週変わりのシュウ
2月20日〜26日
私は合法的な異邦人
2月20日(日)ーーーーーーーーーー
防府のブルーズバンド スンマソンズのベーシスト、桑原亮吾くんがスタインバーガーのブリッヂ修理ができる、と云ふ噂を聞いて連絡。快く請け負ってくた。
スタインは「未来の楽器」と呼ばれ、一時過剰にもてはやされ、「猫も杓子もヘッドレス」な時代もあったが、ぢつはこの特殊なブリッヂの部分が大変脆弱で、かつてあれほど多くゐたユーザーで、今あんまり使ってる人がいない、のも、それが理由なのではないか?と・・。
直せるリペアマンがあんまり居なくて、今までは東京の専門業者まで送ってたのだ。とても助かるなぁ。
いちをう当人にやり方を聞いてバラしてみたのだが、部品そのものがイカれてゐるやうで、これは無理だ、と発送した。
夜はしーシュのリハのち、来月頭の東京でのイベント「風味絶佳」のメンバーでウェブ会議。まぁ、会議っちゅーかみんな酒飲みながら、なので「ウェブ呑み」みたいなかんぢになる。
さういやコロナはじめの頃は、やってたなぁ、これ。
みんな競うやうにつまみや酒を見せびらかしながら、ぐだぐだ飲むのが思ひのほか楽しく(ちゃんと会議もしたよ!)、まぁ、よくある話で飲みすぎた、と云ふね。
2月21日(月)ーーーーーーーーーー
ぱんぱかの打ち上げ、昨日のウェブ会議、と二日続けて飲みすぎたせいか、やや頭が重い。
朝は普通に起きて、いつものやうに女房と朝飯を食ったが、その後いっきに調子悪くなってしまった。昼まで寝て復調を図ったが、さほど効果はなく。
夕方からレッスンなので、演奏したり歌ったりすれば復調するかな?とも思ったが、さほど効果はなく。むしろスタヂヲの冷えが不調を進めてしまったかんぢで、帰るごろには目眩までしてゐる、といふ。念の為、熱を測ったりもしたが、むしろ平熱より低いかんぢ。
しかしこのスタヂヲの冷えは、どーにかならんものか・・・。
2月22日(火)ーーーーーーーーーー
復調をひこずったまま、バイトへ。
なんかま〜、忙しい忙しい、と書くのもイヤんなるぐらいけふも忙しい。飲食業ってここまで疲れるものなのか?と云ふかんぢで忙しく、またけふは楽器店のレッスンもあるので、一旦チャリで帰宅し、シャワー浴びて車で出直す、と云ふね・・。
バイト中はバタバタ走り回るもんで、あんまり気にならんのだが、ぢっとして楽器弾いてると目眩がキツい。個人教室の生徒たちには『けふはチョイと調子悪い』と云へるのだが、ここの生徒たちは子供が多く、そこまであけすけに出来ないので、不調をバレんやうにするのが、なかなかしんどかった。ちゃんとしたレッスンができたんだらうかねぇ???。
けふも熱を測ってみたが平熱以下。なんか低体温症とかになってないか?。早く寝るに限る。
2月23日(水/祝)ーーーーーーーーーー
世間は祝日だ。
けふは、我々しーシュを芸北地方のコミュニティに結びつけてくれた恩人 小松義則さんの墓参りに仲間四人で行くことに。よぅやっと行ける、といふかんぢだが、よりによってこの日は朝から広島県全域に寒波が押し寄せてきてをり、当地の友人らが『気をつけておいでよ〜』としきりに云ふ。
4WDの軽バンならば、といふ事で、しかし雪道運転の経験者は私を含めた二人しか居らず、ぢゃあけふは私はノン・アルコールで行きますわ、とそのつもりで準備。お土産やお供物を買い込み、広島市内から約2時間。
広島は北部に行くとそれなりに雪深く「スキー場もいっぱいある」、と云ふとよその土地の人は大抵驚く。しかしまぁインドだって後ろはヒマラヤだぞ、と変な解説をして茶を濁すのだが、けふも道を進むにつれどんどん雪深くなって行き、何度も除雪車とすれ違う。小松さんのお墓は完全に雪に埋もれてゐて、みんなで雪をかき出し、いちをうキレイに整え、手を合わせる。『ワシぁもぅそこにゃぁ居らんぞ〜』と小松さんは云ってさうだがね(笑)。
そして小松さんが最初に我らを連れてってくれた山小屋茶屋「正直村」へ。
ここはホンマに「豪雪」状態で、途中で車を置いて歩いて行かねばならんほど。腿のあたりまでザクザクと雪を踏んでゆくが、これでも「まだ少ない方」なんだとか。正直村のママさん「おかん」はここにひとりで住んでゐる。おかんとは2年ぶりの再会。『いや〜こんな中をよく来たねぇ』とハグで迎えられ、薪ストーヴを囲んでの茶会。
春先にここで開催される、小松さんの本格的な追悼ライヴ、残念ながらしーシュは参加できないのだが、また形を変えてここでも演ってね、とおかん。演りますとも。それまで元気でゐてね。
帰りは私が運転。日が暮れかけた雪道を走るのはなかなかチャレンジぃな経験だが、運転してみて吃驚、4WD +スタッドレスってこんなに安定して走れるんだ?。まぁ慎重に運転はしたけど、ぢつは全く不安なく走れた。へぇ〜すごいねぇ。
2月24日(木)ーーーーーーーーーー
バイト。
私より少し後に入店し、しかし見事な感性であっと云ふ間にキッチンの中心人物になってゐた女性スタッフが、けふで退職。若くて美人でサバサバと気立てもよく、一緒に働いてゐて楽しい人だった。それを伝える。多分もぅ二度と会う事はないだらうが『また会いませう』と言葉を交わす。
仕事はもぅ心がへし折れるほどの激忙だったが、ちゃんとお別れが云へた事は嬉しく、その後のレッスンにも気持ちよく向かったのだが、スタヂヲで待機してるうちに『ドガっ』と疲労が押し寄せてきた。ヤバいほどの疲労感。やってくる生徒たちも年度末の仕事に追われるものが多く、講師生徒ともにへろへろお疲れレッスン。
帰宅する頃には疲弊(さう、まさに『疲弊』といふ言葉こそふさはしい)仕切っており、女房が「大丈夫?」と云ふ。ん〜〜〜、こんなに疲れるためにバイトしてゐる訳ではないんだが・・・。本業に支障が出さうなほどの疲弊は、やはり少し考えもんではある気がする・・・。
2月25日(金)ーーーーーーーーーー
昼から久々ソルティ・ベアーズのリハ。防府の亮吾くんが直してくれたLow-Bの「ぺん太」を持っていく。
・・・が!!
いや〜〜〜〜難しいッ!!。
ぢつは私、Low-Bのベースを弾くことは人生初で、これまでの5弦ベースはすべてHi-Cを張った仕様だった。下の方に壱本弦が増えただけで、こんなに訳がわからんやうになるのか?と驚愕。6弦ベースは一時期使ってゐたが、あれはここまで難しいと思わなんだのに・・・。「奇数」てのがややこしいのかね?。ぬ〜〜〜〜〜・・・こりゃぁしばらく練習せねば、だね。
まぁそれもあって、リハ後レッスンまで3時間の空きがあったのだが、練習に没頭した。久しぶりにこんなに長い時間ベースだけを練習したね、といふかんぢの・・・。
あ、なんでここに来てLow-Bに手を出そうとしたか、と云へば、最近お気に入りのショーン・マローンの影響である。けふは初見の曲もいっぱいあったからワタワタしたけど、案外、楽曲を完全に理解してゐるしーシュで使った方が、この楽器の良さが出せるかもしれないねぇ・・。
今後に期待っ。
2月26日(土)ーーーーーーーーーー
しーシュのリハ。
明後日からの関東ツアーに備えて、の事もあるが、長く演ってるけど、今ひとつグルーヴが合わない、みたいな曲を徹底的に解析。試行錯誤しながらノリを合わせる、といふ極めて真面目なリハ。有意義な時間ではあったが、なんと昨日のソルティ・ベアーズのリハを越えて、えふぇくたがふたつも壊れてゐることが判明。
さういやソルティのリハ中も、なんか電源の入りが悪いな、と思ったのだった。これ、二つとも初期不良で一回は交換したもの。また壊れた、ってことか?。なんぢゃそりゃあ?。いくら安いえふぇくたにしても、こんなのありかよ?。サイズがちぃさいので気に入って使ってたが、もぅえぇ!。もぅ ここのメーカーのものは買わん!。多少サイズが嵩張っても、Bossとかのを使う。
2月27日(日)ーーーーーーーーーーー
旅の支度に1日費やす。
東京への、しかも壱週間に渡る旅は本当に久しぶりで、しかし必要なものを集めてみても、スーツケースはまだ空いてるスペースがあり、「はて、他に何が要ったかいな?」と思ふ。前に朋友 鈴木亜紀ちゃんが私の旅装束を見て『シュウさん荷物これだけ?やる気ないねぇ』と言ったことがあり、まぁ日本国内であらば、特に困ることもないので・・・。
機内持ち込みのできるサイズのスーツケース一個だが、中はぎゅーぎゅーなので、かなり重いぞ。
2月28日(月)出発ーーーーーーーーーーー
安い航空便を選んだ結果、朝9時に広島空港発、といふえらく早い便になった。
まだ暗いうちに起き出し、通勤ラッシュの始まる前に出発。広島空港は市内からはるか遠い場所にあり、その利便の悪さは成田空港に匹敵する。空港バスで行くのはめんどくさいし高いので、車で行き、旅の間は近隣の安い駐車場に放置しておくのだ。
なわけで、昼過ぎには東京に着。気候が読めぬのでいちをうダウンジャケットを着て来たが、これが暑い。
とりあへず、しばらく投宿させてもらう、妹分SSW 高満洋子の家に。ヨーコとも久々の再会。
細々と旅を続けてゐるしーシュと違い、対外的な活動をほぼ休止してゐるヨーコにとっては、ホンマに久しぶりの来客のやうで、双方嬉しさのあまり、昼から宴会。