週変わりのシュウ
10月11日〜16日
見えるか?黄金はここにありて
10月11日(土)ーーーーー
先日記述したやうにこっから先の壱週間、自身の還暦イベント『壱還』に備えて生活の全てをそのやうにシフト。水曜日の勇造さんライヴ以外の、一切の生産的行為をせず、ひたすら練習に励む壱週間とす。
そもそもこの企画、自分の還暦誕生日に会場を抑えはしたが、何をしたものか悩んでゐた。仲間を呼んで盛大に演るのもいいが、それはどこでも誰でもやってるし、それにさういふ企画って『誰を呼んで誰を呼ばない』かといふ問題が発生する。結婚式の招待状と一緒やね。全部に声かけて全部が押し寄せたら、それこそ会場は大混乱になるし(よく見かける)、だったらもぅ、限りなく独りで演る方が潔い。
しかし私が単にソロのライヴをす、といふ事の希少性はもはや世間にない。ここでわざわざソロをやる意味は?と悩んでゐたところ、しーなさんから『リクエスト特集にしたら?』といふ発案があった。
「あなたのためにうたう」といふコンセプトで、ひたすらお客さんと向き合うのだ、と。
もぅこれ以上、私に合う企画はない!と即決。プロジェクトが動き始めたわけだ。
6月からフェースブックやサイトで公募をはじめ、9月アタマに締め切りをしたところ、全国各地から22曲のリクエストが集まった。あくまでも「会場に来れる人」を対象にしたため、涙を飲んだ方も居られたやうだが、ひとつはJIVEへの集客、といふ側面も出したかったので、そこはご勘弁いただいた。
てぇ事で、そのための綿密なリハ週間が、こっから始まった訳なのである〜。
10月12日(日)ーーーーー
上述のやうにひたすらリハ。
とゆーか、練習だね。
ピヤノで5曲、ギターで10曲、ベースで7曲。当然ひとりで演奏するには難題のものもあり、まぁこの時点ではすでにアレンジも完成してゐるのだが、それをひたすら繰り返す。
10月13日(月)ーーーーー
同じ壱日。
ひたすら、練習、練習。
10月14日(火)ーーーーー
同じ壱日。
けふは「ラン・スルー(本番と同じ事を演るリハ)」をしてみた。
しかしまァかういふ事は、何人か仲間がおって、あれこれと出来や進行を確認しながら演る事に意義があるのであっって、たった独りで演るラン・スルーは、上手く行っても侘しさばかりが募る。
10月15日(水)豊田勇造in 広島 OTISーーーー
同じ・・・、だがけふは我が歌旅の師匠・豊田勇造さんの広島ライヴを手伝う日。
今週の本番以外で唯一「生産的」な壱日である。
ここ数年、バンド編成やピヤノとのデュオで来広してゐた勇造さんなので、一緒に演らせてもらうのは久しぶりだ。「明後日が自分の還暦ライヴなんスよ」と伝える勇造さん本人は、還暦ライヴで60曲を歌った猛者。おん歳76歳でまだまだ精力的に全国を廻るこの歌うたいの師匠に、おぉいに影響されてきたなぁ、と思ひながら・・・。
前座で2曲ほどソロを演らせて頂く。勇造さん界隈での知名度も上がり、ベースの弾き語り、と云へどもまづまづの反応。その後、春駒のカシラと3曲。ついで勇造さんのソロ。後半はづっと私と勇造さんのデュオ、といふ形で。ラストはOTISマスター・佐伯さんも入って賑やかに。
見るたびに進化してゐる勇造さんだが、けふもゆったりと大河のやうなライヴ。近々の日常を切り取る歌もいいが、やはり異国の光景を歌った数曲に引き込まれるお客さんは多いやうだ。かく云う私も・・・。
「壱還」に向けて日々練習しかしてないので、けふの私は技術&集中力、ほぼスキのない状態。終演後も勇造さんや佐伯さんだけでなく、お客様からも絶賛の嵐だった。へ〜、やっぱり単純に練習って大事なんだな(笑)。
思へば勇造さんも佐伯さんも、まだ私が「駆け出し」の頃(二十歳くらい)のプレイを知ってる訳で、ま〜ぁ時の流れは感じざるを得ないねぇ。
勇造さん、ありがとうございました。
来年もまたよろしくぅ、といふ事で、私も楽しみにしておこう。勇造さんが広島に来る頃には、私も広島に居らねばね(笑)。
10月16日(木)ーーーーー
昨日の余韻をもとに、最後の練習。
ベースを使って演る数曲がいちばん危うい、といふね(笑)。
10月17日(金)還暦ライヴ『壱還〜あなたのためにうたう』ーーーー
梶山シュウ「壱還」。
上述のやうなキアイと、贅沢な練習環境と充分な時間、50年にわたる研鑽と経験値・・・。
それらが全て実を結んだ、ほぼ完璧なライヴ・イベントとなった。
足を運んでくれた全てのお客様、激励に訪れてくれた音楽仲間、見てくれた全ての人に完璧に納得してもらえるライヴだったと思ふ。どうしても歌を贈りたい方が来てくれてゐたので、急遽壱曲増やし、アンコールも含むと24曲をたった独りで演奏し歌った事になる。
会場には、地元広島はもちろん、東京、神奈川、豊橋、京都、大阪、岡山など遠方からのお客さんも駆けつけてくれた。還暦ライヴにはお決まりの「赤いちゃんちゃんこ」は頑なに拒否したが、ライヴ終了後、驚くべき事に全国の音仲間からのビデヲメッセージが上映され、これまた北海道から九州までの仲間たちのお祝いの言葉に、心の中で滂沱たる涙が流れた。みんな本当にありがとう。感謝してもし切れない感謝を。
そして何よりも、まづこの企画を発案し、練習スタヂヲを提供し、けふ壱日陰のスタッフとして進行を仕切り、打ち上げまで準備してくれた我が相棒、椎名まさ子。そしてその片腕として、会場の雑務を完璧にこなしてくれた姫石ミミ。この二人の協力なしにはけふの成功はあり得なかった。海よりも深い感謝と愛を。
世界の誰よりも幸せな還暦の誕生日だったと思ふ。
みんな本当にありがとう。
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