週変わりのシュウ
12月23日〜31日
さぁ、その人生を祝おう!
12月23日(月)ーーーーー
バイトへ。
12月もだいぶ後半だから忙しいのは仕方ないのだが、けふは私の居らん(と思ってゐる)ところで、同僚が私の悪口を云ってるのを聞いてしまい、気がナエる。もともとその場に居ない人の噂話はお手のモンの職場ではあるので、「私だけは違う」とは思ってはおらぬが、まぁ実際聞くと 嬉しくはない。
まぁこの場での私は、楽師でも文筆家でもナンデモない存在・・・、まさに「ただ裸の いち個体」であるからに、そこで役に立たんことは、責められても仕方ないことなのかもしれない。社会人としての存在価値の低さ。勤続 7年経ってもポンコツなアルバイターなのだ。
12月24日(火)福岡:みゆき亭ーーーー
バイト先の悩み置き去りにして、今年最後の「現場」。九州は福岡へのチョイ遠征へ。
しーなさんの長年の親友、福岡のエンタメ業界を仕切る 亀山みゆきさんの導きで、けふあすと福岡での「場」を頂いた。みゆきさん、大病を完全に克服し、以前よりますます精力的&多角的な活動に乗り出してゐる。まさにイメーヂで云ふところの「博多の女」っ!。けふはその仲間を集めてのホームパーティーの場で、しーなとシュウ。
聞けば「みゆき亭」として月に何度かかういふイベントを持ってゐるさうで、ゲストもホストも同じ立場で会を楽しむ・・・当然料理にも駆り出され、私は野菜を切り、肉を炒め、サラダを拵え、その合間に自分も飲み食いし、要望があらば歌う、といふ・・。
まぁホームパーティーなので、電気ベースをガンガンに鳴らす訳にも行かず・・・、このために今回私は「トラベルギター」を購入したのだ。けふはこれが大活躍。いい買い物をしたやうだね。
みんなで飲み食い歌い弾き、いいかんぢにおヒラキ・・・だが、みんな思った以上に酔っ払ってゐたやうで、「誰それが誰それの荷物を間違えて持って帰った」とか、「どっかの駅で寝過ごした」とか、さういふ顛末で更けてゆく福岡の夜。
12月25日(水)福岡:コトリ珈琲店&パーティーーーーー
けふはみゆきさんの「サウンドスケッチ」との昼ライヴ(「マチネ」といふらしい)、地元の珈琲店を借りてのデイライヴだ。サウスケはみゆきさんとギタリスト&シンガーの久米博之さんのデュオ。しーシュとはもぅ古い付き合いになる。同じ、双方が歌う楽器弾きの男女デュオとして切磋琢磨してけふに至る、といふかんぢ。けふはひさびさの二枚看板ライヴ。
主催者から、「全部で1時間程度のライヴを」との事で、さういふ事の得意なしーシュがプログラムを仕切り、サウスケ、しーシュ、そしてそれぞれ個人演奏家としての個性が最大限に発揮できるライヴとなった、と思ふ。満場となったお客さんにも、至極満足して頂けたやうで安堵。個人的には久々に演った久米さんとのデュオ「かいわれ兄弟」でのインストは楽しかったな。
さて、マチネが終わった後は打ち上げ・・・ではなく、けふはもぅ壱本。みゆきさんしーなさん共通の友人であり、これまた福岡の「オモロい企画」を仕切る美魔女の一人 大野祐子さんのバースデイ・パーティーに、やはりゲスト出演するしーシュ。場に応じてクリスマス・ソングやバースデイ・ソングを提供する「流し」的な存在として。
ゲストに混じって立食しながら、要所要所で歌って弾いて・・みたいなニッチは非常にしーシュらしい、といふか・・・。ウチにしか出来まい、といふかんぢで楽しかった。みゆきさんをはじめ、みんな何某か「コトを起こそう」としてゐる人達の集いなので、なんかポジティヴな勢いに溢れてゐて、しかも品がある。我らがたはむれに奏でる音楽にも、ちゃんと耳を向け、一緒に歌ってくれたりする。そして、やはり女性が力強い!!(笑)。
思ひがけず楽しい夜であった。
しかしまぁ昼夜ダブルヘッダーの「現場」であり、それなりにくたびれたのは確か。今年最後の演奏活動、としてはややバラけた感は否めぬが、良い壱年の「シメ」になった。
みゆきさんに感謝。しーなさんとみゆきさんの友情なしには、我らのこの福岡でのニッチもあり得ない。そこに相方として腰掛けさせて頂いてゐるラッキーを心しつつ、今年もお世話になりました。
終わってみると、福岡二日間三会場でのライヴにおいて、ベースより活躍したのはトラベルギターの「ちび太」であった。今後もしっかり使っていこう。
12月26日(木)ーーーーー
広島へ帰り、その足でレッスンへ。
我ながら元気なコトだ。
ところがこの夜、我が朋友にして敏腕リペアマン・・・黒瀬町は「串小屋」の店主であった尾窪孝志さんの訃報が・・。闘病中で、最後に会った時もだいぶ痩せておられたが、回復を心から望んでゐたし、なにより今回のしーシュの作品においても、彼が作ってくれたシタール・ギターが大活躍だった、その音を聴いてもらえないままに、旅立たれてしまった。
私が持ちかけるおかしげな注文を、「リペアマンとして腕が鳴る」と全て快く引き受けてくれ、なをかつ本来ライヴを演るやうな場所でないところでライヴまでさせて頂き、これまでに受けた恩は数限りない。またひとり大切な友を虹の橋へ送り出す。
どこかで聴いた話によれば、現世の人が逝った人を思ふたびに、天国ではその人の周りで花が咲く、といふ。尾窪さんにもさうあるやうに、これから私はいろんな楽器を弾くたびに、彼の周りに花を咲かせてあげたい。
12月27日(金)ーーーーー
今年最後のバイト。
もぅ、心へし折れる、といふか、人間の尊厳などどこにもあり得ぬやうな、そんな忙しさであった。こんな忙しさの中で人を働かせる、など間違ってゐる。こないだ陰で悪口を云はれてゐた事もあり、けふは流石に声を荒げてモノを投げたりしてしまった。けふ壱日で多分私の評判はさらにガタ落ちだらうが、知ったことか!。私にだって怒る権利はある。
毎年思ってゐるのだらうが、来年こそ(もしまだここで働いてゐるとして)年末のこの時期にシフトを入れるのはやめる。なにを思われやうが、そもそも役に立たぬと思われてゐるならなをさらに、もぅ働くコトを拒否する。
そしてレッスンもけふでシメ。
生徒が帰った後のスタヂヲに掃除機をかけ、置き楽器やデスクや資料棚を整理して帰ったが、多分オーナーはそんなコト気にもかけずに、また散らかして新年を迎えるに違いない。知らん。
12月28日(土)ーーーーー
しーシュの20周年作品「椎修」が届いた。
私の不手際で色々あったが、なんとか年内に手元にCDが届いた。
運送会社のお兄ちゃんが『メッチャ重いですよ』と言って私に手渡したのに、思はず笑ってしまった。
来年はこれを売り歩く壱年となる。私自身が還暦を迎える年だ。しーシュの20周年と自身の還暦が重なるは、なにかの縁に他ならぬ。テニス肘や腱鞘炎、腰痛や喉頭痛に悩まされる日々ではあっても、頑張ろう。
日に日に記憶力が衰え、体力の減衰も著しい人生だが、周囲の人々に呆れられ、諦められても、私は私であり続けるしかない。
12月29日(日)ーーーーー
家族葬、と云ふことで参列は諦めてゐた尾窪さんの葬儀だったが、あまりに参列を望む声が多いため一般葬に切り替えられた、といふ話を聞き、黒瀬町で葬儀に出席。世代的には私の「先輩」にあたる尾窪さんだったので、参列者も私と同世代か少し上の先輩方ばかり。
驚いたのは、はるか25年以上前、まだ若かった我々がデイキャンプのやうな集いをしてゐた時、私の作った超激辛カレーをウマいウマいとへーきで喰ってた二歳児(!)が尾窪さんの娘さんで、まぁ当然ながら立派な娘さんに成長しておられた。私を「カレーのシュウさん」とその後づっと認識してゐたさうで(笑)、残念ながら尾窪さんに届けられなかった「椎修」をお渡ししておいた。
看護師といふ職業柄もあって、かういふ場でも落ち着いてテキパキと立ち振る舞っており、尾窪さんも安心して旅立たれる事だらうな、と・・。尾窪さん、やすからに・・。またね。
けふは諸事情ありて、女房のいない夜。
そもそもコロナの時以外で、年末のこの時期 広島に居ること自体が数十年ぶりで、一人きり、といふ事もあってなにか新鮮な感動を味わいながら・・・。
12月30日(月)ーーーーー
けふも夜が明ける前にゴソゴソ起き出し、散歩したり・・。
先述のやうにひとり身なので、朝飯は後回しにして大掃除。ウチは割と危険な間取りで、特に出窓を外から拭くのには軽業師のやうな芸が必要(出窓が張り出してゐる先に深い用水路がある。落ちたらアウト)。ホンマは一人の時にはやらん方がいいんだが、まぁ用心して・・・。こないだ電灯を全部LEDに換えたので、これはそのままあと数年は持つだらうし・・。乱雑に散らばってゐる仕事机周りも整頓。
あとはしーなさんにCDを届けに行ったり、買い物に行ったり・・。全部終わってもまだ昼だったので、そっから練習。来年はソロの場も多く設けるつもりなので、抜かりなく練習せねば・・。
外を歩けば、日頃見ないやうな家族連れや年寄りが目立ち、またそれらも年越しへ向けてどこかユルいかんぢがして良い。これも先述した事だが、考てみればもぅ長い間『年末の地元』を知らないでゐたんだな、と・・。
12月31日(火)年越し配信ライヴーーーー
2024年も大晦日。
またまた何ひとつ成し得なかったやうな、実際成し得なかった壱年がまた終わるのだ。太陽は常に私を追い越し、背後からまた昇る。やがて私の息は上がり、足は衰え、死を迎える(ピンク・フロイド/タイム)。
去年は録画で茶を濁した年越しの配信を、今年は生で、しかも演奏中心にやろう、といふ話になり、久しぶりにフェースブックのライヴ機能を使って、配信ライヴを試みる。なんせリハが圧倒的に足りてない現在のしーシュ。どうなることやら・・と思ひながら告知してゐた時間から配信を開始。今年70本の現場を潜り抜けたスキルは伊達でなく、ほぼ打ち合わせのみで演った、にしては良いライヴ配信だったのではないか?。
フェースブック全盛時 ほどではないにせよ、多くの人が画面の向こうから声援を送ってくれたやうで、我らも嬉しい。今年も壱年、本当にありがとうございました。