週変わりのシュウ

残酷な世の中で唯一の正義は運だ

10月1日(火)ーーーーーー

こないだ古本屋で何気なく手に取った 藤谷 治・著『船に乗れ!』といふ小説がことのほか面白く、久しぶりに読書に没頭してゐる。当初買ったのは三部作の第一部だったやうで、スグに海女存で二部、三部を購入。アと云ふ間に一巻を読破してしまい二巻へと。

まぁ高慢ちきな少年セロ弾きを主人公にした成長物語、と云へばそれまでなんだが、なんてェのか文体にスピード感があって、まったく飽きずに読み込ませる筆力。こんなに小説の世界観に浸るのはいつ以来だらうか?。加齢とともに眼も悪くなって読書に集中するんが難しくはなってきたが、オモロいものはちゃんと没頭できるんだな、と・・・。

10月2日(水)ーーーーーー

雨模様。
だからといふ訳でもなからうが、一気に秋が深まった感あり。好きな季節ではあるが、体調もビミョ〜にセンシティヴな季節なので、注意はせんければね・・。

体調、と云へば肘の痛み・・。
いちをう処方された消炎鎮痛剤は服用してゐるが、効き目はほとんど感じず、それにやはり我が商売、手指の『安静』てのは無理な話だ。けふはバイトがヒマだったのでまだ楽ではあったが、その後 本業のレッスンで生徒と一緒にやる基礎練習が一番痛い。

このテニス肘、SNSで拡散したところ 意外にも多くの友人知人が経験済みで、医学に従事する生徒さんからは『むしろその歳まで一度もなったことがない、てのが珍しい』とまで云はれる。しかし、その言葉も慰めにはならず、ぢくぢくと痛いのはかなわんよネ〜。

10月3日(木)ーーーーーー

休みとした。

楽器は弾かぬやうにして、倉庫楽団を立ち上げての作曲に没頭する。幸いアイディアは湧いてきており、ごそごそとそれを形にしてゆくのは、まぁ気休めにはなる。音楽家として、演奏以外でも出来るポジティヴな作業と云へば創作なので・・・。

しかしま〜、考へたくもないが考へてしまふのは、こんなことで本格的に演奏活動そのものが不可能になってしまうこと・・。音楽への探究心も愛着も失われておらず、ココロも身体もそこそこ健康なのに、ただ腕だけが動かないことによる、演奏活動の断念・・・。そは恐ろしいほどの絶望ではなからうか?。

勿論、世にはさういふ事にはへこたれず、活動を継続させてゐる楽師、芸術家が存在するのも知ってゐる。そしてその素晴らしい技が、健常者のそれをも凌駕してゐるケースも知ってゐる。しかし、自分がそうなった時、同じやうに出来るか?。そのハンデを持ってしても、音楽への情熱を失わずにおれるか?を、今、強く自分に問うてゐる。

10月4日(金)ーーーーーー

肘の痛み抱えてバイト。
こ ・ れ ・ が ・  !!

ナニがあったのか知らんがま〜人が来る来る!!。就業した11時から終業する15時まで凄まじい忙しさで、肘を庇って仕事する、なんぞ不可能な状況。終わった頃には肘全体が激痛に見舞われてをり、こりゃぁたまらん。けふはその後帰宅せずにレッスンを3コマ。明日はライヴなんだがこれはもぅ局所注射で対処するしかないな、と。

せめて頑張った自分を励まさん、と「サバのスモーク」を買って帰って晩酌とす。

10月5日(土)地下太陽広島公演@ヲルガン座ーーーーー

朝イチで整形外科へ。
経緯を説明し、けふライヴがある旨伝えると、先生も『ぢゃあもぅ打ちましょう』と。まぁいわゆるブロック注射と云ふやつをヅケてもらう。なんぞ機械の画面を覗き込みながら、ナニかの薬剤を注入。先生曰く『これで治る訳ではないので、そこんとこヨロシク』と。

んで、注射が終わって会計も終わって病院を出て吃驚!。痺れて左手に全く力が入らぬ!!。自転車のハンドルすら握れない状態!!。これはマズったか?。ライヴの日の朝にブロック注射なんぞ蛮勇であったか?、と思ふも、先生の言葉『抜歯とかに使う麻酔と同じものが入ってるので』といふのを思ひ出し、経過を見る。
したら1時間程度で痺れが消え、通常の状態に。痛みが完全に無くなった訳ではないが、指は動く。いざライヴへ!。

けふのライヴは北九州のテーさんこと村岡達也を中心とした「地下太陽」といふユニットで、流動的なメンバー編成で各所でライヴを演る、のの広島版。けふのオーガナイザーはベースの中野チカラさんで、そこに私が加わる、といふはまぁ必然的に『ツインベース編成』といふ事になる。

ぢつは、けふのがどんなライヴになるのか最近まで知らず、先日のメールでようやく知ったといふ・・。ただまァ、チカラさんとは何度もツイン編成で演ってるし、そこには不安はない。むしろ「自分が入らない」局面がどんだけあるか、を気にする。結果、1部の私は完全に観客。2部以降はづっとステージ上におり、なにかと音を出す、といふニッチに。

楽曲を支える「ベース」はチカラさんに任せ、私はギターとベースの合間を縫う役割を全うす。いはばグレッチェン・パーラトんところのチェリスト、アルティョム・マヌキアンのニッチに近くあり。
面白かったのは、「ベース音」を全然出さずに、叩いたりコスったりしてナオエのパーカスと共に「打楽器」の位置にゐたりもした。まぁ、なんでもできますよ。

さういふニッチを楽しみ、音楽に色を添えた素晴らしい一夜となった。パーカスのNAOEとは何年振りか、の共演。相変わらずキレと華のある打楽器でステージを盛り上げる存在感はさすが。ギターの山近誠さんの技も冴え、いちをう満員となったヲルガン座も良き一夜となったであらう。ん〜〜、またこのメンバーでライヴしたいね。

思へば2001年、テーさん、ナオエ、ギターのタマオ(野田玉青)、当時 川崎在住だったSSW 竹内紀、との西日本6ヶ所を巡るツアーの成功をきっかけに、私は今の暮らし振りに身を投じたのであった。
あれから23年。短くはない時間が過ぎた。
私はあの時 思ひ描いた50代を生きてゐるだらうか?。

10月6日(日)ーーーーーー

ブロック注射で痛みを抑えた左肘であったが、やはり昨日ほどのステージをこなせば、それ相応の痛みは残れり。先生の言った『(注射したとて)治る訳ではない』といふのを実感す。ただまァ、昨日ぐらい弾けるなら、翌日が痛くてもまぁ良かろう。

けふはしーシュのリハ。
もぅ10日後に迫った薬研堀夜市のリハ。トピックとなる「アニソン」のアレンジがなんとか成立。これをあと10日でどんだけ身体に染み込ませれるか、である。