週変わりのシュウ
2月1日〜10日
母さん、僕のあの帽子、どうしたでせうね?
2月1日(水)ーーーーーーーーーーーーーー
しーシュのリハを昼から。
昨日の久々のソロを見に来てくれたしーなさんから、感想も色々。ループを使わぬ意外性もさることながら、喉の復調を寿いでくれて嬉しい。自分では「完全復調」とは思へぬのだが、相方がそのやうに思ってくれてゐることは素直に受け入れやう。双方歌えるデュオの強み、ではあるけど、不調の折にはづいぶんと助けてもらった。感謝。
この頃、ベースが調子良い。昨日のソロも、まぁベースで「持って行けた」感はある。もぅ超絶技巧的なものにはまっっったく興味がなくなってしまったが、「いいベース」を弾くことは心がけたい、とは思ふ。
2月2日(木)ーーーーーーーーーーーーーー
バイトへ。
呆れるほどに忙しい。
回転寿司屋で皿や寿司をねぶって、また愚かなことにそれをSNSに拡散させてゐる馬鹿者が話題になってゐて、まぁ飲食業に関わる人間の一人(私が)として、許してはならぬ行為だし、しかしかういふことは彼だけではあるまい、との思ひが・・・。
専門学校の講師として働いてゐた頃、入学してくる18歳くらいの子供らの、底抜けの愚かさに驚いたことがあるが、あの頃に思った彼らなら、同じやうなことをやっても不思議はあるまい。彼らのどこにも「悪意」はない。ただ、目先の楽しさ、を先行させた故の、愚かな行動なのだ。
そしてそれは必ずしも若年層に限らない。個人的見解を云へば、此処数年で日本と云ふ国の公共マナーレベルが格段に下がった気がしてゐる。喫煙マナーは確立されはした。だが、タバコのポイ捨てが減ったか?。ゴミの分別は進んだ。だが、道端に溢れるあのゴミはなんだ?。そこに「悪意」はあるか?。
映画「バベル」でかういふ場面があった。軽はずみな行動を取ったが故に窮地に陥った女性に、子供が『おばさんは悪い人だったの?』と問ふ。女性は涙ながらに『いいえ、違うわ。愚かなことをしてしまっただけなの』と答える。
彼らはまさにさうなのだ。
もちろん、罪深さは変わらず、厳罰を受けて然るべきだとも思ふ。だが、世間中が正義ヅラをして、彼を袋叩きにして吊し上げてゐるやうなこの状況は、如何に云ふても気色が悪い。
2月3日(金)ーーーーーーーーーーーーーー
桜木紫乃の「ブルース」とその続編「ブルースRED」を読んでからといふもの、地方政治に興味が湧いてゐる。
まぁ「政治」と呼ばれるものが、どこまで行っても果てしなくグレーであることはたれにも否定はできぬが、企業と暮らしが強く結びつく地方(それが田舎であるほど)において、そのグレーさはいかに・・、みたいな。
私が生まれたち〜さな町には、町長の名前がそのまま土地の名前になってゐる場所もあった。まぁ、さういふことだよ兄弟。
2月4日(土)大阪関目 我らの家ーーーーーーーーーーーーー
恒例の年末に行けなかった分の、大阪は関目 我等の家での久々しーシュ遠征。近隣と絡めた2〜3日のツアーを計画したが、タイミングと場所の都合が合わず、単発に。まぁ、それもまたよし。
一時期は年に数回来てゐた関目。今回は何ヶ月ぶりだらうか?。レイアウトが変わり、演者がカウンターを背にして演るかんぢ。『この形になって初めてかいね?』と店主ゴンスケ。長く来てなかったんだな、と・・。
規制がだいぶユルんだとは云へ、まだやや腰が引け気味の大阪市民。集客には苦戦した、と云ふことだったが、それでも制限人数までは満員に。新作の販促ツアーなので(笑)、新曲が中心の構成になったのだが、けふは常連さんが数名欠席の代わりに、新しい若い人の姿もあった。後で思うたのは、かういふ場合はいつも演ってるラインナップで攻めてもよかったな、と。
私個人はやや喉が不調で、高音や持続音がチョイと辛かった。迫力で押し切った、といふかんぢで、まだまだ「完全復調」には至ってないのだな、との思ひも・・。今年は今後ソロをいっぱい演って行こうと思ってるのだが、まぁ、それがどうなるかねぇ〜・・・。
「居酒屋」としての我等の家、には久々の満員&オーダーフル回転だったやうで、店主ゴンスケも女将ミヨさんも『一部はまっっったく聴けなんだ』とのこと。私らとしてはこの二人にもぢっくり聴いていただきたいんよなぁ。さういふライヴもいつかやらねばね。
今年は、この店(場所は違うが)に初めて訪れて、ちょうど10年目になるらしい。当初から変わらず足を運んでくれる人もゐて、本当に感謝である。みなさん、ありがとう。どうか、幸せで。
2月5日(日)ーーーーーーーーーーーーーー
広島へ帰る。
規制がユルみ、どこも結構な人並みで、こりゃあ叶わんな、と。この際 早ようから新大阪駅へ行って、昼呑みをして予定の新幹線までの時間をツブすことにす。
大阪、昼呑み、と云はばまぁ内容には事欠かぬわけで、ネギ焼きや串揚げ、たこ焼きなどなんでもござれ。まぁあんまり飲み食いしすぎてダルくなるのもアレなので ほどほどに抑えはしたが、まぁ結構飲んだ食った。
そんなこんなで、夜もあんまり眠れておらんのか、新幹線の中はづっとうつらうつらしては目が覚め、といふ時間。
2月6日(月)ーーーーーーーーーーーーーー
広島にて。
チョイと此処んところ、自分の「痩せ」が気に入らなくなってきた。
私は元々そんなに肥えてはおらぬが、なんや此処数年で腰回りが急激に細くなったやうで、体型に合わせて買ったGパンがなんかダブついてゐる。「細めだが太腿は筋骨」といふ体型だったハズが、いつの間にか「おぢぃさんのGパン姿」のやうになってゐる。これはイカン。
でちょいと本腰入れて、足腰を中心とした筋トレを始めてみる。云ふても 毎日チャリで往復1時間は移動してるし、その気になりゃ1時間でも歩くし、それだけでは足りんと申すとは、やはり「老い」といふは一筋縄ではいかんね。
2月7日(火)ーーーーーーーーーーーーーー
時間があるときに「過去の事件」を調べる、といふことをよくやる。
凄惨な殺人事件や大規模な天災、時折混じる「獣害」などに混じって、2020年の広島における新型肺炎のライヴイベントでのクラスターも「事件」として扱われてゐたことも知った。
あの時、私は早々に出演を辞退したうちの一人だが、結局はあぁいふ事になり、ごく近しいものたちの間にも溝ができてしまった時期ではあった。我らしーシュはだれの擁護も非難もせず、物事から距離をおいて中立の立場を守った。
なかには、近しかった人の実名まで挙げて非難する個人のSNSなどもあり、まぁさういふのも、先述した寿司屋の愚少年を叩く現象と同じで、結局市井の人々は、自らの安全性を確立させるためには、いざとなれば平気で隣人を差し出すのだ、といふ事。「マスコミは怖い」と云ふが、私に云はせれば怖いのは「そういうことを云ふ人たち」だ。
2月8日(水)ーーーーーーーーーーーーーー
バイト→レッスン、のあと、2月後半に演る、ソロのイベント出演の打ち合わせに、いわゆる「夜の街」へ。
明日が休みなので、芋焼酎をこぽこぽ呑みながら、楽しく打ち合わせ。歌は生で歌わねばならんやうだが、それまでに喉が少しは復調してゐることを祈ろう。ダメだった場合、またひとつ現場の信頼を失ってしまうナ〜、とも。
ところでけふのバイトも相当に激忙で、チャリで一旦帰宅して、レッスンと打ち合わせにはバスか電車で行くつもりだったが、いざ家を出る段になるとまたチャリで行く気にもなり、結局この日は自宅〜市内をチャリで二往復した事になった。まださういふ体力はある。
2月9日(木)ーーーーーーーーーーーーーー
先述したやうに「休み」。
狙ったわけではなく、時折ある「偶然」「予定の入らぬ日」である。嬉しや。
ベースを1時間半練習して、歩いて買い物に行き、帰宅して筋トレしたあとは映画。また「終末もの」を見てしまった。『ファイナル・アワーズ』。B級映画だったが、けっこうオモロかった。
んで、ツイデにネットをあれこれ流してゐたら、元弟子パイグこと木本沢也のYouTubeチャンネルを発見。
なんと私より登録者数も視聴回数もはるかに多く、動画によってはいわゆる「バズる」ところまで行ってやがる!。
いづれも自身の6弦ベースをフィーチャーした楽曲動画なのだが、私には全然わからんゲーム音楽かなんかを演ってるらしく、コメント欄も盛り上がってゐて『神演奏!』とまで言われてやがる!!。
師匠としてはまぁウケてゐる弟子を見るのは嬉しいものだが、この場合はややフクザツで、それといふのもある時『シュウさん(しーシュ)って演る曲が古いんスよ』と云はれたこともあるからだ。
結局かういふものを誰が見て、誰が評価するのか・・。今流行りの「マーケティング・ターゲット」といふやつだ。それができてないから売れんのだ、と云はれレバ、さうなのかもしれない。
さういふ意味で、パイグのこのチャンネルが「一定ファン層を持つ」「特定のジャンル」に特化してゐる、といふは、マーケティングの成功例、として、どんなものより説得力がある。もともと 技術的には申し分ない楽師なのだし。
だがまぁ、新しい曲(と云はれるもの)の何処をどう聴いても、まっっったくエェと思えんのだから仕方ないではないか。えぇと思えんものを演るほど、我らには時間は残されてないのも事実なのだよ。
2月10日(金)ーーーーーーーーーーーーーー
昨日、バート・バカラックの数年ぶりの新作CD「ブルー・アンブレラ」が届いた。バカラックもだが、この作品を一緒に作ったラシッド・タシアンなる人物に興味を惹かれて買ったもの。
したらけふ、ニュゥスにバート・バカラック氏逝去の報せが!!。
「ブルー・アンブレラ」が2020年の作品で、その時『92歳、2005年以来の新作』といふキャッチが付いてゐる。94歳没か・・。う〜、長生きされたなぁ。しかも調べてみたら『自宅にて自然死』とある。
音楽の神に愛され、また自身も音楽の神を愛し、長く良質の音楽を生み出し続け、静かに人生の幕を引けたのなら素晴らしい。予兆に満ちた形で入手したこの作品を、遺作として私も聴き込んでゆこう。