週変わりのシュウ

空飛ぶ円盤には兄貴が乗った

5月15日(土)ーーーーーーーーーー

夜市明け。のんびり寝てゐたかったが、PCR検査の受付がまた混雑しさうなので、開店直後に検体提出するため、朝一で乗り込む。まぁその甲斐あって、すぐに提出でした。その後、天候も崩れてきたので、まぁ早めに行っておいて正解だった、と。

あとはのんびり休日。昨日のライヴの動画をまた見て、悪くなかった事を再確認。映画を二本見て、音楽聴く壱日。グレッチェン・パーラトカレン・マントラー以降、「これ」と云ったものに出会えてないな。

5月16日(日)ーーーーーーーーーー

しーなさん所に行き、今年の2月に買ったまま、まだ未開封だった新しいパソコン(しーシュで同じものを揃えた)の「開封の儀」執り行う。しーなさんの息子のアドヴァイスを借り、旧PCとのデータ移行あれこれ。

結局私のは旧データの容量が大きすぎて、けふのうちの移行が難しかった(要5時間、と出た)ので、途中でやめた。まぁ、しーなさんの旧PCはすでにヤバいかんぢらしいが、私のは同じ旧式なれどさほど可及的速やかな移行をせずとも良ささうなので、また日を改めて。

5月17日(月)ーーーーーーーーーー

バイト。けふから広島にも「緊急事態宣言」が成され、飲食店の時短および休業が始まった。流石にその流れあってか、一番忙しい昼時間もさほどの混乱はなく、きっちりと従事できた。

けふのその後、だいぶ時間を空けてのひとコマレッスンが予定で、まぁ昼飯食ったり雑貨屋覗いたりして時間ツブしてゐたが、生徒から『会社でPCRを受けるのでしばらく人と会うな』と云ふ指令が出たさうで、休み。ぢゃあバイト終わってすぐ帰りゃ良かったな、とか思ひながら・・・。

この頃、昼はかけ蕎麦がデフォルトだが、チョい疲れたり、ハードな予定が入ってたりするときは「汁なし担々麺」を喰ふ。これがまたレッスン会場の真下に店があり(蕎麦屋はレッスン会場から徒歩2分)、ますますテリトリィが広がらぬ私の人生。

5月18日(火)ーーーーーーーーーー

ソロ作品「ありばだ」が売れない。
まぁツアーができないから売れんのは分かってゐるのだが、同じくツアーのできない立場のしーなさんのソロ作「シエスタ」が、すでに元手を取るほど売れた、と聞き、そはどぅいふ事か?。それほどまでにこの街の人は、私の作品への興味がないのか・・。

では通販の間口を広げるしかない。と、全世界へ向けてアッピールするため、初めて「販促ダイヂェスト動画」なるものを作ってみた。「チョイ出し椎修」のおかげで編集技術が身に付いたので、それを流用せん。

早速公開してみたが、はやり反応薄し。旅がないから売れない、といふ訳でもないのか?。ん〜〜〜〜〜〜・・・。

5月19日(水)ーーーーーーーーーー

こないだの夜市を終えて以降、家での練習にはづっと5弦のベースを使ってゐる。

Low側ではなくHigh側に弦を加えた5弦仕様のこれは、金に困ってゐると云ふ生徒から買ったもの。名工「串小屋・尾窪氏」のリペアでフレットレス化し、しーシュの新作でベースソロを録った。

ここん処、新しい音楽性を求める傾向にあり、ギターの低音側にベース弦張ってみやうとしたり色々企んでゐて、その企みのどこかにこの5弦が使えぬものか、と考へ・・・。

5月20日(木)ーーーーーーーーーー

私は意外にもレゲエを深く愛しており、中でもやはりボブ・マーリィは特別な存在として心にいつもある。音楽性そのものが、思想や宗教と深く結びついており、そこを避けて通るとレゲエの本質は見極めれないのであるが、純粋に音楽のいちスタイルとして嗜好してゐる。

なかでもボブのバンドとして名の知れるウェイラーズ、そこのベーシストであるアストン:ファミリーマン・バレットのベースには、ぢつはおぉいに影響を受けゐる、と云っても信じてもらへぬが、さうなのである。私はパラパラパラパラ弾く早弾きにはあまり興味がないが、「歌う」ベースが好きで、このアストンのベースはまさによく「歌う」のである。

んで、このアストンの通り名であるところの「ファミリー・マン」てゆーのも、複数の女性との間に52人もの子供を儲けてゐる、といふ意味らしく、それもまた・・・。

5月21日(金)ーーーーーーーーーー

バイト。
緊急事態宣言下とは思へぬ忙しさであった。
そもそも職場に向かう道々に、なぜか高校生やそれに近い餓鬼が溢れており、これらは日が暮れても引かず、なんで?と思ふかんぢであった。

昼飯を食いに入った食堂で垂れ流されてゐたTVで、コロナについてのあれこれをやってゐたが、その内容たるや「正しいコロナの知識とその対処法」なのではなく、単に「感染者の数と程度、その区分」のみをクローズアップし、過剰に不安を煽るもので、なるほど今この国のマスメディアがやってゐるのがこれなのか、と。

辺見庸氏が著書で語ってゐた。
「何より怖いのは『分類』と、それにまつわる根拠のない『納得』である」
けふのアレを見る限り、TVがやってゐるのは、まさにそれなのだ。