶ深まったのでは?と思ふほどに忙しかった。

バイト帰りに村上春樹の短編集を購入。スタヂヲで早速読むべきかどーか迷ったが、まぁここは練習しておく。その後 レッスン二人。
盆が近いせいか、街や通りは烏合の衆で溢れてゐる。道路は渋滞。歩いて帰ったほうが早いやうな気もする。