週変わりのシュウ

ポップコーンを頬張って

2月1日(木)ーーーーーーーーーーーーーー

しーシュのレコーディングが始まる。

いつぞやから『年にひとつは作品を発表する』といふスローガンを掲げてやって来て、去年久しぶりにそれを踏襲せなんだのは、今年がしーシュ結成20周年であり、それに向けた大作を作らんとしたがため、であった。

ぢつは去年末辺りに、私がアルバム作りにあまりモティベーションを感じなくなった、といふことを議題に、二人の間でかなり喧々轟々話し合った。やはり以前ほどCDが売れなくなった(たれもがCDを買わなくなった)といふ事も大きく、そんな中で金をかけて大作を作る意義は?のやうに思ってしまったのは事実。

だが、年始にかけての心境の変化や、大切な人が次々と逝ってしまう現状を省みれば、ここで二の足を踏んでゐる事こそが意義がない、と思へるやうになり、けふを迎えた訳だ。

そして、楽曲が次々と彩られてゆく様は、やはり楽師、作曲者としては これ以上ない喜びであり、踏み切ってよかった、と思った。怒るでも諭すでもなく、何を指針に我らは歌い奏でてゐるのか、をしずかに説いてくれたしーなさんには感謝しかない。

2月2日(金)ーーーーーーーーーーーーーー

引き続きレコーディング。

昨日は10時から19時まで、昼めしの時間以外はづっと音に取り組んでゐて、終わった時のくたびれ方が「えぇ?」と思ふほどであった。こんなにくたびれるもんだったっけ?と思った。

だが録音は思ひのほか良いペースで進み、結局この日も7時間かけて、当初の予定にない曲まで録ることができた。改めてしーシュの曲って短いよね、と笑う。ほとんどが3分チョイ。10曲以上収録する予定だが、多分40分ぐらいに収まるんぢゃないかな?。正しきポップバンド、としては!!。

これを数ヶ月かけて聴き込み、後半のレコーディングに繋げてゆく。

2月3日(土)ーーーーーーーーーーーーーー

雑務色々。

まづは車検。色々ガタの来てゐるところを直したので、今回は結構高くついた。走行距離も17万Kmを超えてゐる。次の車検まであと2年は大事に乗ってやり、そっから先はまた考やう。

そっからとあるイベントのリハに。イベントの趣旨がどんどん変わって行くなぁ、とか云ひながら1時間程度のリハ。そっからしーなさんと合流して、今度はしーシュのリハ。2月の定例会の出し物を吟味し、練習す。割と大作になりさうなかんぢ。

けふはその後、ひとまづ前半レコーディングの打ち上げに。とりあへず昨日までの録音はたいへん良いかんぢに仕上がっており、これに付随する後半をどのやうにするか、とか、マジメな話。あれこれ語りながらよぅ飲んだな。

2月4日(日)モンゴル松尾還暦記念ライヴーーーーーーーーーーーーー

わりと二日酔い。
金を払うのを忘れた気でゐたが、財布見ると減ってゐたので払ったらしい。記憶がない。

けふはソルティ・ベアーズでの朋友、鍵盤奏者のモンゴル松尾さんの還暦祝いのライヴに行く。イベントの内容をよく知らんままにベース担いで行ったのだが、時間にはもぅ中に入れないぐらい人がゐて・・。どーやらまつをさんは「主賓」といふ扱いで、イベント自体はまつをさんを慕う数名の有志で運営されてゐるイベントの様子。

東京でのプロ活動を引き上げて広島に帰郷して数年。ここまでの人脈と信頼を築き上げたのは、ひとえにまつをさんの卓越した技術と人柄に他ならない。私があと2年かけて還暦を迎えても、ここまでの華々しい事ができる(してもらえる)とは到底思へない。大したお人だ。

上述の理由につき、だいぶ内輪ノリな進行で、内輪以外があまり入り込めないかんぢ。折角なので一曲ほど歌をプレゼントさせて欲しい、と「飛び入り」で歌を一曲贈る。私にしては珍しい出しゃばり方だが、まぁ折角行ってるんでね・・。

その後、数曲ベースで参加し、まつをさんがだいぶ酔っ払って来たところ辺りで、お先に失礼させてもらった。

まつをさん、おめでとうざいます。

 

2月5日(月)ーーーーーーーーーーーーーー

疲労と、原因不明の不調、そいからこないだの「突き指」の後遺症が色濃く残る中で、バイトに。
雨も降るし、なかなかアガんないねぇ・・。

新しいパートの人が入って来て、戦力になれば嬉しい。なかなかコミュニケートが難しさうな人ではあったが、まぁ初顔合わせだしね・・・。けふのところはさほど激忙な日でもなかったので、まぁまぁ、かね?。

けふはその後、レッスンも4コマあり、ぐぬ〜、といふかんぢ。去年やった「かじやまつり(教室発表会)」で懇意になった生徒同士が、その後もうまく交流してゐるやうで、センセイとしては嬉しい。生徒同士でバンド組んでくれたらベース弾くよ、と云っておこうかな?(笑)。

2月6日(火)ーーーーーーーーーーーーーー

レッスンのちしーシュのリハ。
薬研堀夜市に向けてのラインナップ整理と、特集企画の「出し物」の練習。器用な我らである。

カヴァーを交えた選曲をするたびに、あらためてしーシュの楽曲を考える。これは「現代」においてどんなニッチの音楽なのか?。こないだのレコーディングに限らず、毎回エンジニアとして付き合ってゐるカズイ。彼などは私と同い年なれど、ちゃんと「今風」の突拍子もない転調や展開を楽曲に盛り込む(今風な)ポップセンスは持ち合わせてゐる。
その彼からしたら、しーシュの音楽を本心ではどのやうに捉えてゐるのか、は気にならんでもない(笑)。

時折、「よくこの(単純な)展開でこんなキャッチーな曲が作れるな」のやうな事をいふ時もあって、それなりに評価はしてくれてゐるのだらう、とは思ふが・・・。

2月7日(水)ーーーーーーーーーーーーーー

バイトに従事したのち、けふはチョイと訳ありで、とある若者とサシ飲みに行く、といふ展開となる。

実際に自分に子供がゐたとしたらドンピシャこの世代だな、と思ふが、この私とサシで飲みたい、と思ふやうな若者なので、「何を話していいかわからん」みたいな事はなく、ぢつにスムースに会話が流れ、その時々でジョークも云へば真面目な話にもなり、楽しい時間だった。

まぁ特にコイツが、なのだらうが、若人 よく飲む(笑)。づっとチャンポンでビールからハイボール、カクテルに焼酎お湯割にウィスキーのロックに、と各種を水のやうに飲みながら、あんまり乱れない、といふ・・。久々に終電も乗り過ごし、歩いて帰った。

2月8日(木)ーーーーーーーーーーーーーー

こないだからDeep purple の第四期、いわゆる「トミー・ボーリン期」のものを聴いてゐて、あの、世紀の駄盤「Last Concert in Japan」では散々だったトミー・ボーリンといふ若いギタリストが、ぢつはたいへん優れた楽師であった事を再認識してゐる。

あのライヴ盤のせいで『パープルを解散に追い込んだ下手ギタリスト』とかいふ烙印を押されてしまった(仕方ない)が、いろいろ聴けば聴くほど、この人にハードロックの枠を与えた事が間違いだった、と云はざるを得ないかんぢ。

こたび入手した音源は、25歳で死去する直前の録音。勘違いオリエンタリズムがイタいジャケで有名な「魔性の目」。
なんとバラエティに富み、内容豊かなジャズ・ロックのアルバムであることか!。この路線をこのまま進めば、この後のクロスオーヴァーの波に乗って、それこそジャコやスタクラ、コリアやハンコックなんかとも共演した可能性も思はしむる快作だ。

まぁホンマに夭折が残念でならん、といふかんぢだが、先述のパープル時代にしても、ドラム・ソロの間に舞台袖で一発ヅケる、ほどのジャンキーだった、といふ事だし、結局はそれが元で死んでしまったのだから、これが彼の人生だったのだ、と思ふ他はない。そして、同胞にして 同じぐらいのジャンキーだったグレン・ヒューズが、依存症克服後 今なお一線で活躍してゐる事を思へば・・・。

やっぱりニンゲン、つまらん早死にはもったいないよ。

2月9日(金)ーーーーーーーーーーーーーー

けふバイト先の女性陣(仲良しグループがあるらしい)から飲みに誘われた。ツバメになりうる若い学生バイトとかならまだしも、私のやうなおっさんがそんな女子会に誘って頂けるなんぞ、たいへんな名誉ではないか?。
しかし、けふはすでに予定を入れてゐたので、泣く泣く辞退。「また誘ってね」と強く主張して帰宅した。

こないだ久々に書店で買った「君が最後に残した歌」といふ本を読んでゐて、まぁ「ライトノベルズ」といふのか、もぅこのタイトルだけで物語が想像でき、そしてその通りの筋書きだった、といふ話だった。このテの陳腐な物語でもウルと来てしまう自分が情けなくもあるが、ポップとはかういふ事を云ふのだらうな、とは思ふ。

そしてこれが音楽に置き換えられた時、今のやうな世界になるのだらうな、との思ひ。
こないだ参加したイベントで、高校生の女の子歌手が歌ってた現在の流行り曲(らしい)が、『いつまで歌ってんの?』と思ふくらい長くて、しかしその内容たるや要約すれば一行で済んでしまうやうな陳腐なもので、あぁ〜、と思った。

私が生きてる間に また世界が変わって、私のやうなものがまた流行歌に心から「いいな」と思へる時代が来るかねぇ?。来ないだらうねぇ〜・・・。