悲しくさせるなら見つめない

悲しくさせるなら見つめない

1月1日(木)ーーーーー

といふ訳で年が明けて2026年。

ここ数年、我が家の年明けはだいたいカレー三昧だったが、今年はそれもやめ、いつもと同じやうな朝飯を作って喰ふ。おせちもナシ。「正月は鍋を喰ふ」と決め、年末に大量の材料も買い込んできてゐる。

散歩だけして、映画を見て、本を読む。里帰りもナシ。明日から冷え込む、との予報。

1月2日(金)ーーーーー

予報通りだいぶ冷え込み、雪が予想される。女房方への里帰りを予定してゐるが、天候次第で・・・。

日中は晴れてもゐたので、まぁ大丈夫だらう、と車で帰省。いつものやうにTVで箱根駅伝を見ながら、家族の正月時間。お義父さんも義妹も鬼籍に入ったいま、この家も寂しく静かだ。

冷え込みが強くなってきたのを見計らって辞去。帰り道の途中から雪が降り始め、家に着く頃には結構な降雪。辞去のタイミングはバッチリだった、といふことか。雪はその後も降り続けた様子。

1月3日(土)ーーーーー

けふは『畳屋PICOの新年会』。

雪はやはり各地で思った以上の混乱を巻き起こしてゐるやうで、都市機能はマヒ。里帰りしてゐたしーなさんからも『(新年会)出れないかも』と連絡。ノーマルタイヤで高速に乗る思慮の浅い人のせいで、あちこちで大渋滞が起こってしまってゐるやうだ。

広島市内の雪はもぅ上がってゐるので、新年会には歩いてゆくことにす。てれてれ歩いて1時間ぐらい。

去年のこれは会場に入りきれんぐらいぐぢゃぐぢゃの人だらけで、まぁその分楽しかったは楽しかったのだが、今年はホンマに近しい人だけの新年会にしたさうで、人数も少なく、落ち着いてゐて良い。このテの集いの最大案件である『次世代への継承』も、ここでは無縁のやうで、けふも半分ぐらい若者が参加してゐた。素晴らしい、と思ふ。党主ツンちゃんの人柄か・・・。

けっこう長い間飲み食いしてゐたやうで、気づけば夜更け。同じ方向に帰る車(下戸の)に乗せてもらって帰宅。

1月4日(日)ーーーーー

しーシュの初リハ。

10日の「夜市」へ向けて対策を練るリハ。去年好評だった「お客さんに歌ってもらう」企画で二匹目のどぜうを狙う。配信では日頃あんまり演らぬ曲を別撮りして、サンクス・ムーヴィーとして配信する。どっちも『演者があまり楽をできない』といふ点では同じで、しーシュはかういふ所が商売下手なのだね。

さういへば大晦日の夜、奉納演奏に訪れた福王寺でTVが点いており、紅白をチラ見したのだが、まぁ惨憺たる内容であった。色々ヒドかったが、特に私が激しく嫌悪する「あの男」のパフォーム!。ナルシシズムの極みのその演出と、自分に酔い切ってゐるあの表情!!。マジで吐き気がした。

1月5日(月)ーーーーー

世間ではもぅ正月明けで、けふから仕事が始まる人々も多いのであらう。
私はもぅ壱日ほど「執行猶予」としての正月休み。

長らく私のステージ・ギアの座にゐるベースアンプ、フィル・ジョーンズの「ブリーフケース」が、年末から不調。もぅ現行のモデルはなく、修理できるかどーかビミョ〜だったのだが、ある筋から本社担当者と繋がりが取れ、とりあへず見積もりを出してもらうために先方に送ってゐた。

かなり古いモデルなのでまぁ予想通り大方が経年劣化による不具合らしい。ただ、各種パーツを交換してアレコレいじれば直せるらしい。幾らぐらいで治せるものか?その金額によっては、新しいベースアンプを買い替えても・・・と思ってゐたら、その「買い替え」の目安だったベーアンと修理代がほぼ同じ金額で、あぁ〜、みたいな(笑)。

1月6日(火)ーーーーー

仕事初め。
まづは巨大モール内の音楽教室。

まだなんとなく「正月気分」の残るモール内。けふは空き時間も多かったので、モール内をてれてれ散策したりもした。一度レッスンがない日 壱日ここに篭って創作とかに没頭してみるのもアリかな?とか思ったりす。前の教室の時はコロナの真っ最中にやったな・・。前の教室は住宅地の中にあるフツーの建物だったが、今回のはなんせモール内。途中で飽きても、時間ツブす所はいくらでもあるなぁ、と。

1月7日(水)ーーーーー

海女存の購入履歴、といふやつを見ると、だいたい此処数年数ヶ月で自分の「嗜好の移行」がわかる。去年の秋口ぐらいに妙にプログレづいた頃があり、いわゆるプログレの歴史的名盤やらを中心にCDをいくつかまとめ買いをしてゐた。その時にピンク・フロイドの「アニマルズ」のリマスター盤を買ってゐるのだが、聴いた記憶がなく、CDもどこにもない。

しかし、確かにジャケは目にしてゐる。あの、豚の飛んでるジャケを見て「懐かしぃな」と思った記憶がある。しかし、家にもレッスン先にも、そのCDがない。もしかして買ったこと自体が私の妄想なのか?。いやいや海女存には「購入履歴」として残ってゐるのだ。しかし、聴いた記憶が・・・・(以下リフレイン)。

私の「プログレ初め」はぢつはフロイドで、FMから流れてきた上述「the Pig」のあの印象的なオルガンのリフとベース・ソロ。当時は『なんか変わったロックだな』といふ印象だった。あれを起点に私のプログレへの旅が始まったのである。ときに1977年のことであった。

1月8日(木)ーーーーー

上述の「ロックへの目覚め」に関する話。

私は幼少期からそもそも音楽好きで、歌謡曲から映画音楽までフツーに音楽をラヂヲから摂取する環境にあった。さらに、高校生だった姉貴が聴くロックを漏れ聴いてロックが好きになり、小学校高学年ころにはいっぱしのロック少年にはなっていた。

田舎の少年には摂取できる情報量は少なく、その多くをFMラヂヲか、雑誌「ミュージック・ライフ」に負うてゐた。んで、この雑誌が(今で云ふ)「推し」てゐたのは圧倒的に「クゥイーン」と「キッス」と「エアロスミス」で、その後「チープ・トリック」だったり「ヴァン・ヘイレン」だったりした。

幼い私は、ニポンの外では さぞやこの5ツのバンドが世界を席巻してゐるのだらう、と思ってゐたし、実際クゥイーンもキッスもこの時期に来日を果たしてゐる事などから、その想像には揺るぎはなかった。

ただ、当時同世代の女子がしょんべんチビるほどに騒いでゐた「ベイ・シティ・ローラーズ」や「ロゼッタ・ストーン」なんぞに関しては、ほぼ一片の記事すらなく、コドモながらにそれを不思議には思ってゐた。

最近になって、ぢつは「ミュージック・ライフ」には、社風として上述いつくかの限定した海外のロックバンドを「ニポンで売り出すぞ!」といふ戦略が明確にあった、といふことが判った。少年梶山シュウはまんまとその策略にハマったのであった。・・いや、いい策略だったと思ふけどね。

「雑誌」とか「メディア」いふものが、すべからく「公平」である、と思ってゐた、懐かしき日々の話である。

1月9日(金)ーーーーー

2026年初バイト。

去年12月26日がバイト納めで、そっから二週間。その間に新メニューが出ており、これがやたらややこしい一品で、久々といふ事もあってまァてんてこ舞いの厨房であった。契約更新の手続きも(ネット上で)あるらしく、あぁ〜、どうしたモンかな?と思ひながら・・・。

バイトの後は、明日のしーシュ「夜市」で、お客さんにお出しする「おつまみ」を作る。5kgの鶏肉を解凍し、バラし、特製ダレを作り、漬け込み・・・、仕上げは明日、本番前までに・・・。

「腿肉」で換算するとだいたい6枚。これから奪還した皮・・・いわゆる「鶏皮」を甘辛い煮付けにして明日の朝飯にせんとす。楽師よりほぼ料理人の梶山シュウである。