週変わりのシュウ
5月11日〜16日
永遠なものなどない
5月11日(土)ソロ「吟」:オリエンタルホテル広島
しーシュで月イチで入ってゐる営業、オリエンタルホテルのラウンヂ演奏に、久しぶりにソロで。しーなさんの都合が合わなんだので・・・。
2年前にライヴ体制が変わるまでは、椎名まさ子&執事フライデーでの月イチ、それと並行して同じく月イチか多い時は2〜3回はソロで演ってゐた(だからギターを新調したりしたのだ。二台も!!)。おかげで色んな側面でだいぶ鍛えられた。
いまの体制になって以降、この仕事を「しーシュ」で受けるやうになってからは もぅそっちに慣れちゃったので、けふは久々のソロがなかなか心細い。
ここの仕事は、お客さんがすでにゐる会場に入ってって準備する時間がいちばんアレだ。お客さんからすれば、自分らが飯食ってるところにいそいそと演奏の準備が始まるわけだから「なんだなんだ?」みたいなかんぢであらう。
しーなさんはそこら辺が上手くて、近いところにゐるお客さんに莞爾と笑いかけ『〇〇時から始めますので』と穏やかに宣言する。するとまぁ「なら ちょっとぐらい聴いてくか」みたいな気にもならう。云はばある意味「駆け引き」だな。
けふワシが準備してゐると、すぐそばの席にゐたご家族が「なに演るんですか?」と訊ねてくれたので、それに答えてゐるうちに、まぁナゴやかな雰囲気になり、初回が演りやすかった。
けふは一部を英語のスタンダード、二部を昭和歌謡、三部を和英取り混ぜのポップス、で構成。いづれもまづまづ良いステージを務める事ができた。常連Hさんご夫婦によれば、欧米からのお客さんがスタンダードをづっと一緒に歌ってくれてゐたさうで、さういふのは嬉しい。
自分的には久しぶりに弾いたガットギターが、ことのほか流暢に扱えたのが良かった。ここん所天気が良い日になれば外に持って出て弾いてたのが良かったのかな?。
5月12日(日)豊田勇造 広島公演2019:OTIS
毎年、この時期に広島OTISに来てくれる、我が「唄旅の師匠」たる豊田勇造さん。今年もその共演とサポートにご指名いただき、本懐の至り。
広島に来られるたびに一緒に演らせてもらふやうになってどれくらい経つのか・・。調べてみたが、けっこう遡りきれぬくらい昔からであることしか分からなんだ。少なくとも2004年以降は、ワシが広島にゐる限りは一緒に演らせて頂いてゐる。
勇造さん、いまもタイと日本を行ったり来たりの暮らしぶりらしく、新曲にもそのあたりの日常の描写が含まれてゐる。なんでもない日常の風景を切り取って歌にする、てのぁ云はば「俳句」と同じで、あぁこの人の歌の気持ち良さは俳句なのだ、と改めて思った次第。
けふも半分以上でサポート。
以前このライヴを見た友人が「お前がサポートしてゐる内容を ちゃんと理解してゐるのが、この会場に勇造さんとマスターの佐伯さん(と自分)しか居らん、といふのが見事だ」と言ってくれたが、けふもそんなかんぢ。
けふは選曲がいつになく静謐なものだったので、なをさらその印象は強かったやうだ。
勇造さん、今年70歳!。んで、京都は円山音楽堂にてなんとなんと70曲コンサート、演るんださうである。なンともはや・・・!。
でもいまだにライヴの直前に控え室でビシっと髪や服をキめ、いざ歌えば相変わらずの色気と迫力で会場を魅了する、そのカッコいい姿は年齢なんぞ微塵も感じぬ。やはり憧れの 我が「師匠」だ。天晴!。
勇造さん、ありがとうございました。
ますますお元気でご活躍ください。
5月13日(月)
ゆんべは打ち上げで勇造さんとアレコレ話しながら、珍しくビールをたくさん飲んだ。最初から最後までビールだったのは、ホンマに久しぶりだったのではないか?。
二日酔いはないが、ビール明け独特のハラに重いかんぢが懈怠感を誘う。
ヲーキングをしっかりやって懈怠を追い出す。
夕刻前、ちょいとしーシュのリハ。
新曲「お茶とシーシャとウェハース」がよぅやく完成したので、それを。ワシにしてはえらいことジャズィな曲で、しーなさんがそれっぽい和声を加えてくれてゐる。
かういふコード進行のやり取りをすると、ワシの曲の作り方、てのは「テンションを含むコード」ではなく、あくまで「ベース音と、乗っかる音」として和声を作ってゐるのが分かるな。良し悪しではなく・・・。
ポール・マッカートニィの「Black bird」をアナライズした文献を読んだ事があるのだが、あの曲も典型的にさういふものらしく、やはりポールはギターもピヤノもベースの感覚で弾いてゐるのだ、のやうな事が書いてあった。
さうなのだらうな。
5月14日(火)
今年の始めに「高コレステロール」の宣告を受け、投薬ではなく食療による快癒を目指さんとし以降、油物の摂取を極力控えられば、体重は激減し、しかしながら健康状態は極めて良好なり。
合わせて敢行したる軽運動の効果もあってか、「痩せた」といふより「締まった」といふ第三者の感想多数。ベルトの穴も増設に至らんければ、見栄えの面でもこれ一石二鳥。なをもこの道を進めんと日々研鑽。
どれくらい結果が出たのか、近々また血液検査でも受けに行かんければな・・。これで変わってなかったらショックだな(ワシの場合、半分以上『体質』が原因だといふ話なので)。
こないだある先輩に「お前はもともと太らん体質なのか?」と問はれたのだが、オフクロを見ればやはり太る遺伝子は持ってるだらうし、気をつけてゐるに越したことはない。まぁなんつっても ニンゲン、太ってゐて良いことはほとんどないのだ。
5月15日(水)
こないだ友人から『これシュウさんに似てるよ』と紹介され、カナミネケイタロウといふベース弾きの存在を知る。
貸してくれたCDを聴いてみるに、ベースによる音楽へのアプローチは確かによく似てゐる、と思った。ベースといふ楽器の捉え方が、同じところを見てゐる、といふか・・・。
調べてみると、まだだいぶ若いミュージシャンだったので驚く。
石垣島の出身で、当然三線も弾き、歌も唄う。サポート系でメヂャーに属してゐるらしく、なかなか幅広い活動をされてゐるやうだ。
若手の、と云へば、ワシの元弟子で 長らく東京で活動してゐた川村ZAVZA泰幸が、どーやら広島に帰って来るらしい。
その理由は知る由もないが、帰って来れば帰って来たで、広島で仕事をして行くのだらう。この頃はチャンプマン・スティックをメイン楽器として活動してゐたやうだし、地方都市では珍しいこの楽器奏者として、これ以上ワシの猟場を荒らさんでほしい、と切に願うのみである(笑)。
あ、スティックとベースのデュオユニット組んでもいいな。
5月16日(木)
昭和歌謡の名曲「木綿のハンカチーフ」の歌詞を読んで思ふ。
幼い頃は、都会と田舎の比較、憧れと現実、遠距離恋愛の悲劇、の側面からしか見てなかったが、仔細に歌詞を紐解くに、この歌の主人公たる「僕」の、遠く離れた「恋人」から徹底される「否定」に、他人事ながら胸が痛む。
田舎(そこがどこかは知らんが)から、独り都会に出て、おそらく日々頑張って仕事をし、徐々に社会的地位をつけ、その成長を知らせるたびに、遠く離れた恋人からは「いいえ」と云はれ続けるのだ。
聞けば同じやうに思ってゐた「女性」が結構多くゐたやうで、女性から『これで好きでい続けるのは難しい』との意見もあって はっぱふみふみ・・。
太田裕美って脚がキレイでちょっと好きだった。