週変わりのシュウ

まつすぐに旅を(ツアー記)

7月27日(土)大阪 関目 我らの家:ソロ

ツアー始まる。
ちょーど梅雨が明けたやうで、早速の猛暑の中を出発。広島はピーカン照りであったが、関西圏に入るにつれ曇天となり、雨の跡もちらほらと見ゆ。「晴れの範囲」が西からやって来つつあるのだ、と思ふ。

けふはソロの演目ではあるが、明日以降はしーシュで動く。ので、しーなさんもけふから同行。けふは我らの家にて「ウェイトレス」として働いてもらふ、との話。毎年末のしーなさんのソロではワシが「ウェイター」をやるので、まぁその逆やね。

けふは早くから関西圏以外のファンの来場が表明されてをり、店の前で早速 浜松からのファン マーくんがお出迎え。もぅ来てたの?とか云ひながら準備&リハ。そのうちに順次お客さんも集まり始め、あっと云ふ間に開演の時間。しーなさんのソロん時ほどではないが、ほぼ満員の店内。豊橋から、追っかけファン筆頭 ヒジリちゃんも登場。ありがたいなぁ。

出番ギリまでお客さんと顔を合わせず、コンセントレーションを高める、といふ人も多いが、ワシはフツーに会場にゐて、お客さんを直接出迎えるのが好きだ。「わが部屋へよぅこそ」みたいな気分で演るのが良い。けふもそのやうに。

けふは三部構成にして、一部ではループを使わぬベース弾き語り。二部はギターの弾き語り。三部をループ使用の弾き語り。と分けてみた。
最近「ルーパー」を称する人の多さにやや辟易してゐる感があり、まぁワシが物申したところで何にもならんのだが、ループなしでも良きパフォーマンスが出来ることを、ね。
まぁしかし、終わってみればループ歴20年以上は伊達ではなく、昨日今日始めた訳ではないものをお見せできたのではないか、と思ふ。

しーなさんは、ワシがコーディネートしたアダルティなウェィトレス姿で華麗に客席を舞い、給仕と接客をこなし、キャメラマンの的となり、時折唄にピヤノに参加してくれた。本人が悟られぬやうにしてゐるのでワシもつい忘れてしまふが、彼女は現在「ヘルペス痛」の真っ最中であり、立ってゐるのもしんどいハズなのだ。よぅ頑張ってくれた。
マイクなしで歌わせる事までしてしまい、ホンマに申し訳ないことをした。ワシは鬼か?。

喉の奥に違和感があり、歌ってると時折ズキっと痛むのがイラつく。
お客さんには悟られぬやうに歌えたとは思ったが、終演後 数名から『喉 大丈夫?』と云はれてしまった。情けない。

土用の丑の日、といふ事で、先述のマーくんが浜名湖からうなぎを持って来てくれてゐた。のをツマミに打ち上げ。アブラの乗った素晴らしいうなぎであった。マーくんに感謝。

7月28日(日)大阪 梅田 サードストーン:しーシュ&城領明子

しーなさんとはピヤノ友、であるところの なにわの歌姫のひとり、城領明子ちゃんの主催する「スパイス・ミュージック」にゲスト出演、といふ形でのしーシュ。

明子ちゃんはカレー作りの名手であり、そは「城領カレー」と呼ばれファンを持つほどのもの。それをお客様に供給しライヴをする、といふのが「スパイス・ミュージック」だ。食&ライヴ、の共同企画といふは我らがやってゐる「居酒屋椎修」に通ずるものがあり、たいへん共感。
まぁ本人は仕込みやってリハやって本番やって洗い物もして・・・と大わらわなのも、経験上よく知ってゐる。

会場のサードストーンは普通のショットバァ。
鯔背な感じのマスターが操るPAも素晴らしく、古いピヤノもよぅ鳴る。えぇかんぢである。同じ建物の中には、生演奏も演ってゐるジャズ・バァや音楽スタヂヲもあり、まぁさういふ文化の発信地のやうなところ。

時間にはいっぱいのお客さん。明子ちゃんの地元力も偲ばれるが、ワシらを見に来てくれた方もゐて、ファン同士の交流となるもまた嬉しや。
ライヴもよぅウケていい感じであった。

明子ちゃんはピヤノ弾き語りシンガーソングライターだが、典型的な「天才型」のそれであり、曲について何を訊ねても『いや〜よく分かんないんスよ』といふ答えが返ってくる(笑)。
ワシの見知ってゐる同系統の女性音楽家の中でも、ひときわその傾向が強く、その歌声やパフォーマンスも含め、誤解を恐れずに云へばかなり「中性的」なアーティストだ。

それをしーシュでサポートするのも、また楽しい。
なんか流れで最後はワシがピヤノを弾く羽目になったりしたが、お客さんも盛り上がり、良いライヴであった。

賄いで頂いた「城領カレー」は絶品中の絶品で、カレーには一家言あるワシも唸る美味さ!。これを週一でやりながら歌手としての活動をこなす明子に、改めて敬服、であった。

7月29日(月)岡山 MOG:LA 背の高いピヤノ女子3人と執事

青春18切符で大阪から岡山へ移動。
夏休みに入ったので、駅は浮かれポンチ糞餓鬼どもで溢れクサしてをり、暑さも相まってもぅゲンナリ。白杖をついた人や老人を見ても、席を譲るでも道を空けるでもなく、一心不乱にスマホ覗き込んでなにをやってンだか・・・。

けふは昨日の明子に加え、やはりなにわの歌姫 清水明日香を交え、しーなさん含めた「ピヤノ女子3名」といふ括りでのイベント。ワシは「執事」といふ事で3人の姫にそれぞれ絡み、司会しぃの進行しぃの、の役割。
会場のMOG:LAは明子ワシら双方縁があり、そこにアスカを紹介する意味も含め、マスターのサンジさんこと福武三二さんから、モグラ20周年記念イベントの一環として、華々しい場を提供して頂いた。感謝。

アスカと明子は古くからの親友で、お互いがお互いをリスペクトしながらシャレを云ひ合う姿が微笑ましい、関西人ならではの容赦ないツッコミや受けも楽しく、そこに姉御としてしーなさんが加わる様もまた一興。

けふは司会進行役としての段取りがイマイチ・・・イマさんぐらいで、なんかせっかくの会場ノリを、ワシのせいで逃してしまった感があり。申し訳なかった。執事失格である。
それぞれのライヴ自体は良かっただけに、水を差してしまったやうで反省しきり。明日は同じ演目でワシらの地元。この轍は踏んではならぬ、と自らに命ず。

サンジさんと明子はたいへん誼のやうで、酒に酔った明子とサンジさんのジョークの投げ合いが凄い。ワシはいかに馴染みの人でも、ライヴハウスのマスターとこのやうな砕けたやり取りをすることはなく、まぁキャラだよな、と。アスカ曰く「このコ、明日はなんも憶えてないですよ」とか(笑)。

終わってみれば、明子はもちろんアスカにも駆けつけてくれたファンがゐて、20周年記念の抽選会も含め、バランスのとれた良きライヴであった。
マズかったのは司会だけだ。
あすはチャンとやる。

7月30日(火)広島 JUKE :背の高いピヤノ女子3人と執事

広島に移動。
帰りの新幹線の中は、二人してものも云はずネットやケータイで最後の「追い込み広報」に励む。

けふはワシらの地元にて、一旦帰宅。新たに準備して夕方会場入りす。その間、旅の間の洗濯をしたり、週末からの遠征の打ち合わせしたり、レッスンのスケヂュールを合わせたりす。

改めて会場入り。けふはJUKEが誇るグランドピヤノ。思へばこのツアーは関目を除く日程(ワシのソロ以外)全てでしーなさんは「生ピヤノ」が弾けたわけで、嬉しかったであらう。どこのピヤノもなかなか良い調子に鳴ってゐたし、そはやはりピアニストである彼女にとっては、なにより望む事に違いない。
特にけふはJUKEのピヤノを昨夜調律したばかり、といふ事でさらに良きかな。

ワシも昨日の轍は踏まぬ決心のもとに、久しぶりに頭を剃髪して臨む。
リハも昨日よりそれぞれ演目がこなれて良いかんぢだけに、けふ同じやうなヘマをしてしまっては本気でハラを斬らねばならぬ、ぐらいの気持ちで。

しーなさんからの提案で、冒頭にワシが一曲ソロを演る事に。
かういふ局面でなにを唄えるか?。気の利いた曲でもあらば良いのだが・・・。ぬ〜〜〜むヌ〜〜むと考へに考へ、いちをう女性讃歌といふ事で「ストロマトライト」を歌う。反応はいかにや?。
そこから引き継いでアスカとのデュオ→アスカソロ→またデュオ→明子とデュオ→明子ソロ→休憩→しーなソロ→しーシュ→しーシュ+明子→しーシュ+アスカ→全員、といふ流れで最後まで。

けふは司会もちゃんと出来、まぁお客さんがワシを良く知ってゐる、といふ事もあって、ちゃんと笑いも取れたし3人をえぇかんぢに流れに乗せることができた。執事復権である。なかなか疲れたが、楽しかった。

お客さんに感謝。

この顔ぶれのライヴ、といふ事で、久しぶりに足を運んでくれた人もゐて、嬉しかった。大阪からワシらも懇意のパーカホリック店長も駆けつけてくれてをり、打ち上げにも参加。みんなに広島の名物を味わって頂きながら、我も頂くハイボールは、任務の無事遂行もあって安堵のほろ苦さであった。

しーなさん、アスカ、明子、ありがとう。素晴らしき3人のピヤノ女子に、乾杯。

7月31日(水)

朝からラヂヲが『危険な暑さ』だと云ってゐる。

この時期、必ず読みたくなるのが 村上春樹のデヴー作「風の歌を聴け」だ。もぅ何百回読んだか分からんぐらい読み返してゐるが、1970年の8月8日から26日までの、おそらくは神戸の街を舞台にした、東京から帰省してきた青年の 物憂い夏の数日。

1970年の神戸、をワシが知る由もないが、自分が過ごした広島は廿日市(ここも海辺の街だ)の情景と重なり、また初めて読んだのが主人公と同じ年頃だった事もあり、まるで見た事があるかのやうに読み進んだものだった。

神戸も、廿日市も、1970年の面影はない。
40年の隔たりを、長いと思ふか短いと思ふか、は人それぞれだらうが。

故郷は遠くなりにけり。