週変わりのシュウ

我が名は混沌

11月1日(火)Rondo creant :末松和江遺作展ーーーーーーーーーーーーーー

こたびの京都行の最終目標はこれ。音仲間よっしーこと末松よしみつさんの母上様が、生前の趣味としてなされてゐた「押し花アート」の遺作展を、仲間の音楽で飾りたい、といふよっしーさんの意向を受けて、のライヴ。けふを皮切りに1週間続くイベントのトップをしーシュが務める。

生憎の雨だったが、会場の雰囲気と、押し花と云ふにはあまりに見事な芸術的作品群に包まれ、いい感じのライヴを進めることができた。あまりガツガツせぬラインナップで構成し、しーシュの個性、と言ふより、この場にふさわしい音楽を、の気持ちでお届けした。イベントのトップバッターとして良い働きができたなら嬉しい。

終演後は、以前やはりよっしーさんとライヴを行った、名物メキシコ料理店「エル・ラティーノ」に移動して、打ち上げ。お久しぶりのマスターは、ツイこないだ「生前葬」と称して、かなり大掛かりなイベントを、なんと丸山音楽堂で打ち上げたらしく、その辺の話も楽しんで聞くことができた。

タコスを食べながら、久しぶりに甘めのカクテル(ピニャ・コラーダやマリブ・ミルク)をごくごく飲んでゐたら、あれ?いつの間にか足元が・・・。

11月2日(水)ーーーーーーーーーーーーーー

広島に帰る。

けっこうな強行軍。急ぎ立ち帰る理由は、明日三原市で行われる「カメレオン・コンサート」のため。しーなさんは今夜からそのスタッフとしても任務に就く。

この過密スケヂュールのため、依頼を受けた当初は、遺作展への参加も「難しいかな?」と思ってゐたが、なんとかスケヂュールをやりくりして参加してよかった。「ぢゃあ明日、三原でね〜」と駅で別れ、私は帰宅して明日の準備。

11月3日(木)三原リージョンプラザ:カメレオン・コンサートーーーーーーーーーーーーーー

広島市内から三原市までは、車で約2時間。高速を使えば1時間チョイ。下道で行けん事もないが、三原市はそれが名物とも云へるほど渋滞のひどい街。少々金はかかるが高速を使って会場入りする。

前回の「カメレオン〜」から3年ぶり。一時期はレッスンのため週一で通ってゐた三原市だが、だいぶ縁遠い場所になった。けふはアンプを持ち込み、久々にえふぇくた〜総動員、ぐらい足元に並べるのも懐かしや、と言ふかんぢ。けふのショウは私のベース・ソロ(といふかブチかまし)から始まることになってゐるので、念入りに調整。

フロントの姫石ミミ田辺ゆみこの衣装替えや舞台転換がポイントになるショウなので、リハはそこを中心に。でかいステージで演るのも久しぶりで、やっぱりタマにはいいね。てゆーか、毎日このクラスの会場で演れる事が、若い頃の夢だったもんだがな・・。

綿密なリハのおかげでショウは滞りなく進み、各曲でおおいに盛り上がった。
けふの私はなぜか「襟裳岬」を歌う事になっており、可愛らしい女子高生ダンサーを侍らせての歌唱だったが、歌に集中してあまり観れなんだのが残念。あとでヴィデオで楽しもう。

良いコンサートだった。フロントの2人は極限まで疲れてゐたが、ミミとしーなさんはこの後三日間三原に留まり、学校関係の仕事をこなすといふ。ひぇ〜!お疲れさん。

打ち上げも特になく、てんでに解散。私は古い生徒が観に来てくれてゐたのと、晩飯を共にし、下道でのんびりと帰った。さいごは流石に眠くはなったが、なんとか日付が変わる直前には帰宅セリ。

11月4日(金)ーーーーーーーーーーーーーー

旅疲れと遠征疲れの色濃く残る中でバイトに。
ヒマだったらいいな、と思ってゐた甘さをとことん打ちのめすやうな激忙の1日で、ホール、キッチン両スタッフ顔を真っ赤にして、の激戦だった。

けふの夜は、久しぶりに広島に来てゐる先輩朋友バンドBARAKAとのセッションがあるのだが、バイト帰りはチャリを漕ぐのも息も絶え絶え、てくらい疲れてゐて、大丈夫かな?と思ひもしたが、まぁまたチャリで出かける。

BARAKAのお三方や、久しぶりの広島のバンド仲間に会い、労働後のビールの美味さも格別。積もる話で盛り上がり、セッション、と言ふよりは宴会の様相が強く、まぁそれもまたよし。このメンバーが初めて出会ったのは、今からもぅ20年ぐらい前なのだ。
気づけば日付が変わっており、あの強い疲労感はどこへ?のかんぢ。

思へば、若い頃 無尽蔵だと思ってゐたあの体力も、こんな事だったのであらう。毎日が刺激的で楽しく、日中の仕事の疲れなんぞ屁でもなく、夜通し遊んでは、また朝から働いてゐた若き自分達。
嗚呼、遠きあの日々。なにもかもが懐かしい・・。time flies like an arrow・・。