マリー、これが涙だ

9月8日(月)ーーーーー

ゆんべ深夜に鳥取から帰ってきて、まぁそのあと色々ドジをやらかしたせいで、せっかく予定よりだいぶ早く帰ってきたのに結局寝れたのは3時くらいだったかね?。まぁ指が痛むんで寝れんのではあるが・・・。

けふはついについにその痛みを処置せん!と朝イチで医者へ。腫れのかんぢからして、もぅこれは整形外科ではなく皮膚科の範疇、と判断。診察してもらったところ「ひょう疽」といふ症状で、まぁ傷口から雑菌が入り膿が生じて痛む、といふ、割とよくある症例ださう。

『切りませうね』といふ事でその場で手術。これが痛いのなんの!。

まぁ膿がある部分を切開して、あとはその膿を絞り出す、といふプリミティヴな処置なので、絞り出される方はもぅ激痛!。悶絶する私。さういやここって、腕は確かなんだが、今までに何度かやった色んな施術(ガングリオンの除去など)もすげぇ痛かったんだ。今回、患部が指先だけに、その痛みは超弩級。

壱時間程度で済んだが、もぅどっと疲れた(痛いし)。後の半日、なんもする気が起きず、ネトフリで『地面師』を見ながら(2回目)うとうとしたりするのみ。

9月9日(火)ーーーーー

所用ありて独りちょいと女房の実家へ。まぁドライヴのつもりで、と思ったが、にしては暑すぎて・・。

ぢつはひとりで女房の実家を訪れるのは初めて。用事を済ませて帰るつもりでゐたが、「昼ご飯食べて行かれよ」との事でご相伴にあずかる。義母上どのと二人で食卓を囲むはなかなか新鮮な経験だった。私は年配の女性と話をするのが嫌いではないので、まぁ御用聞みたいなかんぢになれれば。

帰る途中、なにやら不気味な雲が西からゆっくり近づいてくるのが見える。「ありゃ・・」と思ってゐたら案の定、その数分後にはものすごい豪雨が。車のワイパァも追いつかず、高いビルの上層階が霞んで見えぬほどの

したらものの数分でペッと治まり、しれっと青空が・・・。その後もバッと降ったりカラっと晴れたり、を繰り返すミョ〜な天気。もぅこっから先、世界はづっとこんな風なんだらうかね?。

9月10日(水)ーーーーー

けふも不安定な天気。こんな日にバイトに行かにゃならん、とは因業である。
しゃぁないのでバスで行かんとするが、ちょーど歩道橋のてっぺんにゐる時に、凄まじい稲光と雷鳴(ほぼ間髪おかず)が鳴り響いた時は、「死んだ」と思った。

マジで雷に打たれて死ぬ、としたら、多分「一瞬」なんだらうな。自分が死んだ事にも気づかんのぢゃないか?といふ気がする。ので、その後も『俺は死んでないよな?』と思ひながらバイト先へ急いだ。

その後、レッスン。その後、しーシュのリハ。
昨日ぐらいから、ど〜も起き抜けの体調がよろしくないので、ちょっと酒を抜いてみやうか、といふ気になっており、日々の楽しみであった晩酌をせず。

9月11日(木)ーーーーー

けふもバイト。
いっぱしに「戦力」として認められてゐるらしく、もっとシフトを入れてほしい、のやうに云はれることも増えたが、ん〜〜〜申し訳ないが、やっぱりレッスンとの兼業は正直、週に2回、4時間づつ、が限界かなぁ。このバイトも今の私にとってはまぁ重要な収入源ではあるが、なんせ仕事内容がキツい。

同僚に、他の職場(やはり厨房職)と兼業してゐる人(同い年)がゐるのだが、彼曰く『ここが一番キツい』さうで、他所での彼は勤続3ヶ月でもぅ中心的な働きをしてゐるさうな。『カジさん(バイト先ではこう呼ばれてゐる)ならすぐリーダーになれるよ!』とのこと。へ〜。
よりによってなんでこんなキツい仕事を、50代も後半になって選んでしまったのかー?。

この夏で勤続まる8年になった。まぁ、せっかくなんであと2年は務めてみやうと思ってゐる。ここでの経験は、のちに色々役に立つかもしれんので・・。

9月12日(金)ーーーーー

とある仕事(ライヴ)を受けるかどーか、で『経歴の提出』を求められる、といふ事があった。

そはアレかね?。「〇〇音大卒」「〇〇氏に師事」「〇〇コンクール優秀賞受賞」「〇〇フェス出演」「〇〇担当」みたいなもんか?。いまだそんなモノを求められる現場があるのにも驚いたが、まぁ相手にとってどこの馬の骨か分からんものに仕事を委託するわけにゃいかん、てのも分からんでもない。

そりゃヒネり出して書け、と云はれたらいくらでもあるけどよ。
だが、上述のやうな経歴、って書けば書くほど嘘くさい、と思ふのは私だけだらうか?。だって、それって「梶山シュウ」といふ個性ってどこにもないぢゃん?。そんな過去の経歴を読んで『スゲぇ』と思ふか?。少なくとも私は「で?」と思ふだけだ。

以前にもかういふのを求められ『ベースを弾き、声を出し、活くる楽師』とだけ書いて出したら「もっと真面目に」と云はれた事がある。いやいや、「ベースを弾き、声を出し、活くる」それ以上の何の情報が必要と云ふのか?。

まぁ、こんなことを言ってるからダメなんだらうな、と思ひはしますけどね・・・。
「日々歌ってるだけで、経歴なんぞありません。それでダメなら結構です」とだけ書いて返した。当日は、さぞや名のある方が歌われるのであろう。結構結構。

9月13日(土)ーーーーー

土曜日の朝の恒例ラヂヲ「ゴンチチ・世界の快適音楽セレクション」。けふはアンコール放送で1999年11月のオンエアを流してゐる。まだミシェル・ンデゲオチェロが出たばかりで、みんな舌を噛みながら発音してゐるのがオモロい。

んで、フと思ひ出したんだが、1999年当時・・・まだ私もバリバリに夜遊びなんぞしてゐた頃、友人に誘われて深夜のライヴに行ったことがあった。たれが出てくるのか知らんまま、ただ「ベースが面白いらしい」といふ情報だけで、夜中の2時から某クラブに出陣した。出てきたのはNYで活動するJasmin といふピアス&刺青だらけの大柄な黒人女性歌手で、そのバックがパーカッション二人に電気ベース、と云ふ変わった編成だった。

当時クラブ界隈では最先端の!と云はれてた(らしい)ので、会場は満員だったが、こんな広島のクラブに集うやうな人たちが聴く音楽ではなく、変拍子なども取り入れた、むしろ静謐で土着的なジャズといふかんぢで、鮨詰めの観客はイマイチ戸惑ってゐたやうに思ふ。

電気ベースはNob Kinukawaといふ日本人で、6弦のフレットレスを使って、あまり派手なことはしてなかったが、楽曲へのアプローチは確かに当時の私にはかなり刺激になった。この辺から私は「歌と電気ベース」といふアンサンブルを追求し始め、やがてそれが「しーなとシュウ」に行き着くわけだ(結成当初しーなさんにはピヤノを弾かせなんだ)。

んで、iTune を探ってみたら、アルバムがありましたね。
編成は私がみたライヴと同じだが、音源だとさらに静謐なかんぢで、正直ちょっと退屈にも思へる(苦笑)。だが、これを体験せなんだら、私はしーシュを演ってなかったかも、といふ思ひに至ったのもたしか。ん〜貴重なマイルストーンである。

9月14日(日)ーーーーー

けふは朝も早よから、女房がけっこうな距離を歩くヲーキングの大会に出てゐる。
前も書いたが、私と連れ添ってもう40年近く経つが、この人が初めて持った「フィジカルな趣味」として、たいへん喜ばしく思ってゐるヲーキング。
筋トレはしてゐるが、いわゆる有酸素系の運動をサボりがちな私より、今や女房の方がはるかに引き締まって健康なのではないか?。

とある医者筋の人から聞いた話だが、80〜90代でもマラソンを走ってたりする人・・・、あれは単に「それまで運動らしきことをしなかった人」だからできる事らしい。確かにさういふ人は「還暦を機に走り始めた」とか「70代になって始めた」とか云ふ話を聞く。若い頃からマラソンなどをやってる人は、あの年齢になるとほぼ100%膝の軟骨は擦り切れてゐるさうな。
軟骨なんぞ単純な「消耗品」なんだと。

割と目から鱗の話ではあるが、確かにネー、と思ふ。

私はと云へば、先述の「ひょう疽」の手術痕が、よぅやく元に戻ってきたかんぢ。まだ違和感あるし、ピヤノ弾いたりすると痛いが、まぁ回復に向かってゐると信じやう。かういふ怪我はあんがい単純で、「治ってゐる」と思へば思ふほど治りも早い(経験上)。