週変わりのシュウ
9月15日〜20日
あなたとの思い出が私を生かす

9月15日(月/祝) 薬研堀夜市 第51回 ーーーーー
新しい「フェ〜ズ」に入った入った、とやたら云ってる「夜市」の51回目。盛会に終えた50回目・・まる20年を超えて、しーシュどんな進化を見せるかっ?・・・、といふ事だが、実際はさほどのキアイはなく、まぁさらにやりますか。みたいなかんぢで・・・。
実際はこの日、ハーモニィの変化には演奏中から気づいてゐたのだが、しーなさんが、長年染み付いてゐた「歌い方(発声法)」を変えてみた、と云ふ事で、やはりさうか!と。なんて〜のか、今まではやや異質な声の絡みが、より有機的になった、といふかんぢがした。お客様は気付いたでしょーか?。
けふはいつも動画配信のチャットを盛り上げてくれるメンツが、実際に来場してくれ、珍しく会場がよぅ盛り上がってゐた。ウチらみたいな無愛想なデュオとは云へ、やはり盛り上がる会場の方が演ってて楽しいのは事実。とくにけふは「ヤマナカーニャ(世界唯一のしーシュ・トリビュートユニット)」が会場に来てくれており、ほぼ全曲一緒に口ずさんでゐたのには嬉しかった。
演奏にも、歌にも、「新しいナニか」を感じたことは確か、な51回目であった。
みなさん、ありがとう。
9月16日(火) ーーーーー
東京ツアーの拠点として、数え切れぬほどお世話になってゐた、下北沢ブルームーンの元店主にして、世界を股にかけるロックバンドBARAKAの名ドラマー、そして我が心からのアニキ、平石正樹さんが、長い闘病の末に亡くなられた。
闘病のことは知っており、東京でも何度か会い、仕事のついでに広島に来てくれたりもしてゐて、その度に「キツそうだな」とか「良さそうだな」とか思ってゐて、最後に会った時、づいぶんと調子良さそうだったので、うまく行けばこのまま寛解も・・・と希望を持ってゐたのだが・・・・・。
悲しすぎる別れだ。
ブルームーンをオープンした時、『真っ先にここでシュウが歌ってくれてる姿を想像したんだ』と云ってくれた正樹さん。
宿が取れなかった我々のために、寝袋まで買ってくれて店に泊めてくれた正樹さん。
悩みを打ち明けた時も真剣に聞いてくれ、いつも豪快に笑い、酒を煽ってゐた心のアニキ。
さようなら。
ありがとう。またね。
9月17日(水) 音魂ラストデイーーーー
バイト→ライヴ、といふ珍しい流れ。
大切な仲間を失ってもなを、日々は流れる。
私が広島で音楽活動を本格化させた頃から数えても40年以上。スタヂヲであり、飲み屋であり、ライヴハウスでもあった旧「DUCK」から若い世代が引き継いだ「音魂」まで、広島の老舗として存在し続けたこの店が、けふでクローズする。そのラストライヴに。
現店長フジマルくんが闘病生活に入り、その後は彼の友人を中心とした有志で存続されてゐたが、ついにけふその歴史に幕を引くのだ。私は此処数年、夜の街そものもから足が遠のいており、この音魂もすっかりご無沙汰だったが、足繁く通ってゐたらしい春駒のカシラから誘われての、ラストライヴへの出演となった。
私が店に着いた時にはすでにギュー詰めの満員状態。長らく広島の音楽シーンの中心にあった店だけに、其処此処に知り合いがゐる。何十年ぶりに顔を見た人などもゐて、「あぁ 昔もこうだったな」と感慨深く思ふ。若き梶山シュウは、ここにベース一本持って現れ、誰彼なしにセッションしては顔を売り、腕を磨いて来たのだ。
けふの我らはFar east lounge ではなく、「タタミヤ・ユナイテッド」といふ名前でのエントリー。しーなさんの居らん男臭い編成だったが、この場所にはこれで正解だったかな、とも思ふ。経験値と貫禄で演りきったステージ、といふかんぢだったが、私は再会寿ぐ人たちと終始飲みながらゐた。
また一つの「場所」が終わってゆく。
9月18日(木) ーーーーー
けふはなんとこの私が、「年金」の相談に行くのだ。
自分が一体いくら「年金」を納め、いくら「未払い」なのか・・?。そしていつから幾らもらえるのか?を確認しておこうと思ったのだ。さう、私は来月で還暦なのだ。公的にはもぅ「シニア」の仲間入りをするのだ。
「年金」「相談」で調べたところ公的な機関を見つけたので、そこへ出向く。バスが思ってゐた場所に止まらんかったり、途中で雨が降り出したり、色々トラブった。2箇所ほど機関を回ったが、いづれも丁寧な接客で詳しく教えてくれはしたが、結局はよく分からんかった。分かったのは、まぁ予想通り給付は大した金額ではなく、やはり年金は当てにできない、と云ふことだけだった。
かういふことを考えねばならん時期に来たのだ。はぁ〜。
「先が見えない」と云ふ事を誇りのやうに思ってゐた時期もあった。若気の至りだ。知り合いには、まったくビタ壱文 年金を支払ったことがない、といふつはものもゐて、まぁそれに比べりゃまだマシか、とも思ふ。だが、堅実な我が両親が迎えてゐたやうな穏やかな老後など、私にはない、のだ。
9月19日(金) ーーーーー
あと壱ヵ月を切ったが、自身の還暦ライヴのラインナップの、アレンジがほぼ決定した。こっから先はこれをひたすら「練習する」段階に入る。めんどくさがっては居られん。日々ピヤノやギター、勿論ベースでのプラクティスを怠らぬやうに。
さう考へたらチョイ近場に、チョいと声出して練習できる場所があって欲しいな、と思ふ。以前は「バリアス・スタヂヲ」といふ強い味方がゐたが、コロナで閉店。市内に自分のスタヂヲがあるにぁあるが、チョイと遠いので行ってみて空いてなかったりすると気もナエる。
カラオケスタヂヲで練習する、と云ふ手もあるな、とフと思ふ。友人はよくやってるやうだ。・・が、私はぢつは自分でカラオケスタヂヲに行ったことがなく、どーやって借りるんかが分からん。これも修練か、と思ひもするが。
9月20日(土) ーーーーー
しーシュのリハ。
作ったはいいが、どぅにもえぇかんぢにならぬ曲を、あーでもないこーでもない、とヒネる練習。こは技術的なものではなく、私と椎名まさ子の「楽曲表現の違い」だ。過去にも何度かさういふ局面はあった。最終的に作者の意図にいちばん近いところにどちらかが寄り添う、といふ形で解決してきた。
まぁ、焦ることぁあるまい。何度も演ってるうちに、いい形で収まる事を願う。
事情により、けふも独居老人週末。リハの後、晩酌の買い物をし、レッスン用の譜面を書き、軽いヲーキングも済ませ、シャワー浴びてすっきりした身体で、雨の音を聞きながら晩酌。至高のひととき。
9月21日(日) ーーーーー
久しぶりの「晴れ」。
と思いきやいきなり秋の空だ。
さういや昨日も久々に夕方のヲーキングをしたのだが、あっと云ふ間に暗くなり、「さうか・・もぅ秋か」と思ったものだ。気温はまだ高いが、確実に秋は深まってゐるな・・。
中学生ん時、この季節に部活(吹奏楽)なんぞで時間が遅くなると、もぅ真っ暗になるので、『男子は女子生徒を送ってゆくやうに』といふお達しが出る。時代が時代だけに『公然と女子と一緒に下校する』と云ふ事に嬉しみを感じてゐたのは確かだった。昨今中学生どころか小学生までが公衆で平然とイチャつく姿を見ると、まぁいい時代になったものよ、とも思ふ。
謳歌せよ青春を。人生はなかなか長く、思ふよりは短いぞ。