週変わりのシュウ

梅雨を凌ぐ猫たちについて

8月23日(金)中年18切符の旅:大阪 関目 我らの家

久しぶり・・壱年ぶりの「ひとり18切符の旅」に出る。

けふは大阪まで。糸崎→岡山→相生→姫路→大阪と。時刻表で割り出したプランを元に在来線を乗り継ぐ旅。ヌーむ、久しぶりだなこのかんぢ。ただ、けふはなんか知らん電車がえらい混んでゐて、相生を過ぎるまで座れなんだ。

広島は晴れてゐたが、大阪に近づく頃にはだいぶ怪しい空模様。不気味な積乱雲が追っかけて来るやうに空を陰らせる。んで、目的地の関目に着いた時には駅から出れんくらいの土砂降りになってゐた。

けふは「とりあへず投宿」の日。
おなじみ「我らの家」で晩飯を食べ、寝床を借りるお礼にオープンマイクに飛び入りして歌う、と云ふ日。雨模様にてあんまりお客さんは来られなんだが、それでもワシを聴きに来てくれた人もをり、店のギターを借りて5〜6曲歌う。他の飛び入りのおじさま達に混じってギター弾いたりもす。

あとは酒飲んで銭湯に行って店の片隅に寝床作ってもらって・・・といふいつもの関目の夜。

 

今回の旅はカプセルホテル泊が多いので、いつも少ない荷物をさらに少なくした。んでパンツが足りんので、関目の湯煮苦路で買おう、と思ってゐたのだが、雨のせいでそれもできず。

まぁ、まだ初日なので。

 

8月24日(土)中年18切符の旅:名古屋 Little village(新店)

名古屋へ。

この行程は慣れたもの。停まる駅も、その駅はどーいふ作りでなにがあるかも、どこの車輌に乗れば移動しやすいかも、全部把握できる。
けふは米原で途中下車して昼飯を食ふ予定にして、そのやうに行動する。まぁ、大したものは食はぬのだが・・・。

なんか今回、やたらと「太った」「毛深い」「眼鏡の」「リュックを背負った」「不潔さうな」兄ちゃんと多く遭遇し、これらが実際かなり汗クサいスメルを発してやがり、割と参った。
多分みなワシと同じやうな旅の途中にあるもの同士なのだらうが、こんなにほひを発しながら旅するな、と思ってしまふ。清潔にする方法はいくらでもあるぞ。

さて名古屋。
ながらく今池でライヴハウス「りとるびれっじ」をやってゐた谷口幸至朗さんが、こたび独立といふ形で新店舗をオープン。そのお祝いも兼ねての来訪。ライヴハウスとして広いスペースを持ってゐた前店舗と違い、カウンターとボックス席で15人も入ればいっぱい、くらいのお店。
幸至朗さんも日々呑気にここでギターを弾き語り、馴染みのお客さんたちとくだけた営業をしてゐるさうだ。まぁ元気さうでひと安心。

お祝いの気持ちでベース弾き語りとギターの弾き語りで2時間。なつかしいな。初めて名古屋に独りで来た時のやうだ。もちろんここには もぅワシを見に来てくれる人がいっぱいゐて、終演後も楽しく飲み食い語り。
独り弾き語り、ぐらいなら十分ライヴの体を成すかんぢの店で、まぁちょいとしーシュでは難しからうが、ワシのひとり旅では、また寄らせてもらをう、と思った。

けふの名古屋はなぜか宿がどこも空いておらず、聞けばなんか祭りの真っ最中ださうで、どぉりで・・!。
が、手広く探してゐるうちに、駅の近くにえらいこと安い宿を発見。そこを予約したのだが、これがいわゆる「ドヤ(簡易宿泊所)」でベッド一つきりしかない部屋は、しかし極めて快適。

これまたひとり旅の強力なサポートを見つけましたよ。

 

8月25日(日)中年18切符の旅:横浜 関内 サラスヴァティ弁天

けふの移動距離は長いぞ。名古屋→横浜 約8時間の移動。

早く目が覚めたので、かなり余裕持って横浜に向けて出発することに。
8時スグの浜松行き快速に乗り、旅を始める。17時までに横浜に着けば良いので、18切符のメリットを生かし、浜松、島田、熱海、小田原、と途中下車しまくってみた。浜松、島田は特筆すべきことなし。熱海は観光客の多さに辟易。小田原では飯を食って。みたいな・・・。

順当に進み、17時前には関内に着。
今回の旅、ぢつは明日 横浜はサムズアップで行われる、我らとの親交も深かった「いわたパパ」こと岩田正徳さんを偲ぶライヴパーティー、に参加するのが最終目的。しーシュ含め 広くミュージシャンを愛し、また広くミュージシャンから愛されたパパ。広島に来てくれた事もあり、ワシらの友達とも懇意であったパパとのお別れに、広島を、しーシュを代表して参加するつもりで来た。
パーティーを主催するサラスヴァ店主ミヤさんは、遠く広島から来てくれるなら、と前日にサラスヴァティでのライヴをねじ込んでくれたのだ。

対バンを引き受けてくれたのは、これまたパパとも懇意だったタジ ユキヒロさん。本来ソロでのライヴだったところをワシに時間を割いてくれ、感謝しかない。

パパの拠点でもあったサラスヴァティ。そのパパを偲ぶ会が明日。前日のサラスヴァ。といふ事で、さすがに集客は厳しかったが、逆に「ここにゐたはずのパパ」を思ひ、こみ上げてくるものは隠せなんだ。パパも好きだった「Dance」をタジさんと一緒に演った時は、憚らず泣いてゐるお客さんにこっちももらい泣き(苦笑)。

明日はしっかりパパを送って来ようと思った。

8月26日(日)中年18切符の旅:横浜サムズアップ『パパフェス』

パパを送る日。

日中は友人ぽこぺんが車を出してあちこち連れ回してくれた。いわゆる「湘南」を中年男二人でドライヴ。同じ海辺でも瀬戸内とはまったく異なる風情があり、オモロいなぁ、と。ホテルのチェックアウトから会場入り時間まで何して過ごすか?と悩んでゐた所だったので、ホンマに有り難かった。ぽこぺん、ありがとう。

さて、いよいよ「パパフェス」だ。
ワシが旅に出た金曜日以降に、どーやらメッセンヂャにけふの演奏(サポート)依頼の話が殺到してゐたらしく『シュウさん聞いてる?』と云はれる。いやいや聞いてへんし・・・。こちとら旅に出るとネット社会からは隔絶される訳で・・と説明す。

まぁ、知ってる曲だったのと、譜面をプリントアウトしてくれてゐたおかげでこと無きを得る。最終的にワシは、もっち〜こと持田浩嗣のゴスペルグループ。元りぶさん、エグっちゃんけんぢまんスプーン内藤、とのクァルテット。杉原徹(Vo)、菊池真義(Gu)、足立学(Dr)、下神竜也(Tp)とのクィンテット。の3ツの企画に参加。初めて顔をあわせる人も多く、東京の中枢で活躍する彼らからすれば、「梶山シュウって誰よ?」みたいなかんぢだったかもしれんが、そこにビシビシと切り込んで行くのは気持ちよかった。

主催ミヤさんは、湿っぽい会にはしたくない、と思ったさうで、それは何よりパパがさう望んでゐさうだから、と。パパをダシに参加者が楽しんでくれたら良い、と思ってゐたさうで、その狙いは大成功だった。
みな、おおぃに笑い、泣き、語り、それぞれの思ひでパパへ精一杯の歌と演奏を送った。残された家族がまた、笑い、泣き、語る姿を、パパはきっと見てゐたよね?。ここに来れたことを、本当に光栄に思ふ。

パパ、ありがとう。

けふはリードで唄う演目がなかったので、イベント中から結構飲んでゐた。終演後もパパを偲んでもっと飲みたかったのだが、いかんせん手持ちの金が少なくなり、後ろ髪(ないけど)を引かれながら、ひとり退散。

8月27日(火)

帰る。

帰りも18切符で15時間くらいかけて帰るつもりだったが、スタンプを使い切ってしまい、それにまぁ明日も広島でライヴなので、無駄に疲れることはない。ので、リッチに新幹線で帰途に。

椅子に座るとすぐに眠り込んでしまった。それぐらいくたびれてゐたのだらう、と思ふ。新幹線にしてよかったのだ。

早いもので昼過ぎには我が家へ。
休む間もなく、明日の演目のチェック。

まるで売れっ子のやうだ。

8月28日(水)ソルティ・ベアーズ初ライヴ@JUGEMU

鍵盤のモンゴル松尾、ドラムの石井聡至、この二人がやってゐる深夜ギグ『いきなりステージ』に参加するうちに、歌の熊本香織ちゃんをフィーチャーしてバンドにせんか、といふ話になった、のの、初ライヴ。

ネットのやりとりで音源と譜面を交換し、けふ初めて演る曲もあるのだが、まぁこのメンバーならなんとでも・・・。昼過ぎから会場入りしてあれこれ最終リハ。

知らぬうちに香織ちゃんとワシの「ツイン・ヴォーカル・ユニット」といふ事になってゐて、まぁそれもまたよし、か。お客さんはほぼ香織ちゃんが連れてくるので、その人たちががっかりせんと良いが・・・。

香織ちゃんの人気を物語るやうに、時間にはジュゲムが立ち見も出る満員。ツアーから引き継いだ流れでバリバリと弾きまくり、歌いまくった。

ヨーロッパの古い民族衣装みたいな香織ちゃんも可愛く、流れ的にも、営業トークになりがちな香織ちゃんを、ワシがつつき、サトシが突っ込み、松尾さんがボケる、といふキャラ(決めた訳ではないが)設定は功を奏したやうで、お客さんもよぅウケて、終わってみればかなり良いライヴだった。

いちをうけふは「初ライヴ」にして「解散ライヴ」ださうで(笑)、次の結成は秋かな?とか云ひながら・・。まぁワシからすればこのメンバーで「バンド」が出来るのはたいへん嬉しいので、ぜひ再結成を繰り返して継続したい気持ちである。

ちなみにこの日、だいぶ前にステージ用に、と買った「フェイク・ドレッド」なる帽子を被って演った(写真参照)。買ったは良いがあまり使う機会もなくけふに至ったのだが、ルーシー・ママがえらいことこの帽子を気に入ったやうで、「被っていい?」と云ふ。
んで、被ってもらふとワシなんぞよりはるかに似合う事が発覚(笑)。プレゼントすることにした。帽子も本望であらう。

8月29日(木)

珍しく午前中にひとつレッスンを入れ、午後は久しぶりにDVD鑑賞。『夜明け告げるルーのうた』といふアニメ映画。

この挿入歌として、斉藤和義の『歌うたいのバラッド』といふ曲が使われてゐた。この歌、ちょいと色々あって最近なんとなく憶え、ぢつは昨日もライヴの後にギター弾きながら歌ったのだった。それがフイに出てきた驚き。かういふ符合ってタマにあるけど、オモロいなぁ。
映画そのものも、まぁまぁオモロかった。

 

夜は「カメレオン・コンサート」の最終リハ。
昨日のライヴでは、久しぶりにえへくたーを沢山使って楽しかったので、けふもさうしてみることに。サポートん時はかういふかんぢで演るのも良いかもしれんな・・・。ブーツィーサンダーキャットみてぇに、常に「ピャオピャオ」言ってるベース、てのも今どきオモロいかも。

本番は600人規模のキャパの会場なので、さういふところでさういふことを演ってみる、といふのもちょいと楽しみ。

 

 

このたびもまた、ワシ以外全員女性、といふ布陣でのライヴとなる。

この形が多いワシは周りからよく誤解されがちだが、ぢつはハタから見るほどおぃしぃかんぢでもなく、一緒に仕事する相手が男か女か、の違いだけで、たまたまワシは女性と仕事する機会が多い、といふだけのこと。

8月30日(金)

けふはバイトにレッスンに、色々と忙しい日であった。

その中で、もぅ結構長くワシのレッスン(弾き語り)に通ってゐる生徒が、「ライヴを演りたいので手伝ってほしい」と云ふ。

聞けば、「友人を集めて」程度ではあるが、何度か自分名義のライヴを開催してゐるらしく、そろそろ本格的なプロのゲストを交えたものを演ってみたい、とか。

そらぁオモロさうだ。引き受けやう。ギターでもベースでも演るよ。

時を同じくして「作曲家」としての仕事のオファーも入り、まぁここん所やや低迷気味だった活動が、これで少しは盛り上がればイイかな、とは思ふ。

8月31日(土)三原市リージョンプラザ:カメレオン・コンサート

上述のカメレオンコンサート、の本番。

各自会場入りせよ、との指令が出たので、朝8時半頃自宅を出発。三原市は一時期教室も持ってゐた事があり、週一で通ってゐた。その時はあんまりなんも思はなんだが、改めて独りその行程を車で走ってみると、遠いぃねぇ・・・。よく毎週通ってたな。

三原リージョンプラザは、いちをう大ホール。
このテのハコで演るには、見せ方から音の作り方まで、ライヴハウスとかで演るのとまた違ったスキルが求められる。タマに話題になるのだが、若い者で案外ここを通ってないミュージシャンも多い。ワシら80年音楽世代の者どもは、大なり小なり一度はここを目指した経験があるはずで、そこはプロアマ問わず「上手い」と思ふ。ワシもその端くれとして・・・。

あ、もともとこのユニットといふか企画には、中野チカラさんが正規のベース奏者としてをり、けふは都合が合わなんだことでワシにトラのおハチが回ってきた、といふもの。チカラさんとワシが差異を出せるとすれば「歌」しかないので、けふはワシもコーラスにリードにしっかり歌った。姫石ミミ田辺裕三子、ふたりの女性Voの合間に男唄が入ることで、全体としてもメリハリがついたのではないか、と自負す。

フロント二人の衣装替えや、その場をつなぐ長めのMCが満載の本番は、曲数の割に長い演目となったが、ステージから見えるお客さん(400くらい?)が、最初あっけにとられ、徐々に笑い、最後には大ウケ、といふ行程を見るのは楽しかった。

原則撮影禁止だったので、ライヴの様子はオフィシャルのキャメラマンの写真を待つほかはなく、どんな音場だったのかも謎だ。良きコンサートであったことを祈りたい。演ってる方は楽しいばかり、であった。

ゆかりのある懐かしい顔にもそこそこ会え、昼ライヴと云ふこともあり、晩飯は帰宅して食えたし、良い仕事であった。また誘ってもらへるやう、頑張って行きたい。