週変わりのシュウ
3月9日〜15日
その風になじめない鳥は、風について考える

3月9日(日)ーーーーーー
二人の生徒が別々の場所でライヴをす、といふのを、どっちに応援に行ってやるか悩んだが、フェアであるために結局どっちにも行かん事にした(笑)。そのぶんをしーシュのリハに充てる。
音源「椎修」が完成し、来週の『いのちのあかし』に向けた曲も完成したせいか、クリエイティヴ脳が沈静化してしまい、なかなかアタマが創作モードに入らない。まぁ、さういふ時期なんだらう、と思ふ事にす。特にたれかに「締め切り」を迫られてゐる訳でもないしネー。
3月10日(月)ーーーーー
ぢつは今週もバイト強化週間である私。
かつてない頻度で厨房に立ってゐる、といふかんぢ。その分調理人としてのスキルは格段に上がったが、なんとも疲労が塗り重ねられてゐる、といふ・・・。まぁここはダブルワークで働いてゐる人も多いので、私だけがつかれたつかれた云ふ訳にもいかんのでね・・。
ここの仕事仲間は、私と年齢的にも近い(還暦前&その近辺)人が多く、このごろ仕事の合間のお喋りが『この後(の人生)をどうするか?』といふ割と重いテーマになることが増えてきた(笑)。正直言ってかなりハードな部類の仕事だと思ふし、私自身、還暦過ぎたあといつまで同じやうに働けるか?は、割と真剣に考えてゐる。
まぁしかし、昼のラッシュ時になればそんな甘い感傷など簡単に引き裂くほどの激務で・・。
3月11日(火)ーーーーー
木曜日のソロ・ライヴ「自習室」を、ピヤノの弾き語りにした以上、日々のピヤノ練習を欠かさぬ方が良いのだが、けふは、けふと昨日のバイトの疲労が重く重くのし掛かり、レッスン帰りにピヤノを弾きにスタヂヲに寄る、なんてとてもぢゃないができなんだ。
こんな今となってはライヴとリハ&レッスン、のみで日々が回ってゐた時代が懐かしい。バイトとレッスン&ときどきライヴ、といふ今の暮らしもけっして悪いとは思わんが、同じ暮らしぶりだった若い頃以上にくたびれる事だけは事実で、まぁ自身がヤワになったものよ、と自虐的に思ふ訳ですよ・・・。
3月12日(水)ーーーーー
バイト強化週間終了、の日。
けふを越えれば!!
さういふ気分のアガり具合が良い方に作用したか、いつもより人員が少ない日だったのにも関わらず、バリバリと業務を回せた。ので、けふは5時間勤務のあと一旦帰宅してシャワーを浴び、ピヤノの練習にスタヂヲに入り、さらにレッスンを3コマ、といふスケヂュールもきっちり敢行できた。
かういふ日は「よっしゃ」といふ気にはなれる。こっから半月はユルいスケヂュールのアルバイターとして。
3月13日(木)夜の自習室 vol 3「ピヤノと私」@ふらんす座ーーーー
さぁ!。
このひと月、私にしては真剣にピヤノに向き合って、ワンライヴまるまるをピヤノ弾き語りで挑む、人生最初で最後のチャレンヂ。前回の「自習室」でトラベルギター一本背負っての会場入りを『過去最軽の入り』と称したが、けふに至っては完全な「丸腰」。手ブラでのライヴ入りは、ホンマに人生初めてかもしれんナー。
・・といふ訳で、たれが望んでゐるか?のベース弾きのピヤノ弾き語りライヴ。おおぉかたの予想通り、集客は過去最低に近い状況ではあった。だが自分なりに「ピヤノと真剣に向き合った」壱ヵ月で、おぉいに実りにはなったと思ふ。
そこそこ悪くはない出来だったので、まぁもぅ少しは多くの人に見てもらってもよかったな、といふ気はしないでもないが、まぁそこは梶山シュウといふパフォーマーの限界。どうすればお客さんを呼べるのか?は、もぅ分かりようがない。客が来ないならやめるか?といふ話だけで、実際今回ばかりは『もぅ次はないな』とも思った。
が、ヲルガン座当主のゴトウイズミちゃんが『わりと次のチャレンヂを見たい』と言ってくれるのと、まぁ、還暦を迎える今年、自分的に自分が演ってきたことへのナニかの結論、を出したいがためだけに、次回もやる。
けふはその後、別会場にツアーで来られてゐた、パーカッションのヤヒロトモヒロさんと宮田岳さんのデュオ「公開車庫」のライヴ後懇親会に参加。ヤヒロさんはお久しぶり。岳さんは初めまして。懇親会に残ったお客さんもご無沙汰の人が多く、ナゴやかに飲み食いして、久々に深夜に帰宅。
3月14日(金)ーーーーー
バイトがない日々のメリットは、昨日のやうなスケヂュールの時、『明日は・・・あぁ〜・・』といふのを、あまり気にしなくても良い、といふことかな?(笑)。
ピヤノ弾き語りストとしての日々は終わったので、けふからまたしっかり「ベース弾き語りスト」としての日々を。
こないだ弦が切れた「カラス」を封印し、元々のウェポン「ヴァネッサ」をまた前線に引っ張り出す練習をバ。思へばこのルーティンをこの2本の楽器の間で繰り返してゐる気がする。
3月15日(土)ミニマム地下太陽:庄原遠征@すけあくろうーーーー
毎年この時期、テーさんこと村岡達也と、庄原はすけあくろうに往くのが定例となってゐる。
今回はユニット「地下太陽」として、庄原初見参といふ予定だったのだが、ギターの山近誠さんが今朝になって高熱を発症。他のメンバーも都合がつかず、結局例年通り私とテーさんのデュオですけあくろう参り、となった。
だが行ってみると、去年と同じお客さんが同じやうに楽しみに集まってくれ、またここのライヴ特有の「同席者全員出演者」みたいなかんぢも踏襲され、ぢつに面白いライヴとなった。もちろん私もソロコーナーをもらい、数曲歌ったが、ほかにも三線弾き語りの飛び入りや、般若心経&セッションや、マスター多賀裕司の弾き語りなどもあり、私的には『さうさう!このかんぢ!!』といふ時間だった。
思へば、今の私のキャリア最初期・・・、2001年初頭頃、東京への拠点変更を進めながらも、何処かナニか割り切れぬ思ひを感じてゐた頃、このテーさんとのこのかんぢのツアーを経て、私は本当に自分が演りたいこと、に目覚めたのだった。
そはすなはち、「一箇所に拠点を築いて そこから発信する」のではなく、『自分の足と感覚で各地を回りながら、面白いパーソンと絡む』といふこと。それがウケるかどーか、金になるかどーか、ではなく、その行為そのものに意味を求め、それを「でらしね」と名付けて、ひとり旅を始めたあの頃、をまざまざと思ひ出した夜だった。
ありがとう テーさん。
けふは庄原で初めてホテルに泊まる。古いがアットホームな良いホテル。
昼、早めに庄原入りした時、近隣のデパートやらをウロついたのだが、レインボー・フラッグ(LGBT=セクシュアル・マイノリティの自由と尊厳の象徴)を掲げた店もあり、この山間の町の意外なポテンシャルを、大いに感じた日でもあった。チョいと立ち寄った手打ちうどん店のポイントもかなり高く、庄原市侮りがたし!!の印象。