週変わりのシュウ
9月22日〜28日
愛を責めずにsay Good bye

9月22日(月)ーーーーーー
10月の還暦ライヴの演目を気にするあまり、明日の「自習室」の自習ができてない、といふ本末転倒的事態。
いちをう明日がこの形でのラストとなるので、今まで演った形態ぜんぶ演ってみるか、と。ベースの弾き語りを主軸にしつつも、ギターもピヤノも使って・・・。あれもやるかこれはやらんか、を考え、結局あまり練習にならん、と云ふね。
まぁかういふ事を考える事自体が楽しいので、これはこれで良き。かういふポジティヴな思考は、惰性でやる1時間の練習より「音楽的」に効果的だと信じておるし、故ジャック・ブルース師もそのやうに云っておられた。
ジャック師と云へば、こないだネット上で1975年・・、クリームが終わり、ソロも出し、アメリカのミュージシャン達とよく共演するやうになった時代=私が割と好きなジャックの時代のライヴのVが出て来た。
ジャック・ブルース・バンドを名乗ってゐて、メンバーにカーラ・ブレイがゐる。まぁこのカーラが可愛いことよ!。
75年と云へば、36年生まれのカーラはもぅ39歳のハズだが、少女のやうに可憐でセクシーである。
ジャック師もカーラも、もぅ亡くなっちゃってるんだな・・。ジャックは75歳で、カーラは・・長生きだったね87歳で。カーラの亡くなった日は、奇しくも私の誕生日だ。
9月23日(火)夜の自習室 vol 9 @ふらんす座ーーーーー
今年の一月からづっと続けて来て、まぁいちをうけふがこの形での最後となるソロ・ライヴ。
上述のやうに、今まで演ったパフォームをぜんぶ踏襲するやうに構成。ピヤノで3曲、ギターで6曲、ベースで7曲弾き語り。昨日思いついたので流石にピヤノ演奏には難があった(苦笑)が、声の調子が良く、全体的には良いライヴができた。10月の還暦ライヴへの布石としては・・・。
思へば1月=古いベースによるベースラインのみの弾き語り、2月=ちびギターと生声、3月=ピヤノ弾き語り、4月=ベースとループによるカヴァー集、5月=ベースによるオリジナル、6月=ギター弾き語り、7月=佐藤弘之を歌う、8月=おんな歌特集・・・・。
よぅ演ったものだ。盛大な黒字が出たことはついに一度もなく、8月に至っては完璧な赤字となった。まぁそれもあって「もぅやめやう」と思ったのだが、ソロのライヴをコンスタントに演った、といふは自分的には意義があった。
今後も、もぅ金輪際やらない、といふ訳ではなく、自分のブラッシュアップになる形でユルく継続してゆかんと思ふ。お付き合いいただいたお客さんに感謝。
9月24日(水)ーーーーーー
ライヴ翌日のバイトはツラい、と思ひながらも、こっから先はさういふ事も言うておれんぞ、と。
まぁ、さすがに8年も勤めておれば、よほどのことがない限りヘマはせぬやうにはなってゐる。だが、重鎮になってゐるか?と問はれたら『いや〜』としか・・・。こればかりはキャラ、と云ふかなんてーのか・・。私より勤務年数少なくてもすでに重鎮の雰囲気醸し出す人もおる。
人は成りたいものに成るわけではなく、成れるものにしか成れんのだよ。
9月25日(木)ーーーーーー
「自習室」も終わったことなので、こっから先はひとまづ『壱還』をゴールに日々の音楽を育ててゆく。
楽曲は出揃い、アレンジもまぁまぁ完成した。あとはこれを来月の17日までかけて「練習」して行くわけだ。
かういふのって意外にも発奮材料になるもんで、やはり「目標」といふハッキリした方向性が音楽にあるのは良い。私は常々、ライヴやパフォーマンスのために「練習」するんは違う、のやうな事を言ってきた。だがまぁ、かうして目標を定めてみると、意外なほど練習にキアイが入るものだ。
ふ〜ん。皆んなかうやってモティベーションを上げてゐるのかねぇ?。
9月26日(金)ーーーーーー
上述の『壱還』では、ベース、ギター、ピヤノの三つの楽器を駆使してパフォームす。
かく語るとまるでジョン・ポール・ジョーンズのやうだが、勿論あれほどには各種流暢に扱える訳ではない。
とくにピヤノはまだどの曲もノー・ミスでは弾けてないのだ。おまけに、弾けば弾くほど問題点が浮上してきて、スタヂヲに入る度に『あ〜』と思ふ事しきり。かういふ時ツイ弱気になって『やっぱギターで演ろうかな』とか『いっそ全曲ベースで』とか思ってしまふヤワな私なのである。
9月27日(土)京都ネガポジーーーーー
秋の週末遠征。今年の2月に若手友人バンドGold fish adventureに誘ってもらって出演した、京都は西院ネガポジ。前回出演時、お店のスタッフや店主にも気に入ってもらえ、そっからあれよあれよと再出演が決まったのは、もぅ古い友人となったオイワさんこと岩井雅美さんのコネクションに負う。
今回の共演者はオイワさんのオイワカモリ、とそのオイワさんの弟子筋にあたる西院ジム。気心知れた人たちとの共演なので、まったく気負わずに演れるのがいい。
前回のゴーアドとのカップリングも満員だったが、けふも立ち見が出るほどの満員御礼。ゴーアドの西山昴志くん(そもそも京都の『ライヴハウス』との縁を繋いでくれた恩人)も来てくれ、この店を彼に紹介してもらったことへのお礼を、改めて伝えることが出来たのも良かった。
ライヴ自体は、やや荒かったかな?と云ふ気もせんでもないが、よぅ盛り上がって良いかんぢだった。
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思い違いでなければいいのだが、京都はやはりしーシュの音楽と相性がいい気がする。他の人からは、京都でのライヴにあまり良い印象を聞いたことがないのだが、我々に関して云へば、京都でのライヴがおかしげなかんぢになった事はあまりない。けふもたいへんよくできました、のライヴ。
明日は同じくオイワカモリと、大阪は野江にてランデヴー。
9月28日(日)野江 おとびばーーーーー
京都から移動。
けふは昼ライヴなので早めに京都を出て、おケイハンで大阪は野江を目指す。
野江、は我らしーシュにとって特別な街でもあった「関目」の隣町、になる。関目われらの家が閉店以後、この界隈への縁が無くなってゐたが、今回晴れてその隣町への進出が実現した。仕掛け人は、やはり「関目」界隈でもお世話になってゐた「すみれフォーク村」の田部さんご夫妻。
会場の「おとびば」は、その名が示すやうに『音の遊び場』といふ事で、もと鉄工所だった建屋を改装といふか改造して、ちょっとしたフリースペースにした場所。ライヴ会場としては手作り、といふかんぢだが、なんとグランドピヤノまである。これはしーなさんには嬉しかろう。
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実際、ライヴをやり、そのまま打ち上げまでやり、けふの出演者やスタッフの方々と壱日過ごしてみると、まるで「お祭りの接待どころ」のやうな気持ちの良い空間で、あぁ〜ホンマにえぇな、と思ふかんぢ。昨日の京都と比べても年齢層はかなり高めの会合とはなったが、それがまたチャラつかずにえぇかんぢになった。
昨日に引き続き、会場は満員御礼で、我らのいわゆる「関目コネクション」の友人たちも久々に顔を見せてくれ、再会を寿いだのであった。なんでもこの人たちは、オープンマイクに出演してはしーシュの曲を演ってくれてゐるさうで、しみぢみと、ありがたい。聞きなれなかった「関目」といふ街を初めて訪れてから、もぅ13年にもなる。
いまも付き合える友人として、ホンマに良き縁を頂いたものだ、と思ふのであった。
9月29日(月)ーーーーーー
帰る。旅から。
今回、久しぶりに電車での旅で、まぁいわゆる「飲酒運転」を気にする必要がないためか、初日から昨日にかけてま〜ぁよく飲んだ(酒を)。んで、まぁその仕上げ、て訳でもないが、最後に新大阪駅で予約した新幹線が来るまでの間を「シン・打ち上げ」とす。ネギ焼きをつまみに・・・。
月曜の昼間、とは云へ、新大阪駅はたいへんな混雑で、フードコートも立錐の余地なし、といふかんぢ。しかしまぁこんな混沌の中にあっても、場を読み空気を読み、席を譲り合ったり遠慮しあったり、ニポン人ってたいした人種だよな、とも思った。
あんまりかういふ極端な考えをすべきではないが、某国において、特に取材でもなんでもなく、そこら辺にゐる少年に話しかけた途端、ツバを吐きかけられ石を投げられる、といふ動画を見た事もあるので(しかも、それを「ジョークだ」と云ふ意味不明さ)。
この、国際的にはなかなかうだつの上がらぬ国ではあるニポンではあるが、まぁいいぢゃないか、といふ気もしないではないのだ。排外主義なんぞクソ喰らえだ。
9月30日(火)ーーーーーー
嗚呼、9月が終わってゆく。
10月が来る。
私は60歳になるのだ。
60歳、と云へばアレだが、これの云ひ方を変えて『私が生まれたのは60年前です』となると、途端にその歳月は重みを増しますね。60年前ですよ奥さん!みたいな・・・。
あんだけ暑かった日々も、気がつけば陽も短くなり、いつの間にか夜は涼しいを通り越して寒いくらいだし、季節は確実に巡ってゐるのだねぇ。あぁ〜。