こだわりの柑橘かぞく

こだわりの柑橘かぞく

11月25日(火)ーーーーー

ツアー終わり、広島での日常。
まづ旅先での懸案事項を色々と処理。かういふ裏方仕事が多いやうに思えるのは、単に私の日常がヒマなだけだ。むしろ日々の激務の中でブッキングを決めたり企画を進めるしーなさんの方が労働量的にははるかに多い。さういふ意味ではフェアではないデュオだ。

フェアであらんとする為には、せめてメイン・コンポーザーとしての責務をしっかり果たすか、動きの多い雑務をこなすしかない。壱回の外出で済むやうにスケヂュールとルートを想定して動く。まぁだいたいコンプリート。夜はフツーにレッスン。今月いっぱいはバイトを入れてないので、楽師として動くことに徹する。

11月26日(水)畳屋PICO(w 公開車庫)&ヲルガン座(w アノアとペロ)ーーーー

けふは地元でライヴ・ダブルヘッダー・・・。と云へばアレだが、ぢつはこれ私のミスでダブル・ブッキングをしてしまったことのツケなのだ。

私が公開車庫のヤヒロトモヒロさんから、しーなさんがアノアちゃんから、広島でのライヴを打診されたのがちょーど同じ時期で、私がその日付を勘違いしており、暢気に『おぉ、広島で2デイズなんて久しぶりぢゃ』などとほざいておったのだが、ぢつは同じ日だった事に気づいたのが半月前。

さういや前にもあったなこんな事が・・・。それぞれの対バンには失礼極まりない事だが、弐会場を行き来して、せめてライヴはやり遂げるしかない。そん時はソロだったが、今回はしーなさんを巻き込んでしまったのが最悪。移動の足を買って出てくれた姫石ミミも含めて、機材搬入から当日の経路まで、あれこれシミュレーション。

結果的にはさほど近くもない弐会場を往復して、ゴトウイズミは『大晦日の売れっ子歌手みたい(紅白とレコ大)』などと慰めてくれはしたが、どうにかパフォーマーとしては責務を果たせたかんぢ。公開車庫、アノペロと、双方とも少しは観劇できたし、アノペロとはセッションも果たせた。失態は反省するとして、まづまづ上手くやれたとは思ふ。

念願の対バンだったにも関わらず最初の3曲しか聴けなんだが、公開車庫のステージは流石の一言だった。凄まじくマニアックなのにポップ、それでゐてポリティカル、といふ。パーカスの「神」とも云へるヤヒロさんと、やはり宮田岳といふ若き鬼才の融合ならではのデュオだった。しーシュが爽やかに聴こえるほどに(笑)。

アノペロとは久々の邂逅。ニアミスが多く、お互いのライヴをチョコっと観あったりした事は多かったが、ふたバンドでがっつり絡んだのは初めてかな?。こちらもほんの少ししか聴けなんだが、「架空ヨーロッパ旅団」みたいな楽しいステージは相変わらず、アノアちゃんの意外なシャウト、ペロの軽快なドラム、奈良のデオッシとウチ含めた三組でツアーなんぞできたら素晴らしいだらうな、と思ふ。

とまぁ、終わってみれば、どうにか・・・。

最近あんまりなかったのだが、日にちや時間の勘違い、てのを時折やってしまう悪癖がある。時間に関しては一度懲りて以降、壱日を24進法で考へるやうにして回避するやうになった。だが日付に関しては、どぅにも阿呆なままで、なんとかせにゃいかんのだが・・・。

11月27日(木)ーーーーー

けふもライヴだった、と思ってゐたので当然休みとなった。
朝イチから機材の回収などに奔走。改めてのお詫びなど申し上げながら、無事機材を回収し、定位置に収納したりしてゐたら急に調子が悪くなり、そこから一気にひどい二日酔いのやうな状態に。夕方まで何も食えぬまま寝込む体たらく。これはポカをしたバチが当たったのだな、と思ふ事にす。

けふはこの後年末までの仕事に必要なあれこれの譜面を書いたりしやうとしてゐた日だったが、全部オシャカ。やれやれ。

11月28日(金)ーーーーー

12月に行われる「カメレオン・コンサート」の最初のリハ。また、あの凄腕メンバーとの音遊びの季節だ。今回は会場がホテルの宴会場、といふことで、それなりの趣向も凝らさねば、と。いつもは往年のヒット曲を中心にしたドタバタ歌謡ショーといふかんぢだが、今年は「架空世界旅行」みたいなテイらしい(笑)。

とは云へけふはメンバーの半分が不参加。演奏部は私としーなさんとヴィヲロンの竹内ふみのの3人のみ。本番ではここにベースの中野チカラさん、パーカスに宮本かおりチャンが加わり、これに姫石ミミ田辺ユミコ亀田敬子の歌が乗る。チカラさんはウッドベースで「下」を固め、もぅひとりの私は唯一の電化楽器のメリットを活かし、まぁ「シンセ」のニッチに。

まぁ正直、私がいなくても音楽的には成立するので(事実、私は新参メンバー)、楽しく演る事だけを心がけるなり。

けふは女房がいない夜なので、久々に「外飲み」でもするか、と思ってゐたのだが、このリハとその後のレッスンで身体が冷えたせいか、なんか調子が悪くなってきたので、おめおめ帰って、ひとり鍋で晩酌。これはこれで・・。

11月29日(土)ーーーーー

珍しい事に土曜日のお昼にレッスンがふたコマ。

これもナンなら散歩がてら歩いて行き帰りして、季節のあれこれを楽しもう、とか思ってゐたのだが、昨日ちょっと崩れた体調が、けふもあまり復調しておらず、仕方なく買い物だけして帰る。あとは家にひとり 毛布かぶってネトフリ観てゐる侘しい週末。

ちょいと旅の疲れが出てゐるのかもしれない。

11月30日(日)ーーーーー

義理の兄貴(姉貴の旦那)の三十三回忌法要に出席。

25歳の同い年同士で姉貴と結婚し、その10年後に急逝(ホンマに突然死だった)した義兄。まだ3歳だった娘(私には姪)を残して35歳といふ若さで逝ってしまったあの時から、もぅ33年も経ったのか。

当時私は、よぅやく音楽だけで食えるやうになってきた頃で、その日も遅くまで仕事をしてゐた。留守電に入ってゐたオフクロからの取り乱した伝言(訃報)を聞いて、取るも取りあへずバイクを飛ばして里に帰ったのは、寒い夜だった。通夜から本葬へと 気丈に振舞ってゐた姉貴が、出棺の時には狂ったやうに泣き叫びながら棺に取り縋ってゐた姿を、いまも鮮明に憶えてゐる。

法要をしてくれた坊さんは、姪っ子の同級生らしく、てぇことはまだ35歳か・・。法話は若干 辿々しいかんぢではあったが、読経はホーミーのやうに倍音を含んだ良い声だった。

いづれまぁ私もこのやうな場の「主役」になるのだらう。子供のいない私に、だれがこれを仕切るのかイマイチ分からんし、まぁ本当のところどうでもいいんだが、できれば私が「最後のひとり」でありたい、と思ふ。
いま唯一残る肉親である姉貴も、共に暮らした女房も、ちゃんと見送ったあと、ひとりで静かに「その時」を迎えるのが、まぁ私の願望っちゃ願望なのだ。

だから長生きせにゃいかんのだ。