週変わりのシュウ

鳴き声のあとに行き過ぎる猫の影

2月6日(土) ソルティ・ベアーズ配信ライヴーーーーーーーーーー

本当は華々しく「レコ発ライヴ」となるはずだったソルティの久々のJIVE。
先の読めない中で計画だけは途切れさせぬといふ意気込みで、皆進んでゐる。ソルティも同じ。完全無観客配信ライヴとして、けふを迎えた。

ここんところ集中してリハに入ってゐてえぇかんぢ。歌姫 かをりちゃんも今回は果敢にギターにチャレンヂ。この2週間は週二くらいでレッスンに通ってくれてゐた(笑)。まぁ、さういふ色々なポジティヴ要素を抱いて、いざ配信。

良い感ぢだったのではないか?と思ふ。反省点もないではないが、けふのがレコ発ライヴだったとしても、合格点は余裕で出せたものであった。個人的には木曜日に決まった演目、パット・メセニーの「Travels 」で、自分史的に1〜2のソロが取れた、てのが・・・。あのあと何回か家で演ってみたが、あのソロは取れん(笑)。ん〜〜、形にして残したいほどだった。

配信ライヴなので、早い時間に終わり、まぁ打ち上げもなぁ・・てかんぢで、近所のコンビニで弁当買ってきて、店で食べて打ち上げとす。
みんなお疲れ様。良い夜でした。

 

 

2月7日(日) ーーーーーーーーーー

しーシュの昼リハ。
チョイ出し用のライヴを撮る。久々にアクースティック・ベースを引っ張り出してみた。家の仕事場に、まぁフレットのないベースがずらっと並んでゐるのだが、ホンマはこんなに要らんのだがなぁ・・と思ひ・・。いっぱいバンド演ってりゃ、それぞれのアンサンブルで使い分けたり、とか出来るんだけどねェ。

動画編集のコツが掴めてきて、これに没頭するのがなかなか楽しい。気づけば夜。

2月8日(月ーーーーーーーーーー

よく晴れ。
しばらく会えてないオフクロの入ってゐる特養ホームへ菓子を持ってってやる。面会は出来ぬのだが、職員さんに土産を渡し、どんなかんぢに暮らしてるか?とかを訊く。まぁ息災のやうで、少し安心す。

帰り道、自分が生まれ育った辺りをチョイと散歩してみる。区画が変わってしまってゐて、どの道が昔あったものか分からなくなってゐる。が、さうして見てみるに、ぢつに狭い範囲に自分らの世界があったのだな、と。

子供のワシが落ちてちょっとした話題になった崖が、砂防工事の真っ最中で、あ〜これもコンクリで固められてしまふのか・・と、チョイ複雑。

 

2月9日(火ーーーーーーーーーー

カーラ・ブレイに、確か娘がゐたなぁ、と思ひ出し、カレン・マントラーを調べてみたらワシとほぼ同い年。なんか妙ちきりんなジャズを演る人、といふ印象だったが、最新盤は歌ものトリオのやうで、これが偶然にもワシの好きなベーシスト加藤英樹氏が弾いてゐる。早速ポチる。てゆーか、CDをちゃんと買うのは久しぶり、かな。

紙袋いっぱいで底が抜けさうなほどの本を古本屋に持ってった。書の買取価格は低いので、期待はせず、それでもまァ¥1000くらいには・・・と思ってゐたが¥780にしかならなんだ。やっすいなぁ・・。

レッスンでは久しぶりに女子大生の新入会あり。

2月10日(水ーーーーーーーーーー

今週唯一のバイト。出勤すると、なんやおかしな色のスウェットを着たチャラい兄ちゃんがひとりで飯を食ってゐる。派手なやっちゃな、と思ってよく見ると、元弟子のイノマルであった。
インディーズのバンド業界ではそこそこ名の知られる名物男だったやうだが、家業を継ぐためにバンドを抜けた、といふ話は聞いてゐた。元気さうで良ろしい。意外な場所でワシと遭遇して心底驚いてゐたらしく、あとでホールのスタッフから聞いた話では、もぅ米搗きバッタのやうに平身低頭して挨拶をして帰ってったさうだ(笑)。達者で暮らせよ。

バイト後、レッスンまでの間に、ツアーで広島を訪れてゐる 元爆風スランプのベーシスト、和佐田達彦さんを訪ねる。和佐田さん、一度築地のライヴハウスでご一緒し、しーシュを気に入ってくれ、急遽翌日のラヂヲの生放送にゲストで招いて頂いた事があるのだ。残念ながらライヴは見れんのだが挨拶だけでも、と伺った。

けふは11日続くライヴの7日目、とか。メンバーにも紹介して頂き感謝。お会いできて良かった。どうぞ良い旅を。

2月11日(木/祝ーーーーーーーーーー

世間的には祝日。

こないだ作ったはいいが完全にパクりに仕上がってゐた楽曲を作り直す作業。大胆に変拍子を導入し、リズムも変え、まぁ納得できるものには作り変えた。演奏しながら歌えるか、はまた別問題として・・・(笑)。

オーディオ・インターフェースが使えるやうになり、簡易録音がぐっとやり易くなったので、今後これでバックトラックなんぞも作ってみるかね、と密かに画策。

午後はしーなさんが自宅の一室を改装して簡易スタヂヲを作った(作る)といふのを手伝いに行く。部屋のどこにマイクを置き、どれくらいの音量で録れば良いか、などを夕方まで使ってイゴイゴ試行錯誤。

2月12日(金ーーーーーーーーーー

朝イチでチック・コリア逝去の知らせ。
近年のミュージシャンの訃報の中では、けっこう一番ぐらいショックが大きい。

1987年、エレクトリック・バンドを率いて来た広島公演を観に行き、海の向こうの電化ジャズの底知れぬ実力を思い知らされたものだった。「こんな音楽に敵うはずがない」と思ひ、しばらくベースを弾く気もせなんだのを憶えてゐる。

定番曲「スペイン」を知ったのは、ぢつはだいぶ後になってのこと。以降、55歳の現在まで何回演奏したことだらう。ツイこないだも薬研堀夜市で演奏したばかりだった。このタイミングで「スペインを演ろう」といふ流れになったのは、何かの知らせだったのかもしれんなぁ、と・・・。

あの世がどんどん華やかになっていくなぁ、との思ひ。