週変わりのシュウ
3月11日〜18日
あれから僕らは なにかを
3月11日(土)ーーーーーーーーーーーーーー
しーシュの週末リハ。
このたび出来た新曲(の歌詞)を持ってゆく。ぶっちゃけ云ふとこの新曲、来週 安芸高田は高宮に招かれる新規ライヴスペース開店記念イベントのプレゼント用なのだ。長く我らを応援してくれ、色々な企画をしてくれる高宮町の仲間に、なにか音楽でお返しができんものか、と・・。
とならばやはり特別な歌を上梓する他はなからう、といふ事で、話はあったのだが実現できるかどーかは怪しかった。しかししーなさんが骨子を作ってくれたので、私も応えねば、と二日間で言葉を刈り取ったのである。
フレンドシップに さりげなく「農業」のテイストを交えた、我ながら良い歌詞が書けたと思ふ。しーなさんからは絶賛。しかし「あなたのこの才能って、何故かほとんど認められてないよねぇ」と根本的な議題も(笑)。
ところでけふは「あの日」である。
12年前のあの日、しーシュはライヴ入り前のリハをしてゐて、会場へ向かう道すがら地震のニュースを聞いたのだった。当然、ライヴにほとんどお客さんは来ず、その最中にも次々と入ってくる重い被害状況を、ただ黙って受け入れるしかなかった。あれから12年。時は流るる。
3月12日(日)ーーーーーーーーーーーーーー
中野チカラ氏とのデュオ、最終リハ。
リハが良すぎると、往々にしてそれを「完成形」と観てしまい、「それ」を再現せんとする力が図らずも働いてしまうもので、リハはあくまでも8割程度の「イメトレ」に留めておくべきだが、けふのリハは出来が良すぎた感があり(笑)。
チカラさんが帰った後は、ひとりギターの弾き語りの練習と、ツイデなのでスタヂヲで筋トレもして帰った。
3月13日(月)ーーーーーーーーーーーーーー
レッスンもバイトも入らず、期せずして休み。
午前中から確定申告を提出に行き、デパァトでホワイトデイのお返しの品を選び、書店で本を物色し(買わず)、スーパーで晩飯の買い物。久しぶりに黒糖焼酎や安ウィスキーなんぞも買い、だいぶ風も温んできた事でハイボールも復活の兆しか。
家にゐる時にちょーど、此の所まとめて海女存に注文してゐたブツが届く。新しいペインターGパンやCDなど。
3月14日(火)ーーーーーーーーーーーーーー
なぜかビミョ〜に体調が低下。ゆんべ寝るときに「寒いな」と思ったのがいかんかったか・・・。
ビミョ〜な体調を抱えてバイトに。バイト中は前後に最低でも8コの熱源があり、その中を走り回るので身体は芯から熱くなるのだが、けふはその中でもづっと頭痛が抜けぬかんぢ。一旦帰宅してみてもどーにもダルく、念のため熱を測ってみるが、むしろ平熱より低い。
熱がないならしょーがないのでレッスンにも行き、帰宅して焼酎のお湯割を飲むも、ど〜〜〜にもダルい。ので、けふ仕事帰りに買って帰った本を片手に、だいぶ早い時間に布団に入ったら、ものの数秒で寝てしまったやうだ。単に寝不足か?。
3月15日(水)ーーーーーーーーーーーーーー
チョいと頭痛は残ってゐる(珍しい)が、昨日絶えず感じてゐた寒気は霧散してゐて、けふも連勤のバイトに。
先日、年に一度の「契約更新」があり、また壱年このまま働かせてもらへる事にはなった。バイトとは云へもぅ5年目に入り、一緒に働く同僚との絆のやうなものも芽生えてゐる。世間が緩み、本業の楽師仕事が盛り返してきて、ここの仕事を休みがちになるのを心苦しく感じてしまうのがナンとも・・・。
5時間勤務のあと、帰宅せずにレッスンを4コマ。けふはその後ぱんぱかトリオのリハもあった。
このごろぱんぱかトリオがえぇかんぢ、といふのは何回か書いてゐるが、けふのリハもそれを感じさせるものになった。カワのじの楽曲アレンジへの対応力が格段に上がってきた、といふのも大きい。そは彼がいまやウクレレ奏者として確固たるグレードを築きつつあることの証にちがいない。
3月16日(木)ーーーーーーーーーーーーーー
こないだ海女存から届いたブッカーT&MGsの「グリーン・オニオン」。
云はずと知れたアメリカはスタックス・レーベルの裏看板、R&Bインストの最古参、おそらく世界初の人種(黒人と白人)混合音楽ユニットである。ベースのドナルド・ダック・ダンの所属で知られてゐるが、この「グリーン〜」の時はまだ加入前で、前任者のルイス・スタインバーグがベースを担当。ちなみにこの人も白人。
インスト、と言っても現代のそれのやうにテクニック見せびらかしの弾きまくり大会、と比ぶれば格段にのどかな音楽。いなたいハモンドの音がただただメロディを丁寧に奏でる様は、しかし不思議と飽きずに聴ける。今かういふバンドって居ないよなぁ・・。
さうだ。私はオルガンの音が好きだったのだ。だからツェッペリンよりもパープルだった、のだ。
3月17日(金)ーーーーーーーーーーーーーー
そしてこれはCDで入手したわけではないのだが、ディープ・パープルの第二期を支えたベーシスト、ロジャー・グローヴァーのソロ作品、幻の名盤と云はれる「エレメンツ」を聴く。
パープルの面々はそれぞれ芸達者で、みな個性的なソロ活動をしてゐたやうだが、これも「ハードロックバンドのベース弾き」とは到底想像し難いシンフォニックな作品。どっちかてーとプログレに分類されさうなかんぢで、しかしやはりどこまでも「ロック」なのがいい。
ロジャグロは、立ち振る舞いも派手で歌もうまかった後任のグレン・フューズに比ぶれば格段に地味なニッチだが、彼がオルガンのジョン・ロードのソロ・シンフォニック作品で披露してゐるベース・ソロなんぞは、古典の中にペンタトニックを取り入れた斬新なもので、当然ながらやはり相当の猛者であった、と思はしむる。
パープルをいちばん聴き込んでゐた中学時代にこれらを聴いてゐたら、今の私はもっと違った形になってゐたかもしれんな、と最近つくづく思ふのである。
3月18日(土)ーーーーーーーーーーーーーー
オフクロの一周忌である。
もぅ壱年。早いものだ。
彼女に関しては、コロナに翻弄された人生の最後だった。長く入院してゐたが、その間面会はできず、最後の最後に面会を許された私も、たった10分だけ、といふ事だった。私と女房に看取られながら静かに逝った親父に比ぶれば、寂しく、不憫な幕引きだったな、と。げに憎きはコロナ、と対策の出来なんだ日本政府、である。
死んだ日も、葬儀の日も、納骨の日も、暑いほどばかっ晴れだったが、一周忌のけふは曇り空。自認してゐた「晴れ女」もさすがに効力を失ったか(笑)。彼岸で親父に会えてゐると良い、と思ふ。