週変わりのシュウ

お前の愛するものに「大丈夫だ」と嘘をつけ

7月9日(土)Mayu&しーシュレコ発ライヴ@大松ーーーーーーーーーー

もとHoneysの歌姫にして私の歌の生徒、アマチュアながら日々頑張る歌うたいマユさんをしーシュがバックアップしてCDを作った、ののレコ発ライヴ。色々あったがよぅやくここまで・・の感あり。ここんところづっとリハに入ってゐて、その成果やいかに、といふかんぢの本日。

会場の大松は、彼女の学生時代の友人や先輩後輩を中心にほぼ満パイ。あんまり客が呼べてない、みたいな事を云ってたので心配してゐたが、そは杞憂であったか。あとはこのお客さんを相手に、マユさんがどんだけ平生通りに演れるか、であるな。

で、始まってみればたいへん良いライヴだった。歌の師匠としても花マルをあげて良い出来だったと思ふ。オリジナルを作り、自分で演奏して、それをCDに仕上げ、かうして発表の場を設け、いっぱいのお客さんを前に披露する。なかなか出来る事ではないと思ふよ。よぅ頑張った。良いライヴだった。

けふのしーシュは完全に裏方として、ひたすらマユさんを支えた。その仕事ぶりにも客席からは称賛の嵐で、まぁぢつは我ら、さういふのがむしろ好きなので、けふはたいへん楽しく演らせていただいた、といふかんぢでウィンウィン。

7月9日(日)薬研堀夜市 32回ゆかた祭り@JIVEーーーーーーーーーー

連続ライヴ。けふはウチが主役だ。
隔月定例会 薬研堀夜市の32回目。久しぶりの「ゆかた祭り」である。コロナが始まって以来、2年もこれが出来なかったのだな、といふ思ひあり。当然、自身も浴衣を着るのは久しぶりで、2週間も前から洗濯してよーぅ干しておいた。

このゆかた祭り、浴衣で来場されたお客さんには、しーシュからドリンクいっぱいをサーヴィス、といふ事をやってゐて・・・。コドモはいざ知らず、大人になってわざわざ浴衣を着て街に出るのは、やはり相応の目標が要るだらう。まぁ、日頃あんまりさういふ機会のない人の、さういふ場になればいいな、と思って。

けふの浴衣以外のトピックとしては、私がカウンターテナー(ファルセット)で歌う「もののけ姫」と「イヨマンテの夜」のメドレーかな?(笑)。しーなさんからの推しで演ることにしたが、まぁトピックになったんなら・・。声の調子が良かった時代には出せなんだ裏声が、調子が悪い 今は出る、といふね・・。皮肉なもんだ。

浴衣で華やいだ会場も雰囲気良く。今回もなかなか素晴らしい夜市となった。ご来場の皆さん、そしてやはり配信で見てくれた全国の友よ、ありがとう。

けふの演目:
みみづく時計/ウィスキーがお好きでしょ/夢一夜/精霊流し/もののけ姫/イヨマンテの夜/夢十夜/刻つむぐ舟/ハイギョ/爪研ぎうた/びしゃもん台/ごっとりさん/灼熱ランドリィ/不本意なシャーマン/街の片隅で/日々是如何に/夕闇を待つ猫/Dance。シメて18曲!。

7月10日(月)ーーーーーーーーーー

弐連続ライヴ翌日のバイトはツラい。ツラいが まぁ頑張る。

外も暑いが厨房ン中はもぅ灼熱地獄で、結構キツめの冷風がばんばん出てゐるんだが、まったく効き目はない。まぁ目の前にハイカロリーコンロが2、その横にドンブラーが6、後ろにフライヤーが2台、その横に魚グリルが1、その横に鉄板1、と来れば、まぁ少々の冷房では効かんわな。

ライヴ翌日バイトはツラいが、けふの仕事はこれだけ。忙しく社会に奉仕し、充足して帰宅し、正しい晩飯を喰ふ。

7月11日(火)ーーーーーーーーーー

車ン中ではここん所 スザンヌ・ヴェガのライヴ盤を流してゐる。

特にそれをトピックとはしてないが、ホールノイズやMCから察するにどーやら日本でのライヴらしい。専属の電気ベーシスト マイケル・ヴィセリアとのデュオ編成。彼女の歌にはかういふ編成が一番合ってるやうに思ふ。ギターもベースも必要最小限の事しか演ってないのだが、もぅそれだけで世界観が出来上がってるのは、さすが長年の相方、といふ気はする。

しーシュもそんな風に思はれてゐたら嬉しい。
なんだかんだ云ってもやはり、練習(合奏)の絶対量。アンサンブルではこれに勝るものはない。壱週間に1回は必ずリハをするしーシュを「すごい」と云ふ人もゐるが、逆に云へば、それをやってるからしーシュはしーシュとして絶対的なデュオであり得るのだ、と思ふのですよ。

ところでこのスザンヌ・ヴェガのライヴ盤。おそらく私の友人が東京で観た、といふもので、もしそれだとしたら彼女とベーシストは、この日の朝 7時に成田に着いて、の夜(業界用語で「乗り打ち」といふ)だったハズ。MCでそのやうに云ってたさうな。いや〜〜〜元気だねぇ。素晴らしい。

7月12日(水)ーーーーーーーーーー

バイトもレッスンもライヴもリハ入らず、期せずして「休み」となった。
しかし、せねばならん雑務を片付けんとすれば、あっちゅ〜間に夕方が来て、イヤハヤ時間といふは虚しいな、と。

虚しい、と云へばアヴェ氏だが、死んだ途端に興味があったフリをする輩がいっぱい出てきて笑える。それどころか「づっと支持してゐた」みたいなかんぢさえ にほはせるモノもゐて、その浅はかさは筆舌に尽くしがたし。我らはあれほど酷評してきたではないか?、コロナ禍でさんざ示された あの無能さを!!。

まぁ今に始まった訳でもなく、はるか太古から世は常にかういふ無意志の多数派が回してきた訳で、結局は戦争をしでかすのも、かういふ人達なのだらうな、と思ふ。

7月13日(木)ーーーーーーーーーー

昨日飲んだ酒が良くなかったのか、夜の間の冷房がキツすぎたのが、はたまたハッキリせぬ気候のせいか、起き抜けからたいへん調子が悪く、そは結局 一日中付きまといやがった。

けふに限って、久しぶりにレッスンがいっぱい入っており、帰宅はだいぶ夜遅くなった。もぅ何も作る気がせず、とてもとても珍しいことにコンビニでカップら〜めんを買って帰り、酒も飲まずに食し、さっさと寝床に入ったが、これがまたど〜したことかまっったく眠れず、虚しく過ぎる夜に苛まれる。燃えるやうに暑い気がして熱を測っても平熱。暑いので布団を剥がすと寒い。明け方によぅやくウトウトして、玄関先に2mぐらいあるペンギンが立ってゐる、といふ変な夢まで見る。

7月14日(金)ーーーーーーーーーー

結局ほとんど眠れず、念の為 抗体検査をしてみるも陰性。世界がまたコロナコロナと喧しくなって来たので、そんなんばっかり気になる。こりゃあ病みもするよ、みんな・・・。

ほぼ一睡もできておらず、ぼーっとするが、けふはバイト。またよりによってえらい忙しい日で、倒れさうになりながらも、巻き込まれればそんな事は云ふておれず、最後まで頑張った。

けふはレッスンもあるが一旦帰宅。作業着を洗濯して もぅ乾燥機にもかけておく。火器の中で働き切ったが、シンドいのは朝から変わっておらず、レッスンにはもぅ車で行くことにす。急な雨も降ったので、それはそれで良かった。このシンドさは多分不眠のせいだ、と自分を鼓舞して仕事す。

食欲はなかったが、女房がお好み焼きを作ってくれており、これを食したところ元気が出た。やはり広島人にとってこれは「ソウル・フード」なのか?。酒も飲まず、フロに入って寝床に入ったら、10秒もせぬうちに昏倒。

7月15日(土)ーーーーーーーーーー

「よぅ寝た」
と開口一番出るくらいよく眠れた。久しぶりの熟睡であったやうにも思ふ。体調の不振も霧散してゐる。熱も出てない。最悪の事態は避けれたかもしれない。

けふはオフクロの姉=私にとっては叔母さん、の葬儀に出席。こないだ我がオフクロを送ったばかりで、姉妹あんまり間を開けずに旅立つ、といふ事に相成った。若い頃は「ヤクルトおばちゃん」として名を馳せた人で、私にとって「ヤクルト」と云へばこの人の事だった。年がら年中チャリを漕いで仕事してゐた為か、晩年になっても元気で、病弱だったウチのオフクロと、姉妹でこんなに違うんか?といふかんぢの人でもあった。

この人の息子=私にとっての従兄弟の部屋で、私は初めて「ハードロック」を聴き、この人の娘(超美人)は幼い私が懸想した初めての女子であった。それぞれ多く子を設け、よき家族に見送られて旅立った、と思ふ。あっちでオフクロをよろしく、と見送った。