週変わりのシュウ
6月26日〜30日
いま僕の心を癒すやうに
6月26日(土)ーーーーーーーーーー
こないだ「チョイ出し椎修」の撮影、といふか録音でbassVIを使って以来、まぁこれの可能性といふか実現性をチョイチョイ追求してゐる。弾けば弾くほどベースでもギターでもない変わった楽器である。
色々うまく活用してゐる人の中で、やはり鎌倉のカイ・ペティート氏の使い方が群を抜いてうまい。彼はこの楽器の真ん中の弦二本(DとG)を1オクターヴ高くしてゐるさうで、まぁそれを駆使する技術自体が相当なものと見受けられるが、ぢつに見事な完全楽器として使いこなしてゐる。
まぁこれを真似してもダメだと思ふので、私は私なりに改良を。思ふにやっぱこれ5弦ぐらいで完全5度の調弦ならば・・・てそりゃ結局5弦ベースだらうが、と自分でツッコミを入れつつ・・・。一度弾き語りに使ってみるかなぁ・・・。
6月27日(日)ーーーーーーーーーー
こないだから進行してゐるMAYUさんのレコーディングの仕上げ。
早くからスタヂヲに缶詰で、アレコレ演る。
バックのしーシュの楽器群はあらかた録り終えてゐて、けふは主にコーラスのアレンジやら・・。いちをう私はマユさんの「歌の師匠」と云ふ形なので、歌や歌詞などにもアドヴァイスなんぞを・・。
自分で云ふのもナンだが、コーラスのアレンジや技術に関しては、全くもってもぅ少し世間から評価されてもよいのではないか?と思ふほど、うまい、ハズだ。私は・・・。
だが、一度、とある歌うたいに『まぁ所詮アンタはベース弾きだかr』のやうな事を云はれ、私より先に仲間がキレてくれたので血を見ずに済んだのだが、結局のところ、あぁいふ無駄な先達による歪んだ「見方」が、出る釘を打つのだらう、と思ふ。私は後輩や弟子に対して、あんな態度は絶対に取らない、と心がける。
まぁそれはさておき、マユさんの歌も予想以上に調子よく進み、仕上げはもぅ本人の納得に任せるところまで演って、けふは見事終了。よき仕事、楽しい現場がこなせて、我らも満足だった。オペのマサヲさんも楽しさうにやってくれてよかった。
ライヴもツアーも、とある点を過ぎたら、いちをう「終わり」といふ形になり、そは予想外に寂しい。とりあへずマユさんには『(これで終わりではなく)レコ発もやるぞ』とハッパをかけておく(笑)。
6月28日(月)ーーーーーーーーーー
期せずして休みとなった月曜日。
それを見越してか ゆんべはやや飲み過ぎた感あり。スタヂヲの冷蔵庫にあったビールをあらかた飲み干したなぁ・・。ハラの調子が悪い。ぐぬ〜〜〜。
だがまぁアレなので、久しぶりに料理に没頭。けふは手作りコロッケに挑戦っ。兼ねてからカレーコロッケを作りたい、と思ってゐたのであった。
レシピを調べるに、ぢつにめんどくさい。芋を煮、冷ましてツブし、肉と玉ねぎを炒め、それも冷まし、こねり混ぜ、形成し、卵液に浸け、パン粉をまぶし、油で揚げる。
どーせウチにはふんだんに油を使えるフライヤなどない。ここはいかに手抜きが出来るか、をテーマとす。
芋と人参を煮、肉はコンビーフで代用。玉ねぎも要らん。しをこせうとカレー粉で適当に味をつけながらこねり混ぜ、形成し、フライパンに並べ、上からパン粉をかけて押し付ける。よぅはコロッケの味がすりゃ良いのだ。
かくして、ややいびつなカレーコロッケが出来上がったのであった。
わりとさくさく。
6月29日(火)ーーーーーーーーーー
バイトのシフトが来てみてびっくり。一瞬なにかの間違いか?と思ふほどの長時間勤務。しかしよく見ると『梶山さん・超ロングシフト。ファイト!!』と書いてあり、あぁ記載ミスではないのだ、と・・。しかもなんやら後半2時間はひとりで厨房を仕切る事になってゐて・。まぁけふはこれだけなので・・・。
んで、まぁ どうにかやり切れた。
昼は忙しかったが、幸い独りになってからの時間帯はさほどの来客はなく、ペースを守りつつ職務に従事できた。しかし6時間立ちっぱなし、てのがシンプルにコタえた。アキレス腱が痛い。
夕方の帰宅びとのラッシュに紛れながら帰ると、女房もちょーど仕事から帰ってきたところで、こんなのは結婚以来初めてではないか、と・・(笑)。
6月30日(水)ーーーーーーーーーー
昨日はバイトがロング・シフトだったが、けふはレッスンが「ロング」。16時から21時まで生徒が入る盛況。毎日こうならバイトせんでも済むのだが・・・とこれ書くの何回目か・・・?。
椎名林檎の東京事変がYouTubeチャンネルを開設し、メンバーそれぞれの個性を一週づつ紹介する動画が上がってゐて、これが相当オモロい。現代日本一線の曲者ばかりが集まったバンドだけに、その個性もそれぞれ抜きん出てゐて、よぅもまぁここまで変態を集めたものよ、と改めて椎名林檎の才と采配に恐れ入る。
さういやむか〜〜〜しの生徒で『いつか椎名林檎のバックでベースを弾く!』と云ふ夢を掲げて東京に出てったヤツがゐたなぁ。まぁ亀田師匠がゐるうちは無理なんぢゃないか?とは思ったが、その夢とは別な形で、今もこのコロナ禍の中でそこそこ活躍はしてゐるやうだ。幸あれ。
つくづく、私は、大きな潮流の中で進んでゆくものを、ただ見守り見送る、といふことをやり続けてきた人生なのだな、と思ふ。